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寒く凍て付く雪、温もりに厳しさは和らいで

変わる先、訪れた者の不安

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【1】

 木々の間をトレイドは疾駆する。息を切らし、恵みの村を目指す。突き抜けるような疲労感を引き摺り、尚走る。だが、休まずの疾駆は限界にきたす。縺れた足が膝を折り、立ち止まってしまった。
「ぐっ!」
 危うくクルーエを落としそうになるも息を止め、苦悶の面で辛うじて堪える。強く抱き締め、震える足は即座の発進を拒んだ。
「トレイドさん、少し休んでください!」
「だが、急がなきゃならない・・・!」
「急ぐのは分かりますが、無理をしていたら怪我を、下手をしたら動けなくなります!何かが起きていてもおかしくありませんから、休んでください!・・・少し休めば、操魔術ヴァーテアスの影響は収まりますから・・・」
「・・・そうだな」
 無理をせず、いざの時に備える、自分を酷使しないで欲しいとする彼女に諭され、少しばかり冷静を取り戻したトレイドは静かに応じる。それでも立ち上がって歩み出して。
 この時にクルーエは下ろされ、見慣れた環境の中を進む。進む彼の後姿に心配そうにして。
 徒歩に変えて休憩とする彼等の視界に特異な点は見当たらない。少なくとも影響は軽微なものかと判断が下る。調査すれば如何程が分かるが、今はフェリスを目指す。
 連続して魔物モンスターと遭遇した為か、更なる戦闘は発生せず、記憶頼りに歩み続けた二人は目的の場所に辿り着く。
 長閑な風景、農業が営まれる光景に一見限りでは変化は見れない。けれど、確かな異変が起きている事は確か、村の中央方面から騒がしさが聞こえて。
「何かあったのでしょうか?」
「かも知れないが、先ずは連絡を取りたい。その後に調べよう」
 村の様子は当然気になる。だが、状況を把握し、決断する為にも足早に伝書を飛ばす施設を目指していく。
 それは村の外れに構えられる。多くの伝書鳥を管理する為の畜舎を隣に、やや大きな建造物がある。木造建築で落ち着きを感じる外装の其処が所謂郵便局であり、各地に点在する。
「すまない、伝書を飛ばしたいが、機能しているか?」
 駆け込むなり、室内に居た職員に呼び掛ける。
「はい、構いません。通常通りに稼働しております」
 綺麗に整頓され、余分なもの見られない室内で職務に向かっていた彼は少し驚きながら受け答える。近寄るトレイドの顔を見て、何かを気付く仕草を示す。
「確か、人と人を繋ぐ架け橋ラファーの方でしたよね?」
「ああ、以前にも使わせてもらったトレイドだ。俺に何か用か?」
「そうですか!あなた様宛に二通のお便りがあります」
 手早く自身の報告と近辺を調べる、その旨を報せる書状を書こうとした彼に言葉通りに二通差し出される。
 受け取り、確認すると差出人はガリードとユウだと知り、即座に開封して目を通す。何方も確認し、安心が示された。
「それには何が書かれているのですか?」
 心配し、同時にトレイドも案じるクルーエが尋ねてくる。
「心配するな、クルーエ。一先ず、魔族ヴァレスも含め、皆無事だ」
「そうなんですか!良かった・・・」
 安堵を示し、肩の荷が下りたと脱力する。それだけが気が気でならなかったのだろう。
「だが、新たにこの世界に来た人が押し寄せてきたと困惑しているようだ。沼地地帯や砂漠地帯にも来たと書いている」
 連絡を受け、その内容を説明しながら彼は随時変化に対応する旨を紙に書す。その顔、不機嫌さが、憤りを感じて。
 それはまるで、人が減ったから供給したかのような不快さを、示し合わせたような人を嘲るような意図の様に思えて。
 邪推、消極的な考えと言っても間違いないが考えてならないタイミングに後味の悪さが胸に残り続ける。
「・・・兎も角、俺達も動くしかない」
 書き終えた彼は気持ちを切り替える。考えるよりも動くしかないと。
「これは沼地地帯に至急届けてくれ」
 二通、内の一つを火急だと伝える。
「畏まりました」
 受け取った職員はすぐにも対応する。指笛で二羽を呼び出すと先の書類を入れた専用の鞄を持たせて飛び出たせる。羽ばたき、数本の羽根を置き去りにした鳥は直ぐにも木々の向こうに消えていった。
「クルーエ、悪いが沼地地帯に向かう。此処の状況を確認し、一時な問題が解決次第に」
「大丈夫ですが・・・トレイドさんが無理に行かなくても・・・」
「・・・雪山地帯にも、来たかも知れない。杞憂で済めば良いがな」
「!そうですね、行きましょう!」
 得心した彼女は力強く答えてトレイドに続く。それは容認出来ないと、過去の戒めのように動きは早く。
 強く、誰かの為に心的外傷トラウマがあろうと踏み出せる心に笑みを零し、共に外へ駆け出していった。

「先ずはさっきの騒がしい場所に行こう」
「はい」
 外に出た二人は当初に気付いた方へ向かう。先と同じく村の中心は騒がしいままに。
 変化の見られない長閑な道を進み行けば、騒がしさは次第に明確な姿を示す。
 中心のやや開けた場所に人が集まる。多くが若く、此処の住民ではない事を、何より狼狽と雰囲気が示す。着衣も傷はおろか汚れもほぼ無い事からも明らかに。
 老若男女、混乱のただ中の皆を、老人を含めた数人が宥める。状況を理解させようとし、けれど巻き込まれてまだ時間が浅い為か、反応は遅く。
 数えるに数十人以上、二つの種族が入り雑じり、互いの不安を紛らわすように固まっている。涙ぐむ子供も居る。それらの姿に色濃い絶望は見えない。恐らく、悲劇は無かったのだと察するほどに。
「この者達は急に現れたのか?」
「ああ、村の周囲でな。地震が起きた後にフェリスの住民が発見したんだ」
 様子を見守る青年に状況を問う。その者は人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーに所属し、以前魔族ヴァレス救出に共に赴いた程度には認識はある。
「収まりそうか?」
「多分な。唐突の事だが危険な目には会っていない分、早いだろう。今は取り敢えず、部屋を貸して貰う事になるだろう。準備が整い次第、セントガルドに搬送する事になりそうだ」
「それは大丈夫なのか?」
「仕方ないだろう。他の場所の事も聞いている、大人数を見る事が出来るのはセントガルドぐらいだ。あそこも大抵の復旧が済んだ、許容出来ると判断したんだろうな」
 どれ程の人数が来ているのか分からないが、単純に考えて地区ごとに二十人相当としても百人は行くかも知れない。なら、収容出来る規模と人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィダー法と秩序ルガー・デ・メギル等のギルド施設があるセントガルドに集めるのは妥当であろう。
「頼む義理は無いが、此処は任せる。俺は雪山地帯に行ってみる」
 先のはただの想像、想定になるのだが、一人であろうと見逃す事は出来ない。其処にも居る可能性は捨てられなければ、確かめない理由にはならない。
「雪山って、あそこのか。そうだな、頼む。もし居たら直ぐにもローレルに連絡しろよ」
「分かっている!」
 その場の集束は集まる者達に任せ、自分達は現場に向かう為のレイホースの調達に向かう。その時、聞き捨てならない声を耳にした。
「何で魔族ヴァレスが此処に居るんだ!?さっさとこの村から出て行け!」
 それはクルーエに対したものではない。だが、そうだとしても無視など出来ない発言。直ぐにも叱責しようとするのだが、
「今さら魔族ヴァレスだの人族ヒュトゥムだの拘るな!同じ人間だ!困窮した者を見捨てる積もりか!?」
 誰かがそう諫めた。他にその意見に同意する声が聞こえ、踏み止まったトレイドは再びレイホース調達に走り出す。
「・・・宜しいのですか?」
「ああ、此処は任せると言ったからな」
 改善は少しだけでも起きている。そう考え、此処は信じて、今自分がしたい事に専念する。先の声を聞いたクルーエも嬉しそうにして。

【2】

 駿馬に跨り、森林地帯を駆け抜けていけばすぐにも環境の変動部に差し掛かり、沼地地帯に踏み入れる。即座に迎える小雨を打ち払うように手綱は振られる。
 泥濘で蹄鉄の音は治まるも下から突き抜けてくる振動に動かされるように、唯一の人の生活領域であるローレルへ急がせる。
 後ろに乗るクルーエは必死に彼に掴まるのだが、背中越しに不安を感じ取り、表情を暗くしていたのは気付かれないままであった。
 泥を撒き散らしつつも二人はローレルに到着する。その頃には空も陰り始め、町中もその暗さに落とされていく。その町もまた騒がしい。再び復旧事が発生した訳ではない。事前に情報を得ていた為、予想は直ぐについて。
 外は雨が降っている為、来訪者達は室内に案内されていく。恐らく、多くを収容出来る宿屋だろう。そう判断するように、石畳みに敷かれた道を進む。程無く、其処へ着く。
「ガリード」
「おう、来たか。思ったより早かったな。クルーエさんも連れて来たのかよ」
 丁度宿屋から出てきた彼と会話を為す。苦笑を浮かべ、疲れを面に出していたガリードは友人との再会に笑みを見せた。出てきた後ろからノラも続く、彼女は変わらない表情で。
「手紙にも書いていたが、状況を改めて聞かせてくれ」
 宿屋の前でレイホースを止まらせると降り立ちながら本題を問う。それにガリードはもう一度苦笑を浮かべる。
「来て直ぐだな。まぁ、お前らしいっちゃお前らしいがな」
 人使いが荒いと言うように笑いを零した彼は一呼吸挟み、真面目な表情となって向き合った。
「此処の近くに二十人近くが来ちまってよ、まぁ、それについては無事に助けたって訳だな。他には居ねぇと皆に聞いたし、周辺の捜索も出てるよ。んで、準備が整い次第、フェリスに行って其処に居る奴と合流する。そして、そのままセントガルドに向かうって事になってるな」
「やはり、そんな流れになるか」
 考え得る手段だと冷静に呟く。そして、更なる遭難者を探す人も出している。協力の有無を切り出す必要もないだろう。
「俺とノラはその護衛を担った、って訳だな。それで、お前は準備しろって言ったけど、本当に行く気か?」
「ああ、居ないとは限らないからな」
「まぁ、だよな。俺は行けねぇんだ、明日の早朝具合に出て行くかもって話だしな。んでも、もしそん時に成ったら連絡しろよ。直ぐに動いてくれる筈だからよ」
 擦れ違い様に肩を叩き、用意した何かを取りに向かっていく。
 その場の残されるノラ。無関心に、ぼんやりと佇む彼女は再度出会った二人にも関心は示さない。けれど、顔だけは合わせて。
「・・・あの時は済し崩しに任せたが、引き続いて頼む。阿呆だが、頼りになる奴だからな」
「・・・ええ」
 言葉数は少ないが肯定を示す。彼女も彼女なりに信頼はしているのだろう。料理を振る舞ってくれる、それも美味しいそれを出してくれるから、その点が強いかも知れないが。
 多少の言葉を交わしている内にガリードは戻ってくる。その手には巨大な荷物と衣服を二つ、手提げを一つ。
「これが防寒具と一日分の食料と水、んでテント用具だ。無茶はすんなよ。クルーエさんも連れて行くってんなら、尚更な」
「分かっている」
 受け取ると荷物をレイホースに乗せ、馬具に取り付けて固定する。外れない事を確認した後、レイホースに乗り込んで手綱を繰った。 
「無茶すんなよ、本当に!」
「ああ!」
 遣り取りを経て、蹄鉄の音色を響かせて立ち去っていく。クルーエが挨拶を残し、それにガリードが答える。即座に邪魔するようにノラに引っ張られ、もう一度宿屋に消えていく。その折りの心底嫌そうな顔は再び酷使される事を嫌がっていたに違いない。
「悪いな、決定事項になって」
 雪山地帯で野宿する事を伝え遅れた事を、意思を無視して決定させた事を詫びる。それに腕を回す彼女は首を横に振るう。
「いえ、それは分かっていましたから」
「・・・それでも、悪かったな」
「・・・大丈夫です」
 哀しみが残ってしまった地に連れて行く事は本意ではない。だが、一人残しておく事もしたくない。結果、連れ回す事を重ねて謝る。その気持ちを理解してか、暗い面持ちの彼女はもう一度了承の言葉を掛けていた。

 夕暮れ時、夜に差し掛かる時頃、トレイドとクルーエは雪に包み込まれた場所に到着していた。ガリードに用意して貰った防寒具を纏い、山道を登っていった。
 吹き荒れる暴風雪、肌を切るほどの寒さに包み込まれた環境を、レイホースは快適に歩む。それはクルーエが操魔術ヴァーテアスで防いでいる為。苦手とする冷気と降雪が無い事に、レイホースは心成しか嬉しそうに。
 風雪が止み、登り道を経て、やや開けた場所に着いた所でレイホースの足が止められた。
「此処にテントを張る、悪いが手伝ってくれ」
「はい」
 やや見晴らしが良く、余分な物がない場所でテントの設営が行われる。それは手早く。際にクルーエの操魔術ヴァーテアスは役に立った。積雪を解かし、その水を乾かし、膜を張るには風を起こすなどの緻密な操作によって、設営は短時間に済んだ。
 テントは手馴れていない者が行ったとは言えど頑丈に出来た。二人が活用するには少々手狭だが文句は言っていられない。荷物を入れてしまえば更にきついだろう。
「今から軽く周囲の捜索に出る。君は此処で待機してくれ」
 外で焚火を起こした後、テント内で受け渡された荷物を整理していた彼女に告げる。
「私も・・・」
「いや、君は此処で待っていてくれ。俺が出ている間に食事の用意を頼む」
「・・・はい」
 もしもの時のテントの確保の為でもあるが、まるで足手纏いだと言われたようで彼女は不服そうに。けれど、文句は述べずに応じ、寒き外に出て行くトレイドを見送って。
 テントの傍、焚火の傍で丸くなるレイホースの毛布を正した後、トレイドは闇に落ち込んだ雪山に踏み出す。光る石で照らしてもその道はとても暗く、人を探すには悪条件に。それでも彼は足を速めた。
 夜に落とされても空に翳された月が齎す光は明るく、周囲が白き雪に包まれている為に他の地帯よりも明るく映った。その中で異物を見付け出すのは簡単な方か。
「誰か居るか!居るなら返事をくれ!直ぐに助けに行くっ!!」
 足跡を残し、夜道に声を出す。深々と積もる降雪の音が聞こえそうな夜間に声を響かせる。呼び掛けの音は積雪に吸い込まれ、返答も木霊も返ってくる事は無く。白む息に視界を曇らせるばかりであった。
 結局、日を跨ぐほどに超過して捜索しようとも、痕跡すら見付けられず、諦めてテントに戻っていった。
 戻って来るまで起き、彼を出迎えたクルーエは神妙な面持ちに案ずる言葉も掛けられず、同じように眠りに就いていた。

 翌日、陽が上り始めた頃からトレイドは捜索に出ていた。クルーエにも手伝って貰い、周辺の捜索に当たる。輝かしい日差しの下、次第に暖かくなっているにも関わらず、急ぐ彼はずっと寒く感じていた。不安だけが募っていって。
 二手に分かれた二人は丹念に調べた、木々の間も崖付近も、哀しみを抱かせる広場も余さずに。けれども、見付けられない。他の生物、魔物モンスターの痕跡を発見しようと。それは喜ばしい事か、悲しい事か。ただ不安だけが募って。
 降雪を纏い、霜焼けが起きるほどに歩いた足が立ち止まる。どれほど捜した所で発見出来ない。多くの時間を掛けられない。想定以上に時間を要すれば自分達の命が危ぶまれる。白む息を零し、踵を返される。その時の時間は如何程か分からないが、事前に決めた時間帯だと判断してテントを目指す。
 強くも弱くもならない降雪を過ぎ、不変の静けさに包まれた地に小さく足音を鳴らす。僅かな空腹感を抱く頃に目的のテントへ帰還する。既にクルーエが待っており、凍えるレイホースを労って暖めていた。
「・・・見付からない、か」
「はい・・・居たような、痕跡もありませんでした」
 成果が無かった事はテントの周りを見れば明らか。それを如何捉えるか、少なくともトレイドは気を落とすには充分であった。
「・・・戻り、ますか?」
「・・・ああ」
 クルーエに問われて彼は已む無く了承した。たった一日程度の捜索時間、それでも痕跡すら見付からなかった。なら、人は此処に来なかったと、居ないと希望を以ってそう判断する。そう願って、踏ん切りを着けていた。
「無理をさせたな、クルーエ」
「いえ、こう言う時ですから・・・」
 一休憩を挟んだ後、テントを片付けてレイホースに乗せ、後始末を行う。静けさが動作の音を際立たせ、抱えた気持ちを更に膨らませた。苦しく感じる程の不安、もしかしたらと言う思い、まだ探したいと言う気持ち。
 後ろ髪引かれる様な悔いを引き剥がすように出発する。クルーエに操魔術ヴァーテアスを頼み、やや嫌がるレイホースに無理をさせて駆け出していった。

【3】

 レイホースを走らせ、全身を濡らしながらも二人はローレルに到着する。その頃になれば夜を迎え、その静けさに町は包まれていた。しとしとと降り続く雨音だけが聞こえて。
 夜の為か、昨日の騒がしさは感じられない。普段通りの時間と言った処か。詳しく調べるまでも無く、目指すのは宿屋。二日続けて野宿或いは徹夜での移動をする必要はない。十分な休息を取る為に其処へ運んで。
 レイホース賃貸屋を経て、宿屋の扉を開ける。何時でも経営する室内に蝋燭が点てられて仄暗く、その受付では強面店主が眠りこけて。
「・・・悪いが、二部屋借りたい」
 少し躊躇いつつも泊まる為に起こす。すると、実に不愉快そうな面で目を覚まし、思考を定める時間を置いて口を開く。
「・・・お前か、二部屋だな」
 顔見知りの為か、寝起きの為か、余計な会話を挟まずに鍵を手渡した。
「ああ・・・そう言えばガリードって奴から伝言預かってるぞ。予定通りに運ぶ、ってよ。それと、テントは此処に置いとけ、明日取りに来させるから」
「・・・そうか、ありがとう」
 故の静けさでもあるのだろう。何時出発したのか分からないが、フェリスに着いている事は間違いないだろう。
 それを把握しただけでも良しとし、鍵の一つをクルーエに手渡して部屋に向かう。早く眠りに落ち、抱えた不安から遠ざかるように。

 日に日に魘される酷さが増し、疲労感を残して目覚めた後、朝食等の準備を行う。そうした二人はレイホースに跨り、雨の中を駆けていた。その先はフェリス。合流する目的で繰るのだが、一日近くの差が付いている為に見込みは少なく。
 程無くして踏み込んだ森林は適度な気候を保ち、涼やかに風を流す。それに濡れた身体を乾かすように馬を歩かせる。流石に常時走らせる訳にはいかず、休憩の為にも。
 無理に走らせて落馬の危険を晒す必要はなく、他に目的はある。それは道すがらの捜索。捜索自体は既に行っている、けれど万が一があるかも知れないと、淡い期待を以って。
 それは彼の勝手でもある。雪山地帯での探索不足を補うように、罪滅ぼしだと言うように行う。
 その意図を読み取ってか、後ろに座るクルーエは周囲を見渡して捜索する。
 道に沿って進ませるトレイドは手綱と共に握る剣の柄の感触を確かめるように握り、魔物モンスターに対する警戒も深めて。
 見渡す目が多少の変化を見詰める。それはつい最近気付いたもの、地面の起伏が多く確認され、異なる植物が混じって乱立する。その間を眺め、更なる変化や異変を探して。
 見渡していれば、ふと思った。様々な命が色付く、満ち溢れるような濃さを見ていると、今迄の世界は絵のように作った世界だったのかと思えてくる。さも、少しずつ命を取り戻している様にも感じていた。
「ローウス・・・」
 森林地帯に踏み入れば必ずと言って程に遭遇する魔物モンスターの代表格。見慣れた生物と類似したそれもまた、以前よりも生物らしさを取り戻したかのように映るのは気の所為か。
 獲物を発見したと笑顔を浮かべているように見えなくない顔。餓え、喉を潤し、胃を満たせられると言うように。垂涎する様は本当に。
 存在を把握したと同時に降り立つトレイドに向け、灰色の獣達は駆け出す。渇望を癒す為に土を蹴り、純黒の剣の間合いに不本意に飛び掛かる。欲望のままの行動は鋭い音と共に斬り捨てられた。
 血飛沫を散らし、遺体を周囲に転がす。次々と不用意に牙を剥く獣はトレイドの冷静な攻撃に、容赦を払ったそれに群れは命を終えた。
「・・・行こう」
 刀身の血を拭った後、待機させたレイホースに跨って再び歩き出させる。血に染まった景色から遠退くように。
 内部に新たな変化は、目立つほどのそれは見られない。故に、備えられた道筋で迷う事は無い。道に沿って歩めば自ずとフェリスに到着出来る。
「・・・クルーエ、疲れは残っていないのか?」
 自分の判断で振り回してしまった、それを悔いて問い掛けて振り返る。後ろの彼女は首を振って微笑み掛ける。
「問題ありません、ちゃんと休めました。そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ、トレイドさん」
 都度に気を遣われる事は喜ばしい反面、少し心苦しくもある。だから、その負担を軽減させようと笑みを見せていた。
「そうか・・・だが、連れ回したのは俺だからな。不服があったら遠慮無く言ってくれ」
「はい、分かりました」
 空気が和んだのも束の間、それに水を差すように雑音が響き渡った。
「レイナァァァァ!!何処に居るんだっ!?聞こえたら返事してくれぇぇぇぇっ!!」
 森中に響き渡らせる勢いで大声が叫ばれた。唐突のそれはトレイドを警戒させ、飛び降りさせて剣を構えさせた。直ぐに内容を把握して敵意を治めるも、気持ちは急いて。
「トレイドさん!」
「ああ、行こう!」
 声がした方向、伸び行く道方面ではなく、茂みの中から。なら、その方向へ足を速めた。 
 接近してゆけば、人とは異なる気配、息遣いを複数感じ取る。聞き慣れてしまったそれはローウスのものであり、唸り声も混じる。先の声で集めてしまった事は間違いない。
 声の主が危ういとトレイドは駆ける速度を上げ、続くクルーエを置き去りにしてでも急ぐ。茂みや枝葉を突き抜けて行くと少し開けた場所に飛び出した。
 足を止めた彼は剣を構えて周囲を確認する。その目が、ローウスの群れと一人の男性を捉える。額から血を流し、衣服の至る場所が破けて既に襲われた後、間に合わなかった。
 しかし、勇敢な事に武器の無い非装備の状態で立ち向かっていた。脇に一体を挟み、締めながら取り囲む灰色の獣達と対峙していたのだ。戦力差にも関わらず、一切物怖じなどせず。
「助けるッ!」
 呼び掛けながら剣を地面に突き立て、ローウスの位置と数を目視する。乱入者など関係ないと男性に飛び掛かり、襲い掛からんとする灰色の獣達。囲み、逃がさぬ為と様子見に徹する数体もまた。それらの身体は地面から突出した結晶に貫き、串刺しにされた。
 黒く鈍く透き通るそれは群れを余さず貫き、獣自身の重みで脱出は叶わなくなる。そうなれば苦しみ、もがき、命を落とすしかなかった。
「こ、これは、一体?」
 目の前に起きた凄惨な現場にも驚いているが、一番に驚いていたのは常識から外れた呼び出された結晶。不可解と感じる心が恐怖を幾分か和らげていた。
「すまない、遅くなってしまった」
「ん?ああ・・・やっと人に会えた!これは、君がやったのか!?凄いな・・・」
 間に合わなかった事を詫びるのだが、当人は全く気に留めずに音を立てて消えゆく結晶を眺めていた。
 困惑よりも圧巻して気持ちの整理が着いていない彼は忌避する態度を示さない。法が変わったとは言え、操魔術ヴァーテアスを使う者を嫌い続ける者は居る、心の奥底で嫌悪感を抱く者も居るだろう。だが、その事に反応せずに、目の前の事実に驚きを隠せない様子からは演技とは思えない。正真正銘、知らないのだろう。
 背は高く、トレイドの頭一つ分程に高い。無精髭で多少は更けて見えるが三十代後半から四十代前半と言った処か。黒い短髪や黄色い瞳等の他、渋みと物静かそうな面持ちとは異なって、その体格は随分と引き締められて筋肉の筋が随分はっきりと映し出される。故の肉体のみでも戦うのだろう。
 また、人より頑丈なのか、傷もすっかり血が止まり、歩きにもぎこちなさはなかった。だが、疲労が見える。寝不足、十分な休息は取れていない様子。それに衣服も汚れが目立って。
「これを使え」
「ありがとう、使わせてもらうよ。君達のお陰で・・・」
 差し出すフェレストレの塗り薬。受け取った彼は中身を見て薬と推察し、礼を述べてから使用しようとする。けれど、大切な事が頭に過ぎり、その手を止めた。
「君達っ!娘、私の娘を知らないかっ!?していたら教えて欲しい!!知らないかいっ!?」
 効能を実感するよりも先に気に留めるのは娘の安否。額から流れた血など、己が事など後回し。娘の事で思考は埋め尽くされて。
 案ずる思いに突き動かされ、トレイドの肩を掴んで揺さぶるように質疑する。必死過ぎて力を篭めたそれにされた者は軽い眩暈を起こされる。
「落ち着け!心配なのは分かるが、具体的な特徴や逸れた場所を教えなければこっちも困るだけだ!まずは冷静になってくれ!」
「!そ、そうだな。済まない」
 動きをやや力尽くで抑えられた上で宥められた事で再び冷静さを取り戻す。けれど、一目見るまで安心出来ないのか、不安げな表情のままに。
「教えてくださいますか?」
「それなんだが・・・その・・・」
 改めて問い掛けるのだが彼は言い淀む。自信が無く、俯いて眉を顰めてしまう。自分の娘の事だと言うのに。だが、嘘を吐いている様でも記憶が曖昧と言った様子は見受けられない。正しいのか、そう記憶と照合しない為に迷っているように見えた。
 その様子に怪訝に思ったトレイドだがふと一つの想像に行き着く。その可能性は否定出来ず、直ぐにも尋ねた。
「もしかして、説明も出来ないような奇妙な現象に、【異変】に巻き込まれて来たのか?」
「そう!そうなんだよ、仕事が終わって娘を迎えに行こうとしていた時に、訳の分からない何かに巻き込まれて、何時の間にかこの森に居たんだ!それからレイナ・・・由美、を探しているんだが・・・」
 自分の記憶と遺伝子記憶ジ・メルリアに拠って齟齬が起きる認識に困惑しながらも娘を心配し続ける。それだけが心の支えと言うように。
 男性の証言から各地帯で訪れた人々と同時期に来たと思われる。だが、運悪く合流出来ず、娘を探す為に逸れ続けていたのだろう。一日以上耐えられたのは娘を想って行動し続けた為であろう。だが、それも限界に近いように見えた。
「・・・それで、娘を知らないかい?六歳の女の子なんだ。特徴は、その・・・」
 重要な点は伝え切れず、終始娘に再会したい思いで押し黙る。問われたトレイドは苦しい表情で俯く。
「会って、いないな」
「私も・・・ごめんなさい」
 心苦しくする二人の応答に男性は派手に落胆する。
「・・・希望になると良いが、もしかしたら、先に来ていた者達の中に居たかも知れないんだ」
 少しでも気を保ってほしいと説明した瞬間、男性は反応して噛み付く勢いで気分を昂揚させて掴み掛かった。
「本当かいっ!?何処に居るんだい!?近くに村にあるのかい!?どっちかな!?」
「あ、ああ。フェリスと言う村が・・・」
「そうか!あるのか!」
 その希望に掛けるように男性は走り出す。応答を待たず、一人突っ走ろうとする彼、それをトレイドが慌てて止める。肩を掴む程度では止まらず、羽交い絞めにするようにしてやっと止まって。
「如何して止め・・・」
「俺に従ってくれ!娘が心配なのは分かる!だが、その前にあんたが危険な真似をするな!落ち着いて行動してくれ!」
「そ、そうだね。重ね重ね、迷惑を掛けたね・・・案内、頼むよ」
 再三の言葉に漸く落ち着きを取り戻し、それでも不安を残して従う意向を示す。そうなってから腕を放したトレイドは溜息を吐き捨てた。子を思い過ぎて、過ぎた行動力に呆れと尊敬の念を抱いて。
「娘さんが見付かると良いですね、きっと会えますよ」
「そうだね、そう思わないとね」
 娘を想う親の姿勢に感動したクルーエは励ましながらまずレイホースへ案内し、恵みの村を目指す。
 道中、守る者が増えたトレイドは警戒を深めつつ、また一つ溜息を零していた。

【4】

 遭難者と言える男性を連れてフェリスへ戻る。疲弊が溜まる彼をレイホースに乗せ、その道中も他に誰か居ないかを探して。結論から言えばそれ以上は居らず、目的地へと辿り着いていた。
 そこまでの道程で改めて挨拶を交わしていた。男性の名はバーテル、以前の名を名乗る事に違和感を感じたのだろう、それで統一するようであった。他には会社員であったとか、娘レイナの事についてを口早に話していた。その内に到着していたのだ。
 長閑なフェリスの光景を眺めて別段の変わり映えは無い。騒がしさも無くなり、普段通りと言える光景であろう。
「・・・クルーエ、バーテルを連れて小川が何処かで休ませてくれ。その間、集団について聞いてくる」
「はい、分かりました」
 大体の予測は着くが同行を調べる為に一時離れる。その間は彼女に任せるのだが、直ぐに暴走する者を任せるのは心配が及ぶ。其処は二人を信用して。
「それに、バーテルも疲れているだろう、宿を確保してくるからな」
「何から何まで済まないね」
 やや渋い顔立ちを穏やかな表情を際立たせる。落ち着いていれば心優しい者だと信用し、村の中へ離れていった。
「では、バーテルさん。一先ず、行きましょうか」
「そうですね、お願いします。クルーエさん」
 レイホースから降り、手綱を引きながら村を横断する小川の辺に向けて歩き出していく。落ち着いていれば分別と余裕を感じる大人であった。
 小さな堤防の傍、小川の辺には潺が耳障り良く聞こえる。其処に腰を降ろせば身も心も休められるであろう。娘の安否で削れる思いも少しは安らぐだろうか。
 次第に暮れていくその辺、小川に寄り添って腰を下ろしたバーテルは細長い落葉で小さな舟を形作っていく。それは片手間、気持ちの整理と状況確認の雨に様々な常識と知識をクルーエから教えられていた。
「・・・そうか、やはりこの世界は全く異なる世界なんだね。色んな物を見て分かってはいたが・・・まぁ、受け入れていかないとね」
 様子は冷静なものだが内心ではかなり困惑し、気持ちの整理に手一杯だろう。舟を作るのは手慰みではなく、それで心を落ち着かせる意図もあるのだろう。
「君達は確りしているね。若いのに、立派だよ。私なんか、今も不安で一杯だ」
「いえ、私達も此処に来た時は、とても、冷静では居られませんでした・・・」
「・・・そうだね。魔物モンスター、実際に遭ったから、良く分かるよ。そうだろうね・・・」
 この世界の危険は身を以って理解した。なら、尚更気が気でならないだろう。それでも気持ちを抑制して我慢しての事。
「・・・しかし、良かった。彼や君のような心優しい人達に会えてね」
「そんな事は・・・私達も、偶然でも出会えてです」
 バーテルの感謝の言葉にクルーエが微笑み掛ける。少しだが落ち着いた様子を眺めていると、作った舟を小川に乗せる仕草に目が留まった。
 川の流れはとても緩やか、光の反射に因ってその流れが見て取れる。その水面に浮かぶ緑の舟は止まって見えていた。波間に揺れ、流れていく様を懐かしみ、同時に不安な面で眺める。
「・・・ああ、川に来たらこれを作ってたんだよ、娘とね。だから、ついね」
 見られている事に気付いて悲しい笑顔を見せながら説明する。それにクルーエも感化されるように表情に陰を落とす。静かに隣に腰掛け、流れる舟を眺めた。
「あの・・・バーテルさん。娘さん、レイナ、ちゃんは、どんな子なのですか?」
 不安は第一、それを紛らわせる為に話題を振る。それに彼は一瞬、切ない面を浮かべるも、込み上げてきた思い出に表情は和らいだ。
「娘のレイナはね、亡くなった妻に良く似ていて美しくなる事この上なくてね。今はとても可愛くてね、感情豊かで人懐っこいんだよ。友達を大切にする子でね」
 娘の事となれば彼は流暢に語り出す。若く見えるほどの笑みを浮かべて語る姿を前に、クルーエは難しい表情を浮かべる。それは前文に反応して。
「奥さんは、此処で・・・」
「いやいや、そうじゃないよ。妻はレイナを産んだ後に亡くなったんだよ。元々、身体の弱い人だったからね。出産に、体力が持たないと言われていたんだ。御両親に反対されても、産みたいって頑固でね・・・だから、その事は気にしなくても良いよ」
 怒りを示さないが、懐かしみ、そして憂う表情は幾多の感情が宿る。思い耽っている彼の閉じた双眸から涙が溢れ出した。
「心配で、心配で、ならないんだ。あの子をずっと守る、必ず守り抜く、って彼女の墓前で誓ったのに・・・」
 涙を伝わせる顔を隠して嘆き始める。娘を、最愛の子を喪ってしまうのではないかと、その悲しみに打ち拉がれる。その様にクルーエは戸惑う。
「バーテルさん、元気を・・・」
「そう簡単に希望を捨てるな。本当に娘の無事を望んでいるなら、そんな事を考えるな」
 消極的な思考に囚われた彼に、戻って来たトレイドが釘を刺した。下手な考えをするなと、やや厳しい口調で。
 唐突に話し掛けられて驚いたバーテルだが涙を拭って気持ちを落ち着かせた。
「・・・君も優しいね。見た感じでは、近寄り難い雰囲気なのに」
「一言多いぞ」
「ハッハッハ、そうだね。ごめんよ」
 愉快に笑う姿を見て、トレイドは安心を浮かべる。クルーエが上手く抑えてくれたのだと感謝を示して。
「先ず、此処に来ていた者達は既にセントガルドと言う、首都と言える場所に移された所で確認は出来なかった。だから、セントガルドにレイナと言う女の子の有無の確認の手紙を送っている。明日になれば結果が分かるだろう」
「そうなんだね・・・明日になればと言ったけど、これから如何するんだい?」
「今日は此処に泊まる。今から出るのは危険だし、連絡を待たなければならない」
 空は確実に茜に染められ始め、夕暮れ時と言える。夜間に突入して向かう事も出来なくはないだろうが、護衛しながらの夜間移動は危険過ぎる為に選択は出来ず。
「直ぐには行けそうにないんだね・・・」
「あんたには悪いがな。森を抜けようとすれば護り切れない恐れがある。そんな危険は冒せない。それに、十分休めていないだろう?」
「私の事は・・・」
「娘の為にも、十分に休息を取れ。寝不足が原因で娘に会えず仕舞い・・・それは、望んでいないだろ」
 自身を顧みずに娘の事だけを案ずる言葉を遮って再度釘を刺す。それに、バーテルは押し黙って小さく唸る。
「その・・・通りだね。我儘を言って済まない、君達に従うよ」
 止むを得ないと言った様子で諦めた彼。今すぐにでも走り出したい衝動を抑え、今は娘の為にも休む事を選んでいた。
 気持ちの整理、娘の無事を祈るように小川に流れ行く緑の舟を眺める。何処までも静かに、小さな流れに押し流される光景を。その後ろ姿を、トレイドは思い詰めた面で見つめる。彼の心境を考え、小さく溜息を零すのであった。

 そうして向かった先の宿、このフェリス唯一の其処で些細な衝撃を経て、雑用をこなしながら明日に迎えるのであった。
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