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五章
晴れた霧
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まさか、と呟いて順は立ち上がった。だがあり得ないとすぐに自分の考えを否定する。だが和也はあの時も無茶をして周囲を騒然とさせた。和也が横断歩道を強引に渡った時のことを思い出し、順は身震いした。
もしかしてあいつ。
そういえば和也の行動を思い起こすと奇妙な点が幾つも目に付く。そもそも何故、和也はわざわざ順をアパートから引きずり出したのだろう。和也は調教するのだともっともらしく言ってはいたが、これまで和也と順は主従関係になったことはただの一度もない。何度も身体を重ねはしたし、痛い目にも合わされたことはある。が、和也は理屈抜きで順を痛めつけたことはない。強いて言えばホテルから戻ったあの日、問答無用で足を折られたが、それは順がむきになって抵抗した末の話だ。
考えてみれば変だ。ただの監視者がそんなことをする理由がない。監視者はあくまでも順を監視するのが役目だ。監視し、実験体の行動を研究者たちに伝達する。だが思い返しても和也が誰かに会っていたような気配はなかった。バンドの練習のない日は順といつも一緒にいたし、練習中はもちろん一緒だった。同じアパートで暮らしているのだ。もしも和也が誰かに会うなら一人で出かけるなりするだろう。だがこれまで和也が黙って出かけていたのはバンドの練習のためだという。もちろん、和也が言ったことだからそれが嘘でない可能性はない。
でもみんな、週に三度の練習をしてたって言ってた。考えながら順は頭を押さえてベンチにへたりこんだ。
そもそも和也は監視者なのだろうか。根本的な疑問に順は頭を抱えた。よく考えたらこれまで和也にその件を問い詰めたことがない。順は目をかたく閉じて必死で記憶をたぐった。思い出せ、と自分に言い聞かせる。
あの頃、監視者だった友達はどんな行動を取っていただろう。毎日、一緒に学校から帰っていた友達のことを順は思い出そうとした。だがどうしても友達の姿がはっきり思い出せない。景色は思い出せるのに、見ていた筈の友達の姿だけが妙にぼやけているのだ。
しっかりしろ、と自分を叱咤して順は額を手で強く押さえた。何もそんな遠い昔のことを思い出そうという訳ではない。たかだか数年前のことだ。なのにどうして思い出せないのだろう。
どうしてと自問する順の心の中には既に答えはあった。心に痛い記憶だから。本当はその友達のことがとても好きで、信頼していたからだ。だから監視者だと聞かされた時はとてもショックだった。
本当はずっと友達でいたかったのに。あの時、泣いてそう頼めば良かったのだろうか。真実など知らないままでいたかった。そう言えば良かったのだろうか。
だが全ては後の祭りだ。例え思ったことをぶつけたとしても、友達は困惑しただけだろう。それならこちらから切り捨てた方がいい。そう考えて。
順は目を見張った。
オレ、絶対に償うから! いつか、いつか必ず償いはするから!
あの時、必死の面持ちでそう叫んだ友達に順は笑みを浮かべてみせた。
「俺は……あの時……」
愕然と呟いて順は目元を手で覆った。
「いいよ、気にしなくて。でも俺は」
あの時のやり取りを思い出しながら順は震える声で呟いた。
でも俺は和也をたぶん赦せない。
その言葉を思い出した直後、順は強い頭痛を覚えて目を閉じた。霞んでいた記憶が一気に晴れる。記憶の中で傷ついた顔をする友達の姿がはっきりと見える。幼さの残るその顔を思い出した瞬間、順は歯を食いしばった。間違いない。記憶の中にいた友達は和也なのだ。
傷つけたかった訳じゃない。本当は嘘だと言って欲しかった。でもどうしてもそう言えず、順は言葉で和也を切りつけてしまったのだ。その後、記憶は深い闇へと葬られた。
嘲るように嗤う和也のことを思い出す。和也はいつも厭味なくらいに元気で、傲慢で、でもとても優しかった。食事もろくに取っていなかった順に色んな料理を作っては食べさせてくれた。あのままもし、一人きりでいたら倒れていただろう。
楽しいか? よかったな。
そう言って笑う和也の顔には厭味はどこにもなかった。多分、きっと心の底から順のことを心配していたからだ。和也は最初から順が人間ではない者だと知っていた。だが人間ではない順のことを毛嫌いすることは一度だってなかった。和也は自暴自棄になる順に生きる楽しみを教えたかったのではないか。
「俺はあの時、本当はそれでもいいって言いたかったんだ」
震える声で呟いて順はゆらりと立ち上がった。
もしかしてあいつ。
そういえば和也の行動を思い起こすと奇妙な点が幾つも目に付く。そもそも何故、和也はわざわざ順をアパートから引きずり出したのだろう。和也は調教するのだともっともらしく言ってはいたが、これまで和也と順は主従関係になったことはただの一度もない。何度も身体を重ねはしたし、痛い目にも合わされたことはある。が、和也は理屈抜きで順を痛めつけたことはない。強いて言えばホテルから戻ったあの日、問答無用で足を折られたが、それは順がむきになって抵抗した末の話だ。
考えてみれば変だ。ただの監視者がそんなことをする理由がない。監視者はあくまでも順を監視するのが役目だ。監視し、実験体の行動を研究者たちに伝達する。だが思い返しても和也が誰かに会っていたような気配はなかった。バンドの練習のない日は順といつも一緒にいたし、練習中はもちろん一緒だった。同じアパートで暮らしているのだ。もしも和也が誰かに会うなら一人で出かけるなりするだろう。だがこれまで和也が黙って出かけていたのはバンドの練習のためだという。もちろん、和也が言ったことだからそれが嘘でない可能性はない。
でもみんな、週に三度の練習をしてたって言ってた。考えながら順は頭を押さえてベンチにへたりこんだ。
そもそも和也は監視者なのだろうか。根本的な疑問に順は頭を抱えた。よく考えたらこれまで和也にその件を問い詰めたことがない。順は目をかたく閉じて必死で記憶をたぐった。思い出せ、と自分に言い聞かせる。
あの頃、監視者だった友達はどんな行動を取っていただろう。毎日、一緒に学校から帰っていた友達のことを順は思い出そうとした。だがどうしても友達の姿がはっきり思い出せない。景色は思い出せるのに、見ていた筈の友達の姿だけが妙にぼやけているのだ。
しっかりしろ、と自分を叱咤して順は額を手で強く押さえた。何もそんな遠い昔のことを思い出そうという訳ではない。たかだか数年前のことだ。なのにどうして思い出せないのだろう。
どうしてと自問する順の心の中には既に答えはあった。心に痛い記憶だから。本当はその友達のことがとても好きで、信頼していたからだ。だから監視者だと聞かされた時はとてもショックだった。
本当はずっと友達でいたかったのに。あの時、泣いてそう頼めば良かったのだろうか。真実など知らないままでいたかった。そう言えば良かったのだろうか。
だが全ては後の祭りだ。例え思ったことをぶつけたとしても、友達は困惑しただけだろう。それならこちらから切り捨てた方がいい。そう考えて。
順は目を見張った。
オレ、絶対に償うから! いつか、いつか必ず償いはするから!
あの時、必死の面持ちでそう叫んだ友達に順は笑みを浮かべてみせた。
「俺は……あの時……」
愕然と呟いて順は目元を手で覆った。
「いいよ、気にしなくて。でも俺は」
あの時のやり取りを思い出しながら順は震える声で呟いた。
でも俺は和也をたぶん赦せない。
その言葉を思い出した直後、順は強い頭痛を覚えて目を閉じた。霞んでいた記憶が一気に晴れる。記憶の中で傷ついた顔をする友達の姿がはっきりと見える。幼さの残るその顔を思い出した瞬間、順は歯を食いしばった。間違いない。記憶の中にいた友達は和也なのだ。
傷つけたかった訳じゃない。本当は嘘だと言って欲しかった。でもどうしてもそう言えず、順は言葉で和也を切りつけてしまったのだ。その後、記憶は深い闇へと葬られた。
嘲るように嗤う和也のことを思い出す。和也はいつも厭味なくらいに元気で、傲慢で、でもとても優しかった。食事もろくに取っていなかった順に色んな料理を作っては食べさせてくれた。あのままもし、一人きりでいたら倒れていただろう。
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そう言って笑う和也の顔には厭味はどこにもなかった。多分、きっと心の底から順のことを心配していたからだ。和也は最初から順が人間ではない者だと知っていた。だが人間ではない順のことを毛嫌いすることは一度だってなかった。和也は自暴自棄になる順に生きる楽しみを教えたかったのではないか。
「俺はあの時、本当はそれでもいいって言いたかったんだ」
震える声で呟いて順はゆらりと立ち上がった。
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