冥府への案内人

伊駒辰葉

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五章

風に乗る歌 1

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 今日は最後のステージ練習の日だ。順は手早く着替えて鏡を覗きながら髪の乱れを指で直した。

「おい、待ち合わせは十時だろ? さっさと起きろよ」

 隣の部屋にいる和也に声を投げる。だが壁越しに聞こえてきたのは間延びした声だった。どうやらちゃんと目が覚めていないらしい。順は顔をしかめて和也の部屋に向かった。

 部屋に入るとやはり和也はまだベッドに横たわっていた。順は呆れた顔で和也に近付き、ベッドを軽く蹴飛ばした。少しだけベッドが揺れて和也が閉じていた目を開ける。

「うー……もちょっとだけー……」
「なに言ってるんだ。さっさと起きろ!」

 そう言って順は和也がかけていた薄い綿毛布を一気に剥ぎ取った。下着一枚で転がっていた和也がうええん、とわざとらしい声を上げる。ばか、と返してから順は和也の腕を引いた。仕方なさそうに和也が身体を起こす。

「調子悪いのか? いつも俺より先に起きてたくせに」

 寝ぼけた顔で頭をかく和也に訊ねる。和也は順の質問にしばしうーん、と首を傾げてから顔を上げた。

「あれだよ、あれ。夏バテ?」
「ばか。それならそれでちゃんと言えば」

 そこまで言って順は口ごもった。あれー? と笑いながら和也が順の顔を下から覗き込む。順は真っ赤になって目を逸らした。

 とりあえずコーヒー、と言われて順はキッチンに向かった。インスタントコーヒーとついでに自分の紅茶を用意する。ティバッグとインスタントコーヒーをカップにそれぞれ入れたところでタイミング良くやかんの笛がなる。ミルクと砂糖をコーヒーの入ったカップに入れてスプーンを突っ込んでから湯を注ぐ。

 二つのカップを手に和也の部屋に入ったところで順は眉を寄せた。まだ和也は下着一枚の格好のままだ。順は呆れて和也を叱責しようとした。だが口を開きかけたところで言葉を飲み込む。珍しく和也が朝からテレビを観ているのだ。

「……何だ? ニュース?」

 横からテレビの画面を覗き込んだ順はそう訊ねた。

「あー、そう」

 肘杖をついて頷いた和也の傍にカップを置く。和也はテレビの方を向いたまま、テーブルのカップに手を伸ばした。コーヒーを混ぜるスプーンの柄が時折、カップに当たって小さな音を立てる。順は黙って和也の正面に座って何となくテレビを観た。

「飛行機事故?」
「そうらしいな」

 テレビ画面の中ではキャスターの女性が少し感情的な声で何事かを告げている。順はその女性の声に何となく耳を傾けた。どうやらどこかで飛行機が墜落したらしい。事故で亡くなった人々の名前が何度も表示される。事故が起きて間もないらしい。確認された死亡者の名前は表示されるごとに増えている。

 しばらく黙ってテレビを見ていた順はふと和也の様子を伺った。和也はやけに真剣な目で画面を見つめている。何度目かの死亡者の名前の表示がされた時、和也は僅かにだけ目を細めた。順は和也から目を離し、画面を観た。死亡者の一覧にはまた新しい名前が追加されている。

「行くか」

 唐突に和也が腰を上げる。和也が着替えるのを尻目に順は画面を食い入るように見つめた。追加された死亡者の名前には見覚えはない。どうやら両親と共に飛行機に乗っていたらしい。名前の横に一緒に表示された年齢を読んで順は思わず顔をしかめた。惨いな、とつい口から零れる。

「まあ、子供だとちょっと可哀想だとは思うがな」
「そうだよな」

 頷きながら答えて順は和也を見た。和也はテレビに背を向けて着替えている最中だ。

「でも、死ぬ時は死ぬ。どんなに嫌でも仕方ない」
「そんな……だって小さな子供だぞ?」

 何となく納得出来ないものを感じて順はそう言い返した。すると和也が肩越しに振り返る。その目にはこれまで順が目にしたことがないほどに優しい光が浮かんでいるような気がした。

「そうだな。本当に、オレもそう思うよ」

 そう言った時の和也の表情は、普段の荒っぽさからは考えられないほど穏やかだった。何事かと首を捻る順を余所に和也がいつもの嫌な嗤いを浮かべる。

「それより大丈夫なのか? 今日は例の曲を歌うってつかっちから聞いたぞ」
「う」

 思わず詰まって順は顔をしかめた。和也が楽しそうに嗤いながら着替えを済ませる。今日はつかさに教えられたあの歌を歌うことになっているのだ。そのことを改めて思い出して、順は落ち着かない気分になった。

 二人で大学に向かう。最後のステージ練習というだけあって、みんな気合が入っているようだ。時間前に二人がたどり着いた時にはもう、他のメンバーは揃っていた。講堂前に集合していた彼らに挨拶をしてから順は訊ねた。

「何で入らないんだ?」

 当り前の顔をして扉を開けようとした順はあれ、と首を傾げた。鍵が開いていない。戸惑う順を笑いながらつかさが告げる。

「まだ開いてないんだよー。学生会の人が開けてくれるらしいんだけどね」
「あ、ほら、来たよ」

 静がそう言って順の後ろを指差す。順は振り返って納得顔で頷いた。文江が講堂に向かって駆けて来るのが見える。

「ごっ、ごめんなさい! ちょっと遅れたかしら」

 鍵の束を握りしめた文江が慌ただしく詫びる。

「いんにゃ。大丈夫だ。オレたちも今来たトコ」

 そう言って和也がにっこりと笑う。あからさまな愛想笑いに順は内心でため息をついた。他のメンバーも同じことを思ったらしい。つかさと静が余所を向いて吹き出すのを堪えている。黒田は愛想笑いする和也を見て眉間にしわを寄せた。

 早速鍵を開けて講堂に入る。講堂の中は締め切られていただけあって酷く暑い。順たちは手分けしてまず講堂中の扉や窓を開けた。それから改めてステージ上に集まって準備を始める。順は静を手伝ってバスドラムやスタンドを運んだ。アンプやキーボードを和也と黒田が手分けして配置する。つかさは配線担当だ。それぞれが仕事を済ませて定位置についたところでつかさがメンバーに声をかける。

「とーりあえず、まずはプログラム通りにやってみよっか」

 順はマイクスタンドをつかんで頷いた。よし、と気合を入れる。先日の練習では何とかつかさに合格点はもらえている。あとは練習の成果を発揮するだけだ。
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