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霧は晴れ、やがてその実態は明かされゆく

思いは揺れ迷い、それでも向き合って

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【1】

 人々、狭き世間に激震を与える出来事が幾多も発生した。多くの者の心を揺らし、惑わすには十分な傷が与えられた。それでも生きていくしかない。それは流れる時間が指し示すように。
 呆気なく日は過ぎ、朝が訪れていた。多少を変化を見せても青空は広がり、変わらぬ日差しを受けて日常は開始される。特出するのは、天の導きと加護セイメル・クロウリアと呼ばれる施設である。
 其処では孤児を養っており、子供の楽しそうな声の絶えない、微笑ましい場所として知られる。同時に怪我人の治療も行っており、宗教性の高い場所である事が名称が定まったのであろう。けれど、それを思わせないのが明るい子供達の存在であろう。
 そうしたその場もやや不安定な空気が流れる。最近に住む場所を失い、親や隣人を失った子供達が此処で住むようになった。既に暮らしていた子供や職員が優しく接し、如何にか安静を保っている、そのような状態であった。
 そんな子供達を一番に心配し、様子を見守るのはとある少女かも知れない。そう、心を痛め、通り掛かる度に。
 白の修道服は此処の職員の証、唯一の子供の職員と言えばラビスを指す。その少女は思い悩んでいた。その対象は言うまでもない。
 責任者アニエスを始めとして、ローレルの子供達の事情はある程度把握していた。だからこそ、同情し、少しでも早く立ち直れるように支えたい思いがあった。けれど、自分とは違う苦しみに耐える子供達を如何支えるか、それに懊悩していたのだ。
 子供達もその所は弁えているのかも知れない。けれど、やはり、感情はそう簡単には抑えられるものではない。
「止めて!暴力を振るったら駄目っ!」
 気付けば始まっていた。些細な事から始まったのだろう、飛び出していく少女の先、二人の男の子が喧嘩とは程遠い諍いを始めていた。
 その子供達はローエルに住んでいた子供であり、片方は涙を浮かべて感情的、もう片方は負い目に満ちた表情で暴力を受けるのみ。内容は想像出来るが、見る限り、虚しい争いであった。
「落ち着いて?一回手を止めて、ね?如何したの?」
 間に割って入り、二人を優しく抱き締めて宥めようとする。そう簡単に気持ちは治まる事はない。姉のように、年長者として納めようとするが、上手くはいかないもの。
 体格差がある訳でもなく、ましてや感情的な子供。宥め、落ち着かせようとしても、思った以上に力強く、完全に抑える事は出来なかった。
「放っておいて!」
 そう叫ばれ、力任せに突き飛ばされてしまう。不意の事で踏み止まれず、尻餅を着きそうになった寸前であった。
「おうおう、危ないぞ。如何した、喧嘩か?」
 小さなその騒ぎを聞き付けたのか、誰かに教えられたのか、ラビスを受け止めて仲裁に入ってきたのはガリードであった。子供達の思いも知らず、余裕の表情と態度で。
「そんなに元気が有り余ってんなら俺と遊ぶぞ!」
 事情を把握せず、彼は二人の腕を引いて強引に遊びに連れ出していく。その強引さが先までの感情を忘れさせるほど、寧ろ困惑させていた。
 その姿を受け止められ、立たされたラビスは眺める。不甲斐なさそうに、気落ちして。その少女をガリードは褒めるように目配せするのだが、然程効果は無かった。
 浮かない様子にガリードは気を留めながら、仲裁に入り、遊ぶと言った以上、それに付き合う。他の関係ない子供達も巻き込んで。
 程無くして、施設内には子供達の元気で、明るい声が響き始める。先程までの空気は何処へやら、当人達も笑顔を輝かせて遊ぶ。
 一件落着と感じる端、ラビスの様子にガリードは気を留め、浮かない表情で考え事に耽っていた。それは子供達に遊ぶようせがまれ、やや邪魔されて。

「・・・やっぱり、皆、不安がってるっスね」
 時間は既に夜が訪れていた。子供達は入浴の時間であり、任せている間に離れの建物に戻っていた。
 離れは幾多の部屋が設けられ、宿直室のような部屋が幾つかある。その一つ、此処で住み働きとして雇われたガリード。言わば、彼の自室にて、彼はアニエスと話していた。
 遊具の一つを修理していた彼に、その感謝を伝える為にアニエスが訪れていた。その時に、そう伝え、彼女は仕方ないと言った様子で表情に影を落としていた。
「まぁ・・・仕方、ねぇっスね。忘れる訳、ねぇっスから・・・」
 それに立ち会い、誰よりも深く責を感じる彼は利き手を握り締めて零す。
「そうね・・・でも、それを支えるのが私達の役目ですから」
「役目、っスか・・・そう、ですよね」
 託され、そして頼った先が此処天の導きと加護セイメル・クロウリア。誓った以上、それに責任と義務が生じる。それを果たす事がまさに責務と顔を引き締める。その時、不意に思った。
「アニエスさん、ラビスちょっと無理してねぇっスか?」
 そう、不安定な子供達の面倒を見ている所為か、顔色が優れず、普段からは見せない弱った動作も見えていた。彼から見て、その姿は無理しているようにしか映らなかった。大人びているとは言え、まだ子供。不安定な年少達の世話は更に負担が掛かろう。
 実際、例の子供達の多くは少しずつ新しい環境に慣れ始め、同時に不満が不安が溢れ出す頃でもある。情緒が不安定になり易く、そうなれば子供の扱いに慣れた大人でも苦戦しよう。それは歳の近い子供でも同じ。
「・・・やはり、そう思いますか。私も、思っていた所です。あの子が一番歳が近いので、心を許してくれる可能性があるとも考えましたが・・・あの子に負担を掛け過ぎるのはいけませんね」
 まだ此処に来て日が浅いとは言え、負担を掛けてしまった事を悔やむ彼女。薄々は気付いていたようで、それが杞憂でなかった事に案じる思いは強まる。
「ですので、明日にでも注意ではありませんが、少し相談しようかと思っていた所です」
「・・・なら、俺が伝えるっスよ」
「ガリードさんが?」
「はい、言わせてください」
 ガリードは真剣であった。この場の誰よりも責任を感じ、子供達の面倒を見ようとこのギルドに移ってきた程に考慮する彼。頼む姿は身を切る様にも感じて。
「・・・分かりました。お願いしますね」
「ありがとうございます、アニエスさん」
 事件が起きてからまだ記憶が薄れるほどの時間は経過していない。子供達同様、その悪夢に魘されているであろう彼。感謝を告げる顔は苦しそうに映って。
「それでは失礼します。あまり夜遅くまで根を詰めないように。鍛錬も大事ですが、程々にしてください」
 だが、アニエスは指摘しない。考えないようにとも言わない。今、彼は向き合い、立ち上がろうとしている。その思いに水を差したくないとし、就寝前の挨拶を交わして立ち去ろうとする。
「分かってるっスよ、アニエスさん。おやすみなさいっス」
 遊具の修理を再開させながら彼は応じて。
 その後の閉扉音の後、薄暗い空間の中で彼は金槌を振るう。深刻な面で、様々な事を巡らせながら。打つ音が今の彼の心境を表すように、部屋の中に小さく響いた。

【2】

 翌日、天の導きと加護セイメル・クロウリアに何時も通りの日常が流されていた。
 暖かな木漏れ日、それを充分に感じ取れる時間が訪れる。離れの一室にて、アニエスが子供達に絵本を読み聞かせていた。勉強、教育と称したその時間。
 アニエスは実に優しい、それも聖母を思わせるような表情で絵本を読み聞かせる。ゆっくりと、はっきりとした声は集めた子供達の意識を集中させる。ローレルの子供達も関係なく、物語にのめり込む様に聞き入る。故の沈黙。
 勉強と称したその時間、空想を広げている時だけは忘れられる。逃避を肯定出来ないが、今の子供達には十分過ぎる時であり、今はこの時だけが楽しくて。
 今だけは静かになった協会から離れ、販売欲と購買欲の溢れた商店街通りとも言える、公道の一つ。この日もまた活気盛んに人の波が満ち干を繰り返して流れ、そのけたたましく感じる波音は忙しなく響く。
 その濁流に身を任せるように、やや荒々しい雰囲気に塗れた一つの店の前に見慣れた二人が立つ。ガリードとラビスであり、その目的は両腕に持たれる。紙袋に納められるのは食材。選ぶ事も充実した時間だったのか、ガリードのみならずラビスさえも満足気に。
「これで十分だな。落とすなよ?もうちょっと持とうか?」
「いえ、大丈夫です!」
 珍しく満面の笑みを浮かべてラビスは返す。その重みは仕事の重みであり、運び終えた時には達成感を抱く。その時には褒められる事を知っており、その為に頑張ろうと気張って。
 その少女の脳裏、自身の声に似た、やや乱暴な口調の声が響いていた。
『おい、本当に大丈夫か?もう少し持って貰ったら如何だ?』
 少女の内にはもう一つの精神が存在する。ラギアと呼ばれる少年の声である。少年は心配して。
『うん、大丈夫だよ』
 自信満々に答えられた為、ラギアは押し黙って認証する。已む無く様子見する事とした。

 ラギアの心配とは裏腹に落下させる事なく、すんなりと天の導きと加護セイメル・クロウリアに戻って来た。人数分の食料、その大半をガリードが持っていた為であろう。
 戻って来た二人は早速調理に取り掛かる。購入した食材、高い栄養価と食べ応えのあるそれらを、この世界での料理器具にすっかり慣れたガリードが次々と調理していく。正午に近付いている為、やや急いで。
 巧みに火と道具を使い、調味料で味を調え、色合いと香りを充分に仕上げて盛り付けていく。その様はがさつに、乱雑に映ったとしても、随所に高い技量と繊細な手際を示す。それを改めて眺めたラビスは何時もながらに目を輝かせる。それは強い学習意欲と羨望の眼。
「ラビス、次、その肉取ってくれ」
「はい、分かりました」
 手早く動く彼の指示に上手く応じ、素早く立ち回る。少しよろけながらも肉の塊を手渡す。受け取った彼は洗練された動きで切り分け、熱し、油を張ったフライパンに乗せる。
 肉を、新鮮で肉厚で、斬ればやはり肉汁を溢れさせるそれが焼かれる。その音、焼けて鼻腔を震わせる匂いと共に弾け、心が躍ろうか。
 音を、焼ける光景を眺める。状態変化を見極める為。その最中にガリードが口を開く。
「ラビス、無理させちまって、悪いな」
 思い詰めたように切り出され、ラビスは少し驚いてその横顔を見た。その彼は悔いに満ちた面を浮かべていた。
「そもそも、俺の所為でもあるんだよ。なのに、ラビス、アニエスさん、皆に迷惑を掛けちまってよ・・・」
 胸を痛め、後悔でしかない感情を吐露する。
 子供達と接する彼は明るく振る舞っていた。けれど、その胸には罪悪感、子供達への憂慮、恨まれても仕方ないと言った感情が犇めいていた。子供達も同じく、彼もその意識からはそう簡単には立ち直れない。見せた横顔は今にも泣き出しそうに、嘆きたくなる衝動が見えた。
「そんな事ありません!事情は聞いています!ですから、自分を責めないで下さい」
 直ぐにも否定の言葉をラビスは叫ぶ。それにガリードは驚いた顔で振り向く。
「ガリードさんも、あの子達も、全然悪くありません!だから、謝らないで下さい!」
 子供達も自分を責め、追い詰めて欲しくない。その思いを伝えようと涙目になるほどに感情的に訴える。それに、寂しそうに笑みを浮かべる。
「そう・・・ガキ共は悪くねぇ。何も、悪くねぇんだ・・・」
「もうそんな事は考えないで下さい!それに、私は無理なんてしていません。もう、あの子達と私達は、家族ですから!私の、弟と妹達です。頑張るのは、当たり前ですから!」
 その場の勢いの言葉ではなかった。勢いはあったが、本心の言葉である事は息を切らすほどの断言に含まれていた。
 それにガリードはハッとしていた。そして、苦笑を浮かべていた。無理しないように、周りの人間を頼る様に言う積もりが、逆に考えさせられ、元気付けられたと。自分よりも随分と大人だと理解し、不甲斐ないと感じて笑みがこぼれていた。
「・・・だな!家族は支えねぇとな」
 吹っ切れたかのように爽やかな笑顔を見せて肯定する。それにラビスは安心を浮かべた。
「んでも、俺が出来んのは大した事はねぇな・・・強いて言ったら、遊び相手と・・・ああ、料理か!」
 術を思い返し、やるべき事が定まったと調子は上がっていく。
「そうだな!俺が飯を作ってやりゃ良いんだ!飛びっきり美味い飯を食わせて元気を出させる、それが良いな!美味い飯は、楽しいもんな!」
「はい、その通りです!」
 劇的に変わる手など、方法など無い。けれど、改善に向かわせる事は出来る。その糸口が掴めたと喜ぶ彼に、少女も同様に喜びを示す。
「だからよ、頼っても良いか?俺一人じゃ作り切れねぇ時もあるかも知れねぇからよ」
「是非、頼って下さい!」
「そっか、じゃ、俺等も頼れよな。頑張んのは良いけどよ」
 急に釘を刺されて少女は少しきょとんとする。
「家族の為だからって、お前が倒れちまったら意味がねぇからよ。折角、同じギルド、ラビスにとっての姉ちゃんが一杯居るんだからよ。勿論、俺も頼ってくれよ?」
 何時の間にやら幾枚の肉を焼き、最高の出来栄えにせんと火加減を調整して。行いながらの台詞だが、それがラビスの心に響く。頼って欲しい、その言葉が胸中に温かみを与えていた。
「ましてや、俺はお前の後輩なんだぜ?遠慮なくこき使ってくれよ」
 同時進行で別の料理も行いながら彼はカラカラと笑う。から笑い、わざと示した笑顔は無理をするラビスを安心させようとして。冗談もまた同じ思いを篭めて。
「ガリードさん・・・」
 その言葉が心に響く。頼まれたからと人で頑張り過ぎたと思い返す。周りには同じ思いで、支えてくれる人が居ると。何より、あの子供達を想ってくれる人が居る。無理に焦る事はないと。
『俺も、そう思うぜ。お前は頑張り過ぎだ・・・お前が頑張り過ぎる事はないからな。目の前のそいつも言ってんだ・・・頼ったら、良いんだ』
 心の中にも響く。ラギアが心配から注意する。それに少女の表情は和らいだ。誰かを寄せ付けない態度を示していた少年が、ガリードに信頼を置き始めた事にも喜んで。
『うん、そうするね』
 返事は少年にもガリードにも告げていた。それに二人は嬉し気に笑みを浮かべていた。
「・・・っと、ラビス。皿を用意してくれ中くらいのな」
「はい!」
 子供達に、自分達に振る舞う料理作りを止める事無く、次々と作り上げていく。ガリードの素早さに追い付くだけで精一杯だが、それでも少女は懸命にサポートに徹していた。

 その後、料理は最高品質を誇れると満足した彼の手で配膳された。呼ばれた子供達は目を輝かせ、心を躍らせてそれに手を付けていく。直ぐにも舌鼓が打たれ、絶賛の声が響かれた。際の笑顔は、子の食事の時だけかもしれないが、満面の笑みであった。
 それを良い兆候と見定めても良いだろう。自信を持ったガリード、変わらずに子供達を思うラビス。他の大人達もまた、様子を見ながら見守っていく決意を固めて食事を囲み、食事に喜びを示していた。

【3】

 ガリードが新たな場所で少しずつ立ち直っている頃、別の場所では新たな問題に直面して思い悩む者が居た。その者はトレイドであり、ある者を尋ねる為に公道を歩いていた。
 その様子、アイゼンの一件がまだ尾を引く。昨夜と比べて快方には向かってはいるものの、極度に疲弊し、人が違えて見える。病んでいるのかと思わせるほど思い詰め、険しき表情で歩く。それは傍を通り掛かった者を振り向かせるほどに。
 まだ休むべき彼が会いに行こうとする者は、先の一件の関係者であり、ともすれば尤も心を痛め、奔走したであろう者。その彼を安心させると共に更なる絶望に落としてしまう事を気に病み、だからこそ進む足は遅く。それでも伝えぬ訳にはいかないと懸命に向かっていった。
 その彼も生活する為に当然仕事をする。だが、その仕事先も地震に拠って多少の被害が発生した。それでも出来ない状態ではないが、上司に断りを入れて捜索を続行していた。保護された連絡は行き違いになるように届いていない為、行方が分からなくなった場所で捜索していると考え、其処に足を運んでいた。
 昨夜も訪れた路地、その分かれ道に到着して目的の人物を探す。けれど、探すまでも無かった。周囲を具に、それも不審に思えるほどに、近寄り難い必死さを見せて捜索する姿を発見する。見掛ける見知らぬ者に積極的に話し掛け、情報を集めようとし、不気味がられてもいて。
「アーガ」
 構わず、近付いて話し掛けるのはサフィナを一番に案じる、それも血相を変えていると形容しても可笑しくない様子の彼である。
 トレイドの声に反応して振り返ったその顔は一目瞭然と言えるほどの必死さと心配な感情が読める。トレイドと顔を合わせた時、ほんの僅かな落胆が見えた。
「お前・・・大丈夫か?ちゃんと休んでいるのか?酷い顔だぞ」
「今のお前に言われたくないな」
 顔を合わせて直ぐに心配される。それほどにトレイドの表情は憔悴していると言う事。だが、それはアーガも同じに。
「・・・何か用事があるのか?お前だってサフィナや他の奴が居なくなった事は知ってんだろ。如何でもいい事なら後にしてくれ」
 今は何よりも彼女達の安否を知る事が優先だと煩わしそうな態度を見せて歩き出そうとする。その後ろ姿に躊躇いながらも告げた。
「・・・昨晩、彼女を含めた魔族ヴァレスを保護した。行方不明者は、全員・・・生きている」
 告げた瞬間に彼は振り返った。言葉を失い、驚き返って全ての動きが数秒停止した。
「っ!そうなのかっ!・・・良かったぁ・・・!」
 一瞬、嘘や冗談では済まさないと言った迫力を見せるもトレイドの顔から真実だと理解すると、激しく安堵して少し崩れる。我が事のよう、いやそれ以上に彼は喜ぶ。涙が少し浮かばせ、感動してそれしか言えなくなるほどに。
 傍の建物に身体を預けなければならないほどに脱力し、喜ぶ姿にトレイドは罪悪感を抱く。これから伝えなければならない事に、言い淀むのだがそれでも開いた。
「・・・そして、言わなければならない事もある」
 彼の顔を直視出来ぬままその事情を、伝える為に喜びに浸る彼に告げたくないと思いながら。

「・・・こんなのって、あるのかよ・・・!」
 彼等は魔族ヴァレスが住む路地へ戻り、その実情を目の当たりにしていた。直接面会など出来る訳もなく、窓越しで気付かれないように様子を窺った。そうして知ったアーガは唖然とし、沸々と怒りを抱いていた。
 助けられた者達は全員衰弱していた。栄養価の問題ではない。劣悪な環境に数日程度、狭い鉄格子の牢屋に押し込められ、あの拷問の声を、愉悦に浸った声を聞かされたのだろう。それがどれほど心を傷付け、殺しかねないほどだったのか、痩せこけ、終始怯えた様子が物語る。
 その者達を他の魔族ヴァレスの者が世話を、献身的に介護し、精神を落ち着かせようとしているが傷は深く、それどころか何をしても怯えてばかりになるほどであった。
「・・・救い出された者の多くは直接的に拷問に掛けられていない。だが、その声を聞かされた。今は、酷く疑心暗鬼に、いや、人間不信となっている。特に、人族ヒュトゥムには激しい拒絶反応を示している。落ち着いた頃に近付いたんだが、激しく怯えられた。暫く・・・会うのは、難しいだろうな」
 事情はいずれ知られる、今知るか、後に知るかの何方か。人族ヒュトゥムではあるものの、アーガも魔族ヴァレスに関わるものの一人。伝えない訳にはいかず、道中で簡潔にだが真相を告げ、今目の当たりに刺せていた。その彼の胸の内は激しく入り混じっていた。
 それは、自身が関わっていた恐れも、加担していたかも知れないと危惧し、彼は打ち震えていた。一方的な偏見によって魔族ヴァレスを追い回し、傷付けた。それ以上の現実を突き付けられて身が熱くなるほどの怒り、同時に自身への吐き気を感じるほどの嫌悪感に囚われた。
 怒りを抱きながら眺める先にクルーエの姿を発見する。自身もあともう少しで同じ目に遭っていたかも知れないと想像しながらも、それでも熱心に、いや考えないようにするように皆を診る。その手が弱々しく払われても。
「・・・なぁ、こんな事を、仕出かした奴は、何処に居るんだ?」
 静かに、けれど激昂したアーガは問う。その顔は冷静なものだが殺意が見て取れる。それほどに彼女の事が大切であり、今にも傍に寄り、抱きしめたい思いだろう。それを押し殺し、怒りの矛先を探す。
「・・・そいつは、もう、死んでいる。保護した日に、な」
 そう告げられ、身を震わせて少しの間彼は制止する。そして、込み上げる感情を抑制させるように、歯軋りを鳴らすほどに食い縛りながら蹲った。
「ふ、っざけんなよ・・・!死んだ、だと?それで、済まされるのかよ・・・!クソッ!!」
 激しく憎しみを吐露して悔しがる。理不尽な現実を嘆く。それにトレイドも同意するが、もうどうする事も出来ず。
「一先ず、暫くは会わないようにしろ。今会えば、彼女を苦しめる。お前も苦しむだけだ。良いな?」
「・・・ああ、分かっ・・・」
 苦肉であり、彼女達の為だと言い聞かせながら立ち上がった時であった。室内から小さな悲鳴が聞こえ、会話を中断して二人は室内の様子を確認した。
 中に居た数人、件の被害者が窓の方向を見ながら、声を殺して怯えていた。縮こまり、酷く怖がっていた。窓にはトレイドとガリードが居り、怯えたのは言うまでもなく二人を発見したから。
 介護する皆が宥める様を一瞥しながら二人は窓から離れ、会話を中断して黙り込んでいた。
 それは覗く誰かが、誰であっても良く視認出来なければ分からぬ誰か。反射的に怯えてしまったに過ぎない。だが、彼にとっては、知人である自分を恐れたと見做しても仕方ない反応であった。
 故に、直ぐにも隠れ、泣き出しそうな面で立ち尽くす。彼女にそうさせてしまった自身への不甲斐なさを悔い、憤る。
「・・・お前の言う通りにする。会えるようになったら、連絡してくれ」
 最早疑いの余地など無い、身を引くしかないと弁えて立ち去っていく。その後ろ姿に深い悲しみを感じ、同情してトレイドの表情は歪む。
「・・・お前が必死に探していた事は彼女にも伝えておく。今の今迄探していた事は、必ず」
 彼自身も多少は分かっているだろう。だとしても、彼もまた傷付いた。せめてもの慰めしかならないが、そう伝える。それに答える事はせず、彼は静かに、口惜しさを示して立ち去っていった。

【4】

 身を裂かれるような思いでアーガは離れていく。それを見送りながら物思うトレイド。二人が傷心する端、室内では介護する者達が病んでしまった者達を宥めていた。その中にはサフィナを宥め、落ち着かせようとするクルーエの姿があった。
 彼女も同様に訪れたアーガを、彼とも認識出来ず、怯えてしまっていた。今の彼女が彼と認識した時、どう反応するのか、想像に難くなく、そうはしなくないだろう。誰もが想い合っている者が拒絶されてしまう様は。
「サフィナさん。大丈夫です、此処に皆さんを傷付ける人は居ません。居ませんから・・・」
 怯えてしまった彼女をクルーエは抱き締める。抱擁で少しでも安心させようとする。それは他の者も同様。抱き締められ、逆に怯えが酷くなる者も居るが、見知った者の暖かいそれが僅かでも気持ちを和らげて。
 状態は本当に酷かった。拷問の内容、それを誰も知る事はないが、発狂しかねないほどの壮絶な体験をした事は様子が示す。そして、例の場所の色と悪臭、拷問道具の揃い具合から人の心を壊すには易いだろう。
 現に、トレイドも話題に上げなかった、拷問に掛けられてしまった唯一の者はやはり酷い状態であった。別の場所に隔離されている彼。情緒が希薄になり、内外の反応は薄く、しかし道具さえあれば自死しかねないほどの状態。正直、カウセリング医師であっても、凄絶な理不尽から立ち直らせる事は難しいと思わせる状態と思われた。
 その日は気持ちを落ち着かせるだけで殆どの時間を消費してしまった。彼女達を見る者は誰もが憤り、悲しんだ。如何して、彼女達がこのような目に遭い、苦しまなければならないと。もう、それを訴える相手も居らず、涙を耐えながら、彼女達の介護に努めていた。

 そうする内に時間はあっと言う間に時間が流れ、夜が訪れていた。食事の用意、入浴の用意、就寝の用意、それに関しては手間が増えるものの流れは変わりない。誰もが苦に思わず、懸命に行っていた。
 皆がそれぞれに作業に取り掛かる間、如何しても傷心した彼女達は時間を空いてしまう。大抵は家事の手伝いや暇潰しのように会話をしたりと、少しでもあの時の事を考えないように、常に誰かが居て、誘導するように面倒を見る。今夜はその数人の中にクルーエも居て。
「・・・ねぇ、クルーエ」
「如何したの?」
 比較的調子が戻ってきたように映るサフィナが話し掛ける。それでも表情は普段のおっとりとし、何事にも調子を崩さない温和な顔は無く、無表情に近い。声も比べようにならないほど暗く、小さく。
「昼、頃に・・・」
 そう切り出した時、クルーエは警戒してしまう。再び、情緒を崩し、それが全員に伝播してしまうのではないかと。だが、彼女は調子を変えず、他の者にも聞こえなかったのか、危惧した結果にはならず。
「・・・二人、見えた、けど・・・誰ですか?」
 尋ねられてクルーエは躊躇した。知らぬ人と誤魔化す事は出来ず、かと言って知っている者の名を上げると、真実を伝えると如何崩れてるか分からない。だから、躊躇った。
「トレイドさんと、アーガさんです」
 考えた末、真実を告げた。何よりも魔族ヴァレスを、サフィナを案じ、動いてくれた二人。今伝えなければ彼女の為にもならないと考えて。
 受けて熟考する。深く、噛み締めるように二人の名前を、その存在を。それは二人がどのような人物かを、値踏みするように。それほどまでに人が信じられなくなって。
 そして、気付く。トレイドに関しては言わば中間の人間ではあり、あの地獄のような場所から救助してくれた者。恩が強く、怯えるには値しない。けれど、アーガだけは違った。人族ヒュトゥムであり、苦い記憶も忘れてはいなかった。
「アーガ・・・は、人族ヒュトゥム・・・」
「サフィナ、聞いて」
 信じていた者に裏切られたような感覚に陥り、取り乱しそうなった彼女を呼び掛ける。気を逸らす為に、そして、大切な事に気付いて貰いたくて、急ぎ言葉を遮り、その肩に掴み掛かった。
 思わぬ行動に目を大きくして彼女は止まる。向き合うクルーエの面、必死で懸命な表情に気持ちは治められた。
「あの人、アーガさんは、貴女が居なくなった時、直ぐに、探し始めたの。一番あなたの事を心配して、本当に寝る間も割いて探してくれたの。トレイドさんが助けてくれた後も、知らずに、探していました。貴女が助かった事も知って、直ぐ様子を見てきてくれるくらい案じてくれていたの。アーガさんが、一番、心配してくれていますから・・・」
 その説得を受け、サフィナは表情を変えず、深く考え込む。クルーエの言葉を信用しようとしてなのか、それとも彼と暮らした日々を思い出しているのか。その思考は読めない。
 考え込む姿を見て、クルーエは信じる。人族ヒュトゥム全体を否定して欲しくないと、何よりもそれだけで彼を否定して欲しくない為に。
「御飯、出来たよ!」
 会話が止まり、様子を見ている内に夕食の時間となってしまう。子供の期待に溢れたその声で誰もが夕食の準備、食器や食卓の乾拭き等を行う。それに二人も参加し、それ以降の話はその日は行われる事無く、就寝に至っていた。

【5】

「・・・本当に、大丈夫なのか?」
「ああ、彼女の要望だ」
 あれから十数えるほどの日が経過した。町の様子も落ち着き、どの仕事も再開した頃の昼近く、トレイドはアーガを引き連れて魔族ヴァレスの暮らす路地に到着していた。
 状態を知り、いざ会うとなれば不安とならないだろう。現に、アーガは及び腰、足が重い様子が良く分かる。
「アーガさん」
 連れてこられた彼を迎えるのはクルーエ。彼女も心配を面に刻み、神妙な空気で案内していく。その先はあの日に様子見た建物とは別の場所。
 その玄関先で一呼吸が置かれる。クルーエもトレイドも、そしてアーガに覚悟をさせるように。そうして、室内へとアーガは踏み入っていった。
 変哲もない一軒家、民家の空気が漂う家具が置かれた室内にサフィナは椅子に座って待っていた。踏み入り、直ぐに目を合わせただけでも不安と怯えが見て取れた。アーガを見ただけでも身体を少し震わせた事がその証拠。
 いざ対面させ、その様子を見守るトレイドとクルーエ。どうか、上手くいってほしいと願い、もしもの時に直ぐに動けるように心構える。その目が、崩れ落ちる姿を捉えた。
「・・・良かった。本当に、良かった・・・」
 崩れ落ちたのはアーガであった。彼女に怯えられているなど関係ない。前に確認しているなど関係ない。今、間近で確認し、以前よりも血色が良くなり、快方に向かっていると知って感情が抑えられなかった。
 近寄らなくとも正対出来た事も含め、抑えていた感情で顔を覆って涙する。彼女の境遇を悲しみ、拒絶されかねないと思った不安と緊張が解け、何より心細い思いが解消された。それらの喜びで涙は止まらなかった。
 その彼は小さな感触に気付き、面を上げて更に心が揺れ動いた。直ぐ傍にサフィナが居り、その彼女が抱き締めてくれていたのだ。ぎゅっと目を閉ざし、まだ恐怖は残っているのだがそれでも歩み寄ろうとする思いが示される。それが溜まらなく嬉しく、泣き顔のまま彼女を抱き留め、共に再会を喜んでいた。
 アーガと会って直ぐは怯えはあった。けれど、彼の姿にそれは消え、気付けば駆け寄っていた。その胸に抱き止めてくれる事を望むように。
 互いに感謝の言葉を告げ、抱き締め合っている姿を、二人は安堵し、警戒を解いて表情を崩していた。涙ぐみ、静かに眺めていた。
 今日に至るまで、介護した者も、そして当人も苦しみ抜いた。人族ヒュトゥムと会う、その何でもない事が苦しみ悶えるほどに苦痛であった。口に、要望を考えるだけでも、叫びたくなるほどだった筈。
 それでも踏み出したのは、偏にアーガを信じたい思いが勝ったと言う事。信じていたのだろう、彼の事を、怯えてもずっと。

 サフィナが示した信じる心、誰かを信じたい気持ち、それは誰しも抱く。彼女だけでなく、個人差はあるものの他の被害者も、献身な介護もあって少しずつ、少しずつでも立ち直っていった。
 今回の唯一の犠牲者となった者も時間はまだ必要とするが、それでも良い傾向に向かっていた。それを知り、まだ気が抜けないのだが、知ったトレイドは一つ安心を浮かべ、与えられた仕事に向かっていった。
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