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何度だって諦めてあげない22

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 でも、いざとなると僕はなかなか千沙さんに声を掛けられずにいた。

 こんなに逃げたんだ、彼女はもう僕のことなど過去の人間かもしれない。『いらない』と言われるのが怖い。『千晶がいればあなたはいらない』そう言われたらもう生きていく自信すらなくなる気がした。

 彼女と千晶は公園で電車を眺めていた。その姿を僕が見ていることも知らずに。ああ、ストーカーだな、これは。なんども声を掛けようとして手を引っ込めて、結局は彼女が家に戻るまで付け回してしまった。そうしてやっと決心して声を掛けた言葉は……

「千沙さん、もう逃がしませんよ」

 二年ぶりだというのに脅しのような一言になってしまった。部屋のカギを開けようとした千沙さんは僕を見てポカンとしていた。突然現れたのだ、そうなるのも仕方ない。……可愛いけど。そんな僕に返答したのは千晶だった。

「だあれ?」

 僕を見上げてから千晶は千沙さんを見上げた。

「ええと、母のお友達だよ……」

 そう千沙さんが答えるとにっこり笑った千晶は僕の手を引いた。

「ちーのでんしゃ、みる? しんかんせんだよ、しってる?」

「うん、みたい」

 思わぬ味方に僕は飛びついて、まんまと千沙さんと千晶の家に侵入することができた。




「ええと、こんなものしかありませんが」

「ありがとうございます」

 ニコニコと僕を家に引き入れた千晶とは対象に千沙さんはぎこちなくジュースを差し出してくれた。小さなちゃぶ台にのったジュースを眺めながら、僕はあらゆる感情が押し寄せて涙が出そうになるのを堪えた。後ろでは玩具の電車がシャーシャーとレールの上を走っている音がしていた。

「ちー、お客様と大事な話をしないといけないから新幹線を止めてくれないかな?」

「えすじゅうよん、いーろっけい、こまちがくるとこなの」

「……じゃあ、こまちが来たら、止めてね」

 千晶は電車好きなようで公園でも一生懸命眺めていた。僕の祖父は鉄道マニアなのできっと会わせたら大喜びするだろうな、とぼんやり考えた。

「ちー、やくそく」

「もういっかいだけ」

 僕がうるさく思っていると思ったのか千沙さんが千晶に電車を止めるように声をかけた。でも僕はここに入り込みたかっただけなので、そんなことは気にしていなかった。

「千沙さん、いいですよ。後ろで新幹線が走ってても」

「ええ……」

「ちーは電車が好きなんだね。知らなかったよ。もっとちーのこと知りたかったのに千沙さんが意地悪していなくなるからなぁ……」

「おともだち、でんしゃすき? ちーのたからものもっとみる?」

「うん、もっと見る。今日はお泊りしちゃおうかな~」

「え、とまる? ちーのおうち?」

「ちーは覚えていないかもしれないけど、僕はちーとお風呂に何度も入ったことがあるんだよ?」

「おふろ! はいる! はいる!」

「ちょっと、修平……それはいくらなんでも」

「僕は許してませんよ、千沙さん。泊めてくれますね?」

「……」

 千晶が僕に友好的なことに付け込んで千沙さん言ってみる。千沙さんは僕に嫌悪を示していない。そのことに内心ほっとしながら泊めてくれというと意外にあっさりと受け入れられた。千晶のナイスサポートのお陰だともいう。やっぱり親子だからだろうか。

 千晶に込み入った話を聞かせたくないと思ったのだろう、千沙さんは千晶が寝るまで僕の様子を窺うようだった。『大したものはできないけど……』と言って出してくれた千沙さんの手料理は久しぶりで美味しかった。千晶も僕にべったりとくっついてくる。

「よし、ちー、お風呂にはいるぞ!」

「やったあ!」

 初めてこの部屋にきたというのに千晶とお風呂に入った。湯船につかって千晶をお腹に乗せると千晶がキャッキャと喜んだ。

「ちーはあかちゃんだったの?」

「前に一緒にお風呂に入った時は赤ちゃんだったよ。今日も体を洗ってあげるよ」

「おみず、じゃーはこえをかけてね」

「わかった」

 いつも千沙さんに言われているのだろう、シャンプーした後に声をかけてから頭からお湯を流した。ちょっと緊張したけれど上手くいったようで千晶もご機嫌だった。二度目に湯船につかったとき千晶は僕の膝にちょこんと座った。浴槽の縁を掴みながら振り返り、僕の顔をしげしげと眺めて言った。

「ちー、おともだちしってる」

「え? もしかして、お風呂入ったことを覚えてるの?」

「んーん。あとでみせてあげるね」

 そうしてにっこりと千晶が笑った。その笑顔が可愛すぎて、もうどうでもいい気分になった。ホカホカになった千晶を先にタオルで拭いてから着替えを手伝う。千晶はパジャマの柄も電車だった。可愛い。僕は念のために用意しておいた自分のスエットに着替える。お風呂から出てからさらに興奮した千晶が僕に話しかけてくれていた。

「今のうちに千沙さんもお風呂入ってきてください。僕はちーと遊んでますから。ゆっくり浸かってきていいですよ」

「あ、ありがとう……ゆっくり入るのなんて久しぶり……」

 声を掛けると嬉しそうにうつむいてから千沙さんがお風呂に向かった。千晶はその様子を窺って、千沙さんがドアを閉める音がしてからふすまを開けた。そうしてすき間に手を入れると一冊の本を出して着た。

「これ、ははのたからものだよ」

「宝物?」

「かくすくらいすきなものは、たからものなんだって」

 見覚えのある雑誌は千晶の手で簡単にそのページに辿り着く。そこには折り目があって、明らかに何度も見たと思える痕跡があった。

「おともだち、でしょ?」

「うん、これは……僕だね」

 それは僕が以前取材を受けた雑誌だった。大きく顔写真が乗って恥ずかしいと思っていたけれど、千沙さんがこうやって見てくれていたのかと思うと嬉しかった。こんなもの買って眺めていたんだ。千沙さんは僕のことを忘れてなんていない。嫌いな男の写真を眺めたりしないだろうし、千晶に宝物だなんていわないだろう。

 すぐに家にも入れてくれたし、なんだかんだご飯も作ってくれて、こうやって布団も用意されている。

 ものすごく不器用なんだ。この二年でそれを知ったじゃないか。こうやって僕そっくりの千晶を大切に育てていることこそが証拠なんだ。

「千晶、抱っこさせて」

「えほん、よんでくれる?」

「いいよ」

 絵本を読み聞かせながら僕は時々千晶を抱きしめた。くすぐったがる千晶はそれでも僕の好きにさせてくれた。千沙さんがお風呂から出てきたときには新しい本を次々と持ってきて、そのうちぱたりと電池が切れたように眠ってしまった。

「あの、千晶のこと見てくれてありがとう。あの、本当に泊まる気かな? 千晶と約束したことは気にしなくていいよ。後で私が説明しておくから」

 千晶を布団に運ぶと千沙さんが申し訳なさそうにそんなことを言う。以前の僕なら邪魔で帰そうとしているとカチンときたかもしれない。でも今は千沙さんが僕のことを思って言っているとわかっていた。

「お布団用意してくれているじゃないですか。もちろん約束は破りません。泊まりますよ」

「そ、そうなの……」

 案の定少しほっとしたような千沙さんの態度にやはり間違っていないと確信した。

「さて、僕を喜ばせるだけ喜ばしていなくなるなんて鬼の所業をした千沙さん」

「ご、ごめんなさい。ちょっと事情があって、どうしても千晶を手放したくなくて……修平にも迷惑をかけたくなかったし」

「そんなに僕は頼りないですか?」

「そうじゃなくて……」

「はあ。事情は調べましたし、直接聞きました」

 そうして簡単に千沙さんの実家の事を話した。本当はもう夜逃げした後だがそれは黙っておいた。やっぱり千沙さんは千晶が取られそうになっただけではなく、経営が悪化していた寺田が僕に迷惑をかけると思って千晶を連れて逃げたのだとわかった。

 だったら、もういい。二度逃げたことも。

 千沙さんは僕を愛しているのだから。

 まだいろいろ言う千沙さんに僕は二回目のプロポーズをした。
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