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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

寒けれど暖かき地、見えぬ向こう

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【1】

 深く、けれど其処に重さを感じさせない景色が広がる。朝夕と寒気が包み込む。それは身も心も凍えさせるほどに、そして静けさが包み込む。
 遠く、白く霞んだ高き山の向こうに、薄ぼんやりと光源、陽の位置を確認出来る。その光を帯び、天上から深々と舞い落ちる白い結晶が、微風でも吹き飛ばされてしまうそれが全てを染め上げる。布き積もれば忽ち白に染められ、その身は冷たさの結晶である事を触れただけで溶ける事が証明する。
 落ちる様、積もった様、解け行く様、様々に姿は違えど共通して切なさを感じさせるほどに弱く儚い存在達。それが彩った形容が白銀が良く言ったものだろう。山も木々も空も物も、そして人すらも無混純麗むこんじゅんれいに飾る。
 白く柔らかいそれ、雪と言われるそれは不尽を思わせて舞い落ち、意図しない内に全てを包み込んでいく。限りない優しさを指し示すように。
 寒冷の厳しき其処で人は暮らす。それらに負けず、挫けずに人々は手を休める事無く忙しく動く。その身は当然厚く着込み、吐く息は白み、晒した表皮は紅に染まる。だとしても、堪えるしかなく。
 悲しき記憶が刻まれたその地、けれど戻って来た若者達は互いを鼓舞し、励まし合いながら暮らす。何時の日にかの絶望を越え、新たな希望と勇気を胸に、再建する姿を見せる。
 男女は関係なく、木材や石材、様々な道具を不可思議な能力、操魔術ヴァーテアスで運搬、加工、建設と精を出す。其処に一切の手抜きなど無く、懸命に真剣に。
 その近くでは凍えないように焚火が起こされ、それを維持するのが子供達の役目であったり、食事の用意を手伝ったりと和気藹々とする。そうした姿が笑顔を広げ、決して試練に臨む心境だけでなく、これからの希望が見られる一面もあった。
 もう既に此処に移り渡った人数分の建物は建てられており、倉庫や薪を乾燥させる際に使用する棚や建物に取り掛かっていた。居住を優先した為、後回しにされていたそれはやや急掛かりに行われる。その付近では別の居住も建てられようとしている。もしもの時、急な客人等を迎える為のそれは緩やかに行われていた。

 短期間だが、既に在りし日を取り戻そうとしている村から離れ、登下山する際の麓とは別の場所に三つの影が見える。其処は嵐のように風雪が荒れず、穏やかな気候に保たれる。地形も起伏は穏やかで見通しが良く、逞しく広葉を広げる樹木が疎らに生える。周囲に遮蔽物がなく、程良い空間が広がっている為か積雪は深く。
 赴いた彼等は厚着に着込み、自作した橇に今朝の獲物を乗せて村に戻る最中。寒冷対策として顔をフードで多くを覆い、手足の先端も冷えないように包む。その為、表情は分かり難いのだが全員が満足気に。
 静けさに包まれ、開けた場所の為か、緩やかに進む折に流れる獲物の臭い、血のそれは嗅ぎ付けられるのだろう。静寂と景色に紛れ、白き獣が忍び寄る。景色に溶け込める色の体毛を有した獣、人に害成す魔物モンスター、名をスノーローフである。
 群れを成し、足音を消し、忍び足で岐路に立つ彼等を囲みながら接近する。吐き出す息さえも押し殺し、無音を保って積雪に紛れる。徐々に接近し、人の視界でも確認出来る距離に居たとしても全く気付かれない流石の統率力、そして擬態性能を発揮していた。
 けれど、ある程度の戦闘経験を積んだ者、警戒を深めていた者であれば気付くだろう。彼等は立ち止まり、周囲を見渡して警戒する。その隣、黙々と橇の縄を肩に掛けて曳いていた者が静かに剣を引き抜いていた。
 一人だけ薄手なコートを羽織り、フードを被らない為に黒い髪を揺らす。鋭い目付き、赤紫の瞳が接近する生物の位置を見極め、徐に剣を地面に突き立てた。
 白き獣達は様子見の為に身を屈めて待機する。そうした獣達は忽ちにその環境にそぐわぬ物に貫かれていった。
 それは一瞬の出来事であり、凄惨とも言えた。悲鳴を出そうとも微小なる呻き声が滲み出るだけ、暴れて抵抗したとしても下から貫かれている為に脱出は出来ず。酷い事に腹部や喉と言った場所を、円錐を模った黒い結晶体が穿ち抜いたのだ。自重で更に抉られ、沈む。僅かに光を反射する結晶が砕けぬ限りに解放は不可能であった。
 結晶を呼び出した彼は突き刺した剣を引き抜き、その目が接近するやや大きい個体を捉えていた。それは敵討ちと言わんばかりに駆けて牙を剥く。
 確認した他の者が迎撃に向かう。二人掛かりであり、戦い慣れた魔物モンスターであれば問題はないだろうと、判断した彼は急遽反転し、刃を振るった。
 光に当てられようとも黒く静まる刃、袈裟斬りの一閃は白銀を過ぎ去った。吹き荒れる白粒を紅に染め、散り落とす景色の中、やや腰を落とし、踏み込むと同時に腕を振り上げていた。鋭き眼光に間に散る雪の花弁は捉えず、ただ標的だけを睨む。
 宙に浮く白き身体、その身は顔から胴に駆けて乱れなく両断、血と臓物を散らして積雪に沈んだ。雪は落下する獣を優しく抱き込み、血を受け止めて赤く染まっていった。
 次第に凍える身は二度と動き出す事無く、戦闘の終わりを告げるようであった。
 先に襲ってきた個体よりも大きく、恐らくは群れの長であったのだろう。それを確認しつつ、刀身に付着した血を雪で落とす。その目は二人で仕留められたもう一体を捉えて。
「相変わらず強いな、お前は」
「ああ、トレイドのお陰で狩りが随分と楽だ」
 そう賞賛するのは共にこの地に戻って来たセシアと一人の魔族ヴァレスが心配で同行してきたアーガである。
「そうでもない。お前達が居たから意識が分散したからな、助かった」
 謙遜するようで、本当にそう考える彼、トレイドが労う。白む溜息を零しながら今し方仕留めたスノーローフ達の処理、運搬の準備を始める。
「今日も随分と仕留められたな」
「ああ、暫く肉に関しては問題ない」
 解放され、もう動かない白き獣達を集める二人は喜ぶ。量は多くとも、乾燥させれば保存食として扱え、捌き切れなければ他の場所に売りに出せばいい。多い事は素晴らしいと動きは早く。
「そうだな。だが、少し狩り過ぎた。あまり狩ると此処からスノーローフが居なくなる。暫くは狩りは控えるべきだな」
 生態系を崩しかねないと危惧しつつもトレイドも手早く処理し、橇へ積み込んでいく。
「それは考え過ぎだと思うがな」
「どっちにしても、これ以上狩っても、置く所が無いから控えるのは同意だな」
 手分けして最後の一体が乗せ終わり、再びトレイドが橇の縄を持って曳く。その側面に二人が立ち、セシアが操魔術ヴァーテアスで僅かに浮かして負担を減らす。そして、アーガが周囲の警戒していた。
 ややセシアの負担が重いが、役目を分担して山道をゆっくりと昇っていった。

「・・・大分、戻って来たな」
 大量の獲物を下げて戻ってきた三人。最初に其処に到着したトレイドがそう呟く。同意を促しながら村を見渡す。整えられた土地にログハウス風の建物が並べられる。建物間は以前よりかは狭められているが、それでも道具を置き、往来するには随分と余裕のある空間を設けられる。
「だな」
「まぁ、そうだな。俺が来た時は・・・何もなかったしな」
 同意する二人。甦るのは共通する景色、或いは凄惨なあの出来事を。思うだけで気持ちは沈み、悲しみが込み上げる。だが、それを乗り越えさせる光景に表情は明るくなろう。人の強さ、健気さが其処に映されるのだ。
 其処、一度は悲劇に見舞われながらも、悲しみを乗り越える意思で、此処で眠る者達を思って魔族ヴァレスを大半とする者達は再建に戻り、見事成し遂げていた。それも一ヶ月もまだ経っていないと言うのに。それどころか拡張し、二度とあの悲劇は起こさせまいと警備や対策も怠らない。そして、新たなる名前が設けられていた。
 リュミエール、それがこの村の名前であり、それは直ぐにも定着していた。
「・・・でも、まだまだだな。もっと大きくし、村の機能も増やさないとな」
「まだ広げる気か?ある程度で一旦止めた方が良くないか?人もそんなに多くないんだからよ」
 過去を悲しむ暇はない、今に専念すると言った様子で二人は少し議論する。その様を横目にしつつ、村の外側に設けられた建物へと向かっていく。
「おお!もう帰って来たか!こんだけ大量に狩って来るとはな!今日も裁き甲斐があるぜ!!」
 其処で待ち侘びていたと大きな反応を見せて出迎える中年が一人。其処は言わば解体所であり、主のように彼は居座っている。元々料理屋の料理人であった彼は魔族ヴァレスの一件を聞き、銀龍の件で助けられた恩返しも兼ねて移住してくれた一人。
 その彼は肩を回して仕事し甲斐があると意欲を漲らせる。その彼の前に討ち取った白い獣達を乗せた橇を停止させた。
「悪いが、今日も頼む」
「上手に捌いてくれよ、おっさん」
「おう!任せろ!パパッと、昼までには捌き切ってやるからな!後は、全員に配るんで良いんだろ?」
 腕が鳴る、血が騒ぐと言うように太き豪腕で巨大な肉斬り包丁を取り出し、自信たっぷりに振る舞う。
「ああ、頼む。あんたの分は多めに取ってくれて構わない。解体料と礼だ」
「いやいや、俺だけが食いまくっても仕方ねぇよ、全員平等に分けるさ」
 余分な対価は要らないと言い、嬉しそうな表情で解体に取り掛かっていく。熟練の彼の手に掛かれば、瞬く間に一体の獣の身体から毛皮が切り取られていた。
 解体が始まると何処からか同僚、或いは弟子のような者達が現れてそれを手伝う。人手を以ってすれば山ほど積んだ獣の解体も一時間も掛からないだろう。
「何時も済まない、宜しく頼む」
「良いって事よ」
 人の役に立てて満足だと言わんばかりの笑顔を越えに送られて三人は解体所を後にする。
「じゃあ、俺は家に戻る。サフィナが無茶しているかも知れないからな」
「俺もだな。ティナがまた誰かに迷惑掛けていないとも限らないし」
 そう、二人は似たような理由を告げる。それを拒否する理由など無く、
「そうか、分かった。俺はまた調査に出てくる。その間は頼む」
「おう」
「早めに戻って来いよ」
 簡潔に指示を送りながら、トレイドも同じように歩き出していく。その先は自宅、同居人が居ない、やや静かな其処で準備を整える為に。

【2】 

 準備を早々に終えた彼は村の様子を簡単に見渡して見極めつつ、外へと向かう。
 村の外側をぐるりと塀が設けられる。木製ではあるが多少の衝撃には耐えられるように設計される。その強度、抜けが無いか多少調べ、問題無い事を確かめて外に出ていく。その足は止められずに景色の奥に運んでいく。接近を、侵略を拒絶するように雪に包まれた地を、雪地を踏み締め、掻き分けて歩き続ける。
 村周辺を警邏し、差し迫るような危機、その予兆が無い事を確かめてから調査に繰り出していった。
 定期的に行うそれはただただこの雪山地帯の調査に過ぎない。村周辺から始まり、村の奥に続く空間、更なる最奥の調査に普段は背景である山々、その崖下や当然出来る谷も同様に。
 やや足早にだが余す事無く、数日を掛けて調査する。それを行う理由は彼が所属するギルド、曙光射す騎士団エスレイエット・フェルドラー、通称、レイエットの方針から。最近に統合した其処は法を預かり、人々の安心を提供すると同時に様々な謎の究明を主としている。謎が広がるこの世界を解き明かす為、僅かな手掛かりも見逃さない為に行う。
 また、世界は定期的に変化する。地形、生息する生物、人すらも巻き込むそれは累異転殻震カスティルロウと呼ばれる。地震に似たそれは人を昏倒させるだけで被害は無いと言った、不可思議としか言い得ないそれ。発生していないが、微小な変化も有り得るかも知れないとして足を運んでいた。
 その道中は単調なものでは済まない。草原地帯は例外として、いかなる場所にも魔物モンスターは生息する。避けて通れる道は無い。気付かれぬようにしても、大抵が鼻の利くそれであり、戦闘は不可避と言えた。
 大半がスノーローフであり、谷間、やや傾斜の付いた山肌の上、平坦な場所であれば雑木林の合間にも姿を現し、飢えを見せて襲い掛かってきた。戦い慣れ、結晶を呼び出すトレイドであれば迎撃は簡単で。また、オークとも遭遇した。村からかなり離れた場所であり、単体であった為に差し迫る危機は少ないと判断して迎撃した。デゼェルオークでなかった為、然程苦戦するほどは無く。
 一日以上の時間を掛けて雪山地帯を程よく調査した彼だが、特筆する成果は得られないまま、後回しにしていた場所に彼は訪れていた。其処は少しの思い入れがあり、この地帯では特に気に入っている場所でもあった。
 雪、それが陽で僅かに融かされ、その雪解け水が寒冷で冷え固まった事で出来たのだろう。一面が美しく耀く、まるで鏡面の如き空間が広がっていた。僅かな乱れも無く、見渡せば光の加減で煌めく様は星空にも劣らない。其処に立てば自身が不純物としか思えなくなる美しさであり、踏み入る事はおろか、眺める事も許されない神秘性、神聖さを感じ取れた。
 其処だけは雪が宛ら妖精が残す煌びやかな粉に映り、益々に異様な光景に映る。今、何かが降臨しても可笑しくない其処には、今まさに存在を主張する物体が一つ。
 雪山地帯の最奥に当たる其処、差し詰め氷原と言い得る其処の奥には巨大な樹が立つ。正しくは、氷樹であろう。幾星霜の年月を掛けて堆積し、且つ風雪が練磨したであろうそれは並の樹を見下げる程に巨大。広く枝を張り、纏う煌びやかさが葉のように蓄える。それは生きている大樹すらも存在感を薄めさせる美しさである。妖精の宿り木、或いは妖精が育てた大樹とも言えようか。
 大よそ、神域と言っても過言でない其処、美しい空間に氷樹が一本だけ生成されている事に僅かばかり疑問を抱くだろう。
 溜息を吐き、やや白んだ視界で彼は静かに見渡す。吐息の音すらも強調してしまう静寂な場所を汚さぬよう、踏み出して乱れさせぬように立つ彼は見渡す。氷原の向こうは断崖であり、別箇所から眺めて確認している為に侵入はせず。
 此処に生息する生物も居ない。魔物モンスターすら侵入を躊躇うのだろう。けれど、数週間前にその例外があった事を思い出しながら、静かに見渡す。変化が無い事を確認した後、ゆっくりと帰路に立っていた。

 やや長い遠征を経て、空が少し暗くなり始めた頃にトレイドはリュミエールに帰還する。その腕に、途中で遭遇して返り討ちにしたスノーローフ一体を下げて。
 それは直ぐにも解体所に持ち運んだ後、調査内容を一度纏める為に自宅へ向かう。その折りであった。
「トレイドさん。調査に出ていたんですね、お疲れ様です」
 丁度何かの用事が終えたと思えるクルーエと鉢合わせする。その彼女は笑顔で出迎え、遠征していた影響で汚れた彼の衣服を少し払いながら労う。
「ああ、悪いな。何もなかったか?」
 出迎えてくれる彼女に礼を告げながら近況を尋ねる。
「いえ、問題はありません。村の復旧も順調に進んで居ますし、食料も大丈夫です。あ、でも、昨日セシアさんとアーガさんが少し喧嘩をしまして・・・」
「またか。その仲裁をしたのはボードだな?」
「はい、そうです」
 それは日常茶飯事なのだろう。何時しか二人は犬猿の仲と言えるほどとなってしまい、時折、口喧嘩や木刀を使っての訓練じみた喧嘩を始めてしまう。そして、何時もあの解体所の豪腕の持ち主であるボードが止めるのだ。
 目に浮かぶと笑いを少し零しながらも、平和が保たれている事を実感する。こんな何気ない日常が取り戻されている事を実感し、口元は緩んでしまっていた。
「それで、君は・・・」
 ふと彼女が見慣れた物を所持している事に気付く。
「はい、お墓の掃除をしていました。午前中は少し忙しくて出来なかったので・・・」
「・・・そうか。欠かさず行っているが、少しは誰かに任せても良いんだぞ」
「はい、如何しても手が空かない時は誰かに任せていますので、大丈夫です。それでは夕飯の準備をしますので」
「ああ、分かった」
 義務感でなく、そうしたいと言う善意で行った彼女を見送った後、トレイドは向かい先を変更する。話題に上がった為、自然と足が運んでいた。
 村の外れ、ひっそりと墓標が建てられる。言うまでも無く墓地として構えられ、訪れた彼は刻まれる嘗て此処で暮らしていた者の名を眺める。眺め、多くの知人の名を前に、強く瞼を閉じていた。
 この村を復旧させるに当たり、同時進行で行われたのは弔った死者の正式な埋葬。以前、ガリードが行った簡素だが一目瞭然の墓が大いに助けとなり、一度掘り起こし、正式に作った墓石の下に再度埋葬して弔ったのだ。最早、識別出来ない為、統一する事に心苦しく感じながらも。
 漸くまともに弔えたと喜ばれた反面、現実と向き合うのは悲しく辛いもの。そこに理不尽さが加わり、向けるべき者も居ないとすればその気持ちはただ苦しく巡るのみ。その姿が瞼の裏に浮かび、込み上げた怒りに拳を握り締めていた。
 あの時の少年が何故あの凶行に及んだのか、その理由は分からないが原因には心当たりがあった。謎の存在、以前それを思しき誰かと遭遇したステインが確信を以って存在が告げられた。もし、文献に書かれた事が、人を操る、狂えた傀儡シャルス=ロゼアに出来る術を持つと言うなら、一刻も早く討たなければならない。その為の調査であり、その為のギルドでもあった。
 その義憤を再び蘇らせたトレイドだが、深く長い溜息を吐き捨てた後、再度墓標を眺めて目を瞑った。今は墓参りに来たのだ、そう気持ちを落ち着かせて居なくなった者達を思う。そして、嘗て架け橋になりたいと誓ったサイザ村長へ思いを馳せて。
 やがて、彼は踵を返して自宅へと戻る。ギルドに調査と近況報告をする為の書類を纏める為に。

【3】

 雪山地帯での目覚めは寒いもの。ゆっくりと視界が開け、捉えるのは自身が吐いた呼吸の白。暖炉に拠って暖めたとしても夜間に冷え、布団から離れたくないほどに室内は冷める。誰もが目覚めは億劫になろうか。
 それでも目覚めなければならないとトレイドは静かに身体を起こす。寒さに少し身震いしつつ、溜息を吐き捨てながら設けた窓を眺める。僅かに映る景色はほぼ白でしかない。近寄って眺めてみれば、白い雪が織り成す幻想的な景色が展開される。ひらひらと白い花弁は儚く、大小様々にして地面へ落ちる。音も無く、落下する光景は目を奪われるに違いない。
 だが、此処に暮らし、見慣れた者からすれば厄介でしかないだろう。そう、雪掻きをしなければならないと。そう思えるのが平和の証とも言え、全ての憂慮を包み込むような景色に気持ちは吸い込まれていった。
 如何しても閑寂とした朝、外へ繰り出せば数人が既に雪掻きを行っている。トレイドも同じように雪掻きようのスコップを持ち出して道を整え出す。
 整地も程々に行った頃、数人が彼の下へやってくる。その手にするのは木製の武器。それぞれの得意とするそれの殺傷能力を排除したそれを所持し、動き易い恰好で身を包んだ青年陣。その先頭にはセシアとアーガの姿がある。近付きながらも二人はやや啀み合って。
「今日も朝から精が出るな」
「悪いが、鍛錬の時間だ。お前がそう決めたんだからな」
「分かってる、丁度終わった所だ」
 二人に促され、トレイドも準備に移る。とは言っても、既に用意していた木刀を手に取るだけ。
 これから始まるのは訓練時間。セシアやアーガ、他に戦える者を集め、模擬戦を繰り返す時間。或いは、訓練器具で筋力を増加させる為の時間だ。
 単純なそれだが、トレイドは尤も重要な点としてこの時間を遵守させていた。それは過去の戒めでもあり、二度とそうさせない為に。それは彼等も同じであり、誰も文句を言わず、真剣に且つ熱意を以って執り行っていた。
 この時がリュミエールで一番に熱気に包まれる時かも知れない。今日も頑張っているなと住民は眺め、其々の仕事に取り掛かっていく。その熱気に当てられてか、仕事は少し捗って。
 木刀を打ち合う音が響く。気合の咆哮が響き、互いを研鑽する熱気が僅かでも周囲の冷気を、雪を解かすであろう。だが、時折熱が入り過ぎる時がある。真剣になり過ぎて余計な怪我の恐れもある。また、耐えられる負荷を越えた行為をすれば同じ。それらを監修し、抑制するのがトレイドの役目。
 人を指導する立場を経験していない彼だが、彼なりに真剣に行い、一人一人の特性を捉えて長所を、短所を指摘して成長を促す。それはそれなりに適切だが、彼自身の経験が乏しい為、実感は少なく。
 鍛錬の時間自体は短く、一時間程度。根を詰めてしまえば、それ以降の活動に支障は出かねない。それでこそ、危機が訪れた時に疲労し、仕損じてしまえば元の子も無いのだ。
 この時間も終わりに近付いた頃、最後の模擬戦が始まろうとしていた。対峙するのはトレイドとセシア。周囲で観戦する者の一人が合図した。
 一呼吸が置かれ、先に動き出したのはセシア。徐に踏み込んで距離を詰め、瞬時に振り上げた木刀で上段からの一撃を繰り出す。対するトレイドはその一撃を迎え撃った。
 二つの木刀、鈍い刀身が乾いた音を掻き鳴らした。鈍い、腹に響くような音が雪に吸い込まれ、僅かに晒された土に融ける。交差した箇所には当然衝撃が発し、互いの腕に伝わる。それを意に介せず、半ば鍔迫り合いのような状態は強引に振り切られた。
 力で振り払ったのはトレイド。即座に切り返され、反撃を行われた一撃を、これもまた即座に叩き落とす。その際の面、幾多の戦いを、死地を生き抜いたその相貌は只ならぬ戦意を放ち、一撃は強烈であった。
 受けた反撃の痛みを受けながらセシアは食い縛りながら瞬時に態勢を整えて反撃に移る。一歩退いたと思いきや、再び接近して下方から上方へ逆袈裟に似た一撃を繰り出す。反動を加えたそれはトレイドの剣が受け止めた。両腕を使いながらも、やや容易く。
 武器を交えるその様、まるで楽し気な会話のよう。それを指し示すように、再び、拮抗状態となった二人は笑みを零していた。
 戦いの中に喜びを見出している訳ではない。互いに研鑽し、少しでも強くなっている、それを実感して充実感を覚えていた為であろう。そして、その仲間達の向上を喜ぶ気持ちがそうさせるのだろう。だからこそ、彼等は研鑽し合えるのだ。
 その模擬戦は程無くして終了を迎えようとしてしていた。もう幾度となく踏み込まれ、無残に圧縮された雪上、僅かな隙を見極めたトレイドは踏み込む。やや減り込むほど力強いそれの後、腰を軸にし、身体の捻りに合わせて斜に木刀を振り下ろした。
 鈍い風を叩く音を纏わせた渾身の袈裟斬りは反射的に屈めたセシアの頭上を掠めるに終わる。その攻撃直後の隙を衝かんとセシアは身体を起こそうとする。けれど、一歩遅く、瞬時に切り替えされ、横に薙ぐ攻撃に対応するしかなく、その場で跳んで後退する。
 後退、それを衝くようにトレイドは迅速に動く。着地する間に間合いを瞬時に詰め、薙いだ木刀を構え直して振り抜く。両手で握り込んでの垂直に近いそれは後退する相手の木刀を叩く。
 交錯する視線の中、宙を舞った木刀が雪地に沈んだ。反応すれど、僅かに遅かったセシアは無手となる。戦いは決した。
 僅かな時間を置き、溜息を零しながら互いは姿勢を正す。互いに清々しい表情を浮かべ、礼で締めくくった。直後、抑えた歓声と評論の言葉が出された。
「今日も、勉強になった。ありがとう、しかし強いな」
「だな。俺等より一歩先を行っている、って感じだな」
 息を切らし、けれど充実した表情でのセシアの賞賛、周囲で眺めていた者達の好評が掛けられる。認められるほどの実力、だからこそ師事を受けている事を示して。
 それらにトレイドはやや自信無げに首を横に振った。
「そんな事は無い。此処に居る全員、十分に強い、強くなった。俺が多少優位を立てるのは癖や戦い方をある程度把握しているだけだ。それに訓練だ、真剣勝負となればどうなるか分からない」 
 驕らずに謙虚に構えるように答え、同時に相手に花を持たせる発言を掛ける。その発言は各々に反応を見せて。
「さて、今日はこのところで切り上げよう。お疲れ」
 身体を解しながらトレイドが促す。それに皆は応じ、一言二言言い残して立ち去っていく。セシアの妹を心配する言葉やアーガのサフィナを慮る言葉を耳に、忘れ物が無かったか如何かを確認し、トレイドもその場を後にしていった。

「トレイドー!手紙が届いてるよっ!」
 時間が流れ、復旧よりも発展作業を手伝うトレイドの下に一人の子供がやってきて、一つの封筒を差し出した。馴れ馴れしく、とても活発的な声は良く響いた。
「ああ、ありがとう」
 やや太い丸太を担いでいた彼はそれを置いて封筒を開いて確認する。伝書鳥で届けられたそれに目を通したその顔が険しくなる。
「良く届けてくれた、ありがとう」
 子供の頭を撫でてそう声を掛けるとこの現場に関わる者の一人に話し掛け、悪いが離れると伝えて足早にとある建物へと向かっていく。途中、見掛けた者にセシアとアーガを始めとする主となる者を集めるように伝えて。
 多少大きめに設計された建物が村の中央付近に設けられる。其処は集会場として活用され、村長の自宅として使用される。ならば、其処に居るのは新しく長となったアマーリアである。
「あら、トレイドさん。如何かしましたか?」
 室内に、寄り合いとして使用される空間に踏み入り、温かみのある室内を見渡そうとした矢先、実におっとりと温和な性格を形にしたような妙齢の女性が出迎える。その彼女が村長アマーリアである。
「ああ、重要な話をするんだが、少し待ってくれ。今人を集めている。集まってからそれを話す」
 そう告げて十数分話が待たれた。その内にこの村の主となる人物達が集まってくる。先に居たアマーリアもまた、部屋に流れる空気から重要な話が出される事を察した。
「突然集まって済まない。その理由は、少し前に届いた手紙にある」
 先ずは手を煩わせた事を謝ってから本題に入る。理由とする封筒を見せ、それを今一度開いて中身を再確認していた。
「新しく編成されたギルド、曙光射す騎士団エスレイエット・フェルドラー、通称レイエットの責任者、ステインから要請があった・・・相当の危険人物の目撃証言が増えている。その対応として、だ」
「それって・・・」
「あれか、狂乱者クレスジアって、奴か・・・」
「正しくは、狂えた傀儡シャルス=ロゼアと言うがな。それだけではないが・・・差し迫った危険ではないだろうが、脅威には変わらない」
 この時、トレイドは嘘を含めていた。狂えた傀儡シャルス=ロゼアは副次的危機と言える。それよりも絶大と言える脅威を示す内容が手紙に書かれ、それに対する対策として呼ばれたのだから。
「よって、俺は暫くリュミエールを離れる。その間、危険が迫らないとも限らない。俺が行った後、それが此処に来ないとは言い切れないからな。だから、より一層の警戒を深めてほしい。それを理解し、再認してもらう為に集めさせてもらった」
 トレイドが居なければ何も出来ないと言う連中ではない。一人一人が自立した上、積極的に協力し合える素晴らしい者達ばかり。だからこそ、警告をしたかったのだ。万が一、喪う事の無いように。
「そんな事を改めて言われなくても分かってるよ。心配ならさっさと済ませて帰って来いよ」
「まぁ、心配しなくても良いぞ、俺が居るしな。よっぽどの事が無い限り、隣の奴よりかは役に立てる」
「はっ!どうだか。彼女の尻に敷かれている分際が良く言う」
 真剣な話をしていると言うのに二人の青年は張り合う。その姿は実に見慣れているのか、少し茶化すような言葉ややれやれと首を振る姿も見られていた。それはトレイドも同じであった。
「何にせよ、普段以上に注意は払ってくれ。もしもの時は、セシア、アーガ、分かっているな?」
「・・・ああ」
「おう、大丈夫だ」
「アマーリアも、そうなった時、先導を頼む」
「はい、承知しています。責任を以って、役目を果たさせてもらいます」
 トレイドの確認が空気を一新、緩んだ気持ちを引き締めさせた。失敗など有り得ない、それを突き付ける様な気迫が二人の気持ちを正し、長であるアマーリアも緊張させた。
 再び凍て付いた空気が流れる。それを緩めたのは小さな溜息、トレイドが零したそれであった。
「以上だ。俺はこれから準備と、念の為に村を見て回る。明日には出発する積もりだ。それまでに用事があれば言ってくれ」
 そう言い残し、トレイドは最終確認のように外へと出ていく。その後ろでは各々がやる気を、意気込んで満ち満ちている。この中に不安を表情に出し、迷う一人の女性が居た。

【4】

 開発途上を加味しても防御面は申し分ないだろう。リュミエールを周って一通りを確認したトレイドはそう判断していた。少なくとも大抵の魔物モンスターならビクともしないだろう。それでも飛べるそれや敵意を持った人間なら話は別だろうか。
 そうした面での脆弱な部分に関しては指摘し、近日中に補強しておくように指摘する。すると、事は早ければ良いと数人がそれに取り掛かっていた。その迅速さに感心し、留守をしても問題ないと判断する。
 随所に気になる点を指摘して回り、十分と見極めてから漸く彼は出発する準備を始める。セントガルド城下町に行くまでに経由出来る村があるものの、その間で何があるか分からない。準備を欠かしてしまえば死に直結する、そう示すように懸念を挟ませないように念入りに行っていた。
 そうする内に夜が訪れていた。雪山地帯に訪れる夜はやや厳しいもの。日中に蓄積した温かさは急激に失われ、暖炉が無ければ凍え死んでしまうと言っても過言ではない。日頃の蓄え、欠かさぬ習慣に感謝するように暖炉へ薪が焚べられていた。
 蝋燭を数本立て、それでなくとも暖炉で室内は暖かく照らし出される。その中でトレイドは静かに荷物整理を行っていた。
 妙に懐かれた、セシアの妹ティナの惜しむ姿や面倒を見て、同時に世話になった面々との遣り取りを思い出しながら、室内の整頓も行っていた。管理をアマーリアに任せる為、余計な掃除をさせぬようにと。
「ん?誰だ?」
 まだ人の生活音が聞こえる時間帯とは言えど、誰かの家に訪問するのは珍しい事。ましてや、トレイドの自宅に訪問など。故に、鳴らされたノック音に疑問を抱きながら玄関へ向かう。
「クルーエ?如何したんだ?こんな時間に」
 玄関の戸を開けて迎えたのは彼女。思い悩む表情で見上げている。何かしらの悩みがある事は確実であった。
「・・・寒いな、上がってくれ」
 ともあれ、玄関先では身体が冷えてしまうと招く。不安を見せる彼女はそれに頷き、ミニマリストを思わせる最低限の家具が並ぶ殺風景な部屋に上がる。
 暖炉の近くに椅子を用意し、冷えただろうと白湯を満たしたコップを渡す。受け取った彼女はお礼を告げながら一口、二口と飲む。
「・・・それで、俺に何か用事があるのか?何か頼みたいのか?」
 少し時間を置いてから来訪目的を尋ねる。それに意を決したのだろう、クルーエは不安な面で口を開いた。
「本当に、セントガルドに戻るのですか?」
「・・・ああ、あの時言ったように戻る。ステインからの要請だからな、断れない」
「でも、何もトレイドさんを呼び戻す必要はありませんよね?他にも戦える人は居ます。フェリスやイデーアから応援を呼べば、少なくてもトレイドさんを呼ぶよりは早く済みます」
「他の仕事や手が離せない用事で人員が確保出来なかったかも知れないな。そうでなくとも、ステインに指名されたんだ、重要な事には違いない」
「それほど重要なら、如何してトレイドさんだけなのですか?他にも、戦える人は居ます。少しでも戦力が欲しいなら、一人と言わず、セシアさんなども呼べば良いと思います。私も、微力ですが、協力出来ますし・・・」
 余計な心配をさせまいとしても、彼女は引き下がる事はない。薄々と何か重要な事が起きていると勘付いている様子。それは直感なのだろうか、聞かされたあの場で違和感を感じたのかも知れない。
 心配が尽きない彼女に見詰められ、トレイドは小さく溜息を零した。こうなれば折れはしない、魔族ヴァレス特有と言える頑なさに、彼の方から折れるしかなかった。
「・・・分かった、本当の事を話す」
 本当に止むを得ないと言った態度でベッドに腰掛け、白湯を一口飲んでから話し出す。
「・・・以前から、ある懸念が浮上していた。それを探る為に、俺を含めた多くの人間がこの世界を探っていた。最近になって、その信憑性が増し、警戒が深められていた。あの一報は、それの手掛かりになるかも知れないものだ」
「懸念、ですか」
 そう告げられ、クルーエは思い出す。頻繁に各地へ出て行き、この雪山地帯に来ても定期的に調査を行っていた事を。
「・・・この世界は、作り替えられた恐れが浮上してきたんだ」
 重く切り出し、これまでの調査で判明してきた情報を話す。あくまで憶測であり、確証の無いそれだがそれでも不安を与え、惑わせるには充分であった。
「・・・あくまで、憶測だ。だが、そんな危険極まりない存在を野放しには出来ない。確かに、俺よりも招集するべき人間は居るだろう。それでも、俺は呼ばれた。俺も臨んだ事だ、期待に応えたい」
 そして、大切な誰かを失う前に防ぎたい。その思いで戻るのだと語った。真剣な面、余計な感情など無い。
 事情を知らされたクルーエは再び思い悩む。いや、だからこそ、自分がすべき事があると定める表情を浮かべて。
「・・・すみませんでした。気を遣って言わないでいてくれたのに、無理矢理言わせてしまって・・・」
「いや、俺の方も心配を掛けてしまった。分かってくれて嬉しい」
 納得してくれたと見て気を緩めるトレイド。その目に映る彼女は何かを決心していると言うのに。
「それじゃあ、もう遅いので戻りますね。また、明日、ですね」
「ああ、お休み」
 見送る、そう捉えて彼女を見送る。朱色の頭髪を揺らす彼女の決意を読み取れぬまま、椅子やコップを片付けた後、再び準備に取り掛かるのであった。

 翌日、薄く陽が上り始め、薄らと世界が白み始める頃。白銀に包み込まれたリュミエールは静寂の中。時折見掛ける白い小鳥、それがそろそろ囀ろうかとする時間帯。サクリ、サクリと足音を鳴らす一人、とある場所に向かっていた。
 墓地、深雪に埋もれるように静かにあり、新雪を物言わずに受け続ける。其処の象徴たる総合墓標、それの前に彼、トレイドは立っていた。
 出発する前に此処に立ち寄る事は決めており、けれどいざ目の前にすればやはり胸を痛めていた。苦しい、刺すように感じる後悔が込み上げてくる。熱いそれを押さえ、白む息で霞む墓標を眺めながら手を合わせた。重ね続けた冥福を、再び行っていた。
 小さな溜息を零した後、腕を降ろして踵を返す。するべき事は終えた、後はセントガルドに戻るだけだと踵を返し、沼地地帯へ続く坂道へ向かう。その身、武装新しく。
 穏やかな曲線の胸甲の基調は白に近い灰であり、鈍い光沢を帯びる。その上に羽織るジャケットが白であり、並の防具を凌ぐ硬度を持ちながらも服と変わらぬ軽さを誇る。それはズボンも同じであり、燃え難くしているとの事。
 前腕を守る手甲を両腕にし、左腕はやや分厚く、幅広くされ、右腕は軽さを重視して丸みを帯びている。右側はもし攻撃を受けた時、その力を流す意匠である。
 最後に、下腿を守る脚甲は鉄靴と接続されており、それでいて動きに支障はない。その意匠は手甲と似通ったものとされる。
 それは前々から頼んでいた防具一式であり、これから起きる事を予期するように新しくしていた。その思いを刻むように、足跡が深く刻まれる。
 やがて村の中も薄く明るくなり、道も建物の輪郭も掴み易くなる。その村の中、白む息を吐いて立ち尽くす者が一人。それはクルーエであった。
「・・・クルーエ。見送り・・・じゃないな」
 彼女はまるで出発の準備を済ませたようにやや重装備。食料や医療品、いざと言う時の野宿の用具を詰めたであろうリュックを背負う。
「・・・一緒に来る積もりか」
「はい」
 彼女は即座に断言する。御淑やかな雰囲気を纏う彼女だが、共通した頑なな意思を感じてトレイドは顔を顰める。
「無理に君が来る必要はない。危険が伴うかも知れない。それを分かっていて・・・」
「トレイドさんは、何時も無茶をします。命を、軽視している様に見えます。それを知ってて、行かせたくはありません」
 謎の存在の脅威よりも自己犠牲なトレイドを心配しての事だった。それを受け、当人は益々表情を歪める。
「何も一人で対応する訳じゃない。頼りになる奴も、仲間も居る。杞憂で済む可能性だってある。だから・・・」
「それでも、トレイドさんは無茶をします。絶対に、します」
 彼女は折れない。その様を、その話を何度も見て、聞いた。彼女が抑止に成れる自信はないだろう。それでも放置する事は我慢出来ない様子。遠い場所で気を揉むぐらいなら、少しでも近い所で注意したいと言ったものだろう。
「・・・分かった、一緒に行くか」
「はい!」
 押し問答を繰り返してもその意思を曲げる事はしないだろう。それを揺ぎ無い面から察し、早々にトレイドの方が折れていた。了承した時の彼女の安心した面を見て、仕方ないと溜息を零していた。
 雪が舞い、穏やかな寒風を受けながら出発する二人。今一度振り返り、甦り、次第に大きくなるリュミエールを一望し、気持ちを軽くして足跡を刻んでいった。
 けれど、その胸には一抹の不安、懸念が生まれていた。心の底から浮かぶそれは、やはりこれから起こるであろう騒動を予見するように、痛みを伴わせて浮かんでいた。
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