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寒く凍て付く雪、温もりに厳しさは和らいで

それは試練の如く、それは災禍を体現して 中編

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【6】

 数歩近付いただけで実感させられる、巨大さに追従する圧倒的な力。見るだけでやはり、心の底が震え立つ力量差を。
 今の今迄救出に夢中で認識の外へ外されていた大きさ。改めて見れば、生物として、魔物モンスターとしての根本が隔絶した存在だと理解させられる。そして、自身が、人が矮小な存在だと理解させられる。
 ならば、抱くのは恐怖。死を前にした恐怖。足が竦み、身を抱えて蹲ってしまう程の圧力。心を殺しかねないそれに挑むのは蛮勇じみた勇気、或いは宛ら魔王に挑まんとする義の心だろうか。
 トレイドもまたその恐怖に囚われる。けれど、立ち直るのは早く、寧ろ意思を昂揚とさせて挑み行く。その胸は、新たに人が喪われる事を恐れ、阻止せんが為に。そうした決意を抱いた彼は動向を注意深く睨みながら側面へ接近していく。
 距離を詰めようと駆け出そうとした寸前、息を飲み込んで咄嗟に仰け反る、全力で仰け反った。直後、目の前を巨大な撓る何かが通過した。それは銀龍の尾、攻撃の余波ではなく旋回によるもの。詰まり、行動に追従しただけの動作。それだけでも間に在った物は砕かれ、彼方へ転がされた。
 寸前で立ち止まって回避したけれど、彼は全身から汗が噴き出す思いを、まさに肝が冷える思いに包まれた。殺気が無く、単なる動作で命を絶たれそうになったのだ。それだけの隔絶した力の差に血の気が引く。だとしても、彼は前へ踏み込む。今も尚、決死の思いで立ち向かう者達に列する為に。
 接近する彼の目が、自重を支える四肢へ向かう一人の青年を捉える。何もかもを押し潰す、頑強なる鱗を敷き詰め、荒く太き爪を生やした足へ全体重を乗せて槍を突き立てんとして。
 だが、穂先は鱗を貫けず、金属音を響かせて反発され、身体ごと地面へ倒されてしまう。
「くっ!」
 即座に体勢を直そうとしたその身に危機が迫る。巨大な足、銀龍のそれが持ち上げられ、彼を踏み潰そうとしていたのだ。それは反撃でなく、単なる移動する為のもの。銀龍にとって、蚤にすら値しない衝撃であった。
 死を覚悟した青年だが、唐突に首元を掴まれ、引き摺られる感覚に襲われる。一瞬息が止まるほどに力任せに引き込まれ、瓦礫の上を転がされた。痛みを感じるが、意識を断たれるそれでなく。
「悪い、手荒になった」
 あわや自身も巻き込まれそうになりながらも寸での所で救ったトレイド、謝りつつも銀龍の動向を一瞬たりとも見逃さずに警戒を続ける。
「いや、助かった。礼を言う」
 瓦礫による擦り傷など生きている証だと、九死に一生を得た事を噛み締めながら感謝が述べられる。その彼も同じように神経を張り詰めて銀龍の動向を睨む。その胸には特有の星の模様が刻まれて。
「お前は、あの龍を惹き付けている連中の一人なのか?」
「ああ、そうだが?」
「現状は分かるのか?指揮している奴は誰なんだ?」
「さぁな。あの化け物の攻撃を避けるだけで精一杯だ、状況を把握する余裕が無い。指揮している奴も知らん、俺は又聞き程度の指示で行っているだけだ」
「そうか・・・」
 誰か、或いは集団が銀龍を惹き付けているのか、別方向に向けて強烈な攻撃を繰り出す姿が映る。意識が別に映った為、体勢を整える二人は僅かに会話を挟む。
「手応えは?」
「多少は。だが、全力で鱗の表面に傷を付けたぐらいだ、厳し過ぎる」
 青年の持つ槍、柄は太く頑丈そうで、その刃も鋭利に光る。それなりの代物に見受けるそれを以っても寄せ付けない頑強さだと語られる。事実、攻撃を与えた部分は多少削れた程度で終わって。その話を聞き、一筋縄ではいかないと再認識して。
「・・・ん?」
「如何した?」
 観察出来る余裕が出来たからこそ、トレイドはそれに気付いていた。銀龍が至る所に負傷している事に、新旧の様々な傷が刻まれていた。それは鋭利な物であり、直線的に、或いは穿った跡、酷き場所は鱗が剥がされて。
 負傷は身体全体に刻まれており、横顔や四肢に重点的に刻まれていた。加えて、一本に集中して負傷が酷く、間接部が狙われていたのか。それは青年が傷付けた先の足、その対となる足。
「今、あの龍の周囲に誰も居ないな?」
「・・・ああ、見えないが、それが如何した?」
「俺が今から操魔術ヴァーテアスを使う。それでどうなるか分からないが、とりあえず離れていてくれ」
 あの結晶が操魔術ヴァーテアスなのかは分からないが、便宜上それに分類して指示する。ならば、それに機敏に反応するのは人族ヒュトゥム法と秩序ルガー・デ・メギルならば尚更に。
操魔術ヴァーテアス?まさか、お前!」
「良いから従ってくれ!」
「・・・分かった」
 今は余計な事で手を拱いている暇はない。不服はあるものの理解する青年は渋々と従ってその場を離れていく。
 その姿を横目に、トレイドは意識を集中して頃合いを見定める。その時が訪れた時、右腕を全力で振るい、地面を斬り付けた。
 体内で何かが活性化し、濁流の如き流れが抜け落ちていくような感覚の中、負傷多き足が持ち上げられる。その瞬間に並行して念じた。
 大絶叫がセントガルド城下町に響き渡る。それに誰もが驚いた。先程までの咆哮とは別に、痛がるそれは視線を集積する。声から察するに今迄にそれほどの負傷は負わなかったのだろうか。
 そして、付近に立つ者達だけが知る。銀龍の巨大な足、その関節部を幾多の黒き結晶が、縫い止める結果を得た、鈍く光るそれが乱立して穿ち貫いていた。
 足を貫いた幾多の結晶達は数秒も持たずに砕け、無数の欠片となって光を反射しながら消え去った。ならば、蓋を失った傷口から血が噴き出すのは必然。巨体から漏れ出すその量は瞬く間に瓦礫の海を赤く染め上げ、その地に膝が折られた。
 巨大な存在が膝を折れば勝機だと見出し、歓声と共に攻める動きが生ずる。それはトレイドもまた間髪入れずに駆け出していた。けれど、皆の動きは烈風によって防がれてしまう。
 絶大な両翼が大きく地面を叩く。途端に爆風の如き風が吹き荒れ、誰もが姿勢を崩して怯んだ。多くの膝を着き、煽られるその者達は、周囲の物体を吹き飛ばして大きく旋回する姿を眺めて。
 直ぐにも着地し、小さな地響きが起こされた。それが更に皆の体勢を崩し、巻き起こされた盛大な土煙に巻かれる。それに咽返る間も無く、次なる烈風に吹き消されて。
「ぐっ・・・っ!」
 風に煽られて怯んだトレイド。次に視界を正した時、凄まじい圧力に硬直してしまった。彼の先、凶悪な形相で見下す銀龍が居り、その視線と交差してしまったのだ。
 龍の眼光は今まで遭遇した魔物モンスターの中でも、やはり比肩にならないほどの殺意が放たれていた。それだけで絶命させかねない殺意、余計な不純物など無い、純粋なそれはトレイドを飲み込まんとした。
 呼吸がままならなくなり、意識が遠退く。緊張ではなく、恐怖。喉元に刃を突き付けられるなど児戯に等しく感ずるそれに気絶しそうになる。
 しかし、それを辛うじて食い止めたのは、彼自身の意識ではなく、誰かの声。助けを求めるものであった。
 意識を取り戻し、全神経を張り詰めさせた彼は即座に振り返る。瓦礫すらも無き平地が映る場所、目の前に存在する龍が暴れた後。その中で、その積もった残骸の中で女性を発見した。
「た、助けて・・・」
 か細い声を絞り出して彼女は、怪我をして血を流し、小さな布の塊を胸に蹲る。その様子から窺える、動けないのだと。
 察する傍、銀龍は静かに行動を続けていた。天高く首を上げ、息を吸い込む音を響かせる。ほぼ垂直で制止した銀龍の口、閉ざす牙の隙間からほのめく赤き気体が、焔が漏れ出す。
 途端に怖気に囚われるトレイド。けれど、逃げられない事を悟る。既に攻撃動作に移っており、後ろには助けるべきものが居る。覚悟を決め、全身の力を篭めた。

【7】

『護るッ!!』
 後方、瓦礫に足を取られた彼女は必死に逃れようとして出来ず。抱えるの白い布、包み込むのは赤子、言うまでものなく彼女の子供だろう。
 その姿を頭が降り下げられる瞬間を一瞥し、直後に彼は純黒の剣を全力で直下に振り下ろした。
 逃げようと思えば逃げられただろう。だが、彼は親子を見捨てられなかった。助ける、その責任感のままに力を滾らせた。
 瓦礫が散らかる地面に黒き剣を突き立てて念じ、忽ちに黒き結晶を出現させる。銀龍との間に幾多に、壁を形成するように厚く交差させる。硬く、堅く、何をも拒むほどの頑強さを懸命に願って。
 地面擦れ擦れにまで顔を急降下させた龍の首、同時に暗き口内が見えるほどに開口された。鋭き牙を並べた口内、その奥が一気に緋色に灯された。その発生源が放出された。
 極限まで溜めた息を吐くが如く、紅に燃焼して燃え滾る円球。建物すらも飲み込む火球は大気を焦がして周囲を赤く、熱くし、残骸を燃焼させて一直線にトレイドへ接近する。速度は思ったより遅く、それでも人が駆けては逃げられない速さで。
 重ねられた結晶体が阻むのだが悲痛な音を立てて瞬く間に砕かれていく。伴い、火球は分散し、火の粉の如き欠片が飛び散る。火球を消耗しつつある。けれど、全てが砕かれるのも、防ぎ切れなかった塊に襲われるのも時間の問題であった。 
 結晶を介しても、服や鎧を介しても、凄まじい熱気に炙られる。皮膚が焦がされ、痛覚は強烈に反応して悲鳴を上げそうになる。熱は次第に増し、比例して砕ける音が響く。それでも、トレイドは食い縛り、親子を庇う為に背を向けて腕を広げた。
「も、もう、逃げて下さい!私達の事は・・・」
「俺を信じろ!今は、その子の事だけを考えるんだッ!!」
 逃げるように叫ぶ彼女に対して怒鳴って黙らせる。従うなど論外、助ける為に彼はその身を賭ける。直後、最後の結晶が砕け散る音が響き渡った。
「・・・っ!」
 瞬間、自身の心音が張り裂けるほどに大きく鳴動した。火傷を負い始めた形相を更に歪めて食い縛る。全ての感覚が鮮明にされ、襲い来る痛みに備えた。
「ぐああああああッ!!」
 火球が彼の身を包み、その肉体は瞬く間に燃焼される。着込む衣服は炎に巻かれ、鎧は超高熱に至って融け出し、皮膚は筋肉細胞に至るほどに焦熱されていった。
 堪らず絶叫が響き渡る。全身を熱する激痛に絶叫は止められず。その口から漏れ出る空気すらも焼け、口内にすら火が点いたかのように熱く。
 業火に包み込まれた肉体は着弾地点である背から炭化していく。細胞が死滅する激痛、炎の熱に因る激痛。解けた熱によるそれよりも強烈で意識が遠退く。けれど、更なる痛みに意識は鋭敏になる。その繰り返しは地獄と言えた。
 その時間は一分にも至らない。けれど、彼にとっては何時間にも渡ったかのように錯覚しよう。原因たる火球は幾多の欠片となって砕け散り、周囲に僅かな火の手を撒き散らしながら消え去った。
 周囲で火が蔓延する中、炎に巻かれたトレイドは己が足で立ち続ける。しかし、その姿は痛々しいもの。ある程度、威力火力共に軽減した為に全身が焼き尽くされなかったとは言え、その背は完全に焼き焦げ、炭化して赤黒く染まる。
 他の箇所も重度の火傷を負い、今も尚衣服に付いた火に炙られて。それは生きている処か、立っている事すらも信じられないほどに。
 ふらりと、彼の身体が傾き、そのまま地面へ落ちる。直前に腕を着いて完全な転倒だけは阻止する。まだ意識だけは残留し、口腔や喉まで至った火傷に喘鳴を零す。焦げ臭い空気を咳き込む姿は半死半生、見ていられないほどに。
 重篤な姿でなお、彼は立ち上がる。剣を支えに、耐え難き苦痛に、激痛を伴う呻き声を零し、更に苦しみながらも立つ。
 際に、焼き焦げた上着が解けた胸甲の一部と共に崩れ落ちた。晒される燃焼箇所、炭化するほどの惨たらしい火傷は微風の感触すらも痛みにして。
 ゆっくりと歩み出し、近付くのは護らんとした親子。後方の銀龍の様子など度外視、親子の安否を確かめるだけに足を動かす。
 親子に一切の被害は無かった。泣き喚く赤子を抱きかかえ、負い目と恐怖に泣き腫らす女性。命を賭けたトレイドをまともに見ていられず、ただ謝るばかり。
 その彼女の足を絡める瓦礫を睨み、苦痛の表情で念ずる。途切れそうな意識下、定まらないとしても助ける為に力の流れを懸命に定める。僅かな時間を挟んで黒き結晶が数本出現し、瓦礫達を押し上げた。押し退けるほどの威力も硬度も無く、直ぐにも砕け散ってしまう。それでも解放するには充分であった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私達の為に、貴方が・・・」
「俺の、事は、いい・・・逃げろ」
 涙で濡らした顔、命を絶ちそうなほどの自責の念に駆られた彼女はひたすらに謝罪を繰り返す。その彼女に声を絞り出して避難を催促した。
 焦がされた喉が発する声はかなり違え、聞くだけで更に罪悪感に囚われようか。受けた彼女は謝罪と涙を残し、片足を引き摺りながら立ち去って行った。
 逃げる姿を見送るトレイドは懸命に意識を保つ。まだ、助ける命があると、銀龍を惹き付けなければならないと、自己犠牲の善意で動こうとする。
「ぐうぅぅ・・・」
 背を始めとする全身の激痛に声が滲み出す。篭る熱に痛みは持続し、喘息じみた呼吸で更に苦しむ。それでも生きる為に、助ける為にその身体を動かしていく。
 最早死を待つしかない彼を更に苦しめる衝撃が轟音を伴って生ずる。銀龍が待機を揺るがす咆哮を響かせたのだ。全ての生物を平伏させかねないそれは、斃せなかった事に怒りを覚えてなのか、強者と見定めたものか。それとも。
 しかし、その気持ちを理解する手立てはない。常に凶悪な形相からは察する事は出来ず。
 振動が伝い、轟音が響く。更なる瓦礫を作り出す暴虐を繰り出す騒音が響き渡る。それは命の危機を感じて止まず、碌な抵抗も出来ないトレイドは覚悟するしかなかった。
「トレイドさん!」
 しかし、彼に向けられたのは死ではなく、優しき女性の声であった。
 聞き覚えのあるそれに反応したトレイドは振り返ろうとし、生じた激痛に苦しみ、その場に崩れ込む。硬く瞑られた目を開くと、覗き込んで大層心配する、クルーエの蒼褪めた顔が映り込んだ。
「如何して、此処に・・・」
 彼女が其処に居る事に疑問を抱く。そして、案ずる思いが追い付く。銀龍の傍に来た事を大いに案じた。
「クルーエさんだけじゃねぇぞ」
 陽気な声、安心を抱かせる意図を感じる声で呼び掛けたのはガリード。大剣を肩に担ぎ、自信満々の笑みを浮かべて立つ。けれど、戦闘態勢を維持し、戦意を漲らせ、且つ最大の警戒心を以って銀龍を臨んでいる事を剣を握る腕が強調して。
 彼の登場は住民の避難誘導が大方終わった事を示した。
 己が事のように心配するクルーエの隣に移動した彼はトレイドの状態を見て目を細めた。
「・・・ひでぇな。良く死ななかったな、お前」
「・・・今にも、死にそう、だがな」
「そんな事言わないで下さい!」
 水気を失った声で軽口を返す。それに胸が張り裂けそうな思いを受けるクルーエが真剣に怒って注意する。それにトレイドは小さく顔を歪めて。
「ま!心配ねぇよ。ちゃんとお前を治せる奴を連れてきてんだから」
 そう告げられて漸く気付く。少しずつ精神を削るような痛みが薄れ、快調に向かっている事に。光の泡を生み出す光に、心地良い温もりに包まれている事に。
「無茶が過ぎますよ、トレイドさん。誰かを護る為とは言え、命を落としてしまいますよ」
 穏やかに、だが怒り心頭のシャオが窘める。怒鳴らず、静かに言い聞かせる説教は苦痛の只中に居るトレイドには良く響いた。
「済まない・・・」
 調子が取り戻されていくトレイドは小さく謝る。同時に開けていく視界が、銀龍の周囲を、大勢の人の姿を捉える。何時の間にか武装した者が集結しており、その多くが女性だと見受けられた。混じり、魔族ヴァレス特有の服装の誰かも見えて。
 決意し、様々な思いを以って多くの者が立ち向かっていた。武器を持ち、瓦礫を細やかな盾にして連携し、小さな者達の小回りを活かして僅かでも翻弄する。
 加え、魔族ヴァレスが扱う操魔術ヴァーテアスが、焔、射出される岩、氷の礫と言った様々な手段で行動を阻害する。その隙に猛攻を仕掛け、行動の僅かな前兆を待たずに撤退してを繰り返されていた。
 銀龍は僅かに押されていた。善戦に持ち込める事に驚愕しよう。それは既に追っていた負傷の為なのか。
 こうした経緯からトレイドは死を免れていたのだ。だが、それを噛み締めて喜ぶよりも、憂う面を浮かべていた。
「避難しろと、言ったのに・・・」
 あまつさえ、操魔術ヴァーテアスを行使している。非常事態とは言え、銀龍以上の窮地に立とうとする魔族ヴァレスの雄姿を小さく嘆く。
「あんな、辛い目に遭ったのに、君達が、危険を晒す必要は、ないんだ・・・」
「そんな・・・皆が、苦しんでいるのに、私達だけが安全な場所に居るなんて、出来ません!こんな酷い姿になっても、誰かの為に頑張るトレイドさんを、見捨てるなんて・・・!」
 咎める積もりは無かった。これ以上辛い目に遭って欲しくない思いが零れた。それに彼女は涙を流す。とうとう感情が溢れ出し、顔を押さえて負い目に囚われてしまう。
 流涙する姿にトレイドは黙り込む。切羽詰まった彼女を追い込んでしまったと後悔して。
「駄目ですよ、トレイドさん。女性の方を泣かせては。彼女も、トレイドさんと同じ思いで来ているのですから」
 優しい声でシャオが諫める。その彼はクルーエに近付き、白いハンカチを手渡していた。その行為が、トレイドの治療が終えている事を示す。現に強烈な激痛から解放され、十全に動く事が出来た。あの背も綺麗に治って。
「シャオ、助かった」
「いいえ。それよりも先にする事が・・・」
「分かっている・・・クルーエ、すまない。そして助かった。一緒に、あの龍を、撃退するぞ」
 正常になった声で謝罪を、そして手を貸してくれと告げる。それに彼女は笑顔を取り戻し、
「はいっ!」
 元気良く返答していた。それに微笑みが浮かべられて。
「状況は如何なっている?」
 尚も続く騒音の中、剣を構え直して銀龍を睨みながら友人に問う。その彼も同様の表情で対峙する。
「見ての通り、後はあのバカでかい奴をぶっ倒すか、此処から叩き出すか、ってとこだな。じゃねぇと、セントガルドが無くなっちまうな」
「やるしか、ないか・・・シャオ、クルーエと一緒に離れた位置で待機してくれ」
「分かりました。周囲の負傷者の治療に当たります。何かあればすぐに来てください!」
「クルーエはあまり攻撃しないように。もし君やシャオに被害が及ぶ時があったら、全力で迎撃してくれ」
「分かりました」
 指示を受け、二人は足早に立ち去っていく。その後ろ姿を確認した後、武器を所持した残りの二人は戦意を漲らせた。
「死ぬなよ」
「死に掛けていた奴が良く言う」
 互いを鼓舞し合いながら駆け出していく。銀龍に向けて異なる剣の音を響かせて。

【8】

 其処から先は数に因る消耗戦を強いていた。大勢が分散し、個々で判断しながら攻撃を行っては撤退を繰り返す。誰もが、誰かの攻撃の隙を作り出そうとし、僅かなそれを狙って武器を振るう。
 合間には魔族__ヴァレス__#の操魔術ヴァーテアスの支援が届けられる。視界を遮り、低下させる為に絶え間なく爆破を始め、火、水、土と言った属性に拠る攻撃が繰り出され、時折負傷した足を狙う、足場を陥没させるなどの妨害も念入りに。
 そうしなければならぬ存在であり、そうした猛攻を受けたとしても銀龍は圧倒的な力の差を見せ付ける。ただの姿勢変更だけでも死傷者を多大に作り上げ、放射する焔は戦線を瓦解させかねないほどに。
 それでも辛うじて戦いを継続出来たのは、シャオを始めとした聖復術キュリアティを扱える者の活躍と、既に刻まれていた負傷と重ねられる新たなそれに動きが鈍りつつある事か。
 だが、決定打に欠ける人間達は少しずつ劣勢に立たされていく。立ち向かえる戦士には限りがあり、治癒も無尽蔵に出来る訳ではない。数も力も消耗し、劣勢になる戦況は更なる変化を迎える。
 負傷しようと頑強な体躯を鈍く鈍らせるインファントヴァルム、焦りと言うより思うように仕留められない事へと苛立ちか、形相は更にも凶悪にされる。咬合して剥き出しにした牙の隙間から赤き焔を揺らめかせて。
 四肢で力の限りに踏み込み、姿勢を高くした銀龍は呼吸の音を響かせて面を上げる。類似した行動は今迄に行ってきたが、その動きに誰もが危機を抱いた。
「撤退だッ!離れるんだッ!!」
 誰かが警告を怒鳴った。それを耳にしたのは数人、届かぬ者も含めて攻撃を中断し、警戒態勢を保って距離を離していく。それをさせぬと言わんばかりに、銀龍の首が動く。
 顔を埋め尽くすほどの焔を零しながら直下に向けて顔を向けた。瞬間、大気が轟いた。広範囲に渡る衝撃波を伴った轟音、空間を崩壊させるようなそれは付近に立つ者に頭痛を生じさせるほど。怯まずには居られず。
 極大の咆哮で震える口腔から轟々と燃え盛る焔が吐き出された。それは火球でなく、延々と吐き出される火炎放射。瞬く間に周辺へ燃え広がり、セントガルドを呑み込みかねない劫火であった。
 景色を赤く、熱く染めるそれは退避する者すらも飲み込み、無情に焼却する。その熱、絶叫し、意識を奪うには十分過ぎて。数分程度であろうと全身に火傷を負うに十分の火力が篭められていた。
 直ぐにも銀龍を中心とした町の大部分は火の海と化す。瓦礫を燃やし、広がる景色には多くの者が火に巻かれて苦しみ悶える姿が映る。地獄の一端が其処にあった。
「う、ぐうぅっ!」
 トレイドも例外ではなく、頭痛も重ねられた痛苦に呻きを上げる。それでも戦いを継続させようと痛みを引き摺ってでも姿勢を正す。
 耳の感覚が鈍り、怯んだ為に気付くのに遅れてしまう。そして、気付いたとしても間に合わなかった。
 銀龍は火炎だけに終わらせず、大きく身体を捻って旋回した。巨躯が騒音を響かせて回転、太く長い尾を音を唸らせて振り抜いたのだ。
 容赦の無い追撃は苦しむ者の都合など知らず、火を纏った瓦礫と共に打ち抜かれていく。軽々と、そして無情に浮き上がる。赤を散らして宙を過ぎる姿が誰かの視界に映る。遠くとも、身体の何処かに異常が生じている事だけはやけに克明に映り込んでしまって。
 それはトレイドにも例外なく届き、早急に回避に努める。ほぼ正面からの烈風に煽られつつも少しでも遠く、当たらぬ場所を目指して。そうする視界が、何かを念じて立ち尽くすクルーエの姿を捉えた。
「・・・っ!」
 彼女は僅かな時間でも誰かを助ける為に全精力を注いでいた。操魔術ヴァーテアスで地面を陥没させて潜らせる為に。それに神経を向けてしまった為、回避は不可能であった。
 それを知ったトレイドは迷いなく彼女の元へ駆け出す。付近で破壊音、悲鳴や残酷な音を耳に、せめてもの抵抗として黒い結晶を呼び出しながらも全力で駆ける。その甲斐あってなのか、寸前で間に合っていた。
「きゃっ!?」
 駆け寄るなり、トレイドは彼女を乱暴に突き飛ばした。安全さなど考慮する余裕などなく。
 不意の衝撃に驚きの声を漏らす。倒れ込む最中、念じる為に閉ざした目が捉えたのは、巨大な尾の先端部分が助けてくれたトレイドを打ち抜いた光景。悲鳴は崩壊の波に呑まれていた。
「ガフッ!!」
 碌に防御や身構えも出来なかった彼に強烈な衝撃に打ち抜かれる。一瞬全身に伝った激痛は破砕する音と共に。痛みと認識するよりも前に、彼の足は地より離れた。
 尾での一撃、それはとても生物の尾が繰り出せる威力とは思えなかった。何かの腕を思わせるほど太く強固なそれは、打った者の意識を途絶させ、命を奪うに易い衝撃を生み出していた。
 大きく撓った尾は一回転した処で緩やかに止められる。周囲の全てを巻き込んで薙ぎ払った後、周囲は更地と化していた。

「・・・っ!!」
 打ち捨てられたトレイドは拘束で滑空した後、やや遠くの残骸の海に落ちる。多少原形を残した家屋へ突入、打ち砕き、別の家屋へと激突を数度繰り返す。勢いが弱まり、崩壊した壁に遮断されて漸く地面へと転がり落ちた。
 最初の家屋の壁を打ち砕いた時点で彼の意識は途絶した。痛みも衝撃も音も。けれど、最後に落ちた時、手から剣が零れ、地面に落ちた音が聞こえた気がしていた。それを考える間もなく。
 瓦礫に拠って流血して地に塗れた彼、横たわるその口から含み切れない量を吐血する。ピクリとも動けない彼の身から、大きくひしゃげて壊れた胸甲が転がり落ちる。それがあったからこそ、即死に至らなかったと言える。けれど、最早僅かな延長に過ぎず。

 遠くでまだ戦いの音が響く。火の手は広がりつつある。多くの戦士が一連の攻撃で戦闘不能に追いやられていった。

【9】

 崩落する瓦礫の下敷きとなってしまったトレイド。その身は悲惨であった。尾で打ち抜かれた左腕は変形し、重篤な接触部は赤く潰れている。衝撃は左半身に重度の負傷を負わせていた。
 加えて、幾多の瓦礫に叩き付けられた。それも崩すほどの衝撃。激痛は相当のもの、それものた打ち回るほどの強烈な。しかし、彼は動かない。苦しむ処か微動だにせず。
「・・・・・・ゴプッ!」
 静かに横たわる彼は吐血する。夥しき量を流し、自身すらも汚す。苦しむ余裕も無く、まともに呼吸も出来ないほど。瀕死、それも風前の灯火と言えるほどに。
 彼自身が処置出来ず、先の銀龍の連撃で戦線は瓦解した。混乱が広がっている事は確実。トレイドが負傷する光景を目の当たりにした者が居ても、他にも幾多に同様の負傷者が生じただろう。助かる見込みはかなり薄く、手を回せない状態であろう。
 最早、そのまま死ぬしかない彼。自覚する事も無く、死が歩み寄る。呼吸は弱まり、吐血の勢いも無くなりつつあった。
「・・・間に合うか」
 奇跡か、其処に一人が現れる。望みは薄いと言った様子で何かを取り出す。それは小瓶、力無く横たわったトレイドの口へ運ぶと中の物を飲ませていた。
 それはフェレストレの飲み薬、塗り薬以上の驚異的な即効性があり、体内に入った事で重篤な状態は見る見るうちに変化する。顔色は良くなり、吐血は止み、呼吸を行えるまでに落ち着く。それ処か右腕の変形も多少改善して。
「・・・ゴホッ!ゴホゴホッ!!」
 危機を脱した彼は気管に残った血で咽ながら意識を取り戻す。途端に襲われる苦しさ、全身に残る激痛、主に左腕からの痛みに悶える。
「如何、なって・・・?」
 身を縛るような苦しみの中で状況を把握しようと目を凝らす。そこで漸く傍の誰かに気付く。
「再三の連絡と言伝と噂を耳にしていたが・・・想像以上だな。飲み薬とは言え、一命を取り留めるほどに頑丈とは」
 その誰かは感心する様子。その言葉で助けられた事を知り、先までの自身の状態を把握しつつ、ゆっくりと視界を上げる。
 まだ蒙昧とし、霞む視界には一人の男性を捉える。トレイドよりも年上に映り、青年でも通りそうな顔立ちの彼は物騒過ぎる外見であった。右手には幅の広い刃の戦斧せんぷを持ち、左右の腰には剣を二本に柄の短い斧、メイスに鉤手の付いた縄を携える。背から大剣と槍の鋭い先端が見える。
 急所に装甲する形式の戦闘服を着込んで完全装備、寧ろ重装備と言える恰好の男性がとても落ち着いた面持ちでトレイドと顔を合わせる。まるで観察するように静かな面持ち。
「まだ無理をするな・・・と言った所で聞かないだろうな」
 落ち着いた態度の彼は無理をしようとするトレイドを諫めるように呟く。気持ちを酌むように身体を起こし、拾った黒い剣を手渡し、肩を力強く叩いた。
「もう少しじっとしているんだ。後は俺が引き受け、受け持ち、引き継ぐ」
 言い聞かせるように、似たような言葉を告げると重低音を交えた足音を、力強いながらも軽やかな足取りで走り去って行った。
 返答を待たずに去り行く彼を見送る目が、入れ違いとなって駆け寄ってくるガリードの姿を捉えた。
「大丈夫か!?ぶっ飛ばされて・・・って、案外大丈夫そうだな」
 安否を案じて駆け寄ってきた彼だが、血で所を汚しつつも身体を起こして佇む様子から重傷さは感じられず、首を傾げて。
「さっきの男が、助けてくれたんだ」
 幾分か負傷が治り、身体の自由が利き始めたトレイドは立ち上がっていく。際にガリードが手伝って。
 残余する痛み、心中に響くそれに呻き声が漏れ出す。口の中に残る血を吐き捨て、口元に流れたそれを拭い取って。
 万全とは行かなくとも戦いを続行出来る状態まで回復した事を、剣を握る利き手の調子から、意図して動く身体から判断して。だが、左腕は酷い有様のまま。打たれた部分はまだ赤く垂れ、内部から粉砕した骨が覗き出す。動くだけで、その箇所が悲鳴を上げて。
「さっきの?ああ、さっき来たっぽいけど、誰なんだろうな」
 正体までは分からないとガリードは話す。ならば、トレイドの内に疑問が生ずる。疑問視する二人の視線の先、先の男性が映される。かなり遠くとも目立つ重装備は見逃さないだろう。
「右翼、左翼に戦力分散!戦力を均等に、円を作れ!魔族ヴァレスは均等に両翼に分かれ、龍の動きを阻害する攻撃に専念!行使するのは遠距離に拠る操魔術ヴァーテアス、最小限に抑えて急所や負傷箇所を狙うように!人族ヒュトゥムは継続、確実な隙を狙って確実に攻撃を与え、即座に回避!決して油断するなッ!」
 彼は大声で指示を送る。全体の流れを同じ目線でありながら把握し、且つ銀龍から一切視線を外さないまま指示を続ける。
「更に、両翼に監視役を最低一人は割り振れ!監視役は攻撃に参加せず、龍の微動を全神経を張り詰めて監視しろ!少しでも不審な動きを発見したならば、周囲に伝達するんだ!それには即座に従え!決して正面から挑むな!動きに合わせて移動し、死角から攻撃する事を念頭に入れて行動するんだ!!後、数人の魔族ヴァレスは俺の所に来るんだ!!全員!集中、専心し、精神を統一させて掛かれッ!!」
 咆哮にも劣らない大声での指示はその場に居る全ての者の耳に行き届かせる。突然に登場し、一方的に指示されても疑問や不満を抱こうか。
 だが、漲る高い統率力と的確な指示に混乱は治められる。そして、皆は応じて早急に行動を展開していった。
「俺達も行くぞ」
「お前は休んでいろって」
「大方治った、もう動ける。動けるのに黙って居られるか!」
 それは強がりではなかった。飲まされた飲み薬の効能が全身に行き渡り、大方の傷は癒えていたのだ。聖復術キュリアティに比肩する驚愕の即効性、血だらけの外見では分かり難いだろう。流石に左腕の完治には至らず、痛々しいままでも、堪えれれば十分に動けた。
「わ、分かった。でも無理すんなよ」
 心配する彼を納得させ、共に銀龍に立ち向かっていく。
 その胸、直ぐにも治して思いが犇いていよう。しかし、望んだとしてもシャオを始めとする聖復術キュリアティを使える者を見付けられなければ、如何する事も出来ず。当人達も多くの負傷者を治し続けて手が回らないだろう。
 多くは臨めないと取り出すフェレストレの塗り薬を左腕に粗雑に塗りたくり、動けば襲い来る激痛にも耐えて進む。純黒の剣を握り締め、戦意を奮起させて挑んでいった。
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