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もう会えないと嘆き、それでも誰かと出会って

思考を縛り、だがそれが全てではなく 後編

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【5】

 あの後、特別房へ送られた二人。一日だけ収容されていた。だが、たった一日、それだけでも苛烈を極めた。心が休まる時は就寝時のみ。それ以外は不当と思える罰を受け続けていた。
 起きると荒れた地面に正座させられ、その組んだ足の上に四角く施工された岩を乗せられる。その状態で静止を命令され、少しでも動けば薄く長い棒で打擲される。撓るそれに打たれると蚯蚓腫れを起こす痛みに苦悶せずには居られない。それでも我慢するしかなく。
 それでさえ拷問でしかないと言うのに昼時まで続けられる。不味いとしか感じない昼食を経た後、また同じ拷問を課せられる。二人は互いの過失に恨みを持つ余裕はなく、ただひたすらに終わる事を願い続けた。
 地獄の如き時間から解放されたのは他の囚人が苦行を終えて部屋に戻っていく頃。丁度鉢合わせ、レイザーに対しては同情の言葉や間抜けと茶化す言葉が掛けられ、トレイドには批難こそ無くとも冷ややかな視線が向けられていた。
 だが、直ぐにも二人の変化に気付く。たった一日と言えど少しやつれた印象を受けた。それだけ過酷であった事を意味し、二人も周囲に反応出来るほどの余力は残されていなかった。今にも倒れそうになるほどにフラフラと部屋に戻っていた。
 周囲の者の反応も蚊帳の外に着いた二人がまず行った行動が、周囲の者を大いに驚かせた。
「・・・今回は、悪かった」
「いや、俺も、悪かった」
 二人が謝ったのだ。しかもトレイドの方から謝罪し、頭を下げていたのだ。受けたレイザーも素直に応じ、同じように頭を下げる。互いに非を認め、謝意を真摯に示していた。
 その光景に囚人達は多少なりとも安心した。そして、トレイドに対する評価も少しばかり改めていた。
 レイザーは本心から謝っていたであろう。無理強いさせたと。トレイドもまた本心から謝っていた。けれど、胸に潜む憎悪が消えた訳ではない。尽きず、更に押し込めただけ。
 とは言え、二の轍を踏むほど愚かでなく、拷問を経験した二人だからこそ繰り返す真似はしない。そうして、泥のように眠りに落ちるのであった。
 そんな二人の眠りを妨げぬよう、囚人達は酒を飲みながら少々抑えた談笑を始め、酒気に浮かされながら眠りに落ちていった。

 それからの日々、二人に、特にトレイドに変化が見られた。先人であるレイザーに関してはほぼ変わらない。場の空気の盛り立て役のように陽気を振り撒き、先輩後輩問わず態度を変えずに接する皆を先導する気は無くとも纏め役を担っているかのよう。それが自然体であり、普段と変わらず。
 対して、トレイドの態度は、囚人達に向けたあからさまな敵意を沈めていた。貶すような発言、侮辱するような態度は慎み、以前以上に無感情に振る舞う。取り付く島もない空気は変わらずとも。だが、その内心は変わらない。煮え滾るような憎悪に蝕まれ続けていた。
 それでも、トレイド自身も薄々は気付いていた筈、分かっていた筈。此処に収容された囚人達の実態は驚くほど平凡に、他と変わらない事に。自業自得であったとしてもこの過酷で苦痛な掘削作業を嫌がり、愚痴を漏らしながらも行う。食事時はその時の料理に感想を述べる。一日の汚れ、頑固で執拗に付着した泥を流し、擦り切れた傷口を洗う。その際に愚痴を零し、耳にした噂を交互に話したり。そうして部屋に戻れば馬鹿騒ぎを起こし、看守に罵倒を飛ばしたり、返したりと。それで口論となって連れていかれたりと。
 一日一日、かなり騒がしく過ぎる。子供とは言えない歳でも様子は若々しく。気分は優れている筈はない。だが、同じ境遇の人間が居る。それだけで乗り越えられる気持ちを持てる環境下。
 これだけで見ても囚人はやはり他の人間と変わらない。罪を犯した、ならば見る目は変わろう。それでも元は変わらないのだ。全くと、言うほどに。それは観察しなくてもトレイドのうちでは分かっていた事。しかし、認められない、譲り切れない部分があるのも事実なのだ。
 どんな人物であれ、此処に居るのは犯罪を犯した者。罪の軽重など関係ない、私欲で誰かを傷付けた事には変わりない。思う彼は如何しても認める事が出来ず、見てしまうだけで頭で分かっていても憎悪が込み上げてしまうのだ。己を戒めて黙々と、痛みと疲れに表情を抑え、振るいたくなる腕を必死に抑えて。
 そんな中で転機が、立場にしても、心にしても訪れる事もある。それは時として試練として、有り触れた切欠として。

【6】

 時間は瞬く間に流れ、トレイドが高山地帯に送られて一週間がもうじき経とうとする。特別房に送られた事を差し引いても、あと数日の期間。
 相も変わらず、他の囚人達と接しようとはしないトレイド。黙々と自身に定められた課題に向き合ってこなす。作業の弊害の手の平の傷は癒えぬまま痛みだけが増し、そして慣れてしまった。重く縛り付けてくるような疲労感と筋肉痛にも。
 振り下ろす鶴嘴が奏でる音はもう五月蠅く感じられない。採掘の際の余分な動作が排除されるほどに扱いが卓越していた。
 平行して、スコップの扱いや手押し車の運搬、篩に掛ける早さも格段に上がってしまった。決して嬉しくない進歩を薄く実感しながらトレイドは日々を過ごす。気持ちを抑えて。

 信頼する事など出来ない、細い木材での補強を傍に、遥か遠くまで反響する掘削音を奏でる。両腕に伝わる振動と後方から聞こえる異口同音する騒音を耳に、トレイドは溜息を零す。ゆっくりと鶴嘴を下ろし、窪んだ箇所から零れ落ちる小さな破片を微かに眺めて思い馳せる。
 囚人から離れ、頭を落ち着かせて物を考えてみれば、自身の異常さに見詰め合える事が出来た。
 確かに、俺は憎い。誰かを容易に、簡単に傷付ける様な人間なんて。ましてや、あの屑のような、父さんと母さんを手に掛けたあいつのような人間なんて・・・見てしまえば思いが止められなくなる。別人、なのに、見れば止められなくなる。怒りが込み上げてくる。記憶に縛られるなと言っても、俺自身が縛られている。思考を遮る記憶、居なくなっても見えなくなっても、何処までも忌々しい。何時まで、俺はあの男に苦しまされなければ、ならないんだ・・・
 咄嗟に両腕に強い衝撃が駆け抜けた。不意の衝撃で腕は一瞬にして麻痺し、反発と共にその手から鶴嘴が放れる。足元に虚しい音を立てて転がり、自重を前に傾けていた為に前のめりになり、慌てて踏み込んだ。壁に手を着きて転倒から免れる。
 ゆっくりと体勢を戻し、微かに痺れ、痛みが伝う両手を確認しながらゆっくりと首を振るう。溜息を零す、其処に自身への苛立ちを篭もる。ゆっくりと鶴嘴を拾い上げ、再度目の前の壁に向き合って振るった。

 退屈でしかない、掘り出した土砂の選別を終え、全て放棄してきたトレイドは溜息を吐き捨てた。徒労に終わった、それではなく。
 時間が流れるのが長く感じ、退屈に欠伸さえも零す。手押し車の車輪が耳障りな音を立てる。途中に差し掛かる道の先、次に使う約束を言い渡された囚人に引き渡す事を思い出した矢先であった。
「ん?」
 何かの違和感に気付き、足を止める。神経を広げなければ気付けなかっただろう、設置する足裏から感じ取れるそれから。
 揺れ、意識しなければ気付けない微動。そして奥から何かの物音が響いてきた。前方、炭鉱窟の奥から響いたそれにトレイドは胸騒ぎを抱く。振動と音、山の中で考えられる事は限られる為に。
 気の所為とは断じれないそれに進む足は速くなる。徐々に聞こえ出す物々しき音、声に鼓動の音は高まる。急ぐ足は駆け足に、迷走する杞憂は定まっていく。現場に行き着く前に騒然とする場所に通り掛かった。
 篝火の僅かな光に照らされる坑道に土煙が舞う。その狭き空間、囚人達が慌しく駆け回る。焦る言葉が飛び交う。それは責任を押し付け合ったり、呼び掛ける声であったりと様々に。
 その明らかに緊急事態である傍、青い制服を着る看守達は実に面倒そうな表情を見せる。面倒事を前に煩わしいと言う態度で眺める事しかしない。
 一見して異常事態を察したトレイドは一番近くに立つ看守に駆け寄る。
「おい!一体何があったんだ!?」
 大声で話し掛ける。上下関係など関係なく問うと、初老に差し掛かる男性は実に煩わしそうに反応する。
「何を慌てているんだ?お前。落盤か何かが起きたんだろ?」
「ら、落盤だと!?」
 考え得る危機に息が詰まる。死者が出てもおかしくないそれを聞けば驚かない筈がない。だが、看守はさも有り触れた事だと言わんばかりに楽観的。それには怒りが湧こう。
「それで、被害は!?如何なっているんだ!?」
「そんな事知るかよ、俺が」
「ッ・・・!」
 幾ら囚人達に被害が及ぼうと自分達に無ければそれで良い、そんな考え方を見せ付けられ、トレイドは激しく憤って噛み締める。
 身の内に込み上げる義憤を抑えて周囲を確認する。囚人、そして看守の数を目測でも数えて。数など詳しくは知らない。だが、数えるまでも無かっただろう、明らかに囚人の数が足りていなかったのだ。
 逸る思いの中、立ち込めた土煙の奥から人影、囚人が現れる。身体の至る所から血を流し、巻き込まれた事は明らかであった。
「おい!被害は!?他に巻き込まれた奴は居るか!?」
 直ぐにもトレイドは動く。出てきた囚人に駆け寄って問う。その剣幕に負けて圧倒された囚人は口を開いていく。
「しょ、正直分からない。掘っていたら突然崩れた、落盤が起きたんだ。俺は巻き込まれなかったから、出てこれた・・・そう言えば、俺より奥に何人か居たと思うが・・・」
「クソッ!!」
 大まかの情報に悪態が零れる。最悪の事態だと焦り、すぐさま奥に向けて駆け出していく。
「おい!!誰か居るか!返事をしろ!!」
 声を張り上げ、居るかも知れない生存者に呼び掛ける。闇雲に叫んで生存を確かめて奥へと急ぐ。
 トレイドの頭に囚人を、犯罪者を嫌悪する感情は消えていた。その身を突き動かすのは焦燥感。命が喪われている、その緊迫した状況が犇き続けていた思いなど簡単に吹き飛ばしていた。
 浮かぶのは助けたい、救いたい真っ直ぐな、純粋な意思しかない。命、其処に違いなど無かった。
 看守であろうか、誰かの制止の言葉が彼の背に叫ばれた。けれど耳に届かず、僅かな土埃の中に駆け抜けていった。

【7】

 振動と、落盤の風圧の為であろう、進み行く道端にはあっけなく倒された篝火が悲しく燃える。土煙が立ち込める中、それだけを頼りに奥へ進む。
 土埃は進むに比例して濃くなり、識別が困難になった事で崩落地点の付近に来た事を悟って足を止めて目を凝らす。呻き声か崩れ続ける瓦礫か、何の音か全く分からない。何処からともなく聞こえる上、道が幾多に分かれている為に場所が選ベず、だからこそ五感を研ぎ澄ます。
 霞む視界の中、影響が残っているのか、まだ崩れているのか、付近から瓦礫を崩すような音が聞こえる。トロッコ用の線路が金属音を時折鳴り、それを頼りに駆け足に近付く。すると辛うじて人影を視認して駆け寄る。
 傍まで近付くと、その誰かは流血する額を押さえて表情を歪ませ、近くでは誰かに肩を貸して何とかその場から離れようとする姿だと識別した。
 その後方、道を完全に塞ぐ瓦礫の山が出来上がっていた。今迄の努力を文字通り踏み潰すそれは主道を潰し、横に逸れていた道すらも飲み込んでいた。その付近で人影が複数あったのだ。
「動けるか!?手を貸そうか!?」
「お、お前は・・・」
「如何なんだ!」
 駆け寄ってきた人物がトレイドだと知り、警戒した囚人だが彼の剣幕に圧倒されて言い掛けた何かを呑み込んだ。
「お、俺達は何とか。だけど、巻き込まれた奴が何人か居る」
「そうか!なら、早く広場へ行け!そっちは被害がない。それで無事な奴を呼んできてくれ!」
「だ、誰がお前の・・・」
「良いから呼べ!!それまでは俺一人でも救助する!」
 一瞬、命令じみた指示は拒否されそうになるが強引に言い渡す。今は今迄の柵など関係ない。人命が優先だと言わんばかりに怒鳴り付ける。それによって素直に従わせる事となる。
「わ、分かった。頼む」
 そう押され気味の囚人の一人は広場に向けて歩き出す。他の誰かを引き摺るように。
 その者に続き、比較的軽傷の者達は避難していく。重傷者は取り敢えず落盤地点から離れた位置へ移動させる。それから、一刻も争うであろう巻き込まれた者の救助に取り掛かる。
 正面を塞ぐ瓦礫周辺に人は見られず、巻き込まれた者も見えない。若しくは下敷きになった、そう不安が浮かぶ。だが、今瓦礫を撤去していく状況ではない。枝分かれした道、その一つへ駆け出す。
 咄嗟に取った篝火の破片を手に薄暗く落ち込んだ道に踏み込むと途端に壁に遮られてしまう。其処は窪んだ場所でない。崩壊した事は明らか、崩れ落ちる岩々に巻き込まれて木材が見える。そう、空洞を補強していた物。
 道を押し潰す傾れた瓦礫の山、その下方で何かが動く。苦しむ声を漏らし、人である事は間違いなかった。そして、救助する最初の人物が良く見知った者であったのは偶然が過ぎた。
「レイザー・・・」
「・・・やっぱり、お前の声だったんだな」
 不機嫌そうに声を漏らす彼、崩れた瓦礫に足が巻き込まれたようで動けず。此処に来たトレイドに対し、かなり不機嫌そうな態度を示す。先の会話が聞こえており、あの出来事は尾を引いている様子。
「何だよ?俺を笑いに来たのかよ。良かったな、鬱陶しい奴が痛い目しててよ」
 吐き出されるのは挑発。自らに起きた不幸に対する怒り、こんな姿を見られた屈辱に声は大きくなる。何より、喧嘩を売られた者に見られた事が悔しくてならなかった。
「何処を挟まれている?足か!?怪我しているのか!?もしかして、潰れているのか!?」
 その挑発、トレイドの耳には届かない。今は些末な事など意識に入らなかった。レイザーの状態を案じて畳み掛けるように問い、多少圧倒する。
「ああ!?何でお前に言わなきゃ・・・」
「さっさと言え!!お前の他にも助ける奴が居るかも知れないんだ!!」
 事態は一刻を争う。下らない問答をする時間など無い。それを分からせる為の一喝が薄暗闇に響き渡る。
 危惧し、急くトレイドの気迫に押されて怯んだレイザーは瞬きを繰り返す。
「・・・右足だ。痛みはそんなにしないが、挟まってて動けない」
 トレイドの気持ちを多少なりとも察したのか、気持ちを抑えて状況を伝える。其処で見せる不安。次々と逃げ出す様子を見たり、声や音が聞こえた筈。その中で取り残されていたのだ、心細い思いであったに違いない。
 レイザーの様子、状況を確認する。両脚は瓦礫に呑まれており、左足は自由が利く様子。悔しさに吐いた嘘はなく。
 即座にトレイドは踵を返す。飲み込んだ瓦礫の大きさから人力では動かせず、除去する為の道具が必要と即座に判断して。
「お、おい!待て、馬鹿!此処まで来て逃げるなよ、おい!!」
「道具を取ってくる!もう少し我慢してくれ!!」
 直ぐにも不安から呼び止める声が叫ばれる。理由と励ましの声を残してトレイドは駆け出す。

 道を引き返したトレイド、直ぐにも光源になる篝火の残骸を目に留め、駆け寄る。霧散した、猛々しく燃える薪を数本拾い、周辺を見渡す彼は焦燥感に包まれていた。
 その姿は冷静に状況を見定めて行動を起こしているように見えても、誰かの危機を前に気持ちは焦ってばかりであった。まだ他の救助者が現れない事も重ね、道具を探す目は忙しなく動かされた。
 急く思いが危うく見逃しそうになりつつも鶴嘴を捉える。避難する時に置き去りにされたのか。如何であれ、数本のそれを拾い、直ぐにもレイザーの元へ引き返す。
「も、戻ってきた・・・」
 戻って来た姿にレイザーは安堵の息を零していた。見捨てられなかったと、半ば泣き出しそうな顔となって。
 か細く、点々と灯った薪を置いて光源とし、鶴嘴を梃子として瓦礫を退けていく。総崩れにならぬよう、細心の注意を払って岩を退ける。レイザーに更なる苦しみを与えぬように、汗を伝わせて息を切らす。急ぎながらも慎重に。
 一瞬の油断も出来ない作業を行う様子を間近で眺めるレイザー。手を休めぬ姿勢を見て、彼は小さな笑いを零す。
「何で、笑った?」
 小馬鹿にされたと捉え、手を休めないまま問う。
「いや、あのまま置いてかれるのかと、思ったからよ」
「そんな真似、出来るか」
 方や命に関わる状況、方や見捨てられぬ性格、互いに探った訳ではないが本心を語り合っていた。
 深刻な状況下、一時も気の抜けない二人の面は真剣そのもの。命を背負った姿、負わせた重圧に神経を張り詰める姿を前にレイザーは口を閉ざす。
 顛末を黙し、息を潜めて見つめる。ある程度瓦礫を退け、これ以上の加重が掛からぬよう、挟まらぬように隙間に鶴嘴の柄が突っ込まれる。二本ほど差し込み、それからも慎重に瓦礫を取り除く。
 神経を擦り減らし、疲弊した肉体を更に酷使しながら繊細な作業をするトレイドは一瞬たりとも気を緩めない。怪我しようと、腕が震え出しても休まない。一刻も救う、その思いで動く。
 時間が経つほどにトレイドの気持ちは逸り、レイザーの不安は強まる。自然と張り詰める空気の中、二人は助かる希望を切に願っていた。
「そうか・・・」
 あれだけ他人を、此処に居る囚人全てを忌み嫌い、近付く事さえも良しとせず、一方的に辛辣な罵倒を繰り返した人物が、今はその囚人の為に危険を投げ打って救助に取り組んでいる。再び落盤しないとも限らないと言うのに。正義感に通ずるものを感じ取る。
 助けると言う純真な意思に突き動かされる姿を目の前にしたレイザーはその意思を感じ取る。見つめるその胸に怒りは既に無かった。あるのは、そう出来る精神に驚嘆し、そして感心していた。同時にその姿勢に少しだけ切なくなった。
「・・・お前は、そう言う奴なんだな・・・」
 物悲しげに呟く。作業を続け、傍らに瓦礫を積み行く姿に、如何言う人物か、如何言う性格かを理解し、笑みを小さく零す。駆け付けてくれた喜びとは違った、安心が胸に込み上げて。
 状況に応じて臨機応変に対応するのが人。器用ならば尚更に。不器用な人間は本性を表し、自身を隠そうとは出来ない。また、緊急事態になれば人は自分を見せる、本来の自分を見せるのだ。詰まり、関係なくとも囚人に怒りを寄せるのも、率先して誰かを救おうとするのも彼なのだ。

 トレイドの頑張りが実を結び、レイザーの救出に成功する。巻き込まれたその身は打撲こそ多いけれど軽傷であり、挟まれた右足も大した事も無かった。
 トレイドが肩を貸し、二人三脚の形で主道に行けば、状況は一変していた。何時の間にやら、他の囚人や一部の看守達が救助を行っていたのだ。
 皆が手を合わせ、怪我人の搬出や瓦礫の撤去、二次災害の防止と言った作業を、その場で一番経験を感じられる看守の指示の下で行われる。初動こそ迅速でなくとも、こうした協力もあってか、人に対する被害は無かった。死者は奇跡的に居らず、この日の労働はその時点で中止とされ、皆が生きていた事を喜ぶ時間となっていた。
 その喜びの端、尚も干渉を避けるトレイドの周りに賞賛の声が一つ二つと存在した。それは彼の心に変化を少なからず齎していた。

【8】

 落盤事故から一日が経過した。被害に遭った囚人達の手当も程々に済まされ、その囚人達も含めての復旧作業を命じられていた。
 事故の原因は補強が甘く、その間隔が甘かった事が原因と定められ、自業自得であり、後始末は自分達でしろと言う意向で議論は終了した。
 その理不尽な決定に囚人達は当然異論を述べるのだがそれは聞き届けられなかった。罪を犯した者に決定権、最早人権が無いと言うかのように。
 けれど、看守の中には少なからず責を感じている者も居り、積極的に瓦礫撤去や補強、その指示に行っていた。
 そうして主道の修復は始められる。最低限の人数で行われ、他の者は通常の掘削を行う。トレイドは修復作業に宛がわれ、その瓦礫の撤去を進める。その隣には偶然にもレイザーが居て。

 修復された篝火が落盤事故現場を照らし出す。大規模なそれでなかったようで、天井付近の瓦礫を退ければ向こう側を確認するが出来た。多少の空間が存在すれど、直ぐに行き止まりである事を自然で出来た岩壁が主張する。行き止まり付近での発生が被害が少なかった事に繋がったのだろう。
 腕を組み、怠ける者が居ないか見張る看守の監視下、若い看守と混じって囚人達は修復作業を進める。瓦礫を撤去し、ある程度除けたそれを外へと運ぶ。再度の落盤が起きぬように頑強な補強を施しながら進めていく。
 その作業に組み込まれた二人は気まずい空気の中に居た。トレイドの心象に多少の変化があろうと、レイザーが多少理解したとしても、そう簡単に解り合える事は無い。中途半端な理解が逆に互いの歩み寄りを妨げていた。
 一際大きい瓦礫が出現し、二人は協力して取り除こうとする。与えられた道具を使うのだが中々上手くいかず。ならば周囲の瓦礫をもう少し除くしかなく、手分けして掘り出す。その折りであった。
「なぁ・・・ちょっと、聞いても良いか?」
「・・・ああ」
 気まずき空気を払拭するように話し出すレイザー。除去する片手間に行おうとする会話、気を紛らわせようとするそれではない事を、真剣な面持ちから察する。
 反応したトレイドは無視せず、手にした瓦礫を傍らに置きながら耳を傾ける。
「お前は、何で、俺達が嫌いなんだ?」
 その問いにトレイドは一瞬手を止める。触れて欲しくない事柄、記憶を詮索され、無表情に近き表情に怒りが宿る。
「・・・多分、何かの犯罪に巻き込まれた、って所なんだろ?どんな内容か聞かねぇが、思い出したくねぇって事は、何となく分かる」
 推察し、その考えを口にする。聞かされる内にトレイドの内に静かな怒りは燃え立つ。殺気すらも込み上げてしまう程に。
「その上で聞いてくれねぇか?良い訳じゃねぇけどさ、俺の身の上話をよ・・・」
 胸が引き裂かれるような苦しい顔で彼は語る。彼にも辛い経験はある。それを語ろうとする表情に、トレイドは手を止めて眺める。胸の内に燻る怒りは少し治まって。
「俺にはよ、妹が居たんだ。歳がちょっと離れてて、兄ちゃん、って言って何時も後ろに着いて来る妹がよ。可愛くて、仕方なくってよ・・・」
 そう語る彼。妹の事を想い語るその表情は悲しいまま。家族自慢をする表情でなく、今迄そのような話を聞かなかった事が次に語る事を想像させた。
「でもよ、俺等の親は屑だった。再婚したあの屑共は俺等で憂さ晴らしをする毎日だった。他の奴等は助けちゃくれない。俺は、妹を庇いながら、日々を過ごしていたんだ」
 虐待を受けていた事を告白され、トレイドは言葉を失う。急激な表情変化、抱いた憎悪、殺意は時間が経っても少したりとも風化はしていない様子。いや、消える筈もなく。
「屑共の食い扶持、酒代の為にバイトさせられていた。だからこそ、その金を少し引き抜いて密かに溜めていたんだ。あの屑共から逃げる為に、妹を守る為に、必死に・・・」
 その日々、考えるだけで殺意を思い出すほどの苦痛の連続であったに違いない。聞かされ、横目にするトレイドは抱いた憎悪を忘れるほどの感情や形相に、自然と眉間に皺が寄る。
「虐待に必死に耐え、何とかある程度金が溜まった。屑共が居ない時を見計らって逃げようとしたんだ。でも、運が悪かった。あの屑に見付かって捕まった。一瞬で目論見がばれて殴られそうになった。妹を守ろうとして、庇った時だ」
「何が、あった?」
「あの、『異変・・』に巻き込まれたんだ。訳も分からない内に、この世界に来ちまったんだよ」
 それはトレイドも強烈に記憶する現象、今迄の日常の全てを破壊したそれ。そして、虐殺の跡を思い出し、後悔に囚われる。
「今でも、訳が分からねぇよ、あんなの。何が起きたのか、分かる筈もなく俺達は呆然とするしかなかった。他の奴等も一緒に、何が起きたのか全く、分からなかった。でも、直ぐに現実に引き戻された。状況が、変わったからな・・・」
「・・・魔物モンスターか」
「・・・ああ。大群じゃなかったが、それでもな。訳も分からない内に襲われ、もう辺りは大混乱だ。ただただ呆気に取られる俺等にも魔物モンスターが近付いてきた、襲い掛かってきたんだ」
 トレイドが巻き込まれた時、骸骨型の魔物モンスタースケェイストに襲われたように、レイザーの時もその悲劇は起きたのだと知る。
「俺は妹を守ろうとした。それしか考えられなかった。でも、出来なかった。あの屑が!俺を押し退け、妹を囮にしやがったんだッ!!」
 張り裂けそうだった感情が一気に破裂した。その場に響き渡らせる怒号を吐き、居合わせた全ての者を驚かせて振り向かせる。直ぐにも看守の注意が飛び、誤魔化すようにトレイドが作業を再開する。
「屑の行為に殺意が湧いたが、放り投げられた妹を助けようとした、したんだ!でも・・・俺の、目の前で・・・ッ」
 声が途切れる、怒りが切れる。途端に感情を占めたのは悔しさと悲しさ。目の前で救えなかった理不尽な現実を呪い、流涙で頬を濡らす。
 肉親の裏切り、そして実の妹を助けられなかった無力さに嘆く姿を見て、トレイドは言葉を失い、強く歯を噛み締める。似た苦しみを経験した身、感情移入して。
「それから記憶は途切れた。気付くと、俺はベッドの上、救助されていた。『異変』に気付いた、先に来ていた奴等に助けられて、セントガルドに運ばれていたんだ」
 合間に相槌を打つ事すら出来ず、難しき顔でトレイドは聞き止める。戦慄く手を、悲しみを思い出す横顔も見逃さず。
「俺は・・・直ぐにも妹の事を聞いた。でも、近くに居た子供は助からなかった、だから埋葬した、って聞かされた」
 言葉に出来なかった。最愛の実妹、救えなかった悲しみは表現など出来ないだろう。
「・・・途方に暮れる、ってあの時の事を言うんだろうな。如何でも良くなった。天の導きと加護セインクロスの人間に傷を治された後、フラフラと外に出て、暫く、徘徊していた。ただ、ただ歩いていた」
 空虚に包まれた表情は次第に怒りに満ちる。怒りを思い出し、握り締めた拳が瓦礫を打ち付けた。
「そんな中で、俺は、あいつと、あの屑ともう一回会った!娘を囮にして一人助かろうとした、あの屑とッ!そしたら、あいつなんて言ったと思う!?」
「レイザー・・・」
手前てめぇも生きてやがったのか、って言いやがった!!悪びれも無く、ヘラヘラとして!まるで、同類を見付けたような顔で、言いやがったんだッ!!」
 衝動的に瓦礫をその場に叩き付ける。思い出せば、まともな思考を失う程の憎悪に駆られて。静かに言い宥めても、再度看守に怒鳴られても、その耳に届いておらず。
「・・・それから覚えてねぇ。次の記憶は、目の前の瀕死なあの屑が横たわる姿。大勢の人間に囲まれ、数人から押さえ込まれていたぐらい・・・」
 力が失われる。その場に崩れ落ち、感情の全てを吐き出し、何もなくなって。それは結果的に復讐を果たしたと言え、その実感もないままに現実を受け入れなければならない空虚感。
 最近漸く受け止め始めていた、それを掘り起こしてしまった事を理解してトレイドは俯く。
「・・・その後、法と秩序メギルに連行され、犯行理由を洗いざらい話した。信じてくれるとは思ってなかったが、事実と判断してくれた。結局、あいつは死んでなくて、情状酌量の余地があるとして、今の罰で留めてくれて、此処に居る訳だ・・・」
 苦しい空気が漂う。重き空気は看守に耐えられなかったのだろう、必然的に聞いてしまった彼はゆっくりと離れていった。
「・・・他の奴を庇う、弁解する積もりはねぇが、心の底からの屑は此処には居ねぇと、俺は思ってる。本当か如何かは知らねぇが、それぞれに事情があって此処に居る奴等なんだ。だから、まぁ、そんなに嫌わねぇで居てくれたら、助かる」
「・・・分かった」
 返す言葉は少なく、それでも重く受け止めて言葉にした。彼の話を真実と受け止めた事も含め、改めてトレイドは犯罪者は同じ人間である事を認識する。罪を犯したとしても、その者自体をを否定する事はあってはならない。レイザーのように衝動的であり、仕方ない時もある。
 それこそ、知ろうともせず否定するのは魔族を否定する事と何ら変わらない。それを思い返し、肝に刻み込むように銘じてトレイドは彼と向き合っていた。
「・・・でよ、そろそろ教えてくれても良いか?何して、此処に来た原因をよ」
 苦しき記憶と振り返った彼は巨大な溜息の後、割り切ったような明るき表情で鶴嘴を扱う。身ほどの巨大な瓦礫を梃子の原理で漸く除けていた。
 それを見計らい、運び易い形に砕いたトレイド。その面は険しいものの、怒り等の感情は無く、迷いを感じられた。挟んだ独白は長く、沈黙と取れた。
「んだよ、まだ、教えてくれねぇのか」
 やれやれとした様子で不満を零す。迷い込む横顔からこれ以上の無理強いは出来ないと思って。
「・・・俺は、魔族ヴァレスを助けただけだ」
 小さな声で返答した。迷った挙句、歩み寄る姿勢を言葉として表した。
 受けたレイザーは一瞬静止する。少しの間の後、小さく笑い出し、失笑に繋がった。それでも派手には笑わず、抑えた笑い声が暗い坑道に響く。答えた本人は恨めしそうに睨み付ける。
「あれだな!お前って、本当に変わってるよな!あいつらを助けるなんてさ、変わり者にもほどがあるぞ!」
 笑い混じりに語るそれに嘲笑が混じる。彼にも偏見が植え付けられる事は確か。しかし、今は関係なかった。意外だが納得出来る行動が面白く。
「・・・ふー、で、もう一つ。そろそろ、名前も教えてくれよ」
 涙を浮かべた彼はもう一つ問う。それに少し気を悪くしたトレイドは面倒そうに溜息を零す。
「・・・トレイドだ」
「よっしゃ!やっと教えてくれやがった!よろしくな、トレイド」
 それは和解と言って良いだろう。確かなそれにレイザーは喜び、声を弾ませて駆け寄る。顰めた顔に差し出されるのは手、握手が促される。だが、顰めた面で睨み、応じず。
「おいおい、拒否するなよ。まぁ、良いか」
 拒否され、苦笑を浮かべるのだが朗らかに受け止めて作業を再開する。その折の二人の表情は砕けて。嬉しさに、恥ずかしさに。少しだけ、少しだけでも距離は縮まって。

 どんな人物でも互いに手を取り合う事は難しい。それが誰かの涙を流させた人物ならば尚更に、抵抗は生まれよう。しかし、真に反省し、真に悔やんだなら。心は、心底から腐っていなければ、手を取り合えるのだろうか。
 罪は償い切れず、一生に背負わなければならずとも明日に生きる以上、進むしかない。ならば、やはり手を取り合わなければならない。
 手を差し出す、その人は少ないだろう。抵抗し、躊躇するだろう。それでも、長所、短所を知り、分かり合えるならば共に歩き出せる。それをトレイドは改めて知った。まだ、譲る事が出来ない部分があっても、少しだけ心は揺れ動き、少しずつ変化が生まれていた。
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