冥府への案内人

伊駒辰葉

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五章

血と硝煙の匂い

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 キーボードを叩いてパスワードを入力する。ほどなく目的のデータバンクに眠る情報がずらりと画面に表示された。ここまでにかかった時間を考えると、これ以上の接触はまずいかも知れない。和也は急いでデータを引き出してファイルに保存した。

 次は、と呟いて画面に目を戻す。不慣れなこともあって和也の端末を操作する手つきは酷くぎこちない。だが和也は間違いなく狙っていた情報に近付きつつあった。

 これのおかげだな。和也はそう呟いてキーボードの脇に置いたカードに目を落とした。面白そうだから乗ってやる、と気紛れを起こしてくれたことに感謝しなければならない。そうでなければもっと手間取っていた筈だ。いや、下手をすれば目的のデータにたどり着けなかったかも知れない。

 よし、最後だ。間に合ったことにほっとしながら和也はキーボードを叩いた。その途端に画面にずらりと数値が並ぶ。これは不正アクセスを防ぐための暗号コードだ。和也は端末に手を伸ばして別のファイルを中に突っ込んだ。暗号を解読した状態でなければ保存しても無意味だ。和也は画面上の数値が少しずつ文字に変わって行くのを苛々しながら見守った。

 不意に物音が聞こえる。和也は舌打ちをして振り返った。誰かが鍵を使っている。もう少しなのに、と呟いて和也は画面を見た。だがまだ解読は終了してはいない。早くしろよ、と急かしながら立ち上がる。だが端末は生きてはいない。どれだけ言葉で急かしてみても意味がないのだ。そのことは判っていたが、和也は端末を睨みながら早くしろ、ともう一度呟いた。

 ドアが開く。端末を背にして立った和也は資料室に入ってきた女を見止めて唇を歪めた。

「……あらあら。どんな虫かと思えば」

 そう言って笑いながら美恵が後ろ手にドアを閉める。

「ちょうどいい。あんたには話があったんだ」
「あら。私も訊きたいことがあるのよ? 渡部和也くん」

 艶やかな笑みを浮かべて美恵がゆっくりと近付いてくる。和也は端末の前に立ったまま美恵を睨みつけた。

「どうもおかしいと思っていたのよ。木村君にやけに近付いていくし、挙句の果てにはバンドに誘ったというじゃない?」

 話しながら美恵は並んでいるスチール棚に手を伸ばした。たくさんあるファイルの中から一つを抜き取る。美恵は何も挟まれていないファイルを手早くめくっていった。その中に小さな黒い機械が挟まれている。それを見た和也は無言で目を細めた。盗聴器だ。すぐにそう判ったが、和也は無言を守った。

「気になったから調べてみたの。……あなたと同じ名前の監視者のことがすぐに判ったけど」

 笑い混じりに告げて美恵はファイルを元の位置に戻した。抜き取った黒い機械を胸のポケットに滑らせる。どこかで盗聴器の音を別の誰かが拾っているのだろう。迂闊なことを言えばすぐに他の誰かが飛んでくる。言葉にしない美恵の脅しに和也は少しだけ目を細めた。

「でも変ね。彼は五年前に処理された筈なのに」
「オレも訊きたいことがあんだよ、センセー」

 美恵の疑問には答えずに和也は問いかけた。

「あんた、なんで木村にちょっかいかけた? 監視者は監視するのが役目だろ。それとも木村が好みのタイプだったりしたのか?」

 和也を横目に見て美恵はふん、と笑った。勝ち誇った笑みを浮かべて和也に向き直る。

「好み、ですって? 何故、私が男を好きになると思うの?」

 くすくすと笑って美恵が答える。やっぱりな、と呟いて和也は肩を竦めた。美恵は間違いなく同性愛者だ。美恵にまとわりついている怪しげな噂も相手は全て女性で、男性の名が出てきたことは一度もない。もっとも、順はその手の噂を極力耳にしないようにしていたから、知りはしないだろうが。

「じゃあ、なんだってまた木村に? 男を毛嫌いしてるあんたにしては行動がおかしいだろ」

 和也の質問に美恵はひとしきり笑っていた。しばらくして笑いを納め、和也を見つめる。その目には愉悦の色が浮かんでいた。

「決まってるじゃない。結婚するのよ」
「……言ってる意味がよくわからんな」

 男を嫌っている筈の美恵が順と結婚する。その理由はただ一つ。順のバックにある木村の権力が目的なのだろう。そのことは判っていたが和也はあえて反問した。楽しそうに笑いながら美恵が首を傾げてみせる。

「あらあら。そんなことを聞いてどうするつもり? 人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死んでしまうわよ?」
「そんなセリフは恋愛してから吐くんだな。菅野女史を使って何を企んでる」

 鋭い目で美恵を睨んで和也は訊ねた。するとそれまで笑っていた美恵の表情に緊張が走る。だがすぐにその緊張は消え、再び妖しい笑みが美恵の頬に浮かんだ。真っ赤な口紅を塗った唇の端が吊り上がる。

「決まってるじゃない。子供を作るのよ」
「木村の、か」
「そうよ。実験体01の精子と人間の女の卵子を掛け合わせるの。今までに何度か試されたけれど、成功した例はないわ。でも」

 ハイヒールのかかとが硬い音を立てる。和也は近付いてくる美恵を睨んだまま身動きしなかった。美恵は和也の真正面に立つとスカートのポケットに手を入れた。出された手には小さな拳銃が握られている。銃口を胸に押し当てられた和也は無言で美恵を見つめた。

「人間の女の胎で試したことはないの」
「実験のために人を弄んでいるのか」
「嫌ね。弄ぶだなんて。あの子だって信じられないくらいに強い快感を得たのよ? 正当な取引でしょう?」

 にっこりと笑って美恵が銃口を強く和也の胸に押し付ける。

「あなた、虫にしては知りすぎているわね。何者なの?」

 さあ吐け、と言わんばかりに美恵は和也の胸に銃口を何度も押し付ける。和也は唇を歪めてけっ、と喉の奥で笑った。

「オレが答える義理はないと思うがな」
「そうね。どちらにしろ、ここで死ぬんですものね」

 美恵が撃鉄を起こしてトリガーを引く。和也はまともに胸に銃弾を食らった。鮮血がモニタを染める。高く笑いながら美恵が銃を下ろす。その場にがくん、と沈んだ和也は胸を押さえながらにやりと嗤いを浮かべた。端末にそっと手を伸ばしてファイルを抜く。

「え……!?」
「悪いな。ちと急ぐんで」

 目を見張る美恵にそう言ってから和也は資料室を駆け出した。
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