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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

愁傷に涙し、不仁に猛る 前編

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【1】

 この世界、恩寵賜る母たる大地ウォータル・ガイラ・オルリュースに存在する地帯の気候に劇的な変動はない。ほぼ定められた天候が日を跨ぎ、時が流れたとしても延々と続く。それは草の薫り豊潤なる草原地帯も例外は無い。天を仰げば、雨雲はおろか雲一つとも浮かぶ事無く、気が遠くなるほど蒼く澄み切った蒼穹が久遠に展開される。雨の一粒すらも落ちない、晴れ渡った晴天の一日が今日も始められていた。
 この平凡なる今日、降雨に打たれるような感覚となった者が多く居たに違いない。雨、小雨はその者の心情を表すかの様にしとしとと降る。悲愴の念を洗い流すかの様に静々と降ってくれる。故に、渇望はしなくとも小さく抱かれていた。
 その反面、ある者は晴れていた事を物悲しい面持ちで嬉しく思っていた。空が晴れていたならば、故人が迷わずに天へ昇り、還って行けるからと。様々な思いが入り混じり、快晴に浮かばせては形も無く消えていった。
 奇妙に残響する掘削音、土と金属が擦れる音が鳴り響かれる。傍らに、水気の含んだ茶褐色の土が不恰好に積まれ、時間の経過を示す。土を掘る者を挟んで反対側、大きな口を開かせる穴が存在する。長方形に掘られ、人一人が悠々と入れる其処に木製の棺が置かれた。
 その穴と棺は如何見ても墓穴と棺桶。誰が埋葬されているのかは、言うまでも無い。墓穴に佇む木製の棺に土が被せられる。色濃い土が、シャベルの一掬い分、棺を覆い隠していく。乱暴ではなく、添えられるように。粛々と、故人を慮って。
 悲しみに満たされる光景を、周囲に集った人々が沈黙して見届けていた。胸が張り裂けそうな思いを抱え、悲哀に暮れる表情で俯いている。誰かがすすり泣いているのだろう、鼻を啜る音が微かに聞こえ、場は悲しみに包まれていた。晴天の下の墓地は哀しみに彩られ、故人への追悼の念に覆われ、悲歎に暮れて涙を頬に伝わせていた。
 彼の不遇なる逝去はギルド間で行われ、数人でその埋葬に携わった。それにも関わらず、何処から聞いたのだろう、数え切れないほどの人が参列していた。多くが一般人、ギルドの関係者ではない者であり、彼の死を悼んでいたのだ。彼がこの世界に来てまだ半年も経っていないと言うのに、これほどの人数が集まったと言うのは彼の人徳が為せる業であろう。
 立ち会った多くが仕事や日常で治癒させてもらった者が多く、その他でも仕事の関係で関わったり、頻繁に挨拶を交わすなどの関わりのある住民が大半を占めていた。そして、ほぼ全員が涙し、哀しむ。それが彼の半年近くと言う時間を物語るようでもあった。
 彼の葬儀は厳かに、事しめやかに行われていく。鎮魂を願う黙祷による沈黙の中、緩やかにも確実に執り行われていた。哀しみは尽きず、淡々と墓穴が姿を消す光景を眺め続ける。やがて、棺は完全に姿を消され、埋葬は終えられた。ゆっくりとスコップを手にした者は移動、小さく頭を下げて完了を示す。そうして皆の前に晒された、濃い土の色と乾いた薄い茶色の地面。それが恰も死と生の境界線のようで物悲しく、胸は締め付けられるに苦しくなる。もう、彼は帰ってこない。その笑みは永久に見る事が出来ない。その事実を、その現実を否が応でも残酷に突き付けられていた。
 悲しみに沈んだ皆の前に静々と最後の仕上げが終えられた。墓石、一夜にして作られたそれは特急で造られたとは思えず、しかし白色の石材で造られたそれは簡素に映る。それでも、篭めた思いは他と変わらずに。
 表面には『シャオ』、その名前しか刻まれていない。他と同じなのだが、名前しか刻まれていないのは寂しく映って仕方がなかった。
 吹き流れる風に煽られた、囁くような草の音色が小さく通過する。それほどに静寂に包まれた墓地に足音が響き出す。哀悼の元の鎮魂を済ませ、永別を哀惜の情を抱きながらゆっくりと離れ始めたのだ。別れを告げ、訪れた参拝人は個々の判断でその場から立ち去る。去りゆく足に惜しむ想いを乗せ、ゆっくりと彼方に構える城下町に向かう。次第に人気が薄れていくは当然であった。
 やがて、閑寂な墓地が更に寂しく、悲しみに満たされる。人気を失えば当然であろう。葬儀はしめやかに執り行われ、粛然とした其処にギルドでの関係者は少数であり、トレイドやガリードを始めとする知人の姿は無かった。それは酷薄ではない。彼等もまた同じように哀しみの只中に居る。しかし、命を落としたシャオの為にも、更なる犠牲者を出さない為にも、命令を受けて奔走していた。

 植物で溢れ返った森林地帯、其処は未だ嘗てないほどの騒がしさに包まれていた。
 かなりの広さを有する其処に大勢の人が投入されていたのだ。ギルド曙光射す騎士団エスレイエット・フェルドラーの大半を始め、残り二つのギルドにも応援を要請し、人海戦術で森林地帯を端から虱潰しで捜索に当たっていたのだ。
 シャオを含め、多くの者をこの森林地帯で喪った事を重く捉えたステインは主戦力を動員、自らも捜索に参加していた。既に居ない事も考えられたのだが、残り、感じ続ける悍ましい気配に居ると確信し、関わる者に危険性を再三に伝え、一切の油断なく、全力で掛かる事を厳命して調査を行わせていた。
 結果、森林地帯は姿が少なくなった魔物モンスターの代わりに人で溢れ返る様になっていた。そうであっても容易に目的の存在の発見には至れず、時間は虚しく過ぎ去っていった。
 視界を悪くさせるほどに茂った枝葉の下、何時もの軽薄に映る表情を消し、怒りに満ちた面持ちで歩くガリードが見えた。件の存在には個人では立ち向かえないと集団で行動するよう厳命されており、その中に彼は居る。けれど、示し続ける気迫は仲間を圧倒するほどに漏れ出していた。
 彼が継続して参加しているのは、放っておけばセントガルドにも及ぶ恐れの排除の為。だが、あまり余る怒り、シャオを奪った事への義憤、復讐の為に。彼の件は当然ギルドの全員に伝えられている。だからこそ、皆は相当の覚悟を以てこの調査に携わっていた。
「何処に居やがる・・・」
 誰かが零す。関わる者の多くが同じ思いであり、発見出来ないもどかしさと怒りを漏らす。無碍に仲間を奪った存在に対する激しい憤り。次なる犠牲者を出さないようにと気持ちは急き、足並みは早くされて。
「っ!誰か居るっ!」
 神経を尖らせ、周囲の警戒を深めていた一人が警告する。それに続く様に皆が同じ方向を見て武器を構えた。様子を窺っているであろう何かに対処出来るように集中を深めていく。
「何だ・・・?」
 それは集団であった。いや、群れているのかさえ疑問に思う動き方、様子であった。そして、その姿に一瞬疑問を持てなかった。ただでさえ自分達と同じであった為に。けれど、異様と気付くのはその直後であった。

 少し時間を遡り、森林地帯の大きな生活区として知られるフェリス。その一角に構えられた宿屋にて一人の青年が飛び起きていた。
「・・・此処、は・・・」
 滲む汗を拭い、身体に浸み込んだような重さを振り切る様に身体を持ち上げて考える。寝起きで鈍る思考は少しずつ正常に稼働していく。そして、思い出した。
「シャオ・・・」
 知人を喪った、その悲しみが再び心底から甦る。再び身体を引き裂くような思いを、再三に感じた感情に囚われて表情が暗く落ちていく。巡る悔いと自責の念に気持ちは擦れていく。それを食い止めるように部屋を区切る扉にノックが行われた。返事する間もなく誰かが入室する。
「起きたか・・・」
 入ってきたのは同じギルドに所属する者。沈む、けれど強い決意を感じられる険しき面であった。その身は武装しており、その物々しさにトレイドは身構える。
「・・・緊急事態、なのか」
「ああ、シャオの一件も含めてステインが命令を下した。他のギルドにも要請して此処、森林地帯を虱潰しで捜索している。俺はフェリスに駐在している一人で、お前の看護をしていた訳だ」
「そうか・・・」
 とうとうステインも本腰を入れて討伐に乗り出したと理解する。最早、例の存在と同一とは関係ない。そうしなければ無尽蔵に被害が広がると危惧した事だろう。
 失意の中であってもそう判断したトレイドはゆっくりと起き上がり、外された防具やウェストバッグに手を掛ける。
「起き上がりに何を・・・まさか、参加する積もりか?」
「そうだ。寝てなど居られない」
「もう少し休んでいろ!傷は治っていたが相当の血が流れていたんだ筈だ」
「休んでなど居られるか」
 自身の消耗など度外視、憎み、放置などして居られない存在を討たなければならないと酷使する。確かに身体の調子は十全ではないが、休んで居られない、気が気でならないと準備を進める。再度止められたとしても聞く耳を持たず。
「~っ!・・・ったく、お前はそう言う奴だよな。前々から聞いて居たけど、本当によ・・・おい!」
 説得は不可能と判断した彼は飛び出そうとするトレイドを呼び止める。それには足を止め、振り返った瞬間に何かが飛び込んで来た。反射的に受け取ったそれは軽食。小腹を満たす為に作られたもの。
「せめてそれを食っていけ、足しにはならないと思うが」
「助かる」
 早口に礼を告げて外へ飛び出していく。やや騒々しく閉ざされた扉を、呆れた顔で見つめ、溜息が零されていた。

【2】

 時の流れに人の都合など入る筈がない。森林地帯、燦々たる陽に照らされて茂る緑は色鮮やかに映る、普段と変わらない光景が広がっていた。
 作られた道から離れると、途端に視界を狭めるほどに鬱蒼と茂る緑の空間へ踏み入る。道なき其処は進むには難しく、けれどそれは気持ち次第。傷や衣装等の懸念を排除して遠慮なく進めば抵抗感は少なく。
 そうした森林の中、緑とは異なる色が広がっていた。それは真紅の液体にて染められ、咽返る異臭が正体を顕著に示す。加え、赤と青の血管が脈々とする臓物、鮮やかな肉片が散らばっていれば正体など即座に察しよう。
 豪快で雑、有り様に感情が顕著に感じられる光景が広がる。その中で青年が独り立つ。巨大な剣を手に、赤に染めたそれを地面に落として息を僅かに切らす。その面、殺気は全く満ちず、空虚感を滲ませる。点々と赤くした表情にはやはり悲しみが覗く。伝う赤は血涙を思わせた。
 それでも憎しみは感じず、ただただ胸に広がる悲しみを少しでも晴らすような流れとなった、偶然遭遇して返り討ちにした獣達を見下ろす。その胸、知人を喪った悲しみに囚われる。再び同じ感覚を、知らない場所で喪った虚しさに苛まされる。けれど、踏み止まっては居られないと、招集された彼は黙々と探し続ける。
「・・・これはまた、凄まじいな・・・」
 共に行動していた仲間が合流する。早々に零すのは戦闘後の凄まじさ。それ以上は言及は出来ず。何より、立ち姿に虚しさが感じられたから。それは他の数人も同じに。
「・・・襲って、来たからな」
 そうは言ってもやり過ぎとも言える様に疑問を抱けども指摘はせず。それよりも偶然に、滅多に会わなかった魔物モンスターに興味を引く。ローウス、その小さな群れは酷く怯え、遭遇した時にはなりふり構わずに襲ってきた印象を受けた。
 終始感じ続ける感覚も合わせて、確実に何かが存在すると確信する彼等。小さく息を吐き、気を引き締めて周囲への警戒を深める。瞬間、誰もが身構えた。近付いてくる気配、物音を聞いた為に。同様にガリードも剣を構えて待ち受けた。寸前に気付く。それは自分達を目指した歩み方ではないと。
「・・・お前達は・・・」
 自然の中から姿を現したのは数日前に疲労で寝込んでいた筈のトレイドであった。険しき顔、悲痛な思いが見え隠れする面に友人は表情に影を落とした。
「何、してんだよ、トレイド」
 問い掛ける。それは非難ではない。責めているのではなく、シャオを目の前で喪った苦しみを味わったと言うのに捜索に参加しているであろう姿が痛ましく映ったから。そして、その胸中を察し、またもや知人を知らずに喪った苦しみに気持ちは消沈していた。
 起きてから間もないと言うのに汗を流し、少々の汚れを纏ったトレイド。先の戦いで傷だらけとなった防具はかなり痛々しく映る。それでも尚立ち向かおうとする姿は勇敢ではなく、憐れに、悲痛な蛮勇にしか映らなかった。
「・・・大方よ、シャオの事、責任感じてんだろうがな・・・でもよ、休んでても良かったんだぜ?無理する事は・・・」
「黙って、寝てなど居られるか・・・っ!」
 覗かせる強い後悔。身を裂くほどのそれは永遠に続くだろう。苛まれるそれに歪む顔はとても見ていられないほどに。それにガリードは少し険しくなる。
 概要を少々把握し、遠巻きとなった仲間達の間を抜け、一人で探しに向かおうとする友人の肩を掴む。
「何でそんな風に、自分自身を壊すような事をすんだよ。一人で無茶して、一人で傷付いて、一人で行動して・・・一人で背負った気になって。そんなに俺達は信じられないか?そんなに、俺は、信用無いか?俺にも、背負わせてくれよ。お前だけが、苦しいんじゃ・・・悲しいんじゃねぇんだからよ・・・」
 気持ちは痛いほど分かる。元凶を討ちたい衝動、その焦燥感も理解出来る。それでも、自分を酷使し、あまつさえ自分を追い詰めるような行為は見ていられないと零す。口にしたところでトレイドは思い改めないだろう。それでも、伝えなければならなかった。
 友人の忠告、同情を篭めた嘆きに当人は暗い表情となる。眉間に皺を刻み、顔を逸らして黙する。後ろめたさよりも後悔に、友に心配させた事への恥よりも悔悟に。だが、今は様々な思いよりも先決すべき事に気持ちを定める。悔いて立ち止まるより、今は考えを捨てて怨敵を討つ。それだけに集中せんと、逆に哀しみに彩られた表情を模った。
「そりゃ、お前の気持ちは良く分かるけどな・・・そうしてぇ気持ちも、お前の行動もよ・・・でも、こんな無茶な事して死んじまったら元も子も・・・いや、あれこれ言ってる場合じゃねぇか。今は、クソ野郎を倒すのが先だよな」
 弱々しく、けれど確かな決意を篭めた面、目を見て溜息を吐き捨てたガリードが伝える。今は説得も無理かと諦め、迅速に事態を収束させる事を優先すべきかと判断して話を打ち切る。理不尽を突き付ける存在をクソ野郎と貶すその様子に隠し切れない憎悪が見え隠れして。
「・・・そう言う事で一緒に行くか。単独は厳禁、ってステインさんも言ってたしよ」
「ああ・・・分かった」
 わざとらしい明るい表情を見せながらの提案を受けるトレイド。他の仲間にも小さく挨拶を交わして合流、捜索を再開する。一層に一行の空気を重く張り詰めさせて警戒も深める。それでありながら胸中は後悔が渦巻いていた。
 脳裏にはシャオの今際の姿が焼き付き、喪わせた悔いに苛まれる。それだけに収まらず、自身が手に掛けてしまった二人、目の前で喪ってきた家族や友人の姿も甦っていた。自らを苛むものでなくとも、自分の願望が作り出した微笑みであったとしても、彼にとって銷魂するには十分過ぎた。
 懺悔の淵、気を狂わせるほどの強烈な感情が犇めく。今彼を動かすのは自身に化した呪いの如き後悔の念。新たな悲しみが生まれさせないようにとする強迫観念に追われるように。
 その背、仲間を喪った故の責任感が見える。知り合ってからの月日など関係なく親友と自負するガリードが見れば、その心境を察してしまう。触れられない部分と理解し、その歯痒さに眉を顰めて。
「・・・知らねぇと思うから言っとくが、クルーエさんも居るからな」
 悲しみに暮れるだけの彼を牽制するように、後悔だけに囚われないように伝える。ともすれば動揺を招き、更に悪化しかねない事。それでも伝えていた。
「・・・本当なのか?」
 案の定、動揺した彼は立ち止まって深刻な面で振り返っていた。その反応はガリードが求めたものなのか、一先ずは安心したような様子を僅かに示して。
「本当だ。クルーエさんも立派な曙光射す騎士団レイエットの一員だし、戦力として数えられるほどの操魔術ヴァーテアスを使えるしな」
「だが、危険だ。何で彼女をみすみすこんな事に巻き込む?」
「ステインさんの判断だ、仕方ねぇよ。それに危険なのは誰だって同じだ」
 自身も気付かない秘めた想い故か、彼女の身を案じるものの、緊急事態であり、関わる者は等しく危険に晒されている。彼女だけを特別扱いは出来ないと指摘され、険しい面のままにトレイドは黙り込む。それでも、先までとは異なる意思の強さが表情に現れていた。
「・・・んじゃ、クルーエさんに危険が及ばねぇようにしねぇとな」
 茶化す思いは多少なりともあっただろう。真剣さも含めたそれにトレイドは重く頷く様に力強い足取りで進み出す。その様に安心感を抱き、仲間達と共に捜索を続けていった。

 錯綜していた思いが幾らか紛れ、思考が整い始めたトレイドは再び揺らぐ。心境を映すように鬱蒼とした暗い道程、程良い湿気を帯びた地面は歩くには最適。だと言うのに足取りは蔦に絡め取られたかのように重く。そして、立ち止まったその面持ちに迷いの色が濃く刻まれた。
「トレイドさん!」
 歩き続けた先で別の集団と出会い、それに同行していた一人の女性が気付いて声を上げた。危険地帯に似つかないローブ姿、宛ら魔術師のような恰好でありながら、ふわりと柔らかい長髪を揺らし駆ける。
「クルーエ・・・」
 喪服にも見える色合いのローブを羽織り、少々息を切らす彼女は正しくクルーエ。トレイドを発見した彼女は憂いの表情を浮かべ、複雑な表情を浮かべて立ち尽くす姿に言葉を失う。それでも、考え、言葉を運ぶ。
「トレイドさん、身体は・・・調子は、もう良いのですか?」
「・・・ああ」
 受け答えする姿にクルーエは目を逸らす。本当は別の言葉を言いたかったと悔やむ。しかし、容易な言葉を告げられないと迷い続けて。
「あの・・・その・・・シャオさんの、事は・・・」
 気の利いた言葉を探せども、気持ちを慰めようとして思い浮かばない為に言葉が途切れてしまう。その気遣いが場の空気を沈ませてしまう。
「・・・良いんだ、変に気を遣わなくてもな。君は、気にしなくても良いんだ」
 細やかながらに微笑んで告げる。弁えていると安心させようとしての事だろう。だが、寧ろ悔いを際立たせ、哀惜が感じ取れる顔に心配するなと言うのが無理な話だろう。
「それよりも・・・クルーエ、今からでもセントガルドに戻るんだ」
 先に友人に諭されたのだがやはり本人を前にするとその気持ちが再び蘇り、そのままに告げていた。自然と口が、喉がその言葉を作っていた。
「それは、如何して、ですか・・・」
「君だけじゃない。本当は、他の奴も、危険な事は・・・関わってほしくないんだ・・・」
 自分だけ特別扱いなのかと訝しんだ言葉にトレイドの気持ちが漏れる。それは自分だけが討伐出来る自信過剰な余裕ではなく、誰かを喪いたくない気持ちから。だが、他者からすればそう映り、自己犠牲の精神が過ぎると感じ取れた。
 その宣言にクルーエは動揺し、目が潤み出す。
「・・・喪うのが怖いんだ。自分の所為でなくても、誰かが死んでいくのは・・・耐え、切れない・・・だから・・・」
 本心が吐露する。弱々しく、人前で一筋の涙を流してしまうほどに。純真な感情を語られ、一瞬反応が途切れたクルーエだが、直ぐにも首を振ってその覚悟を否定した。
「如何して、トレイドさんはそんなに無茶な事を、しようとしているんですか?悲しくて、苦しいのはトレイドさんだけではありません!トレイドさんまで、居なくなったら、私は・・・私は・・・っ!」
 悲壮な思い、いや投げ遣りでしかない考えしか抱かないトレイドを悲しみ、張り裂けそうな感情で声を詰まらせながら説得の声を叫ぶ。引き留めたくて、胸に飛び込もうとする想いを踏み止まりながら。
 彼女の姿を前に顔を逸らし、言い淀むトレイド。その背に軽い、だが痛い一撃が見舞われる。
「言っただろうがよ。そんな事出来る状況じゃねぇ。お前は、お前の両親からくれた命を粗末にすんじゃねぇ。勿論、他の連中もその積もりじゃねぇし、お前に守られたいとも思ってねぇよ」
 大切な事だが今は私情を挟むなと、それ以上に腑抜けた事を抜かすなと言わんばかりにガリードが忠告する。腸が煮え繰り返る思いだったのだろう、一撃は鋭く響いて。
「今更、グダグダ言うな。死なすのが嫌なら、死ぬ気で守れば良いんだ。余計な事を考えない事だな」
 遠巻きに遣り取りを見せられていた一人が別の一撃を加える。いちゃつくのは他所でしろと言わんばかりに。それは彼以外の相同と言わんばかりに。そして、その話を断絶させるかのように、波が押し寄せてきた。
「な、なんだ!?」
 それは群れと言うにはあまりにも意思を感じなかった。人であったとしても、最早人ではなかった。

【3】

「こいつ等、まさか・・・」
 潜んでいたのではなく、何の考えも無く彷徨っていたのだろう。各々に目的など皆無、ただ光に目指す虫の如く、フラフラと薄暗闇の中を歩いていたのだろう。その果てに偶然に見付けた、そう思えるほどに自我を感じられなかった。
 大勢、群れているようで統合性など無い。表情は虚ろ、動きは操り人形を思わせて緩慢、大よそ生きているとは思えない様。その様子は知る者が見れば一瞬で見抜くだろう、いや見抜くまでも無い。正気を微塵にも感じない様子に該当するのは一つしかなかった。
「全員、狂える傀儡シャルス=ロゼア、か・・・」
 表情が曇る、怒りに歪む。目測で二十は下らない。その大勢の者が犠牲になったと言う証明になり、自我が残っている事を知る者は憤怒に身を焼く。それはトレイドがそうであった。
「シャ、狂える傀儡シャルス=ロゼアっ!?あれだよな?狂乱者クレスジアって事だよなっ!?」
「それが、こんなに・・・」
「あんなに、居るなんて・・・っ!」
 動きは遅く、生ける屍リビングデッドの如き群れが接近してくる。それに脅威として認識する前に、人が連なって襲って来ると言う事態に激しく動揺する。
「どっから湧いて来やがった!?」
「こんなに・・・酷い・・・」
「それって、本当なのか?何かの冗談じゃ・・・」
 各々に反応を示し、躊躇いを示す。同じ人間であり、決して悪意を持っている訳ではない。だが、このまま放置してしまえば被害が何処かに及ぼす事は確実。だとしても交戦するのは如何しても躊躇われた
 そうこう悩んでいる内に操られた者達の凶刃の間合いが接近、唐突に動きが激変した。
「戦うしか、ねぇか・・・!」
 操られ、戦うしかないと嘆きが零れる。自分達が生きる為に、戦いたくないとしても武器を振るうしかなかった。緑深い中、不毛な戦いが勃発してしまった。
 自我を掌握され、操られるがままの狂える傀儡シャルス=ロゼア。緩慢な動きの中、戦いとなれば自動的な何か、反射的な動きを示す。其処に嘗ての力、実力者であった片鱗を見せる。
 そうでなくても対峙する彼等は苦戦を、手古摺ってしまう。被害者であり、悪意の無い彼等に対する負い目、抵抗感がある。何よりも彼等が率先して襲って来るのだ。それは抵抗するようで。そうなってしまっては助ける術がない。彼等とて分かっているかも知れない。それでも生きたいと言う証だと言うのか。
 益々に戦い辛くなり、対する者達の動きが鈍ってしまう。判断を誤れば自分達が危ういのは言うまでもない。分かっていても、どうしても手が緩み、手傷も負ってしまう。
 ジリ貧ではなく、このままでは何時か均等が崩れてしまいかねなかった。けれど、その中で非情に徹する、覚悟を決める者が現れよう。機会は様々だが、そうした者の台頭が場を打開する流れを生み出す。それはトレイド達の中でも。
 巨大な剣は振るわれ、朧げな意識を宿した身を裂く。深々と刻まれた切創、噴き出す鮮血。重傷、致命傷である事は確実。それを理解するようで、しないような反応を見せながらその者は地に伏した。
「こうなっちまったら、もうやるしかねぇんだよ!もう、こうするしかなァッ!!」
 まさに自らも傷付け、罪悪感に塗れた悲しい顔で告げる。彼とて好きで手に掛けたくはない。それでも、するしかなかった。生きる為には、操られた彼等を助ける為には、涙を流しながらも手を地に染めるしかないと憤慨して。
 その叫びに皆の覚悟は決まる、決めるしかなかった。迷いながらも武器を持つその手に力を籠め、謝罪を口に、悔いを胸に、涙を浮かべて振るった。それはトレイドも同じに、猛烈に悔いながら、躊躇いに拳を震わせながらも純黒の剣を振るった。

 自分達が生き残る為とは言え、彼等を救う為と自身を騙しながら不遇の彼等を切り捨てていく。鮮やかで綺麗な緑の色は悲惨な赤に塗られていく。凶刃を払う際の金属片、切り伏せた時に散った衣服片。そして、十数人の狂える傀儡シャルス=ロゼアが伏していた。
 戦いの後、苦しむだけの戦いの結果が対する彼等の後に転がる。痛みに苦しみ喘ぎながらも、痛みよりも操れるがままに襲おうと暴れる。その傍にはもう動かなくなった者も見える。死に顔、苦痛に塗れたものではなく、悲しみや後悔が見える。或いは開放感で穏やかに。
 眠らせた、止めた者達は激しく苦悶、胸に強烈な痛みを抱えながら尚も戦う。一太刀で伏すには至れない者、強者であったであろう者と対峙するのは如何しても苦戦する。それが血を流しながら、それでも虚ろに立ち向かって来るのは恐ろしく、そして苦しく映る。非情に徹しても、それでも。
 遅々と進行する状況、良心の呵責に心が押し潰されそうな戦いの最中、別の方向から騒々しい音が響き始める。金属音、焦りを存分に感じる速度で近付く。伴って聞こえる人の声、新手かと思われた矢先、そうでない事は直ぐにも示された。
「こ、此処にも居たのか!?状況はどうなってるっ!?」
 驚きながらも尋ねる声、ギルドに関する者である事は確実であった。そして、その発言は他にも出現している事も指していた。
狂える傀儡シャルス=ロゼアの集団と交戦中だ!だが、もうじき終わる!そっちは!?」
「そうか!なら、終わったら応援を頼む。俺が来た方向、南西方向にカッシュが現れたんだ!」
「なにっ!?」
 狂乱者クレスジアの代名詞でもあったカッシュが出現したと知らされ、その場の全員に激震が走る。狂える傀儡シャルス=ロゼアに加えて脅威と知れ渡る存在、混乱し続ける状況に戸惑わない筈がない。その動揺が少しばかり戦闘を危うくし、危なげに状況を留めていた。
 その中、一番に反応を示していたのはトレイドであろう。カッシュの出現からとある可能性を導き出していた。それはあの夜の事から連想されていた。
 カッシュと初めて遭遇したのはこの森であり、レインを喪う直後に出現した存在は、今回の脅威と同一であると。なら、その傍に居る、観察しているかも知れないと。
 思えば、その身は静かに、だが峻烈に動き出していた。唐突に駆け出しながら、空を割くような地面を裂く音を響かせた。劈く音は地面から幾多の結晶を生み出す呼び水となった。
 黒い円錐を模ったそれは乱反射しながら一直線に伸び、狂える傀儡シャルス=ロゼアの身を貫き、その場に縫い止めた。その全てが絶命に至らず、殆どが足を、腹部を穿って固定するもの。非常に徹し切れない部分でありながらもだからこそ酷いとも言えるだろう。
 突然のそれに仲間達は困惑、唖然として苦しむ様を目の当たりにする。要請をしてきた青年も同様であり、その中に一人が駆け出していた。
「お、おい!?何処行くんだよ、トレイド!」
「カッシュの所だ!この場は任せるッ!」
 呼び掛ける共に一方的に言い渡して彼は森林の中を全速力で駆け抜けていった。消沈し、静けさを留めていたとは思えぬほどに俊敏に、猛烈な足取りで。
「トレイドさん!待ってくださいっ!」
 もう見えなくなった彼の行動に続き、衝動的に呼び掛けながら駆け出していく。それは日頃から感じる危うさに対する心配が足を動かしていた。
「ちょっ!?クルーエさんもかよっ!?止まれって!行くなってっ!!」
 思わぬ人物の行動に驚き返ったガリードが呼び止めるのだが彼女も聞かなかった。もう見えない彼の後を追って緑が広がる奥へと消えていく。
「全く!一人行動すんなって言われてんのにっ!!」
 そう文句を零しながらガリードも駆け出し、後を追ってしまう。
「お前まで何処に行こうとしてんだよ!」
「俺は大丈夫っス!クルーエさんを連れ戻してくるだけなんで!トレイドも大丈夫なんで、ちょっと任せるっス!!」
 自信満々に仲間達に動揺を与えないように、明るい態度と声で言い残して構わず走り抜けていく。
「何が大丈夫だ、任せるだ!良いから戻ってこい!・・・ああ!どいつもこいつも!!」
 衝動的に行動する奴が多いと仲間は憤慨しつつも、嘗て同じ世界で暮らし、今は苦しむばかりの者達と対峙していた。
 結晶に縫い止められていても襲わんと躍起になっている。与えられた指令しか行わないと言った姿は哀れで仕方なかった。憐憫を抱き、早く解放させたいと言う気持ちが強く生まれる。留まった全員が抱き、悔い、謝りながらも眠らせる為に武器を振るう。
 辺りに、血が飛び散った。赤が広がっていった。

 この時の彼等の行動が後の事態を引き起こすとは、誰も夢にも思わなかった。ただただ、トレイドは次なる犠牲者を出したくない思いで、ガリードとクルーエは彼に対する切実な心配と怒りに振り回され、他に憂慮すべき状況下なのに冷静さを欠いてしまった。だが、冷静に努めていたとしても、やはり逃れられなかったとも思われた。ただ、今は誰もが悲惨な事態を避けたい為に動いていた事は確かであった。
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