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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

誤魔化せない感情と代え難き絆 前編

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【1】

「・・・この時を、今を、只今をもってセントガルドに撤収する。事前に決めた者以外はな」
 狂える傀儡シャルス=ロゼアの大群、あの存在の来襲と言った騒乱は呆気なく収束を迎え、ステインの号令を以て終わりを迎えていた。
 誰もが納得出来ない、哀しき表情を浮かべながらも従う。事前に用意した馬車に乗り込み、レイホースの勇ましい声と足取りに乗せられてセントガルドに向かっていく。其処には負傷者が多く、痛々しい包帯姿が見受けられるほどに被害は重く。
 少なくない犠牲者を弔う為に用意された馬車も揺られて森の中へ、草原地帯に向けて隠れていく。多くの負傷者、ギルド関係者と共に。その様をトレイドは様々な感情を顔に刻んで見送っていた。
 彼自身、納得しても踏み止まりたい思いに終始駆られていた。終始感じる気配、薄く、何処からか漂い来るような気配を察知し続ける。それとは別に、この森林地帯を支配するように包み込んでいた不気味な気配は消え去っていた。まるで残り香すらも残さなないように、全くに。
 それが大きな決め手となった。出現した狂える傀儡シャルス=ロゼアの全てを制圧し、選定して残した者達が事後処理や調査を任せ、撤退と言う流れとなったのだ。
 そうして、多くの感情と痛みを揺らして馬車は過ぎていく。群れを成し、これ以上の被害を出さぬようにと護衛するギルド関係者の後姿を見送っていく。
 作戦の為に使われた馬車の全てが帰路に就き、遠退く姿を睨むトレイドの肩を誰かが叩く。それは同じギルドの仲間であり、彼の口惜しさと後悔、哀しみと分かち合うような表情を浮かべる。それは同じように並ぶ数人も同様に。
「・・・行くか」
「ああ・・・」
 少ない言葉を経て、彼等は歩き出す。所謂、殿の為に。万が一、あの存在が皆を狙わないとも限らない。護衛を付けているとは言え、魔物モンスターを含めた脅威とは隣り合わせ。待ち伏せを除けば、最も襲撃が考えられるのは最後尾。それを護る為に彼等は歩き出していた。
 それに参加するトレイド。無論、仲間の為ではあるが、今の彼には別の感情が湧く。それ失意ではなく怒りで、それ以上の殺意を以て殿を務めていた。その胸に宿した思いの捌け口を探すように、見逃されたと言う現実を否定して対峙を望むかのように。自身の負傷を碌に治していないので万全ではないと言うのに。
 そうして、駆り出した人間の過半数近くの死傷者を生み出してしまった作戦は終わった。成果は散々、一切の成果など得られなかった。ただ悲しみと悔しさを刻み込んだだけに過ぎず、友人や恋人、家族を喪った者達は哀しみに暮れるしかなかった。一人だけを除いて。
 いや、考えていた。皆を無事にセントガルドに送り返した事が出来たなら、親友と彼女を最も安全な場所に送り届けられたなら、道を引き返さなければならないと。並々ならぬ覚悟を胸に、壮烈な挺身の意思を以て。

【2】

 夜が包む。瞬き、目映くても儚い光で流転の空を埋め尽くす星々。鮮やかな輝きは一日たりとも色褪せず。
 そんな星に囲まれて、円を描き、酔い痴れるような柔らかで穏やかにさせる光を纏う満月が浮かぶ。君臨するようにではなく、皆を見守るように。
 けれど、その日は違って見えた。少しも欠けずに輝く月、淡い月光を齎す筈のそれはやけに巨大に映る。白に近い色の筈が、やや禍々しい薄い赤に染められていたのだ。それは人の思いが作用させているのか、反射角に因ってそう錯覚するだけなのだろうか。理由は定かではない。だが、少なくとも今日の月夜にそれ以外の異常は見られなかった。
 姿は違えど、その日の夜はとても静かに、沈む。まるで、これからの人々の行く末に凶兆を指し示すかのように、静かに。
 その下、夜間のセントガルド城下町。この世界の唯一の都市とも言える其処、至る箇所で篝火が灯される。その赤い明かりが月光の明かりを紛らわす。または、室内から漏れる蝋燭の火。窓に人々の様子が薄らと照らし出されていた。
 夜ゆえに、外の往来は極端に減少して人気は無い。室内では食事や明日の為の支度、就寝と当たり前の日常を過ごす。明日の希望を持ち、その穏やかな夜を過ごす者も存在するだろう。
 有り触れた日常が過ぎていく傍、壮絶な戦いを経て、身に多くの傷を負った青年が目覚めようとしていた。
「・・・っぐ!・・・クソが!!~ッ!!」
 小さく魘されていた彼。瞼の裏、何が映っていたのか、大よそ理解出来きよう。勢い良く飛び起きたその顔には怒りが刻まれていた。だが、途端に襲い来る激痛。全身に駆け巡った意識を、五感すらも遠退かせる痛みに淀んだ嗚咽を滲ませ、倒れ込んでしまう。
「・・・っぅッ!」
 倒れ込んだ衝撃で再度激痛に悶えてしまう。優しく抱き止められていたとしても、涙が滲むほどのそれをひたすらに耐えるしかなかった。
「ガリードさん!動かないで下さい!」
 その彼に慌てて呼び掛ける幼い声。聞き慣れた少女のそれに怒りに燃えるガリードは冷静を取り戻していく。その目が、涙で滲んだ視界を拭って晴らした後に周囲を確認した。
 暗く、赤色の明かりが付近から照らし出される。微かに見えた茶色の天井、年輪に拠って出来た木目は怪しく歪む。既視感を抱き、温かな雰囲気に包まれた空気にも同様に抱く。
 周りを見ると大した家具の置かれていない部屋。ベッドと幾つかの椅子と机。病室とも言える殺風景な其処には既視感しかなかった。いや、明確に其処だと言える者が傍に居た。
「ラビス・・・何で居るんだ?いや、此処は・・・」
 居る筈の無い少女が看病してくれていた。その事に疑問を抱いて朧気に広がる記憶を探る。何故、森林地帯からセントガルドの天の導きと加護セイメル・クロウリアに居るのかと。 
 青を基調とする修道服姿のラビス、それだけで確信するに値する。歳相応の幼く、中性的な顔立ち。帽子の隙間から垂れた白い前髪。幾多の特徴から見間違いではないと受け止めるしかなかった。
 やや慌てる少女は目を閉じ、両手をガリードに翳して念じ始める。すると部屋の中は薄ぼんやりと白く薄まる。徐々に淡く光る球が無数に発生、部屋を中を漂いながら上を目指す。天井に達する事も無く、音もなく消えていく。形式、様子は差異はあれど、聖復術キュリアティの暖かな光は実に心地良く、傷が消えゆく瞬間は開放感さえも覚えて。
 だが、ガリードに刻まれた傷は相当深く、直ぐに治る程度ではなかった。時間を必要とするそれの完治を、そして早期の治癒を望んでいるのか、少女の顔に疲労が感じ取れる。起きる前から行っているのだろう、それでもまだ完治に至っていなかった。
「・・・ラビス、クルーエさんは?他の奴が如何なったのか、知っているか?」
 薄らいでも響く激痛。痛覚が律儀に知らせてくる幾多の傷の記憶。それに耐えながら、鮮明となった脳裏が苦い記憶を呼び覚ましていた。かなりの恐怖を抱かせる、絶望すら抱いてしまうだろう映像を。
 屈辱感、無力感を何よりも怒りと強靭な精神で振り払いながら身体を起こす。痛覚以外の感覚が麻痺したような感覚に囚われようとも構わずに。
「ガリードさん、起きては・・・」
「知っているのか?」
 聖復術キュリアティを中断してまで止めようとしたのだが、ガリードは聞く耳を持たずに再度尋ねた。その言葉にラビスは押し黙った。初めから冷静を保つ、一切に気を荒げる事をしない。その面も普段通りに見える。しかし、その内心は煮え滾るような怒気に満ち、それを感じて気圧されていた。
「クルーエさんしか、知りませんが・・・」
「どんな風になってんだ!?生きて、いるよな!?」
 食って掛かり、掴み掛かるような質問に少女は少し怯えを示す。それに気付く余裕は今の彼に無かった。自分の身よりも、他の者、彼女の安否を知りたかった。命懸けて守ろうとして叶わず、心音が高鳴るほどに不安でも尋ねずには居られなかった。
「ク、クルーエさんも重傷を負っていましたが、命に別状は有りませんでした。今は隣の部屋で安静にしています」
「そ、そうか・・・良かった・・・!」
 張り詰めた緊張を解き、ベッドに崩れ込んで安堵する。その動きで涙が出てしまう程に苦しむ。それが気にならないほどに嬉しかった。悔しくとも、生きている事が第一に嬉しかった。
 目覚め、思い出した瞬間から気が気でならなかった。守り切れなかった事に、最悪の想像が脳裏を占めていた為に。もしもの時、親友に合わせる顔が無いと悔やみ続けていたから。言葉での確認でも安らかに眠っている姿が目に映るほどに確信する。故に、気持ちは少しばかり浮付いていた。
「でも・・・」
 彼の反応とは反対のラビスが静かに否定する。その言葉に喜ぶ気持ちは留まった。息するのも止めてしまう程に驚き、疑い、惑う表情で見上げた。その目に映った少女の顔から杞憂は否定されなかった。
「・・・シャオさんと、同じものをされて・・・」
 話の途中でガリードはベッドから、部屋からも飛び出てしまう。己が身体の状況など知った事ではない、焦燥に駆られた顔で隣の部屋を目指した。
「ガリードさん!傷が、動かないで下さい!」
 彼を心配して声など届かない。彼女の容態を確認する為に急ぎ足で焦る手が扉を開かせた。
 隣の部屋、確かに彼女は眠っていた。ぽつんと置かれたベッドの上、布団を被せられるクルーエの姿が見える。姿勢綺麗に、仰向けに寝かされた彼女の胸元、小さいながらも上下を繰り返す。気付き難いそれでも呼吸の動きであり、確かに生きている事への証明となる。その面も痛みや恐怖に歪まず、ただ安らかなる寝顔を浮かべて。
 しかし、近付いて偽りでない事を知る。寝かされる彼女の胸元、薄い衣服が隠し切れない紋様の一部が映った。見間違いではなく、全体像を見なくとも理解してしまう。命を枯らすだけの花であると。
 愕然としたガリードは食い縛った。目の前の現実と向き合う為に、結局守れなかった事実を噛み締めるように。その声から搾り出す声は感情が溢れていた。
「・・・クソがッ!」
 友人の一人を無造作に殺した死の花、その紋様。それが何よりの証拠であり、殺意と怒気に悪態を零す。何より、不甲斐ない自分を叱責するように。
「ガリードさん・・・」
 追い駆けてきたラビスが心配の声を零す。後姿でも感情は見て取れ、その心境を察して近付けなかった。
「・・・全部、聞けていないのですが、シャオさん以上の呪い?を掛けられたのかも、と・・・だから、目を覚まさないのかもしれない、と・・・」
 その説明にガリードはぼんやりと理解する。今の彼女、傷はなく、苦しみも無く安眠する。だが、その姿は眠れる姫のように昏睡し、外部からの干渉を受けても一切起きない気配を感じていた。事実、彼女は起きなかった。あれ以降、一切に目を覚ます事は無かった。まるで、花に養分を吸われてしまい、それを補う為に眠っているようで。
 小さな音が鳴る。それは握り締める音。素手であろうと音がするほどに力が篭っていた。それを行ったのは一人しか居らず。
「・・・ラビス、俺やクルーエさん、他の奴も此処に運び込まれたって事だよな?」
「そ、そうです」
 今自分やクルーエが居て、治療を受けていた。それだけで大まかの経過は読める。作戦の成否に拠らず、負傷者は此処に運ばれて治療を施されたと。他に出向いている可能性もあるのだが、此処に居るであろう者の姿が見えず、その気配も無かった。
「・・・トレイドは何処に居る?」
「トレイドさん、ですか?」
「ああ」
「トレイドさんは少し前に、治療も受けずに・・・」
「やっぱりか!」
 それで大方を理解してしまった。推察してしまった、作戦は失敗に終わったのだと。狂える傀儡シャルス=ロゼア達は討伐出来たとしても、あの存在を討つ事は出来なかった。何よりも憎んでいるであろう奴が負傷者の心配をせず、いや傍に居ない事は討伐出来なかった事の証明と行き着いてしまった。
「ガリードさん、何処に行く積もりですか!?」
 痛みを引き摺ってでも部屋に戻り、丁寧に置かれた武器を、無数に亀裂が走った愛用の大剣を担いで出て行こうとする。その彼を慌てて止めようとするのは当然であろう。死んでも可笑しくなかった重傷はまだ完治に至っていない。今でさえ、動いている事も不思議に思えるほどなのだ。その彼が治療を後回しにしようとしているのだ、困惑して仕方なかった。
 必死になり過ぎて乱暴に抱き着いて止めようとする。その制止を受けて激痛に顔を歪ませて怯んだガリードだが、優しく少女の頭を叩き、その腕を引き剥がしてしまう。
「今直ぐ、今直ぐに行かねぇと、あいつは直ぐに暴走しちまうからよ」
 治療を後回しにする理由で説得しようとする。その声と面から頑なな意思を察する。けれども、戸惑いながらもラビスは止めようとした。
「で、でも、傷を治してからでも・・・」
 だが、彼は止まらなかった。気持ちは有難いとして、再度頭をポンポンと叩く。
わりぃな、ラビス。早く行かねぇと、あいつは絶対無茶しやがる。何回言っても無茶するからよ、絶対無茶しやがるんだ・・・だから、止めてやんねぇといけねぇんだ。心配すんな、ラビス。済んだら戻ってくるからよ」
 まさに子供に言い聞かせるように説得する。同時に見せた笑顔、それらはラビスの制止の手を緩めた。その隙に引き剥がし、鈍る身体で薄暗闇の中を駆けていく。その後ろ姿を眺めて少女は葛藤する。けれどもガリードを信じ、案じながらも送り出していた。

 暗く落ちた外に飛び出したガリード、痛みで震える息を吐く。歩行を拒み、邪魔立てする痛みを我慢する為に、気合を入れる吐息を深く長く行う。それで更に苦しんで。
 歩けば当然痛む、走れば激痛で意識は遠ざかるばかり。それでも渾身の力と持ち前の精神力で耐え、友を止める為に夜の道を駆け出していた。行く先も知らないと言うのに、その足は導かれるように迷いはなかった。

【3】

 瞬きが移り変わる星空が照らす巨門。広大な草原と城下町、強固な巨壁に備えられたそれが近付く者を、四つある太き公道の一つに捉える。横腹を抑え、歪んだ防具とボロボロの衣服の哀れな姿で歩く。癒えていない傷、それでも断行する為に治る暇もなく、末には流血は止まらず。
 包帯を雁字搦めに巻き、無理矢理に止血を促し、それでもその周辺を赤くした彼の顔は普段の表情とは掛け離れていた。憎悪はもう通り過ぎ、心を支配する激情が犇めく。それは一人の女性を救う為に、多くを奪う存在を殺める、暗く落ち込んだ意思。顕著に感じる目が、前方だけを捉えて。
 彼には、いや彼女には時間が残されていない。早く解放する術を、あの存在から聞き出さなければまた喪ってしまう。その恐怖にも追い立てられ、激痛に苛まれたとしても、それこそ四肢を失おうとも必ず辿り着き、命を以て救う決死の覚悟で歩む。故に、自身の状態など顧みる事などせず。
 夜道を歩むその姿、宛ら悪鬼かそれに属する存在に映ろうか。痛みを引き摺り、敗者の如き様で、形相は正気を疑ってしまう。そして、負傷し、血痕を残しながら進む様に誰もが心配を抱こう。そして、止めたくもなろう。何かに駆られている事は分かっても、それが成就する事は無いと思ってしまう姿であった。
 その後方、まさに追い付かんとし、ふら付く身体を引き摺る様に懸命に駆ける人影が一つ。それは前で進む人物を捕捉し、気持ちを一層に急がせる。接近するにつれ、明らかになる正体に、目的の人物だと理解した瞬間、痛みごと吐く様に息を吹き、大きく吸い込んだ。
「トレイドォッ!!」
 静寂に沈み込んだ一帯に突如怒号が響く。当然、驚き、外を見た者が居ただろう。その声は前を歩く人物を立ち止まらせ、振り向かせるに至らせた。
 名に反応した彼、正しくトレイドは、全身包帯を巻き、所に赤く染め、それどころか流血したままに歩く痛ましい姿を発見する。同様に傷だらけの大剣を担ぐガリードを視認し、眉間に皺を寄せていた。
 追い駆けてきたガリードの表情、それはいわずもがな。だと言うのに、立ち止まって待っているトレイドに近付くに連れて迫真のものに近付いていった。
 息を切らす。痛みで漏れる呻きと共に繰り返すそれは感情の昂りと共に揺れる。両者、睨み合う。友人の怒りすらも気付けぬ険しき形相と性格を知り、再三に注意されても愚行を犯さんとする友人を想う怒りの面。叫びたい気持ちを整える息と共に抑え、ガリードは口を開いた。
「これから何処に行く気だ?トレイド。フラフラと散歩してんのか?」
 怒りは挑発の言葉となって吐き出される。目的は想像しており、そう口にしたのは今のままでは敵わないと言う表現、皮肉であった。
 それを受けたトレイドは表情に怒りを満たす。挑発に乗った訳ではなく、その理由を思い出しただけでそうなった。そう、あの怨敵に対する感情が身を、傷を更に痛めるほどに熱くさせた。その上で硬く閉じていた口を開く。
「あの男の元に、向かう・・・!」
 吐き出された声は殺気しか孕んでいない。それが今の彼の状態を理解してしまう。何もかもを投げ出してそれを遂げようとする凄まじき決意。それがこれから行うであろう行動も手に取る様に予測し、抱く懸念と悲劇に表情は険しくばかり。
「・・・行く当ては、あるのか?」
「ああ・・・」
 多くは語らない。それだけに彼は怒り狂い、正気を失っていた。少ない返事を行い、黙ったまま踵を返して歩き去ろうとする。その様をガリードは静かに眺める。黙認する訳ではない。今の彼の状態、彼が自身を追い詰める悲惨と言える性格を憐れんだ。だからこそ彼でもあるのだが、この期に及んでも自己犠牲の道しか選べない友人の姿に哀しみ、怒りを抱いた。
「・・・お前は来なくても良いぞ。上手く言えないが、俺がすべき事だ。だから、お前には・・・」
「行かせる訳、ねぇだろうが・・・!」
 全てを背負い、大事とする者を大切な者に護らせようとした台詞を静かな声が遮った。静まり返ったその場に反響するようなそれには今のガリードの気持ちの全てが篭っていた。友に対する怒りと憐れみ、自身の後悔と決意を。
「・・・如何言う積もりだ?」
 親友の発言に足を止めて振り返る。その顔には怒りが露わにされる。よもや、彼が止めてくるとは微塵にも思わなかっただろう。耳を疑い、尋ね返す顔と台詞はその心境を探る為。
「行かせねぇ、って言ったんだよ」
 目を逸らさず、憐れむ表情を正対させて確かに告げた。嘘偽りないそれにトレイドは感情を噛み殺すような表情で唸る。
「・・・冗談では済ませられないぞ。時と場合を弁えて・・・」
「何度でも言ってやるよ、分かねぇのか?行くなって、言ってんだろうが・・・!」
 二度の拒否の言葉を受け、それでも必死に感情を抑えて探りを入れようとしたのだが無駄に終わる。はっきりと、切ない目で告げられてしまった事に、憐憫の目が今の彼には腹立たしい限りであった。
 再三の否定に、心境を察する面を浮かべての制止を前に、トレイドの感情は瞬間的に昂った。
「ふざけるなッ!時間が無いんだ!!クルーエの命は、このままだと、このままだと・・・ッ!一刻も早く奴に・・・解除させる、或いはその方法を、いや斃さなければならない!!お前も知った筈だ!!なのに、何故止める!?何故だ、ガリード!!何故なんだッ!!」
 重傷のまま負い掛けてきた親友を正気を疑うように叫ぶ。急を要する、何かに煩わっている時間など無い。だと言うのに、何が何でも止めようとする彼の思考が読めなかった、分からなかった。今のトレイドには一切分からず、憤怒に思考は歪められていくばかり。
「怒鳴ってんじゃねぇよ、近所迷惑だろうが。そんなに行きたきゃ、俺をぶちのめしても行けってんだよ。お前には無理だと思うけどよ」
 二人の様子は対照的に昂っていく。怒りを露わにして激しく、友人を想って気持ちは深まる。その二人の間に友情の概念は薄れ、緊迫とした空気、重く圧し掛かるような雰囲気に呑まれる。
「阿呆な事を言ってないで・・・ッ!?」
 今迄勝った試しが無いと告げようとしたトレイドは衝撃に囚われる。忠告を掻き消すようにガリードは大きく踏み出し、満身創痍を思わせない、強烈な上段からの一閃を繰り出した。面を割り、胴体を分断させるそれはトレイドの前を過ぎ、地面擦れ擦れに急停止した。
 顔を引き攣らせ、身体の至る所から再び血を流しながらも一撃が行われた。それが何よりの意思表示となった。
 噛み締める歯の隙間から息を零し、腹から込み上げる呻き声を噛み砕き、顔が歪むほどの激痛に耐え凌ぐ友人の姿に、トレイドは狼狽する。今迄にない表情を、引き裂かれそうな思いに、信じられない思いに揺さぶられ、泣き出しそうな顔で叫び出す。
「・・・本気なのか、ガリード。何でだ、何で、こんな・・・クルーエを助けに行かせろ!!お前は、如何でも良いのかッ!?ガリードォォォォッ!!」
「そんな事も分かんねぇのかよ、手前テメェは!!だから行かせねぇって言ってんだよ!この馬鹿がよぉッ!!」
 哀哭を響かせ、剣を構えたトレイドに叱責を飛ばす。感情に囚われ、視野と思考が狭くなった彼を説得する為に身を削る。言葉は足らず、だからこそ行動で示そうとして刃を振るった。
 互いの刀身が接触、劈く金属音と火花が閑寂であった公道を荒く彩る。裂帛とした風がその一帯に小さく吹き荒れていた。

【4】

 夜の公道に幾多の瞬きが、火花が散る。鼻を擽る異臭が僅かに漂う。散らされる金属片と焦げた臭い、そして血の臭い。
 対する二人、トレイドとガリードは配慮無く武器を振るう。感情に囚われて真剣を相手に向ける。その実、やはり配慮が、躊躇いがあるのだろう、殺気は欠けていた。それでなくても、客観的に見れば事故が起きても可笑しくない戦いであった。
 負傷者同士、片方は横腹に貫通した傷を負い、もう片方は多少癒されていても以前動ける事も不思議に思える重傷を負った状態。だと言うのに、それを思わせない動きと力強い武器の扱いを見せていた。
 互いは苦痛と逡巡に顔を歪ませる。それでも食い縛りながら、相手の動向から目を逸らさず、予測や推察し、相手の機微を観察しながら激しく動く。吐血しそうなほどに呼吸を激しく切らし、次第に身体を赤く染めながらも手を緩めなかった。
 拮抗する戦況、攻防を繰り返しても進展しない。けれど、二人の間には圧倒的な思いの差が存在する。人の根本的な調子の差異と別に、その時の気概でも影響がある。専心誠意、一つの事に没頭出来る者は最大限の実力を発揮しようか。視野が狭窄するほどに集中出来る者はそれの最たる事を差す。その逆であれば、注意力散漫、錯綜としていれば、眼前の出来事に集中する事すらも出来ず、不調な動きしか出来ないだろう。それはどんな事柄に対しても言い得る事。それは二人の対照する心情が当て嵌まっていた。心境、意思の差異で既に勝負は決まっていたと言っても過言ではなかった。
 やがて、ガリードの持たれる大剣が轟音を唸りを上げ、純黒の刀身を捉えた。太く、厚いそれが比べて細い刀身を下方から叩く。無意識の手加減、減少させた威力であっても耐え難き衝撃を伴わせて叩き落とすに至った。
 暗闇に融けるように飛んだ純黒の剣は石畳の上を跳ねる。その音が響く。切なく聞こえるそれが不毛な戦いの終了を告げ、続けて強調するように大剣が地面に落とされた騒々しい音が響き渡った。
「~・・・っかーっ!いてぇなぁ!」
 僅かに再度流された沈黙を裂くガリードの声。蓄積した痛みに耐え切れず、情けない声を出しながらその場に蹲る。緊張が解け、鈍っていた痛覚に責め立てられているのだろう。
 その姿を、トレイドは息を切らし、痺れるように残る衝撃が伝う腕を、姿勢をそのままに立ち尽くす。驚きが顔に映るも、まるでこの結果が分かっていたかのような、納得の色も見せて。
 瞬き強き星空の下、不毛な戦いの弊害に苦しむ姿が二つ。暫く互いは言葉を発さず、結果を呆然と受け止めるように時間を流していた。
「・・・幾らよ、負傷してるって言っても、それ以上の怪我をしている俺に負けてるようじゃあ、行っても、な?・・・まぁ、取り敢えず、これは俺の初勝利だな」
 説得と同時に勝負と換算し、勝利を収めたと誇るガリード。自慢するようにやや引き攣った笑顔を見せるのは和ませる意図があっての事だろう。
 先までの緊迫した戦闘など無かったかのような振る舞いを前に、納得出来ないトレイドの面は険しいまま。それどころか、意図が読めずに疑問は募る。
「・・・何で、其処まで俺を止めようとする?遊んでいない事は分かった。でも、クルーエの命には時間が無い、遊んでいる暇は無いんだ。なのに・・・」
 依然、友人の必死な制止の理由が分からないトレイドは問う。それに当人は重く溜息を吐き捨てて正対した。
「色々あるがよ・・・単純に、無駄死にするような真似をさせたくなかったんだよ」
「無駄死にって・・・」
「そうだろうが!もし、お前、このまま行っていたら確実に死んでるぞ!?分かってんのかッ!?」
 反論の言葉を強い語調の諫める声に阻まれ、事実を突き付けられてぐうの音も出せなくなる。
「お前だけが悔しくて、苦しくて、辛いんじゃねぇんだよ。背負ってんじゃねぇんだよ!死んだ奴を知っている奴は、全員、悲しいんだよ、苦しいんだよ!当たり前だ!・・・お前も同じだ!お前が死んだら、残された奴は如何なると思ってんだ!?」
「俺が、死ぬ・・・?」
 想起した事は必ずある。彼とて、一時期はそれを考え尽した。だが、今は自分の犠牲が前提条件に成りつつあった。その為、その観念が希薄になり、改めて突き付けられても薄い反応しか示されなかった。それにガリードは荒く頭を掻いた。
「馬鹿か、お前は!このまま無茶してりゃ、お前は死んじまうに決まってんだろ!そしたら、お前を知ってる奴全員が悲しむんだよ!ステインさんやユウさんやフーさん、ラビスやバーテルさんにレイナだって、皆だよッ!!俺だってそうだ!悲しくなる、辛くなるんだよ!!そんなの考えたくないけどさ、そうなっちまうんだよ!!でも、それは当たり前の事だろうがッ!!」
 戦いが始まる前から、いやそれ以前から抱え続けていた感情が爆発した。何より、友人が案ずる想いを叫ぶ。それにトレイドは見開いて黙り込んでしまう。その当たり前にも感じる感情を向けられて驚き返っていた。
「なぁ?いい加減、少しは信用してくれよ・・・お前が所属しているギルドの仲間達を、俺をさぁ!親友ダチじゃねぇかよ・・・っ!」
 一人抱え、一人傷付くとする友を想って叫ぶ。何より、相思と言える彼女を守れなかった不甲斐なさも交えて。
 胸を締め付け、罪悪感と無力感に苦しみながらも向き合おうとする震えた声はトレイドの胸に強く響いた。自分の事を想ってくれる、大事にしてくれる者が居る。友である彼からの悲痛な叫び故に、それは強く。
「悪、かった・・・許してくれ」
 言葉に打たれ、深く頭を下げて謝意を示す。深く下げ、己の軽率な行動を恥じ、苦しめた責任を噛み締めながら。
「・・・分かってくれりゃ、良いんだよ」
 会心の、思い改めた言葉に、猛省する姿にガリードは切ない表情で受け止める。一瞬視線を逸らし、考える仕草を挟んで。
「だったら、今日は傷を治す事に専念しねぇとな。多分、明日ぐらいにはステインさんが作戦を出してくれる筈だ。んで、お前が知ってる手掛かりを足したら、クルーエさんだって救えちまうし、あの野郎もぶっ倒せるさ!」
 機嫌を良くし、傍に落とした大剣を拾い上げて肩に乗せる。ぶり返ってくる全身の激痛に苦しみ悶えて。
「・・・ああ、そうだな」
 同じように純黒の剣を拾うトレイドが返事する。考えを新たに、上機嫌なガリードに続いて歩き出していった。
 次第に更けていく夜、その道。互いの友情を確かめ合うように、そして同じ気持ちを擦り合わせるように少ないが声を交わし、歩幅を合わせて歩む。夜道に明るい灯火を心に抱いて。

 時間は過ぎ、夜は更けた。城下町を転々と照らしていた明かりは消え、星明りでさえも建物の輪郭を消してしまいそうな闇夜に落ちる。
 寝静まり、風の音が何処からともなく聞こえる。その静けさを邪魔する開扉音。外と町を隔てる巨門、四つある内の一つが静かに押し開けられていた。其処に人影が一つ。片手は横腹を抑え、苦悶の表情を浮かべ、時折力んだ息を吐いて。
 後悔を抱き、懺悔の念を巡らせる彼。数歩歩いて巨門を閉ざす。最中に凝視した町並み。闇夜に包まれる公道、闇に溶け込んだ家々が並ぶ。見慣れた光景が扉の奥に消えると硬く瞼を閉じていた。
「悪いな・・・ガリード」
 謝罪の言葉を残し、引き連れたレイホースに跨る。小さく嘶いた駿馬は蹄鉄の音を、小さな振動を響かせてセントガルドから遠ざかっていった。
 月光に晒された草原地帯、光を反射して風に棚引かれてさざめく草の動向が美しく映る。変わらない草のの音色、香りは闇に落ちてより鮮明に聞こえ、鼻を擽る。爽やかな昼間の光景や哀愁を漂わせる夕焼けの状景とは打って変わる、鈴虫の音こそは聞えなくとも静かで月夜を黙して眺められる、静寂な時の流れと風流の趣きを感じ取れる美景であった。
 だが、その時の彼には一時も景色を堪能する余裕は無い。ただ、前方を睨み付けて進む。草原を踏み付けた際の上下の強き衝撃に苦しまされながらもレイホースに無茶をさせていた。
 人の決意は一朝一夕で変えられない。例え、友に説得されたとしても、胸に焼け付いた激情、殺気をそう簡単には変える事は出来ない。人を救う、その大義名分にも突き動かされて。
 けれど、まだ迷いが巡る。諭され、友人の心配を知って不安も生じていた。しかし、何よりも護れなかった事と死なせたくない責任感と焦燥が上回り、ぐるぐると脳内で繰り返しながらもただ走らせる。命を落とす、その強烈な過程が頭に過ぎろうとも、戻る選択肢は選べなかった。

 吹き荒ぶ風は、彼を叱咤するかのように。月夜を陰らせるほどの闇は、彼を迷わせて引き返す事を促すように。それは夜が明けたとしても彼に立ち塞がり続けていた。
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