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もう会えないと嘆き、それでも誰かと出会って
贖罪を終え、帰路に芽吹く悪意 後編
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【4】
村から離れ、鬱蒼とした木々や植物で視認し辛い森の中。人影を隠す群れが延々と続く。その領域を分断するように茶色い道が伸びる。数少ない足掛かりがひっそりと其処に刻まれて。
時折聞こえる枝葉の囁くような音、何かの鳴き声。そして、吹き抜けていく風の音。様々な雑音で、潜んだ何かを探るのは困難。場所が見辛ければ更に。
その暗き空間、村より然程離れていない場所で不気味な笑い声が響く。理性を感じられない、愉悦感に塗り潰されたちぐはぐに感じる笑い方。傍では恐ろしさに泣き叫ぶ子供の声、少し離れて焦りと怒りで震える若者の牽制の声。その三者が木陰に隠れて存在していた。
やや開けた空間、薄暗い場所に三人の人影が見える。一人は足取り疎か、フラフラとした様子。その手には液体を滴らせる短剣。もう一方の手は、様々な展開に驚き、置かれた状況の恐怖で泣き喚く子供の腕を。対面して、背負う大剣の柄を握って二の足を踏んで焦燥する青年。
「そいつを放せってんだ!」
焦る声で叫ぶ。苦い表情で立つのガリード、人質を取られて手出しが出来ずに焦り続ける。悪き想像が巡り、面は焦りの色に彩られる。それを堪えて睨む先、酔ったように興奮し、恍惚な表情を浮かべる不気味な男が立って。
下種な笑みを浮かべ、優越感と幸福感に包まれた表情は反吐が出そうになるだろう。その面に正気は窺えず、何時でも不特定な動きを行いそうな危うさしかなかった。
「何だよ~?俺の邪魔をするのか~?」
邪魔されて不快なのだろう、赤く濡らした短剣で子供の頬を叩いて喋る。益々子供は怯え、ガリードは噛み締める力を強める。
「そいつは関係ねぇだろ!何でこんな事しやがるんだ!意味ねぇだろうがっ!!」
感情に任せて叫ぶ。其処に気を逸らすや時間を稼ぐと言った策略は無く。寧ろ、相手を刺激しかねなく。
問われ、その意味が分からないと言った様子で男は短剣をフラフラと弄ぶ。時折、子供に突き立てるような真似を示し、ガリードを驚かせて神経を削る。その反応を愉しみ、悦に浸る表情を見せて。
「何言ってんだよ~?あるに決まってんだろ~?単純に、楽しんだよ~。クソガキを殺すとよ~、ハハハッ。なんかこうよ、強くなった気が済んだよぉぉお!一番強くなった、優越感って言うのぉぉお?ナハハハハッ!凄ぇ気分が良いなぁぁあ!!最高ぉぉおっ!!」
己が欲望のみで動いているのか、情緒不安定に会話する。伸び切った語尾に力を入れて力説するほど殺人が楽しいと語る。その殺害衝動、とても理性があるとは思えない。だが破綻しかけながらも自我を保ち、快楽に忠実な思考を持つ。故に、簡単に手が出せずにガリードは焦り続け、憤りを抱き続ける。取る手段を定めつつも、それでも別の方法を模索して。
「でよ、でよぉぉお!?クソガキはやっぱり、反応が良いんだよなぁぁあ!!止めて、とかぁぁあ、許して、とかさぁぁあ!?あの時の顔が、凄気持ち良いんだよぉぉお!?そう言うのを無視して、サクってやる感覚ってのぉぉお!?」
弱者を甚振る事が生き甲斐だと言わんばかりに感情を昂らせる。このような下種が何故居るのかと、怒りを交えた疑問がガリードの脳裏に掠めて。
「それに、この親子みたいにぃぃい!?親を殺した後の餓鬼の反応がよぉぉお、もう溜まんねぇよなぁぁあっ!!幸せを踏み潰す感触ってのぉぉお!?アヒャヒャヒャヒャッ!!」
興奮は止まらない。最早狂気に囚われた男は涎を撒き散らして高笑う。その様が人を保った何かに、悍ましき生物に映る。対面する者の面が険しくなるばかり。
「後は、お前みたいにぃぃい?俺を止めようとしてきた奴の目の前でぇぇえ、餓鬼を殺した時の顔が好きでよぉぉお!?」
「くそっ!!」
昂った感情に任せて短剣を振るい上げる。切先は少年の首筋、浮付いた気配の中でその殺意だけは一瞬で固めていた。そして、その動きだけは揺ぎ無く。
察知して直ぐにもガリードは動き出す。武器は振るえない、なら被害を被る覚悟で蹴り出す。だが、反応が遅れた為に間に合いそうになく、顔に悔しさに歪む。
「ッ!?」
動き出した彼の横を誰かが横切った。凄まじい速度で駆け抜け、子供を人質とする男へ急速に距離を詰める。
「何だ、お前、うっ!?」
知らぬ者が出現した事に驚きながらも男は腕を止めない。本懐を遂げる寸前、唐突な胸部に衝撃に動きが止まる。続いて走り抜けた激痛に視線が下方に向けられた。
その胸には黒い剣が突き刺さっていた。およそ切先程度だが確実に突き刺さり、動きを阻害していた。それは乱入した者が投擲したもの、事態は緊急を要すると手段を選んでいられないと行れ、精確に男へ到達させてみせた。
飛び出したのはトレイド、普段の彼とは掛け離れた形相で男を睥睨する。一切の慈悲も無く、静かに激昂する様には殺意すらも宿って。
「・・・ハハッ!!」
一瞬怯んだ男だが、再び短剣を振るう。その先は乱入した彼にではなく、腕を握り締めた少年。尚も命を奪わんと躍起になって。その執着は既に異常、自身の安全よりも欲望を満たす事を優先するの狂気の沙汰としか言えず。
その目論見はトレイドが蹴り砕く。走り抜ける勢いを利用して横蹴りを繰り出していた。対象を捉えても前進するほどの威力を誇ったそれを受け、男は全てを手放して宙に浮く。腹部を蹴り抜かれ、口から僅かに吐瀉を零し、碌に受け身も取れないまま、地面へ倒れ込んだ。
「ト、トレイド!?何で此処に居る!?」
唐突に割り込み、男に制裁を下した人物が知人であった事にガリードは驚きを隠せない。そして、少し戦慄する。佇む知人の熾烈な攻撃にではなく、感情に塗り潰された横顔に対して。
「・・・偶々だ。それよりも、大丈夫か?怪我はしていないか?」
状況を説明するよりも子供の安全を優先する。それもそうだと、ゆっくりと立たせる場面へガリードは駆け寄っていく。
腕に痣が出来てしまったが、それ以外の命に関わる外傷はない。男が愉しもうとした結果か、ガリードが足止めしたお陰か、悲惨な結末は一つ避けられた。
「ぼ、僕は大丈夫。でも・・・」
「ガリード、子供を連れて村に戻れ。後は俺が始末する」
「それは良いが、始末って・・・」
「・・・言葉の綾だ、良いから行け」
ガリードに一抹の不安が過ぎった。当人は否定したが本当の意味での始末を行いかねなかったから。だが、友人を信じて子供を村に避難させる為に駆け出していった。
その姿を横目に、怒りが振り切れた静かな視線はゆっくりと身体を起こす男を捉える。涙目、口元を拭う姿は無様に映って。
「じゃ、邪魔するなよ~。折角・・・」
「もう、喋るな」
尚もふざけた事を口にする男を看過など出来なかった。瞬時に踏み出して急接近し、利き腕を振り上げた。空を裂く一閃、感情の全てを乗せた一撃は男の身に刻み込まれる。反応する間もなく、ただ受け入れるだけの男へ、追い打ちにように鳩尾へ左の拳を叩き込む。力の限りに行った為、減り込んだ部分が嫌な感触を感じ取って。
腰から脇に掛けて斜に赤き溝が刻まれ、殴打と同時に流血が噴出した。苦悶で身を捩り、腹部を抑えた男は嗚咽を零し、白目を向いて頭からその場に倒れ込む。連撃を受け、もう立つ事など出来ず。
倒れ込んだ男の傍へ歩み寄り、冷めた目で見下しながら溜息を零す。それで多少気持ちを抑え、不本意さが感じる手で男の容態を確認する。
当然、切創から血が流れる。涎を伝わせる口元、無様な表情だが息は確かにする。けれど、瀕死と言って差し支えなく。
確認が済んだトレイドは改めて男を睥睨する。身の内で燻る憎悪の他、僅かに疑問が浮かんでいた。
男の声は遠くからでも聞こえていた。何かの箍が外れたように欲望を解放し、理性が破滅した姿は異様であった。狂人と言って差し支えない姿に原因があるのではと。その思いは別の疑問に掻き消されて。
「・・・」
自身の行動を振り返り、猛省が駆け抜けた。犯罪者とは言え、殺意を以て攻撃を行った。ならば、命を奪っていてもおかしくはない。なのに、不思議と罪悪感が抱けなかったのだ。人を人と思わない下種と言えど同価値の命だと言うのに。
そして、残ってしまった深い憎悪。深呼吸を繰り返した処で、仕方なかったと理由を付けて紛らわそうとしても容易くなく。足元で転がる短剣が不意に意識に入り、燻る思いのまま蹴り付ける。音を立てて消える様を見ても、表情すら治らず。
不意に思い出す。それが原因で急に頭に昇っていた血は下がっていく。急激に冷静になった思考が自身の行為の愚かさに恥を抱かせた。
それは人質である子供への配慮を考えなかった上に流血を見せてしまった事。下手をすれば万が一も有り得た。自分すらも制御出来ない事に怒りを感じてならず。
自身への苛立ちで冷静さを取り戻し、改めて男を見下す。流血はしているものの傷自体は浅く、気絶しているだけで命の別状はない。なら、放置していれば再び愚行を起こす事は目に見えている。第一、このまま放置する事は無く。
ウェストバッグから縄を取り出し、男の手足を頑丈に縛り上げる。簡単に解かれない構造にした後、嫌忌を表情に映しながら担ぎ上げる。尽きない感情を必死に抑え、トレイドもフェリスへと戻るのであった。
【5】
戻る道中で男が目を覚ます事は無く、新たな騒動も起こる事無くトレイドはフェリスに到着する。すると、誰かが気付いて駆け寄ってきた。二人、見るからに親子であり、すぐにも見覚えを抱く。そう騒動に巻き込まれた女性と子供だ。
「走っても、傷は大丈夫なのか?重傷だった筈だが・・・」
何よりも母親の心配を口にする。流血し、力無く横たわる痛々しい姿はまだ記憶に新しい。だが、彼女は確かな足取り、痛みを感じな柔らかな表情。衣服は誰かから借りたか、別のそれに変わって。
「はい、天の加護と導きの女の子が傷を治してくれましたので」
「それは良かった」
朗らかに笑う。一刻を争う状態であった筈、それが完治して命の危機は去った。喜ぶには十分な朗報であった。
「それに、息子も助けて下さったと聞きました。迷惑をお掛けしました」
「お兄ちゃん、ありがとう」
深々と謝意を示し、少年は元気な笑顔を見せてお礼を告げる。その目元にはまだ涙の跡が見える。それを見て、少年が、そしてその母親が助かった事に喜びが込み上げて。
「それに付いては、偶然居合わせて間に合っただけだ。それに繋げてくれた青髪の、俺の友人に礼を言ってくれ」
謙虚や自身を卑下した訳ではなく、本心でそう語る。実際、そうでもあるのだ。すると母親はクスリと笑った。
「同じ事を仰るのですね。彼も、貴方が助けたから礼を言って欲しいと」
そう言われ、少し照れ臭くなって顔を逸らす。その仕草が肩に担ぐ男の存在を強調する結果となり、二人は怯えを示す。それに直ぐに気付き、強い口調で言い放つ。
「こいつの事は任せてくれ。法と秩序にきっちりと引き渡し、罪を償わせる。だから、こいつの事は気にしなくてもいい」
「・・・そうですね。宜しく、お願いします。本当に、ありがとうございました」
「ありがとう!」
顔を合わせ、強い口調で断言した事が多少は元気付けられたのだろうか、不安の色は尽きなくとも母親は頷き、子供は再び笑顔を浮かべた。
二人は村の中へ、トレイドへの感謝を何度も示しながら立ち去っていく。その時、ガリードと修道服姿の子と擦れ違い、同じように感謝を示していた。
「よう、トレイド!久し振り。んで、悪ぃな、出て直ぐに面倒を掛けちまってよ」
再会しても余計な言葉は飾らない。態度で喜んでいる事は明らかであり、其処を指摘する無粋な真似もせず。
「気にするな。お前が居なかったら、如何なっていたか・・・」
返答する表情が一瞬荒むがもう終わった事、努めて微笑を留めていた。
「そんな事ねぇよ。それよりも・・・」
「その人、怪我をしているのですか?」
「んん?・・・ああ、そうだな。俺が斬った、が怪我程度だな。それが如何した?」
ガリードの隣に立つ子供、少々生意気そうな態度で佇んでいた筈が、唐突に様子が変わって会話に割り込む。加害者とは言え怪我人を心配して。
その様子の変わりように驚きつつも事実を伝える。其処で思い出す、セントガルドで何度か目にした少女であると。天の加護と導きのラビスであると。
「そのままにしておくのは、可哀想です。傷を治しても、良いですか?」
「可哀想?こいつは殺人を行ったも同然なんだぞ?それなのに、可愛そうなのか?」
子供の感性であるのかも知れない。だが、罪を犯した人物、それ相応の罰を下すのは当然。この傷も当然の結果と考え、そう捉えても差し支えないだろう。だが、そのままにしておくのは駄目だと言われ、少々納得出来ずに聞き返していた。
「・・・はい。当然の罰と解っています。でも、治し、たいです・・・」
少々威圧する形となり、怯えてしまったラビスだがそれでも治癒したいと口にする。それにトレイドは眉間に皺を寄せた。
「・・・分かった」
だが、トレイドの方から折れた。少女の意思は固い。罪を償わせる事は当然。だが、目の前の負傷者は見逃せない。それは少女の性格、優しい性格が許さないのだろう。折れないと考え、思考を放棄するように応じていた。
多少乱暴になるが男を地面へ下ろす。まだ気を失っている事を確認した後、ラビスに合図する。応じた少女は駆け寄って両手を出し、念じ始めた。
静かに、白い袖に包まれる両腕が、正しくはその手の甲が仄かに輝き始める。共鳴するように、男の切創も輝き出し、相乗するように光は強くなる。それこそが聖復術である。
手の輝きと傷口の光、その副産物のように周囲に蛍の明かりのような丸い光が幾つ生じ、宙へ浮かび、漂っていく。幻想的でやや物悲しいそれが発生する。
それとは別に、行う時間に比例してラビスの面にあった疲労感が濃くなる。力を行使すれば当然代償はある。体力、或いは別の何かを消費しているようだと判断出来て。
神聖的な光景を見守りながら立ったトレイドはガリードに近寄る。当然、男が目が覚めた時に即座に動く心構えを持って。
「法と秩序への連絡は?」
「してる。そろそろ来るんじゃねぇの?」
多少暢気に聞こえるがすべき事は済ませている事に少し安心する。
「確か、この子はラビス、と言っていたな?剣を背負っているが戦えるのか?それに、一瞬態度が変だったぞ」
気に留めたのは其処であった。今は少し大人しい様子であり、心優しい性格。だが、最初はやや生意気で身体を動かす、少々荒々しい事が楽しみだと言う、活発的で少々生意気な印象を受けた。その乖離性が気になっていたのだ。
「ああ、それか。なんて言ってたっけか、ラビスであり、ラギアでもある、って言えば良いのか?」
「それは如何言う事だ?」
要領を得ない言葉に思わず睨む表情が険しくなる。
「・・・詳しい話はしてくれなかったけどよ、身体は一つだけど、性格が二つ?二人分の精神があるんだと」
「・・・成程、多重人格か」
解離性同一症、自分の事をそうではないと感じたり、折々の感情や記憶を切り離し、それを思い出させなくする事で心の損傷を回避しようする事から引き起こされる障害。症状が進めば切り離した感情や記憶が独立し、別の人格となって表に現れる事もある。それが多重人格の正体。
そうなる要因として一番に上げられるのがストレス。例えるならいじめ。過度の周囲からの肉体的、精神的の苦痛が引き金となる事が多い。同級生や環境、親の場合もあれば、別に繋がりがある者の死がそうする原因になる事もある。
そうした概要を詳しくは知らないが、過去に少しだがカウセリングを受けたトレイドは医師がそんな事を言っていた事を思い出す。幸いなのか、自分にその兆候が無かったと言う。けれど、同じように苦しみを抱いていた事を知り、表情を暗くせずには居られなかった。
物思う表情で見つめるトレイドと同じように、ガリードも何かしらの事情を聞いたのか、同様の表情で眺める。
「まぁ、そんなんで女の子のラビスが主の人格で、剣を背負っていたり、触れている間は男の子のラギアが出てくるんだってさ」
「・・・まるで、守っているようだな」
「かもな」
気持ちが零れる。優しい少女を守る為に少年が居るのか、弱い気持ちを強気な自分が庇っているのか。ともあれ、それは悲しかった。
少し時間が経過し、輝きは失われていった。それは終了を示し、事実男の身体から傷は一切無くなっていた。無論、流れ出た血は不帰、傷が存在した周辺は赤く濡れたまま。
治療を終えたラビスは安堵の息を吐き、剣を持って立ち上がろうとする。だが、疲れた所為で剣も掴めずにふら付く。その身体を咄嗟にトレイドが支える。
「無理をさせてしまったな」
そう労うと少女は満足そうに笑みを浮かべた。
「いえ、私の我儘ですから・・・ありがとうございます。あの時も、セントガルドでも助けてくれて」
「?・・・ああ、あの時の事か。いや、気にするな。あれは当然の事だ。それよりも悪かったな、怖い思いをさせてな」
偶然転倒した時に荷物を拾った事を思い出す。そして、面倒事に巻き込んでしまった事を謝る。それに少女は首を振って否定した。迷惑などしていないと。
支えられて多少休めた少女は笑みを浮かべて離れ、剣を手に取って立ち上がる。その動きに疲労感は薄れ、向き合わせた表情は少々睨むような少年のものとなった。
「俺からも・・・その、ありがとうな。ラビスの失敗を、補ってくれて」
「お前がラギアか・・・気にするな。これから宜しくな」
改めて対面して挨拶を交わす。少年は少し素っ気ない態度を示したが一定の信頼を得たのか、敵意を示す事はしなかった。
【6】
「・・・これで終わりです。ご協力、感謝します。後は私達に任せてください!」
丁重な口調の青年は一通りの調書を取った後、姿勢を正して謝意を示し、頼もしい発言を口にする。その態度は実に誠実、トレイドとガリード、特にラビスには被害を無くしてくれた事への感謝を充分に伝えていた。
その傍、傷が無くなっても気絶し続ける男が連行されていく。ただ横たわる人物を運ぶのは少々手古摺るようで、二人がかりでも引き摺るようにしていた。
連行されていく姿を見送る中、トレイドは一抹の不安を抱いた。あの男を普通の犯罪者と同じように扱われるのか、扱っても良いのかと言う懸念であった。それは単に異常だからと言う訳ではない。胸騒ぎの様なものだった。
ガリードが直接目にした不安定な情緒、理性が半分壊れたような様は狂人に成り果てようとしたのかも知れない。それとも、人としての『何か』が失われかけていたのではないか、と。
だが、それは全て推察に過ぎず、トレイドの一方的な懸念に過ぎない。犯罪者から結びついた勝手な妄想かも知れない。そう捉え、胸騒ぎを抑えながら、連行される様を、一礼して立ち去っていく姿を見送った。
「いや~、本当に助かった!お前が居なかったら、如何なってた事か」
「大袈裟だ。お前だけでも制圧は出来ていたと思うぞ」
「そうか?・・・まぁ、終わったし、良いか。それより、今日釈放されたのか?お勤めご苦労さん!」
「嫌味か?それは」
加害者を引き渡し、漸く肩の荷が下りたと気を緩めるガリード。その調子に釣られて苦笑交じりのトレイドも気を休めていた。その様子にラギアは少し冷めた目で見て。
「しかし、お前が此処に居るのは珍しいな。それに、天の加護と導きの人間と一緒とはな」
「ま、そうだろうな。天の加護と導きのガキ共に新鮮な肉を喰わせる為にローウスを狩りに来てんだよ。俺が狩ったらその分金が浮くしな。んで、ラギアは戦いの見学だな」
「そう言う事か」
事のあらましを聞いて納得するトレイド。加えて、トレイドが偶然にも到着し、事件に巻き込まれたのは運が良いのか、悪いのかと少し思案して。
「んで、お前はこれからセントガルドに戻んのか?」
「ああ、法と秩序の方に釈放手続きのような書類を渡さなければ、自由の身になれないからな」
「まだ終わってないのかよ。じゃ、早く終わらさねぇとな」
「ああ」
肩を叩き、刑期を終えたトレイドを労う。どれ程の苦労を経たか知らないが、それすらも分かって分かち合うかのように。そのさり気無い気遣いが暖かく感じて。
「じゃ、終わったらすぐにユウさんやフーさんに挨拶しろよ?一応、俺からも話はしてるけどよ、心配させたからな」
「それは・・・」
それに返す言葉が流されなかった。難しい表情で沈黙してしまう。何度も迷惑を掛けた事を改めて理解し、どんな顔を合わせたら良いのかと悩む。その沈黙、思い悩む横顔を見たガリードが小さく笑う。釣られてトレイドも、済んだ事は仕方ないと諦めるように笑む。
「そうだな・・・本当に迷惑を掛けたな、ガリード」
「構わねぇよ!こうしてちゃんと話せたし、俺のミスも補ってくれたし、チャラだな!」
確かに散々に迷惑を掛けられた。少し欲目をだしているも、茶化して許すと語る。その寛容さにトレイドは笑みを零す。何度この性格に救われたかと思い出して。
「それで、お前達は此処に居るのか?」
「いや、全然狩ってないから帰らない」
「だな、手ぶらでは帰れねぇな」
食費を浮かす事が目的でもあるが、第一に子供達の為に狩猟しに来ているのだ。期待を破る事は出来ない。なら、帰られる筈がない。
「なら、俺も手伝おうか。人手も増えたら、その分早く終わるだろ」
ガリードに迷惑を掛け、ラビスには今回救われた。その恩返しと言う訳ではないが協力を口にする。するとガリードが顔を顰めた。
「何言ってんだよ、お前は釈放手続き、って奴を渡しに行けよ。あんまり遅れたら、何言われるか分かんねぇだろ?また難癖付けられても知らねぇぞ?」
「確かに、そうだな」
このまま行方を暗ます事も出来る。だからこその釈放手続きなのだろう。言い渡されない期間中に提出されなければ、問答無用で犯罪人と見做す恐れもある。加えて、トレイドは魔族と関わり、その居住地も知っている。要注意人物として見られている事は確実。こうした下手な真似をすれば状況は悪化するだけだろう。
手伝えない事は口惜しいが、すべき事を優先しなければと納得して取り下げる。
「それじゃ、俺はレイホースを借りて行くとする」
「そっか。俺がそっちに行った時、詫びとしてなんか奢れよ」
「分かった」
さり気無く要求するような、他愛のない会話を交わしながら別れる。上機嫌なガリード、何か値踏みするような視線を送るラギアに見送られながらレイホース賃貸屋へ向かっていく。
その胸は清々しさを抱いていた。決して、続いていた懸念が払拭した事への喜びではない。単に嬉しいのだ。見知った人物が変わらず接してくれ、その者も変わらない事に対して嬉しかったのだ。
それからレイホースを走らせたトレイド。気付けば陽は傾き、夕暮れ時となっていた。昼近くにフェリスを出発したとしても陽が沈む前に到着する事は難しかった。結果、周囲の景色は夜の闇に飲み込まれつつあった。
夕闇を過ぎようとする頃、セントガルド城下町を包む活気は治まりつつあり、僅かばかりの人気しか感じ取れず。外界を隔てる巨大な門前に立ったトレイドはそう捉えていた。だが、時間経過で人影が減るのは当たり前で。
レイホースを返却し、その足が向かう先は法と秩序、渡さなければならない事がある。その道中、繰り返し見た町並み、とある時間帯の一面を眺めた。懐かしさの他に、蓄積しつつある思い出に溜息を零していた。
村から離れ、鬱蒼とした木々や植物で視認し辛い森の中。人影を隠す群れが延々と続く。その領域を分断するように茶色い道が伸びる。数少ない足掛かりがひっそりと其処に刻まれて。
時折聞こえる枝葉の囁くような音、何かの鳴き声。そして、吹き抜けていく風の音。様々な雑音で、潜んだ何かを探るのは困難。場所が見辛ければ更に。
その暗き空間、村より然程離れていない場所で不気味な笑い声が響く。理性を感じられない、愉悦感に塗り潰されたちぐはぐに感じる笑い方。傍では恐ろしさに泣き叫ぶ子供の声、少し離れて焦りと怒りで震える若者の牽制の声。その三者が木陰に隠れて存在していた。
やや開けた空間、薄暗い場所に三人の人影が見える。一人は足取り疎か、フラフラとした様子。その手には液体を滴らせる短剣。もう一方の手は、様々な展開に驚き、置かれた状況の恐怖で泣き喚く子供の腕を。対面して、背負う大剣の柄を握って二の足を踏んで焦燥する青年。
「そいつを放せってんだ!」
焦る声で叫ぶ。苦い表情で立つのガリード、人質を取られて手出しが出来ずに焦り続ける。悪き想像が巡り、面は焦りの色に彩られる。それを堪えて睨む先、酔ったように興奮し、恍惚な表情を浮かべる不気味な男が立って。
下種な笑みを浮かべ、優越感と幸福感に包まれた表情は反吐が出そうになるだろう。その面に正気は窺えず、何時でも不特定な動きを行いそうな危うさしかなかった。
「何だよ~?俺の邪魔をするのか~?」
邪魔されて不快なのだろう、赤く濡らした短剣で子供の頬を叩いて喋る。益々子供は怯え、ガリードは噛み締める力を強める。
「そいつは関係ねぇだろ!何でこんな事しやがるんだ!意味ねぇだろうがっ!!」
感情に任せて叫ぶ。其処に気を逸らすや時間を稼ぐと言った策略は無く。寧ろ、相手を刺激しかねなく。
問われ、その意味が分からないと言った様子で男は短剣をフラフラと弄ぶ。時折、子供に突き立てるような真似を示し、ガリードを驚かせて神経を削る。その反応を愉しみ、悦に浸る表情を見せて。
「何言ってんだよ~?あるに決まってんだろ~?単純に、楽しんだよ~。クソガキを殺すとよ~、ハハハッ。なんかこうよ、強くなった気が済んだよぉぉお!一番強くなった、優越感って言うのぉぉお?ナハハハハッ!凄ぇ気分が良いなぁぁあ!!最高ぉぉおっ!!」
己が欲望のみで動いているのか、情緒不安定に会話する。伸び切った語尾に力を入れて力説するほど殺人が楽しいと語る。その殺害衝動、とても理性があるとは思えない。だが破綻しかけながらも自我を保ち、快楽に忠実な思考を持つ。故に、簡単に手が出せずにガリードは焦り続け、憤りを抱き続ける。取る手段を定めつつも、それでも別の方法を模索して。
「でよ、でよぉぉお!?クソガキはやっぱり、反応が良いんだよなぁぁあ!!止めて、とかぁぁあ、許して、とかさぁぁあ!?あの時の顔が、凄気持ち良いんだよぉぉお!?そう言うのを無視して、サクってやる感覚ってのぉぉお!?」
弱者を甚振る事が生き甲斐だと言わんばかりに感情を昂らせる。このような下種が何故居るのかと、怒りを交えた疑問がガリードの脳裏に掠めて。
「それに、この親子みたいにぃぃい!?親を殺した後の餓鬼の反応がよぉぉお、もう溜まんねぇよなぁぁあっ!!幸せを踏み潰す感触ってのぉぉお!?アヒャヒャヒャヒャッ!!」
興奮は止まらない。最早狂気に囚われた男は涎を撒き散らして高笑う。その様が人を保った何かに、悍ましき生物に映る。対面する者の面が険しくなるばかり。
「後は、お前みたいにぃぃい?俺を止めようとしてきた奴の目の前でぇぇえ、餓鬼を殺した時の顔が好きでよぉぉお!?」
「くそっ!!」
昂った感情に任せて短剣を振るい上げる。切先は少年の首筋、浮付いた気配の中でその殺意だけは一瞬で固めていた。そして、その動きだけは揺ぎ無く。
察知して直ぐにもガリードは動き出す。武器は振るえない、なら被害を被る覚悟で蹴り出す。だが、反応が遅れた為に間に合いそうになく、顔に悔しさに歪む。
「ッ!?」
動き出した彼の横を誰かが横切った。凄まじい速度で駆け抜け、子供を人質とする男へ急速に距離を詰める。
「何だ、お前、うっ!?」
知らぬ者が出現した事に驚きながらも男は腕を止めない。本懐を遂げる寸前、唐突な胸部に衝撃に動きが止まる。続いて走り抜けた激痛に視線が下方に向けられた。
その胸には黒い剣が突き刺さっていた。およそ切先程度だが確実に突き刺さり、動きを阻害していた。それは乱入した者が投擲したもの、事態は緊急を要すると手段を選んでいられないと行れ、精確に男へ到達させてみせた。
飛び出したのはトレイド、普段の彼とは掛け離れた形相で男を睥睨する。一切の慈悲も無く、静かに激昂する様には殺意すらも宿って。
「・・・ハハッ!!」
一瞬怯んだ男だが、再び短剣を振るう。その先は乱入した彼にではなく、腕を握り締めた少年。尚も命を奪わんと躍起になって。その執着は既に異常、自身の安全よりも欲望を満たす事を優先するの狂気の沙汰としか言えず。
その目論見はトレイドが蹴り砕く。走り抜ける勢いを利用して横蹴りを繰り出していた。対象を捉えても前進するほどの威力を誇ったそれを受け、男は全てを手放して宙に浮く。腹部を蹴り抜かれ、口から僅かに吐瀉を零し、碌に受け身も取れないまま、地面へ倒れ込んだ。
「ト、トレイド!?何で此処に居る!?」
唐突に割り込み、男に制裁を下した人物が知人であった事にガリードは驚きを隠せない。そして、少し戦慄する。佇む知人の熾烈な攻撃にではなく、感情に塗り潰された横顔に対して。
「・・・偶々だ。それよりも、大丈夫か?怪我はしていないか?」
状況を説明するよりも子供の安全を優先する。それもそうだと、ゆっくりと立たせる場面へガリードは駆け寄っていく。
腕に痣が出来てしまったが、それ以外の命に関わる外傷はない。男が愉しもうとした結果か、ガリードが足止めしたお陰か、悲惨な結末は一つ避けられた。
「ぼ、僕は大丈夫。でも・・・」
「ガリード、子供を連れて村に戻れ。後は俺が始末する」
「それは良いが、始末って・・・」
「・・・言葉の綾だ、良いから行け」
ガリードに一抹の不安が過ぎった。当人は否定したが本当の意味での始末を行いかねなかったから。だが、友人を信じて子供を村に避難させる為に駆け出していった。
その姿を横目に、怒りが振り切れた静かな視線はゆっくりと身体を起こす男を捉える。涙目、口元を拭う姿は無様に映って。
「じゃ、邪魔するなよ~。折角・・・」
「もう、喋るな」
尚もふざけた事を口にする男を看過など出来なかった。瞬時に踏み出して急接近し、利き腕を振り上げた。空を裂く一閃、感情の全てを乗せた一撃は男の身に刻み込まれる。反応する間もなく、ただ受け入れるだけの男へ、追い打ちにように鳩尾へ左の拳を叩き込む。力の限りに行った為、減り込んだ部分が嫌な感触を感じ取って。
腰から脇に掛けて斜に赤き溝が刻まれ、殴打と同時に流血が噴出した。苦悶で身を捩り、腹部を抑えた男は嗚咽を零し、白目を向いて頭からその場に倒れ込む。連撃を受け、もう立つ事など出来ず。
倒れ込んだ男の傍へ歩み寄り、冷めた目で見下しながら溜息を零す。それで多少気持ちを抑え、不本意さが感じる手で男の容態を確認する。
当然、切創から血が流れる。涎を伝わせる口元、無様な表情だが息は確かにする。けれど、瀕死と言って差し支えなく。
確認が済んだトレイドは改めて男を睥睨する。身の内で燻る憎悪の他、僅かに疑問が浮かんでいた。
男の声は遠くからでも聞こえていた。何かの箍が外れたように欲望を解放し、理性が破滅した姿は異様であった。狂人と言って差し支えない姿に原因があるのではと。その思いは別の疑問に掻き消されて。
「・・・」
自身の行動を振り返り、猛省が駆け抜けた。犯罪者とは言え、殺意を以て攻撃を行った。ならば、命を奪っていてもおかしくはない。なのに、不思議と罪悪感が抱けなかったのだ。人を人と思わない下種と言えど同価値の命だと言うのに。
そして、残ってしまった深い憎悪。深呼吸を繰り返した処で、仕方なかったと理由を付けて紛らわそうとしても容易くなく。足元で転がる短剣が不意に意識に入り、燻る思いのまま蹴り付ける。音を立てて消える様を見ても、表情すら治らず。
不意に思い出す。それが原因で急に頭に昇っていた血は下がっていく。急激に冷静になった思考が自身の行為の愚かさに恥を抱かせた。
それは人質である子供への配慮を考えなかった上に流血を見せてしまった事。下手をすれば万が一も有り得た。自分すらも制御出来ない事に怒りを感じてならず。
自身への苛立ちで冷静さを取り戻し、改めて男を見下す。流血はしているものの傷自体は浅く、気絶しているだけで命の別状はない。なら、放置していれば再び愚行を起こす事は目に見えている。第一、このまま放置する事は無く。
ウェストバッグから縄を取り出し、男の手足を頑丈に縛り上げる。簡単に解かれない構造にした後、嫌忌を表情に映しながら担ぎ上げる。尽きない感情を必死に抑え、トレイドもフェリスへと戻るのであった。
【5】
戻る道中で男が目を覚ます事は無く、新たな騒動も起こる事無くトレイドはフェリスに到着する。すると、誰かが気付いて駆け寄ってきた。二人、見るからに親子であり、すぐにも見覚えを抱く。そう騒動に巻き込まれた女性と子供だ。
「走っても、傷は大丈夫なのか?重傷だった筈だが・・・」
何よりも母親の心配を口にする。流血し、力無く横たわる痛々しい姿はまだ記憶に新しい。だが、彼女は確かな足取り、痛みを感じな柔らかな表情。衣服は誰かから借りたか、別のそれに変わって。
「はい、天の加護と導きの女の子が傷を治してくれましたので」
「それは良かった」
朗らかに笑う。一刻を争う状態であった筈、それが完治して命の危機は去った。喜ぶには十分な朗報であった。
「それに、息子も助けて下さったと聞きました。迷惑をお掛けしました」
「お兄ちゃん、ありがとう」
深々と謝意を示し、少年は元気な笑顔を見せてお礼を告げる。その目元にはまだ涙の跡が見える。それを見て、少年が、そしてその母親が助かった事に喜びが込み上げて。
「それに付いては、偶然居合わせて間に合っただけだ。それに繋げてくれた青髪の、俺の友人に礼を言ってくれ」
謙虚や自身を卑下した訳ではなく、本心でそう語る。実際、そうでもあるのだ。すると母親はクスリと笑った。
「同じ事を仰るのですね。彼も、貴方が助けたから礼を言って欲しいと」
そう言われ、少し照れ臭くなって顔を逸らす。その仕草が肩に担ぐ男の存在を強調する結果となり、二人は怯えを示す。それに直ぐに気付き、強い口調で言い放つ。
「こいつの事は任せてくれ。法と秩序にきっちりと引き渡し、罪を償わせる。だから、こいつの事は気にしなくてもいい」
「・・・そうですね。宜しく、お願いします。本当に、ありがとうございました」
「ありがとう!」
顔を合わせ、強い口調で断言した事が多少は元気付けられたのだろうか、不安の色は尽きなくとも母親は頷き、子供は再び笑顔を浮かべた。
二人は村の中へ、トレイドへの感謝を何度も示しながら立ち去っていく。その時、ガリードと修道服姿の子と擦れ違い、同じように感謝を示していた。
「よう、トレイド!久し振り。んで、悪ぃな、出て直ぐに面倒を掛けちまってよ」
再会しても余計な言葉は飾らない。態度で喜んでいる事は明らかであり、其処を指摘する無粋な真似もせず。
「気にするな。お前が居なかったら、如何なっていたか・・・」
返答する表情が一瞬荒むがもう終わった事、努めて微笑を留めていた。
「そんな事ねぇよ。それよりも・・・」
「その人、怪我をしているのですか?」
「んん?・・・ああ、そうだな。俺が斬った、が怪我程度だな。それが如何した?」
ガリードの隣に立つ子供、少々生意気そうな態度で佇んでいた筈が、唐突に様子が変わって会話に割り込む。加害者とは言え怪我人を心配して。
その様子の変わりように驚きつつも事実を伝える。其処で思い出す、セントガルドで何度か目にした少女であると。天の加護と導きのラビスであると。
「そのままにしておくのは、可哀想です。傷を治しても、良いですか?」
「可哀想?こいつは殺人を行ったも同然なんだぞ?それなのに、可愛そうなのか?」
子供の感性であるのかも知れない。だが、罪を犯した人物、それ相応の罰を下すのは当然。この傷も当然の結果と考え、そう捉えても差し支えないだろう。だが、そのままにしておくのは駄目だと言われ、少々納得出来ずに聞き返していた。
「・・・はい。当然の罰と解っています。でも、治し、たいです・・・」
少々威圧する形となり、怯えてしまったラビスだがそれでも治癒したいと口にする。それにトレイドは眉間に皺を寄せた。
「・・・分かった」
だが、トレイドの方から折れた。少女の意思は固い。罪を償わせる事は当然。だが、目の前の負傷者は見逃せない。それは少女の性格、優しい性格が許さないのだろう。折れないと考え、思考を放棄するように応じていた。
多少乱暴になるが男を地面へ下ろす。まだ気を失っている事を確認した後、ラビスに合図する。応じた少女は駆け寄って両手を出し、念じ始めた。
静かに、白い袖に包まれる両腕が、正しくはその手の甲が仄かに輝き始める。共鳴するように、男の切創も輝き出し、相乗するように光は強くなる。それこそが聖復術である。
手の輝きと傷口の光、その副産物のように周囲に蛍の明かりのような丸い光が幾つ生じ、宙へ浮かび、漂っていく。幻想的でやや物悲しいそれが発生する。
それとは別に、行う時間に比例してラビスの面にあった疲労感が濃くなる。力を行使すれば当然代償はある。体力、或いは別の何かを消費しているようだと判断出来て。
神聖的な光景を見守りながら立ったトレイドはガリードに近寄る。当然、男が目が覚めた時に即座に動く心構えを持って。
「法と秩序への連絡は?」
「してる。そろそろ来るんじゃねぇの?」
多少暢気に聞こえるがすべき事は済ませている事に少し安心する。
「確か、この子はラビス、と言っていたな?剣を背負っているが戦えるのか?それに、一瞬態度が変だったぞ」
気に留めたのは其処であった。今は少し大人しい様子であり、心優しい性格。だが、最初はやや生意気で身体を動かす、少々荒々しい事が楽しみだと言う、活発的で少々生意気な印象を受けた。その乖離性が気になっていたのだ。
「ああ、それか。なんて言ってたっけか、ラビスであり、ラギアでもある、って言えば良いのか?」
「それは如何言う事だ?」
要領を得ない言葉に思わず睨む表情が険しくなる。
「・・・詳しい話はしてくれなかったけどよ、身体は一つだけど、性格が二つ?二人分の精神があるんだと」
「・・・成程、多重人格か」
解離性同一症、自分の事をそうではないと感じたり、折々の感情や記憶を切り離し、それを思い出させなくする事で心の損傷を回避しようする事から引き起こされる障害。症状が進めば切り離した感情や記憶が独立し、別の人格となって表に現れる事もある。それが多重人格の正体。
そうなる要因として一番に上げられるのがストレス。例えるならいじめ。過度の周囲からの肉体的、精神的の苦痛が引き金となる事が多い。同級生や環境、親の場合もあれば、別に繋がりがある者の死がそうする原因になる事もある。
そうした概要を詳しくは知らないが、過去に少しだがカウセリングを受けたトレイドは医師がそんな事を言っていた事を思い出す。幸いなのか、自分にその兆候が無かったと言う。けれど、同じように苦しみを抱いていた事を知り、表情を暗くせずには居られなかった。
物思う表情で見つめるトレイドと同じように、ガリードも何かしらの事情を聞いたのか、同様の表情で眺める。
「まぁ、そんなんで女の子のラビスが主の人格で、剣を背負っていたり、触れている間は男の子のラギアが出てくるんだってさ」
「・・・まるで、守っているようだな」
「かもな」
気持ちが零れる。優しい少女を守る為に少年が居るのか、弱い気持ちを強気な自分が庇っているのか。ともあれ、それは悲しかった。
少し時間が経過し、輝きは失われていった。それは終了を示し、事実男の身体から傷は一切無くなっていた。無論、流れ出た血は不帰、傷が存在した周辺は赤く濡れたまま。
治療を終えたラビスは安堵の息を吐き、剣を持って立ち上がろうとする。だが、疲れた所為で剣も掴めずにふら付く。その身体を咄嗟にトレイドが支える。
「無理をさせてしまったな」
そう労うと少女は満足そうに笑みを浮かべた。
「いえ、私の我儘ですから・・・ありがとうございます。あの時も、セントガルドでも助けてくれて」
「?・・・ああ、あの時の事か。いや、気にするな。あれは当然の事だ。それよりも悪かったな、怖い思いをさせてな」
偶然転倒した時に荷物を拾った事を思い出す。そして、面倒事に巻き込んでしまった事を謝る。それに少女は首を振って否定した。迷惑などしていないと。
支えられて多少休めた少女は笑みを浮かべて離れ、剣を手に取って立ち上がる。その動きに疲労感は薄れ、向き合わせた表情は少々睨むような少年のものとなった。
「俺からも・・・その、ありがとうな。ラビスの失敗を、補ってくれて」
「お前がラギアか・・・気にするな。これから宜しくな」
改めて対面して挨拶を交わす。少年は少し素っ気ない態度を示したが一定の信頼を得たのか、敵意を示す事はしなかった。
【6】
「・・・これで終わりです。ご協力、感謝します。後は私達に任せてください!」
丁重な口調の青年は一通りの調書を取った後、姿勢を正して謝意を示し、頼もしい発言を口にする。その態度は実に誠実、トレイドとガリード、特にラビスには被害を無くしてくれた事への感謝を充分に伝えていた。
その傍、傷が無くなっても気絶し続ける男が連行されていく。ただ横たわる人物を運ぶのは少々手古摺るようで、二人がかりでも引き摺るようにしていた。
連行されていく姿を見送る中、トレイドは一抹の不安を抱いた。あの男を普通の犯罪者と同じように扱われるのか、扱っても良いのかと言う懸念であった。それは単に異常だからと言う訳ではない。胸騒ぎの様なものだった。
ガリードが直接目にした不安定な情緒、理性が半分壊れたような様は狂人に成り果てようとしたのかも知れない。それとも、人としての『何か』が失われかけていたのではないか、と。
だが、それは全て推察に過ぎず、トレイドの一方的な懸念に過ぎない。犯罪者から結びついた勝手な妄想かも知れない。そう捉え、胸騒ぎを抑えながら、連行される様を、一礼して立ち去っていく姿を見送った。
「いや~、本当に助かった!お前が居なかったら、如何なってた事か」
「大袈裟だ。お前だけでも制圧は出来ていたと思うぞ」
「そうか?・・・まぁ、終わったし、良いか。それより、今日釈放されたのか?お勤めご苦労さん!」
「嫌味か?それは」
加害者を引き渡し、漸く肩の荷が下りたと気を緩めるガリード。その調子に釣られて苦笑交じりのトレイドも気を休めていた。その様子にラギアは少し冷めた目で見て。
「しかし、お前が此処に居るのは珍しいな。それに、天の加護と導きの人間と一緒とはな」
「ま、そうだろうな。天の加護と導きのガキ共に新鮮な肉を喰わせる為にローウスを狩りに来てんだよ。俺が狩ったらその分金が浮くしな。んで、ラギアは戦いの見学だな」
「そう言う事か」
事のあらましを聞いて納得するトレイド。加えて、トレイドが偶然にも到着し、事件に巻き込まれたのは運が良いのか、悪いのかと少し思案して。
「んで、お前はこれからセントガルドに戻んのか?」
「ああ、法と秩序の方に釈放手続きのような書類を渡さなければ、自由の身になれないからな」
「まだ終わってないのかよ。じゃ、早く終わらさねぇとな」
「ああ」
肩を叩き、刑期を終えたトレイドを労う。どれ程の苦労を経たか知らないが、それすらも分かって分かち合うかのように。そのさり気無い気遣いが暖かく感じて。
「じゃ、終わったらすぐにユウさんやフーさんに挨拶しろよ?一応、俺からも話はしてるけどよ、心配させたからな」
「それは・・・」
それに返す言葉が流されなかった。難しい表情で沈黙してしまう。何度も迷惑を掛けた事を改めて理解し、どんな顔を合わせたら良いのかと悩む。その沈黙、思い悩む横顔を見たガリードが小さく笑う。釣られてトレイドも、済んだ事は仕方ないと諦めるように笑む。
「そうだな・・・本当に迷惑を掛けたな、ガリード」
「構わねぇよ!こうしてちゃんと話せたし、俺のミスも補ってくれたし、チャラだな!」
確かに散々に迷惑を掛けられた。少し欲目をだしているも、茶化して許すと語る。その寛容さにトレイドは笑みを零す。何度この性格に救われたかと思い出して。
「それで、お前達は此処に居るのか?」
「いや、全然狩ってないから帰らない」
「だな、手ぶらでは帰れねぇな」
食費を浮かす事が目的でもあるが、第一に子供達の為に狩猟しに来ているのだ。期待を破る事は出来ない。なら、帰られる筈がない。
「なら、俺も手伝おうか。人手も増えたら、その分早く終わるだろ」
ガリードに迷惑を掛け、ラビスには今回救われた。その恩返しと言う訳ではないが協力を口にする。するとガリードが顔を顰めた。
「何言ってんだよ、お前は釈放手続き、って奴を渡しに行けよ。あんまり遅れたら、何言われるか分かんねぇだろ?また難癖付けられても知らねぇぞ?」
「確かに、そうだな」
このまま行方を暗ます事も出来る。だからこその釈放手続きなのだろう。言い渡されない期間中に提出されなければ、問答無用で犯罪人と見做す恐れもある。加えて、トレイドは魔族と関わり、その居住地も知っている。要注意人物として見られている事は確実。こうした下手な真似をすれば状況は悪化するだけだろう。
手伝えない事は口惜しいが、すべき事を優先しなければと納得して取り下げる。
「それじゃ、俺はレイホースを借りて行くとする」
「そっか。俺がそっちに行った時、詫びとしてなんか奢れよ」
「分かった」
さり気無く要求するような、他愛のない会話を交わしながら別れる。上機嫌なガリード、何か値踏みするような視線を送るラギアに見送られながらレイホース賃貸屋へ向かっていく。
その胸は清々しさを抱いていた。決して、続いていた懸念が払拭した事への喜びではない。単に嬉しいのだ。見知った人物が変わらず接してくれ、その者も変わらない事に対して嬉しかったのだ。
それからレイホースを走らせたトレイド。気付けば陽は傾き、夕暮れ時となっていた。昼近くにフェリスを出発したとしても陽が沈む前に到着する事は難しかった。結果、周囲の景色は夜の闇に飲み込まれつつあった。
夕闇を過ぎようとする頃、セントガルド城下町を包む活気は治まりつつあり、僅かばかりの人気しか感じ取れず。外界を隔てる巨大な門前に立ったトレイドはそう捉えていた。だが、時間経過で人影が減るのは当たり前で。
レイホースを返却し、その足が向かう先は法と秩序、渡さなければならない事がある。その道中、繰り返し見た町並み、とある時間帯の一面を眺めた。懐かしさの他に、蓄積しつつある思い出に溜息を零していた。
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