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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

誤魔化せない感情と代え難き絆 後編

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【5】

 静寂の包む暗夜が世界を覆い尽くしていた。時間の経過と共に朝は訪れるもの。明けない夜は無い、それを指し示すように空の彼方に白が滲み出していた。朝焼け、早朝の時刻になろうとしていた。
 その光を一切に望ませず、差し込みもしない森林地帯。無尽蔵に頭上を埋め尽くす枝葉が天蓋となり、依然として内部は輪郭を掴ませぬほどに暗く落ちる。時折吹く風が揺らし、漣を思わせて音を鳴らす。それが正体不明の生物の呻きのように響く。暗がりに落ちた茂みや雑草等の地面を覆う植物は蠢くように揺れていた。
 闇夜よりも暗く落ちた森林の内部は侵入を拒む様に佇む。一歩でも刻めばその音が不気味に響き渡る。吹く風は生暖かく、音は先述の通り。星屑の明かりさえも希ってしまうほどに心細くなってしまう。加え、魔物モンスターの存在に拠って危険度は跳ね上がる。闇ほど、慣れ親しむ地では優位に立ててしまい、夜目の利く魔物モンスターが大半であるから。
 危険極まるその闇を、苦しい表情で突き進む影が一つ。荒く息を切らせて走らされるレイホース。大量の汗を流し、涎を垂らすほどに激しく呼吸を繰り返して。それでも搭乗者に酷使され、四肢を動かす。
 レイホース以上に険しい表情であり、横腹を抑えるその顔色は悪く。尚も前を望むその手には、レイホースも包み、ある程度の範囲を仄かに照らす物体を持つ。青白く、頼り無げなその光源は、彼が持つ石である。発光する、それが実に役に立つ。こういう時に重宝していた。
 その有難みを感じさせない彼、絶えず苛む激痛に食い縛って耐える。治す処か悪化させる状態を自らが招いている為に、ただ耐えるしかなかった。僅かな後悔を滲ませながらも進む最中、更なる難関が彼に待ち受けていた。
「ッ!」
 咄嗟に感じた気配を察知し、力任せに手綱を引っ張った。側面へ逃げるように促したそれにレイホースは嫌がりながらも、その身体を傾かせた。
 巨大な影が闇の中から出現、進行方向を遮るではなく、レイホースを踏み潰す勢いで前足を地面に叩き付けていた。辛くもレイホースは躱したのだが、体勢を崩してしまった為に転倒、勢いのまま滑ってしまう。
 乗っていた者は直前で降り立ち、襲い掛かって来た存在と対する。痛みに顔を歪めながら。
 暗闇であろうと目立つであろう外見、体毛で覆われたそれは恐怖を抱かせる形相を浮かべて振り返っていく。淡い光に照らされてその正体は映し出された。
 グレディル、真紅の体毛に包まれ、逆立たせるのは飢餓の証拠。充血し、剥き出した牙の隙間から涎を垂らす様から疑いの余地など無い。
 出現し、あからさまな敵意を、今にも襲い掛からんとする気配を見せる赤き巨獣を警戒しながら巻き込まれそうになったレイホースの様子を確認する。やや遠くで倒れる駿馬に命の別状はない。攻撃が掠り、やや痛々しい傷を負い、地面を滑った際の擦り傷が広範囲に刻まれているものの。
 手当をしなければならないと悔いながら判断すれど、それ以上に考える事は出来なかった。剣を構え、レイホースとグレディルの間に向けて駆け出していた。巨大な影は、先に弱り、隙を晒すレイホースを狙っていたのだ。それに気付き、鋒が地面に当たるほど急ぎ、その黒い刃を振るった。
 立ち塞がり、唸りを上げて振り下ろされていく巨腕に対抗する。力の差は歴然、既に振り下ろされるそれは体重を乗せられ、下方からの反撃では分が悪く。
「・・・うぐっ!!」
 辛く強固な爪を受け止めたのだが、抗い切れずに叩き落とされてしまい、その爪が彼の身体に到達、引き裂かれてしまった。けれど、力の向きを変える事には成功し、レイホースの身体に当たらせずに済ませていた。
 付けていた事も無駄であった胸甲は落ち、その胸部に浅くない爪痕が刻み込まれてしまう。流血で周囲を赤く汚し、激痛にトレイドは怯む。けれど、後方で横たわるレイホースの為に退く事は出来ず。
 確かな手応えとは別に、邪魔をされた事へ憤慨し、更に形相を歪ませたグレディルは再度豪腕を振り上げた。しかし、それ以上の攻撃は許されなかった。怯めども、揺るがぬ意思を、戦意を保っていたトレイドは強く念じた。邪魔をする獣を討たんと。
 巨大な獣の下方から幾多の異物が出現、直線的に伸びた。淡い光に照らされたそれは結晶、歪に折れ曲がり、中には途中で折れ、砕け散るもの見える。それでも歪な円錐の群れは獣を襲った。
 鋭く、細いそれらは獣を串刺しにせんと突き刺していく。身体の硬度に負け、幾多に砕けていく最中に体内に侵入する。堪らず赤い巨獣は悲鳴を上げた。
 しかし、それが更なる殺気を齎す。闇夜でも光放つような双眸でトレイドを睨み、肉体を躍動させて踏み潰さんとした。食らう事も頭から消え、ただ煩わしい存在を排除せんと上体を上げ、振り上げた両前足を全体重を乗せて振るった。
 それを前に、身体に走る激痛と謎の脱力感と疲労感に苦しむトレイドは再度念じる。先のは痛みで精度が鈍ったと判断、今の危機を思考から排除し、クルーエを助ける為に今は死ねないと猛烈に、一点集中する。足掻き、踏み躙るように剣で地面を削って。
 思いに答えるように再度結晶が出現し、先以上の密度とより円錐に近い形状と表面を以て反撃とする。グレディルの下のみならず、トレイドの周辺からも伸びたそれは真っ直ぐに獣の身体を貫く。先の傷も合わせて串刺しにしていく。
 だが、勢いは完全に軽減出来ず、体重を乗せた攻撃は更に肉体に沈み、傷を深くしながらも砕きながら尚もトレイドを狙う。その執念、痛み、顎下にも突き刺さっているにも関わらず、傷からして助からないとしても、それでも。
 結晶を砕く音を響かせて巨体が接近する様を、トレイドは黙って見ているしかなかった。それどころか膝を着き、動きを縛る虚脱感に動けなくなっていた。逃げを望んでも、生きる事を望んでも動けなかった。だとしても、その顔に諦めの色はなかった。 
 敢え無く、両腕が叩き込まれた。地面をほんの僅かに揺らす勢いで、その音を響かせ、風はその周囲を揺すった。
「う・・・ぐ・・・っ!」
 耐え難い激痛に呻く。口から吐血し、押し潰された痛みに意識が遠退きそうになる。それでも命は残っていた。
 その理由は明確、幾多の槍に貫かれたグレディルは絶命に至っていた。最期に一矢報いたものの、槍に威力を軽減された為に道連れには出来なかった。次第に巨体は体勢を崩し、地面へ崩れ落ちた。幾多の結晶を砕き、それは消えていく。
 辛く、グレディルを返り討ちにしたのだが爪痕は深かった。トレイドは更なる負傷を負い、満足に動く事は出来ない。移動手段であるレイホースも負傷し、走らせる事は出来ないだろう。
「・・・ぐ、仕方、ないな・・・」
 這い出て、脱力感を振り払い、剣を杖にして立ち上がる。意識が覚醒と朦朧を繰り返す激痛に苛まれながらも歩き、倒れ込んだレイホースに歩み寄る。痛々しい姿ではあるが、駿馬はトレイドを心配するような仕草を示す。命を賭けて守ってくれた事を理解している様であった。
 そのレイホースを、酷使した事を詫びるように撫でた後、立ち上がらせる。悲鳴を呟かせるも立ち上がる事に成功する。痛みに堪えながらも歩行する事は出来るが、これでは満足に目的地へと向かう事は出来ない。先の呟き通り、トレイドは予定を少し変更し、其処に向けて歩かせていった。
 向かう先はフェリス。レイホースの返却と傷の治療の為に。手持ちのフェレストレの塗り薬では内部に至る負傷には効能は低い事も踏まえ、其処に向けて全身全霊で警戒しながら歩む。その甲斐があってか、空が白み、微かに森の中が明るく感じられる頃には到着を果たしていた。

 幸か不幸か、目的地に到着するまでに再度魔物モンスターと遭遇する事は無かった。長閑な光景、元気な老人達が酪農を営む光景を前にする。老人達は朝早くだと言うのに、農作物の世話をして。
 小川が流れ、のんびりと食す動物の様、周囲に広がる心を落ち着かせる光景を堪能する暇もなく、何とか生存させられたレイホースを賃貸屋の下へ連れて行く。
「悪い、庇い切れなかった。詫び、にはならないが、これで勘弁してくれ」
 連れて来たレイホースの状態に驚く店員にトレイドは腕を、手を差し出す。ウェストバッグから取り出し、渡したのは慰謝料としての硬貨。銀と金が入り混じり、治療費としては過分とも言える金額であった。
「そ、それで済ませようとするな誠意ってものを示せよ!」
 会話を行わず、金で解決しようとする姿勢に、硬貨を渡して立ち去ろうとする姿に怒った店員は引き留めようとする。しかし、その店員は足を止めてしまう、邪魔をされた為に。
「な!お前・・・」
 怪我を負ったレイホースが止めたのだ。肩に噛み付いて、文字通りに食い止めていたのだ。その事に驚きはすれど、流石は賃貸屋、レイホースの気持ちが多少は読めるのだろう。察して思いを抑えていた。
 負傷されたとは言えど庇う。護られた事に恩義を感じ、それを返すように庇っていた。その行動、レイホースの気持ちに免じ、今回は見逃す事とし、手当を行う事としていた。
 レイホースを返却したトレイドはその足でギルドの支部に向かう。道中、老人に心配されながらも到着し、状況故に常駐して貰っている天の導きと加護セイメル・クロウリアの職員に治療を頼んでいた。
 当然に心配されるものの、多くは語らなかった。急いでいると質疑の声を遮断して急がせていた。それは傷を塞ぎ、圧迫された事での全身に響く痛みを軽く治す程度に終わらせてしまう。
「まだ休んだ方が良い」
「ありがとう。だが、急いでいるんだ」
 心配した仲間の抑止の言葉も振り切り、トレイドは痛みを引き摺りながら外へと出て行く。まだ動ける状態じゃないと強引に呼び止めようとした時、その行動を止める数人。その理由は丁度届いた連絡。内容はトレイドに聞かされる事は無く、案ずる思いが尽きないのだが、仕方なく応じて見送っていた。

【6】

 已む無くフェリスを経由したトレイドは遠く、高く聳える岩山を目指して歩き続けていた。僅かな間から覗く其処に向け、どれ程歩いただろうか。まるで生物の体内を思わせるような、鬱蒼とし、蠢く森林の内部を突き進んでいた。
 薄らと明るくなった森林内部、頼りにする発光する石。それが無くても進めない事は無いのだが、仄かに温もりを感じそうな明かりが今の心の拠り所になっていたのかも知れない。
 そうした彼の視界に漸く変化が訪れていた。それは森林の一時の終わりを示す明かり。彼方に現れ出したそれは切れ間、木々と雑草等の植物の切れ間であった。けれど、然して不思議な事ではない。其処に至る道を活用していた為に。
 数度と魔物モンスターと遭遇した後に漸く目的地、その中継点に到着を果たしていた。その時のトレイドの姿は誰もが案ずる姿に成り果てて。
 其処は荒く、登山を拒絶する岩肌を為す。生物の生息が疑問視されるその表面は大規模に展開され、見上げても果ては目視出来ず。開けた場所を席捲、埋め尽くして勇猛に構えるそれは広大なる山であった。
 正しくは山脈と言うべきか。上方に向けて荒く角張り、尖る岩肌は登る者を拒絶するであろう。日に照らされたそれは灰に、角度によっては黒や白にも見えるそれは生物の甲殻にも見えて。美しさは無く、環境の厳しさを形作ったかのように荒々しい形状で構成されていた。
 其処は高山地帯と呼ばれ、刑務所としての機能が備えられた場所である。其処に着いたトレイドはとある箇所へ足を運ぶ。断崖の様に切り立った箇所があり、其処には大きな穴が開いていた。内部に達するそれは炭鉱窟としての機能があり、連日に渡って掘削音が響く。
 だが、先述の通り、刑務所として活用されている為、その前には頑丈な関門と詰所が備えられ、屈強な見張りが二人立つ。役割は当然、囚人の逃亡阻止の為。
「何だ?此処に用があるのか?」
 抵抗なく歩んでいくトレイドに向け、門番でもある歩哨が呼び掛ける。再三に起きた内部での騒動や昨今の状況による影響であろう、以前の武装から一新、より殺傷能力を向上させた槍と西洋風の鎧で警備を行っていた。
「おい、止まれっ!許可を得ていないなら通行は出来ないぞ!」
 呼び掛けに反応せずに接近してくるトレイドに向けて強めの語調で警告する。だが、尚も返答しない。急速に不信感を募らせ、槍先を突き付けられながら牽制される中、門前で立ち止まった。
「何の積もりか知らないが、事前の連絡、許可を得ていないなら引き返せ!」
「・・・悪いが、通してくれるか?」
 警告に耳を貸さないまま、静かに頼み込む。その様子に二人は一層警戒を深めて牽制し続ける。
「出来る訳が無いだろう、話を聞け」
「通りたかったら許可を得て下さい」
 不躾な頼みを前に職務に全うする二人は警告と指示を送る。それにトレイドは静かに息を吐き捨てた。
「・・・急いでいる、通らせてくれ」
「何度も言っている。許可を・・・」
 再三に告げようとした時、トレイドは思わぬ行動に出る。突き付けられた槍、その刃の根元に掴み掛かると強引に引っ張った。共に思わぬ事に引き込まれてしまう。その態勢が崩れた二人、その一方に一気に距離を詰めると力任せに横蹴りを叩き込んだ。
 腹部、鎧を着ていると言っても衝撃は在り、相応の力を受ければその足は浮く。蹴られた者の多く後ろに飛ばされ、地面を転がってしまった。
「テ、手前テメェッ!」
 行動を前に、覚悟した者は槍で攻撃、制圧しようとすれどトレイドの動きが早かった。一方から奪い取った槍で攻撃しようとした者の槍を弾き飛ばす。無手となれど制圧の意思は途切れず、抑えようと接近する。
 しかし、その両腕が届くよりも先にトレイドの手がその顔を叩く。晒した顔、目元周辺を叩かれて僅かに怯む。その隙に正当な理由で刃を振るった青年を組み伏せた。腕を捻り、倒れ込んだその背に乗る。そうなれば簡単には解けず。
「悪いと思っている。後で捕らえても構わない。だが、今は強引でも通らせてもらう」
「出来る訳が無いだろ!さては囚人を解放しに来たのかっ!?」
「此処を通過したいだけだ」
 考え得る疑惑に淡々と答える。今の彼を縛る思考ゆえ、この行為の重さの理解が追い付いていなかった。宛ら、監獄を破る真似、十分に重罪だと言うのに。
「・・・ふざけるな!!何の理由があっても、強引に通って良い訳がないだろう!!」
 最初に弾き飛ばされた青年が体勢を立て直し、弾かれた槍を構えて接近する。穂先で鋭き音を纏わせ、義憤に猛り叫ぶ。
 それを前に、組み伏せた青年を足蹴にして攻撃とし、同時に距離を詰める足場として活用する。そのまま、突き出そうとした槍を掻い潜り、刃の射程範囲から外れて懐へと潜り込んだ。
 接近する勢いを利用して身体ごとぶつかる。体重も乗せた激突は痛みを伴えど、鎧で覆った身体を浮かせる衝撃となる。抗う暇もなく、後方へ飛ばされた身体はそのまま転倒する。
「・・・お前達は正しい、悪いのは俺だ。だが、邪魔立てするなら、これ以上は手加減出来ない」
 此処で無駄な時間を費やしたくないと込み上げる焦燥感に怒りが滲み出す。それは真剣を使う事も辞さない覚悟も見えて。
 その迫力に怖じる二人ではない。少なくともこの重要な間所の門番を任された身、蛮行を許す事は出来なかった。
「二人掛かりで行くぞ!足を狙え!最悪殺しても構わない!!本気でやれ!!」
「で、ですが流石に命を奪うのは・・・」
「黙れ!!目の前に居るのはただの犯罪者だ!!容赦する必要はないっ!!」
 忠実に責務を果たそうとする声は躊躇の言葉を掻き消す。それに値する行為をしていると大声で示し、躊躇した青年は覚悟して武器を拾って立ち上がる。破られては、突破されてはならない、正当な怒りを抱いた二人は武器を構えて殺意を放った。
「・・・何が何でも通らせてもらう」
 身体に込み上げる様々な感情、何より罪悪感が痛みを助長させるのだろうか。辛苦を顔に刻みながら警告する。自身の蛮行を朧気に自覚しながらも、それでも一人の女性を助ける為に犯罪を犯そうとする。その手が、握られた剣がゆっくりと地面を捉える。呼び出せばもう後戻りは出来ないだろう、いや既に。それでも。
 緊迫した空気が流れ、悲劇を考えられる状況。互いの動きを観察、小さく牽制ながら出方を窺う。やがて、焦れたトレイドが動き出そうとした時であった。別方面から騒がしくなり、複数の駆け足の音が聞こえてきた。
「何事ですか!?」
 そう状況を尋ねながらも駆け寄ってきたのは看守達。騒ぎを聞き付けたのだろう。返答を待たず、現場を目の当たりにして状況を瞬時に把握、武器を構えてトレイドを取り囲んだ。
 あっと言う間に包囲され、形勢も勢力も直下した。敵意に晒された彼は静かに見渡し、だがその意識は高山の向こうに。
「武器を放して投降するんだ!」
 誰かが呼び掛けた。これ以上の抵抗は無駄だと説得を試みたのだろう。けれど、トレイドの目が、放つ意思が応じない事を如実に示す。何より、更に力を、意思を強めた為に。
 衰えず、寧ろ増大する迫力に訪れた者達は怯む。しかし、此処で躊躇えば此処を任された者の名折れ、気力を再起させて仕掛けようと距離を詰める。益々に状況は悪化するばかり。
「随分と騒がしくしてくれたものだ」
 冷静に、且つ威厳のある男性の声が響いた。瞬間、その場のトレイド以外の者が気を引き締め、姿勢を律した。囲んだ人々を掻き分けてその場に現れたのは、威厳と風格を充分に纏う大柄の男性。初老に差し掛かっている筈なのに、屈強な戦士を圧倒しかねない圧力と筋力を有する。
 一目で責任者である事が理解出来る風貌のその男性、此処の最高責任者である看守長である。その彼は毅然した態度であり、慌てた様子も怒りも見せず。
「すみません!直ちにこの無法者を捕らえ・・・」
「通せ。厳重に封鎖したあの場所へ案内しろ」
 萎縮し、最初に対峙した青年の慌てた言葉を彼は遮った。事もあろうか、無法者に咎めなしとの沙汰も下した。
「し、しかし!この男は・・・」
「案内役として、そうだな・・・レイザーを付けろ。良いな?」
「は、はい!」
 異論に耳を貸さず、面識のあるレイザーに案内をさせるように指示を下す。それに慌てて応じた一人が洞穴に向けて全力で駆けて行く。早急に門を開けるように促し、厳重に閉ざしたそれは重い音を立てて開かれていく。
 遠退く足音、疑問の呟きや視線に囲まれる中、トレイドは静かに看守長を睨む。何かしらの思惑があるのかを探れども、静かに見下ろしてくる強面から読む事は出来ず。
「・・・済まない。後日、詫びに来る」
 迷惑を掛けた、手を煩わせたと一言謝り、急ぎトレイドは先を急ぐ。その背に怒りの目が向けられて。
「よ、宜しかったのですか?あの男、強引に此処を通ろうとして職員に乱暴までしたのですが・・・」
 当然に質問が行われる。その場に居た誰もが同じ思いであった。
「そうですよ。危険です!もしもの事が有りますよ!」
 尤もな発言を受け、その眉間に少しの皺を寄せて口を開く。言葉が発せられる少しの間、その面は見る者を打ち震わせた。
曙光射す騎士団レイエットより要請があった。あの男を、トレイドを通すようにとな」
 その釈明に誰もが納得出来なかった。
「納得出来ないのも無理はない。だが、受け入れろ。責任は私が持とう。それよりも近々後発隊も来る、受け入れる準備をしろ」
 尚も納得出来ない皆に、考える猶予を与えないように続けて指示を送る。彼もまた同じ思いであったのだろう、慌てて指示に従う者や戦闘して少し痛がる部下を眺めながら蟀谷に血管を浮かせていた。

 囚人達の反感を買い、酷く恨まれている事も気付けない様子でトレイドは坑道に続く道を進む。次第に大きくなる痛みを引き摺ってでも行けば広場へと到着する。
 道具が乱立する其処は相も変わらず、閉ざされ、息が詰まりそうになる。
「おいおい、俺の事を無視するのか?」
 気を悪くするような空気が立ち込める中、其処を突っ切ろうとした時、呆れた調子の声が呼び止めていた。その者は真摯な態度で刑期中のレイザーであった。つい先程まで探鉱していたのだろう、その恰好は汚れて。
「突然呼ばれて来たけど、何かあったのか?お前も平気じゃ無さそうだけどさ」
「お前は気にしなくても良い」
 そう言って取り合わず、奥に向けて歩き出していく。その背に心配の声を掛けて。
 他者を、囚人さえも威圧して後退させかねない気配を放って進むトレイドの後をレイザーは続く。黙々と、いや喧々とした様子で突き進む姿に散々に心配を掛けるのだが大した反応を示さず。
 初めて会った頃以上の荒んだ様子、敵意でなく、切羽詰まった様子にただならない事態が起きていると確信したレイザーは何時しか口を閉ざし、ただ黙って着いていくようになっていた。
 やがて、封鎖箇所に到着する。以前訪れた時以上に厳重に、強固に封鎖されていた。宛ら金庫、最重要品を保管するそれの如く分厚く。加えてその前には歩哨が二人、重苦しく感じる重装備で立っていた。
 その二人に許可は得ていると開けるように指示する。受けた二人は疑問を抱きながらも、トレイドの只ならぬ気配に圧される形で厳重に閉ざす扉の開錠に取り掛かっていた。
「・・・これ、持っていけ」
 待っている間にレイザーが小袋を手渡した。受け取り、確認するとフェレストレの塗り薬を始めとした薬と軽食。それは事前に渡すように受け取ったもの。
「・・・無茶してんのは分かる。何も聞かねぇよ。だから、代わりに必ず帰って来いよ。んで、俺や、お前を心配している奴には絶対に謝れよ」
 全てを把握はしていない。語られない以上、全てはトレイドの様子から来る推察。けれど、的確な忠告となっていた。その台詞の意味、それを深く考えられないほどに追い詰められたトレイドは空返事で返し、暗い道へ向かっていく。その背、重々しい音を立てて扉が閉ざされていた。
 暗闇、光の届かない高山の体内は実際以上に狭く映る。目先に移動させた指先、その輪郭すらも溶かす闇の道。硬き体内に張り巡らされた空間は幾多に分岐する。補強を施されたその道、何かが潜んでいれば強襲を許してしまうだろう。其処を、トレイドは光る石を頼りに、険しき顔で進んでいった。

 暗き道は今の彼の心情を示すかのように落ち込む。何もかもをその色で融かし、位置を感付かせぬほどに濃く。迷うに相応しく、困窮するに必然性を抱かされる。何処までも響くような、足音は忍び寄る後悔と縛り付けるような痛みを齎して。何処かで響き続ける水音が、侘しく落とされ続けていた。

【7】

 遠く、天高く浮かび、燦然と地上を照らしていた天体は地平線に沈もうとしていた。ならば訪れるのは夜、その兆しである夕暮れ時、その色は空に血を落としたかのように赤く。
 空の色よりも濃い赤が宙を染め上げるように舞う。飛沫、止血や応急処置も追い付かないほどの重体、その傷口から漏れ出す。激しき動きが治癒の暇も、フェレストレの塗り薬の効果も追い付かせない。硬く包帯を巻いていると言うのに、浸透した血は容赦なく漏れ出して。
 僅かでも、着実に命を削る流れを止められず、淡い青白い光に克明に写される。止められぬ訳は周囲の状況に、対する存在が原因であった。
 足元のみならず、周囲は荒れ果てていた。荒廃、いや瓦礫に埋もれていると言った方が適切であろう。彼を取り巻く周囲だけでなく、広範囲に渡るそれは荒野であり、何時しかの残骸達であろう。緑を一切に見せず、鉄筋や石材、木材と言ったあらゆる建造物に使用する無機物が乱雑に転がる。
 そうした瓦礫に波打つように、地面は荒れ狂うように隆起を繰り返す。地震の果てなのか、地層が晒されている箇所もあり、其処に一切の優しさなど無い。ただ向かう者を傷付ける荒々しさを見せる。時間帯が影響し、赤く見えるのは血液を思わせた。他も同じだが、時間帯が異なれば別の姿に、本来の姿が見受けられるであろう。或いは、悲しみを抱かせながらも広大に広がる景色は、絶望からの再起を髣髴させるのだろうか。
 胸の内に痛みを抱かせるような光景の中、不気味な光が激しい流動を見せていた。幾多のそれは二対となって独立した動きを見せ、それは生物が原因である。けれど、その外見は生物とは絶対に見做せなかった。
 獣の如く四足歩行であり、視点、体重は低く、安定した姿勢で駆ける。後足を機動力として機敏に駆け回る。鋭く光らせる眼光で獲物を捕捉、晒した牙と爪で引き裂かんと殺意を纏う。
 或いは、翼を持つ。大よそ風を捉えるにはあまりにもか細いそれで羽ばたく。その身は飛ぶには不自然としか言い得ないのに飛翔からの滞滑空を自在に飛び回る。肢の先の鉤爪で、若しくは荒く研ぎ澄まされた嘴で啄もうとする鳥。
 そして、多く見えるのは人の形を成す存在。身軽さを利用しつつも、やや奇々怪々とした動きを見せ、その手にする武器で敵を斬り裂かんとする。その眼光に生命の色は一切感じられず、感情は無いと言うのに殺気だけは如実に感じ取れた。
 それらは確実に魔物モンスターであった。確かにそれらは言うなれば犬種の獣、鳥、人の形を模す。だが、映し出される様は生きているとは思えなかった。その全てに、皮も肉も臓器すらも無い、骨身であったのだ。なのに奇妙な事に、不気味な事に、暗い空洞に青い眼光を光らせて骨格を躍らせていた。
 加え、既存の生物とは異なる点も示される。獣であれば二つの頭を持ち、その二つが独立した意識を有する。鳥であればもう一対の両翼を有し、器用に空を駆ける。そして、人骨はもう一対の腕を備えていた。その手にもボロボロの剣を所持する。それらの名はアーネロウ・スカーティ、スエル・バードルド、ゼルエ・スケェイストとされるが、対峙する者は冷静に分析する暇も無かった。
 各々がやや緩慢な動き慣れど、四本の腕に準じた武器を振るえばそれなりに脅威であり、その隙を補うように獣と鳥が畳み掛ければ油断出来ず、更にそれらが群れてしまえばかなりの包囲網と成り果ててしまった。それは獲物を全員が異口同音するように連携する。猶予を与えられぬ事で淡い光源を所持する者は苦難を強いられ、守りの一手しか選べなかった。
 激しい呼吸音がその空間に響く。どれ程に剣を振るい、身体を構え、四肢を動かした事だろう。汗が血に融け、幾多に散らしても一向に打開出来ず、何度も結晶を呼び出した弊害で凄まじい倦怠感と脱力感を背負いながらも必死に動く。其処まで突き動かすのは助けたい思いのみ。
 強烈な金属音を響かせ、鉄靴が瓦礫を散らす音が彼方に消える。それすらも飲み込まんとする青き眼光を輝かせる骨の軍団。折れても可笑しくない剣を、牙を、爪を、嘴を躍動させて一人に畳み掛ける。それらを必死に防ぐ音が連なり、暗闇に落ちていく空間に劈き、靡き続ける。戦闘音は彼是、何時から始まっていたのだろうか。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・クソッ!」
 悪態すら零す事も苦しい状況下、楽になりたい衝動を必死に抑えながら襲い来る魔物モンスターと剣を交える。もう既に全身に流血は行き渡って赤く。著しい疲労で攻防共に拙くなり、背水の陣で危うい状況でも抗い続ける。それももうそろそろ限界であろう。
 引き摺り続けた負傷に加え、息を吐く暇もない猛攻に晒され、息が詰まりそうなほど苦しく、視界は狭窄し始め、意識は薄まり始めている。なのに、一部の感覚は鋭く、力が抜け落ちていく感触を抱いていた。それでも、死ぬまいと動く。
 黒き頭髪に血を伝わせ、鋭い眼光の横に汗を伝わせ、純黒の剣を振るうその人物はトレイドに相違ない。一瞬の気の緩みも許されない状況で更なる負傷を負い、強烈な焦燥感に剣を力の限りに唸らせていた。
 何故、彼が此処に訪れているのか。それは単なる直感に過ぎない。以前、彼は高山地帯の調査でこの荒れ果てた地帯の存在を知った。その時、此処であの忌まわしい気配を感じた。それを瞬時に思い出し、赴いて確信に至っていた。あの時以上に気配が濃く、強烈になった為に。まるで、誘うように、向かう先から猛烈に。また来る事を予期したあの時の直感は正しかった。確実に気配が濃くなる方向にあの存在が居ると確信していた。
 それは彼が抱える感情が作用させているかも知れない。それでも、彼は疑う事をしなかった。魂がそうさせていると言えば聞こえは良い、全ては遺伝子記憶ジ・メルリアに刻まれた憎しみに過ぎなかったのかも知れない。しかし、それに疑いの余地を持たない彼は、セントガルドを足った時から内に秘めた激情に応じ、今に至っていた。
 生命と言う生命が断たれたと映る荒れ果てた地、虚しさを引き立てるように景色は赤く、そして暗く落ちていく。次第に状況が悪くなる中、トレイドは厚くなる包囲網に苦戦し続ける。
 骨同士の軽く乾いた音が響き、瓦礫を蹴る、空を斬る、武器を鳴らす音が続く。全ての青い光が、眼窩から発したそれの全てが獲物と、或いは弄ぶべき存在から逸らされない。経過と共に悪くなる一方であった。
「・・・っ!」
 ふとした拍子で激痛で怯み、動きが一瞬止まってしまう。蓄積した幾多の要素が絡み、即座の修正も出来なかった。その硬直、幾多の魔物モンスターが見逃すまでもなく襲い掛かる。複腕からの斬撃に空からの急襲と低姿勢からの不意打ち、其処に逃げ道など無かった。
 手入れの全くされていない傷だらけの刀身、牙と骨が一体化してささくれるような両顎、折れや割れの酷い爪や嘴、包囲網を布く様に接近するそれら。やけに遅く感じるそれらを前にトレイドは静かに覚悟した。猛烈な一陣の風が吹き抜けるまでは。
「オラァッ!!」
 突如、何かが彼の前に立ちはだかった。恐怖、圧倒的な不利すらも塗り潰さん勢いの雄叫びが響いた瞬間、ごうと太く厚い何かが振り抜かれた。轟音を纏って振るわれたそれが骨の集団を残らず砕き払った。
 幾多の破砕音を響かせ、破片となった骨達が周辺に散る。包囲を完成させていたと言うのに、ただ力任せの連撃が次々と返り討ちにしてみせていた。
 結果、瞬く間に集団は半壊、トレイドを包囲していた魔物モンスターは白い欠片となって地面の転がるしかなくなっていた。止めを刺すかのように、重々しくそれは下ろされていた。
 思いもしなかった出来事を前にトレイドは目を疑う。救われた事よりも、目の前に居る人物自体に疑問を持って仕方が無かった。居るとは、同じような行動に出るとは到底思っていなかったから。
「ガ、ガリード?何で、此処に・・・?」
 痛みが遠退くほどに動揺して声を零す。窮地を救った親友に対して不思議に思って仕方が無かった。だが、彼は答えなかった怒りと悲しみが宿る複雑が面で尚も接近してくる魔物モンスターを前にし、無残な姿の大剣を地面から豪快に持ち上げて立ち向かっていった。
 その後ろ姿を見て、トレイドは身体が軽くなるのを、疲労感などが薄れ、満足に立てるほどまでに回復する。それは気の持ちようと言うものか。理由は何であれ、友が駆け付け、助けてくれた事がこの上なく嬉しかったのだろう。

 それから程無くして白骨の集団は壊滅させられた。ガリードの登場で今迄の苦戦がまるで茶番だったと思わせるぐらいに終了した。或いは、それほどにトレイドが消耗していた事か。
 周囲は砕かれた骨の残骸が飛散する。ある程度は形を保っており、見渡せば白骨化した死骸が広がる酷き絵図と成り果てていた。その中で剣を肩に乗せて立ち尽くす姿は勇猛に見え、見惚れてしまう程に雄々しく。
「ガリード、何故、此処に・・・」
 やり切ったと言わんばかりの表情で振り返った彼に疑問の言葉を投げ掛ける。すると、やれやれと首を横に振る。何も分かっていないなと言いたげに。
親友ダチだろ?だから来たんだよ」
 至極当然だと、自慢げにでも猛々しくも言って退けず。友の危機だから駆け付けた、それは間違いではないのだろう。多少乱れた衣服の汚れ具合、顔に伝ったであろう汗の跡などから相当急いだ筈。
 それとは別に、蟀谷の血管や浮かんだ首筋から相当激昂している事は確実。その理由は言うまでもなく、目の当たりにして心当たりしかないトレイドは申し訳なさに視線を逸らした。
「・・・取り敢えず、落ち着ける場所に行かねぇとな」
「・・・そうだな」
 彼の言い分は正しかった。日は暮れ、今や発光する石が望みの綱。無防備に立ち尽くすなど危険でしかない。その意見に大いに賛同し、落ち着ける場所を探して歩き出す。
 この道中、二人は感じていた。こうして二人で荒廃してしまった光景を歩くのは二回目だと。まるであの時に戻ったかのような気分となる。其処に決定的に異なる点が幾つもあり、挙げるとすれば二人共喪い過ぎたと言うべきか。その思いに浸る為か、静かに、重い足取りであった。
 様々な記憶、想いが錯綜する夜道。石が無ければとっくの昔に迷うばかりの闇を進む内に、とある場所に辿り着いていた。
 何かの建造物であった事は確か、高く伸びる瓦礫は巨大建造物の壁であったのだろう。それの嘗ての姿を想像出来ないほどに荒れ果てているのだが、偶然にもそうした瓦礫が折笠って一寸した空間の傘となっていた。多少の衝撃では崩れないほどに折り重なって頑丈に。その空間は二人程度なら悠々と入る事が出来て。
 丁度良いと二人は其処を活用する事とし、気付かれる事も覚悟、出来ればそれで近付かない事を望んで焚火を灯していた。憂愁を齎す弾ける音を響かせ、空間を赤く塗り立てる。そして、遮る影は二つ。疲労困憊、満身創痍のトレイドとそれを助けに来たガリード。
 安心した矢先にトレイドは猛烈な痛みと倦怠感に襲われる。気の緩みで鈍らせていた感覚に付け入る隙を与えたのだ。途端に体調を崩す彼の前に小さな小瓶が差し出される。アンプルのような瓶容器、中には液体が満たされて。
「ジュドーさんから貰った飲み薬、フェレストレのな。だから、傷に効くぞ」
「・・・すまない」
 彼の言葉を信用して受け取り、一気に飲み干す。瞬間、駆け抜ける強烈な清涼感。眠気に囚われていたなら瞬間的に覚醒するだろう。それに怯んだのも束の間、一飲みで重く圧し掛かるような倦怠感と疲労感は消え去った。一時的な麻痺ではなく、実際に感じなくなっていた。
「凄いな、これは・・・」
「効能は凄まじいって太鼓判を押してたぜ。すげぇ高価だって脅されながらくれたよ」
 絶大な効果に感歎を零す横、ウェストバッグから塗り薬が取り出される。
「念の為、傷口にも塗り込んでやるからな、我慢しろよ」
「・・・本気か?」
「ああ、本気だ」
 恐ろしい冗談だと思って聞き返しても返答は同じであった。大真面目な発言であり、怒りも滲んだそれ。
 彼の気持ちを理解したトレイドは罰だと諦め、受け入れる事としていた。
 それでも痛いものは痛い。傷口に異物を捻じ込まれる感覚は激痛しか招かず、悲鳴を上げずには居られなかった。直ぐに解放されたものの、暫くは痛みが残響するように残り続けていた。

【8】

 思い出したくも、再経験したくない激痛を乗り越え、耐え切った代償の倦怠感や疲労も薄れ出す。早速効能が現れたと言う事か。それでも息を切らすトレイドの前に防具が置かれた。それはガリードのものではなく、新調されたもの。
「これは?」
「お前の為に用意したんだよ。お前がボロボロでも行くって分かってたからよ、急遽ガストールさんに無理言って用意して貰ったんだ。感謝しろよ」
 やや恩着せがましくも、友の為に用意したと語る。それに素直に礼を告げながらそれらを装着していく。同時に用意してくれた衣服も着替えて。 
 それは今まで装着していた防具の発展型に思えた。滑らかな表面の鋼鉄製の胸甲の中央に掛けてやや尖る。腕甲は二つ用意され、利き腕は従来の形とほぼ変わらず、反対側は肩に掛けてやや大きく、重厚感が増す。それで敵の攻撃も防いでほしいとの意向か。鉄靴に関してはほぼほぼ変わらず。
 全体的に重量が増してしまったのだが動きに支障が出るほどでもない。そして、それに伴って守れる箇所の増加、厚みが増し、素材の相違点から頑強さも増していた。装着した具合も多少なりとも変化して。
「しかし、面倒だったぜ?お前が行っちまう事は何となく分かってたからよ、急いでステインさんの所に相談に行って、色々と手配したんだからな」
「・・・手配」
「そうだよ。先ず、フェリスに高山地帯の看守長の所に連絡をしてよ。待機している奴等に連絡とか、移動手段の手配、万が一に備えての人員配備とかさ。まぁ、半分以上は任せて来たんだけどな」
 簡単な説明に合点がいく。フェリスの支所での追及はなく、高山地帯で強硬手段を取ったにも関わらずに拘束されなかった事。去り際から聞こえた後続部隊と言う単語。思えば、会話からも推察する事が出来た事。改めて告げられて全てに納得する事が出来た。
「まぁ、他にも言いたい事はあるけどよ・・・やっぱり我慢出来ねぇわ」
 ある程度休息し、互いに様子が落ち着いた頃、腹の虫が治まらないとガリードが立ち上がった。それに気取られた瞬間、強烈な衝撃が顔を突き抜けた。頬に受けたそれで意識は揺れ、地面に倒れ込んだ。それは完全な不意打ち、単なる拳による殴打であり、考えられたそれを受けて倒れるしかなかった。
 驚きはすれど、妙に納得していた。そうされるべき行動を取ったから。だが、それよりも受けた衝撃の後に来た感覚に心は揺れていた。今の一撃、それは今まで受けたどの衝撃よりも重く、脳ではなく、心に響いたからだ。それには有り余るほどの感情が篭っていた為に。
 頬を拭いつつも見上げた先、暴力を振るった友人は複雑な表情を見せていた。内心、その心境を理解し、行動する気持ちは重々承知する。けれど、それで無茶をする事は認めない、心配させるなと言った思いが滲み出していた。
手前テメェ、って奴はよ!あんだけ言ったのに何で分かんねぇんだよ!馬鹿野郎が、本当に信じられねぇッ!!」
 殴り足りない気持ちで拳は戦慄く。溜め込んでいた不満が、心配が先の一撃を繰り出させていた。其処に単なる心配させた不満だけではなく、幾分か気持ちの晴れたガリードの顔は居た堪れなく。
「分かってるさ、でも・・・」
「いいやッ!分かってねぇ、大事な事がひとっつもなぁっ!!」
 傷が癒え、しかし精神は全快に至っていないトレイドの胸倉を掴み、強引に引き込みながら声を荒げる。負い目と勢いに二の次は言えず。
「そりゃな!お前が死んだら、お前を知っている奴、全員が悲しむ!!絶対にな!!何回でも言う、俺も嫌に決まってんだよッ!!誰かが居なくなんのは、俺の知ってる奴全員がなッ!!けどな、お前の場合、一番に、悲しんだり、苦しむのはクルーエさんなんだぞッ!!」
 魔物モンスターを引き込もうとも構わないほど昂った感情が走らせた台詞。空気を震わすほどのそれに、最後の人名にトレイドは衝撃を受けていた。それで漸く彼の意図が、伝えたかった意図が理解出来たのだ。ならば、それに対する過ちにも自ずと気付く。
「お前・・・気付けなかったのかよ」
 外見は冷静に見えても激しく狼狽している事を、長らく共にするガリードは察する。今の今迄気付けなかった事も理解し、それほど追い詰められていたと分かったと同時に激しく憤った。
「そりゃあ、よ・・・このままクルーエさんを助ける事が出来たらよ、元凶をぶちのめせたらそれで良いに決まってる、万々歳だって誰もが喜ぶに決まってる。けど、けどよ!クルーエさんが助かったとして、お前が死んじまったりしてみろ!クルーエさんは、自分の所為で死なせちまったって、そんな事を背負って生きてかなきゃなんねぇんだぞッ!?」
 叫んで告げられる仮定の話はトレイドの胸に突き刺さる。想像するだけで息が苦しくなる。
「もし、もしもだ!お前が死んで、クルーエさんも助からなかってもみろよ!そんなのは分かっちまうんだよ・・・何となくよ。そしたら、最期に・・・最期に、お前を死なせてしまったって言う、そんな思いの中で、死んでいかなきゃなんねぇんだぞッ!!それが、どんなに苦しいのか、分からねぇよ・・・頭良い癖に、何でお前は気付けなかったんだよ・・・分かって、くれなかったんだよ・・・ッ!」
 切実な思いを叫び、出し切れない思いは吐息に滲む。手を放し、地面に落ちた彼から目を逸らしたまま悔しさに顔を歪める。言葉足らずであった事は理解している。変に刺激させない為に言葉を選んだ結果、暴走を招いた。想定していたと言えど、実際に遭遇し、対応した身になると虚しさと悲しさが押し寄せて仕方がなく。
 張り裂けそうな思いを受け止めたトレイドはその罪悪感に表情に影を落とす。猛省、数少ない親友に重く心労を掛けた事に、更なる悲劇を作り出そうとしていた事に胸を痛める。幾ら、時間が限られているとしても、自分に責任があると思い込んだとしても、残される人の気持ちを考えていなかった。失念どころか、片隅にも留めていなかった、もしもの事を一片すらも思慮していなかったのだ。助ける、助けたい、失いたくない、その纏めた一点だけを考え過ぎてその他に届いていなかった。慢心していた訳ではなくとも失敗する事など一切考えていなかった。そうした自身の愚かしさに恥じ入るばかりであった。
 硬く拳を握り締め、硬く瞳を閉ざす。嘆き、心底から猛省する姿とその表情を、再度顔を確認したガリードは顔を緩めた。気を緩め、苦笑も零して。
「・・・まぁ、ここまで説教垂れたけどよ、俺も一人で来ちまってるし、俺も同じようなもんだけどな」
 そう棚に上げて叱責した事を自虐して笑う。
「・・・そう言えばそうだな。だが、それがあったから俺は助かった。ありがとう」
 言われて気付くもあったからこそこうして笑い合えるのだ。助けが無ければどうなっていた事か。ともすれば命を落としていた恐れすらある。それを噛み締めるように礼を告げた。
 感謝され、少し照れ、恥ずかしそうにするガリードはまたもやウェストバッグを探り出す。
「傷は治っても、お前は全然休めてねぇ。寝てねぇだろ?だから、十分に寝ないといけねぇから・・・」
 そう言いながら取り出し、差し出すのは手の平に治まる程度の小瓶。これも何かの液体に満たされ、僅かに鼻を擽った匂いでそれが何なのか大まかに理解する。途端にトレイドは顔を顰めて。
「・・・何故、これを俺に渡す?」
 途端に気分を損ね、先までの調子は何処へやら。今にも掴み掛からんほどの怒りを示して尋ね返していた。
「落ち着けって。酒が嫌いなのは知ってるけどよ、これもジュドーさんから貰ったんだ。疲労回復、負傷回復の効能を持ち、快眠を促すってよ。所謂、薬酒だってさ」
「だが・・・」
「飲んで休めって。クルーエさんを確実に助けたいならな」
 躊躇する彼を決意させたのはその言葉であった。助ける為なら自分の苦手意識など些末な事。そうなれば驚くほどに受け入れる事が出来ていた。
 蓋を開け、中を満たした液体を見詰める。水面に映った自身の顔、揺れて滲む。とても視難くとも、変に思えるほどに穏やかに映った。それは友に助けられた、会えた事が原因であろう。
 そのまま口を付け、中身を喉奥に流し込んだ。途端に鼻に込み上げて来たのは妙な清涼感と眉を顰めずには居られない強烈な後味。少々喉が焼け付くような感触もあり、正直言って美味しくはなかった。ジュースとも酒とも言い得ぬ味に顔は顰めるばかり。
「それで一安心だな。直ぐに寝ろよ、明け方ぐらいで見張りの交代をしてもらうからな」
 そう告げながら外側に向かうガリード。その後ろで一筋の涙が伝っていた。それは無意識に流れていた。酒が原因ではない。いや、途端に込み上げてくる睡魔が緊張を解した事も一因かも知れない。
 それを悟られまいとして手で隠して俯く。その様子は眠気に襲われた姿勢でもあった。
「・・・下戸だな、あれだけで眠くなってきた」
 そう取り繕うも、溢れてきた原因は彼自身も理解していた。嬉しかったのだ。命を無駄にしそうになった、暴走する友人を心配してくれた事に、危険を承知で助けに来てくれた事に。唯一無二の彼が最初に動いてくれた事が、嬉しかったのだ。
「・・・安心して寝ろよ、トレイド」
 改めて告げる。普段の様子から信じられないほどに柔らかく、優しく囁かれていた。彼も気付いていたのだろう。けれど、それを確かめも指摘もせず、静けさが深まっていく外と対面していた。焚き火の音が、優しく寄り添うように響いていた。

 危機に瀕した時、若しくは大切な者の危機を知った時、注意力や判断力が低下する事はある。それが焦ると言う事。冷静になれないなら必然的に心配を呼び込み、更なる焦りを生む悪循環に陥る。
 それから回復する方法は様々ある。彼の場合は友人、ガリードの存在であった。彼が居たからこそ、まだ失わずにその地に立つ事が出来ていた。それを分かっての涙でもあった。
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