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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

それは人として、当たり前の感情か 前編

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【1】

 雪山地帯の新たな村、リュミエールを出発した二人は数時間を掛けて沼地地帯に到着していた。クルーエの魔魔術ヴァーテアスの利便さと魔物モンスターとの戦闘が無かった為に順調に進められ、その結果である。
 寒冷と雪が織り成す美しさから遠ざかり、温もりさえ感じる細雨に晒されながら安堵の息を漏らす。けれど、少し付着した雪の冷たさが薄れゆくのを惜しくも思って。
「さて・・・一先ずローレルに向かおう。其処で小休憩だ」
「ローレル、ですか」
「ああ、そうだ」
 指示されたクルーエは表情に影を落としながら反応する。その理由を知るトレイドも重く肯定し、其処に向けて再び歩き出す。
 およそ一ヶ月前、其処は惨劇に見舞われた。ほぼ全滅と言う厳酷な結末に至った。その始末、犠牲者の弔いも済まされ、そして復旧作業が行われた。人は時に、過酷な現実に立ち向かえる強さを持つとも、自分達とは直接的な関係が無ければ目を瞑れる図太さを持っているとも言えるのかも知れない。
 そのローレルは沼地地帯の唯一の拠点であり、だからこそある程度の施設が整えられる。被害は深いと言えど他の場所を一から立て直すよりも、断然復旧がした方が早く、放棄する手はないだろう。同時に妥協の意味合いもあったかも知れない。
 定期的なギルドへの相互連絡にこのローレルの近況報告も同封されていた為、二人はあの後を知る。故に、特にトレイドはその惨劇を目の当たりにしている分、向かう足取りは遅かった。
 けれど、背に腹は代えられないと向かう彼等は、いやトレイドは偶然に気付いた。それは遠く、けれど雨音に消えない物音だった為に。
「クルーエ、あの方向、何か見えるか?」
「あの、方向ですか?」
 雨で少し煙る景色を指差しながら問う。受けた彼女はそれを負って遠くを見る。朽ち木や蒸した岩と言ったあまりにも寂れ、物悲しい景色の向こう、それは確かにあった。互いに認識し合い、相違が無いと分かった時、意思は定まった。
「クルーエ、走るぞ!」
「はい!」
 同時に二人は走り出していた。認識したそれは魔物モンスターである事は確か。そして、微かにだが人の姿も見えたのだ。襲われているのか、戦闘中なのか。どちらにしても加勢するべきだと、泥濘が広がる地面を蹴り出した。

 小雨の中、静けさを破るかのように騒音が響く。相反する集団が死線を描く。互いの頭数に差があり、比べて小柄の集団が不利に見えようか。
 一方の集団は魔物モンスターの群れ。そこそこの脅威と知られる存在であり、ベーデゴドと呼称される。
 シャコエビの一種、モンハナシャコのような造形をしたそれはこの沼地地帯に潜める暗い灰色一色と地味目の外見を為す。
 甲殻で身を固め、大抵の武器なら弾いてしまう硬度を持つ。その身の大半を占める尾、それもまた甲殻で覆われ、両側に棘が備わり、下手な武器なら砕いてしまうか。それすらも霞ませる特徴が二つ。
 全方位を見渡すように発達したのだろう、その眼球は球体であり、飛び出したそれはぎょろぎょろと忙しなく動く。そして、両前足であろう。巨大で岩を持っていると見ても相違ないそれは瞬発力と硬度で、岩ほどなら容易に砕く威力を放てられる。
 けれど、その戦闘能力は然程高くない様、数と体格の大きさで圧倒しながらも、戦いは拮抗していた。
 魔物モンスターの群れに対するのは人の集団である。その全員が女であり、武装し、男の戦士顔負けに戦う。それどころか、罵倒と気合の入った声を飛び交わせて武器を振るう様は少々恐ろしくも見えて。加え、やや連携の取れない岩手海老達を真正面から対峙する度胸の高さは感服しようか。
 そうした彼女達の戦闘力と言えば、強固な甲殻を叩き砕く膂力と巨鎚を振るい、鎧も潰す攻撃を掻い潜って関節を斬り裂く。誰もが経験による強さを発揮し、上手く連携し、岩手海老達を次々と撃破していた。
 素早く動けたとしても、視界が広いとしてもそれに身体が追い付いていないのか、それとも視力が余り良くないのか、彼女達に押され気味。それでも、一撃でも叩き込まれたなら、戦闘不能にさせられるのは必至。既に数人が前線から離れ、治療を受けさせられていた。
 対する人達の中、最も素早く動き、活躍し、敵を薙ぎ払う者が居る。甲殻すらも両断する重さと刃を有した巨大な両刃の斧を有した女性。魔物モンスターすらも震撼させるような咆哮を上げ、群れの長とも言える一際大きな個体を両断した。金属音を掻き鳴らし、岩のような前足を跳ね除け、眼球を斬り裂き、顔を斬り裂いていた。
「よぉーしっ!!後、もうちょっとだっ!!気張れよッ!!」
 その彼女が叫び、皆を鼓舞する。戦力差はあるものの、全てを薙ぎ倒すほどの戦意を放たれ、負傷しながらも傍で意向に従う女性達も咆哮を上げる。少しずつだが戦況が推移する。だが、このまま続けていけば全滅の恐れも出始めていた。
 それらの影、戦いの喧噪に紛れるように、泥の表面を潜行するようにゆっくりと接近する巨大な影があった。表面の滑りで泥を絡め取り、擬態として働かせながら巨大な大口を開閉させながら密やかに。
「踏ん張れッ!!其処ッ!!挫けてないで・・・」
 気弱に映った部下を鼓舞しようと怒鳴ろうとした矢先だった。泥に潜んでゆっくりと接近してきたそれは全ての隙が合致した瞬間、急激に浮上、飛び出すと同時に自身の身すらも隠すほどの大口を開かせて襲い掛かった。
 急襲、それは他の負傷した者、既に仕留めた魔物モンスターを見向きもせず、今まさに戦う彼女達と魔物モンスターへと。太く厚い舌で獲物を、人も岩手海老も絡め取り、歯は無く、けれど夜のような口腔へと滑り込ませる。硬質、鋭利など関係ない。全てを呑み込まんとして。
「ぐっ!?このッ!!」
 巻き込まれてしまった斧を持つ女性。抵抗も虚しく、岩手海老諸共巨大な口に挟み込まれる。流石に岩手海老が大きい上、数体を強引に飲み込まんとした為であろう、口で挟むに留まっていた。
「エリナさん!!」
 彼女を慕う者達が声を上げる。だが、今出てきた巨大な物体、単純な体格差に衝突され、弾き飛ばされた彼女達は今すぐには助けには行けず。
 エリナと呼ばれた武装した彼女、それは赫灼の血パティ・ウル・カーマを率いる責任者であり、不覚を取ったと悔し顔で足掻く。だが、甲殻すらも砕く顎の力、もがく岩手海老に挟まれてしまえば如何する事も出来ず。
 苦しみは痛みを与え、激痛に悲鳴が響き渡る。その様を、まだ動きが鈍い部下達は眺めるしか出来ず。赤黒き獣に匹敵、或いは超える巨体が捕食する姿を。
 灰が混じった黒い表皮は鱗には覆われず、ぬめぬめとした粘液を分泌する。目に当たる器官は見られない。けれど、その他の機能が発達している事は想像に難くない。だからこそ獲物を食べられたと言う事。
 行動が示すように雑食、その大口と体格を活かして一度に多くを食べようとする習性を持つ。加えて、蛇のように丸呑みする傾向があり、食べていようと他も食べんとする貪食性も持つ強欲な性格でもある。けれど、低い姿勢且つ、ずんぐりむっくりとした身体での動きは鈍重と言って差し支えなく。
 それはコロペトラ、沼地の大食漢とも呼ばれるそれに向け、一つの影が過ぎった。
 泥を掻き混ぜるような悲鳴が響き渡った。大食漢の下顎、神経を切断するほどの深き切創が刻み込まれ、鮮血が周囲を汚す。その痛みに咥えられていた幾多の獲物が転がった。それはエリナも同様に。
 解放された彼女を、一撃を与えた者が抱きかかえ、その場から急速に離脱する。
「あれの中に誰か居るのかっ!?」
 駆け付けた彼はトレイド、早急に問う。
「お、お前・・・」
「良いから答えろッ!!居るのか、居ないのかッ!?」
 防具は凹み、重くはない傷を負った彼女に問う。そうしながらも純黒の剣を抜かるんだ地面に突き刺して。
「い、居ない・・・」
「クルーエッ!!」
 中に犠牲者が居ない事を確認した直後、大声で指示を送った。
「はい!」
 遠く、離れた位置で待機させていた彼女にその指示が行き渡される。受けた彼女は大声で返答して念じた。すると、周囲に居た者達が浮かび、遠くへと移動させられた。その理由は当然巻き込まない為、だが知らぬ者からすれば混乱せずには居られない。それを黙らせるのは、強烈な熱を放つ浮遊物。
 退避の傍、捕食を邪魔された形となった沼地の大食漢。されど怒らず、のんびりと傍で転がった岩手海老を喰らわんと動く。その動きが急停止する。下方から突き出した異物に幾数ヶ所を貫かれ、縫い止められてしまう。
 そこに、爆発音と共に黒い巨体が燃焼した。その身、一ヶ所に生じた爆発後に燃え広がった青白き炎に包み込まれた。
 身を炎が包んだのなら、焼かれるのなら当然に暴れ出す。燃えるのなら泥水で鎮火させんと。だが、その身は黒の結晶に拠って拒まれ、泥で消す事も出来ず。
 酷い事だが、仲間を助ける為ならば止むを得ないと言うもの。やがて、その熱、或いは貫かれた傷が原因となったのだろう、数匹の岩手海老同様に動かなくなってしまう。暫く、生きた肉体を燃焼し、けれど食欲をそそる匂いが辺りに充満した。
「他は・・・居ないな。間に合って良かった」
「だ、誰も助けてくれなんて・・・」
「言ってないな。俺の勝手だ。それよりも・・・」
 九死に一生を得られたと安堵し、それに憎まれ口を叩く彼女の態度に気に留めず、転がる彼女の部下達を確認する。
 全員が全員、今すぐに命を落とすような危機ではない。けれど、このまま放置も出来ない。魔物モンスターが生息する場所、今すぐ安全地帯に送るのが先決。
「少し、待っていろ・・・クルーエ!」
 抱えていたエリナを降ろし、焼死体となってしまったベーデゴドへ近付きながら呼び掛ける。彼女は負傷して避難していた女性達を気遣っていて。
「これに全員を乗せる。悪いが、魔魔術ヴァーテアスで牽引してくれ。俺も引っ張る。それでローレルに行く」
「分かりました」
 幾多の魔物モンスターを掃討する手助けとなった彼、トレイドはこんがりと焼けてしまった甲殻の一枚を器用に引き剥がす。それを橇とし、負傷者を乗せて運搬する方法を取ったのだ。幅はやや狭く、苦しくなるだろうが我慢してもらうとしていた。
 新たな魔物モンスターが来ない内に、男の手は借りないと拒む彼女達を乗せていく。最後にエリナとなった。
「もう一度言うが、助けてくれとは・・・」
「黙ってろ。直ぐにローレルに連れていく。治療が済むまで下手に動くな」
 男であるだけで犯行意識、いや敵対意識も示す。それを一切歯牙に掛けず、クルーエに促し、元々第一の目的地へと向かっていく。彼女に少々無理をさせてしまうが、今は負傷者の治療を優先し、足を急がせていった。

【2】

 時間は流れ、燦然と輝きながらも視認を許さない太陽が、恩恵を受けて青く澄み渡る空に高々と君臨する。その光は他にも恩恵を齎す。植物を茂らす、温もりを与えて生き物に活力を与え、全てを照らし出してあらゆる生物の助けとなる。そして、濡れた物を乾かすのだ。
 燦々とした陽射しが差し込む空間、それを利用する為に台座と幾つの物干し竿が掛けられる。それに干されるのは当然、濡れた衣服や手拭い等。山ほど詰めるほどの多さのそれが次々と数少ない物干し竿に通され、掛けられる。そして、その間を縫うようにジグザグに張られた紐にも同じように。
 言わば洗濯場に一人の青年が歩き回っていた。青い髪、褐色の肌と健康的な上、端正な顔立ちの為に爽やかな青年に映ろう。事実、知らなければ格好良く映る。加え、その背に大剣を携え、防具で固めたならば見惚れする勇ましさであろうか。
 彼の名はガリード。今は統合されてなくなった、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーから天の導きと加護セイメル・クロウリアに移った彼。移ってからは多忙の日々を迎えていた。そう、今迄此処の職員達が手を出せなかった力作業を請け負い、雑用も積極的に請け負い、子供達の面倒を見ながら食事を作ったりと、まさに心休まる暇などないと言えてしまう程に。

 朝になれば朝食の準備を粗方行い、子供達を起こして着替えさせ、その子供達を追い出すようにして布団の後始末。その後、子供達の顔洗いや歯磨きをさせ、同僚に任せた後に朝食を完成させ、振る舞う。
 多少の至福の時間を経た後、食器洗いを行った後、自分の欲望のままに遊び回る子供達に強引に連れ回され、半ば玩具にされながら遊びに興じる。ある程度遊んだ後、責任者アニエスの命令で全力で捕獲し、彼女が待つ部屋へ連行する。それだけで一日の大半の体力を使う程だろう。
 残さず連行した後、同僚の一人から経費を受け取って食材の買い出しに出る。繰り出すのは馴染みの店、其処で食材を選りすぐり、職員と子供達の分をそれを、抱える腕から飛び出すほどに購入して帰還する。
 然る場所に保管し、同僚達と同じように家事に取り掛かる。また、聖復術キュリアティは使えなくとも多少の傷の手当や怪我人等の運搬も出来る。何事にも全力で取り掛かっていた。
 慌しく午前を終える頃に昼食作りに取り掛かり、それを振る舞う。時折、力作と豪語し、満足しながらこの一時を満足し、同じように食器を片し、終えてから今度も子供達の玩具とされる。楽しくとも、揉みくちゃに袋叩きに合わされても楽しげに。それで残り僅かになるほどに消耗される。それほどの過激な遊戯であった。
 午前と同じような仕事を行い、その内に日が暮れ出す。生傷を鱈腹と拵えた彼は夕食作りに取り掛かる。それでも最大限の腕を振る舞い、皆の舌鼓を打たせるのは大した腕前と言うもの。
 食事が終われば、食器洗いとなり、終われば、全員の足並みを揃えて教会に向けて移動する。月光、それを美しく飾るステンドグラスに拠って彩られる其処は一層の神秘性を帯び、神聖な趣もより強く感じられる。特にそのステンドグラス、女神の微笑みを寵愛のように受けながら聖書台の元へ向かう。
 子供、大人達は列を組んで膝を着き、左手で拳を、その上に右手を添える。祈りの姿勢を取り、全員が祈りを捧げていた。
 今日を生きる事が出来、明日を迎えられる喜びを、神に捧げるように抱いていた。信仰、心の身寄り処としてそれを行うのではなく、感謝の思いを忘れぬようにするのだと、アニエスは語った。それを思い出す彼は完了する前に抜け出し、水浴びの準備に取り掛かっていた。
 離れの建物の一室は倉庫として機能し、其処から六つほどたらいを持ち出す。そして、事前に割っていた薪で火を焚き、使い古した焦げた石達を円を描いて置き、その上に設置する。井戸から水を汲み出し、木造りの足場も居れた盥に投入する。ある程度張った後、放置していればお湯となる。適度に沸いてくる頃に子供達が来襲するのだ。それに臨戦態勢となった彼は手早く服を脱がせ、入浴させていく。
 大満足し、湯気を立たせる子供達を拭き、服を着せた後、歯磨き等の手伝いを行い、寝かし付ける。それが日々の最大の難所と言える。嫌がる子供を無理矢理にもでも寝かせるのは重労働、追い駆け回し、時は愚図る子供を宥め、そうして寝かせる。それで体力を使い果たしてしまう程に。
 寝息が小さく零れ始めた時点で彼の仕事は終了する。子供達が寝静まると職員達は私事に移る。彼もまた、二言三言の挨拶を残し、疲労が溜まる身体で鍛錬を行う為に外へ踏み出していくのだ。そして、いい加減に夜が更け、倒れかねないほどに極限まで疲労を溜めつつも満足すれば身体を洗い、寝床へ向かってまるで死んだように眠りに着く。
 そのような毎日を真剣に向き合っていた。それは義務感も含まれていた。けれど、それが気にならないほどに真摯に、そして楽しく時間を過ごしていた。手を抜かない、託された責任を負う為に。

 そして、今日もガリードは仕事に全うしていた。三食分の食材を抱え、子供達の代えの服を入れた紙袋を腕に、帰路に立る。やや疲れ気味、それでも満足な表情で天の導きと加護セイメル・クロウリアを目指して歩む。
 その折り、目の前に見知った者が横切る。それに足を止めてしまう。とても迷惑そうな面で逃げ惑うような姿であり、それでなくとも気に留められた為に。
「何してんスか、ユウさん」
 通り掛かった彼女に話し掛ける。その彼女は統合して無くなった前のギルドで世話になり、今も交流のある女性である。その彼女はガリードに気付くと否や、
「ガリード!ちょっと助けて、お願いっ!」
「ちょっ、ユウさん?」
 そう有無を言わさず、その後ろに素早く隠れてしまった。それに彼は困惑し、一人右往左往とする。すると、前から女の集団が押し寄せてきた。次々と起こる出来事に益々に困惑する。その上、押し寄せた集団は全員武装し、やや殺気じみていた。
「ユウさん!お願いします。今日こそ、今日こそは首を縦に振って下さい!!お願いします!!」
 集団の中、戦闘に居たかなり困窮した女性が頼み込んでくる。その目的はユウであり、ガリードは視界に入っていない様子。それは後ろに続く女性達、いや強面の女傑達も同じ。
「今日こそ、今日こそ!お願いします、ユウさん!!」
 もう何度も勧誘しているのだろう、懇願する彼女は頭を、土下座する勢いを見せる。その姿にユウは困惑するばかりで、ガリードもそれ以上に困惑していた。
「えっ!?何、如何なってんスか?え!?ち、ちょっと、ユウさん、教えてくださいよ!?いや、取り敢えず、離れてくれますっスかっ!?」
 突然に自身の周囲で目まぐるしく行われる出来事、状況が全く読み取れない彼は困り果てて悲鳴を上げた。その叫び声は周囲に響き渡る。とても、痛快に。

 数分後、事情を聞いたガリードはそれでも困った顔を浮かべていた。ユウが困惑していた理由はこうであった。
 切願してきた女性、童顔で年下に見える彼女はラナと言った。彼女はギルド、赫灼の血パティ・ウル・カーマに所属しており、その先導者エリナからユウの勧誘を任されていたのだ。ユウとエリナは知己の仲であり、前々から命令で勧誘を行っていたのだと。更に、指示したその人物が依頼に出向いたっきり音沙汰が無くなったと。それを皮切りにギルドが暴走状態となり、八方塞りの状況だと。なら、エリナにも認められるユウを引き込み、この状況を押さえて欲しいとの事だった。
 他力本願と言えばそうだが、そうなるほどに状況は拙いのだろう。それを理解し、ユウも同じように困惑を示していた。
「あんた達の事情は分かったけどさぁ?ユウさんの事は考えねぇのか?無理矢理引き込んでも意味ねぇと思うし、入ったばかりの奴の話を聞くような連中なのか?」
 至極真っ当な指摘を行い、それにラナは困り果てた面でそれを跳ね除ける。
「もう如何しようもないんだっ!私だけじゃ、誰も従ってくれないんだよ!このままじゃ、目的が変わって歯止めが利かなくなる!だから、ユウさんに頼むしかないんだよっ!」
「じゃあ、その居なくなった人を探せよ。エリナって言っただろ?そっちを探した方が簡単だろ?」
 当たり前で単純な意見に反論の口が止められる。苦い表情が滲み、顔が逸らされた。
「ギルドの事が大事なんだろ?だったら、ユウさんを勧誘する前にその人を探すのが普通だろ?って、言うか、居なくなってどれだけ経ってんだ?」
「予定では、三日前に戻っている筈なんだ。だから・・・」
「三日だぁ!?なら、何で迎えに行かねぇんだよ!?場所は分かってんのか!?依頼が来たんだろ!?確か、魔物モンスターを倒すのが目的なんだろ?」
 人を勧誘する悠長な真似を行う彼女達に憤りを感じ、やや非難しながら問う。その勢いにラナは少し圧される。
「分かっていれば、こんなに苦労はしていない!」
「分かねぇんだったら、皆で手分けして探すなり、他のギルドに協力するなり、有んだろ!?何でしねぇんだよ!!人の命が懸かってんだぞ、分かってんのかッ!?」
「言われなくても、分かってる!でも、もう私の言う事なんか聞いてくれない!エリナさんが戻らなくなってから、ペンドルトンが幅を利かせるようになった!」
 事はそれだけではなかった。彼女達は日頃から物足りず、好きなようにやりたいと思っていた。詰まり、思うように力を振る舞えない鬱憤が溜まっていた。それもリアが抑制した。態度、考え方はやや乱暴だが、乱獲や無用な殺傷は生態系を崩し、延いては自分達に返ってくると弁えているから。
 それを理解しているのだが、もう限界だった彼女達。中でも一番抱えていた女性、ペンドルトンがクーデター紛いにギルドを掌握し始めたのだ。所謂、内輪揉めでもある。
 その事情にガリードは耐え切れなくなった。正に血管が切れるほどに。
「うだうだしてんじゃねぇ!!俺じゃなくてもキレる事だと、それ!!もういい、ギルドに案内しろっ!!」
「何を言い出すんだ。お前が来たって・・・」
「案内しろって言ってんだろ!!まずはエリナって奴を助けに行くのが優先、人の命だろうが!!ユウさんも手伝ってくれますよね!?」
 ギルドの争いなど関係ない。今は人の命が何よりも優先すべき事だと憤慨し、それの要請を彼女にする。その事に関してはユウも断らなかった。
「ええ、そうね。先ずはエリナを探しましょう」
「じゃ、じゃあ・・・」
「話は後にしろ!!助けるのが優先だ!!それから先はお前等で勝手にしろ!!」
 かなり憤慨する彼は進み出す。その足は先に自分が所属するギルド天の導きと加護セイメル・クロウリアへと、購入した食材を置き、同僚に少し留守にする事を言う為に。そして、武装する為に。

【3】

「こっちだ」
 武装し、怒り顔のガリードと助けたい思いを示す、何時もの朱色の鎧で身を飾ったユウ、部下達を引き攣れたラナが案内する。その彼女はやや不安を表情に映して歩く。
「・・・すいません、ユウさん。話を変な事にしちまって・・・」
 並んで歩く二人、先にガリードの方が謝る。少しは頭が冷えたのか、更に面倒事を作ってしまったと小さく頭を下げる。
「いいえ、気にしていないわ。それよりも良かったわ、エリナの近況を聞き出せたから」
 ギルドに入る云々よりも知人の安否が先と彼女は何時もの凛とした態度を示していた。
 広場を経由し、東南方向へ延びる公道を渡り、途中から工業地帯へ入って行く。様々な物音が響き、様々な工房で入り組む道を歩む。幾多の災害の跡を刻むように新旧が入り混じり、まるで迷路のように。
 恰も職人達の歴史が募り、血と汗が刻まれたような場所であったと誰かが思ったであろうか。その道を行きながら、薄らと見える巨大建造物へ近付きつつあった。
「しかし、災難、っスね、ユウさん。前々から誘われているんスか?」
「ええ、そうね」
 多少は気を紛らわせようと話をする。それに彼女は困った顔をする。
「エリナ、って言ってたスよね。知り合いって言ってたスけど、同じギルドだったんスか?」
「そうね、人と人を繋ぐ架け橋ラファーで一緒に働いていたわ。結構、仲が良かったと思うわ。だから、今でも誘って来るのかしら」
 勧誘される事に関しては良くは思っていないものの、友好関係に関しては寧ろ良好なのだろう。それを表情に嫌気は見られない。
「でも、何で辞めて、赫灼の血カーマを作った?入った?んスか?」
「それは、教えてくれないわ。聞いても、ね。そのくせ、執拗に勧誘する事は止めないけど」
 何かしらの事情があるのだろう。そう思い、不思議に思う彼女。人と人を繋ぐ架け橋ラファー、今は曙光射す騎士団レイエット を辞める意思はない。だからこそ、納得出来ないと溜息を零して。
「着いたわ、此処よ」
 会話している内に目的地へと到着する。即ち、赫灼の血パティ・ウル・カーマが拠点とする場であり、目の前に視線が集められた。
 一言に言って巨大、工業地区のみならず、このセントガルド城下町の特色にもなり得る施設と言えた。
 施設自体が円形とされ、曲を描いたこの外壁、その一部が崩壊している。それは銀龍でも地震でもなく、以前からも形は一切に変化はなく。けれど、その所為で一部の廊下や部屋が露わにされ、無残にも、芸術的にも見えるのだろうか。それでも立ち続けているのは中に鉄骨、或いは鉄筋を入れているのだろう。
 何らか製法で成形した石材と卓越した技術で作り出したであろうその施設。それは言い表すなら、いや、殆どの者が思うだろう、古代ローマの円形闘技場コロッセウスと。
 魔物モンスターと戦うギルドが扱う、その先入観も相まってか、心から滾り熱くなる感覚を抱かせる、闘争意識を目覚めさせる場所にしか見えない。だがしかし、今にも崩壊しそうな外見にギルドの行く末も心配させられた。
「良く、崩れねぇな、コレ・・・」
 嘗ての人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの建物以上に不安定を残す外見にガリードが零す。それに数人の女傑が反応する。だが、否定は出来ないと我慢して。
 続けて先頭歩むラナ、その部下達が平然と歩み寄る。その先には偶然に出来たと思われる穴、崩れた瓦礫が積み重なって形成された其処へと。使用し慣れている彼女達の姿に畏敬の念を抱こうか。
 その彼女達に続き、やや恐る恐るにして踏み入った時、遠くから波のさざめきのような音を耳にする。けれど、それは人の声だと認識すると、それだけの人、若しくは勢力が示された事か。
 それの発信源に向け、女傑達は迷わず歩く。彼女達が向かうまでの道程、その途中の廊下の意匠、装飾に意識が集められてしまう。
 先ず、初めて来訪した彼女達を出迎え、進む者を睨み付ける彫像が続く。等間隔に並ぶそれは雄々しさ、常勝を偶像化したかのようなそれ。敵を圧倒する鬣、牙、何よりも形相が本物さながらの迫力を見せて。
 今にも動き出さんとするようなそれから始まり、模造であろう剣や槍、盾が飾られる。それの強さ、鋭さ、頑丈さを引き立てるように壁、天井は余計な色を放たない白。床は薄い赤のカーペットが延びる。正に決闘の場に相応しいと言えようか。
 そして、粗暴さ、いや雑さを示すように建物の一部が転がる。今も崩壊しているのか、嘗ての瓦礫を放置しているままなのか。よく見れば、装飾や衣装も一部を掛けたまま放置されている状態でもあった。
 更に目を凝らすと壁や天井の至る所に穴が開いている事にも気付く。大小様々だが、不安しか覚えないそれが散らばる。これによって、光が差し込み、篝火が無くとも照らし出されるほどに。
 数点に気を留め、更に心配を深めながら進んでいくと高々と伸びる階段に至る。闘技場と言うのなら、それは入場の道でなく、観戦の席への階段であろう。その長く、高いそれに足を掛けた。
 ラナに続き、足音を響かせながら最上段、詰まり続く外に辿り着いた時であった。雷鳴の如き轟音が響き、僅かな衝撃に小さく身体が揺れた。それが先も聞こえ続けていた声、それが形となって接触して来たかのように。それを堪えてガリードは見渡した。
 視界一面に円形の観客席が広がった。詰めれば千を集められそうな席、石で造り、段々になった其処に疎らに人が座る。今は観戦している、訳では無さそうだ。視線の先、舞台を睨んで何かを見極めるようにする。
 中央に構えられた舞台、黄土色に固められた其処、幾多の戦いに際した血と汗が滲んでいるのだろう。其処に大勢の者が集っていた。集団が二つ、互いに睨み合い、対立している事は見て取れた。
 不穏な空気が流れる其処に円形を模る何かの影が差し込む。頭上には、観客席の四点から伸びた像が絡み合っていた。龍を思わせる長き生物が舞台の真上で互いに争うように組み合い、結果円を模る。うちの一頭が途中で砕けているとしても、三頭でちゃんと支えられていた。一頭がなくなろうと、闘争心は尽きないと言う意味か。
 一見しただけで、頂を望み、常に戦い続ける場所である事は明らか。それを顕著に感じ取れるほどの熱気が渦巻く。だが、今のそれは別の意思に溢れて。
「此処が赫灼の血カーマだ」
 概要を示すラナの言葉は掻き消されるほどの怒号が響く。舞台から対立する諍いの声が舞台に響き渡る。不穏、今にも戦争が起こりかねない空気が渦巻く。その勢い、迫力は内情を知っている者達であっても圧されるほどであろう。
 随所では掴み合い、怒鳴り合う姿はまさに一触即発と言う状態。それを見て、ラナの気苦労が窺い知れて。
 女性専用のギルドと聞いており、多少その例と接したガリードだが、あまりにも想像と掛け離れていた雰囲気に驚愕は禁じ得ない。尤も、この施設を見た時点で大方予測は着いていたのだが。
「おい、如何なってんだ?今にも殴り合いが始まりそうだけどよ」
 舞台に向け、階段を下りていくラナに質問する。それに彼女は苦い顔を浮かべる。
「エリナさんが居なくなってから、ギルドは二分した。元々、戦い好きを集めたギルド、魔物モンスターを殲滅する勢いで戦う、狩る奴が大半だった。だから、エリナさんが規律を決めて守らせていた。だけど、失くなって、抑制された事で不満を抱いていた者達が我を出すようになった。それを率いているのが・・・左側の集団の戦闘に立っている、あいつだ」
 言葉通り、その先頭には目立つ存在が立つ。巨漢、そう思えるほどに横幅の広く、そして背の高い女性。決して脂肪率が高い訳ではなく、筋肉量が多い事を隆々とした筋が遠目でも見える。力で戦う人間である事は言うまでもない。
 露出が多く、恥部を隠しているだけのような鎧姿。所謂ビキニアーマーと言えるのだろうか、防御性を犠牲にし、機動力を重視したそれを装着し、巨大な丸い鉄筋のような棍棒を持つ彼女。外見とは異なり、短髪の似合う相貌は寧ろ美人の部類であろうか。
「あのペンドルトンが新たなリアだと言い出し、もう歯止めが利かない状態なんだ。だから、エリナさんに認められているユウさんに収めて貰いたかったんだ」
 腕を組み、威圧感を放つ彼女に対して敵意を示す。その説明も耳に届かず、そのままガリードは舞台へと降り立っていく。
「何、内輪揉めしてんだよ!それよりもエレナって人を助けに行けよ!リアなんだろ!?」
 物怖じせずに二つの集団に怒鳴り付ける。唐突の乱入者の声は皆の視線を集め、例の彼女が最初に反応して数歩歩み寄る。
「何だい、アンタ。部外者は引っ込んでいて欲しいね」
「俺の事は如何でも良いんだよ!エレナを探しに行けって言ってんだ!他にも部下が出て行ってんだろ!?仲間の危機だ、助けなきゃなんねぇだろ!!」
「はっ!男は黙ってな。アンタには関係ないね!それに、帰ってこないのは魔物モンスターに負けたって事だろ?なら、あのエレナが弱いって事だ。弱いのが悪いんだよ!」
「弱いのが、悪い?帰ってこねぇ、もしかしたら、って分かってんのに、見捨てんのか?」
 弱肉強食、強きが正義で悪きが悪と断じる。その意見に彼女に立つ者達は同意見を上げる。かと思いきや、反対側の集団も納得を示す。ギルドが別れている理由、それは単にペンドルトンを慕う者とそうでない者に別れているだけであり、エリナ派は少数である証左。
 次から次へとエリナへの文句が飛び交う。ペンドルトンの意見に添い、弱い者が悪と言う声が響く。それは確かにそうだ。危険な場所に赴き、危険な相手をしておきながら死ぬ、それはその者が弱いに帰結する。とは言え、それを肯定、歓迎して喜ぶ意思にガリードの堪忍の緒は限界となった。
「・・・ふざけてんじゃねェェェェッ!!弱いのが悪い訳がねぇだろッ!!強い奴が守る、それが責務って奴だろうがッ!普通だろうがッ!!誰もが死にてぇ訳じゃねんだぞ!!生きたい奴だっている、生きようともがいている奴だっている!!なのに、それを見捨てんのかッ!?それでもお前等は人間だってのかッ!!」
 憤怒の余りに怒号を張り上げた。傍に何かの物体があったら粉砕しかねないほどの義憤を漲らせ、自分の気持ちが抑え切れなかった。それはローレルの件が影響していた。
 その激昂、雷鳴の如き大喝が幾分かその場を黙らせた。数人は怯まず、態度を改めないまま見下すようにガリードを見た。
「怒鳴ったって、それで従うと思ってるなら大間違いだね。弱い男の言う事なんて特にね」
 ペンドルトンは腕を組み、誰にも従わないと言った態度を示す。その言葉が空気を少し変えた、いや方向を変えた。その事にラナが何かを挟もうとした時だった。
「じゃあ、何だったら従うってんだ!どうやったらお前等はエレナとか、仲間を助けに行きやがるんだ!」
 最早喧嘩腰、頭に血が上って目的が変わりつつあった。そして、巻き込まれたユウは蚊帳の外と化していた。
「急くんじゃないよ。単純な話だ、アンタが力を示せば良いだけの事さ」
「戦え、っていってんのか!?」
「そうさ、代表を立てて一対一の決闘をする、単純明快さ!アタシ等からは誰かが、そっちは・・・」
「俺が出るに決まってんだろッ!!」
 対抗意識を漲らせ、相手の調子に乗せられているのにも気付かずに怒鳴り声を上げ続ける。
「ちょっと、ガリード!今はそんな事をしている場合じゃないでしょ!?」
「・・・すいません、でもこいつ等、こうしなきゃ言う事を聞かねぇようなんで。ユウさんは曙光射す騎士団レイレットに人集めてくれるっスか?」
 ユウに窘められるのだが、彼は意外と冷静で別の方法を探る様に促す。その事を知って小さく安心した彼女は気持ちを改めて小さく頷く。
「すみません、ユウさん。こうなった以上、もう少し居て貰えますか?いざと言う時は・・・」
 場を離れようとした彼女の行く手を塞ぐように、ラナ以下数名が彼女の周りに着く。立会人、或いはユウを立てて状況を変えようとする意図があっての事か。
 何にせよ、邪魔された事に、ガリードは舌打ちをして。
「さぁ、とっとと始めるよ!アンタ、支度しな!!」
 何時の間にか舞台にはガリードとユウ、ラナ率いる数人と、代表の女傑だけとなっていた。他の者は観客席に移動し、これから始まる決闘を楽しまんとして。
「・・・お前は、あの時の奴・・・」
 仕方なく観客席へと移動するユウ、監視するように移動するラナ率いる数人を後ろに、ガリードは気を引き締める。目の前に居たのは、何時しか共に仕事をしたターニャであった。
「アンタとは一度やり合いたかったんだよ。気になってたからねぇ」
 待ちかねたと愛用する巨大な鎚を振り回す彼女。それに一つの疑問を示す。
「木刀、試合用の奴はねぇのか?」
「ある訳ないだろ。真剣でやり合うのが怖いのかい?」
 不意の事態も厭わないと言った考えにガリードは激しく憤る。もう我慢ならないと言うように、背から大剣を引き抜き、静かに対面していた。
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