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もう会えないと嘆き、それでも誰かと出会って

見えぬ小人、黒い結晶散る先 後編

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【4】

 逃げる負傷者に近付かせまいとして後退するトレイド、出方を窺って神経を尖らせる。闇の中を蠢く何かの正体は見えず。
 闇に融け込む水溜まりから鳴らされる音よりも、天井や壁から聞こえる不可解な音に意識が向かう。だが、それは過ち、隙となった。
 暗闇に視線を逸らした彼の視界、その端から何かが飛び込む。反応が遅れたものの、正面からの襲撃であった為に咄嗟の反撃は間に合った。振るった木材が何かを捉えて弾き飛ばす。その感触、木材が破損する衝撃が伝ったと同時に、別の何かに襲われて識別出来ず。
 別方向からの強襲はトレイドに抵抗を許さず、地面に押し倒す。派手に鳴らされる水音に混じり、興奮した何かは群れを為して派手に水を掻き散らした。 
 倒された彼の手から木材は離れ、明かりは水溜まりに呑まれる。数少ない光源を失い、その場は薄暗闇に呑み込まれてしまう。
「お、おい!何が・・・」
「俺に構うな!早く行けッ!!」
 薄暗闇の中、既視感を抱く生物の輪郭を掴み、懸命に抵抗するトレイドは再び声を張り上げる。焦燥感に囚われる彼の耳は急いで去り行く足音は聞こえず。
 咄嗟に掴んだ滑らかな皮膚に覆われた身体、引き千切る勢いで引き剥がそうとする。襲撃者の力は思ったより弱く、容易く引き剥がせていた。けれど、押し退けるよりも先に別の何かに襲われ、次々と覆い被されてしまう。
「くっ・・・このっ!・・・ッ!?」
 多勢に因る圧迫感を押し退けようとした寸前、全身の至る場所に激痛が生じる。硬い何かが上下から食い込み、引っ張られる感触、突起が突き刺さり、皮膚と肉を引き千切る激痛に呻きは滲み出す。
 引き剥がそうと足掻こうとした彼が過ぎ行く音を聞き取った。それは追跡の音、何を追っているのかは言うまでもない。
 逃げた負傷者が再び襲われると理解した瞬間、喪うと言う恐怖が過ぎり、死なせたくないと言う正義感に身体は突き動かされた。
 小柄な生物達を、傷の悪化を承知で強引に身体を起こす。そして、軋むような身体を全力で振るった。途端に身体は軽くなり、周辺で複数の物音が鳴らされる。それに耳を貸さず、全力で道を引き返す。
 複数の篝火が、通路に差し掛かった男性を映し出す。その姿、後方から生物に襲われて呆気なく倒されてしまう。その最中、明かりに因って正体が少し露わとなる。
 全身は黒く、脂肪分が一切なく、僅かな筋肉と骨に皮を張り付けたような痩躯。その形状は奇形ながら人の形を成す。子供ぐらいの小柄な体格。ごつごつとした身体付き、色と合わせて岩場に擬態する為か。
 その姿に、とある魔物モンスターが思い浮かぶのだが、確信の域には達しなかった。
「ぐがあああああッ!?」
 巡る思考を遮る男性の絶叫が響く。激痛に思わず張り上げた声は通路に痛烈に響き渡った。
 それがトレイドを逸らせ、駆け寄る勢いを乗せて男性を襲う生物を蹴り上げる。鈍い音と感触を覚え、無理矢理に引き剥がした生物が付近の壁に激突する。間髪入れず、立ち上がろうとしたその生物へ全力を篭めて踏み付けられた。
 骨を砕く音、液体が散る音が響き渡り、生暖かさが顔や手に付着する。少し細められた目が、惨たらしく血反吐を吐く様を睨む。無惨に砕けた首、見れば死骸である事は即座に理解しよう。
 再度確認する事無く、トレイドは早急に男性を立ち上がらせる。その間も群れへの警戒を続けていたのだが遠退く音に警戒心は薄らぐ。一旦、距離を置く積もりなのだろう、その間に男性を気遣う。
「クソッ!いてぇ!あいつ、足を、傷口に何かを入れて、弄りやがった・・・ッ!」
 右足を抑え、更なる激痛に声を澱ませて脂汗を流す。彼の言う通り、太腿周辺から大量の血が流れる。
 その痛々しき姿に表情を険しくするトレイドは男性が使用するベルトを引き抜く。
「ッ!!」
「止血だ、我慢しろ!慰め程度にはなる筈だ!」
 傷口より上部をベルトで締め込んだ後、杖代わりの鶴嘴を拾い上げる。
「鶴嘴を借りる。此処で足止めをするから、その間に逃げろ」
 冷静に告げると轟々と燃える篝火の一つを広場に向けて放り投げる。それは牽制の意図があり、散らばった明かりに因って正面が一瞬だけ映し出された。それに確信する面は一層顰められた。
 集った生物は魔物モンスター、確実に天井や壁に張り付いて蠢く。四肢の鉤状の爪、身軽故に平然と。だが、それよりも強い印象を抱かせる特徴は別にある。
 双眸が見当たらない、叩き潰したかのような顔面は筋肉を剥き出しにしたかのよう。惨たらしい口から奇怪に伸びる舌。身長よりも長いそれの先端に銛状突起物が備わる。
 見た目で怖気を抱かせる存在が群れを為し、這いながら接近する様は恐怖でしかない。
「アラ・バボル・・・」
 正体を映した火は水溜まりに消え、暗闇が戻る。同時に一斉に動き出す音が聞こえて。
「あんな、大群に・・・あ、あんた!俺なんか置いて、早く・・・」
「余計な事を考えるよりも、今は生き残る事を考えろ!!あれらの相手は俺に任せて、さっさと行けッ!!」
「だが・・・」
 大群に狙われている、もう逃げられないと悟った男性を再度一喝する。今のトレイドに唯一の生存者を助ける事だけしか考えられなかった。
 問答を繰り返しながら闇の中を蠢く魔物モンスターに立ち塞がる。それが動機となったのか、視界を占める闇から群れが蠢き出でた。ぞろぞろと這い寄ってくるその光景は身の毛を弥立つ、硬直しかねない悍ましさを放って。
 負傷者を助けるには圧倒的な戦力差を相手にしなければならない。冷や汗を伝わせたトレイドは鶴嘴を強く握り締めて覚悟を決めた。
 広場から道へと空間は狭まる。それに沿い、這い寄る醜き小人達。上下左右から接近し、最初にトレイドへ行き着いたのは頭上の個体。落下に合わせた襲撃は視界に入っていれば迎撃するには容易く。
 鶴嘴を振るって叩き落としたのだが、それは武器ではない。使用する感触は異なり、嘴部分ではなく、柄部分で打ってしまった。それでは決定打にはならず、手首にも負担を掛けて。
 手首に伝った痛みを抱く彼の足元でもがく姿が映る。その後頭部に向け、鶴嘴を再度振り下ろす。先端が頭蓋を叩き穿ち、地面へ達するに至った。
 鶴嘴を引き抜く間にも群れは壁や天井を這って接近する。続く二体目は壁にへばり付き、伸ばした舌を振り回して襲い掛かる。けれど、その初動を見られており、鋼鉄の嘴に絡め取られ、纏めて叩き付けられる。命を失い、地面へ落ちていった。
 武器が異なり、それも道具であれば当然勝手は違ってくる。重さと遠心力で勢い余り、先端が甲高い音と衝撃をトレイドに齎す。直後、その背筋は凍て付く。あろうことか、壁に突き刺さってしまったのだ。
 慌てて引き抜こうとするも、運が良い事に隙間に突き刺さったのか、死骸をぶら下げたまま微動だにせず。
 その危機は醜き小人達には絶大な好機。勝機と言わんばかりに群れは一斉に襲い掛かっていく。
「クソッ!」
 早々に鶴嘴を諦め、迎撃に転じるも殴る蹴るでは決定打に成り得ない。数体は退けても数が多過ぎた。後方に続く道へ逃げた男性の為にも回避は出来ず、歯を食い縛って耐える手段を選ぶしかなかった。
 首や顔と言った急所を守る彼の身に小柄な生物が降り注ぐ。犬歯同様の歯で噛まれ、傷口を舌先で抉られ、至る場所に激痛が駆け巡る。細長い異物で傷口を、内部を侵入される感触は想像を絶した。加えて吸引されれば呻かずには居られず。
「あ・・・が・・・ッ!!」
 食い縛る歯の隙間から呻き声は滲み出る。全神経が痛みに集中し、全身に力が加わって強張る。重なる激痛は意識が飛びそうに、気絶しかねないほど。
 耐え難い重苦の中、纏わり付く小人を掴む。全力で握り、強引に引き剥がす。噛み付かれた皮膚が引き裂かれ、栓を失った傷口から血が溢れ出す。重なる激痛に苦しみながらも全てを引き剥がし、群れに向けて投げ込む。 
「ガ、ハァ・・・ハァ・・・」
 負わされた無惨な傷口は激痛を発し、呼吸は整えられないほどに乱れて途切れる。伝う血液の流動を肌で感じ、抜け落ちていく感覚を抱きながら数ヶ所に触れて。
 暗闇で蠢く群れに支障は感じられない。引き剥がした際に多少の不快な感触を感じた為、数体は多少の負傷を抱いた筈。それを差し引いたところで状況は不利なまま。
 武器となる鶴嘴は使い勝手が悪く、多大な負傷を負ってしまった。対して、アラ・バボルは数えられないが多数である事は明らか。そうなれば撤退は定石、状況を整える事を優先すべき事。けれど、今はそれは出来なかった。
「まだ、時間を・・・ッ!」
 後ろに続く道、懸命に逃げる男性が居る。たった一人、それでも大切な命。それを護る為に、どんな人物でも護ると決した。なら、此処で撤退は出来ない。再三に請われたとしても揺るがない、頑なな意思で、血に塗れた身体で立ち塞がっていた。
 息を整えるトレイドは鶴嘴が落ちている事に気付き、それを早急に拾う。先の混戦で自身、或いは小人の身体が当たったのか。理由は如何であれ、再び武器代わりのそれが彼の手に納まる。
 再び、武器を手にした時点で考慮する。その面は惑う。その理由は今の状況と彼の考えが物語っていた。
 流血の感覚に伴い、体力や気力も失われるように感じ、額に嫌な汗が伝う。危険だと、大きくなる鼓動の音が警告音のように身体中に響く。逼迫した心境の中、追い立てるように響いた音が更に動悸の音を大きくした。けれど、それは後方から。
「お、おい!何だ、あんたは!?いや、怪我してんのか!?何があったんだぁっ!?」
 後方に続く通路から聞き覚えのある声が響き渡ってきた。何かと遭遇して吃驚したその者は、声を聞いただけで正体が分かった。
「レイザー!?来たのか!良い所に来てくれた!!其処に居る負傷者を避難させてくれ!!」
 救世主が来たと言わんばかりに命令する。急ぐ為、その声は怒鳴るように。
「ああ!?奥にトレイドが居んのか!?一体如何なって・・・」
「説明している暇は無い!さっさとしてくれッ!!」
「あ、ああ!」
 状況の読めなくとも負傷者とトレイドの大声から緊急事態である事を察し、疑問を押し殺して請け負う。
 早急に取り掛かった事を、水音を交えたやや急いた足音や痛みに苦しむ声が遠ざかっていく事で把握する。
「それと、戻って看守を呼んでくれ!!無理なら、武器を持って来てくれ!!」
「如何言う事だよ!?大体、俺達の言う事なんか・・・」
魔物モンスターだ!!頼む、早くしてくれッ!!」
 途中で襲撃を受けるも間一髪で防ぐ。だが、防御に回した左腕に噛み付かれて顔が歪む。
「お、おう!分かった!直ぐに戻ってくる!それまで耐えろよ!!」
 魔物モンスター、その単語だけで全てを理解したのだろう。男性を鞭打って、足早に通路を引き返す音が遠ざかっていった。
「頼むぞ、レイザー・・・くっ!」
 次々と襲い掛かる醜い小人達を打ち払うトレイドは苦い表情を浮かべて零す。負傷した足では思うように動けず、僅かな隙を衝かれてしまった。
 再び纏わり付かれ、それに手を拱く。何度も攻撃を受け、動きが鈍るトレイドの面は更に焦りに呑まれた。
 先の会話、遠退く音、或いは血の臭いから感知したのだろう、執拗に襲い掛かるアラ・バボルを相手にするトレイドの真横を何体かが通過したのだ。それに気付かなかった訳ではない。しかし、止めたくとも邪魔されてしまい、引き剥がした時点で既に手の届く距離には居なかった。
 鼓動の音が強く、心拍数が急激も上がる。一際巨大な音が彼の内に響いた。執拗に襲い掛かってくる別個体を討ち、即座に振り返って駆け出す。その目が、複数の気色の悪い動きで二人に接近する姿を補足する。このままでは二人共々、命を落としてしまいかねない。だが、防ぐ手立てが無く、間に合わない恐れもある。体内を打つ音は更に高まった。
 視界に映る、長くうねる舌。触手の如く不気味に、不愉快でしかない姿を翻し、絶望を模るように二人に接近する小人。飛び上がった光景はまるで浮遊するように、遅く映り込む。懸命に走る二人はそれに気付けず。
 微かに捉えられる薄暗闇の中、距離感も掴み難い視野の中、その光景だけは妙に鮮明に映り、目が一層見開かれた。表情は怒りで満ちていった。
「・・・止めろッ!!」
 無意識に動いていた。利き手が拳を作り、全力で壁を叩き付けていた。その痛みで己が行動に気付いて。
 彼自身でも理解し難い行動であった。壁を殴っても何の意味を為さない事は言われなくとも。だが、その常識は軽々と覆った。 
 輪郭が霞む中、何かが出現し、飛び上がっていた小人を貫いた。それは闇に融け込める黒、円錐を模した物体。それが数少なくとも壁から出現し、串刺しにしていたのだ。
 細く、やや歪に折れ曲がったそれは絶命に至らせなくとも多くを固定した。天井から出現したそれに貫かれた醜き小人は重力に引かれてただ落下する。解放されたとしても痛々しくもがき、吐血と流血で辺りを汚しながら動かなくなる。同様に固定された数体も動きは止んで。
 想定外の展開を前に唖然とするトレイド。後方で待ち構え、何を逃れた小人達も動きを止めて不審がる。傍で突然出現した物体にレイザー達は肝を冷やした事であろう。驚く声が小さく響いたのがその証。
 理解不能な事態を前にして困惑すれど、それに何時までも気に留めている状況ではない。素通りさせてしまった数体を仕留められたのなら好都合と判断したトレイドは群れへ意識を向ける。
 尚も彼の胸の内には当然残る蟠り。納得せぬまま、出現した物体は音も無く崩れ、後も無く消え去っていた。

【5】

 入り乱れて襲撃する悍ましい外見を為すアラ・バボル。岩壁にしがみ付き、立ちはだかるトレイドを喰らわんと、その後方へ逃げた負傷者も喰らわんと駆ける。
 全身に傷を負って立つ彼の足元、相当数の死体が転がる。流れ行く血が流れる水を、地底湖を汚して。
 血の臭い、死臭がその空間を染めつつある中、血を滴らせる鶴嘴を所持するトレイドは激しく息を切らす。負傷による流血、返り血で汚れた身は揺れ、息苦しき状態で戦意を漲らせる。肩で呼吸を繰り返しながらも途切れる事の無い意思で立ち、瞬きも無く接近してくる群れを睨み付けている。
 その傷だらけの彼は、胸に、小さく一つの疑問を浮かばせては、邪魔されて途切れていた。それは先に起きた円錐の物体についてである。
 あれが偶然とは到底考えられなかった。壁を殴った後、偶然にも緩んでいた壁の一部が飛び出し、魔物モンスターを突き刺した。天井から落下した破片が突き刺さったのなら強引に納得出来たであろう。けれど、地面や壁からも無差別に出現していたのだ。
 その後、砕け散って跡形も無くなった事から自然物ではない事は確実。作為的に感じるそれに憶測が巡って。
 新たな傷、激痛を受けながらも迎撃に務める彼の脳裏に一つの仮説が浮かぶ。それは、自分が出したのではないか、そんな根拠の無い考え。思うだけで確信の域に達しかけ、行動源に成り得ようとしていた。

 引き続いて魔物モンスターと戦うトレイド、懸命に足止めをするのだがその実、少しずつ押されつつあった。それは鶴嘴を武器として扱っている為。片手で武器を振るう事が癖となり、振るえば先端の金属の重みと遠心力が相まって隙に繋がってしまう。狡猾にその隙を衝き狙われ、負傷は順調に負わされてしまって。
 それは両手で持って振るったとしても決定打となるのは嘴部のみ。どの道、欠ける点に関しては変わらない。一体倒しても、二体増加されるようなこの状況、幾ら倒しても限が無い。耐久戦でしかなく、終わりを感じられない事に精神は削られていく。
「はぁ・・・はぁ・・・フッ!」
 途切れ途切れの呼吸を整えて力み、襲い掛かる小人の顔面へ鶴嘴の棒部分を叩き付けた。下方へ振り抜いて叩き落としたその顔面、鶴嘴の先端が削いで。
 不意にトレイドの手に嫌な感触が、耳が軋む音が聞こえた。それに目が細められる。望まない予感が過ぎる。攻撃を中断したかったのだが間髪入れない襲撃に拠って叶わず。
 少しずつ後退して侵略する範囲を狭める視野の中、天井を這って接近する一体を捉える。暗闇に乗じての襲撃は、両手で握られた鶴嘴に返り討ちにされる。尖った部分が首筋を貫通し、鮮血を散らす。そこまでは良かった。
 直後、使い古した鶴嘴の柄が悲痛な音を立てて折れる。飛び散る破片が克明に映り、眼前にした彼の表情は蒼褪めた。その側面、容易く折れそうな痩躯が壁に接触し、鶴嘴部を突き刺したまま地面へ崩れ落ちた。
 それによって唯一の武器であった鶴嘴を失った。状況は一変、忽ち絶体絶命な状況に陥る。混血族ヴィクトリアになり、ある程度身体が強化されていたとしても武器が無くては如何しようもない。
 折れた棒切れを手に、眉間に深い皺を刻んで歯噛みする。暗闇の中で僅かに視認した醜い顔は笑っているかのように映り、その屈辱感に更に表情は険しくなって。
 武器が無くなれば好機、群れは一斉に声を上げた。初めて発したその声は締め付けた喉を無理矢理に抉じ開けたような、不快な声。他者に怖気を抱かせるそれで自分達を鼓舞させたのだろう、直後に群れは一斉に蠢き出した。
 接近する群れに前にトレイドは抵抗の手を緩めない。折れた柄で叩き落とすと言った決定打の欠けたそれで撃退する。だが、一度に通路を埋め尽くすほどの物量で押し切られると、対処は出来なかった。
 隙を衝き、大きく口を開いて不揃いながらも鋭利な牙が、防御の為に上がった左腕へ噛み付く。
「グッ!!」
 振り払う寸前で身体にしがみ付かれ、両顎に力を篭めて咬合される。ミシミシと骨が軋む音と共に激痛が発し、呻き声が滲み出す。
「・・・~ッ!このっ!!」
 接近する別の個体を打ち払った後、噛み付く小人の首を鷲掴んで引き剥がす。皮膚、筋肉を引き千切り、流血を伴って激痛に呻きが零れ出す。
 剥がした後に壁に向けて放り投げるもひらりと身体を翻して壁に張り付く。そして、一旦暗闇へ撤退する。それを横目にしたトレイドは表情を荒め、悪しき思考を掠めた。
 それを振り払う間も無く、反撃する合間に別の個体によって左足に噛み付かれた。痛みに耐えつつも引き剥がそうとした矢先、別の小人に両足を纏わり付かれてしまう。抵抗も追い付かず、次々と押し寄せる胸に身動きは出来なくなる。状況は加速度に悪化する。
「くそっ!!離、れろォッ!!」
 全力を振り払わんと叫ぶ。激痛を覚悟で四肢を、身体を動かせども動かない。日々の労働、継続する戦いの疲れ、流血に因っての疲弊感に動きは鈍り、抵抗力が弱まっていた。逃れられず、重さと痛みは増すばかり。
 群れは先までの憂さを晴らすように襲い掛かり、完全に捕縛せんとトレイドの身体に纏わり付く。歪な歯を突き刺し、歪な舌を侵入させて捕食に取り掛かる。
「がっ・・・!ぐ、離れ、ろ!!
 激痛で怯み、力が緩む。一瞬だけ意識が遠退けども渾身の力を振り絞って一体一体を掴み、力任せに引き剥がす。形振り構わず、少々手間取りながらも除去は完了する。
 多くが彼の血と共に宙を舞い、軽々と体勢を変えて着地する。その姿は戦意が萎えようか。余裕綽々とした様子で潰れた声を上げるなど、挑発をするように行い、闇に消えていく。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
 一抹の不安、それに急かされるように押し出すような呼吸を繰り返す。苦痛の只中の意識は薄れつつあり、少しだけだが視界が蒙昧とする。困憊し、判断が鈍りつつある状態。肩の動きが大きく、聞こえるのは自らの呼吸の音だけ。
 相当数のアラ・バボルを相手にした故の疲労、負傷に因る流血が原因。命に関わりかねない状態だが応急処置の止血はおろか包帯を巻く時間すらなく、第一に医薬品すらなく。
「まだ、なのか・・・」
 朧としつつある意識下、鈍った感覚を懸命に研ぎ澄ませて警戒を強める。戦意を必死に保つその口から漏れるのは確かな切欠、応援の望み。
 若く願う一方、諦めは抱かない。薄れつつ意識の中でも力を振り絞る。歯を食い縛り、身を縛る痛みで意識を改めながら今一度地面を踏む。構えを直しながら接近する群れを睨む。暗闇の中でぞわりと蠢いて。
 その彼の耳に音が届く。発信源は後方、道へ緩やかに続く水溜まり、その水が立てた音であった。共に響いたのは足音、人のそれ。間隔が狭く、力強い。誰かが駆け寄っている事を示す。
 正体はレイザー、その淡い望みが脳裏に掠める。それに答えるように足音は後方だがやや離れた場所で唐突に止む。
「トレイドォ!持ってきたぞ!!看守の連中も後から来る!!今渡しに・・・」
「いや!其処から投げろッ!!」
 声を張り上げた人物はまさしくレイザー。彼の声にトレイドは気力を取り戻し、少しだけ身体の鈍化は消えて。その為であろう、指示を送る声が平時以上の力を放っていた。
「な、投げろって、下手すりゃ・・・」
「いいから投げろッ!!」
 困惑は当然、危険な行為に対する疑問で躊躇うのだが直ぐにも喉を傷めるほどの怒号を張り上げた。
 危機的状況を打開する武器を今すぐにでも欲していた。その為に、渡しに来る時間すらも惜しく、当然の躊躇いを焦燥に駆られた大声が押し退けた。
「・・・如何なっても知らねぇからなッ!!」
 一瞬の逡巡は急かし立てられ、意思を尊重するよりも投げ遣りに腕を振るった。手にした武器をトレイドに向けて投擲、風を斬り裂く音が薄暗闇を過ぎていった。
 暗闇に融かされた武器は音を立て、蠢く群れを前にするトレイドの背に接近する。棒状のそれが空を裂き続ける音、回転音は彼の神経を削るように。
 小人の群れが動く、負傷した彼を捕食せんと。天井を、壁を、地面を這って。その背には回転する剣。奇しくもそれは挟み撃ちになって。
 接近する音を聞き分けるトレイドの視界、素早く移動する小人が過ぎる。映る様、投擲された武器に合わせているとは思えないのだが、狡猾に映るのは外見からの偏見と言えるのか。
 投げれたのは剣であろう、後方から僅かに届く赤い光を反射するのは刀身。鋼の抜身が背に接近する。舌が、牙が汚らしく涎を撒き散らして。
「・・・ッ!」
 篭った呻きが暗闇に響いた。零したのはトレイドに飛び掛かっていたアラ・バボル。その肩には棒状の何かが刺さって。
 側面へ身体を逸らしたトレイドは即座に刺さった何かを掴み、力の限りに降ろす。叩き落とす形となり、その矮躯は地面に叩き付けられて暗闇に消える。その後に異物を拒む金属音が響き渡された。再度の宣戦布告のように。そして、わざと剣を擦らせながら振り上げていた。
 刃毀れを起こす行為、何故そんな行動を取ったのか。それは衝動的に行ったのではなく、当人も意図してやった訳ではない。けれど、その行為の意味を彼は理解する。それも直感的に、把握して。
「何か来やがっ・・・!?」
 トレイドの横を数体が通過する。それは駆け付けてくれたレイザーを襲わんとして。接近するそれに彼は咄嗟に戦闘態勢に移る。けれど、次に起きた光景に目を疑った。
 這い寄る醜き小人、その腹部に黒い円錐状の物体が貫いた。余す事無く縫い止めて静止する。
 灯されたその表面、荒々しく鈍く光る結晶体のように多面体を為す。色は黒、中身を透かせない低い明度のそれ。けれど、光は反射する。周囲を取り囲む岩壁とは物質は異なり、掘り出される宝石や鉱石とも異なる。全く別物質の塊が突如として至る処から突き出ていたのだ。
 それが小人を突き刺していれば知らぬ者は仰天しよう。けれど、二回目となるトレイドは冷静そのもの、落ち着いてその事実を受け止めていた。

 今、彼の内で何かが動き出していた。いや、漸く動き出したと言えようか。例えるなら歯車、動きは鈍くとも確実に回り始めていた。けれど、何かが足りないのか、彼の中で上手く噛み合っていなかった。それでも、確かな力として出現して。
 また、二度目の出現により、彼の仮説が確信に変わっていた。その物体、結晶を削り出したような円錐状のそれは自分が出したのだと、自分の能力ちからなのだと。深く考えなくとも理解していた。
 その代償なのか、脱力感や身の内で渇くような感覚を抱く。伴い疲労感が増した。何かを消費したと理解し、倒れそうな意識を何とか保って戦う事に専念していく。

【6】

 事実を受け止める彼の前方で音が響く。即座に醜き小人の群れに対しての意識を固めて、手にする剣を振り上げる。力が抜けつつある身体を尚も鞭打って。
 疲労感を感じる攻撃、刀身は地面を走る。耳障りな金属音を響かし、僅かに削りながら襲い掛かる一体を斬り裂く。肩から胸に掛けて深い切創を与え、その手を止めずに振り上げてやや斜に振り下ろす。
 先の一体の影から飛び出そうとした別個体の面が別れる。両手で握られた一撃によって両断され、力を失って地面に落ちる。その遺骸を踏み付けながら前進し、続け様に三体目の首を突き刺した。
 涌く様に続く群れを前に、死体を振り払ったトレイドは小さく思う。所持する剣に対しての違和感を。だが、別段剣に異常はない。一般的なそれと同様、可も不可もない平凡な武器。けれど、そう感じて止まなかった。
 それに対する思考を広げる暇はなく、群れは一個の生物の如く襲う。其処に逃走の意思はなく、縄張りを侵した生物への制裁を加えんとする勢いが感じられた。
「多い・・・一か、八か・・・」
 一人で対処出来る量ではなく、応援があろうと存分に戦えない狭所。移動する時間も無い。だが、それが返って好機に成り得た。トレイドが確信した能力を行使すれば。
「レイザー!!動くなよッ!!」
 大声で警告し、迫る群れを前にトレイドは剣を両手で持ち、刀身を下方に向けて構えた。
 確信しても躊躇した。もし間違っていれば懸念する悪夢の再現となる。思えば不安が生まれた。だが、それを振り払う。切実に、助けたい、レイザーに被害を及ばせたくない思いで塗り替えて。
 不安を消した脳裏が生むのはイメージ。先の物体、それを無数に作り出す想像。狭き通路、天井や壁からも出現する杭の如き円錐。それが無数の小人を屠る光景。それを実現させると言う強き意志、命すらも掛けかねないほどに強く願って。それは、何時か聞いた聖復術キュリアティや偶々耳にした操魔術ヴァーテアスの極意と一致して。
 彼の願いは現実として現れた。それは切実な願いに対する奇跡ではなく、彼に根付いた能力に基づいた確定した事象として。
 一際大きな金属音が劈いた。瞬間、金属音に似た異質な音が木霊した。伴って衝撃が少し空間を走り、すぐさま沈黙が帰る。その後、景色は変わった。誰もが圧倒される光景が、赤い光によって映し出された。又は暗さに慣れた目が捉えた。
 自然で出来た通路、狭所に異質な物体が無数にも生えていた。それは目に見える範囲外にも届いているであろう、身体を休める隙間すらも許さぬほどに。
 瞬きすらも追い付かぬ間、かなり細く、荒く歪な形状の円錐が通路を塞ぐように伸びる。杭、或いは槍と言い得ようか、視界に映る小人全てを、宙に居た個体すらも貫通して縫い止める。闇に潜んで見えぬ小人すらも貫いたのか、奥からもがく音や呻き声が微かに。
 四肢や背、腹部や顎、頭部と言ったあらゆる箇所を貫通し、鮮血が至る箇所に飛び散り、通路を伝う水は赤く成り果てた。例え、魔物モンスターであろうと、凄惨な仕打ちと言い得る惨景。その一部を目の当たりにしたレイザーは言葉を失い、立ち尽くしていた。
 その目はこの異質な光景を作り出したトレイドに向けられる。恐怖、畏怖の対象を眺める視線は、ゆっくりとその場に崩れ落ちる姿を捉えた。
 結果を見るまでもなく、彼は倒れ込んでいた。身体の内で活発化していた『何か』が放出された直後、体力と意識は急激に失われ、糸が切れたように崩れていた。
 それは未知の能力を行使した代償か、立つ事すらもままならない状態に陥る。不思議と呼吸は出来るものの、極度の疲労感に縛られ、意識は朦朧とする。けれど、それは直接命に関わる状態ではない事は、当人も分かって。
 バシャバシャと水音が跳ねる。倒れた彼の前方、多くの黒い物体で占めた通路、僅かな隙間を縫って接近するのはアラ・バボル。外れたのか、辛うじて躱したのか。確実なのは今のトレイドに反撃は出来ず。
 怒りか、吐血してでも絞り出したような叫び声を上げて醜き小人が襲い掛かる。その復讐は、別の足音、駆ける音の後に振るわれた一閃にて阻止されてしまった。
 狭所を考慮した一撃は醜い顔を分断、勢いのまま壁に叩き付けていた。その死体は地面に転がり、静かとなった。
「・・・ふ~」
 張り詰めた緊張を解く長い溜息の後、間一髪のところでトレイドを救った者は彼の両脇に腕を通すと引き摺り始める。先ずは場所を離れる事を優先して。
 少しの距離だが移動させた後、トレイドを壁に凭れ掛けさせたその者は再度息を吐いた。危機は去ったと安心して。
「・・・悪い、レイザー」
 少しだけだが体力が戻ったトレイド。まだ意識は定まっていないものの、声は流暢に出せる。その彼が紡いだのはレイザーへの感謝。助けてくれたのは他の誰でもない、彼。
「お、おお。まぁ、それは別に良いけどよ・・・」
 困惑が拭いきれない声で返答するレイザー。答えた直後、その空間に異質な音が響き渡る。それに驚いて彼はその方向を確認した。
 彼が持つ松明、その僅かな光があの異様な物体が崩れ行く光景を映し出した。亀裂が刻まれた音が乱れて鳴り、やや顰める音を立てて物体は砕け散っていく。破片と成り、塵と成り果て、跡形もなく消え去る。
 残されるのは醜き小人の群れの骸。死体の山、血の小川が出来上がり、完全に照らされていれば吐き気を催す惨景であろう。
 途端に漂ってきた死臭、血の生臭さ。血液の鉄の臭い、胸を焦がすような異臭が立ち込める。それによって再認識する。通路の奥、あの地底湖の如き場所で囚人と看守の死体がある事を。
「・・・早く、誰かを」
 その事を思い出して立ち上がろうとするトレイドだが、強烈な痛みに苛まれ、そもそも指の動きすらもままならないほど。うわ言の様な声を漏らし、もがくしか出来ず。
 そんな彼の前にレイザーは立つ。物思う表情で対面し、弱るトレイドを眺める。
「・・・如何した?」
 その面に気付き、問い掛けながら顔を窺う。見難くとも迷いを感じ取れた。そう、畏怖し、不可解な思いを抱えた表情。
「・・・お前、魔族ヴァレスだったんだな。瞳に十字架はぇし、そんな雰囲気は無かったからよ、思いもしなかったぜ・・・まぁ、言う訳、ねぇか」
 口にしたのは、魔族ヴァレスを貶す言葉、ではなかった。確認し、受け止めるような言動。訝しむ表情だが侮蔑の念は感じられない。
 そうした言動にトレイドは少しの落胆を抱く。忌み嫌っていると捉えて。
「・・・確かに、言う必要はなかった、からな。だが、俺は魔族ヴァレスじゃない。元は人族ヒュトゥムだった。詳細は省くが・・・混血類ヴィクトリアだ」
 その弁解は単なる詭弁のように聞こえるだろう、出任せかとも思えるだろう。
「・・・それは、良かったな。そんあ事よりも、あんな真似が出来るなんてよ・・・」
 もう既に消え去った無数の円錐、それを指して言葉を零す。其処には恐怖よりも感心が感じ取れた。けれど、トレイドは気付けず。
「お前からすれば、俺も魔族ヴァレスと、変わらないかもな。だが、俺は・・・」 
「んな事は如何でも良いんだよ!お前、あんなの出せんのだったら、早くしろっての!俺に剣を取りに行かせる必要、無かったんじゃねぇのか?」
「如何でも・・・何?」
 漸く関心が異なっている事に気付く。魔族ヴァレスの拒絶を話題にしているのではなく、あの奇妙な能力に対して関心を寄せていた。そして、魔族ヴァレスに対して忌避を感じていない事を察した。
「・・・あれは、俺もついさっき、気付いたんだ・・・それより、魔族ヴァレスに対して、何も感じていないのか?」
「馬鹿か?魔族ヴァレスを恨んで何になる、ってんだ。それよりも、早くお前を運ばねぇとな。すっかり重傷者だしよ」
 疑問は尽きないが、先ずはトレイドの負傷を治す事が先決。此処で長居して新手が来ないとも分からないから。
 応援、他の看守が未だに来ない事に憤りつつもレイザーはトレイドに肩を貸し、ゆっくりと歩き出していく。
「・・・悪い、レイザー」
「悪いって言うより、感謝の言葉を言えよ」
 手を煩わせた事を謝るトレイドに、素直に感謝しろと苦笑するレイザー。二人はゆっくりと道を引き返す。その背に追撃はなかった。

 レイザーの反応が幾分かトレイドの心を救っていた。正体が分かったとしても態度を変えずに接する。それは人柄に依るだろうが、それでも感謝を感じて止まなかった。
 そうした思い、或いは受け止める気持ちが積み重なる事で認識が変わり、常識が変わる。そう捉えてトレイドは表情を少し緩めていた。それは、薄暗闇の中では良く見えず、それでも笑顔である事は間違いなかった。
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