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白い夜
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二人並んで焼香をする。
結婚式を終えてしばらくした二月の週末、私たちは小樽の旅館「銀波館」を訪れていた。
式が終わり、少し落ち着き、日常が戻って来た感じだ。
一年前、ここで初めて美雪さんを知ってから、本当に濃密な時間を送った。
「やっと結婚したのですね。おめでとう」
女将さんが言ってくれた。
「一年前、あなたがお客様としてここに来て焼香してくれた時、きっと別の宿に移るだろうと思っていました。だって、ちょっと気味悪く思うのが普通でしょう?だけど、あなたはここに泊まってくれた」
うれしかったわ、と笑った。
「だって、真実をすべてを知って、美雪の存在も受け入れようとしてくれたのですから。でもそれは利光さんのことを本気で好きだった、ということですよね」
「はい、前に奥さんがいたことも含めての利光さんですから。美雪さんとの結婚生活が無かったら、いまの夫はいませんから」
「由梨花に出会ってから美雪の記憶は、大切な思い出へと昇華していったと思います。最期の時間をきちんと共有することができなかった、その後悔がぼくの中にずっと残っていて、心がささくれ立っていた。でも、由梨花はそれを否定することなくじっと見守ってくれました。おかげで自分が失ってしまった時間を過ごすことができたと思います。美雪との楽しい思い出を改めて感じ、本当の意味で送ることができたのです」
「そうですね。私も心から良かったと思いますわ。娘はやっと成仏できたのですね」
(そうかしら?)
それについては、ちょっと疑問だ。だって日常、美雪さんの気配を結構感じるもの。いつも柔らかく、温かい眼差しを。私だけが感じるのかな?
(まあ、私たちは戦友だからね。同じ男性を好きになった者どうし。私が虹の橋を渡ったらいっぱいお話をしたいわ。夫の悪口とか)
「でもね、由梨花さんが来ているって知らせたら利光さん、朝イチで迎えに来た。笑っちゃったわよ」
部屋に戻ると、窓の外は雪がしんしんと降っていた。
「真っ白……」
「うん」
「私が死ぬまで大事にしてね」
「わかった」
「あ、言ったわね。二十歳若い私より長生きしてくれるわけね」
「しまった……」
「でもその前に、子供を育てなきゃ」
「そう、ぼくの年からいっても早い方がいいかもしれない」
「妊活しようか?」
「そうだな」
翌日、新雪が降り積もった中を札幌に向かった。天気は回復して、石狩湾が青く見える。札の昼食では食べたいものがあった。
「楽しみだなー、鍋壊し」
「シブいものを知っているな」
「鍋壊し」はカジカという魚で、鍋にすると特に変わったところはない。だけど食べる人は鍋が壊れてしまうほどの勢いで夢中で突く、それほど美味いと言われている。
「ぼくがよく行く郷土料理屋に行こう」
連れて行かれた店は意外にも、ジャズの流れるおしゃれな店だった。
(さすが利光さん。だれと来てるんだろう?)
マスターがコンロに点火し、鍋を置いた。確かに見た目はそれほどインパクトを感じない。
もう火は通っていたので、ひと煮立ちしたところで食べてみる。
「んーっ」
なんとコクのある出汁だろう。
「この魚は、体全部を煮るから、出汁はそれだけで十分だ。あと隠し味で、肝を擂ったものを少し入れる」
「それでこんな濃厚な味になるんだ」
おいしい。プルプルとコラーゲンもたっぷりでお肌にも良さそう。
「東京ではあんまり食べられないからね。こっちに来ると食べたくなるな」
ふと気になっていることを聞いてみた。
「ずいぶんオシャレな店だね」
「うん」
「もしかして、女性と来たりするの?」
「前にはあったね」
ええっ!
「だ、誰と?」
「そのころの奥さん」
なーんだ、それはしょうがないよね。
「藤木先生、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう、マスター」
「こちらが?」
「そう、新しい奥さん」
「そうですか、ようこそおいで下さいました」
「初めまして」
「そうだマスター、アレを見せてやってよ」
「アレですね」
マスターはニヤリと笑って店の奥に消えて行った。
「ちょっと、何よ。ヘンなものなの?」
「まあ、見てのお楽しみ」
マスターが氷を敷いた皿に載せて持って来たものは、背が黒くて腹が白いグロテスクな魚だった。
「いや、気持ち悪い。なんですか、この魚?」
利光さんとマスターは顔を見合わせて笑っている。
「だって由梨花は、うまいうまいと言って腹いっぱい食べたでしょ」
「ええっ?」
とても食べられるとは思えないような外見だ。それがあんなに美味しいなんて。
「まあ、東京のお嬢様にはキツいかも知れませんね」
「どう、送ってもらって調理に挑戦する?」
「い、いえ……」
ブラック利光め。本当に泣いてやろうか。
最後の雑炊がまた絶品だった。
「ああ。美味しかった。でも自分で捌く自信はないわ」
ホテルにチェックインしてしばらく休む。
「五時スタートだから、少し前に出よう」
「うん」
北国の冬の夕暮れは早い。
結婚式を終えてしばらくした二月の週末、私たちは小樽の旅館「銀波館」を訪れていた。
式が終わり、少し落ち着き、日常が戻って来た感じだ。
一年前、ここで初めて美雪さんを知ってから、本当に濃密な時間を送った。
「やっと結婚したのですね。おめでとう」
女将さんが言ってくれた。
「一年前、あなたがお客様としてここに来て焼香してくれた時、きっと別の宿に移るだろうと思っていました。だって、ちょっと気味悪く思うのが普通でしょう?だけど、あなたはここに泊まってくれた」
うれしかったわ、と笑った。
「だって、真実をすべてを知って、美雪の存在も受け入れようとしてくれたのですから。でもそれは利光さんのことを本気で好きだった、ということですよね」
「はい、前に奥さんがいたことも含めての利光さんですから。美雪さんとの結婚生活が無かったら、いまの夫はいませんから」
「由梨花に出会ってから美雪の記憶は、大切な思い出へと昇華していったと思います。最期の時間をきちんと共有することができなかった、その後悔がぼくの中にずっと残っていて、心がささくれ立っていた。でも、由梨花はそれを否定することなくじっと見守ってくれました。おかげで自分が失ってしまった時間を過ごすことができたと思います。美雪との楽しい思い出を改めて感じ、本当の意味で送ることができたのです」
「そうですね。私も心から良かったと思いますわ。娘はやっと成仏できたのですね」
(そうかしら?)
それについては、ちょっと疑問だ。だって日常、美雪さんの気配を結構感じるもの。いつも柔らかく、温かい眼差しを。私だけが感じるのかな?
(まあ、私たちは戦友だからね。同じ男性を好きになった者どうし。私が虹の橋を渡ったらいっぱいお話をしたいわ。夫の悪口とか)
「でもね、由梨花さんが来ているって知らせたら利光さん、朝イチで迎えに来た。笑っちゃったわよ」
部屋に戻ると、窓の外は雪がしんしんと降っていた。
「真っ白……」
「うん」
「私が死ぬまで大事にしてね」
「わかった」
「あ、言ったわね。二十歳若い私より長生きしてくれるわけね」
「しまった……」
「でもその前に、子供を育てなきゃ」
「そう、ぼくの年からいっても早い方がいいかもしれない」
「妊活しようか?」
「そうだな」
翌日、新雪が降り積もった中を札幌に向かった。天気は回復して、石狩湾が青く見える。札の昼食では食べたいものがあった。
「楽しみだなー、鍋壊し」
「シブいものを知っているな」
「鍋壊し」はカジカという魚で、鍋にすると特に変わったところはない。だけど食べる人は鍋が壊れてしまうほどの勢いで夢中で突く、それほど美味いと言われている。
「ぼくがよく行く郷土料理屋に行こう」
連れて行かれた店は意外にも、ジャズの流れるおしゃれな店だった。
(さすが利光さん。だれと来てるんだろう?)
マスターがコンロに点火し、鍋を置いた。確かに見た目はそれほどインパクトを感じない。
もう火は通っていたので、ひと煮立ちしたところで食べてみる。
「んーっ」
なんとコクのある出汁だろう。
「この魚は、体全部を煮るから、出汁はそれだけで十分だ。あと隠し味で、肝を擂ったものを少し入れる」
「それでこんな濃厚な味になるんだ」
おいしい。プルプルとコラーゲンもたっぷりでお肌にも良さそう。
「東京ではあんまり食べられないからね。こっちに来ると食べたくなるな」
ふと気になっていることを聞いてみた。
「ずいぶんオシャレな店だね」
「うん」
「もしかして、女性と来たりするの?」
「前にはあったね」
ええっ!
「だ、誰と?」
「そのころの奥さん」
なーんだ、それはしょうがないよね。
「藤木先生、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう、マスター」
「こちらが?」
「そう、新しい奥さん」
「そうですか、ようこそおいで下さいました」
「初めまして」
「そうだマスター、アレを見せてやってよ」
「アレですね」
マスターはニヤリと笑って店の奥に消えて行った。
「ちょっと、何よ。ヘンなものなの?」
「まあ、見てのお楽しみ」
マスターが氷を敷いた皿に載せて持って来たものは、背が黒くて腹が白いグロテスクな魚だった。
「いや、気持ち悪い。なんですか、この魚?」
利光さんとマスターは顔を見合わせて笑っている。
「だって由梨花は、うまいうまいと言って腹いっぱい食べたでしょ」
「ええっ?」
とても食べられるとは思えないような外見だ。それがあんなに美味しいなんて。
「まあ、東京のお嬢様にはキツいかも知れませんね」
「どう、送ってもらって調理に挑戦する?」
「い、いえ……」
ブラック利光め。本当に泣いてやろうか。
最後の雑炊がまた絶品だった。
「ああ。美味しかった。でも自分で捌く自信はないわ」
ホテルにチェックインしてしばらく休む。
「五時スタートだから、少し前に出よう」
「うん」
北国の冬の夕暮れは早い。
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