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霧は晴れ、やがてその実態は明かされゆく

続く迷い、定めていく思い

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【1】

 セントガルドを、法と秩序ルガー・デ・メギルの根幹から崩壊しかねない震撼する事実を思い知ってから、数日が経過した。
 親友ガリードが人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーから抜け、天の導きと加護セイメル・クロウリアへと移り、立ち直ろうとする端、真相を暴いてしまったトレイドは朝焼けが差し込む部屋の中で魘されていた。
「ッ!・・・ハァ、ハァ、ハァ・・・」
 飛び起きた彼は極度の疲労感と浮遊感の中で呼吸を激しく切らす。普段以上に顔色を悪くし、瞼の裏に映された光景に心を掻き乱されていた。呼吸すらままならず、僅かな唾を飲み込めば喉奥に苦い味が広がる。
 全身に湧き上がった汗を、絡み付くようなそれを、額に伝うそれを拭って呼吸を整える。ふと、傍に視線を向けると数人の子供と女性を発見する。かなり心配し、覗き込む様に傍に座っていた。
「だ、大丈夫ですか?異常と、言えるぐらいに魘されていましたが・・・」
「大丈夫?病気なの?何かお薬要る?」
 一先ず起きてくれた事に安心はするものの、心配は増すばかり。容態を確認し、意識がはっきりしているかどうかを尋ねてくる。子供に至っては泣きそうな顔でかなり心配する。薬を持ってこようとしたり、一先ず手拭いを持ってきて差し出していた。
「・・・心配させたな。もう、大丈夫だ・・・ありがとう」
「本当に、大丈夫、ですか?」
「・・・ああ、ありがとう」
 少々息を切らしながら告げる。まだ疲弊した様子の為、安心させるには至れない。けれど、意識ははっきりとし、感謝を告げながら手拭いを受け取り、汗を拭く姿に仕方なく意向に従って承諾していた。
「・・・直ぐに、ご飯作りますから」
「無理はしたら駄目だからね」
 酷く心配したまま、子供達と女性は立ち去っていく。
 まだ案じられている事を感じながらもトレイドは息を整えながら物耽る。その脳裏には今朝の夢を、魘された原因の映像が繰り返されていた。
 マーティンとアイゼン、自分が手に掛けてしまった二人の映像を、まさに手に掛けた瞬間が繰り返されていた。事実とは異なり、怨恨と怒気で歪んだ表情を、彼等を喜々と殺める光景が浮かんでいたのだ。
 脚色、捏造させられたそれは自分の罪悪感、自分への怒りと嫌悪感がそうさせるのだろう。自分自身を追い詰めるそれはやはり自身を恨ませ、心を澱ませてしまう。
「ふぅ~・・・」
 大きく、深く息を吐き捨てる。それが呼吸を整え切り、様子も静かなものとなる。血色も戻され、魘されて乱れてしまった布団を眺める。
 落ち着いた彼の顔は正常時以上に引き締められていた。そこに自身の行いを悔い、自責する暗い感情以外が篭められていた。ともすれば、崩れてしまう不安定さはある。けれど、己が行為と結果と向き合い、背負っていく強さが見えた。漸く、今迄の事に向き合っていく強さが備わり始めていたのだ。
 幾多の思いを胸に繰り返しながら立ち上がり、朝の仕度を始め、朝食を取る為に外へと向かう。次に顔を見せた時には安心させるほどの逞しさが示されていた。

 気持ちが冷めやまぬ彼、押し寄せる感情と対面しながら時間を経過させていた。ただ消費だけでは意味が無いと所属するギルドに足を運んだ。その折り、他の同僚と共にある場所に向かえと告げられ、道を引き返して向かった。行き着いた先でまたもや罪の意識に囚われていた。
 其処はそう思わずには居られない場所、法と秩序ルガー・デ・メギルの施設であった。現場に着き、同僚達は何故と戸惑う中、トレイドは息苦しさに囚われていた。
 彼が悪い訳ではない。寧ろ、悪行を止めたと称えられる事を行った。それでも苦しむのは、人を、アイゼンを殺めたと言う事実のみ。
 その自責の念を振り払い、その施設内へと踏み入っていった。
 広間は一階の大部分を占めているだろう。多くの利用者を迎え入れ、陳情や苦情、法に関する問い合わせや日常や魔物モンスター関連の依頼など行う受付カウンターが並ぶ。其処から犯罪者を収監する牢屋を備えた地下や二階に繋がり、その詳細を彼はまだ知らない。だが、法に関する場の為、警備が常駐している事は把握して。
 今は多くの人が集められ、普段とは異なる雰囲気が展開されている。法を扱う場所に見合った厳格な静寂、或いは困る者を受け止める寛大さを感じる騒々しさとは異なり、誰もが神妙な面持ちと集められた意図を勘繰った不安を示す。
 集められた多くの者が法と秩序ルガー・デ・メギルの人間であり、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの人間が混じってくる事から、また問題が、二つのギルドが協力しなければならない事態が起きたのではないかと誰もが想像する。
 至る所から今日の集合を疑う声が聞こえる。それには責任者の所在を尋ねる声が混じり、耳にしたトレイドは少し顔色を損ねていた。集められた意図が読めた為に。
 その彼は少し見渡して知人を探していた。その目がガリードの姿が捉えられなかったから。それもその筈、この頃には既に抜けた後で、それを知ったのは一連の後である。
 少しずつ疑念が広がっていくその空気を一掃したのは数人の登場である。ユウとフー、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの主要の者を先導するようにステインが現れた。威風凛然、武装で固め、静かに歩む様だけでも集めた皆を圧倒する迫力を纏う。それほどの覚悟を胸にしている事を、一瞬でも揺るがぬ視線と揺れぬ顔が示す。
 一気に引き締まった空気に誰もが息を呑む。彼等に混じって見慣れぬ者が数人。察するに、法と秩序ルガー・デ・メギルの幹部であろう。現れた者の中にシャトー、そしてアイゼンが居ない事に多くの者が疑問を抱いた筈。その疑念は直ぐにも解かれる事となる。
法と秩序ルガー・デ・メギル、そして人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダー、この二つのほぼ全員に呼集させ、参集させ、集合してもらったのは、統合する事が決まったからだ」
 瞬間、誰もが耳を疑い、驚きの声を広げた。数えるほどのギルドとは言え、巨大な組織が統合する、その事態だけでも驚天する思いであろう。そして、そうした経緯が知りたくて止まなくなる。
「・・・統合する経緯だが、先ず、アイゼンとシャトーがこの場に居ないのは、既に死んでいるからだ」
 先以上に騒然となった。不在の理由を知り、誰もが驚きの渦に呑み込まれた。落ち着いてなど居られない。注意の声など耳に届かないほどに驚愕し、その真相を問う声が響く。中には良からぬ発言も混じって。
「二人は、法を扱う者でありながら、非人道的な行為に及んでいた。それによって犠牲者は多数生じ、弁解の余地も無かった。その外道は人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの者に拠って暴かれ、この時に発生した諍いで二人が死亡した」
 詳細は伝えず、事実だけを告げる。それを疑う声は出されなかった。このような機会を設け、嘘を告げるなどしない。また、真相を知らされたであろう数人の反応、深刻な面で俯く姿から事実と察する。だからこそ信じられないと、言葉が失われていく。
「これに加担した者も数人居た。此処に居ない者、そして連絡が途絶えたであろう者は粛清した。如何捉えても貰っても構わない、それだけの事をその者達はしたのだからな」
 淡々と、しかし冷めた声は皆の身体の芯を凍えさせた。非道には厳罰を、それを実行させたと納得出来る冷酷さに小さく震え上がっていた。もう、反論の声は無かった。その声が、納得させられる説得力があった為に。
 粛清と言っても実際には担っていた役柄を誰かに引き継がせた後、法に則る形で罰を下したのだ。個人差はあれど全員が高山送り、過酷な現場での厳罰を下していた。それを知らない者は恐怖しよう。
「この事実を踏まえ、法と秩序ルガー・デ・メギルの能力を損なわせない為に、ギルドを統合させる事となった。主だった者と協議の結果である事を、事後報告になるが、了承してもらう」
 ステインにとっても苦渋の決断だった筈。彼の意思を尊重したかっただろう。けれど、あの事態は隠し切れず、遠回しに出来る事でもない。不信感を植え付けてしまう事は避けられないが、伝える事が各々の意思と向き合わせ、後の信頼に繋がると信じての事。堅忍果決である事を、見せないように握り込む手が示して。
 この場は途端に静寂に包まれた。突き付けられた事実と向き合い、困惑の只中であろう。否定したい思いに囚われているだろう。
「・・・忘我誠心、法の下に平等に人を守り、人を愛する。誰もの命が尊く、悪成す者は義を以って下せ。研鑽、献身。絶えず、揺るがず、罪なき者を守り、正す心を持ち続けろ・・・この精神をもう一度共有し、そして、誰かの為に尽くし、誰かの苦しみを無くし、誰にも手を差し伸べる精神を持って、協力してもらう事を望む」
 前文は法と秩序ルガー・デ・メギル、後文が人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの社是。それを告げ、今一度初心に返って業務に当たる事を訴える。それに皆は今一度、二つと向き合う。二人が、関わった者達がそれに反した。だからこそ不審、不信が湧く。しかし、それに殉じたからこそ、気持ちは定められていく。
 手応えを探る為か、静かに見渡したステインは息をゆっくりと吐き、表情を変えぬままに最後を飾った。
「今日の所は以上で解散する。既に当てられている業務は引き続き続けて貰う。後日、追って連絡する。業務の変更や統合に当たっての変更点もその時に説明する」
 そう告げて、彼は立ち去っていく。主だった者を連れ、更なる協議や統合に当たる過分削除、諸々の手続きを行うのだろう。皆の決意を信じるように、置き去りにしていった。
 容赦無く突き付けられた現実に誰もが戸惑いを示す。顔を見合わせたり、二言三言と相談を零したりと反応を示す。その様子を皆の上司となる者達は静かに見守る。目的はもしもの時の暴動を止める為であろう。その内心、立ち直って貰う、共に歩んでもらう思いを抱えているのだろうか。
 まだ現実に驚きを残す姿を、光景を眺めて鬱憤を残すトレイドは居た堪れない様に、立ち去ったステインを追って歩き出していた。

【2】

 ステインを追い、行き着いた先はリアの個室と思われる場所。そう、嘗てアイゼンが使用し、呼び出された少々苦い記憶が残る場所。其処の扉を開く。つい、ノックを忘れてしまって。
 光が強く射し込み、部屋中が輝く様に明るくされる。本棚が無ければ目映くて仕方なかったかも知れない。そうした部屋に執務机が設置され、今の主を体現、主張するようにステインが座す。
 その前に数人が集う。更なる協議の只中だった筈。その彼等の視線が入室してきたトレイドに集められた。
「やはり、思った通り、想像通りに来たか」
 来る事は予測済みだと言いたげに、最初に反応したステインが笑みを零す。その彼にトレイドは詰め寄っていく。誰かが会議中だぞと注意してきたのだが耳に入っておらず。
「トレイド。幾ら貴方でも、無断で入ってくるのは見過ごせないわ」
 立ち塞がる様にして咎めたのは上司と言えるユウ。朱色の鎧で身を飾り、武器を携えていれば纏う雰囲気は一変し、騎士然とした凛とした迫力が放たれていた。
「悪い、ユウ。如何しても、聞きたい事があったんだ」
 尤もな叱責を受けながらもトレイドは動じずにステインの傍へと着く。
「・・・本当に、あれで良かったのか?事実を、皆に告げても良かったのか?アイゼンは・・・」
「・・・アイゼンはこの罪は、一人で持っていくと言っていたそうだな。それは、故人の遺志、尊重すべき事だろう」
 懸念はそれであった。何時かは知らなければならない事。しかし、それは今ではない、知らせるべきではないと彼が望んでいた。それに答えたい思いがあり、だからこそ気分が悪かったのだ。そして、もう一つ、損ねる理由はあった。
「・・・事実、真実、現実、これは伝えるべきだ。合併するその経緯を知る、それは法と秩序ルガー・デ・メギルに在籍する者の当然の権利だ。其処に、虚偽を混ぜる事は許されない。それこそ、彼等の信頼に泥を塗る真似になる」
「だが・・・」
 ステインの発言に誰も異論を唱えない。その場に居る全員がその意見に賛同と言う事だろう。だからこそ、あの場を設け、告白する経緯となったのだろう。
「アイゼンは、あの非道には加担していない。それなのに、一纏めにする事は・・・」
「罪の軽重じゃない。それに加担したか如何かだ。それの発端を作り、悪戯に人の、魔族ヴァレスの命を脅かした。それは、決して軽視されてはいけない事だ」
「だったら、俺は!?俺は如何なんだ!?アイゼンを、手に掛けた、俺は・・・」
 彼の尤もの懸念はその点であった。罪は別として、これからも必要とされていたであろう人間を殺めてしまった。その重み、その罪の意識が残り続けていた。あの場に居てそれが高まり、そして、今口から吐き出されていた。
「それは結果論だ。結果的にアイゼンが絶命した。だが、それはお前が殺したんじゃない。アイゼンが、死を選んだんだ。現場と傷、証言からも分かっている。そして、お前は止めたんだ。何もかもを阻止したんだ」
 お前は悪くない、寧ろ称えられるべき功績を納めたのだ、そう告げられたとしてもトレイドの内に蟠りが残る。誰かの命を奪って賞賛されるなど、彼自身が許せなかった。
「・・・お前は、悪戯に命を奪ってはいない。これから先、苦しむ筈だった誰かを救った。それを肝に銘じるんだ・・・アイゼンも、止めて貰いたかった、筈なんだ」
 自責する彼にステインは優しく、釘を刺すように語り掛ける。その言葉にもう一度彼を見た。再度見たその顔は切ない表情を浮かべていた。アイゼンとの間に何があったのか、知る由も無い。けれど、確かに絆があった事を、その表情が語っていた。
「・・・納得、得心、承服出来ないだろうな。それなら、それで良い。この意見は、此処の全員で取り決めた事項だ。そして、もう賽は投げられている。後は、お前自身で自分が納得出来る答えを導くしかない」
 何が正しかったのか、それを考えろと突き放すように話は終わる。それは彼自身分からない事。自分のした事が正しかったのか、それを自問自答して見付けろと言われ、トレイドは難しき顔で考え込む。幾ら考えても自責の念が浮かぶ。それでも、己の行動が、あの結果が、今回の発言に対して考えを巡らせる。其処に答えは無くとも、自分が納得出来る理由を探して。
「しかし、とは言え、そうは言っても、ここまで来たら一緒だな。トレイド、このまま会議に参加してもらうぞ」
 今更追い出す事は出来ない。何より、功労者とは言えないが、発端である者でもある。このまま協議、会議に参加する運びとなってしまう。当人はそれを断る事はせず、静かに皆の会話に参加するのであった。

 それからは二つのギルドが統合するに当たっての更なる踏み込んだ話をしていた。二つのギルドが統合にするにあたっての仕事の倍加、重複部分や過重部分を洗い出し、それの協議からの添削。職員の扱い、その分配。今まで通りの配置ではなく、業務に障らない程度での変更。ギルドの施設の扱い、定められている法を今一度洗い出し、粗や穴と言った欠点の洗い出しや増加点の提示など、目まぐるしい時間が待っていた。
 それは確かに重要であり、不可欠な点ばかり。これからの上司、言わば重役になる面々が熱を出すほどに熱く協議を行う。それにはトレイドも参加し、積極的に発言をしないが、提示された事に関する細かな口出しを行い、少しでも参加して今よりもっと良いギルド作りに協力していた。
 真剣そのもの、妥協など許さないと白熱して話し合う。其処に年上、年下など、上司部下など関係ない。掴み合う程ではないほどでも、その雰囲気を醸して、輝く部屋の中を騒がせていた。その白熱さは時間の経過を忘れさえ、一時間程度など過ぎ去るのは早かった。
「それと、今から言う事は直ぐにでも行う事になる・・・」
 ある程度方針と是正点が決まった頃、ステインが重要な前置きを告げて語り始める。それはやはり、今後の為でもある。それこそが、もう一つの重要な題名でもあった。それを聞いた者は改めて気を引き締め、更なる思いでステインの説明を受けていた。
「・・・さて、差し当たり、現時点で、今日の所は、此処までにしよう。まだ詰めたい所はあるが、現場での指揮もあるからな」
 粗方に方針が固められ、けれど仕事も大事だと区切りの良い所でステインは中断する。その言葉を受けた瞬間、皆は脱力を起こす。それほどに根を詰めて協議したと言う事だ。
 疲弊を面に宿したまま、ステインに声を掛けながら各々のタイミングで立ち去る。ユウとフーはそれらを見送った後、
「・・・色々、抱えちまっただろうが、何かあれば遠慮なく相談しに来い。吐き出した方が良い時もあるわな」
「そうね・・・趣味をするのも、良いわね。無かったら・・・食べ歩きも、良いと思うわ・・・でも、辛かったら、言ってね」
 二人は神妙に、けれど明るい口調で語り掛け、事情や心境を深く尋ねる事無く立ち去る。追及せず、けれど遠慮なく相談してくれと言い残す。その厚意が温かく、支えられている、支えてくれる優しさにトレイドは目頭が熱くなる思いに駆られていた。
 この部屋に残るのはトレイドとステインだけとなり、トレイドも言いたかった事、伝えたかった事は終えたと立ち去ろうとした時であった。
「・・・気持ちの整理が着かない、だろうな」
 脚を止めさせるようにステインが話し掛けてきた。振り返ると、執務机に手を乗せる姿が見えた。先の発言はまるで自身にも語り掛けるようでもあった。
「・・・そろそろ、埋葬も終わった頃だ。時間があれば、寄ってみたら如何だ?」
「・・・そうさせてもらう」
 更に自身を追い詰めかねないが、それでも確かに自身の気持ちの整理に、自問自答にも繋がる。一長一短ではあるが、トレイドは訪れる事を選び、その部屋を後にしていった。
 残されたステインは静けさが取り戻された室内にて、その静けさを崩さぬように移動する。椅子を見下ろし、机上を眺めた。ゆっくりと机上に手を乗せ、悲しい表情で想い馳せていた。巡らせるのは彼への鎮魂か、疑問か。分からなくとも、目元に伝う煌きは確かに感情が流れていた。

【3】

 元法と秩序ルガー・デ・メギルと言える施設を後にし、墓参りの為の準備を行う為に公道へ向かったトレイド。数時間前に見掛けた其処の光景、様子は変わりが見られない。人の増減は発生しよう。それでも活気は衰えず、熱心な客寄せの声が響く。
 賑やかな光景を眺め、少し苦しい表情を浮かべながらも進む。道行く人に接触しないよう注意しながら。その途中、彼を発見した物が一人。
「トレイドさん」
 明確に名を呼んだ者に向けて振り返ると知人であり、同僚であるシャオと別のギルド、天の導きと加護セイメル・クロウリアに所属するラビスが立っていた。二人並び、微笑んでいれば兄妹のように映る。無論、血の繋がっていない赤の他人同士。それを知っていたとしてもかなり顔立ちが似ていた。同じ子供の面倒を時折だが見ている事が関係していると言うのか。
「・・・久し振りだな、シャオ。ラビスも元気そうで何よりだ」
「はい!元気にお仕事頑張っています」
 挨拶を交わしてきた二人に労い、微笑みを見せる。やや気落ちした時、知人の笑顔や言葉は心を和ませてくれるものだと納得して。
「今日は、二人で買い物か?」
 珍しくはないが最近見なかった取り合わせの為にその点に触れる。
「はい、最初はガリードさんと行く予定だったのですが、子供達の相手で手一杯になりまして、それで仕方なく一人で行こうとしていました。ですが、シャオさんが偶然通り掛かり、手伝ってくれる事になったのです」
「そうか。しかし、ガリードがしょっちゅうそっちに行って迷惑を掛けるな。何か面倒事を起こしていないか?何かあれば俺に言ってくれ。制裁はしてやれる」
 冗談のような本気の言葉を混ぜると少女は小さく笑いを零した。
「そんな事ありません。ガリードさんがこっちに移ってくれた事で毎日美味しい御飯は食べられますし、子供達の面倒も、用具の修理もしてくれます。力仕事もしてくれまして、とても助かっています!」
「・・・移った?」
 彼の参入がとても助かっていると喜ぶラビスの発言を受け、トレイドは眉を潜める。
「聞いていませんか?ガリードさん、天の導きと加護セインクロスに移ったそうなんですよ。僕も今日知りました」
 その言葉が理解出来ないとしているとシャオが心外だったと説明する。その姿はあまり驚きは見せず、寧ろ彼らしいと受け入れる様な微笑みで伝えていた。
「・・・そうか、そうだったんだな」
 彼の移動を知り、確かに驚いたトレイドだが、彼もまた納得して口辺を緩めていた。そうなる事情は知っており、移る心境も理解出来る。だからこそ、彼らしいと関心を抱いて微笑みを零していた。
「そう言えば、トレイドさんは何か予定があったのではないですか?」
 何気なく指摘され、トレイドは自分のしたい事にもう一度向き合う。
「ああ・・・墓参りだな。その為に、花の購入する為に店に向かっていた途中だったんだ」
 目的を告げると二人は表情を曇らせる。対象者は知らなくとも、やはり墓参り、墓地に行く事には悲しみが甦ってしまう。
「そうですか・・・なら、僕も手伝います」
 詮索はせず、直ぐにも手伝うと名乗り出る。その言葉に小さく感動するも、
「正直に言うと嬉しいが、買い物の途中なんだろう?手伝わなくても構わないぞ」
 余計な事で自分達の用事を後回しにして欲しくないと釘を刺すのだが、彼は気にせずに少女に顔を向ける。
「構いませんか?ラビスさん」
「はい、大丈夫です」
 二人は微笑みのままに手伝うと口にする。その心優しい言動にトレイドはやれやれと首を振る。けれど嬉しそうに笑みを浮かべて。
「・・・なら、少し、付き合ってくれ」
 付き合わせる事に少し悔いつつも、彼等の厚意に甘え、共に準備に取り掛かっていた。

 遠く、遥か遠くから波が打ち付ける音が響く。風が吹き、枝葉が戦ぐ。葉の香りが吹く風に乗って漂い届く、潮の香りと共に。場所が場所であり、その侘しく漂う風が悲しさを引き立てる。吐息が風に紛れ、消されてしまう。風間に紛れて、何処かへと。
 供花を何輪、水を満たした桶と柄杓を所持して墓石をずらりと並べた墓地にて三人は足を止める。視界を埋めるほどの多くの人が埋葬される。白や灰、黒の墓石の間に広がる緑、或いは土の色が、その濃淡が時間の経過を物語る。
 悲劇の後、埋葬しされた者が眠る墓が多く並ぶ。見渡さなくとも必ず視界に入るほどに。その中にはトレイドの知人が眠る。救済になったとは言え、彼の手で命を奪った。それを再認識した彼は気を重くし、長く深い息を吐き捨てていた。
 それは彼だけではない。知人が眠っていなくとも、多くの人間が喪った事は記憶に古くない。知る二人もまた小さく手を合わせて悲しんでいた。
 亡くなった人に抱いていた思いが残される場所である墓地。訪れた皆は決して喜ばしい表情を出せず、言葉は噤まれていた。
 草を踏み、靴底が擦れる音を出して墓との間を歩む。名も知らぬ、文字も刻まれていない墓を幾つも通り過ぎ、迷い無く一つの墓前に立つ。既に供花が添えられており、今日の物である事を瑞々しさが示す。その傍に自分達が購入した供花を一輪手向けた。
「レインさんの、ですね」
「ああ・・・」
 小さく答えながら目を瞑り、手を合わせる。冥福を切に祈る。後方に立ったシャオとラビスも何も言わずに手を合わせていた。その後、ラビスが声を潜めてシャオに尋ねていた。受けた彼は切なさを僅かに映しながら説明していた。感ずる思いは言わずもがな。
 黙祷を静かに終えると桶の水で墓石を清める。表面を伝う、刻まれた文字の溝、其処から溢れた水は涙を思わせた。地面へ伝う僅かな音、涙を誘う。その空気は、その辛さに零す思いは一入であった。
 次なる場所、墓石にも彼は迷わず辿り着いていた。定期的に誰かが訪れるのだろう、手入れが為されて綺麗に落ち着く。その事に小さく喜びを示しながら先と同様の所作を行った。
 最後に水を滴らせる姿を眺める。嘗ての彼、その顔を眺めるように表面に刻まれた人名を見詰めていた。
「この人は、誰ですか?」
 祈りを終えると先と同じようにラビスが尋ねる。その声はトレイドの耳に届く。
「・・・マーティン、と言う奴だ。少し、気持ちを伝える、考えを伝える事が不得意な性格だったが、他人を優先して考えて行動する、良い奴だった。ある時、操られたかのように、人に危害を加えるようになった。それを・・・俺が止めた」
 眉間に皺を刻みながら大まかに人柄と事情を伝えた。悔恨の思いが乗った彼の説明に、追及の言葉は無かった。今の彼に同情するように視線を落として、気遣ったのは明らかで。
 それからトレイドは外側に向けて歩き出す。最近に埋められたとなれば外側となり、掘り返された跡を探して周囲を見渡す。その彼に二人は何も言わずに続く。
 そうして、目的の故人が眠る墓石に到着する。今日埋められた事を示すように、真新しき墓石が置かれる周囲は掘り返された跡がまざまざと残される。押し固めているとは言え、踏み入ればやや柔らかく感じて。
 対面し、先ずは墓石を確認した。
『アイゼン 此処に眠る』
 名前しか刻まれていない。元より、加えるとしたら生年月日と享年の月日ぐらいであろう。けれども、名前と短文しか刻まれていないのは何とも寂しく、悲しい事であろう。それは遺族に対するせめてもの配慮でもあったに違いない。
「如何して、此処に来ようと思ったのですか?」
 溜息の後、花を添え、墓石を洗おうとした彼にシャオが質問を投げ掛ける。それに反応して静かに振り返った面は迷いを一心に示す。
「・・・全ての選択が、正しかったのか、それに迷っているからだ。彼の、最期の言葉、意思を尊重し切れなかった。だが、ステインの決断もまた正しかった。だからこそ、分からないんだ」
 己が思いを吐露する。シャオもあの場に居ただろうが、事情は知らないだろう。その上で語られても分からない点は多いだろう。疑問符を浮かべる相談だが、シャオは静かに聞き受けていた。
「トレイドさん」
「・・・何だ?」
 手を動かしながら反応した声は少し不安が滲んでいた。
「大事なのは、トレイドさんが如何するか、ではないのですか?」
「如何するか・・・か」
 一度手を止め、答えてくれるシャオと正対する。慈愛を感じる微笑みが似合う彼は珍しく真剣な面持ちで口を動かしていた。
「ステインさんの決定も大事ですが、やはり、トレイドさん自身が様々な事実を前に、どう生きるかが、大事だと思います。ですから、迷っているのだと思います。でも、トレイドさんは素晴らしい人ですから、直ぐにでも答えを導き出せると思います」
「煽てるな。俺はそんな人間じゃない」
 絶賛されて気持ちは悪くはないが、素直に、単純に捉えられるほどに彼の性格は単純ではない。心外だと言うように困った面で払う。
「・・・だが、そうだな。ありがとう、シャオ」
 それでも気持ちの整理は着いたと礼を告げる。どういたしましてと言うように、トレイドの少し表情から険が抜けた事を確認した彼は微笑んでいた。
 一連の作業を終え、再び墓石と顔を合わせたトレイドは膝を曲げて黙祷する。思いが混濁し、葛藤する思いを胸に、今はアイゼンの冥福を祈っていた。

 日が暮れ始める。水平線へ沈む太陽は真っ赤に染まり、景色も同色に染め上げていく。墓場に浮かぶ悔恨の念が、一層濃く、そして侘しく。一日が、明かりを失っていくと共に終わろうとしていた。

【4】

 時間は少し経過し、夜が訪れていた。魔族ヴァレスが多く住まう地区にて、友人の様子を確認しに行ったトレイドは静かに明日の為の準備を、手入れを行っていた。
 騒がしいものの、少しずつ静かになっていく環境に囲まれる彼。ふと開扉音を捉え、近付いてくる足音を耳にした。それに彼は反応してその方向へ確認すると、当人の親らしき者が驚きを示していた。
「少し、時間、宜しいですか?」
「構わないが、この夜遅くにすると言う事は、大事な事だな?」
 尋ねると彼女は神妙な顔で頷いて傍の椅子に腰掛ける。その彼女に対応して早々の態度でトレイドも望む。
「実は、雪山地帯に・・・私達の村に戻りたいと言う人が、多く居るのです」
「・・・帰りたい、のか・・・」
「・・・はい」
「そうか・・・」
 恐る恐る告げられた内容を、トレイドは妙に納得し、真剣な面持ちで考え込む。それを深刻な問題と捉えたのか、
「あ、あの、此処が、セントガルドが嫌になった訳ではありません!此処に残る人も居ますから!此処が好きだって言う人も!・・・そ、その・・・この話は前々から、ありまして・・・」
 直ぐに弁解をしようとするのだが、断言する事は出来ずに語尾は力を失っていった。その意味をトレイドは理解して切ない顔で溜息を零した。
 此処、正確には人族ヒュトゥムに対する不信感もあろう。それだけの事件だったのだ。人間不信に陥る者も居た。幾ら寛容な彼女達でも溝は出来よう。
「・・・いや、前々から、そうなるとは思っていた。君達と一緒に居たんだ、多少は分かる」
 あの村で亡くなった者達も正式に弔っておらず、その管理もしたいだろう。そして何より、経緯は如何であれ、長く暮らしていた場所。嫌な思い出はあろうと、戻りたくなると言うのが心情なのだろう。
「君達の決定だ、俺はそれを全力で支える。ギルドの者の前に、一人の人間として。だが、本当に戻りたいかどうかは、ちゃんと話し合ってからにしてくれ」
 気持ちは尊重したい。けれど、いざ戻って思い詰めてしまうのは自分達なのだ。それで自分達が潰れてしまうと言う事は避けたいもの。その点に念を押す。
「はい、それは分かっています。ですが、近くに決定すると思います。多分、戻ると思いますが・・・」
 肯定する彼女もまた戻りたい一人であろう。代表と言う形になったが、故人を弔いたいと少々無理を言ってまで雪山地帯に行く事を条件に調査に参加したのだ。それを思い出し、小さく息を吐いた。
「それなら、良いが、それでも慎重にな。けれど、俺や君は人と人を繋ぐ架け橋ラファーの人間だ、勝手にする事は出来ない。今回の事は取り敢えずステインに相談はしておく。もしかしたら、俺達は却下されるかも知れない。その事は頭に入れていてくれ」
「はい、分かりました。トレイドさんに相談して良かったです」
「大袈裟だな。だが、頼ってくれた事は嬉しかった。ありがとう」
 互いに礼を掛け合うやや妙な姿が暗い部屋に映される。互いの姿が少しおかしく、笑いが零されていた。
「それでは、もう寝ますね。おやすみなさい、トレイドさん」
「ああ、おやすみ」
 少々笑い、気持ちが治まると就寝の挨拶を行う。その挨拶だけでもトレイドは気持ちが透く思いを感じていた。
 相談し、了承してくれた事で気分を良くしたクルーエは活き活きとした様子で部屋を後にする。礼儀正しく一礼を、笑顔も残して部屋を後にする。
 その姿を見送ったトレイドはゆっくりと視線を落として途中だった純黒の剣の手入れを再開する。それに集中しながらも思いを巡らせていた。
「・・・俺が、出来る事。受け継いでいく事・・・だな」
 迷いは定まろうとしていた。夜の静けさを壊さぬよう、静かに手入れを丹念に行い、時間を消費していった。

 生きている限りに様々な事と遭遇し、迷うだろう。思いは、考えは錯綜として纏まり切らない事もあろう。しかし、逃げる事は出来ず、対面していくしかない。悔い、辛さ、もどかしさに気持ちは揺れ続ける。
 それでも何時かは答えに辿り着く。どのようなものでも、形でも、開けない夜など無いように。静まっていく夜の中、強き思いと共に定まっていった。
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