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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく
不詳を示すように、荒涼たりて広がる
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【1】
斜陽が世界を彩る。伸びゆく影は悲哀を感じさせ、赤に塗られる景色は哀愁を抱かせる。一日の終わりが、刻々と迎える一時を色合いだけで本当に変えてしまう。
その黄昏時の紅は斯くも儚げに映り、何よりも情熱的に燃え盛るようだ。それは今際の一瞬の灯火か、それとも尚も煌々と盛るかのような紅蓮の色か。それは見る者の心境に因って変わるに違いない。それでも哀しみ、だけは見えるだろう。
町の何処かでは、その悲しみを誘う光景に見惚れている誰かが佇む。人々の営みを包み込む建物群は例外無く紅に、輝きが町並みにまどろみを齎さんとする。その建物群を猛々しく眺める城が佇んでいた。
神々しさは黄昏に染められ、美麗な佇まいは一層の輝きを放つ。染められたとしても悠々と我色を保つ。纏う影は憂う感覚を抱かせず、寧ろ魅力的に映されていた。それらを囲むのは厚く、高く聳え立つ巨大な不落の巨壁。原材料の岩石の元の色が灰色であったに違いない。多くの傷を拵えたとしても佇み続けるそれも、赤く染められている。違う目線で見れば怖気立つとしても、夕陽の明かりと言うだけで鮮やかに見える。それは、薄れる陽の明かりをそのまま壁にしたかのように。
一瞬だけ悠久を思わせる僅かな一時。薄い紅の壁に影を落として佇む二つの生物が存在した。対面する二人の手には武器。鋭く赤い光を反射させ、特訓を目的とした武器が持たれない。だが、示す表情には殺伐とした気配が見えない。寧ろ、明るい、楽しみの色が如実に映されていた。
「んじゃあ、やるか。手加減は無しだぜ?トレイド」
愛用の鉄の塊、鉄板を彷彿とさせる大剣を悠々と担ぐ青年は昂揚感のままに挑発する。武装し、勇ましさを示す彼は闘志を滾らせて対する。
黄昏時に染まる褐色の肌はほぼ変わりなく、端正な顔立ちからの不敵な笑みは見ていて清々しく映る。多少、馬鹿っぽく見えるのは御愛嬌と言った所。
「・・・手加減はするに決まっているだろ。鍛錬、模擬戦で大怪我を負うのは阿呆のする事だ」
黒い短髪を流す頭を掻き、呆れた様子で愚痴を零す。溜息混じりに、しかし、試合を行える事が嬉しく、楽しいのか、僅かばかりに笑みを零す。
彼もまた同様に、純黒に染まった剣を、魔具と呼ばれる魔族の血を引く者しか扱えない武器を構えていく。
対峙する二人、トレイドとガリードは似たような好戦的な笑みを示す。互いに武装し、真剣を扱う。ともすれば事故に繋がりかねないが、それは互いに弁え、そうしない心構えも定めて。
黄昏に染められ、そして暗がりに落ちようとする小さな広場にて二人はゆっくりと身構える。静々と、余計な思考を省いて闘志だけを奮い立たせて武器を握り込む。眼は相手を見定め、鍛錬とは言えど真剣に望む。
そして、ガリードが気合を篭めた叫びと共に動き出す。
以前、天の導きと加護で交わした約束通り、模擬戦の準備を整えていた。その場所が重要だとガリードは語り、どうせならと彼が提案した場所へと向かった。
そうして彼は新旧の建物が入り混じり、騒がしい工業地区を渡って巨大な施設の前に立った。
少し前から視界に入り続けていた円形を模る巨大建造物。少し前の騒動に巻き込まれた其処は幾多の建物の中でも最上に感じる危うさを示す。中身が見え、廊下や部屋が見える事が哀れで成らない。
それでも頑強にも建ち聳え、訪れる者を勇むように見下ろす其処は戦意と血の気で満ち満ちる。外から見ても何故か身体が熱くなるほどに。
以前より修復が進み、まともな入り口も構えられ、其処に戦士風の男女が往来を繰り返す。反響を呼んでいる事は間違いなく、その波に紛れるように流れに沿う。
室内に踏み入り、まさに力や闘争心を示すように武器が所狭しと飾られる。突き刺した土台を斬り裂きかねないほどに練磨された剣から歴戦の傷を刻み込んだ物々しい斧まで様々に。
その間を縫うように雄々しさと力、王者の貫禄を造形にした像が規律良く並べられる。活き活きとしたそれは現存する魔物と遜色ない迫力を放って。
それらよりも際立って存在感を放つのは戦士達であろう。優劣の無い戦意を纏い、受付を済ませて舞台に臨む勇ましき戦士達。身は当然武装し、得意とする武器の手入れを欠かさない。誰もが日頃の研鑽が見え隠れする肉体を持つ。だが、その中でも目を見張るのが、此処を営む職員であろうか。
専ら試合に参加する者達の肉体は目を見張る。羞恥心も無く身体の大半を曝け出す者も居る。だが、その肉体は逞しく太く、けれど引き締められて惚れ惚れする筋肉を所有する。ともすればボディービルダーの如き隆々とした、あからさまな力技専門の女傑も存在する。並大抵の男性なら容易く撃破するであろうか。
中には明らかに戦士ではない者が混じる。そうした者は入り口から正面に続く、上方へ向かう階段を上る。トレイド達も同様にその場所を上がった。
最上に登れば、強烈な音に接触し、転倒しそうになる熱気に晒される。騒音、観衆の声は恰も嵐のように吹き荒れる。興奮の強熱は踏み入った者を奮い立たせよう。そして、その中央の舞台、今まさに観客を血肉を躍らせる激戦が巻き起こされる。武器を交える激音、血汗が飛び散り、互いの気迫が大波のように打ち付けていた。
そう、其処は赫灼の血。戦闘狂が集うギルドが営む闘技場である。この形になったのは最近だと言うのに大反響を呼んでいた。
「やっぱり、無理、そうだな」
「・・・そうだな」
打って付けの場所ではあったがこの様子では隅を使う事も出来ない。それ以上にこのまま居続けると強引に参加されかねないと退散、最初に考えていた場所に向かう事としていた。
途中、ガリードと戦ったターニャと遭遇し、リベンジに燃える彼女を振り切りながら赫灼の血を後にし、別の候補の場所へと向かった。
其処は今や曙光射す騎士団の支部となった、元人と人を繋ぐ架け橋の施設。此処の中央の広場がある程度の広さであり、活用頻度が増えたとしてもやはり人気が無い為、模擬戦を行う環境が整っていたのだ。
そして、この日も人気は然程であり、例の広場には誰も居なかった。ならばと、二人は少し身体を解し、剣を合わせ、現在に至る。
【2】
時間が経過し、数度の模擬戦が済まされていた。最後を飾る試合を行う最中であり、それも終わりを迎えようとしていた。
伸びてくる茜色の光を背にするガリード、やや眩しそうに眼を細めるトレイド。鋭い視線で互いの出方を伺い、少しずつ距離を詰める。本気でなくともそれなりに真剣に刃を交えた二人、互いに疲労の色は濃く。それでも集中は途切れず、それどころか高まって。
武器の動き、動向に注視する。慎重に間合いを詰める。拮抗する気迫、張り詰めた空気は肺を凍て付かせよう。膠着状態と言える状況、激しく打ち砕いたのはガリード、彼の先手であった。
頭髪、防具を羽織る衣服を激しく羽ばたかせて猛進するが如く距離を詰め、軸足で踏み込み、重心を整えると共に豪快に垂直に大剣を振り下ろした。突進力と腕力を乗せた兜割り。正にそれを実現し得る威力が篭っており、これで手加減していると言うだから痛ましいもの。
対してトレイドは冷静に応じる。あまりにも単純な一撃、どんなに早く、凄まじい威力を放ったとして、当てなければ意味を為さない。大剣の間合いを見極めながら剣で往なす。軌道を逸らしながら距離を詰め、空手を顎へと叩き込んだ。
「痛っ!」
強烈で俊敏な一撃を貰ったガリードはやや仰け反る。其処にもう一撃、追撃が為される。容赦を排除した横蹴り、寸前で彼は腕で防ぐものの蹴り飛ばされてしまう。
「今のは単純過ぎたぞ。強引で無謀な攻撃は止めろ。それに、万が一あれが当たっていたら如何する積もりだったんだ、お前」
一メートルほど離れた位置に転倒した彼に向けて指摘する。やや怒りを篭めて。
「ハハハッ!結構は早かったと思うけどな。それに、ちゃんと手加減はしてるぜ?止める積もりだったしよ」
「本当か?一瞬背筋が凍ったぞ」
「って事は俺の気迫がお前を勝って事だな!」
全てを都合良く解釈する彼に呆れを示し、深く強い溜息が吐き捨てられる。ともあれ、この一戦で本日の模擬戦は終えられた。
周囲の詳細が視認し辛いほどに暗くなったその広場で二人は身体を休める。程良く汗を流した充実感の中、多少息を切らしながら互いの課題点を指摘し合う。
ガリードは一手に全てを掛け過ぎる癖が出来つつあるので、全力を篭めるのではなく、全ての攻撃に繋げられるように程良く力を制御して次なる手を考え続ける事を告げた。対してトレイドは結晶を呼び出せる強みがあり、力や俊敏さも申し分ないものの、相手の出方を見てからの行動が多く、予想を上回る展開になるとヤバいのじゃないかと告げられていた。
互いにその事を肝に銘じ、この後予定が無い為か少々の雑談を交わしていた。その最中にガリードは思い出す。
「そう言やよ、お前ってクルーエさんと一緒に来たよな?」
「そうだな」
「お前はステインさんに呼ばれたって言ってたけど、クルーエさんも呼ばれたのか?」
「いや、そうじゃないな」
前の話とは繋がらない彼女の話題に疑問を抱きながらも淡々を答える。その間にガリードの表情が厭らしく変化していくのは気の所為でなく。
「じゃあ、何か?お前が着いてきてくれって言ったのか?」
「違うな。ただ・・・心配だからと、言って、一緒に来る事になった」
「愛されてんねぇ」
言われた事実を告げると面白おかしく笑われた。その愉悦を感じるそれに顔を顰められる。
「まぁ、お前は身体を張りたがるからな。だから心配になんのは分かるな」
彼女の心配、その他の感情も理解出来ると他意を含んだ笑みを消さない。
「それで、お前はクルーエさんの事は如何思ってんだ?」
「如何って、何が言いたいんだ?」
彼の意図が読めないと益々顔を顰めて聞き返す。その朴念仁な様子に友人は信じられないと顔を引き攣らせた。
「それ本気で言ってんのか?あるだろ、色々!可愛いとか、好みとか嫁にしてぇとか、異性に対する感情だよ!お前、あんだけクルーエさんの事を気に掛けてて、何もねぇってのは言わせねぇからな!?」
無頓着に感じる態度に腹を立てて追及する。その魂胆は言うまでも無い。対して、トレイドはいまいち理解出来ないと言った様子でやや俯く。
「良く、分からないな・・・」
「本気か?誰から見ても何かあんのか?って思うぐらいだぞ?」
理解出来ないとする友人の台詞に深く悩み込む。確かに気に掛けている事は把握している。だが、それは命を救ってくれた恩人として、恩を感じるからするのであって他意はない積もりなのだ。
「・・・お前、初恋とか、あの子好みだなぁとか、感じた事あるだろ?」
色恋沙汰に踏み込もうとした友人が深刻そうな表情で問い掛ける。嘯いている訳ではないと、少々事情を知っている為に少し察しながら。
「そんな経験は・・・ない。そんな余裕が無かったからな・・・」
悲しい双眸で過去を振り返る。悲しみの連続で楽しかった記憶すら塗り潰されるような幼年期、少年期、青年期の途中までの記憶を。その様子にやっぱりかと言う様子となり、失敗したとガリードは頭を掻く。
辛い過去を思い出させた事で空気は沈んでしまう。すっかり戦いの昂揚感も消え、少し身体が冷える思いとなってしまった。それでもガリードは挫けない。
「だとしても、だ。クルーエさんに対しては思う事はあるんじゃないのか?・・・俺なりに考えても、多少はあるって思ってんだよ」
それは彼自身が気付かない何かを気付かせる為に。延いては彼女の為にも。
「・・・そう、だな。何時もはそうじゃないんだが・・・時々、守りたく、は、なるな・・・」
真剣に向き合い、導き出された言葉は自信無げで疑問を残す台詞。それでもガリードはその気持ちを引き出せたと満足気に笑む。
「それが分かりゃあ良い。そんでもって・・・」
「そろそろ、話を、会話を、相談を遮らせてもらう」
決定付ける何かを言い掛けた時、誰かに遮られてしまう。その声に二人は振り返ると、長らくセントガルドを離れていたステインが立っていた。その姿は沢山の武器と防具で固めており、戦闘の跡を少々残す。
「ステイン、戻って来たのか。呼んでおきながら随分と待たせたな」
迎える際の台詞は少々揶揄い気味であり、根には持っていない事を少し崩した表情が示す。それにステインは申し訳なさそうに首を振る。
「すまない。正直、こんなにも早く来るとは思っていなかった。その間、集めていた情報の裏付けをする為に出て行ったんだ。結局、詰まる所、迚もかくても、徒労に終わったがな」
挙句に余計な戦闘を経たのだろう。溜息を零す顔に疲弊感と少々の苛立ちが覗いて。
「さて、ガリードが居る事は想定外だが・・・」
前置きを告げるのは謎の存在に関してである事は間違いない。一瞬にして気を、場の空気を引き締めさせた事が物語る。
「大丈夫だ。それは俺からも話している。遅かれ、早かれ知る事だと思ってな」
「・・・確定情報じゃないから、あまり言い触らさないで欲しいがな」
話してしまっては仕方ないと彼に目を向ける。
「・・・こうなったら連座、巻き添え、連帯責任だ。他のギルドに移ったとは言え、聞いてもらう」
「分かったっスよ。やべぇ奴を放置なんか出来ねぇっスからね。放っといたら、ガキ共に被害が行っちまうかも知れねぇっスから」
彼も生半可な気持ちで踏み込まないと告げる。その意思の固さと強さを図ったステインは淡々と語り出す。
「そもそも、トレイドを一度セントガルドに呼び戻したのは謎の存在と思しき不審者、そしてカッシュの目撃証言が増え始めたからだ」
世界を脅かすとされる存在に加え、久々のカッシュと言う名前に二人は気を張り詰めた。
「主に後者、カッシュと思われる誰かが高山地帯付近に出没すると。また、高山を越えていくように浮き、消えたとの、俄かに信じられない情報も数点寄せられた」
「高山地帯・・・つまり、犯罪者を収容している場所付近になるのか?」
「ああ。実際、情報源は看守長からだ。囚人達から寄せられていたようだ。そして、此処に戻ってきた時にある事件が起きたとも知らされた」
「事件だと?」
その言葉を聞いて少し血の気が引いていた。それは過敏な反応だったかも知れない。だが、幾多の事件、特にローレルの事件はまだ記憶に新しく。
「高山地帯周辺を調べさせようとした時、炭鉱場の奥で再び何かの空洞に差し掛かったのだろう、道が繋がったとの事。その直後、魔物が氾濫したように押し寄せて来たそうだ」
説明に以前同じ場所に居て、同じような現象に見舞われた事を思い出してトレイドは益々に血の気を引かせた。
「それで、それは如何なったんだ?まさか、今もそのままなのか?」
「いや、何とか対応して押さえ込んだものの、被害は甚大だそうだ。囚人、看守問わず死傷者が多数発生、壊滅寸前と言っても過言ではないと」
思い出すのはローレル、そして前の魔族の村の一件。過ぎれば怒りが身体を熱くする。
「・・・それで、俺に高山地帯、刑務所へと言ってくれと?」
「そう、如何にも、その通りだ。数人が同行するが高山地帯の外に当たらせ、トレイドには看守達と連携して内部を探って欲しい・・・予想が当たっていれば、その先に新たな地帯がある」
「其処に、奴等が潜んでいる可能性がある、か」
「もし、発見した場合、調査はせずに帰還するんだ。その際、看守、看守長に続く道を塞ぐように厳命するように。許可を得た者以外は通さないようにもな。既にトレイドが行く事も連絡している、問題なく通るだろう」
「そうか・・・何時出発になる?」
「明日、此処の前に馬車を手配している。調査に参加する者も同じように連絡している」
「分かった」
話は急に運ばれるのだが、そもそも何かしらの重役を任されると赴いたのだ。文句はなく、即座に了承していた。
「ステインさん、俺も手伝える事はねぇスか?」
今の話に指を咥えていられないと申し出る。だが、ステインは首を横に振った。
「いや、ガリードは子供達の面倒を見るのが大事、重要、肝要だ。これは曙光射す騎士団で済ませる案件、他のギルドに協力を仰ぐほどでもない」
「その通りだ。お前は長時間離れたくないだろ?此処は俺達に任せていろ」
そう納得、諦めさせるように促し、肩を叩きながら立ち去る。明日の為の準備に早急に掛かる為に。
その背中に諦め切れずに詰め寄る友の声が響くも、諦めるしかないと弁えたのだろう、声は治まっていた
【3】
青々とした葉が繁り、幹は芯を曲げずただ真っ直ぐに伸び、大地に張った根は自身の支えと栄養供給を行う。成長の証か、陽の明かりを遮る程に、枝葉色濃く戦ぐ。そんな力溢れる木々が幾万にも土着し、根元を多種多様の草花がそれに負けじと茂る。
隆々とした生命の躍動を感じる森林地帯。幾多の植物で構成されたその地を這う人為的に作られた地肌の道。其処をレイホースとそれが牽引する馬車が通る。その行く先は景色を変えていく。
分かれ道を標識に沿って進んだ末、景色が寂れを見せて始めた。しとしとと愁傷を煽る悲愴な場所ではなく、深々と身も心も凍て付かせながらも美しい白で彩られた場所でもなく。また違った環境である。
緑、植物が減少していく。同時に灰色の比率が大きくなる。近付くに連れて見えていたそれが岩肌であると認識する。同時に到底視界に入らない巨大さを有し、勝ち誇って席捲するように其処に存在していた。
天を貫くほどに高く聳え立つ、剣山の如く尖り狂う岩壁の鉱山。来訪者を拒み、登ろうものなら容赦ない制裁を与えるだろう。
その一方で内部に侵入するなら驚くほど容易いもの。何せ、人が簡単に踏み入れる穴が発生しており、その内部は炭鉱として知られ、同時に罪人が集められる刑務所としての機能が付与されていた。
そう、其処は高山地帯。此処での目撃証言と発生した事件の調査、及び地帯調査の任を受けてトレイド等数人が足を運んでいた。
暗く沈んだ炭鉱窟の穴、それを塞ぐ厳重な関所と看守達が活用する詰所の中間に馬車は停車する。それと同時に乗車していた者は外へ出て行く。
「予定通り、高山地帯周辺の探索を頼む。決して無理をするな。知らない魔物、不審人物と遭遇し、戦力差を感じた時は撤退に徹してくれ」
トレイドの命令を受けて皆は返事を行った後、足並みを揃えて出発する。乗車中に役割を分担しており、彼等は先述の通り、目撃証言を基にした調査を。トレイドは事件の調査の為に、先ずは詰所に赴こうとした。その矢先、彼の目が詰所から出てくる数人を捉えた。
大柄、巨漢である事は遠目で分かる。左右に部下と思しき者を連れ、同じ青の制服を着込んでいようと纏い放つ貫禄と威圧感は凄まじく感じ取れる。階級を示すであろう胸章を幾つも付け、更なる迫力を見せる。重責を背負っていながら物ともしない姿から看守長である事は誰でも理解しよう。
「看守長、連絡を受けて調査と先の事態の応援に来た。既に調査に関しては送付した通り、内部の調査は俺が請け負う」
威圧感に動じずに事情を告げると彼は感心するような仕草を行う。
「了解した。追って部下も向かわせる。内部の調査に関しては向かいながらしよう」
態度こそ以前見た時と変わらないが、流石に面倒が過ぎたのだろう、少しだけ疲労が感じられる。それでも圧倒的な存在感に揺らぎはなく。
促されて関所に向かえば、強面と顰めっ面の門番と視線が合う。二人は共に来た者が看守長と知ればすぐさま開門させていた。その動きを労い、共に暗い空間へ踏み込む。
前回同様の道ではなく、壁には等間隔で篝が設置、朱い灯火が揺らめく。奥の後まで連続して存在し、薪が炎に焼かれて水分が弾ける音が強く響く。それに混じるのは幾多の足音。
「概要は聞かされているだろうが、新たな空洞を掘り当てた事が原因で犠牲者が多発した。今は其処に続く道を封鎖し、看守数人の下で警戒させている」
「魔物の詳細は?」
「以前襲撃に遭った魔物と同一個体ですね。徒党を為し、一気に押し寄せてきました」
「少し前にセントガルドで地震が発生した。ここでも地震や普段と異なる現象は起きていないのか?」
「そのような事態は起きておらず、先述の事以外は普段通りでした」
看守達と情報を交換しながら奥にぼんやりと浮かぶような光に向けて歩く。情報を整理するトレイドの面は険しく、気を引き締めていく。
以前と同じ魔物、アラ・バボル。人と同じ形状、小人のような体格ながら皮膚剥き出しの気持ち悪い外見。加えて、鉤爪で壁や天井を這い、長い舌を傷口に捩じり込んで血を啜る怖気立つ存在。当時の事を思い出せば表情は険しくなろう。
また、世界の改変が起きていないと推察しても、絶えず変化し続ける世界。最早、その常識すらも古くなった可能性すらある。何事も気を抜けないと光を目指す。
間も無く光が差し込む場所に辿り着く。狭き通路とは打って変わり、かなり広き空間に迎えられる。天井に穴が開き、其処から光が差し込んでいる為、昼間であれば空間は十分に照らし出されていた。
掘削道具が整理整頓して置かれ、採掘した土砂の選別する場所、それらを武器を所持した看守が目を光らせる。以前も目の当たりにした光景であり、炭鉱の雰囲気が漂う。
「来て早々だが、調査に赴いてもらう。それに当たって、数人を付ける」
「数人?その二人か?」
「看守は出さん。ただでさえ人が少なくなった今、人員を割く事は出来ん。よって、同行させるのは囚人だ」
「囚人?・・・良いのか?」
その単語を聞いた時、彼の顔から怒りが覗く。幾分か歩み寄り、記憶に刻まれた憎悪する対象とは違うと分別を付けたとしても、如何しても憎しみが覗き、顔に出てしまう。
「構わない。今回の当たって、同行させるのは比較的改善の見込まれる者達、所謂模範囚だ」
「模範囚・・・」
下された罪、刑に素直に従い、更生の見込みがあると見做された者達だと認識する彼の面は依然として険しい。罪は罪と言わんばかりに。それでも、否定するだけでは駄目だと溜息を吐き捨てて気持ちを落ち着かせる。
何時の間にかもう一人の部下は姿を消しており、呼びに行っていると見て間違いないだろう。
件の者達が戻ってくるまでの間は空白、退屈な時間と成り下がる。それでも仕方ないと周囲を見渡していた。その彼に、倍を思わせる体格の看守長が近付く。
「もし、反乱や逃亡、あまつさえ傷付けて来た時には、容赦なく・・・その命、切り捨てても構わない」
その言葉は忠告か、試しているのか。それとも言葉通りの、処刑人として働いてもらうと言う意味なのか。冷たく言い放った言葉に睨み返す。看守長は特別な反応を示さず、
「後は頼むぞ」
そう言い残してきた道を引き返していく。その背を、意図を見極めるように睨む。暗闇に消えるまで静かに。
「・・・新たに繋がった先の調査は行っているのか?」
「いえ、事態を一時的に収束させるだけでも精一杯で。その後も、看守長が仰ったように人手が少なくなったので調査に出る余裕もありませんでした」
「そうか・・・」
看守の説明通りであろう。見渡せばその時の者であろう赤い染みが僅かに見え、手当の跡を、包帯姿の者が看守どころか囚人にも存在する。何処か怯えと憤りが感じられて。
「お待たせしました。今回同行して貰う囚人です」
先の部下が囚人を引き連れて戻ってくる。片手に余る数の囚人は多少負傷しているのだが元気、力が有り余っている印象を受けた。その中には、
「おお!トレイドじゃねぇか!久し振りだな!お前が来たんなら安心だな!」
実に友好的な笑顔を見せて挨拶をしてきたのはレイザー。土で汚れた格好で今さっきまで掘削作業を行っていた事を示す。その痛み、疲れを感じさせない明るい笑みであった。
「レイザー!お前か!」
知人に出会ってトレイドの表情に明るみが差す。その知人が模範囚として評価されている事も喜びとなって。
「おい、無駄話は止めろ!」
「良いじゃねぇか、多少は」
やや反抗的な態度を示す彼。多少の軽口は判定外なのか、全くと呆れた様子を示しても強行には及ばずに。
「それじゃあ、俺が例の場所に連れて行くから。こいつも多少は勝手知ったる場所だしよ」
「何を勝手な事を言っているんだ!」
知人と再会して気を良くしたレイザーが進行させようとし、そんな権限は与えられないとしたのか看守が怒鳴り付けた。それをトレイドが制する。
「大丈夫だ。このまま現場に向かわせてもらう。仕事に戻ってくれ。その気になれば俺が制する」
「・・・宜しく、頼みます」
不服だが任せられた人間だからと仕方ないと言った様子で任せ、部下二人は暗い道を引き返していった。
看守が消え、改めてトレイドは任された囚人達と顔を合わせる。年齢は別々だが誰もが根性があり、クセの強そうに見えた。加えて、先の遣り取りを前にしての事だろう、怒りを示して。
「俺はトレイドだ、今日は宜しく頼む。先のは気にするな、看守を納得させる方便だ」
とは言っても納得は出来ないだろう、囚人達の気分は変わらず。
「こんな所で突っ立ってても意味ないし、早速行くか」
場の空気が悪くなる前にレイザーが催促する。それに従って皆は炭鉱窟の奥へと目指す。途中、話が伝わっている別の看守から松明や護身程度の短刀を受け取りながら。
【4】
「しかしよ、あの時、看守共の多くが魔物にビビッてやがってよ、もう頼りにならねぇの!普段威張り散らしてやがんのに、そんでもって二回目だって言うのに、もうガタガタ!」
当時の事を、看守達の失態を笑いながら説明するレイザー。苦しき状況であったのは間違いないのだが、済んだ今だからこそ笑って言い除けて。
「笑って言ってるけど、俺達も結構ヤバかったぞ?」
「だな。俺達の中にも足を引っ張る奴も居たし、どっちもどっちじゃねぇのか?」
「いやいや、大半を引き受けたのは俺達だろうが!それに、看守長に引き摺られて来るまで碌に応援に来なかった連中だぞ?腑抜けばっかりだろ!」
「それもそうだな!」
目的地に向かう道すがら、看守達の不満を語り、嘲るレイザー達。直ぐ近くに看守が居ると言うのに構わず。当然、睨まれるのだが一切気に留めない。
「そう言えば、お前も大変だな。折角、此処から脱出出来たって言うのに戻ってくるなんてよ」
出戻りだなと言うように笑いながらそれに触れる。それはトレイド自身も思い、戻って来たくなかった場所でもあった為、険しき表情が少しだけ緩む。
「まぁ、仕事だからな。そうでなかったら来ないな」
「でも、お陰でまた出会えたんだ。悪い事ばかりじゃないな!」
辛辣な言葉を彼は楽観的に捉えて語る。彼の振る舞いがまるで緩和剤のように役立ち、場の空気はそれほど損ねる事はなく。
しかしながら、久方振りの再開であり、それほど親交が無かったと言うのに、レイザーは長年の友人のような親睦さと気安さを示す。その態度だからこそ、トレイドは随分とやり易さを感じていた。
雑談を行いながら人が数人通れる、言わば本線を進み行くと途端に地質が変化した道に差し掛かる。構わず行けば、以前の騒動の場所に到着し、知る者は少し表情険しくさせていた。
其処は既に調査は済まされており、幾多の篝火で照らし出されていた。最初の広場以上の広さがあり、天井には気の遠くなるような年月を感じさせる鍾乳石がずらりと並ぶ。氷柱の如きそれから水滴が滴り落ちて音を鳴らす。壁も鍾乳石で覆われており、この一角は鍾乳洞となっていた。
没入してしまうような景観だが、残念ながら此処には不要のもの。薄らと水が満たされようと木材か石材で足場を作ってしまえば腰を下ろせる空間となり、上手く水を流すように足場を加工され、単なる広場として活用されていた。
そして、其処から更に炭鉱の小道が続き、何の糧にもならないと知らしめるように炭鉱の音が忙しなく、幾多に響き渡っていた。
その広場を横断し、また一つの道を目指す。人二人分が通れるほどに拡張された道、此処も同様に篝火が設置され、等間隔で補強が為される。踏み込んで間も無くして地質は更に変わった事を理解する。先以上に硬質そうであると、黒ずみ、微かに煌く断面から想像する。微かに鉄の臭いを感じるのは気の所為ではないだろう。
「・・・此処か」
この道も数ヶ所で枝分かれを起こしていた。その寄り道をせず、真っ直ぐに突き進んでいくと件の封鎖箇所に到着を果たす。それは一目見て理解出来た。
少しずつ広がっていく道の先、巨大な蓋のような鉄板が道を塞いでいた。正しくは壁であり、扉が設けられる。それも巨大且つ鉄製の閂で頑丈に封鎖される。それは急遽作ったに違いない。だとしても、まるで金庫を彷彿させるような頑強さを感じられた。その上、武装した看守が二人、国境の関門の如き雰囲気で立つ。
「誰だ!囚人を連れて・・・何の要件で来た?」
想定外の者が来たと二人は警戒し、武器を向ける。それを受けてもトレイドは淡々と答えた。
「曙光射す騎士団のトレイドだ。リア、ステインからこの先の調査を任されて来た。看守長からも許可は得ている」
「!そうでしたか、どうぞ」
身分を明かすと二人は直ちに閂を外し、扉を開いていく。抜かりなく指示は送られていたようでその作業は実に素早く、重々しい音を立てて扉を開いていく。其処から先は暗く沈むばかり。
「・・・此処から先は十分気を引き締めてくれ。些細な事でも良いから報告を頼む。もし、魔物が出てきた場合、俺が片付ける」
返答は薄い。誰でも一方的に指示される事は好かないだろう。ましてや自分よりも歳が下の者、尚更だろう。数人は頷くなりの反応を示しても、ほんの気休め程度のもの。不快感を抱く視線を浴びながら、トレイドはレイザーに目線にて頼み、道案内を受けながら歩き出していく。
事前に準備してくれた松明を片手に、一行は坑道内を進む。その火がトレイドの顔を照らす。終始、少々居心地は悪い為か、険しく強張っていた。
篝火が置かれず、大した掘削も行われていない為、自然のままに道は曲がりくねる。当然、暗い為に松明等の光源は必須となる。囚人達はそれを手に周囲を注視する。その中でトレイドはウェストバッグから光る石を取り出した。瞬間、周囲は仄かな光に照らし出された。
「おっ!それ、持ってたんだな。どうだ?使えるか?」
「ああ、偶に役に立ってくれている」
「偶にかよ。まぁ、今役立ってんなら十分だな」
嘗て預けた物を活用している事に喜ぶレイザー。その明るい空気で先へと進まれる。
「今は一本道だが、これから先はどうなっているんだ?」
「詳しくは知らないな、少し行ったら膨れる程度しかな」
詳細を問い掛けたのだがその場に居る者全てが知らないと語る。ならば全て手さぐりになるなと諦めを示した時であった。
水か微かに流れる其処に水音と小さな這う音が響いた。それは小さく気付けないのは仕方ない。会話する最中でも警戒心を解かなかったトレイドだけが気付いていた。その方向も粗方の検討を付けて。
「止まれ」
そう冷静に指示する。唐突のそれに囚人達は文句を零す。それを耳に入れないまま音のした方向へ睨み、微かに蠢く何かを捉えた。
「伏せろっ!」
声を上げて警告する。敵と対する威圧感と急いだ為に聞いた者に少しなりとも影響を与えよう。それでも囚人達は緊急事態と察し、即座にしゃがみ込んでいた。
直後に響いた金属音、耳の奥に刻み込まれるような音の直後に彼等の頭上に居る何かが襲来していく。その身体を、幾多の黒い結晶が穿ち抜いた。その痛みたるや、縫い止められた身体を強引に動かして解放せんとして倍増するばかりに。
「もう大丈夫だ」
やがて襲い掛かって来た数体は魔物であり、その場から離れるように促された囚人達は応じて少し間を開け、それから振り返る。ほぼ同時期に結晶が砕ける音が響き、彼等の前に数体の何かが落下した。
独特の長い舌を覗かせ、明暗によって照らし出される崩れた不気味な顔。憐れも感じるそれだが、戦闘能力は確かであり、だからこそ惨たらしい攻撃に傾倒するものなのか。
天井から襲い掛かろうとしたそれはアラ・バボル。暗殺者の如く忍び寄り、皆を食料にせんとした事であろう。今や、確実に貫かれ、致命傷を受けた小柄な身体は冷めていく。
正体を知り、襲われそうだった現実を思い知り、驚いた顔でトレイドの顔を見る。感心し、多少は思い直すように。
「・・・先に行くぞ」
まるで些事、何事も無かったかのように促して先を目指す。その背にレイザーが続き、呆気に囚われた囚人達も一呼吸を置いて続く。その顔に少しの変化があって。
容易く彼を信頼した訳でも、共闘出来るとも考えていないだろう。それでも要請されるだけの実力がある事を理解し、少しずつだが信頼を置き始めていた。
暗く狭い空間を、水が微かに流れる道を進む。多少の変化はあろうと気に留めず、囚人達と多少話しながら進み続けていった。
【5】
囚人を連れたトレイドは黙々と繋がった空間の調査していく。この事態となった原因を探るのは難しく、素人ながらに結論付けるしかない。また、次の被害を抑える為にもアラ・バボルが棲息する、巣のような場所が無いかの調査も念頭に入れて行う。
自然で出来たその空間、先の鍾乳洞のように、嘗ての水の流れで生じたものなのだろう。規則性は感じられず、幾多に枝分かれを起こしていた。仕方なくその全てを探すのだがやや狭い上、行き止まりになっている者が多く、やや広い空間に繋がっていても何も無い事が多かった。
途中、数度に渡って魔物の襲撃に遭う。そのどれもがアラ・バボルであり、音を殺して奇襲を仕掛ける事しかしてこなかった。そのどれもを寸でで仕留める形となった。小柄を活かす、或いは擬態しての事だろう、そのどれもが全員の後方から現れると言うもので、人が通る事が出来ない小さな穴が点在している為、其処から現れていると推察された。アラ・バボル自体壁を掘る習性は無い為、自然に出来た物を利用しての事だろう。
時間だけが虚しく過ぎる。結局、アラ・バボルの巣のような場所の発見出来なかった為、事前の対処には至れず。最後に残された、やや広き空間を突き進んでいた。
その頃になれば雑談など無く、多少の休憩を挟んだとしても疲労と警戒による集中の疲弊が面に現れ出す。トレイドは一層気を張りながら暗い狭所の警戒を深める。その折り、変化が訪れた。
「あれは・・・」
囚人の一人が気付き、それに続くように全員も気付く。進む先の最奥に微かだが光を視認したのだ。天井から漏れ出るそれか、そうでなくとも漸く見付けた変化。自然と向かう足も速くなって。
行き着いた先、壁には亀裂が刻み込まれ、とある一点は深く、其処から光が侵入していたのだ。加え、外と繋がっているのだろう、微かに風を感じる。松明を翳し、火が揺れた為、それは確実。だが、全員は落胆した。
確かな変化だが、その向こうを確認する事は出来ない。鶴嘴のような道具は無く、素手ではこの硬質な岩盤を掘り起こす事は出来ない。トレイドの能力もそれには適していない。
「なんだよ、期待外れだな」
「・・・仕方ない。これで撤収するか。皆が尽力してくれた事は俺から伝えておく」
望まぬ結果で終わった事に落胆の色は濃いが、諦めるしかないとトレイドは告げる。せめて、少しでも口利きする事が手伝ってくれた囚人達の礼儀だとして。
その去り際、誰かが苛立ちにその壁は蹴った。憂さ晴らし、期待させやがってと苛立ちのままにしたのだろう。それが大きく状況を変化させた。
「うおっ!?」
思わぬ感触、まるで吸い込まれるような感覚にその者は驚き叫ぶ。同時期に崩落する音が響き渡った。
「如何したッ!?」
全員が振り返る。その寸前、急激な明るさに眩み、目を抑えて怯んでしまう。また、唐突な土埃で咳き込んでしまう。次々と起こる状況変化に戸惑うばかり。トレイドはとっさに剣を構えて警戒した。
小さく崩れる音は治まっていき、土埃も減少、極端な明暗の差に眩んだ目も少しずつ慣れていき、皆は目の前を確認した。
高山の体内を突き抜け、その向こうであろう。外に繋がっていた。明るさに誘われるように外に出る。目の前に展開される景色に、皆は感動の念を見せない。それどころか、困惑を示していた。
乾いた音が吹く。それ自身がざらつきを帯びたように、肌を削るように弱々しく吹いていた。
殺伐とした光景、廃墟の群れが視界の奥まで展開されていた。遥か昔の栄華、その残骸とでも言うのか、石材で造られた建造物の群れ、形を辛うじて保つそれが横たわる。そのどれもが何かしらの原因で崩壊していた。戦争があったとでも言うのか。
最早、一つの文化が滅んだと認識しておかしくない。世紀末、人が居なくなった後の世界を見ているようで気分が悪くなろう。実際、見渡す景色に人はおろか、生物の気配は感じられず。
所狭しと転がる建造物の残骸は海のように構成される。其処は新たな地帯と言うにはあまりにも悲惨な場所と成り果てていた。辛うじて視界の奥は荒野と思しき点が見られるが、荒野とは呼び難い光景が広がっていた。
一抹の希望としてなのか、淀んだ空の下、荒れ果てた地面や廃墟に植物と思われる茶褐色の葉が見える。朽ちているのか、幾本かの裸の木が映り込んでいた。
荒涼とし、終わりのような光景を前に誰もが立ち尽くす。到底、遣り遂げたと言う達成感には至れない。
「・・・これで、看守長の言った通り、別の地帯があったって訳だ。噂に聞く不審人物は居なかっ・・・トレイド、如何した?」
一応成果は得られたと締めくくろうとしたレイザーが彼の不調に気付く。いや、不調と言うより、圧倒され、同時に込み上げる感情に動揺する姿であった。
トレイドだけが気付いていた。この荒野の最奥に何かが居ると。得体の知れない何かが潜んでいると。それは微かに感じた気配、時折感じた凄まじき圧、過度な感情で正気を失いそうなそれには覚えもあった。なら、導き出されるのは・・・
「っ!撤退だ!今すぐ戻るぞ!」
途端にトレイドは命令を下す。焦りを感じるそれに皆は困惑を示す。
「おいおい、如何したんだよ、トレイド。そんなに急がなくても・・・」
「四の五の言うな!何が潜んでいるか分からない!長居は無用だ!」
疑問や反論など許さない。不確定要素が多い為、不十分な装備では命取りと言わんばかりに下す。その胸、大方の予測を立てる彼だけが明確に恐れていた。
急激な態度の変化に囚人達は不満を抱くも、演技とも嘘とも思えぬ態度を見て、少しずつ言い様の無い不安に囚われ、素直に応じて道を引き返していく。
去り際、確信していた。この奥に居るのは、或いは居たとされるのは、あの日、カッシュを失った時に現れた謎の存在。度々現れ、人を狂わせては楽しんで立ち去っていく巨悪。また、此処に来るだろう。そう、直感だが、それでも確信を以ってその考えに至る。
だが、今は囚人達の安全が先と、ステインに報告する事が先と来た道を急ぎ戻っていった。
帰還する道中、遭遇した魔物はトレイドが早々に蹴散らした。その様は後に鬼気迫る勢いだったと語られるほど。
そうして無事に戻ってきたトレイドは一方的に解散を告げ、レイザーには一言助かったと言い残して看守長の下へと急いだ。その背を囚人達は不服そうに睨み、だが、一抹の不安を抱いて見送った。
囚人と別れたトレイドは他の看守の制止を振り切りながら新たな地帯の発見を伝え、同時にあの道を完全封鎖、若しくは誰も通れないほどに厳重にしろと言及する。その気迫に看守長も只ならぬ事態と受け止め、深く追求せずに了承していた。
同時期に外での調査を行っていた仲間と合流、報告を受けた。聳え立つ岩山は沼地地帯まで進展しており、雪山地帯にまで伸びているのではないかと推察。反対側も砂漠地帯に至ったと語られ、その山を越える事は困難でしかないと改めて言われ、確信はより強いものへと変わっていた。
二つの点は早急にステインに伝えるべきと判断、看守長にその旨を書き留めた報告書を届けるよう頼み、自分達はセントガルドに戻る事を決定していた。それはトレイドの半ば独断であり、その勢いは仲間を困惑させて異論を挟ませないほどに。
普段とは打って変った様子には少し訳があった。トレイドは終始、嫌な予感を、胸騒ぎを覚えていた。考え過ぎ、とも取れない決定的な気配を感じた為に。ならば、先手を打つべきと急き、今回の始末と言う訳である。
しかし、この日を境に事態は加速していく。いや、それよりも早くに始まっていたのかも知れない・・・
斜陽が世界を彩る。伸びゆく影は悲哀を感じさせ、赤に塗られる景色は哀愁を抱かせる。一日の終わりが、刻々と迎える一時を色合いだけで本当に変えてしまう。
その黄昏時の紅は斯くも儚げに映り、何よりも情熱的に燃え盛るようだ。それは今際の一瞬の灯火か、それとも尚も煌々と盛るかのような紅蓮の色か。それは見る者の心境に因って変わるに違いない。それでも哀しみ、だけは見えるだろう。
町の何処かでは、その悲しみを誘う光景に見惚れている誰かが佇む。人々の営みを包み込む建物群は例外無く紅に、輝きが町並みにまどろみを齎さんとする。その建物群を猛々しく眺める城が佇んでいた。
神々しさは黄昏に染められ、美麗な佇まいは一層の輝きを放つ。染められたとしても悠々と我色を保つ。纏う影は憂う感覚を抱かせず、寧ろ魅力的に映されていた。それらを囲むのは厚く、高く聳え立つ巨大な不落の巨壁。原材料の岩石の元の色が灰色であったに違いない。多くの傷を拵えたとしても佇み続けるそれも、赤く染められている。違う目線で見れば怖気立つとしても、夕陽の明かりと言うだけで鮮やかに見える。それは、薄れる陽の明かりをそのまま壁にしたかのように。
一瞬だけ悠久を思わせる僅かな一時。薄い紅の壁に影を落として佇む二つの生物が存在した。対面する二人の手には武器。鋭く赤い光を反射させ、特訓を目的とした武器が持たれない。だが、示す表情には殺伐とした気配が見えない。寧ろ、明るい、楽しみの色が如実に映されていた。
「んじゃあ、やるか。手加減は無しだぜ?トレイド」
愛用の鉄の塊、鉄板を彷彿とさせる大剣を悠々と担ぐ青年は昂揚感のままに挑発する。武装し、勇ましさを示す彼は闘志を滾らせて対する。
黄昏時に染まる褐色の肌はほぼ変わりなく、端正な顔立ちからの不敵な笑みは見ていて清々しく映る。多少、馬鹿っぽく見えるのは御愛嬌と言った所。
「・・・手加減はするに決まっているだろ。鍛錬、模擬戦で大怪我を負うのは阿呆のする事だ」
黒い短髪を流す頭を掻き、呆れた様子で愚痴を零す。溜息混じりに、しかし、試合を行える事が嬉しく、楽しいのか、僅かばかりに笑みを零す。
彼もまた同様に、純黒に染まった剣を、魔具と呼ばれる魔族の血を引く者しか扱えない武器を構えていく。
対峙する二人、トレイドとガリードは似たような好戦的な笑みを示す。互いに武装し、真剣を扱う。ともすれば事故に繋がりかねないが、それは互いに弁え、そうしない心構えも定めて。
黄昏に染められ、そして暗がりに落ちようとする小さな広場にて二人はゆっくりと身構える。静々と、余計な思考を省いて闘志だけを奮い立たせて武器を握り込む。眼は相手を見定め、鍛錬とは言えど真剣に望む。
そして、ガリードが気合を篭めた叫びと共に動き出す。
以前、天の導きと加護で交わした約束通り、模擬戦の準備を整えていた。その場所が重要だとガリードは語り、どうせならと彼が提案した場所へと向かった。
そうして彼は新旧の建物が入り混じり、騒がしい工業地区を渡って巨大な施設の前に立った。
少し前から視界に入り続けていた円形を模る巨大建造物。少し前の騒動に巻き込まれた其処は幾多の建物の中でも最上に感じる危うさを示す。中身が見え、廊下や部屋が見える事が哀れで成らない。
それでも頑強にも建ち聳え、訪れる者を勇むように見下ろす其処は戦意と血の気で満ち満ちる。外から見ても何故か身体が熱くなるほどに。
以前より修復が進み、まともな入り口も構えられ、其処に戦士風の男女が往来を繰り返す。反響を呼んでいる事は間違いなく、その波に紛れるように流れに沿う。
室内に踏み入り、まさに力や闘争心を示すように武器が所狭しと飾られる。突き刺した土台を斬り裂きかねないほどに練磨された剣から歴戦の傷を刻み込んだ物々しい斧まで様々に。
その間を縫うように雄々しさと力、王者の貫禄を造形にした像が規律良く並べられる。活き活きとしたそれは現存する魔物と遜色ない迫力を放って。
それらよりも際立って存在感を放つのは戦士達であろう。優劣の無い戦意を纏い、受付を済ませて舞台に臨む勇ましき戦士達。身は当然武装し、得意とする武器の手入れを欠かさない。誰もが日頃の研鑽が見え隠れする肉体を持つ。だが、その中でも目を見張るのが、此処を営む職員であろうか。
専ら試合に参加する者達の肉体は目を見張る。羞恥心も無く身体の大半を曝け出す者も居る。だが、その肉体は逞しく太く、けれど引き締められて惚れ惚れする筋肉を所有する。ともすればボディービルダーの如き隆々とした、あからさまな力技専門の女傑も存在する。並大抵の男性なら容易く撃破するであろうか。
中には明らかに戦士ではない者が混じる。そうした者は入り口から正面に続く、上方へ向かう階段を上る。トレイド達も同様にその場所を上がった。
最上に登れば、強烈な音に接触し、転倒しそうになる熱気に晒される。騒音、観衆の声は恰も嵐のように吹き荒れる。興奮の強熱は踏み入った者を奮い立たせよう。そして、その中央の舞台、今まさに観客を血肉を躍らせる激戦が巻き起こされる。武器を交える激音、血汗が飛び散り、互いの気迫が大波のように打ち付けていた。
そう、其処は赫灼の血。戦闘狂が集うギルドが営む闘技場である。この形になったのは最近だと言うのに大反響を呼んでいた。
「やっぱり、無理、そうだな」
「・・・そうだな」
打って付けの場所ではあったがこの様子では隅を使う事も出来ない。それ以上にこのまま居続けると強引に参加されかねないと退散、最初に考えていた場所に向かう事としていた。
途中、ガリードと戦ったターニャと遭遇し、リベンジに燃える彼女を振り切りながら赫灼の血を後にし、別の候補の場所へと向かった。
其処は今や曙光射す騎士団の支部となった、元人と人を繋ぐ架け橋の施設。此処の中央の広場がある程度の広さであり、活用頻度が増えたとしてもやはり人気が無い為、模擬戦を行う環境が整っていたのだ。
そして、この日も人気は然程であり、例の広場には誰も居なかった。ならばと、二人は少し身体を解し、剣を合わせ、現在に至る。
【2】
時間が経過し、数度の模擬戦が済まされていた。最後を飾る試合を行う最中であり、それも終わりを迎えようとしていた。
伸びてくる茜色の光を背にするガリード、やや眩しそうに眼を細めるトレイド。鋭い視線で互いの出方を伺い、少しずつ距離を詰める。本気でなくともそれなりに真剣に刃を交えた二人、互いに疲労の色は濃く。それでも集中は途切れず、それどころか高まって。
武器の動き、動向に注視する。慎重に間合いを詰める。拮抗する気迫、張り詰めた空気は肺を凍て付かせよう。膠着状態と言える状況、激しく打ち砕いたのはガリード、彼の先手であった。
頭髪、防具を羽織る衣服を激しく羽ばたかせて猛進するが如く距離を詰め、軸足で踏み込み、重心を整えると共に豪快に垂直に大剣を振り下ろした。突進力と腕力を乗せた兜割り。正にそれを実現し得る威力が篭っており、これで手加減していると言うだから痛ましいもの。
対してトレイドは冷静に応じる。あまりにも単純な一撃、どんなに早く、凄まじい威力を放ったとして、当てなければ意味を為さない。大剣の間合いを見極めながら剣で往なす。軌道を逸らしながら距離を詰め、空手を顎へと叩き込んだ。
「痛っ!」
強烈で俊敏な一撃を貰ったガリードはやや仰け反る。其処にもう一撃、追撃が為される。容赦を排除した横蹴り、寸前で彼は腕で防ぐものの蹴り飛ばされてしまう。
「今のは単純過ぎたぞ。強引で無謀な攻撃は止めろ。それに、万が一あれが当たっていたら如何する積もりだったんだ、お前」
一メートルほど離れた位置に転倒した彼に向けて指摘する。やや怒りを篭めて。
「ハハハッ!結構は早かったと思うけどな。それに、ちゃんと手加減はしてるぜ?止める積もりだったしよ」
「本当か?一瞬背筋が凍ったぞ」
「って事は俺の気迫がお前を勝って事だな!」
全てを都合良く解釈する彼に呆れを示し、深く強い溜息が吐き捨てられる。ともあれ、この一戦で本日の模擬戦は終えられた。
周囲の詳細が視認し辛いほどに暗くなったその広場で二人は身体を休める。程良く汗を流した充実感の中、多少息を切らしながら互いの課題点を指摘し合う。
ガリードは一手に全てを掛け過ぎる癖が出来つつあるので、全力を篭めるのではなく、全ての攻撃に繋げられるように程良く力を制御して次なる手を考え続ける事を告げた。対してトレイドは結晶を呼び出せる強みがあり、力や俊敏さも申し分ないものの、相手の出方を見てからの行動が多く、予想を上回る展開になるとヤバいのじゃないかと告げられていた。
互いにその事を肝に銘じ、この後予定が無い為か少々の雑談を交わしていた。その最中にガリードは思い出す。
「そう言やよ、お前ってクルーエさんと一緒に来たよな?」
「そうだな」
「お前はステインさんに呼ばれたって言ってたけど、クルーエさんも呼ばれたのか?」
「いや、そうじゃないな」
前の話とは繋がらない彼女の話題に疑問を抱きながらも淡々を答える。その間にガリードの表情が厭らしく変化していくのは気の所為でなく。
「じゃあ、何か?お前が着いてきてくれって言ったのか?」
「違うな。ただ・・・心配だからと、言って、一緒に来る事になった」
「愛されてんねぇ」
言われた事実を告げると面白おかしく笑われた。その愉悦を感じるそれに顔を顰められる。
「まぁ、お前は身体を張りたがるからな。だから心配になんのは分かるな」
彼女の心配、その他の感情も理解出来ると他意を含んだ笑みを消さない。
「それで、お前はクルーエさんの事は如何思ってんだ?」
「如何って、何が言いたいんだ?」
彼の意図が読めないと益々顔を顰めて聞き返す。その朴念仁な様子に友人は信じられないと顔を引き攣らせた。
「それ本気で言ってんのか?あるだろ、色々!可愛いとか、好みとか嫁にしてぇとか、異性に対する感情だよ!お前、あんだけクルーエさんの事を気に掛けてて、何もねぇってのは言わせねぇからな!?」
無頓着に感じる態度に腹を立てて追及する。その魂胆は言うまでも無い。対して、トレイドはいまいち理解出来ないと言った様子でやや俯く。
「良く、分からないな・・・」
「本気か?誰から見ても何かあんのか?って思うぐらいだぞ?」
理解出来ないとする友人の台詞に深く悩み込む。確かに気に掛けている事は把握している。だが、それは命を救ってくれた恩人として、恩を感じるからするのであって他意はない積もりなのだ。
「・・・お前、初恋とか、あの子好みだなぁとか、感じた事あるだろ?」
色恋沙汰に踏み込もうとした友人が深刻そうな表情で問い掛ける。嘯いている訳ではないと、少々事情を知っている為に少し察しながら。
「そんな経験は・・・ない。そんな余裕が無かったからな・・・」
悲しい双眸で過去を振り返る。悲しみの連続で楽しかった記憶すら塗り潰されるような幼年期、少年期、青年期の途中までの記憶を。その様子にやっぱりかと言う様子となり、失敗したとガリードは頭を掻く。
辛い過去を思い出させた事で空気は沈んでしまう。すっかり戦いの昂揚感も消え、少し身体が冷える思いとなってしまった。それでもガリードは挫けない。
「だとしても、だ。クルーエさんに対しては思う事はあるんじゃないのか?・・・俺なりに考えても、多少はあるって思ってんだよ」
それは彼自身が気付かない何かを気付かせる為に。延いては彼女の為にも。
「・・・そう、だな。何時もはそうじゃないんだが・・・時々、守りたく、は、なるな・・・」
真剣に向き合い、導き出された言葉は自信無げで疑問を残す台詞。それでもガリードはその気持ちを引き出せたと満足気に笑む。
「それが分かりゃあ良い。そんでもって・・・」
「そろそろ、話を、会話を、相談を遮らせてもらう」
決定付ける何かを言い掛けた時、誰かに遮られてしまう。その声に二人は振り返ると、長らくセントガルドを離れていたステインが立っていた。その姿は沢山の武器と防具で固めており、戦闘の跡を少々残す。
「ステイン、戻って来たのか。呼んでおきながら随分と待たせたな」
迎える際の台詞は少々揶揄い気味であり、根には持っていない事を少し崩した表情が示す。それにステインは申し訳なさそうに首を振る。
「すまない。正直、こんなにも早く来るとは思っていなかった。その間、集めていた情報の裏付けをする為に出て行ったんだ。結局、詰まる所、迚もかくても、徒労に終わったがな」
挙句に余計な戦闘を経たのだろう。溜息を零す顔に疲弊感と少々の苛立ちが覗いて。
「さて、ガリードが居る事は想定外だが・・・」
前置きを告げるのは謎の存在に関してである事は間違いない。一瞬にして気を、場の空気を引き締めさせた事が物語る。
「大丈夫だ。それは俺からも話している。遅かれ、早かれ知る事だと思ってな」
「・・・確定情報じゃないから、あまり言い触らさないで欲しいがな」
話してしまっては仕方ないと彼に目を向ける。
「・・・こうなったら連座、巻き添え、連帯責任だ。他のギルドに移ったとは言え、聞いてもらう」
「分かったっスよ。やべぇ奴を放置なんか出来ねぇっスからね。放っといたら、ガキ共に被害が行っちまうかも知れねぇっスから」
彼も生半可な気持ちで踏み込まないと告げる。その意思の固さと強さを図ったステインは淡々と語り出す。
「そもそも、トレイドを一度セントガルドに呼び戻したのは謎の存在と思しき不審者、そしてカッシュの目撃証言が増え始めたからだ」
世界を脅かすとされる存在に加え、久々のカッシュと言う名前に二人は気を張り詰めた。
「主に後者、カッシュと思われる誰かが高山地帯付近に出没すると。また、高山を越えていくように浮き、消えたとの、俄かに信じられない情報も数点寄せられた」
「高山地帯・・・つまり、犯罪者を収容している場所付近になるのか?」
「ああ。実際、情報源は看守長からだ。囚人達から寄せられていたようだ。そして、此処に戻ってきた時にある事件が起きたとも知らされた」
「事件だと?」
その言葉を聞いて少し血の気が引いていた。それは過敏な反応だったかも知れない。だが、幾多の事件、特にローレルの事件はまだ記憶に新しく。
「高山地帯周辺を調べさせようとした時、炭鉱場の奥で再び何かの空洞に差し掛かったのだろう、道が繋がったとの事。その直後、魔物が氾濫したように押し寄せて来たそうだ」
説明に以前同じ場所に居て、同じような現象に見舞われた事を思い出してトレイドは益々に血の気を引かせた。
「それで、それは如何なったんだ?まさか、今もそのままなのか?」
「いや、何とか対応して押さえ込んだものの、被害は甚大だそうだ。囚人、看守問わず死傷者が多数発生、壊滅寸前と言っても過言ではないと」
思い出すのはローレル、そして前の魔族の村の一件。過ぎれば怒りが身体を熱くする。
「・・・それで、俺に高山地帯、刑務所へと言ってくれと?」
「そう、如何にも、その通りだ。数人が同行するが高山地帯の外に当たらせ、トレイドには看守達と連携して内部を探って欲しい・・・予想が当たっていれば、その先に新たな地帯がある」
「其処に、奴等が潜んでいる可能性がある、か」
「もし、発見した場合、調査はせずに帰還するんだ。その際、看守、看守長に続く道を塞ぐように厳命するように。許可を得た者以外は通さないようにもな。既にトレイドが行く事も連絡している、問題なく通るだろう」
「そうか・・・何時出発になる?」
「明日、此処の前に馬車を手配している。調査に参加する者も同じように連絡している」
「分かった」
話は急に運ばれるのだが、そもそも何かしらの重役を任されると赴いたのだ。文句はなく、即座に了承していた。
「ステインさん、俺も手伝える事はねぇスか?」
今の話に指を咥えていられないと申し出る。だが、ステインは首を横に振った。
「いや、ガリードは子供達の面倒を見るのが大事、重要、肝要だ。これは曙光射す騎士団で済ませる案件、他のギルドに協力を仰ぐほどでもない」
「その通りだ。お前は長時間離れたくないだろ?此処は俺達に任せていろ」
そう納得、諦めさせるように促し、肩を叩きながら立ち去る。明日の為の準備に早急に掛かる為に。
その背中に諦め切れずに詰め寄る友の声が響くも、諦めるしかないと弁えたのだろう、声は治まっていた
【3】
青々とした葉が繁り、幹は芯を曲げずただ真っ直ぐに伸び、大地に張った根は自身の支えと栄養供給を行う。成長の証か、陽の明かりを遮る程に、枝葉色濃く戦ぐ。そんな力溢れる木々が幾万にも土着し、根元を多種多様の草花がそれに負けじと茂る。
隆々とした生命の躍動を感じる森林地帯。幾多の植物で構成されたその地を這う人為的に作られた地肌の道。其処をレイホースとそれが牽引する馬車が通る。その行く先は景色を変えていく。
分かれ道を標識に沿って進んだ末、景色が寂れを見せて始めた。しとしとと愁傷を煽る悲愴な場所ではなく、深々と身も心も凍て付かせながらも美しい白で彩られた場所でもなく。また違った環境である。
緑、植物が減少していく。同時に灰色の比率が大きくなる。近付くに連れて見えていたそれが岩肌であると認識する。同時に到底視界に入らない巨大さを有し、勝ち誇って席捲するように其処に存在していた。
天を貫くほどに高く聳え立つ、剣山の如く尖り狂う岩壁の鉱山。来訪者を拒み、登ろうものなら容赦ない制裁を与えるだろう。
その一方で内部に侵入するなら驚くほど容易いもの。何せ、人が簡単に踏み入れる穴が発生しており、その内部は炭鉱として知られ、同時に罪人が集められる刑務所としての機能が付与されていた。
そう、其処は高山地帯。此処での目撃証言と発生した事件の調査、及び地帯調査の任を受けてトレイド等数人が足を運んでいた。
暗く沈んだ炭鉱窟の穴、それを塞ぐ厳重な関所と看守達が活用する詰所の中間に馬車は停車する。それと同時に乗車していた者は外へ出て行く。
「予定通り、高山地帯周辺の探索を頼む。決して無理をするな。知らない魔物、不審人物と遭遇し、戦力差を感じた時は撤退に徹してくれ」
トレイドの命令を受けて皆は返事を行った後、足並みを揃えて出発する。乗車中に役割を分担しており、彼等は先述の通り、目撃証言を基にした調査を。トレイドは事件の調査の為に、先ずは詰所に赴こうとした。その矢先、彼の目が詰所から出てくる数人を捉えた。
大柄、巨漢である事は遠目で分かる。左右に部下と思しき者を連れ、同じ青の制服を着込んでいようと纏い放つ貫禄と威圧感は凄まじく感じ取れる。階級を示すであろう胸章を幾つも付け、更なる迫力を見せる。重責を背負っていながら物ともしない姿から看守長である事は誰でも理解しよう。
「看守長、連絡を受けて調査と先の事態の応援に来た。既に調査に関しては送付した通り、内部の調査は俺が請け負う」
威圧感に動じずに事情を告げると彼は感心するような仕草を行う。
「了解した。追って部下も向かわせる。内部の調査に関しては向かいながらしよう」
態度こそ以前見た時と変わらないが、流石に面倒が過ぎたのだろう、少しだけ疲労が感じられる。それでも圧倒的な存在感に揺らぎはなく。
促されて関所に向かえば、強面と顰めっ面の門番と視線が合う。二人は共に来た者が看守長と知ればすぐさま開門させていた。その動きを労い、共に暗い空間へ踏み込む。
前回同様の道ではなく、壁には等間隔で篝が設置、朱い灯火が揺らめく。奥の後まで連続して存在し、薪が炎に焼かれて水分が弾ける音が強く響く。それに混じるのは幾多の足音。
「概要は聞かされているだろうが、新たな空洞を掘り当てた事が原因で犠牲者が多発した。今は其処に続く道を封鎖し、看守数人の下で警戒させている」
「魔物の詳細は?」
「以前襲撃に遭った魔物と同一個体ですね。徒党を為し、一気に押し寄せてきました」
「少し前にセントガルドで地震が発生した。ここでも地震や普段と異なる現象は起きていないのか?」
「そのような事態は起きておらず、先述の事以外は普段通りでした」
看守達と情報を交換しながら奥にぼんやりと浮かぶような光に向けて歩く。情報を整理するトレイドの面は険しく、気を引き締めていく。
以前と同じ魔物、アラ・バボル。人と同じ形状、小人のような体格ながら皮膚剥き出しの気持ち悪い外見。加えて、鉤爪で壁や天井を這い、長い舌を傷口に捩じり込んで血を啜る怖気立つ存在。当時の事を思い出せば表情は険しくなろう。
また、世界の改変が起きていないと推察しても、絶えず変化し続ける世界。最早、その常識すらも古くなった可能性すらある。何事も気を抜けないと光を目指す。
間も無く光が差し込む場所に辿り着く。狭き通路とは打って変わり、かなり広き空間に迎えられる。天井に穴が開き、其処から光が差し込んでいる為、昼間であれば空間は十分に照らし出されていた。
掘削道具が整理整頓して置かれ、採掘した土砂の選別する場所、それらを武器を所持した看守が目を光らせる。以前も目の当たりにした光景であり、炭鉱の雰囲気が漂う。
「来て早々だが、調査に赴いてもらう。それに当たって、数人を付ける」
「数人?その二人か?」
「看守は出さん。ただでさえ人が少なくなった今、人員を割く事は出来ん。よって、同行させるのは囚人だ」
「囚人?・・・良いのか?」
その単語を聞いた時、彼の顔から怒りが覗く。幾分か歩み寄り、記憶に刻まれた憎悪する対象とは違うと分別を付けたとしても、如何しても憎しみが覗き、顔に出てしまう。
「構わない。今回の当たって、同行させるのは比較的改善の見込まれる者達、所謂模範囚だ」
「模範囚・・・」
下された罪、刑に素直に従い、更生の見込みがあると見做された者達だと認識する彼の面は依然として険しい。罪は罪と言わんばかりに。それでも、否定するだけでは駄目だと溜息を吐き捨てて気持ちを落ち着かせる。
何時の間にかもう一人の部下は姿を消しており、呼びに行っていると見て間違いないだろう。
件の者達が戻ってくるまでの間は空白、退屈な時間と成り下がる。それでも仕方ないと周囲を見渡していた。その彼に、倍を思わせる体格の看守長が近付く。
「もし、反乱や逃亡、あまつさえ傷付けて来た時には、容赦なく・・・その命、切り捨てても構わない」
その言葉は忠告か、試しているのか。それとも言葉通りの、処刑人として働いてもらうと言う意味なのか。冷たく言い放った言葉に睨み返す。看守長は特別な反応を示さず、
「後は頼むぞ」
そう言い残してきた道を引き返していく。その背を、意図を見極めるように睨む。暗闇に消えるまで静かに。
「・・・新たに繋がった先の調査は行っているのか?」
「いえ、事態を一時的に収束させるだけでも精一杯で。その後も、看守長が仰ったように人手が少なくなったので調査に出る余裕もありませんでした」
「そうか・・・」
看守の説明通りであろう。見渡せばその時の者であろう赤い染みが僅かに見え、手当の跡を、包帯姿の者が看守どころか囚人にも存在する。何処か怯えと憤りが感じられて。
「お待たせしました。今回同行して貰う囚人です」
先の部下が囚人を引き連れて戻ってくる。片手に余る数の囚人は多少負傷しているのだが元気、力が有り余っている印象を受けた。その中には、
「おお!トレイドじゃねぇか!久し振りだな!お前が来たんなら安心だな!」
実に友好的な笑顔を見せて挨拶をしてきたのはレイザー。土で汚れた格好で今さっきまで掘削作業を行っていた事を示す。その痛み、疲れを感じさせない明るい笑みであった。
「レイザー!お前か!」
知人に出会ってトレイドの表情に明るみが差す。その知人が模範囚として評価されている事も喜びとなって。
「おい、無駄話は止めろ!」
「良いじゃねぇか、多少は」
やや反抗的な態度を示す彼。多少の軽口は判定外なのか、全くと呆れた様子を示しても強行には及ばずに。
「それじゃあ、俺が例の場所に連れて行くから。こいつも多少は勝手知ったる場所だしよ」
「何を勝手な事を言っているんだ!」
知人と再会して気を良くしたレイザーが進行させようとし、そんな権限は与えられないとしたのか看守が怒鳴り付けた。それをトレイドが制する。
「大丈夫だ。このまま現場に向かわせてもらう。仕事に戻ってくれ。その気になれば俺が制する」
「・・・宜しく、頼みます」
不服だが任せられた人間だからと仕方ないと言った様子で任せ、部下二人は暗い道を引き返していった。
看守が消え、改めてトレイドは任された囚人達と顔を合わせる。年齢は別々だが誰もが根性があり、クセの強そうに見えた。加えて、先の遣り取りを前にしての事だろう、怒りを示して。
「俺はトレイドだ、今日は宜しく頼む。先のは気にするな、看守を納得させる方便だ」
とは言っても納得は出来ないだろう、囚人達の気分は変わらず。
「こんな所で突っ立ってても意味ないし、早速行くか」
場の空気が悪くなる前にレイザーが催促する。それに従って皆は炭鉱窟の奥へと目指す。途中、話が伝わっている別の看守から松明や護身程度の短刀を受け取りながら。
【4】
「しかしよ、あの時、看守共の多くが魔物にビビッてやがってよ、もう頼りにならねぇの!普段威張り散らしてやがんのに、そんでもって二回目だって言うのに、もうガタガタ!」
当時の事を、看守達の失態を笑いながら説明するレイザー。苦しき状況であったのは間違いないのだが、済んだ今だからこそ笑って言い除けて。
「笑って言ってるけど、俺達も結構ヤバかったぞ?」
「だな。俺達の中にも足を引っ張る奴も居たし、どっちもどっちじゃねぇのか?」
「いやいや、大半を引き受けたのは俺達だろうが!それに、看守長に引き摺られて来るまで碌に応援に来なかった連中だぞ?腑抜けばっかりだろ!」
「それもそうだな!」
目的地に向かう道すがら、看守達の不満を語り、嘲るレイザー達。直ぐ近くに看守が居ると言うのに構わず。当然、睨まれるのだが一切気に留めない。
「そう言えば、お前も大変だな。折角、此処から脱出出来たって言うのに戻ってくるなんてよ」
出戻りだなと言うように笑いながらそれに触れる。それはトレイド自身も思い、戻って来たくなかった場所でもあった為、険しき表情が少しだけ緩む。
「まぁ、仕事だからな。そうでなかったら来ないな」
「でも、お陰でまた出会えたんだ。悪い事ばかりじゃないな!」
辛辣な言葉を彼は楽観的に捉えて語る。彼の振る舞いがまるで緩和剤のように役立ち、場の空気はそれほど損ねる事はなく。
しかしながら、久方振りの再開であり、それほど親交が無かったと言うのに、レイザーは長年の友人のような親睦さと気安さを示す。その態度だからこそ、トレイドは随分とやり易さを感じていた。
雑談を行いながら人が数人通れる、言わば本線を進み行くと途端に地質が変化した道に差し掛かる。構わず行けば、以前の騒動の場所に到着し、知る者は少し表情険しくさせていた。
其処は既に調査は済まされており、幾多の篝火で照らし出されていた。最初の広場以上の広さがあり、天井には気の遠くなるような年月を感じさせる鍾乳石がずらりと並ぶ。氷柱の如きそれから水滴が滴り落ちて音を鳴らす。壁も鍾乳石で覆われており、この一角は鍾乳洞となっていた。
没入してしまうような景観だが、残念ながら此処には不要のもの。薄らと水が満たされようと木材か石材で足場を作ってしまえば腰を下ろせる空間となり、上手く水を流すように足場を加工され、単なる広場として活用されていた。
そして、其処から更に炭鉱の小道が続き、何の糧にもならないと知らしめるように炭鉱の音が忙しなく、幾多に響き渡っていた。
その広場を横断し、また一つの道を目指す。人二人分が通れるほどに拡張された道、此処も同様に篝火が設置され、等間隔で補強が為される。踏み込んで間も無くして地質は更に変わった事を理解する。先以上に硬質そうであると、黒ずみ、微かに煌く断面から想像する。微かに鉄の臭いを感じるのは気の所為ではないだろう。
「・・・此処か」
この道も数ヶ所で枝分かれを起こしていた。その寄り道をせず、真っ直ぐに突き進んでいくと件の封鎖箇所に到着を果たす。それは一目見て理解出来た。
少しずつ広がっていく道の先、巨大な蓋のような鉄板が道を塞いでいた。正しくは壁であり、扉が設けられる。それも巨大且つ鉄製の閂で頑丈に封鎖される。それは急遽作ったに違いない。だとしても、まるで金庫を彷彿させるような頑強さを感じられた。その上、武装した看守が二人、国境の関門の如き雰囲気で立つ。
「誰だ!囚人を連れて・・・何の要件で来た?」
想定外の者が来たと二人は警戒し、武器を向ける。それを受けてもトレイドは淡々と答えた。
「曙光射す騎士団のトレイドだ。リア、ステインからこの先の調査を任されて来た。看守長からも許可は得ている」
「!そうでしたか、どうぞ」
身分を明かすと二人は直ちに閂を外し、扉を開いていく。抜かりなく指示は送られていたようでその作業は実に素早く、重々しい音を立てて扉を開いていく。其処から先は暗く沈むばかり。
「・・・此処から先は十分気を引き締めてくれ。些細な事でも良いから報告を頼む。もし、魔物が出てきた場合、俺が片付ける」
返答は薄い。誰でも一方的に指示される事は好かないだろう。ましてや自分よりも歳が下の者、尚更だろう。数人は頷くなりの反応を示しても、ほんの気休め程度のもの。不快感を抱く視線を浴びながら、トレイドはレイザーに目線にて頼み、道案内を受けながら歩き出していく。
事前に準備してくれた松明を片手に、一行は坑道内を進む。その火がトレイドの顔を照らす。終始、少々居心地は悪い為か、険しく強張っていた。
篝火が置かれず、大した掘削も行われていない為、自然のままに道は曲がりくねる。当然、暗い為に松明等の光源は必須となる。囚人達はそれを手に周囲を注視する。その中でトレイドはウェストバッグから光る石を取り出した。瞬間、周囲は仄かな光に照らし出された。
「おっ!それ、持ってたんだな。どうだ?使えるか?」
「ああ、偶に役に立ってくれている」
「偶にかよ。まぁ、今役立ってんなら十分だな」
嘗て預けた物を活用している事に喜ぶレイザー。その明るい空気で先へと進まれる。
「今は一本道だが、これから先はどうなっているんだ?」
「詳しくは知らないな、少し行ったら膨れる程度しかな」
詳細を問い掛けたのだがその場に居る者全てが知らないと語る。ならば全て手さぐりになるなと諦めを示した時であった。
水か微かに流れる其処に水音と小さな這う音が響いた。それは小さく気付けないのは仕方ない。会話する最中でも警戒心を解かなかったトレイドだけが気付いていた。その方向も粗方の検討を付けて。
「止まれ」
そう冷静に指示する。唐突のそれに囚人達は文句を零す。それを耳に入れないまま音のした方向へ睨み、微かに蠢く何かを捉えた。
「伏せろっ!」
声を上げて警告する。敵と対する威圧感と急いだ為に聞いた者に少しなりとも影響を与えよう。それでも囚人達は緊急事態と察し、即座にしゃがみ込んでいた。
直後に響いた金属音、耳の奥に刻み込まれるような音の直後に彼等の頭上に居る何かが襲来していく。その身体を、幾多の黒い結晶が穿ち抜いた。その痛みたるや、縫い止められた身体を強引に動かして解放せんとして倍増するばかりに。
「もう大丈夫だ」
やがて襲い掛かって来た数体は魔物であり、その場から離れるように促された囚人達は応じて少し間を開け、それから振り返る。ほぼ同時期に結晶が砕ける音が響き、彼等の前に数体の何かが落下した。
独特の長い舌を覗かせ、明暗によって照らし出される崩れた不気味な顔。憐れも感じるそれだが、戦闘能力は確かであり、だからこそ惨たらしい攻撃に傾倒するものなのか。
天井から襲い掛かろうとしたそれはアラ・バボル。暗殺者の如く忍び寄り、皆を食料にせんとした事であろう。今や、確実に貫かれ、致命傷を受けた小柄な身体は冷めていく。
正体を知り、襲われそうだった現実を思い知り、驚いた顔でトレイドの顔を見る。感心し、多少は思い直すように。
「・・・先に行くぞ」
まるで些事、何事も無かったかのように促して先を目指す。その背にレイザーが続き、呆気に囚われた囚人達も一呼吸を置いて続く。その顔に少しの変化があって。
容易く彼を信頼した訳でも、共闘出来るとも考えていないだろう。それでも要請されるだけの実力がある事を理解し、少しずつだが信頼を置き始めていた。
暗く狭い空間を、水が微かに流れる道を進む。多少の変化はあろうと気に留めず、囚人達と多少話しながら進み続けていった。
【5】
囚人を連れたトレイドは黙々と繋がった空間の調査していく。この事態となった原因を探るのは難しく、素人ながらに結論付けるしかない。また、次の被害を抑える為にもアラ・バボルが棲息する、巣のような場所が無いかの調査も念頭に入れて行う。
自然で出来たその空間、先の鍾乳洞のように、嘗ての水の流れで生じたものなのだろう。規則性は感じられず、幾多に枝分かれを起こしていた。仕方なくその全てを探すのだがやや狭い上、行き止まりになっている者が多く、やや広い空間に繋がっていても何も無い事が多かった。
途中、数度に渡って魔物の襲撃に遭う。そのどれもがアラ・バボルであり、音を殺して奇襲を仕掛ける事しかしてこなかった。そのどれもを寸でで仕留める形となった。小柄を活かす、或いは擬態しての事だろう、そのどれもが全員の後方から現れると言うもので、人が通る事が出来ない小さな穴が点在している為、其処から現れていると推察された。アラ・バボル自体壁を掘る習性は無い為、自然に出来た物を利用しての事だろう。
時間だけが虚しく過ぎる。結局、アラ・バボルの巣のような場所の発見出来なかった為、事前の対処には至れず。最後に残された、やや広き空間を突き進んでいた。
その頃になれば雑談など無く、多少の休憩を挟んだとしても疲労と警戒による集中の疲弊が面に現れ出す。トレイドは一層気を張りながら暗い狭所の警戒を深める。その折り、変化が訪れた。
「あれは・・・」
囚人の一人が気付き、それに続くように全員も気付く。進む先の最奥に微かだが光を視認したのだ。天井から漏れ出るそれか、そうでなくとも漸く見付けた変化。自然と向かう足も速くなって。
行き着いた先、壁には亀裂が刻み込まれ、とある一点は深く、其処から光が侵入していたのだ。加え、外と繋がっているのだろう、微かに風を感じる。松明を翳し、火が揺れた為、それは確実。だが、全員は落胆した。
確かな変化だが、その向こうを確認する事は出来ない。鶴嘴のような道具は無く、素手ではこの硬質な岩盤を掘り起こす事は出来ない。トレイドの能力もそれには適していない。
「なんだよ、期待外れだな」
「・・・仕方ない。これで撤収するか。皆が尽力してくれた事は俺から伝えておく」
望まぬ結果で終わった事に落胆の色は濃いが、諦めるしかないとトレイドは告げる。せめて、少しでも口利きする事が手伝ってくれた囚人達の礼儀だとして。
その去り際、誰かが苛立ちにその壁は蹴った。憂さ晴らし、期待させやがってと苛立ちのままにしたのだろう。それが大きく状況を変化させた。
「うおっ!?」
思わぬ感触、まるで吸い込まれるような感覚にその者は驚き叫ぶ。同時期に崩落する音が響き渡った。
「如何したッ!?」
全員が振り返る。その寸前、急激な明るさに眩み、目を抑えて怯んでしまう。また、唐突な土埃で咳き込んでしまう。次々と起こる状況変化に戸惑うばかり。トレイドはとっさに剣を構えて警戒した。
小さく崩れる音は治まっていき、土埃も減少、極端な明暗の差に眩んだ目も少しずつ慣れていき、皆は目の前を確認した。
高山の体内を突き抜け、その向こうであろう。外に繋がっていた。明るさに誘われるように外に出る。目の前に展開される景色に、皆は感動の念を見せない。それどころか、困惑を示していた。
乾いた音が吹く。それ自身がざらつきを帯びたように、肌を削るように弱々しく吹いていた。
殺伐とした光景、廃墟の群れが視界の奥まで展開されていた。遥か昔の栄華、その残骸とでも言うのか、石材で造られた建造物の群れ、形を辛うじて保つそれが横たわる。そのどれもが何かしらの原因で崩壊していた。戦争があったとでも言うのか。
最早、一つの文化が滅んだと認識しておかしくない。世紀末、人が居なくなった後の世界を見ているようで気分が悪くなろう。実際、見渡す景色に人はおろか、生物の気配は感じられず。
所狭しと転がる建造物の残骸は海のように構成される。其処は新たな地帯と言うにはあまりにも悲惨な場所と成り果てていた。辛うじて視界の奥は荒野と思しき点が見られるが、荒野とは呼び難い光景が広がっていた。
一抹の希望としてなのか、淀んだ空の下、荒れ果てた地面や廃墟に植物と思われる茶褐色の葉が見える。朽ちているのか、幾本かの裸の木が映り込んでいた。
荒涼とし、終わりのような光景を前に誰もが立ち尽くす。到底、遣り遂げたと言う達成感には至れない。
「・・・これで、看守長の言った通り、別の地帯があったって訳だ。噂に聞く不審人物は居なかっ・・・トレイド、如何した?」
一応成果は得られたと締めくくろうとしたレイザーが彼の不調に気付く。いや、不調と言うより、圧倒され、同時に込み上げる感情に動揺する姿であった。
トレイドだけが気付いていた。この荒野の最奥に何かが居ると。得体の知れない何かが潜んでいると。それは微かに感じた気配、時折感じた凄まじき圧、過度な感情で正気を失いそうなそれには覚えもあった。なら、導き出されるのは・・・
「っ!撤退だ!今すぐ戻るぞ!」
途端にトレイドは命令を下す。焦りを感じるそれに皆は困惑を示す。
「おいおい、如何したんだよ、トレイド。そんなに急がなくても・・・」
「四の五の言うな!何が潜んでいるか分からない!長居は無用だ!」
疑問や反論など許さない。不確定要素が多い為、不十分な装備では命取りと言わんばかりに下す。その胸、大方の予測を立てる彼だけが明確に恐れていた。
急激な態度の変化に囚人達は不満を抱くも、演技とも嘘とも思えぬ態度を見て、少しずつ言い様の無い不安に囚われ、素直に応じて道を引き返していく。
去り際、確信していた。この奥に居るのは、或いは居たとされるのは、あの日、カッシュを失った時に現れた謎の存在。度々現れ、人を狂わせては楽しんで立ち去っていく巨悪。また、此処に来るだろう。そう、直感だが、それでも確信を以ってその考えに至る。
だが、今は囚人達の安全が先と、ステインに報告する事が先と来た道を急ぎ戻っていった。
帰還する道中、遭遇した魔物はトレイドが早々に蹴散らした。その様は後に鬼気迫る勢いだったと語られるほど。
そうして無事に戻ってきたトレイドは一方的に解散を告げ、レイザーには一言助かったと言い残して看守長の下へと急いだ。その背を囚人達は不服そうに睨み、だが、一抹の不安を抱いて見送った。
囚人と別れたトレイドは他の看守の制止を振り切りながら新たな地帯の発見を伝え、同時にあの道を完全封鎖、若しくは誰も通れないほどに厳重にしろと言及する。その気迫に看守長も只ならぬ事態と受け止め、深く追求せずに了承していた。
同時期に外での調査を行っていた仲間と合流、報告を受けた。聳え立つ岩山は沼地地帯まで進展しており、雪山地帯にまで伸びているのではないかと推察。反対側も砂漠地帯に至ったと語られ、その山を越える事は困難でしかないと改めて言われ、確信はより強いものへと変わっていた。
二つの点は早急にステインに伝えるべきと判断、看守長にその旨を書き留めた報告書を届けるよう頼み、自分達はセントガルドに戻る事を決定していた。それはトレイドの半ば独断であり、その勢いは仲間を困惑させて異論を挟ませないほどに。
普段とは打って変った様子には少し訳があった。トレイドは終始、嫌な予感を、胸騒ぎを覚えていた。考え過ぎ、とも取れない決定的な気配を感じた為に。ならば、先手を打つべきと急き、今回の始末と言う訳である。
しかし、この日を境に事態は加速していく。いや、それよりも早くに始まっていたのかも知れない・・・
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