57 / 63
五章
血と硝煙の匂い
しおりを挟む
キーボードを叩いてパスワードを入力する。ほどなく目的のデータバンクに眠る情報がずらりと画面に表示された。ここまでにかかった時間を考えると、これ以上の接触はまずいかも知れない。和也は急いでデータを引き出してファイルに保存した。
次は、と呟いて画面に目を戻す。不慣れなこともあって和也の端末を操作する手つきは酷くぎこちない。だが和也は間違いなく狙っていた情報に近付きつつあった。
これのおかげだな。和也はそう呟いてキーボードの脇に置いたカードに目を落とした。面白そうだから乗ってやる、と気紛れを起こしてくれたことに感謝しなければならない。そうでなければもっと手間取っていた筈だ。いや、下手をすれば目的のデータにたどり着けなかったかも知れない。
よし、最後だ。間に合ったことにほっとしながら和也はキーボードを叩いた。その途端に画面にずらりと数値が並ぶ。これは不正アクセスを防ぐための暗号コードだ。和也は端末に手を伸ばして別のファイルを中に突っ込んだ。暗号を解読した状態でなければ保存しても無意味だ。和也は画面上の数値が少しずつ文字に変わって行くのを苛々しながら見守った。
不意に物音が聞こえる。和也は舌打ちをして振り返った。誰かが鍵を使っている。もう少しなのに、と呟いて和也は画面を見た。だがまだ解読は終了してはいない。早くしろよ、と急かしながら立ち上がる。だが端末は生きてはいない。どれだけ言葉で急かしてみても意味がないのだ。そのことは判っていたが、和也は端末を睨みながら早くしろ、ともう一度呟いた。
ドアが開く。端末を背にして立った和也は資料室に入ってきた女を見止めて唇を歪めた。
「……あらあら。どんな虫かと思えば」
そう言って笑いながら美恵が後ろ手にドアを閉める。
「ちょうどいい。あんたには話があったんだ」
「あら。私も訊きたいことがあるのよ? 渡部和也くん」
艶やかな笑みを浮かべて美恵がゆっくりと近付いてくる。和也は端末の前に立ったまま美恵を睨みつけた。
「どうもおかしいと思っていたのよ。木村君にやけに近付いていくし、挙句の果てにはバンドに誘ったというじゃない?」
話しながら美恵は並んでいるスチール棚に手を伸ばした。たくさんあるファイルの中から一つを抜き取る。美恵は何も挟まれていないファイルを手早くめくっていった。その中に小さな黒い機械が挟まれている。それを見た和也は無言で目を細めた。盗聴器だ。すぐにそう判ったが、和也は無言を守った。
「気になったから調べてみたの。……あなたと同じ名前の監視者のことがすぐに判ったけど」
笑い混じりに告げて美恵はファイルを元の位置に戻した。抜き取った黒い機械を胸のポケットに滑らせる。どこかで盗聴器の音を別の誰かが拾っているのだろう。迂闊なことを言えばすぐに他の誰かが飛んでくる。言葉にしない美恵の脅しに和也は少しだけ目を細めた。
「でも変ね。彼は五年前に処理された筈なのに」
「オレも訊きたいことがあんだよ、センセー」
美恵の疑問には答えずに和也は問いかけた。
「あんた、なんで木村にちょっかいかけた? 監視者は監視するのが役目だろ。それとも木村が好みのタイプだったりしたのか?」
和也を横目に見て美恵はふん、と笑った。勝ち誇った笑みを浮かべて和也に向き直る。
「好み、ですって? 何故、私が男を好きになると思うの?」
くすくすと笑って美恵が答える。やっぱりな、と呟いて和也は肩を竦めた。美恵は間違いなく同性愛者だ。美恵にまとわりついている怪しげな噂も相手は全て女性で、男性の名が出てきたことは一度もない。もっとも、順はその手の噂を極力耳にしないようにしていたから、知りはしないだろうが。
「じゃあ、なんだってまた木村に? 男を毛嫌いしてるあんたにしては行動がおかしいだろ」
和也の質問に美恵はひとしきり笑っていた。しばらくして笑いを納め、和也を見つめる。その目には愉悦の色が浮かんでいた。
「決まってるじゃない。結婚するのよ」
「……言ってる意味がよくわからんな」
男を嫌っている筈の美恵が順と結婚する。その理由はただ一つ。順のバックにある木村の権力が目的なのだろう。そのことは判っていたが和也はあえて反問した。楽しそうに笑いながら美恵が首を傾げてみせる。
「あらあら。そんなことを聞いてどうするつもり? 人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死んでしまうわよ?」
「そんなセリフは恋愛してから吐くんだな。菅野女史を使って何を企んでる」
鋭い目で美恵を睨んで和也は訊ねた。するとそれまで笑っていた美恵の表情に緊張が走る。だがすぐにその緊張は消え、再び妖しい笑みが美恵の頬に浮かんだ。真っ赤な口紅を塗った唇の端が吊り上がる。
「決まってるじゃない。子供を作るのよ」
「木村の、か」
「そうよ。実験体01の精子と人間の女の卵子を掛け合わせるの。今までに何度か試されたけれど、成功した例はないわ。でも」
ハイヒールのかかとが硬い音を立てる。和也は近付いてくる美恵を睨んだまま身動きしなかった。美恵は和也の真正面に立つとスカートのポケットに手を入れた。出された手には小さな拳銃が握られている。銃口を胸に押し当てられた和也は無言で美恵を見つめた。
「人間の女の胎で試したことはないの」
「実験のために人を弄んでいるのか」
「嫌ね。弄ぶだなんて。あの子だって信じられないくらいに強い快感を得たのよ? 正当な取引でしょう?」
にっこりと笑って美恵が銃口を強く和也の胸に押し付ける。
「あなた、虫にしては知りすぎているわね。何者なの?」
さあ吐け、と言わんばかりに美恵は和也の胸に銃口を何度も押し付ける。和也は唇を歪めてけっ、と喉の奥で笑った。
「オレが答える義理はないと思うがな」
「そうね。どちらにしろ、ここで死ぬんですものね」
美恵が撃鉄を起こしてトリガーを引く。和也はまともに胸に銃弾を食らった。鮮血がモニタを染める。高く笑いながら美恵が銃を下ろす。その場にがくん、と沈んだ和也は胸を押さえながらにやりと嗤いを浮かべた。端末にそっと手を伸ばしてファイルを抜く。
「え……!?」
「悪いな。ちと急ぐんで」
目を見張る美恵にそう言ってから和也は資料室を駆け出した。
次は、と呟いて画面に目を戻す。不慣れなこともあって和也の端末を操作する手つきは酷くぎこちない。だが和也は間違いなく狙っていた情報に近付きつつあった。
これのおかげだな。和也はそう呟いてキーボードの脇に置いたカードに目を落とした。面白そうだから乗ってやる、と気紛れを起こしてくれたことに感謝しなければならない。そうでなければもっと手間取っていた筈だ。いや、下手をすれば目的のデータにたどり着けなかったかも知れない。
よし、最後だ。間に合ったことにほっとしながら和也はキーボードを叩いた。その途端に画面にずらりと数値が並ぶ。これは不正アクセスを防ぐための暗号コードだ。和也は端末に手を伸ばして別のファイルを中に突っ込んだ。暗号を解読した状態でなければ保存しても無意味だ。和也は画面上の数値が少しずつ文字に変わって行くのを苛々しながら見守った。
不意に物音が聞こえる。和也は舌打ちをして振り返った。誰かが鍵を使っている。もう少しなのに、と呟いて和也は画面を見た。だがまだ解読は終了してはいない。早くしろよ、と急かしながら立ち上がる。だが端末は生きてはいない。どれだけ言葉で急かしてみても意味がないのだ。そのことは判っていたが、和也は端末を睨みながら早くしろ、ともう一度呟いた。
ドアが開く。端末を背にして立った和也は資料室に入ってきた女を見止めて唇を歪めた。
「……あらあら。どんな虫かと思えば」
そう言って笑いながら美恵が後ろ手にドアを閉める。
「ちょうどいい。あんたには話があったんだ」
「あら。私も訊きたいことがあるのよ? 渡部和也くん」
艶やかな笑みを浮かべて美恵がゆっくりと近付いてくる。和也は端末の前に立ったまま美恵を睨みつけた。
「どうもおかしいと思っていたのよ。木村君にやけに近付いていくし、挙句の果てにはバンドに誘ったというじゃない?」
話しながら美恵は並んでいるスチール棚に手を伸ばした。たくさんあるファイルの中から一つを抜き取る。美恵は何も挟まれていないファイルを手早くめくっていった。その中に小さな黒い機械が挟まれている。それを見た和也は無言で目を細めた。盗聴器だ。すぐにそう判ったが、和也は無言を守った。
「気になったから調べてみたの。……あなたと同じ名前の監視者のことがすぐに判ったけど」
笑い混じりに告げて美恵はファイルを元の位置に戻した。抜き取った黒い機械を胸のポケットに滑らせる。どこかで盗聴器の音を別の誰かが拾っているのだろう。迂闊なことを言えばすぐに他の誰かが飛んでくる。言葉にしない美恵の脅しに和也は少しだけ目を細めた。
「でも変ね。彼は五年前に処理された筈なのに」
「オレも訊きたいことがあんだよ、センセー」
美恵の疑問には答えずに和也は問いかけた。
「あんた、なんで木村にちょっかいかけた? 監視者は監視するのが役目だろ。それとも木村が好みのタイプだったりしたのか?」
和也を横目に見て美恵はふん、と笑った。勝ち誇った笑みを浮かべて和也に向き直る。
「好み、ですって? 何故、私が男を好きになると思うの?」
くすくすと笑って美恵が答える。やっぱりな、と呟いて和也は肩を竦めた。美恵は間違いなく同性愛者だ。美恵にまとわりついている怪しげな噂も相手は全て女性で、男性の名が出てきたことは一度もない。もっとも、順はその手の噂を極力耳にしないようにしていたから、知りはしないだろうが。
「じゃあ、なんだってまた木村に? 男を毛嫌いしてるあんたにしては行動がおかしいだろ」
和也の質問に美恵はひとしきり笑っていた。しばらくして笑いを納め、和也を見つめる。その目には愉悦の色が浮かんでいた。
「決まってるじゃない。結婚するのよ」
「……言ってる意味がよくわからんな」
男を嫌っている筈の美恵が順と結婚する。その理由はただ一つ。順のバックにある木村の権力が目的なのだろう。そのことは判っていたが和也はあえて反問した。楽しそうに笑いながら美恵が首を傾げてみせる。
「あらあら。そんなことを聞いてどうするつもり? 人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死んでしまうわよ?」
「そんなセリフは恋愛してから吐くんだな。菅野女史を使って何を企んでる」
鋭い目で美恵を睨んで和也は訊ねた。するとそれまで笑っていた美恵の表情に緊張が走る。だがすぐにその緊張は消え、再び妖しい笑みが美恵の頬に浮かんだ。真っ赤な口紅を塗った唇の端が吊り上がる。
「決まってるじゃない。子供を作るのよ」
「木村の、か」
「そうよ。実験体01の精子と人間の女の卵子を掛け合わせるの。今までに何度か試されたけれど、成功した例はないわ。でも」
ハイヒールのかかとが硬い音を立てる。和也は近付いてくる美恵を睨んだまま身動きしなかった。美恵は和也の真正面に立つとスカートのポケットに手を入れた。出された手には小さな拳銃が握られている。銃口を胸に押し当てられた和也は無言で美恵を見つめた。
「人間の女の胎で試したことはないの」
「実験のために人を弄んでいるのか」
「嫌ね。弄ぶだなんて。あの子だって信じられないくらいに強い快感を得たのよ? 正当な取引でしょう?」
にっこりと笑って美恵が銃口を強く和也の胸に押し付ける。
「あなた、虫にしては知りすぎているわね。何者なの?」
さあ吐け、と言わんばかりに美恵は和也の胸に銃口を何度も押し付ける。和也は唇を歪めてけっ、と喉の奥で笑った。
「オレが答える義理はないと思うがな」
「そうね。どちらにしろ、ここで死ぬんですものね」
美恵が撃鉄を起こしてトリガーを引く。和也はまともに胸に銃弾を食らった。鮮血がモニタを染める。高く笑いながら美恵が銃を下ろす。その場にがくん、と沈んだ和也は胸を押さえながらにやりと嗤いを浮かべた。端末にそっと手を伸ばしてファイルを抜く。
「え……!?」
「悪いな。ちと急ぐんで」
目を見張る美恵にそう言ってから和也は資料室を駆け出した。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…
東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で……
だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?!
ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に?
攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる