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寒く凍て付く雪、温もりに厳しさは和らいで

移ろう世界、乗り出す調査

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【1】

 銀龍の来襲から一週間が過ぎた。小さな変化を伴いながらセントガルド城下町は在り日の日常に向け、姿を取り戻す為に皆が尽力していた。
 瓦礫撤去は難しい所を省けば殆どを終え、建物の再築や修復は漸く半分を迎えようとしていた。途中から進捗が向上したのは魔族ヴァレスの力があったのは言うまでもない。
 次に被害が大きかった工業区も材料不足や人員の不足に喘ぎながらも再稼働し始め、伴うように商業も再開されつつある。となれば、流通の象徴である馬車も活発に動かされ、忙しなく町中を過ぎていく。
 一番の復旧が進んだ証となるのは、人々に笑顔が取り戻され始めた事であろう。憂うばかりでは進めない。受け止め、明日を生きる為に踏ん張る気力で乗り越えたからこそ、全ての動きに機敏さが見え始め、表情に明るみが差した。そう言った強さが、人々にはあるのだ。
 そうした町中を眺める、使用不可となった家具を担ぐトレイド。隣には途中で合流したガリードが歩く。その肩には自身よりも一回り大きな瓦礫を担いで。
「ガリード、これを処分したら一回、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーに立ち寄るぞ」
「如何した?何か用があんのか?」
「大した用はない。ある程度復旧の目途が着いてきたから、何かしらの仕事が出てくるだろうとふと思ったんだ」
「ああ、そう言う事か。良いぜ、俺も行くから」
 或いは指示の更新を仰ぐ為にも、瓦礫を外へ放り捨てた彼等は自分達のギルドの施設へ目指す。その折り、周囲を見渡す二人は表情を明るくした。
 左右には建物群、乱立する建物達が見える。瓦礫で埋もれた荒野はもう無い。少々荒い部分が見え隠れするが、見える範囲では爪痕は治りつつある。それだけで喜ばしくて。
 復旧の様を確認しながら歩いた二人は目的地へ到着する。無論、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの施設。その姿は被災時から変わっておらず。此処よりも他を優先した結果であり、皆も納得した為、今や慣れてしまった。
 けれど、トレイドの個室を含めた大部分が砕かれ、見るも無残な半壊状態。中身が曝け出された姿は憐れとしか言いようがない。此処に思い入れ、或いは私物を置いていた者は嘆いただろう。ただ、トレイドだけは大した反応を示さなかった。あまり思い入れも無く、私物が無かった為に。それよりも少なくない犠牲者が出た事を悲しんでいた。
 建物と言い得ない領内に踏み込む。以前は済む場所を失った者に場所を提供していたが、今はその問題が改善された為に以前の様な静けさに包み込まれていた。嬉しくも、僅かに寂しさを感じて。
「此処も、そろそろ直すべきだな」
「そりゃそうだけど、まだまだ先になりそうだな」
 以前以上に哀れな姿となり、廃墟寸前の自分達の施設を見渡しながら呟く。まだ我慢するしかないと諦めるように言葉を交わして。
「トレイドさん、ガリードさんも如何かしたのですか?」
 建物の奥から姿を現し、話し掛けてきたのはシャオ。表の方から聞き覚えのある声がした為に来たのだろう。
「ユウかステインを探してな」
「シャオの方こそ如何したんだ?天の導きと加護セインクロスに応援に行ってたよな?」
「そうなんですが、先程最後の怪我人の治療を終えたので、一旦戻ってきました」
 そう笑う彼だが連日に渡って聖復術キュリアティで治療を行ってきた疲れが、隠し切れないほどに疲労感が見て取れる。今にも倒れそうなそれではなくとも、表情は優れない。だが、それは二人も同様に。
「そっか、お疲れさん。んじゃ、一緒に二人を探そうぜ」
「はい、分かりました」
 シャオは柔らかな笑みを浮かべて共に探す事とする。居るか如何かは分からなくとも探す場所は限られ、時間は掛からないだろうと先ずは一番近い場所を目指して。
 崩壊した壁、窓は無くなって吹き曝しになった通路を渡り、行き着く先の扉の前に立つ。明らかに歪んでしまったそれを強引に押し開けていった。
「これは・・・」
 迎えるのは資料室、であった場所。天井でもあった二階が崩れ、とても明るくなった其処。崩壊に巻き込まれ、資料を保管する棚は総倒しとなり、ほぼ全てが形を失った。結果、其処に僅かに有った家具も含め、殆どの書類が識別不可となってしまった。
 惨状と化した其処でユウの姿を発見する。傍には誰も居らず、一人で整理を行っている様。
「此処に居たか・・・如何なんだ?」
 見ただけで哀愁を感じられる後姿に一声掛ける。ある程度瓦礫を除け、唯一無事だった机の上に書類を積む彼女は振り返る。その顔、芳しくない事を示すほどに暗く。
「そうね。過去、私達がこなした依頼の証明書は兎も角、過去の調査資料の殆どが駄目になったわ。職員に関する帳票や元々あった資料も、駄目そうね」
 様々な資料が駄目になった事は損失でしかない。何より、この世界を調査する事を目的としたギルドならば手痛いとしか言い得ない。その通りに、ユウは気落ちして。
「そうか・・・それが残っていれば、少しはこの世界について分かったかも知れないが、つくづく、物事は上手くいかないな・・・他に、大事な書類は無かったのか?」
「直近の書類はリアの個室に放置していたから、ある程度は助かっているの。あそこは被害が少なかったから。それでも、殆どが駄目になったわ・・・」
「まぁ、仕方ねぇ、か。ユウさん、切り替えて行きましょう!」
 絶望と言わんばかりに気落ちする彼女に対し、ガリードは元気に振る舞って励ます。責任を負う立場でないからこそ気楽に構えられて。
「ひとまず此処に保管していたのが間違いだったわ・・・でも、仕方ないわね。言う通り、切り替えないとね」
 長く溜息を吐き、一呼吸置いた彼女は普段と同じような表情を見せる。流石は副責任者、それを担える精神と言えよう。
「それで、貴方達は私に何か用があって来たの?」
 声も同様に力が宿り、その声は良く響く。受けた三人、特にトレイドも気落ちしたままでは駄目と切り替える。
「町の様子も落ち着き、復旧も順調に進んでいる。そろそろ、次の指示があるんじゃないかと思って来たんだ」
「仕事ないっスか?」
「仕事?いえ、無いわ。引き続いて復旧作業に取り組んでもらえる?」
 一瞬記憶を辿る動作を挟むが即答されてしまう。それに諦めを宿すトレイドだが、ガリードは少し首を捻る。
「でも、調査した方が良いんじゃないっスか?資料を失ったんなら、ちょっとでも集めたら良いと思うスけど」
「確かにその通りね。多少残ってはいるけど、今となっては役に立たないわ。それでも、今すぐに行う事でもないわ」
「じゃ、仕方ねぇっスね。戻って・・・」
「なら、それなら、それならば、丁度良い。調査を頼みたい」
 諦めて引き返そうとした矢先、唐突に指示が言い渡された。それに振り返ると、仕事の勲章を身体中に塗したステインと顔を合わす。
「ステインさん、居たんスねでも調査は・・・」
「先の地震、それに拠って世界に変化が生じている筈だ。復旧で手を回せなかったが、そろそろと思っていた所だ」
 奇遇な事に彼も頃合いと判断していたようだ。
「それは仕事って事で良いっスよね?」
「ああ。今回は仮の調査として二人に行って貰う。次に予定している本格的な調査の足掛かり、としてな」
「でも、二人だけに行かせるのは・・・」
「所属して様々な仕事をこなしている上、戦闘に置いても文句なし。もう一人前と言える水準に達している、問題ないだろう」
「それも、そうですね」
 少し懸念を示すも判断理由に納得してそれ以上の異論は挟まなかった。それは当人も同様に。
「二人と仰いましたが、私は如何しましょうか?どちらかに着いて行った方が良いですか?」
「いや、君は休め。見ただけで消耗しているのが分かる」
「ですが・・・」
 自分だけ休んで居られないと異論を口にしようとするも、ガリードに肩を掴まれて遮られてしまう。
「俺から見ても疲れてんのが分かるんだよ、素直に休んどけ」
「そうだな、無理はするな」
 同意した二人にも優しく説得され、少々不服そうな彼だが已む無く応じる姿勢を示して。
「十分に、存分に、過分になるほどに休息するんだ。医者の不養生、とは言わないが、君に倒れられたら忽ち困るからな」
「・・・分かりました、そうさせて頂きます。トレイドさん、ガリードさん、気を付けてください」
 人の役目に立てられず、休む事に負い目を示すも疲労も事実。已む無く応じた彼はその場を後にしていった。
「・・・話を戻すが、魔族ヴァレスの一件があるから、外に行く事は避けたい」
 見送った後、トレイドが拒否する意見を口にする。だが、それは受け入れられなかった。
「気持ちは分かる。だから、その件は俺に任せてくれ。責任を以って護衛、警備の手配を行う」
「だが・・・」
「土壌は作り上げた。少しは人族ヒュトゥムや、仲間を信じてくれないか?」
「ええ、少しは頼って欲しいわ。貴方は一人で背負って無茶するから」
 言わば上司と言える二人に説得される。決して軽んじない二人からのそれは本心でもあり、トレイドは少し悩んだ。
「・・・分かった、俺が居ない間、頼む」
 少しずつ状況も変化し、頼りになる者達が増えてきた。不安は残るも信じる事も必要と受け入れていた。それでも、渋々と言った様子で。

 それから準備が行われた。調査の為にノートの様な紙束とインクを満たした小瓶と羽ペン、小さな世界地図を。渡される際、正式な書類になる為、誤字や汚い文字は控えるようにと念を押されて。
 調査の対象は今迄自分達が赴いた場所、今回は森林地帯と沼地地帯となり、調査する旨の注意事項を釘を刺すように述べられた。それらは普段から気にしている事であり、再確認になっていた。
 最後に野宿は極力避け、フェリスかローレルで伝書鳥を飛ばして途中報告をするようにと、口五月蠅く言われる。最後にステインからやや大雑把な激励を受け、漸くに施設を後にするのであった。

【2】

「悪いな、付き合わせてしまったばかりに、少々面倒な仕事に巻き込んだ」
「良いんだよ、大事な事だしな」
 殊勝な台詞を述べて笑顔を見せる彼だが、その内心では繰り返す作業に辟易した思いもあろうか。それは彼しか分からない。
「道具は揃えてくれてくれたけど、他の用意もしねぇとな」
「そうだな。移動に関してはレイホースの使用は控えるぞ。まだ必要としている筈だ」
 そうなれば、あの長い草原をただただ歩くだけの時間は免れない。景色を眺め、楽しんだとしても苦痛は残る。思い出すだけで足に痛みが生じる。実際の疲労はなくとも、精神的に蓄積する疲労感。顔は顰められて。
「・・・だよな」
 あの苦行でしかない時間を味わうのだと考えた彼は溜息を大きく漏らす。悟った様な、嫌々の様な表情は少々憎たらしく。
「仕方ねぇか・・・後は、飯も買わねぇと」
「医療品、フェレストレの塗り薬も忘れないようにな」
 調査となれば魔物モンスターとの戦闘は避けられない。その備えを、遠出の準備を行う為に外へと向かう。けれど、公道に出て立ち止まってしまう。
「んで、飯って今何処で売ってんだ?」
「・・・まずは、ジュドーの処に行くか」
 災厄に見舞われた後、飲食店は軒並み休店となった。軽食を扱う出店も出している事すら間違いと見做される状況であった為に。最中ではギルドが主体となって炊き出しを行い、数店はそれに協力するように料理を振る舞っていた。だから、とても商売など出来なかっただろう。
 状況が改善された今、商売を再開している可能性もある。だが、その店を探して時間を費やすより、確実な方向に行く事を決めていた。

 医薬品を扱うジュドーの店に向かうまでの道程は例に洩れず、行き交いだけは快適となっていた。石畳が所々破損や欠損しても不快な思いは感じられない。そう瓦礫で埋もれた道と比べれば天と地と言えた。
 公道を渡り、各地で聞こえる建築の音。人々の頑張りで景色は甦っていき、眺めていればかつての活気を思い出す。
「あともう少しか?随分と直って来たな」
「ああ、連日と動いた甲斐があったな。もう安心して良いだろうな」
 復旧具合を眺めながら言葉を交わす。安心を口にするのはこれからの事に集中出来るように。
「トレイドさん、ガリードさん」
 途中、別の道から数人と遭遇する。その集団の中にクルーエの姿があり、彼女が声を掛けてきたのだ。着古したローブの裾を、ふわりと広がる朱色の長髪を揺らして駆け寄ってきて。
「如何した?何かを運んでいるようだが」
「はい、使用出来ない道具を処分する為に運んでいました。その帰りに買い物に行く予定です」
「そうか・・・丁度良い、伝言を頼む」
「はい、何でしょう?」
「俺とガリードはこれから各地の調査に出る事になった。その事を、皆に伝えてくれ」
「えっ?」
 思わぬ台詞だったに違いない、彼女は呆気に取られて固まって。
「その間は人と人を繋ぐ架け橋ラファーのステインが責任を以って護衛の手配してくれる。まぁ、何時も通りだが、安心してくれ。何かあれば、人と人を繋ぐ架け橋ラファーを頼ってくれ」
 そう言い残して立ち去っていく。伝えるべき事は伝えたと気掛かりが消えたトレイドの足取りは早くなる。ガリードも一言声を掛けてその背に続く。
「あ、あの、トレイドさん!」
 直ぐにも彼女に呼ばれて立ち止まる。珍しく大きな声に振り返ると再度駆け寄ってくる姿を捉えた。
「如何した?俺に用事かあったのか」
「はい・・・あの、私も一緒に行かせてください!」
 少々慌て、大きくなった声で同行を頼み込んで来たのだ。思わぬそれにトレイドは疑問に眉を顰めて。
 そうした遣り取りをガリードは楽しそうに、彼女と主に居た集団も楽しそうに。
「・・・如何してだ?」
「えっ、と、あの・・・駄目、ですか?」
「正直に言えば同行させたくない、危険だからな。だが、用事があるなら、護衛しよう」
 そう語る通り、道中では危険が伴う。護りながらの調査は困難でしかない。けれど、彼女の意思を尊重し、そうなればそれなりの覚悟を以って挑む所存であった。
「そう、です。村に、行き、たくて・・・その、其処で、したい事がありまして・・・」
 自信なく、躊躇いがちにその目的を話す。顔を逸らして告げるのは了承してくれないと思っての事。けれど、して欲しいと言う強い思いを表情に映して。
 理由を聞きとトレイドは悩む。尊重したいのはやまやま。けれど、守り切れる自信が無い。その意欲はあっても、もしもの事を考えてしまえば如何しても踏ん切りが着かず、沈黙してしまう。
「良いじゃねぇか。お前が傍に着いて守ってやったら、万事解決じゃねぇか」
 焦れたのか、或いは彼女と共に居た集団がせっついたのか、蚊帳の外気味であったガリードが提案する。二人の遣り取りから、主にクルーエの態度から抱く感情を察し、一つ策略を講じて。
「でもな・・・」
 それに気付かないトレイドは不安が残し、決断しかねる。もう一度見た彼女は乞うように弱々しく、けれど諦めの色は見えず。
「・・・分かった。だが、十分気を付けてくれ。魔物モンスターと遭遇すれば、俺が対処して負担は掛けさせないようにする」
 意を決し、同行を許可する。それにクルーエの表情は明るくなる。その傍、数人が楽しそうに笑みを浮かべて。
「ありがとうございます。それでは一旦必要な物を取りに戻ります!その時にさっき言ってくれた事も伝えますから!」
 喜びを前面に出した彼女は声を弾ませて走り去っていく。珍しい姿を、感情を面に出して走る姿にトレイドは疑問を抱いて止まず。
「んじゃ、俺達は用事あるんで。気を付けてね~」
 少々厭らしく笑みを浮かべたガリードと数人は言葉を交わしながらその場を立ち去っていく。それも理解出来ないトレイドは立ち去る背を睨みながら歩み出す。
 また一つ、彼の画策が成功して。

 そうして、二人はレインの叔父、ジュドーが経営する店に訪れる。レインが亡くなった後、少し足を運ぶ事が少なくなった其処も無残な姿となっていた。衛生を気にする事が出来ない、吹き曝した状態に。
 同様に修復されている傍ら、皆の為に休業などせずに店を開け続けていた。
「お?お前さん達か、久し振りだな。今日は何を求めて来たんだ?」
 鍛冶屋のガストールに負けぬ体格のジュドーが客である二人を歓迎する。知り合いと分かれば表情を明るくして。
 恩人を喪い、高山地帯での生活を経たトレイドは無論彼にも会い、自責の念のままに謝罪を伝えていた。それに彼は責める事無く、寧ろ慰めてくれた。親族を喪ったと言うのに優しく、それ以降も態度を変えずに接してくれていた。
 けれど、悲しい訳ではない。一人になれば、悲しんでいた。今はそれを乗り越えて。
「今日から少し遠出する、調査に出る事になった。その為にフェレストレの塗り薬を始めとする医療品を買いに来たんだ」
「そうか!じゃ、ちょっと待っていろ」
 事情を知った彼は店の奥へ消えていく。それもその筈、今店頭には殆どの医療品を置いていないのだ。最早其処はカウンターに過ぎず、衛生に気を付けなければならない物は店の奥に移されていた。
 数分しない内に彼は戻ってくる。その手には二つの紙袋を持ち、やや膨れたそれは曰く旅セットと、ジュドーが名付けていた。
「多く入れといたが、あんまり無茶をするなよ」
「分かったっス!ありがとうございます!」
 釘を刺されながらも元気良く応答し、感謝を述べるガリード。その隣でトレイドは礼を述べながらエルドを渡して。
「調査と言ったらあれか、この間の地震かあったからか」
「ああ、何処かに変化が起きている可能性があるからな。復旧も進んだ今、仮調査として命じられたんだ」
「なら、誰かに会うかも知れないな。少し待ってろ!」
 そう何かを思い付いた彼はもう一度店内へ消え、騒々しい足音を響かせて戻ってくる。その手には先のセットが複数持たれて。
「途中でこの世界に来ちまった奴と出会うかも知れないからな、多めに持っていけ!この分の金は要らねぇからな!」
「だが・・・」
「良いんだよ!これも人助け、ってな!残っても、返さなくても良いぞ!」
 悪いと渋るトレイドに彼は強引に押し付ける。返す事は許さないと言った様子を示して。
「ありがとうございます、ジュドーさん!」
 まさに太っ腹な心意気にガリードは感謝の念を大いに示し、それに当人は嬉しそうにしていた。
「それじゃ、精々気を付けろよ!」
 彼に見送られてながら、重くなった身で医薬店を後にする。誰かに見送られる、それで少しだけでも心は和んで。


 店を後にすると丁度良いタイミングでクルーエと再会する。遣り取りから此処に来ると予測したのだろう。
 その手にはやや使い古された手提げ、何かを詰めているようで少し膨らんで。軽々と、けれど大事そうに持って近寄る。多少息を切らして。
「お待たせしました。これで準備は済みました」
 それの他にも遠出の為の物を詰めたであろうバッグを持って。
「分かった。後は、食料だな。軽食が良いが・・・」
「取り敢えず、行ってみようぜ?」
「そうしましょう。確か、数店か、飲食店がしていたと思いますから」
 クルーエから有益な、望む事に繋がる情報を得て、それを頼りに向かっていった。

【3】

「んで、どんな風にするんだ?森林地帯と沼地地帯に行くのは確定だけどよ」
 偶然にも今日商売を再開した出店の前、日持ちしそうな軽食を選ぶガリードが問う。隣に立つトレイドも同じように。
「そうだな。とりあえずは草原地帯を一通り見渡す。その後に森林地帯に行くが、この時は通り過ぎて沼地地帯に向かう予定だ。それからは様子を見ながら決めようと思っている」
「まぁ、どっちにしても、ずっと草原地帯を歩いていかなきゃなんねぇ、か・・・」
「そう言う事だから、君にも少々無理をさせてしまう。もし、疲れたと思ったらすぐにも言ってくれ」
「分かりました」
 同じように選ぶ彼女は笑顔を綻ばせて応答する。その笑顔には少しだけ陰が差していたのが気になって。
 けれど、その点には触れず、順調に買い物を進め、いよいよ出発の時に至る。
 希望、生きる気力が溢れつつある光景を、それに似合う笑顔を横目に、変わらずに有り続けた巨門へ向かう。その間、他愛もない会話が多少行われて。
 
 城下町の外へ、巨大であろうと軽き門を、開け放たれた其処を潜れば緑の平原へ踏み出せる。吹き込む風、草の香りは爽やかで。深呼吸をすれば普段以上に気持ちは落ち着こうか。美しく在る光景も見れば、また然り。
 見渡す限りでは特に変わった点は見られない。延々と広がる地形にも、後方の、天を塞ぐように聳えた巨大な黒き壁にも。セントガルド城下町に新しく生じた城、あまりにも自然に溶け込んでいて今は気付けなかった。
 立ち止まるだけでは時間を消費するだけ。無駄に出来ないと言うように歩き出す。美しくとも、もう見飽きてしまった光景を横切っていく。まだ見慣れていないクルーエは足を止め、少し見惚れていて。
 そうした彼女を急がせる事は無く、自分達も気持ちを落ち着かせる目的も兼ねて少しだけ足を止めて。
「クルーエ、再度になるが、長い行路になる。疲れてきたら構わず言ってくれ、無理はさせたくないからな」
「大丈夫ですよ、トレイドさん。そんなに心配しなくても」
 重ねて案じられた彼女は少し楽しそうに笑みを零す。それでもと彼は気を遣って。
「おいおい、俺も居るんだぜ?俺の事も心配してくれよ」
「お前は大丈夫だ、放置してもな。寧ろ、お前が率先して無茶をしろ」
 悪戯心で揶揄った彼をバッサリと切り捨てる。その厳しさに顔は歪んで。
「お前って・・・異性には優しくするようにしてねぇか?」
「いや?お前以外には普通に接している積もりだがな。まぁ、言葉遣いが酷いのは、もう諦めてもらうが」
 サラリと吐かれた毒気に益々顔を顰めるガリード。今迄の行いを受けた者からすれば当然の対応か。
「んでも、クルーエさんには特別優しくしてんだろ!何だよ、それ!贔屓か!?」
 ガリードの大袈裟な発言と反応に、クルーエは顔を赤く染めて距離を置いてしまう。その反応に彼はニヤリとして。
「当たり前だ、命の恩人だからな」
「それだけか?」
「ああ」
 邪な思いを乗せて詮索するがトレイドに他意はない。そう思うからこそ、多少は対応が変わるだろう。でも、本当に他意が無いからこそ、ある意味残念に映って。
「ふ~ん・・・」
 何か値踏みしているのか、含みのある表情を浮かべて言葉を漏らす。その反応にトレイドは少し苛立ちを感じた。
「阿呆と遊んでいる時間はない。さっさと調査を続けるぞ」
 付き合っていられないと辛辣に吐き捨てて歩き出す。冷たい態度を示されてもへこたれないガリードは執拗に話し掛けて。
 そうする傍、二人の仲の良さに笑みを零すクルーエ。少しの間、抜け切れない恥ずかしさに顔は赤く。

 トレイドを先頭に森林地帯に向かいながら、周囲に広がる草原地帯を眺める。変化は生じているのだろうが、気付けないほどに微小か、目に映らないだけか。その道中、楽し気でもあり、不安が何処かに見えて。
 その地に道はない。足首程でも、力強く伸び茂る草が地形に沿って敷き詰められる。種類に変化は無く、それを踏む感触はトレイドとガリードにとっては慣れたもの、そして飽き飽きしたもの。
 草原の起伏に変化はあるかも知れない。だが、顕著過ぎなければ気付けず、そうした疑問は別の理由で納得して。
「変化は、なさそうだな」
「そうだな・・・」
 周囲を見渡す二人が口を交わす。その瞬間、クルーエが何かに気付く。
「何か、通ったような・・・」
「通った?何処を?」
「えっと、地面に・・・」
 教えられて足元を、草が生い茂る場所を睨む。すると、小さな動物の発見に至る。小動物、鼠の様な姿をしたそれは耳が大きく、尻尾は長く。観察されている事に気付き、一目散に逃げ去った。
「鼠?此処に居たのか?」
「いや~、居なかった、筈だぜ?」
 記憶と照合して噛み合わない生物の存在に二人は首を傾げる。その発見が導いたのか、僅かな変化に辿り着かせた。
 草原にのそのそと歩く生物が数頭。見覚えを感じるそれは魔物モンスターではなく、遠目から見ても愚鈍且つ能天気さが感じ取れる。そして、察知する危険の無さを信じ、三人は近付いていった。
 その図体は肥え太り、まん丸とする。茶色の体毛に覆われたそれは四肢で立つ。臀部に備えた尻尾は何かを追い払うように振るう。頭には二本の角を生やし、間抜けと感じる顔で彼方を見つめながら、茂草を食する。
 それは牛と言って良いだろう。それも酪農として品種改良されたそれに近しい外見をする。その牛は近付いた三人をぼんやりと眺め、葉を歯で磨り潰しては喉に送り込んで。警戒心は一切無く、敵意も示さない。ただ為すがままに生きるように黙々と草を食べる。時折、何だよと言うように、モォッホォと奇妙で篭った鳴き声を、磨り潰した草を散らかしながら述べて。
 見上げれば、空を飛翔する物体が過ぎていく。細く小さな身体を支えるのは黒く、身以上の双翼。長い足を伸ばし、ひょろりと長い首の先には、長い嘴を備えた剥げ頭。その姿にも見覚えはあるものの、人には害を齎さない存在であった。
 まさしく草原であり、セントガルド城下町しかなかった其処に、生物が確認された。それも手では数え切れない数の生息を。その多くが草を主食としている為か、実に温和で長閑に佇まう。警戒心がほぼ無く、人が近付いてきたとしても素知らぬ顔。或いは極端に憶病に動き回って。
「こんなにも早くに変化を見付けるとはな」
「こんなに居るんだったら、何で気付けなかったんだ?さんざん外に出ていたんだけどよ」
 早速見付けた環境の変化について手記に納める。名前は分からないものの、大雑把に種類分けをし、細かに特徴を書き添える。主にトレイドが行い、その間にガリードがちょっかいを加え、蹴り倒されていた。それをクルーエが心配して駆け寄り、仕事を進めるトレイドは冷たい視線を浴びせ掛けていた。
「他には、なさそうだな」
「まぁ、近いし、後回しで良いんじゃねぇの?」
 早くも一枚分を書し、仕舞ながら区切りを付けるトレイドに衣服を整えるガリードが同意する。
「あの、ガリードさん、怪我は・・・」
「この阿呆は頑丈だ、気にしなくても良い」
 心配するクルーエに対し、長年付き合ってきたトレイドは気にするなと切り捨てる。それでも案じてしまうが、当人がぴんぴんしている為、気持ちは次第に薄れていった。
 変化を見逃さぬようにしつつ、他愛のない会話を交わす。その多くが嘗て学校に通っていた頃の武勇伝、もといガリードのトラブル集を。恰も英雄の様に語る彼を、面倒に巻き込まれるトレイドが怒って。内容はさて置き、二人の遣り取りに笑いを浮かべて。
 そうして休憩を挟みながら目的地を目指す。長時間歩き続けても目的地まではまだまだ遠く。始めから分かっていた事でも至るまではとてももどかしく。途中、軽食を頬張り、空腹を少し満たしながらも、歩き続けていた。

【4】

 空が、彼方から次第に赤みが差す。茜色、夕暮れ時が差し掛かろうとしていた。その時頃、トレイドはある事に気付く。
 最初は見間違い、或いは気の所為かと過ぎったが、良く確かめて結論付けた。今迄に見なかった『変化』を。
 生い茂っていた芝生状の草は姿を隠すように減少していく。それに比例して、青々と緑を蓄えた木が、雑草でありながらも形状が多様なそれが顔を伸ばす。湿気か、それとも風が来ないのか、ほんの僅かに湿り気を感じて。
 少しずつ環境が変化している。爽やかな風が通る草原から植物で鬱蒼と敷き詰められた森林へと。その証拠に、変わりゆく光景の奥を眺めると、植物は数を増やして密集していき、見覚えのある森林地帯の姿となって、待ち構えていた。
 環境の変化、それは極端な変化ではあるが何らおかしい事ではない。けれど、この世界では却って異状と言える。そう、『境』が無くなっている事は。
 それとは別に、徒歩で陽が暮れる寸前に森林地帯がはっきりと視認出来るほどに接近出来た事に疑問が湧く。レイホースを走らせて漸くと言う距離だった為に。先の事も兼ねて答えは弾かれる、判断してしまう。これこそが、地震が生じた後に生じる変化だと。
 言葉で片付けてしまえば簡単だ。けれど、境が取り払われ、感覚を儲けて環境変化が生じている事実に驚きを禁じ得ない。このような事態が起きている事を素直には信じられず。それでも、事実は変わらない。何度見直しても、驚くなと言うのが難しいに困惑する。
「・・・これが、地震の影響だと言うのか?」
「多分、な。なんか、ちょっとずつ、戻ってきているような感じがするな」
 思わぬ事に訝しみ、警戒を示す二人。急激な変化には流石に驚くしかなく。
 その中でガリードが呟いた言葉、それは言い得て妙なのかも知れない。環境が彼等の常識に沿うように変化しているのだ。納得出来るのも常識の枠内に収まりつつある事に、安心を覚えるのか、麻痺してしまったか。
「・・・地震って、あの時に起きた地震の事ですか?」
「ああ、曰く、地震が発生すると世界に大なり小なりの変化が起きるらしい」
 説明を受けてクルーエは二人の反応に納得する。その彼女も環境の変化に違和感を感じていたのだろう、直ぐにも深刻そうな面に変えて。
「不思議っちゃあ、不思議だけどよ、そんなに気にする事でもなさそうだよな。害がある訳でもねぇしよ」
「・・・それも、そうだがな」
 気楽に構えるガリードの台詞に呆れを示すも、その通りでもある為に否定は出来ず。今居る場所の環境が極度に変わった訳ではない。この事を確実に書き留め、慎重に踏み入れば良いだけの話。
 それを指し示したかったのだろうが、鼻歌交じりに野宿の準備を行いながらのそれ故に緊張感と真剣さに欠け、溜息を漏らさずには居られなかった。
「それよりもよ、なんか、こう・・・近くなってねぇか?朝早くに出発出来たけどよ、早く着いた気がするぜ?」
「確かに、そうだな」
 人の足でも一日を掛けて着くかどうかの距離であった。それが今や半日ほどで其処に到着を果たしていた。疑問が強く残るのは当然、トレイドも一考するが地形が変化したとしか導き出せなかった。
 事実、地形は変化している。正しく言えば、環境が変化する間隔が生じ、その間隔の草原を侵食するように森林地帯が拡大していたのだ。結果、距離は縮まったと言える。
 だがそれよりも、知らぬうちに向上した身体能力が強い要因であろう。筋力、体力共に向上した為、歩く速度や休憩を挟む頻度が減り、総合して距離が短く感じるに至っていた。
 とは言え、着いたと言っても環境が変わり始めた基点が見えただけでまだまだ距離はある。けれど、三人は大事を取って見晴らしの良い場所で野宿の準備を行っていた。

「一先ずは、こんな所か。連絡は、また明日だな」
 今日の簡潔な調査で分かった事を纏めて書いたトレイド、溜息を吐きながらそれを仕舞う。
 夜に落とされた草原地帯の何処、焚火を中心に三人が囲む。
「明日は如何するんだ?最初と変わってねぇのか?」
 二人に軽食を渡すガリードが問い掛ける。
「そう、だな。まずフェリスを経由する。途中報告をした後に沼地地帯、ローレルを目指す。其処を拠点として、沼地地帯を調査する。その後にフェリスに移り、森林地帯の調査、の予定だな」
 大雑把にだが計画を話す。説明しながら受け取った軽食をクルーエに渡して。
「そういや、クルーエさんは如何して一緒に行きたいと思ったんだ?」
「え?・・・えっと、その、私達の村で、したい事がありまして・・・」
 話を振られ、躊躇いがちに理由を語る。途中で出発する前に用意した手提げを気に掛けたので、用事があるのは間違いないだろう。
「・・・まぁ、そうだな。そろそろ、一回は帰りたくなるもんな」
 彼女の心境を察し、変に止める事はせず、寧ろ同情する。仕事で赴く二人だがそれを否定する事はしなかった。そして、トレイドは一考する。
「・・・なら、俺とクルーエは雪山地帯に向かう。その間、悪いが一人で沼地地帯の調査を行ってくれ」
「はいよ、確り守れよ」
「す、すみません。私の我儘を、聞いて貰って・・・」
 余計な手間をさせてしまうと恐縮した彼女は小さな声で謝る。
「気にするな。薄々は分かって居たからな。その序でに調査しても、誰も咎めはしない」
「調査も、誰かの手助けすんのも仕事の一環。だから、謝る事はねぇよ」
 思い悩む彼女を二人は慰めながら食べるように促す。応じた彼女はやや浮かない表情でも明日の為に食事を摂っていた。
 明日に向け、就寝は早い。身体を休め、十全に動く為に。けれど、気を抜く事は出来ない。森林地帯に至っていないとしても、変化が生じた世界、警戒すべきだとトレイドとガリードは考えて。
 先にガリードが、後にトレイドが夜の警戒を務めた。もしかすれば、夜に活動を始める生物が、魔物モンスターが現れるかも知れない、その旨で。
 結果、問題が生じる事は無く、朝を迎えていた。彼方から陽の姿を確認してから、支度を行い、森林地帯に向けて歩き出していった。
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