冥府への案内人

伊駒辰葉

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閑話

ある日の夜

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 茜の空が終わると夜の帳が静かに下りてくる。空が暗くなっていくと街明かりが遠くに瞬き始める。その時間は和也にとって大切な時間だった。駅から家までの短い距離を、何を話すでもなく一緒に歩く。

「何でこっちを見るんだ」

 相変わらず視線に敏感な順が嫌な顔をして小声で言う。文句を口にする時ですら、順の声は風に紛れてしまいそうなほど小さい。そのことに苦笑を浮かべて和也は何でもない、といつものようにすげなく返事をした。

 冷たい風が肌に刺さるように感じる季節になると、空気は澄んで街の明かりが綺麗に見える。人々の灯した光はまるで星のようにきらめいている。だが空の星はこの街では殆ど見えない。たまに見えるのは惑星や一等星だ。ネックウォーマーを口許に寄せた和也は改めて街明かりを見つめた。

 遠くに見えるのは一際背の高いビルだ。周辺には背の高さを競い合うかのようにビルが並んで立っているのに、そのビルだけが空に突き抜けるように高い。暗い空にビルの影が浮かぶように見えるのは、窓に灯る光のせいだ。光に照らされたビルの壁が黒く沈んで見えているのだ。

 二人の歩く足音が静まり返った住宅街に響く。この辺りは高台で外灯も少ないせいか、晴れた日はこんな風に遠くまで見渡せる。見る方角を変えると赤く光る鉄塔すら見えるほどだ。

「おい、先に行くな、アホ」

 急に歩く速度を上げた順に和也は無愛想な声を掛けた。は? とため息を吐くような声を漏らして順が振り返る。

「本当にいつも偉そうだな」
「悪いか。そういう性格なんだよ」
「でかい図体なんだから、せめて俺の風よけになれ」
「おま、人を何だと思ってやがる」

 いつものくだらないやり取りをしながら歩く。

 痩せて細い順の身体は分厚い冬服に包まれていても、ちょっとの力で折れそうに見える。手袋をしても指先が冷たいから意味がない、という順の手に強引に手袋をはめさせ、剥き出しになっていた首にマフラーを巻き付けたのは去年の冬だった。

 あれから一年。奇跡のような日々。こんな時間がずっと続けばいいと願っていた。

 和也は沈みそうになった気分に蓋をして、街を見た。人工の光は冷たいような、優しいような不思議な雰囲気を纏わせている。青い光だけが妙に目に刺さるような気がする。透き通った空気は吸い込むと胸が苦しくなるほど冷たい。

 斬りつけるような風に煽られた順が首を竦めて震える。

 一緒にいられればいいのにと思う。だがそれが出来ない事も和也は知っていた。

 この光景を順はこの先ずっと覚えていてくれるだろうか。それともすぐに忘れてしまうのだろうか。光の灯る街の景色を、夜空に浮かぶように見えるビルの群れを、二人の足音を、アスファルトに落ちる長い影を。

 ふと、順が振り返る。

「早く来い。寒い」
「てめえが早すぎなんだよ」

 つい、歩くのが遅くなってしまったのをごまかし、和也は順と並んで夜道を歩き続けた。
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