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霧は晴れ、やがてその実態は明かされゆく
踏み出す意思、変わりゆく意思
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【1】
地域調査に記憶喪失者のシャオが参加し、セントガルド城下町を出発する数日前、その明け方。白く清い城が構えられた其処に、夜を焼く陽光が差し込み始めていた。
彼方は輝かしき赤い光が覗くと言うのに、城下町全体は普段の色をより濃く映し出されていた。
例に漏れずにとある通路の建物も照らされ、修復の多き其処の内部にも届く。室内に一人、夢に魘され、小さく暴れていた。
私物を置かず、必要最低限の家具しか置かない殺風景な其処で苦悶するのはトレイド。嗚咽に似た息を切らし、窒息寸前のように身を捩らせる。その眼前に映るのは心的外傷、過去の記憶に過ぎない。だが、永遠に逃れられない悔恨でもある。
汗を滲み出させ、幻覚に苦しまされ、寝言でも懺悔の言葉を零して苦しみ続ける。
「・・・っ!ハァハァハァ・・・」
咄嗟に覚醒、飛び起きた彼は息を絶え絶えに肩を揺らす。目には涙が滲み、汗と混じって顔を伝う。それらを拭いながら息を整える。
浮かべば暫く残る悔恨の念、そして懺悔の念。それにも苦しまされ、硬く瞼を、歯を食い縛って蹲る。その手も握り込む。反芻されてしまうのは今も尚残留した感触、新しきは、新たな友をその手に掛けた事。それに表情は曇り続けて。
「消える筈、無いな・・・忘れたくても、忘れたくなくても、どっちにしても・・・」
震える手を眺めて呟く声に感情の全てが乗せられる。思い出される、思い出してしまう記憶の惨景と色褪せた失意。朝陽が延び、明るくなる寂れた室内に零されていた。
少しずつ納めていく念と感情の中、静かに窓を眺める。閉ざしたカーテンから透ける明かり、朝が訪れて暫く経っていると認識する。気を逸らす事で、切れていた呼吸の音は治まり、流れ出でた脂汗も薄れる。調子は少しずつ調整されていった。
「・・・如何、するか・・・」
整えていた呼吸で深い溜息を吐き捨てる。その頭には前夜の相談に対する悩みが込み上げていた。
「ともあれ、俺が出来る事を、するしかないな・・・」
話された以上、それに尽力するしかないと気持ちを切り替えながらベッドから降り立って支度を始めて。引き締める顔は真剣、まるで戦場に向かうかのように責任を感じて。
建物から出て行く彼は前夜の事を思い出していた。
「仕事がしたい?」
ガリードに倣って鍛錬、構えからの素振りを行っていたトレイドに、クルーエやセシアがそう切り出していた。
「はい。私もそうですが、多くの人が仕事をしたいと言っています」
「そろそろ環境にも慣れ、状況も変わり始めている。何もかもをされているばかりだと、こっちも不満を持ってしまう。何かしらの仕事を、誰かの助けになりたいんだよ」
そう告げられてトレイドは腕を止めて思案する。真摯に受け止め、熟考する。
相談してくれた二人もまたフラストレーションを抱えている様子。無論、二人が与えられているだけでなく、他の者も協力を惜しまない為、非常に役になっている。けれど、それでは足りないのか。
「・・・正直に言えば、難しいと思うぞ。幾ら魔族に対する不条理が解消されても、苦手意識、反対意識は残っている。簡単にいかないだろう。また、辛い場面に、経験をするかも知れないが、それでも良いのか?」
二人と見合って正直に自分の見識を伝える。希望を持たせたいが淡いものは抱かせたくないと、目を逸らさず。受けた二人はそれでも諦める意思を見せない。承知の上だと。
「既に、その事は伝えている。考えられる事だからな。俺自身、少しでも助けになりたいが、仕事に就く事はまだ尚早と考えている」
「でも、皆それを理解した上でそう相談してきました。如何か、お願いします」
皆の意思を代表するように、加えて自身の気持ちも込めて切願する。頭を下げ、強く。
「・・・分かった。明日、ユウかステインに相談する。了承されたら直ぐにも斡旋してもらおう」
そこまでされなくとも承諾する意思であり、頭を上げるように指示しながら受け止めていた。
その時の二人の顔、張り切りながらも不安を感じ取れる表情を気掛かりとしていた。
「そう言う訳で、仕事の斡旋を頼んでも良いか?」
頼る先は上司であるユウ。人と人を繋ぐ架け橋の施設へ訪れ、多忙である事が見て取れる疲れた面の彼女。そんな状態の彼女を頼る事を心苦しく思いながらも、頼る先のないトレイドは縋るしかなく。
「そう・・・仕事を、ね・・・」
事情を把握した彼女は出会った時よりも強い暗い色を、難色を示す。トレイドの後ろに立つ本人達を前に隠せないほどで、それほどに難しい事は見て取れた。いや、それも最初から分かっていた事。
「・・・先に言うけど、近く本格的な地帯調査が行われるの。もっと言えば、もうある程度人員も決められていて、明後日には開始する積もりなの。それにも、貴方も入っているのだけど、如何する?」
それはギルドの方針に則った重要な仕事。欠かしてはならないそれを知り、一瞬間を空けたトレイドだが、
「悪いが、断らせてくれ。それも大事だが、魔族に関する案件も大事だ。頼られて、途中で放棄など出来ない」
そう断るとユウは小さく笑う。耳にした二人は頬を緩めた。
「そう言うと思ったわ、そのように調整しておく。でも、私も調査の責任者でもあるから、手伝う事は出来ないから。それは覚えていて。代わりに誰かに頼むから」
「そうか。忙しいのに、呼び止めて悪かった」
「気にしないで。それも私の役目だから。また明日来てくれる?」
自身は立ち会えないものの、代わりを立てると快く了承してくれた事にトレイドは少し気を緩めた。
「すまない、頼む。二十人近くが働きたいと言っているからな」
「分かったわ」
目元に僅かなクマを滲ませた彼女は足早に立ち去っていく。その後ろ姿に、事務作業に貢献出来ない事を歯痒く思いながら、続く二人と向き合う。
「そう言う訳だ。明日改めて職探しとなるだろう。二人はもう一度、働きたい者、その者の希望と特技を聞いていてくれ」
「分かった」
「トレイドさんは如何するのですか?」
一先ずの一憂が解消された為、二人の緊張は和らいでいた。
「俺は俺なりに資料を集めてある程度の仕事を探す積もりだ。直ぐに戻る」
「お願いします、トレイドさん」
「ああ」
先の指示を受けて立ち去る姿を見送り、自身も資料室へ赴くのであった。
【2】
そして翌日であった。その日は快晴、小鳥が良く行き交う、清々しき朝が迎えられていた。
「いや~、なかなか、見付からないッスね~」
底抜けて気楽に構え、少し抜けたような明るい声が消極的な事を発する。異性に好かれそうな美形であり、心和やかにしそうな声色だが、残念な雰囲気を纏っていた。
「・・・そうだな」
年下でも目上でも砕けた口調の彼女フルマに同調するトレイドもやや険しい顔。否定したい思いを抱けども、出来ずにそう相槌を返して。
やはり、現実は甘くはない。仕事探しは難航し、代表として新たにアマーリアを追加し、その三人は難しく、苦しい顔を浮かべて続く。
正面から拒否される事はなかった。それは法の改正が大きいのだろう。それでも、忌避感、偏見は根深く残る。朝の半ばから挑んだものの、昼を超過しても一人すら決まらなかったのだ。ならば、そう嘆きたくなろう。
望んだのは販売店等の接客業を始めとする人と接する仕事、料理屋の調理員を始めとする店を支える様な仕事は断られ、魔物に関わる事は信用が足りないと回されなかった。敬遠され、面倒事を嫌っての事だろう。理解出来るし、否定も出来ないが、受け止め難く。
今だ消えない問題の一つにぶつかり、休憩の目的で訪れた中央広場にて溜息を一つ。束ねられた紙に付け加えられる射線、それが現実を克明に現して表情を暗くさせる。
「これは、如何だ?」
「・・・駄目かも知れないっスね。運搬は責任が強いっスからね。それでこそ、代表とか、そんな人が最も信頼している人間に任せちまうっスからね。確かに、魔族の力は便利なのは分かってるっスけどね・・・」
「確かに、な・・・」
トレイドが調べて導き出した仕事の悉くが却下されてしまう。それに表情は暗くなるしかなく。
最早選りすぐりは出来ないと、彼女達の意向にそぐわない仕事を探してもそれすらも断られる恐れがある。至難するしかなく。
「・・・申し訳ありません、私達の為に面倒を掛けさせてしまって・・・」
心が痛いとアマーリアが頭を下げる。
「謝らないでくれ・・・俺の見通しが悪かっただけだ。探せば見付かる」
彼女に、魔族に非は無いと直ぐにもトレイドが否定する。それでも自責と感じてしまうのが彼女達だ。
「あれ?如何か為さったのですか?」
「アニエスさん」
思い空気に包まれた一向に話し掛ける女性の声。振り返ると、居合わせたのはアニエス。その手には食材を詰めた紙袋を二つ抱える。
「あら、アマーリアさん。何時も、子供達がお世話になってありがとうございます」
「いえ、そんな事はありません。少しでもお役に立てられているのなら幸いです」
近寄って来た彼女は日頃の感謝を込めて挨拶し、アマーリアも謙虚に構えて受ける。その最中にさりげなくトレイドが食材が溢れ出しそうな紙袋を受け持っていた。
「それで、皆さんは如何して此処に居るのですか?」
「それがっスね~」
調子を変えずにフルマが説明していく。馴れ馴れしい口調で簡潔ながらも内容は確かに伝えて。
状況を把握したアニエスは少々考え、そして告げた。
「それなら、私達の所に来ませんか?」
紹介してくれるならまだしも、受け入れる発言を出してくれるとは思っておらず、数人は驚いていた。
「それは一番歓迎する事だが、良いのか?」
「ええ、構いません。寧ろ、願ったり叶ったりです。何せ、一か月前に此処に来た人達の中で身寄りのない子供が多く居まして、引き取ったのは良かったのですが、正直人手が足りなくなりまして。時折、魔族の方々が手伝いに来てくれて非常に助かっていましたから」
「良かったです、私達でもお役に立てられて」
そう微笑むアマーリア。それに水を差すように真剣な表情のトレイドが口を開く。
「本当に有り難いが、本当に良いのか?・・・色々と問題が出てきそうだが、第一にギルドの方針に反しないのか?」
「そんな事はありません。私達のギルドは困った者を助ける事が第一です。其処に、種族は関係ありません。怪我人の治療に当たっても聖復術が使えなくても、薬学や簡単な手当等は指導致します。既に、そうした者もおりますので」
断る理由が無いと彼女は受け入れてくれる。他の職員に相談しないあたり、本当に魔族の事を理解し、寛容になったと認識出来る。その事にトレイドは頬を緩める。
「・・・本当に、良いのか?」
「はい、此方からも是非、お願いします」
受け入れてくれる場所は身近にある、灯台下暗しとはこの事かも知れない。その幸運を噛み締めるように、アマーリアを始めとする三人は深々と頭を下げて感謝を示す。
「それなら、ちょっと詳しい話をしても良いっスか~?」
「ええ、構いません。天の導きと加護へ足を運んでもらっても宜しいですか?立ち話では難しいですから」
「そうだな、これも届けないとな」
魔族の重要な案件ではあるが、この事で彼女の用事を止め続けるのは忍びないと、もう一度食材の存在を示して。
「ああ!何時の間に、申し訳ありません!私が持ちますから!」
「いや、無茶を言うんだ。これぐらいさせてくれ」
せめてもの恩返しと言うように受け持ち、アニエスに礼を言われながらも共に天の導きと加護へと向かうのであった。
アニエスと食材を届けた一行は子供達の溌溂とした声を受けながら施設を後にする。外に出て直ぐにも現状を確かめた。
「十人は確定になったっスけど、後半分は如何にかしないといけないっスね~」
「そうだな、あと十人か・・・」
期待と個人の能力で割り振った後、残されたその住人の就職先に悩む。この中にはクルーエとセシアの二人も居るのだが、当人は然して焦りを見せないのは何故か。
残りの者も人の為になりたいとする意思を汲み取る為に、二人は思案を広げて。そうした彼等に目を止めるのは、またもや彼等と面識がある者達である。
「おう、如何したんだ?」
話し掛けたのは道具や資材を片手と肩に担いだ職人達。その先頭に立っていた、親方とされる筋骨隆々の中年男性が話し掛けてきたのだ。その者は魔族と面識があり、彼女達の性格を把握して歩み寄ってくれた者達の一人。
「確かあれだったな、人と人を繋ぐ架け橋の。魔族なんか連れて如何したんだ?それも託児所の前でなんかよ」
彼の印象では天の導きと加護はそうなっているようだ。間違ってはいないが。
「実は・・・」
少し躊躇ったのだが、話さないのは印象が悪いと事情を説明する。
「まあ、魔族となりゃ、無理もねぇか」
と、仕方ないと言った様子で語る。けれど、貶している訳でなく、その現状に嘆いている様子であった。
「親方、それならウチで雇ったら如何です?」
後ろに続く部下がそう提案する。同調する者は多い。最初は拒絶したと言うに、かなりの進歩と言えるだろう。
「馬鹿野郎!俺等みたいなのが居るむさ苦しい場所に来てくれるかっ!」
気にする点、問題点は自分達の仕事環境だと反論する親方。最早、魔族である事は些末な事、問題にはならないようだ。
「それは、こっちからすれば願ったり叶ったりだ。勿論、本人達の希望によるが・・・」
「本当ですか!?」
「やっとウチの所にも華が!」
「もう、他の所が羨ましくて、羨ましくて!」
数人が食い気味に反応して歓喜し、ある者は男泣きして喜んで。そこまで飢えるほど圧迫した環境だったと言うのか。それは親方の一喝で鎮められる。
「だが、良いのか?・・・魔族、なんだぞ?」
「そんな事、もう関係ねぇな。良い奴らばっかりって事は、あの一連で充分理解出来た。大分恩も出来ちまったしよ、彼女等なら大歓迎だ!」
ひたむきさと健気さ、真面目さを目の当たりにした。外聞とは違う姿を見た。受け入れるには、共に仕事をするには十分過ぎる事だと、親方を含めて部下達は笑顔を振る舞って。
彼女達の献身、偽りのない姿勢は無駄ではなかった。認め、認識を改めてくれている。情けは人の為ならず、回って自分達を救うのだ。
「それなら、十人・・・」
「トレイド、六人でいい」
途中で口を挟むセシア。それに他の二人も異論を唱えない。
「・・・それでいいなら、六人で頼みたい」
「充分!もっと来てくれても良いんだぞ!」
わざわざ人員を減らす意図が読めないが、それが要望ならその通りに頼む。それには快諾で即答であった。彼女達の能力も買っての事だろうが、大半が容姿と異性と言う点で喜んでいる様であった。
「また、該当者を連れて挨拶に行く。その時は頼む」
「おう、何時でも来てくれよ!」
少し不安が否めないものの職人達の厚意を喜び、好意を見せる彼等に感謝を告げながら見送った。浮足立つ姿は喜び余って転びそうなほどに。
「残りの四人は如何する積もりなんだ?」
分かれて直ぐにも先の意図を問い質す。問題も粗方片付いて喜べる筈だがその気分にはなれず。
「俺とクルーエ、後の二人は最初から希望があったんだ。此処まで引っ張ってしまったのは悪い」
既に別の希望があったようで、それはアマーリアも把握していた様子。
「・・・俺達を、人と人を繋ぐ架け橋で一緒に働かせてくれ」
「お願いします」
二人がそう頭を下げる。仕事がなかなか決まらない中、焦りが薄かったのは既に人と人を繋ぐ架け橋に入る事を決めていたのだろう。
対するトレイドは険しい顔。視線はフルマへ向かれ、彼女は明るく肩を竦める動作を見せた。
「・・・その点については俺の一存では決めかねない。勿論、歓迎したいが・・・想像着くだろうが、人と人を繋ぐ架け橋での仕事は時に危険を伴う。それは魔物による危険だが、人に多く接する仕事でもある。お前達だと、な・・・」
言葉を濁してしまう。信じたいのだが迷いと不安が先に出る。全員が全員、許容出来る時期には至っていないのが現状。
「本当に、良いんだな?」
再三に問う。二人は重く頷き、アマーリアもまた承認の意を示す。覚悟の上、そこまで意思が固いのならその意思を尊重し、それに答えるだけ。
「分かった。これから人と人を繋ぐ架け橋に戻ろう。其処にステインが居たら良いがな」
すべき事が定まり、善を急ぐように踵を返す。仲間を受け入れるならステイン、最低でもユウにでも話さなければならないと、足を急がせて。
「大丈夫、問題ない、差し支えない」
数分後、施設に戻り、偶然にも探し出せたリア、ステインに相談した。すると、そう即答されたのだ。全くの葛藤など無く、すんなりと歓迎の言葉を口にしたのだ。
そのあっけらかんとした返答に、杞憂に終わらされたトレイドは顔を顰めるしかなかった。
「もし、魔族が入りたいと言ったら、断る積もりはなかったからな。確かに問題はあるだろうが、それはこっちで対処すれば良いだけの事だ」
少しずつ人が増え、二つの種族が入り混じり始めた。何時かは魔族が仲間になる事も予期していたと言う事。元より、魔族に偏見を持たない彼、拒否などする訳もなく。
「後日、全員に紹介するとしよう。兎に角、これでセシアとクルーエを含めた四人は仲間になった。これから忙しくなるが、以後、宜しく、今後ともお願いする」
二人に手を差し出す、握手を促す。応じた二人の手の感触を確かめるように確かに握った後、足早に立ち去っていく。
「悪いが、済まないが、申し訳ないが調査の件で忙しい。また会おう」
性格を確かめるように握手を行った彼は足早にその場を離れていく。忙しい事は抱えた書類の束から見て取れた。
肩透かしに感じるほどにすんなり決められた現実にトレイドは溜息を零す。
「・・・これで、俺達は仲間だな。これから、宜しくな」
ともあれ、正式にギルドの仲間となり、その仲間として、一応の先輩として握手を出す。
「はい、宜しくお願いします!」
笑顔で応じたクルーエ、口を噤んで頷いたセシアと強く、握り合った。
後日、皆に話したところ、全員が快く引き受けてくれ、最後は円満に終えられていた。
【3】
魔族達の仕事を斡旋から数日が経過した。変わらぬ空の下、トレイドは警邏を行いながら足早に複数個所に赴いていた。その先は無論、斡旋した彼女達の様子を確認しに。
とは言っても、数えられるほどの場所。最初に赴いたのは天の導きと加護、子供達の多い其処。
覗くまでも無かったかも知れない。施設内から子供達の声が聞こえ、他の職員達の声に混じって子供達の世話をする魔族の女性達の声が聞こえてきた。
施設内踏み入り、声が良く届いてくる方向、敷地の運動場を影か眺める。其処に居たのは腕白な子供達に振り回されている姿が映り込んだ。
穏やかな性格が多い彼女達には少し忙しく、素早く映っただろう。以前にも此処で手伝った事があるだろうが、それ以上に活発的なので少々手を拱いていた。その姿に世話をする彼女達全員の顔に文句の欠片も感じられなかった。疲れはあろう、戸惑いもあるかも知れない。だが、時折見せる笑顔、子供と触れ合う折に見せる穏やかな顔は生き甲斐すらも感じ取れた。
彼女達の裏表のない、誠実な性格が子供達も分かるようで、全員が親しみ、懐いて元気良く接する。少々元気余って困らせている部分はあるものの、其処に不穏な気配など一切無かった。
熟考しなくとも最良と見做し、トレイドは天の導きと加護を後にしていった。
次に赴いたのはとある場所の建築現場。石材、木材、鉄筋を基礎に壊された工房の再築を行っている最中であった。
職人達の檄や乱暴な声が行き交う現場に、やや似つかわしいおっとりとした女性が数人。現場を注意深く眺めつつも、与えられた責務をこなす。
彼女達の能力は実に利便性が高かった。人手では運び難い資材の運搬を始めとし、大まかな切断を行えば、足場を固めたり、挙句には危険な場面があれば助けたりとする補助も操魔術が解決した。
確かに一つ間違えてしまえば大事故に繋がる力。けれど、人の為に、仕事に転用すればこれほど助かるものは無い。作業は格段に向上、職人達は有り難く思うばかりであった。
それは復旧作業の延長とも言え、少しでも容量が掴んでいた為、馴染むには早く。それは若い職人、中年職人のみならず、多くの彼等に蝶よ花よと大事に扱われるほど。
けれど、彼女達は直向に仕事をこなす。一切、手を抜かずに取り組む。その姿勢が誰の目にも良く映り、親方も満面の笑みで現場を指揮していた。
極め付けは彼女達が食事を振る舞うのだ。これも仕事の一環と捉え、自主的に行われたそれは職人達の心を掴み、僅か数日であってはならない存在となっていた。
最早、他の現場から羨望の眼差しを送られる彼女達の様子を頷きながら眺めた後、別の場所へと足を運んでいった。
町の様子を確認しながら歩く彼。次の者達は既に仕事に出向いており、その全てを把握し切れていない。その為、警邏がてら、発見出来たら幸いと捉えていた。
異変を探し、鞘代わりのホルスターに納めた剣の柄に手を掛けるトレイド。その目は散々と眺めた町の様子を捉える。試練とも言うべき絶望を乗り越え、日常を取り戻したと言わんばかりに平穏な時間が流れている。真新しい景色の中、過ぎる人々の顔に恐怖の色は感じ取れなかった。
人の強さを観察しつつ、公道を歩いていた彼は人々が活用する為に最も栄えた道へ差し掛かる。此処も従来の勢いを取り戻し、久方振りであれば巻き込まれてしまうだろうか。
岸辺とも捉えらえる建物沿いを歩き、周囲を観察していると、指し示したかのように知人の二人を捉えた。男女は小さな紙を眺めながら雑踏の端で立つ。その前は食材店。
「クルーエ、セシア。調子は如何だ?」
人に紛れても、後姿でも見慣れた二人は間違えない。話し掛けると、振り向いた二人は明らかに仕事の途中であった。クルーエは腕に食材を詰めた紙袋を、セシアは大工道具と小さな材料を小脇に抱える。
「トレイドさん」
「トレイド」
「買い物の途中、仕事か」
「はい、私はお爺さんお婆さんの代わりを頼まれまして、セシアは・・・」
「別の家で、棚を修復してくれ、との事だ。その後に要らない家具を撤去してくれと」
クルーエは楽しそうに微笑んで答えるのだが、セシアは少し退屈そうに見える。それは自分の通った道だとトレイドは苦笑する。
「悪いな。人と人を繋ぐ架け橋は基本的に、近隣住民の使い走りみたいなものだ。堪えてくれ」
「いえ、これも立派な人助けですから」
「・・・まぁ、その通りだな」
彼女は意気込んでいるが、セシアはやはり詰まらなそうにする。思っていた仕事とではなかったと言うのか。それとも、まだ躊躇いがあると言うのか。
「最初はそう言うものだ。何に置いてもな・・・ロットとリグマも見掛けたが、熱心に仕事をしていたな」
途中で見掛けたその二人はセシアと同じような仕事を受けていたのだろう、木材を浮かしながら道具を持って何処かに向かっていた。恐らく、手の届かなかった、或いは新たに破損が見られた家屋の修繕であろうか。
「あの二人は真面目だからな、問題ないだろう」
「セシアさんも頑張らないといけませんね」
「・・・そうだな」
二人の仕事振りやクルーエに発破を掛けられ、やれやれと言った様子でセシアは意気込む。
「呼び止めて悪かったな、続けて仕事を頼む」
「はい、分かりました」
「ああ」
それでも表情を明るくするセシアと微笑むクルーエに声を掛け、トレイドは再び警邏に出掛けていく。仲間が頑張っているのだ、自分もと言うように。
この日、問題事は起こらなかった。乗り越えた人々の様子を確認する、ある意味有意義な一日を過ごし、夕暮れに差し掛かろうとしていた。
「・・・そうだな」
彼方を染め、沈み行く夕日を見たトレイドはある事を思っていた。進み行く者が居れば、居なくなった者も居ると。思い出し、時間が余っているからと予定を一つ考えていた。
その準備を整え、城下町の外へ向かっている時であった。一度ある事は二度あるもの。
「トレイドさん。今日は良く会いますね」
再びクルーエと出会う。夕日の色を受けた彼女の髪は煌びやかに見えて。
「クルーエ、仕事は終わったのか?」
「はい、先程、昼に言っていた家の掃除を終えた所です。トレイドさんは・・・」
仕事を達成出来たと満足気の彼女が聞き返そうとし、察して言葉を止める。
「・・・墓、参りだな」
やや大きめの桶に水を満たし、柄杓を下げる。十を超える数の供花を束ねてその手にする。見れば、分かるだろう。
「私も、一緒に、良いですか?」
「休んでも、良いんだぞ?」
「いえ、行かせてください」
強制する積もりはなく、彼女にその義務はない。だが、そう感じた彼女は強い言葉で頼み込む。それを断る理由がなく、小さく頷くと、共に外へと向かっていった。
悠久の時、それを思わせる景色が赤く染められつつある。遥か彼方からの黄昏の灯火が姿を消さんとする。最期を髣髴させる、一際赤く、輝かしい光が世界を紅蓮に染め上げる。空を赤く滲ませ、立ち竦んだ全てをその色に塗す。元の色と相まって哀愁、悲哀を感じさせる悲しき世界と様を変える。
短時間に見える綺麗な景色だからこそ、惜しさも倍増するのだろう、悲しさも倍増するのだろうか。
「・・・大勢の人が亡くなってから、随分と、時間が経ってしまいましたね・・・」
次第に雀色時、仄かな紅の灯火が青空の片隅に沈もうとする時頃。セントガルドもまた、足を止めて感傷に浸る色に染まる。それを包む巨壁を背後に、まるでそれらの色に感化されるように彼女は呟いた。
「ああ・・・」
流れ行く時の速さを嘆き、一時でも失念してしまった事を後悔するかのように、相槌を返す。重く、強く感じるトレイドは痛々しく瞼を閉じた。
向かう先の墓地、夜に落ち込んでいく其処へ誰を参るのかを尋ねないままに到着する。着くとトレイドは外側に埋葬された、誰かも分からぬ墓を一つずつ参る。既に誰かが居ようと、見られていなくとも、時間が掛かろうとも。
その行為を見て、クルーエも手伝う。知らずとも丁寧に、心を込めて眠りを願い、痛みが消える事を望んだ。
墓参りの最後、短き期間の友に供花を添え、恩人の墓前に立っていた。手に残されていた、生前好きだったとされる花を添えて。
引き裂かれる痛みを堪えるように、トレイドは距離を取って寂しく見通す。後ろにクルーエは移動する。
「知り合いが、眠っているのですか?」
躊躇いながら訪ねる。間を置いてトレイドの唇が開く。
「ああ、二人・・・友人と、恩人だ」
「・・・そう、何ですね・・・」
痛みを押し殺すように語られた声にクルーエの声は落ちる。
「・・・この世界に来て、命を助けてくれた上に色々と面倒を見てくれた恩人と、少し、小難しい性格だったが新しく出来た友人だった。二人とも、君の知らない者だが、会わせたかった」
痛惜の念に言葉を震わせる。信頼を置けた人物である事は良く分かる。だからこそ、既に故人となっている事にクルーエは哀惜を滲ませる。
ゆっくりとトレイドは手を合わせ、黙祷する。瞑り、無念を抱いて。その姿を見るまでもなく、クルーエも手を合わせて鎮魂を願う。安らかに眠る事を一心に。
数分間の黙祷が終えられ、両手が下ろされる。静かに桶を持ったトレイドはクルーエと顔を合わせる。胸を痛め、悲しみに落ちた顔は直視は出来ず。
「付き合わせて、悪かったな」
「・・・いえ、大事な事ですから」
「・・・ありがとう」
少しだけ心が救われたのか、小さな礼を述べてその場を立ち去っていく。その後に彼女も続いて。
【4】
それから数日後、調査隊が戻って来た連絡を受けたトレイド。人と人を繋ぐ架け橋の施設で調査報告に目を通して大方を把握していた。予測通りであったが、劇的な変化を前に驚きは隠せなかった。
それでも事実だと受け止め、この世界の在り方に疑問が過ぎらせる。様々な点で余裕が出来始めた証拠であろうか。
そう言った思考を片隅に、今日も今日とて、魔族の様子見も兼ねて、戻ってきてから見掛けていないシャオの様子を見ようと、天の導きと加護に足を運んでいた。
「・・・何だ?」
近付くに連れ、施設付近が何故だか騒がしくなる。それに耳を傾け、近付いていくと間違いなくその施設内で一騒動が起きていると察する。
女性達の慌てた声、質問の声や言い宥める言葉が行き交う中。数人の男の声が聞こえる。聞き覚えのあるそれは若く、弁明や宥める声と必死に誤解を解こうとする叫びが響く。
声から状況は読めないが大事だと判断し、トレイドは敷地へと急いだ。
「何かあったのか!?」
教会を回り込み、騒音の発信源と思しき運動場に駆け付けて状況を問う。建物と植林に囲まれ、陽の明かりが良く射し込むその場所に奇妙な光景が作り出されていた。
多くの人が集まる。子供達は離れに避難させられ、その前に女性職員が壁となる。視線の先には、別の職員達が一人を取り囲んでいた。箒等を手に、縄で縛り付けた者を既に叩きのめした後のようで、白い修道服に埃や汚れが付着する。やや離れて魔族の女性達も居り、操魔術を使用する寸前で立ち尽す。
そうした彼女達を、同じように修道服を着込んだ少女ラビスと珍しく慌てた様子を示すシャオが間に立って擁護する。庇われるのは何と、フー。如何言った経緯で此処に居るのか分からないが、人目に付くのは乱暴されて捕縛されている事から、何かしらの誤解があった事は確か。
「ああ!トレイドさん!」
「トレイド!良かった、お前からも頼むわな!俺は誘拐犯なんかじゃねーって事、説明してくれっ!!」
暴行され、涙目の哀れなフーの発言で大よその流れを考察し、溜息を吐き捨てた。
「・・・とりあえず、皆落ち着いてくれ。シャオ、説明を頼む」
冷静になる様に促した後、困り顔のシャオから顛末を聞く。流れはこうであった。
調査を行う一件でフーはラギアの事を目に掛けた、詰まり気に入ったとの事。強くなりたいと言う熱心な意思、それをあの場で名乗り出した根性を買い、また日頃ガリードから聞かされていた事からも興味が湧いたのだ。
また、調査中も根負けするように訓練をさせていた事も聞き、ならば俺が稽古してやろうと拉致紛いの行為に働こうとし、その現場を発見されて瞬く間に制圧されてしまった、それが全貌である。
「・・・と言う訳だ。許して欲しい。こう見えても、俺の上司であり、信頼の出来る人物なんだ。誘拐なんて絶対にしない、善意でした事なんだ」
許し、釈放して貰うように、一番に敵意を示して箒を握り締めていたアニエスに請う。事情を知った彼女は渋々と言った様子で怒りを鎮める。
「・・・分かりました。トレイドさんやシャオさんを信じましょう」
その言葉に、皆は警戒を解き、縛り上げていた縄が解かれる。解放された彼は心底疲れた顔で立ち上がっていく。その彼にアニエスが近付き、両手を翳す。
「何も聞かずに暴力を振るって、申し訳ありませんでした」
「いや、まぁ、こっちが悪いんだし、謝らなくても良いわな」
「そうですね、気を付けてください」
「・・・はい」
傷の治癒を促す光に包まれ、その暖かさは心地良い筈なのに、説教された彼は小さく項垂れていた。
誤解を与え、騒動を与えた青年に呆れを溜息に混ぜて零したトレイドの目がシャオを捉える。
「お久し振りです、トレイドさん」
目が合うと彼から近寄り、笑みを浮かべながら挨拶を交わしてくる。前と変わらぬ仕草、しかし少し違和感を感じて。
「ああ、無事で何よりだ。調査は有意義に済んだか?」
「・・・如何、でしょうか。傷を治す程度の手伝いしか、出来なかったので・・・」
「それでも十分貢献出来ている筈だ。調査に直接関わり、発見する事が役割じゃない。お前は負傷を治せる、役割は十全に果たせていた筈だ」
人には得手、不得手があり、適材適所がある。その点で言えばシャオは十分に活躍出来た上、向上心を持って取り組んだ。期待以上の働きをしたと言えるだろう。
「・・・しかし、守られてばかりでした。僕も、強くならないと・・・」
「だがな・・・」
気持ちが急いていると説得しようとした時、肩を叩かれて遮られる。振り返ると快調となったフーが立っていた。
「その為に俺が居る、っ言ー訳。ラギアとシャオの稽古を付けてやる、っ言ー約束をしてんだわ」
「稽古を、シャオが?」
「ああ、シャオから頼まれたんだわ。なら、しねー訳にはいかねーわな」
命に対して執着する節を見せていた彼が、率先して強さを求める。それに違和感を抱くも、調査を経て思う所があったのかも知れない。
「・・・程々にな。傷を治せると言っても、無茶はするなよ」
その変化は良い方向だと受け止める事として応援する。それにシャオは意気込んだ顔を見せた。
「はい、頑張りますから!」
意気は本物であり、フーから手渡された木刀を確りと握って。
彼の元気な姿と同時に、拭えぬ違和感に眉を顰める。だが、本人の決意に水を差す真似は無粋だと指摘せず、その場を後にしていった。
そうした疑問が気付かせなかったのだろう、シャオが見せた些細だが、確かな変化を。
地域調査に記憶喪失者のシャオが参加し、セントガルド城下町を出発する数日前、その明け方。白く清い城が構えられた其処に、夜を焼く陽光が差し込み始めていた。
彼方は輝かしき赤い光が覗くと言うのに、城下町全体は普段の色をより濃く映し出されていた。
例に漏れずにとある通路の建物も照らされ、修復の多き其処の内部にも届く。室内に一人、夢に魘され、小さく暴れていた。
私物を置かず、必要最低限の家具しか置かない殺風景な其処で苦悶するのはトレイド。嗚咽に似た息を切らし、窒息寸前のように身を捩らせる。その眼前に映るのは心的外傷、過去の記憶に過ぎない。だが、永遠に逃れられない悔恨でもある。
汗を滲み出させ、幻覚に苦しまされ、寝言でも懺悔の言葉を零して苦しみ続ける。
「・・・っ!ハァハァハァ・・・」
咄嗟に覚醒、飛び起きた彼は息を絶え絶えに肩を揺らす。目には涙が滲み、汗と混じって顔を伝う。それらを拭いながら息を整える。
浮かべば暫く残る悔恨の念、そして懺悔の念。それにも苦しまされ、硬く瞼を、歯を食い縛って蹲る。その手も握り込む。反芻されてしまうのは今も尚残留した感触、新しきは、新たな友をその手に掛けた事。それに表情は曇り続けて。
「消える筈、無いな・・・忘れたくても、忘れたくなくても、どっちにしても・・・」
震える手を眺めて呟く声に感情の全てが乗せられる。思い出される、思い出してしまう記憶の惨景と色褪せた失意。朝陽が延び、明るくなる寂れた室内に零されていた。
少しずつ納めていく念と感情の中、静かに窓を眺める。閉ざしたカーテンから透ける明かり、朝が訪れて暫く経っていると認識する。気を逸らす事で、切れていた呼吸の音は治まり、流れ出でた脂汗も薄れる。調子は少しずつ調整されていった。
「・・・如何、するか・・・」
整えていた呼吸で深い溜息を吐き捨てる。その頭には前夜の相談に対する悩みが込み上げていた。
「ともあれ、俺が出来る事を、するしかないな・・・」
話された以上、それに尽力するしかないと気持ちを切り替えながらベッドから降り立って支度を始めて。引き締める顔は真剣、まるで戦場に向かうかのように責任を感じて。
建物から出て行く彼は前夜の事を思い出していた。
「仕事がしたい?」
ガリードに倣って鍛錬、構えからの素振りを行っていたトレイドに、クルーエやセシアがそう切り出していた。
「はい。私もそうですが、多くの人が仕事をしたいと言っています」
「そろそろ環境にも慣れ、状況も変わり始めている。何もかもをされているばかりだと、こっちも不満を持ってしまう。何かしらの仕事を、誰かの助けになりたいんだよ」
そう告げられてトレイドは腕を止めて思案する。真摯に受け止め、熟考する。
相談してくれた二人もまたフラストレーションを抱えている様子。無論、二人が与えられているだけでなく、他の者も協力を惜しまない為、非常に役になっている。けれど、それでは足りないのか。
「・・・正直に言えば、難しいと思うぞ。幾ら魔族に対する不条理が解消されても、苦手意識、反対意識は残っている。簡単にいかないだろう。また、辛い場面に、経験をするかも知れないが、それでも良いのか?」
二人と見合って正直に自分の見識を伝える。希望を持たせたいが淡いものは抱かせたくないと、目を逸らさず。受けた二人はそれでも諦める意思を見せない。承知の上だと。
「既に、その事は伝えている。考えられる事だからな。俺自身、少しでも助けになりたいが、仕事に就く事はまだ尚早と考えている」
「でも、皆それを理解した上でそう相談してきました。如何か、お願いします」
皆の意思を代表するように、加えて自身の気持ちも込めて切願する。頭を下げ、強く。
「・・・分かった。明日、ユウかステインに相談する。了承されたら直ぐにも斡旋してもらおう」
そこまでされなくとも承諾する意思であり、頭を上げるように指示しながら受け止めていた。
その時の二人の顔、張り切りながらも不安を感じ取れる表情を気掛かりとしていた。
「そう言う訳で、仕事の斡旋を頼んでも良いか?」
頼る先は上司であるユウ。人と人を繋ぐ架け橋の施設へ訪れ、多忙である事が見て取れる疲れた面の彼女。そんな状態の彼女を頼る事を心苦しく思いながらも、頼る先のないトレイドは縋るしかなく。
「そう・・・仕事を、ね・・・」
事情を把握した彼女は出会った時よりも強い暗い色を、難色を示す。トレイドの後ろに立つ本人達を前に隠せないほどで、それほどに難しい事は見て取れた。いや、それも最初から分かっていた事。
「・・・先に言うけど、近く本格的な地帯調査が行われるの。もっと言えば、もうある程度人員も決められていて、明後日には開始する積もりなの。それにも、貴方も入っているのだけど、如何する?」
それはギルドの方針に則った重要な仕事。欠かしてはならないそれを知り、一瞬間を空けたトレイドだが、
「悪いが、断らせてくれ。それも大事だが、魔族に関する案件も大事だ。頼られて、途中で放棄など出来ない」
そう断るとユウは小さく笑う。耳にした二人は頬を緩めた。
「そう言うと思ったわ、そのように調整しておく。でも、私も調査の責任者でもあるから、手伝う事は出来ないから。それは覚えていて。代わりに誰かに頼むから」
「そうか。忙しいのに、呼び止めて悪かった」
「気にしないで。それも私の役目だから。また明日来てくれる?」
自身は立ち会えないものの、代わりを立てると快く了承してくれた事にトレイドは少し気を緩めた。
「すまない、頼む。二十人近くが働きたいと言っているからな」
「分かったわ」
目元に僅かなクマを滲ませた彼女は足早に立ち去っていく。その後ろ姿に、事務作業に貢献出来ない事を歯痒く思いながら、続く二人と向き合う。
「そう言う訳だ。明日改めて職探しとなるだろう。二人はもう一度、働きたい者、その者の希望と特技を聞いていてくれ」
「分かった」
「トレイドさんは如何するのですか?」
一先ずの一憂が解消された為、二人の緊張は和らいでいた。
「俺は俺なりに資料を集めてある程度の仕事を探す積もりだ。直ぐに戻る」
「お願いします、トレイドさん」
「ああ」
先の指示を受けて立ち去る姿を見送り、自身も資料室へ赴くのであった。
【2】
そして翌日であった。その日は快晴、小鳥が良く行き交う、清々しき朝が迎えられていた。
「いや~、なかなか、見付からないッスね~」
底抜けて気楽に構え、少し抜けたような明るい声が消極的な事を発する。異性に好かれそうな美形であり、心和やかにしそうな声色だが、残念な雰囲気を纏っていた。
「・・・そうだな」
年下でも目上でも砕けた口調の彼女フルマに同調するトレイドもやや険しい顔。否定したい思いを抱けども、出来ずにそう相槌を返して。
やはり、現実は甘くはない。仕事探しは難航し、代表として新たにアマーリアを追加し、その三人は難しく、苦しい顔を浮かべて続く。
正面から拒否される事はなかった。それは法の改正が大きいのだろう。それでも、忌避感、偏見は根深く残る。朝の半ばから挑んだものの、昼を超過しても一人すら決まらなかったのだ。ならば、そう嘆きたくなろう。
望んだのは販売店等の接客業を始めとする人と接する仕事、料理屋の調理員を始めとする店を支える様な仕事は断られ、魔物に関わる事は信用が足りないと回されなかった。敬遠され、面倒事を嫌っての事だろう。理解出来るし、否定も出来ないが、受け止め難く。
今だ消えない問題の一つにぶつかり、休憩の目的で訪れた中央広場にて溜息を一つ。束ねられた紙に付け加えられる射線、それが現実を克明に現して表情を暗くさせる。
「これは、如何だ?」
「・・・駄目かも知れないっスね。運搬は責任が強いっスからね。それでこそ、代表とか、そんな人が最も信頼している人間に任せちまうっスからね。確かに、魔族の力は便利なのは分かってるっスけどね・・・」
「確かに、な・・・」
トレイドが調べて導き出した仕事の悉くが却下されてしまう。それに表情は暗くなるしかなく。
最早選りすぐりは出来ないと、彼女達の意向にそぐわない仕事を探してもそれすらも断られる恐れがある。至難するしかなく。
「・・・申し訳ありません、私達の為に面倒を掛けさせてしまって・・・」
心が痛いとアマーリアが頭を下げる。
「謝らないでくれ・・・俺の見通しが悪かっただけだ。探せば見付かる」
彼女に、魔族に非は無いと直ぐにもトレイドが否定する。それでも自責と感じてしまうのが彼女達だ。
「あれ?如何か為さったのですか?」
「アニエスさん」
思い空気に包まれた一向に話し掛ける女性の声。振り返ると、居合わせたのはアニエス。その手には食材を詰めた紙袋を二つ抱える。
「あら、アマーリアさん。何時も、子供達がお世話になってありがとうございます」
「いえ、そんな事はありません。少しでもお役に立てられているのなら幸いです」
近寄って来た彼女は日頃の感謝を込めて挨拶し、アマーリアも謙虚に構えて受ける。その最中にさりげなくトレイドが食材が溢れ出しそうな紙袋を受け持っていた。
「それで、皆さんは如何して此処に居るのですか?」
「それがっスね~」
調子を変えずにフルマが説明していく。馴れ馴れしい口調で簡潔ながらも内容は確かに伝えて。
状況を把握したアニエスは少々考え、そして告げた。
「それなら、私達の所に来ませんか?」
紹介してくれるならまだしも、受け入れる発言を出してくれるとは思っておらず、数人は驚いていた。
「それは一番歓迎する事だが、良いのか?」
「ええ、構いません。寧ろ、願ったり叶ったりです。何せ、一か月前に此処に来た人達の中で身寄りのない子供が多く居まして、引き取ったのは良かったのですが、正直人手が足りなくなりまして。時折、魔族の方々が手伝いに来てくれて非常に助かっていましたから」
「良かったです、私達でもお役に立てられて」
そう微笑むアマーリア。それに水を差すように真剣な表情のトレイドが口を開く。
「本当に有り難いが、本当に良いのか?・・・色々と問題が出てきそうだが、第一にギルドの方針に反しないのか?」
「そんな事はありません。私達のギルドは困った者を助ける事が第一です。其処に、種族は関係ありません。怪我人の治療に当たっても聖復術が使えなくても、薬学や簡単な手当等は指導致します。既に、そうした者もおりますので」
断る理由が無いと彼女は受け入れてくれる。他の職員に相談しないあたり、本当に魔族の事を理解し、寛容になったと認識出来る。その事にトレイドは頬を緩める。
「・・・本当に、良いのか?」
「はい、此方からも是非、お願いします」
受け入れてくれる場所は身近にある、灯台下暗しとはこの事かも知れない。その幸運を噛み締めるように、アマーリアを始めとする三人は深々と頭を下げて感謝を示す。
「それなら、ちょっと詳しい話をしても良いっスか~?」
「ええ、構いません。天の導きと加護へ足を運んでもらっても宜しいですか?立ち話では難しいですから」
「そうだな、これも届けないとな」
魔族の重要な案件ではあるが、この事で彼女の用事を止め続けるのは忍びないと、もう一度食材の存在を示して。
「ああ!何時の間に、申し訳ありません!私が持ちますから!」
「いや、無茶を言うんだ。これぐらいさせてくれ」
せめてもの恩返しと言うように受け持ち、アニエスに礼を言われながらも共に天の導きと加護へと向かうのであった。
アニエスと食材を届けた一行は子供達の溌溂とした声を受けながら施設を後にする。外に出て直ぐにも現状を確かめた。
「十人は確定になったっスけど、後半分は如何にかしないといけないっスね~」
「そうだな、あと十人か・・・」
期待と個人の能力で割り振った後、残されたその住人の就職先に悩む。この中にはクルーエとセシアの二人も居るのだが、当人は然して焦りを見せないのは何故か。
残りの者も人の為になりたいとする意思を汲み取る為に、二人は思案を広げて。そうした彼等に目を止めるのは、またもや彼等と面識がある者達である。
「おう、如何したんだ?」
話し掛けたのは道具や資材を片手と肩に担いだ職人達。その先頭に立っていた、親方とされる筋骨隆々の中年男性が話し掛けてきたのだ。その者は魔族と面識があり、彼女達の性格を把握して歩み寄ってくれた者達の一人。
「確かあれだったな、人と人を繋ぐ架け橋の。魔族なんか連れて如何したんだ?それも託児所の前でなんかよ」
彼の印象では天の導きと加護はそうなっているようだ。間違ってはいないが。
「実は・・・」
少し躊躇ったのだが、話さないのは印象が悪いと事情を説明する。
「まあ、魔族となりゃ、無理もねぇか」
と、仕方ないと言った様子で語る。けれど、貶している訳でなく、その現状に嘆いている様子であった。
「親方、それならウチで雇ったら如何です?」
後ろに続く部下がそう提案する。同調する者は多い。最初は拒絶したと言うに、かなりの進歩と言えるだろう。
「馬鹿野郎!俺等みたいなのが居るむさ苦しい場所に来てくれるかっ!」
気にする点、問題点は自分達の仕事環境だと反論する親方。最早、魔族である事は些末な事、問題にはならないようだ。
「それは、こっちからすれば願ったり叶ったりだ。勿論、本人達の希望によるが・・・」
「本当ですか!?」
「やっとウチの所にも華が!」
「もう、他の所が羨ましくて、羨ましくて!」
数人が食い気味に反応して歓喜し、ある者は男泣きして喜んで。そこまで飢えるほど圧迫した環境だったと言うのか。それは親方の一喝で鎮められる。
「だが、良いのか?・・・魔族、なんだぞ?」
「そんな事、もう関係ねぇな。良い奴らばっかりって事は、あの一連で充分理解出来た。大分恩も出来ちまったしよ、彼女等なら大歓迎だ!」
ひたむきさと健気さ、真面目さを目の当たりにした。外聞とは違う姿を見た。受け入れるには、共に仕事をするには十分過ぎる事だと、親方を含めて部下達は笑顔を振る舞って。
彼女達の献身、偽りのない姿勢は無駄ではなかった。認め、認識を改めてくれている。情けは人の為ならず、回って自分達を救うのだ。
「それなら、十人・・・」
「トレイド、六人でいい」
途中で口を挟むセシア。それに他の二人も異論を唱えない。
「・・・それでいいなら、六人で頼みたい」
「充分!もっと来てくれても良いんだぞ!」
わざわざ人員を減らす意図が読めないが、それが要望ならその通りに頼む。それには快諾で即答であった。彼女達の能力も買っての事だろうが、大半が容姿と異性と言う点で喜んでいる様であった。
「また、該当者を連れて挨拶に行く。その時は頼む」
「おう、何時でも来てくれよ!」
少し不安が否めないものの職人達の厚意を喜び、好意を見せる彼等に感謝を告げながら見送った。浮足立つ姿は喜び余って転びそうなほどに。
「残りの四人は如何する積もりなんだ?」
分かれて直ぐにも先の意図を問い質す。問題も粗方片付いて喜べる筈だがその気分にはなれず。
「俺とクルーエ、後の二人は最初から希望があったんだ。此処まで引っ張ってしまったのは悪い」
既に別の希望があったようで、それはアマーリアも把握していた様子。
「・・・俺達を、人と人を繋ぐ架け橋で一緒に働かせてくれ」
「お願いします」
二人がそう頭を下げる。仕事がなかなか決まらない中、焦りが薄かったのは既に人と人を繋ぐ架け橋に入る事を決めていたのだろう。
対するトレイドは険しい顔。視線はフルマへ向かれ、彼女は明るく肩を竦める動作を見せた。
「・・・その点については俺の一存では決めかねない。勿論、歓迎したいが・・・想像着くだろうが、人と人を繋ぐ架け橋での仕事は時に危険を伴う。それは魔物による危険だが、人に多く接する仕事でもある。お前達だと、な・・・」
言葉を濁してしまう。信じたいのだが迷いと不安が先に出る。全員が全員、許容出来る時期には至っていないのが現状。
「本当に、良いんだな?」
再三に問う。二人は重く頷き、アマーリアもまた承認の意を示す。覚悟の上、そこまで意思が固いのならその意思を尊重し、それに答えるだけ。
「分かった。これから人と人を繋ぐ架け橋に戻ろう。其処にステインが居たら良いがな」
すべき事が定まり、善を急ぐように踵を返す。仲間を受け入れるならステイン、最低でもユウにでも話さなければならないと、足を急がせて。
「大丈夫、問題ない、差し支えない」
数分後、施設に戻り、偶然にも探し出せたリア、ステインに相談した。すると、そう即答されたのだ。全くの葛藤など無く、すんなりと歓迎の言葉を口にしたのだ。
そのあっけらかんとした返答に、杞憂に終わらされたトレイドは顔を顰めるしかなかった。
「もし、魔族が入りたいと言ったら、断る積もりはなかったからな。確かに問題はあるだろうが、それはこっちで対処すれば良いだけの事だ」
少しずつ人が増え、二つの種族が入り混じり始めた。何時かは魔族が仲間になる事も予期していたと言う事。元より、魔族に偏見を持たない彼、拒否などする訳もなく。
「後日、全員に紹介するとしよう。兎に角、これでセシアとクルーエを含めた四人は仲間になった。これから忙しくなるが、以後、宜しく、今後ともお願いする」
二人に手を差し出す、握手を促す。応じた二人の手の感触を確かめるように確かに握った後、足早に立ち去っていく。
「悪いが、済まないが、申し訳ないが調査の件で忙しい。また会おう」
性格を確かめるように握手を行った彼は足早にその場を離れていく。忙しい事は抱えた書類の束から見て取れた。
肩透かしに感じるほどにすんなり決められた現実にトレイドは溜息を零す。
「・・・これで、俺達は仲間だな。これから、宜しくな」
ともあれ、正式にギルドの仲間となり、その仲間として、一応の先輩として握手を出す。
「はい、宜しくお願いします!」
笑顔で応じたクルーエ、口を噤んで頷いたセシアと強く、握り合った。
後日、皆に話したところ、全員が快く引き受けてくれ、最後は円満に終えられていた。
【3】
魔族達の仕事を斡旋から数日が経過した。変わらぬ空の下、トレイドは警邏を行いながら足早に複数個所に赴いていた。その先は無論、斡旋した彼女達の様子を確認しに。
とは言っても、数えられるほどの場所。最初に赴いたのは天の導きと加護、子供達の多い其処。
覗くまでも無かったかも知れない。施設内から子供達の声が聞こえ、他の職員達の声に混じって子供達の世話をする魔族の女性達の声が聞こえてきた。
施設内踏み入り、声が良く届いてくる方向、敷地の運動場を影か眺める。其処に居たのは腕白な子供達に振り回されている姿が映り込んだ。
穏やかな性格が多い彼女達には少し忙しく、素早く映っただろう。以前にも此処で手伝った事があるだろうが、それ以上に活発的なので少々手を拱いていた。その姿に世話をする彼女達全員の顔に文句の欠片も感じられなかった。疲れはあろう、戸惑いもあるかも知れない。だが、時折見せる笑顔、子供と触れ合う折に見せる穏やかな顔は生き甲斐すらも感じ取れた。
彼女達の裏表のない、誠実な性格が子供達も分かるようで、全員が親しみ、懐いて元気良く接する。少々元気余って困らせている部分はあるものの、其処に不穏な気配など一切無かった。
熟考しなくとも最良と見做し、トレイドは天の導きと加護を後にしていった。
次に赴いたのはとある場所の建築現場。石材、木材、鉄筋を基礎に壊された工房の再築を行っている最中であった。
職人達の檄や乱暴な声が行き交う現場に、やや似つかわしいおっとりとした女性が数人。現場を注意深く眺めつつも、与えられた責務をこなす。
彼女達の能力は実に利便性が高かった。人手では運び難い資材の運搬を始めとし、大まかな切断を行えば、足場を固めたり、挙句には危険な場面があれば助けたりとする補助も操魔術が解決した。
確かに一つ間違えてしまえば大事故に繋がる力。けれど、人の為に、仕事に転用すればこれほど助かるものは無い。作業は格段に向上、職人達は有り難く思うばかりであった。
それは復旧作業の延長とも言え、少しでも容量が掴んでいた為、馴染むには早く。それは若い職人、中年職人のみならず、多くの彼等に蝶よ花よと大事に扱われるほど。
けれど、彼女達は直向に仕事をこなす。一切、手を抜かずに取り組む。その姿勢が誰の目にも良く映り、親方も満面の笑みで現場を指揮していた。
極め付けは彼女達が食事を振る舞うのだ。これも仕事の一環と捉え、自主的に行われたそれは職人達の心を掴み、僅か数日であってはならない存在となっていた。
最早、他の現場から羨望の眼差しを送られる彼女達の様子を頷きながら眺めた後、別の場所へと足を運んでいった。
町の様子を確認しながら歩く彼。次の者達は既に仕事に出向いており、その全てを把握し切れていない。その為、警邏がてら、発見出来たら幸いと捉えていた。
異変を探し、鞘代わりのホルスターに納めた剣の柄に手を掛けるトレイド。その目は散々と眺めた町の様子を捉える。試練とも言うべき絶望を乗り越え、日常を取り戻したと言わんばかりに平穏な時間が流れている。真新しい景色の中、過ぎる人々の顔に恐怖の色は感じ取れなかった。
人の強さを観察しつつ、公道を歩いていた彼は人々が活用する為に最も栄えた道へ差し掛かる。此処も従来の勢いを取り戻し、久方振りであれば巻き込まれてしまうだろうか。
岸辺とも捉えらえる建物沿いを歩き、周囲を観察していると、指し示したかのように知人の二人を捉えた。男女は小さな紙を眺めながら雑踏の端で立つ。その前は食材店。
「クルーエ、セシア。調子は如何だ?」
人に紛れても、後姿でも見慣れた二人は間違えない。話し掛けると、振り向いた二人は明らかに仕事の途中であった。クルーエは腕に食材を詰めた紙袋を、セシアは大工道具と小さな材料を小脇に抱える。
「トレイドさん」
「トレイド」
「買い物の途中、仕事か」
「はい、私はお爺さんお婆さんの代わりを頼まれまして、セシアは・・・」
「別の家で、棚を修復してくれ、との事だ。その後に要らない家具を撤去してくれと」
クルーエは楽しそうに微笑んで答えるのだが、セシアは少し退屈そうに見える。それは自分の通った道だとトレイドは苦笑する。
「悪いな。人と人を繋ぐ架け橋は基本的に、近隣住民の使い走りみたいなものだ。堪えてくれ」
「いえ、これも立派な人助けですから」
「・・・まぁ、その通りだな」
彼女は意気込んでいるが、セシアはやはり詰まらなそうにする。思っていた仕事とではなかったと言うのか。それとも、まだ躊躇いがあると言うのか。
「最初はそう言うものだ。何に置いてもな・・・ロットとリグマも見掛けたが、熱心に仕事をしていたな」
途中で見掛けたその二人はセシアと同じような仕事を受けていたのだろう、木材を浮かしながら道具を持って何処かに向かっていた。恐らく、手の届かなかった、或いは新たに破損が見られた家屋の修繕であろうか。
「あの二人は真面目だからな、問題ないだろう」
「セシアさんも頑張らないといけませんね」
「・・・そうだな」
二人の仕事振りやクルーエに発破を掛けられ、やれやれと言った様子でセシアは意気込む。
「呼び止めて悪かったな、続けて仕事を頼む」
「はい、分かりました」
「ああ」
それでも表情を明るくするセシアと微笑むクルーエに声を掛け、トレイドは再び警邏に出掛けていく。仲間が頑張っているのだ、自分もと言うように。
この日、問題事は起こらなかった。乗り越えた人々の様子を確認する、ある意味有意義な一日を過ごし、夕暮れに差し掛かろうとしていた。
「・・・そうだな」
彼方を染め、沈み行く夕日を見たトレイドはある事を思っていた。進み行く者が居れば、居なくなった者も居ると。思い出し、時間が余っているからと予定を一つ考えていた。
その準備を整え、城下町の外へ向かっている時であった。一度ある事は二度あるもの。
「トレイドさん。今日は良く会いますね」
再びクルーエと出会う。夕日の色を受けた彼女の髪は煌びやかに見えて。
「クルーエ、仕事は終わったのか?」
「はい、先程、昼に言っていた家の掃除を終えた所です。トレイドさんは・・・」
仕事を達成出来たと満足気の彼女が聞き返そうとし、察して言葉を止める。
「・・・墓、参りだな」
やや大きめの桶に水を満たし、柄杓を下げる。十を超える数の供花を束ねてその手にする。見れば、分かるだろう。
「私も、一緒に、良いですか?」
「休んでも、良いんだぞ?」
「いえ、行かせてください」
強制する積もりはなく、彼女にその義務はない。だが、そう感じた彼女は強い言葉で頼み込む。それを断る理由がなく、小さく頷くと、共に外へと向かっていった。
悠久の時、それを思わせる景色が赤く染められつつある。遥か彼方からの黄昏の灯火が姿を消さんとする。最期を髣髴させる、一際赤く、輝かしい光が世界を紅蓮に染め上げる。空を赤く滲ませ、立ち竦んだ全てをその色に塗す。元の色と相まって哀愁、悲哀を感じさせる悲しき世界と様を変える。
短時間に見える綺麗な景色だからこそ、惜しさも倍増するのだろう、悲しさも倍増するのだろうか。
「・・・大勢の人が亡くなってから、随分と、時間が経ってしまいましたね・・・」
次第に雀色時、仄かな紅の灯火が青空の片隅に沈もうとする時頃。セントガルドもまた、足を止めて感傷に浸る色に染まる。それを包む巨壁を背後に、まるでそれらの色に感化されるように彼女は呟いた。
「ああ・・・」
流れ行く時の速さを嘆き、一時でも失念してしまった事を後悔するかのように、相槌を返す。重く、強く感じるトレイドは痛々しく瞼を閉じた。
向かう先の墓地、夜に落ち込んでいく其処へ誰を参るのかを尋ねないままに到着する。着くとトレイドは外側に埋葬された、誰かも分からぬ墓を一つずつ参る。既に誰かが居ようと、見られていなくとも、時間が掛かろうとも。
その行為を見て、クルーエも手伝う。知らずとも丁寧に、心を込めて眠りを願い、痛みが消える事を望んだ。
墓参りの最後、短き期間の友に供花を添え、恩人の墓前に立っていた。手に残されていた、生前好きだったとされる花を添えて。
引き裂かれる痛みを堪えるように、トレイドは距離を取って寂しく見通す。後ろにクルーエは移動する。
「知り合いが、眠っているのですか?」
躊躇いながら訪ねる。間を置いてトレイドの唇が開く。
「ああ、二人・・・友人と、恩人だ」
「・・・そう、何ですね・・・」
痛みを押し殺すように語られた声にクルーエの声は落ちる。
「・・・この世界に来て、命を助けてくれた上に色々と面倒を見てくれた恩人と、少し、小難しい性格だったが新しく出来た友人だった。二人とも、君の知らない者だが、会わせたかった」
痛惜の念に言葉を震わせる。信頼を置けた人物である事は良く分かる。だからこそ、既に故人となっている事にクルーエは哀惜を滲ませる。
ゆっくりとトレイドは手を合わせ、黙祷する。瞑り、無念を抱いて。その姿を見るまでもなく、クルーエも手を合わせて鎮魂を願う。安らかに眠る事を一心に。
数分間の黙祷が終えられ、両手が下ろされる。静かに桶を持ったトレイドはクルーエと顔を合わせる。胸を痛め、悲しみに落ちた顔は直視は出来ず。
「付き合わせて、悪かったな」
「・・・いえ、大事な事ですから」
「・・・ありがとう」
少しだけ心が救われたのか、小さな礼を述べてその場を立ち去っていく。その後に彼女も続いて。
【4】
それから数日後、調査隊が戻って来た連絡を受けたトレイド。人と人を繋ぐ架け橋の施設で調査報告に目を通して大方を把握していた。予測通りであったが、劇的な変化を前に驚きは隠せなかった。
それでも事実だと受け止め、この世界の在り方に疑問が過ぎらせる。様々な点で余裕が出来始めた証拠であろうか。
そう言った思考を片隅に、今日も今日とて、魔族の様子見も兼ねて、戻ってきてから見掛けていないシャオの様子を見ようと、天の導きと加護に足を運んでいた。
「・・・何だ?」
近付くに連れ、施設付近が何故だか騒がしくなる。それに耳を傾け、近付いていくと間違いなくその施設内で一騒動が起きていると察する。
女性達の慌てた声、質問の声や言い宥める言葉が行き交う中。数人の男の声が聞こえる。聞き覚えのあるそれは若く、弁明や宥める声と必死に誤解を解こうとする叫びが響く。
声から状況は読めないが大事だと判断し、トレイドは敷地へと急いだ。
「何かあったのか!?」
教会を回り込み、騒音の発信源と思しき運動場に駆け付けて状況を問う。建物と植林に囲まれ、陽の明かりが良く射し込むその場所に奇妙な光景が作り出されていた。
多くの人が集まる。子供達は離れに避難させられ、その前に女性職員が壁となる。視線の先には、別の職員達が一人を取り囲んでいた。箒等を手に、縄で縛り付けた者を既に叩きのめした後のようで、白い修道服に埃や汚れが付着する。やや離れて魔族の女性達も居り、操魔術を使用する寸前で立ち尽す。
そうした彼女達を、同じように修道服を着込んだ少女ラビスと珍しく慌てた様子を示すシャオが間に立って擁護する。庇われるのは何と、フー。如何言った経緯で此処に居るのか分からないが、人目に付くのは乱暴されて捕縛されている事から、何かしらの誤解があった事は確か。
「ああ!トレイドさん!」
「トレイド!良かった、お前からも頼むわな!俺は誘拐犯なんかじゃねーって事、説明してくれっ!!」
暴行され、涙目の哀れなフーの発言で大よその流れを考察し、溜息を吐き捨てた。
「・・・とりあえず、皆落ち着いてくれ。シャオ、説明を頼む」
冷静になる様に促した後、困り顔のシャオから顛末を聞く。流れはこうであった。
調査を行う一件でフーはラギアの事を目に掛けた、詰まり気に入ったとの事。強くなりたいと言う熱心な意思、それをあの場で名乗り出した根性を買い、また日頃ガリードから聞かされていた事からも興味が湧いたのだ。
また、調査中も根負けするように訓練をさせていた事も聞き、ならば俺が稽古してやろうと拉致紛いの行為に働こうとし、その現場を発見されて瞬く間に制圧されてしまった、それが全貌である。
「・・・と言う訳だ。許して欲しい。こう見えても、俺の上司であり、信頼の出来る人物なんだ。誘拐なんて絶対にしない、善意でした事なんだ」
許し、釈放して貰うように、一番に敵意を示して箒を握り締めていたアニエスに請う。事情を知った彼女は渋々と言った様子で怒りを鎮める。
「・・・分かりました。トレイドさんやシャオさんを信じましょう」
その言葉に、皆は警戒を解き、縛り上げていた縄が解かれる。解放された彼は心底疲れた顔で立ち上がっていく。その彼にアニエスが近付き、両手を翳す。
「何も聞かずに暴力を振るって、申し訳ありませんでした」
「いや、まぁ、こっちが悪いんだし、謝らなくても良いわな」
「そうですね、気を付けてください」
「・・・はい」
傷の治癒を促す光に包まれ、その暖かさは心地良い筈なのに、説教された彼は小さく項垂れていた。
誤解を与え、騒動を与えた青年に呆れを溜息に混ぜて零したトレイドの目がシャオを捉える。
「お久し振りです、トレイドさん」
目が合うと彼から近寄り、笑みを浮かべながら挨拶を交わしてくる。前と変わらぬ仕草、しかし少し違和感を感じて。
「ああ、無事で何よりだ。調査は有意義に済んだか?」
「・・・如何、でしょうか。傷を治す程度の手伝いしか、出来なかったので・・・」
「それでも十分貢献出来ている筈だ。調査に直接関わり、発見する事が役割じゃない。お前は負傷を治せる、役割は十全に果たせていた筈だ」
人には得手、不得手があり、適材適所がある。その点で言えばシャオは十分に活躍出来た上、向上心を持って取り組んだ。期待以上の働きをしたと言えるだろう。
「・・・しかし、守られてばかりでした。僕も、強くならないと・・・」
「だがな・・・」
気持ちが急いていると説得しようとした時、肩を叩かれて遮られる。振り返ると快調となったフーが立っていた。
「その為に俺が居る、っ言ー訳。ラギアとシャオの稽古を付けてやる、っ言ー約束をしてんだわ」
「稽古を、シャオが?」
「ああ、シャオから頼まれたんだわ。なら、しねー訳にはいかねーわな」
命に対して執着する節を見せていた彼が、率先して強さを求める。それに違和感を抱くも、調査を経て思う所があったのかも知れない。
「・・・程々にな。傷を治せると言っても、無茶はするなよ」
その変化は良い方向だと受け止める事として応援する。それにシャオは意気込んだ顔を見せた。
「はい、頑張りますから!」
意気は本物であり、フーから手渡された木刀を確りと握って。
彼の元気な姿と同時に、拭えぬ違和感に眉を顰める。だが、本人の決意に水を差す真似は無粋だと指摘せず、その場を後にしていった。
そうした疑問が気付かせなかったのだろう、シャオが見せた些細だが、確かな変化を。
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