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もう会えないと嘆き、それでも誰かと出会って

願いと約束、彼は雪道を進む

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【1】

 月日は水の流れのように、緩やかでも軽やかに流れた。川の如きその流れは、揺らめいて静々と降り続く雪を程よく溶かす。
 そう、恩人を喪い、失意に暮れていたトレイドを再び立ち上がらせるには十分な時間が過ぎた。奇妙な懐かしさを抱く雪に少しばかり癒され、熾烈な戦いの末、一握りだとしても命を救えた経験が生きる気力を奮起させていた。
 雪に囲まれた地にて再び満身創痍となった彼。だが数日の内に傷は自然治癒で消え去った。それは混血族ヴィクトリアとなり、治癒能力が向上した結果である。些か、その事を不気味に感じつつも受け入れていた。
 過剰と思える治癒能力による弊害、不調は感じられず、平常になったと彼は認識する。ならばと率先して仕事に取り組み、少しずつでも魔族ヴァレスに受け入れられつつあった。
 彼にそれを目的とする意図は無い。住む場所を与えてくれた、命を助けられた、その恩に報いるように、ただ飯を喰らう気持ちには到底なれず、それでも脳内に浮かぶ自責から逃れるように仕事を請け負って。
 その中でも気力が保たれていたのは魔族ヴァレスに認められ始めた事が全てであろう。命を賭け、助けたとは言え、因縁は消えず。それでも彼の何も求めない行為が、信頼を勝ち取りつつあったのだ。
 確かな手応えとも取れるそれの他、彼は魔族ヴァレスと会話を交わす度につくづく感じていた。人族ヒュトゥムと何ら変わらない事を。確かに異なる特徴、瞳に多様な十字架模様が刻まれていたり、聖復術キュリアティとは異なる能力を持つなどはある。しかし、会話、意思疎通する事は当たり前に出来る。多少の違い程度で不快感を抱く事などなかった。
 そもそも、恐れたり、憎んだりなど言った感情は全く抱いていない。何故、人族ヒュトゥムが疎外するのか、そうする意図が如何しても理解出来なかった。
 蘇る遺伝子記憶ジ・メルリアには他種族を憎悪する気持ちを発起させる、洗脳に近い不可解な記憶が刷り込まれたとしても、普通は信じないだろう。所詮は知らぬ記憶なのだから。思い浮かんだのは、大衆操作に似た何かが起こったのだと。
 様々な憶測が浮かべども、仕事の忙しさに追われ、少しずつそんな思いは消えていった。

 その日も変わらぬ量の降雪が村にも降り注ぎ、幻想的な光景は周辺に展開される。足を止めるほどでなくとも、時折横目に見てトレイドは村の中を奔走する。今は家の修復に専念して。
 多くの建物が欠損、或いは損失した。住居が無ければ頭を抱えずには居られない。一刻も早く、修復或いは再築が優先される。その点についてサイザから言われなくとも、気付けば手伝っていた。内心では少し苦手意識を感じながらも。
 誰かが切断し、四角くなった木材を数本担いで運搬、大工の真似事を行ったりと慣れない作業を行い、離れた場所で小休憩を行っていた。
 村の中の数ヶ所では同様の作業が見られる。その光景から視線を移せば美しき銀世界が広がる。地面を覆い尽くす純白の穏やかな起伏、僅かに生えた葉の無き枝を蓄えた樹木、見える山々や空でさえも白一色。全て、何もかもが白く埋め尽くされる。
 包み込む、何処までも白く柔らかい様から無垢な印象が強く。そんな光景を眺め、トレイドは小さく溜息を零す。休息の為の時間はあっと言う間に流れていった。
「・・・さて、ん?」
 数分程度休み、仕事に戻ろうとした時、近付く誰かに気付いた。
「休憩中であっただな?丁度良い、少し時間を割いて貰おう」
 その者は村長サイザ、手には風呂敷が持たれる。
「ああ、構わないが、何かあったのか?」
「それよりも、まだ昼はまだだろう」
 そう言って、風呂敷を広げて包んでいた物を差し出す。薄く切られた肉、干し肉であったそれを数枚挟んだパン。共に瑞々しい野菜が挟まれた、軽食と思えるそれが二つ。
 香辛料が振られているのか、仄かに漂う香ばしさに鼻を擽られたトレイドは受け取る。
「ありがとう、頂こう」
 受け取った軽食を食す。冷めたパンは少し硬く、干し肉はやはり硬くて噛み千切り難く。香辛料の香りと瑞々しい野菜の触感は良く、すんなりと喉を通っていった。
「・・・それで、俺に何か用があったのか?」
「・・・いや、全体的な進捗状況を確認する序でに昼食を渡しに来ただけだ」
「そうか、ありがとう」
 序でだろうが、その思い遣りに感謝を告げる。腹も膨れ、十分に身体も休息出来たトレイドは感謝を述べたその足で仕事に向かっていく。去り際、再度サイザを眺めた。物耽るような難しい表情に疑問を抱けども、足は止めずに仕事に取り掛かるのであった。
 立ち去るトレイドの背を、一度振り返った顔を眺めたサイザは神妙な面持ちを浮かべる。何を思ったのか、或いは何を案じたのか、小さな溜息を零し、踵を返して立ち去って行った。

 時間は経過し、陽が没する時間帯となる。修繕作業に一段落が着き、間借りするサイザの自宅にトレイドは帰ってくる。その足取り、様子は自宅に帰るように自然に。
 冷え込んだ外から室内に踏み入れた彼はまず息を吐く。薄暗闇の中に発生された白い吐息は空間に融ける。それを見るまでもなく、身を包むローブを脱ぎ、傍の衣服掛ける。付着した雪を払い、形を整えて。
 そうして向かうのは暖炉。石造りの其処は既に薪を五つほど抱き、暖かな火が燃え立つ。その御蔭で部屋の内は暖まり、赤い明かりが齎されるのだ。
 暖炉の火を借りて両手を暖める。冷えて悴んだ両手にじんわりと伝わる。その心地良さを感じながら視線を移す。
 傍に置かれた食卓には食器が数点、台所には作られる途中の夕食が見られる。シチューと思しきそれは甘い香りを放ってコトコトと煮込まれる。
 それを確認し、部屋の中を一通り眺めようとした時、開扉音が聞こえた。視線を向けると玄関にサイザを発見する。
「戻ってきていたのか」
「ああ、今さっきにな。何か手伝おうか?」
「ん?そうだな。では配膳を頼もうか」
 衣服に付着した雪を払う彼は了承し、受けたトレイドは料理を配膳していった。

 食事も程々に済み、暖炉に薪が焚べられる傍、トレイドは使われた食器を洗う。
 トレイドの背を見つめ、難しい表情のサイザはゆっくりと席に戻る。そして、重く口を開く。
「・・・少し、良いか?」
 老人特有の嗄れた声から真剣さを存分に感じ、丁度洗い終えたトレイドは相応の態度で振り返る。
「分かった。少し、待ってくれ」
 確認した彼の表情から深刻な話だと推察し、食器を片す手を速めた。
 数分後、トレイドは対面側に腰を下ろす。向き合った彼は変わらない表情。
「・・・それで、大事な話なのか?」
「そうだな」
 尋ねると彼は頷いて答える。火の明かりだけでも顔から心境が読み取れた。悩む様子ながらも受け入れるような諦めが見える。
 その神妙な面持ちに思考を巡らせる。複数の考えが浮かんだ処で特定は出来ず、次の言葉を待った。
「お主、此処を出て行きたいと、思っておるか?」
 その言葉を受け、トレイドは心の内を見透かされたと、胸が打たれる衝撃を受けた。
「・・・ああ、そうだ」
「やはりな」
 肯定するとサイザは納得した様子を見せ、深々と溜息を吐き捨てていた。
 ここ数日、トレイドは思い悩んでいた。この村の問題は解決されたと見做せる。だが、それでトレイドの待遇が変わる事は無い。以前、ガリードに手紙を送り、それが届いたと言う言葉は聞いた。なら、欲が生まれる。そう、会って話したいと言う気持ち。
 けれど、此処から出る事は叶わない。強引に出る事は出来ても、それは此処の人物を不快と不安にさせるのみ。それだけは、人の気持ちを踏み躙る事は出来ない。故に、縛られるように踏み止まり、どうしようもない葛藤を胸に日々を生きていた。その思いを的確に指摘されたのだ。
「何で、分かった?」
「見ていたら、何となく分かるとも」
 そう指摘され、小さく苦笑が浮かんだ。年の功、又は観察眼であろうか。流石に年長者には、人生の先駆者には勝てず。
「・・・出来ない事は分かっている。だが、それを改めて言わなくても俺は・・・」
「出ていくか?」
 言われ、トレイドの目が少し見開かれた。完全に意表を衝く言動、言われるとは微塵とも予想しておらず、驚きを隠せなかった。
「・・・本気で言っているのか?」
「ああ、解放しようと言っているのだ。なんだ、信じられないのか?」
「ああ・・・」
 信じられないのは、急に手の平を返すような事に対してではなく、部外者を簡単に解放する事への疑問、その危険性に対しての疑問から納得出来ずに。
「本当に、良いのか?俺は部外者だ、そんな危険を・・・」
「自身の命を投げ出してまで儂等を助けてくれた者が、儂等を売るような事をするのか?」
「するか!する訳がない!」
「なら良いだろう」
 その判断に納得しかねて表情は暗い。それは多大な信頼、だがそれが重く圧し掛かって。
「言っておくが、儂の一存で決めた訳ではない。多くの者が認めたのだ。これも、お主の行いの結果、信頼を勝ち取ったと言う訳だ」
「だが・・・」
「・・・実の処、お主の事を良く思わない者も、少なからずは居る。その者達の主張もある」
 行いを前にして変わる思いもあれば変わらない印象もある。その主張にトレイドは少しばかり納得出来た。
「それも、そうだな」
 少しだけ空気が落ち込む。一朝一夕で激変する訳もない。多少は見方が変わったとしても、すぐさま全幅の信頼を寄せる事も出来ないだろう。それ処か、更に疑惑の念を深める者も居るかも知れない。理解出来るからこそ、思い悩み、遠ざけてしまうのだ。
「ともあれ、だ。何時、出発してくれて構わない。それはお主の自由だ」
「・・・なら、明後日にしよう。朝に出発する。それで明日は世話になった者に挨拶して回ろう」
 少しだけ考え、そう口にする。それにサイザは小さく頷く。少々悲し気な表情を浮かべて。
「そうか、そうすると良い。だが、そうなると寂しくなるな」
 しんみりと語る表情にトレイドは小さく苦笑する。
「今直ぐ出て行く訳じゃない、今から寂しがっても意味がない」
「それも、そうだな・・・さて、そろそろ寝るとしようか」
「もうそんな時間か。ああ、そうしよう」
 気持ちの整理を着けるように寝る事を選択して各々立つ。まだ夜は更け込んでいないものの、別れを惜しむように就寝に至る準備を行う。
 ベッドの上で横になった時、流石にトレイドも少しばかりの寂しさを覚える。けれど、直ぐに訪れた睡魔には抗う事はしなかった。

【2】

 朝、鳥の囀りが聞こえてこないこの地、その一ヶ所で構えられた村にてトレイドは起床する。既に身支度を終え、食事を終えていた。サイザを見送った後、彼は部屋の中を掃除していた。
 立つ鳥跡を濁さず、それを体現するように入念に行い、数時間掛かったものの満足のいく様子に仕上げていた。
 小さな疲労感を上回る達成感を篭めた溜息を零した彼、身をある程度整えた後に外へと繰り出す。目的は適度な手伝いの後、挨拶して回る為に。

 薄い黒を鏤めた曇天の空、彼方に見える陽は傾斜の角度を変え、もうじき昼時を迎えようとしていた。その時頃、様々な作業は一旦休止し、昼食に移る。それはトレイドが手伝う現場でも同じ。
「そうか、出て行っちまうんだな」
「ああ、短い間だったが、世話になったな」
 作業が一段落し、その現場の傍で立って軽食を摂るトレイド。並んで食事する数人と会話を行う。少し別れを惜しむ顔を浮かび、それにトレイドは小さく喜んで。
「とんでもない、お前にはかなり助けられたからな」
「ああ、オークの一件もあんたが居なきゃ、如何なっていた事か」
「大した事はしていない。倒せたのは偶然、運が良かっただけだ」
「また、そんな風に・・・」
 謙虚に感じる言動に数人は困った表情を浮かべる。自信を損失している彼はその積もりは無いのだが、如何してもそう映ろう。普段は不敵な様子でも、自身の事になると卑屈な態度になる。それの差に少し周囲は困惑して。
「しかし、急だな。何か用事があるのか?」
 その疑問は尤も、出発するにはあまりにも早い決定である事は誰しもが思おう。
「特に用事は無いが・・・友人やギルドに無断で出てきた形になっているからな。一応手紙は送ったが、直接会って安心させたいんだ」
 村を後にする理由はそれのみ。加えて言うならば、魔族ヴァレスの不安を取り除きたいと言う思いだろうか。
「そうか、確かに安心させないとな」
「偶にはこっちに来るのか?」
「・・・それは分からない。一度戻ったら、こっちに戻る事は難しくなるかもな」
 事情は告げなければならない。それが広まれば、法と秩序ルガー・デ・メギルにも届くだろう。魔族ヴァレスを問答無用で捕えようとした点を踏まえると、監視下に置かれる可能性もある。なら、不用意にこの村に来る事は出来ないだろう。
「・・・それも、そうか。なら、暫く会えなくなるな」
「そうなるな。だが、また会える筈だ」
「そうだな。しんみりしても仕方ない」
「だから、快く送り出すのが筋ってもんだ」
「だな」
 しんみりとした空気はトレイドの旅立ちを汚さぬように、奮い立たされた思いが吹き飛ばす。寂しき思いは誰しも、送り出す様子は様々でも快く送られるのは嬉しく。
「ありがとう。それじゃ、このまま他の人間に挨拶して回る。皆、身体には気を付けてくれ」
 包み紙を傍の焚火に放り込んだ後、別れの挨拶を告げて立ち去っていく。その背に、見送りの言葉、励ましの言葉が掛けられていた。

 再建現場から離れ、目に焼き付けるように村の風景を見渡しながら歩いている折であった。
「お兄ちゃ~ん!」
 そう、可愛らしく、活発的な幼い声が何処からか聞こえる。その声に反応し、周囲を見渡すと駆けてくるティナの姿を発見する。
 雪道を転ばぬよう気を付けながら進む姿の後ろ、セシアの姿も発見する。武装しており、所々汚れている為、狩りを終えた直後であろうか。
「ティナ、セシア。こんな時間に一緒に居るのは珍しいな」
「うん!そろそろお昼御飯にしようとしたらね、帰ってきたんだよ!」
「出てくる気配がなかったからな、今日は早めに切り上げたんだ」
 残念そうな表情と嬉しそうな笑み、兄妹の様子を見て頬を少し緩ませる。
「丁度良かった、二人に挨拶をしようと思っていたんだ」
「挨拶?わざわざ探していたのか?」
「何で?」
「明日、この村を出て行く事にしたんだ。だから、世話になった二人に言わないと思ってな」
 率直に告げると二人は即座に驚きを示す。急に出て行くと言われたならば当然か。
「・・・村長からあんたの事で相談を受けた事があったから、何時かは出て行くと思っていたが・・・急だな。何かあったのか?」
「嫌になっちゃったの?」
「そうじゃない。外に行きたい思いは常々あったんだ。連絡はしたとは言え、いきなり居なくなった訳だからな・・・心配、させてしまったからな」
 目を細め、物思う表情からその心中を大体察し、兄妹は寂しげな面を俯かせる。
「そうか、まぁ、仕方ないな。お前は元々セントガルドの人間だからな」
 少し冷めた口振りだが別れを惜しむ様子は見て取れる、妹のティナの至ってはかなり落ち込んでいる事は一目瞭然。
「・・・で、でも、時々来るよね?」
「悪いが、難しい。ちょっと、関係が悪いからな。直ぐには来れないと思う」
「そ、そうなんだ・・・」
「・・・まぁ、トレイドもあっちで忙しくなるかも知れないし、我慢しろ」
 更に落ち込む妹を、頭を撫でながら慰める。状況を知る彼は納得させるように促して。少女は理解してか、小さく頷く。それでも不満げに。
「そう落ち込むな。また、必ず来るから」
「本当?」
「ああ」
 その言葉はその場凌ぎの言葉ではなく、本心から告げたもの。それが分かったのか、表情を少し明るくして力強く頷いた。
「まだ挨拶をしている途中なんだ、そろそろ行く。呼び止めて悪かったな」
「いや、それよりも元気でな」
「病気とか、しないでね?」
「二人もな。あまり、無茶をするなよ」
 そう言い残してトレイドは立ち去る。二人の無病息災を願いながら、自身も願われながらまだ交わしていない誰かに会いに向かっていった。

 大よその住民と別れの挨拶を交わした彼はクルーエの自宅に赴いていた。途中、同居している小母さんと出会い、少し意味深な言葉を掛けられながら、その玄関先に立っていた。
 ノックを行うが、室内から人気はしない。数秒待てども変化はなく、留守と判断し、また来ようと振り返った時、やや遠くに誰かを発見する。
「クルーエ?外に出て大丈夫なのか!?」
 見えたのはクルーエ、何かを入れた袋を抱えている点から外出していた事は確定する。血色は良く映るのだが一度倒れた身、心配を抱えてしまう。
 駆け付けて心配する彼の様子に彼女は少し驚き、直ぐに楽しそうに笑みを零す。
「ふふ、そんなに心配しなくても、少しぐらい動いても大丈夫ですから。私だけ休んでばかりも悪いですし」
「それなら、良いが・・・」
 無理している様子ではないと、食材を抱えた彼女を眺めて判断するトレイド。それでも心配は拭い切れず。
「昨日はありがとうございます、薪運びを手伝ってくれまして」
「気にしなくても良いと言っただろ?助け合わないとな」
 昨日も同じような遣り取りをした二人だが、二人共気にしておらず。
「それでトレイドさんは私に用があって着たのですか。でしたら、中に・・・」
「いや、用事は直ぐに済む。声を、挨拶をしに来ただけだからな」
「挨拶を、ですか?」
 その発言の意味を図りかねて疑問を少々。単なる挨拶をしに来た訳ではない事は薄々感じて。
「ああ、明日、俺は此処を出て行くんだ。だから、世話になった皆に挨拶をしている。とは言っても、全員には声を掛ける積もりだが」
「そ、そうなんですか・・・やっぱり、出て行くのですね・・・」
「友人やギルドにも顔を出したいんだ、心配を掛けてしまったからな。それに、俺が居ると、気が休められない奴の為、でもあるな」
 自分の考えを素直に告げる。悲し気な表情は更に暗さを増す。まるで自分が悪いと思い込むように。
「ごめんなさい。私の所為で・・・」
 自信を責める言動にトレイドは少し苦笑する。
「君の所為じゃない、寧ろ助けられた。だから、自分を責めないでくれ」
 そう告げても、自分が巻き込んでしまったと思って止まないのだろう、食材を抱える腕の力が少しばかり増す。
「だから、出て行く前に、君には挨拶はしないといけないと思っていたんだ。とても世話になった。感謝してもし切れない」
「い、いえ、そんな事は!私の方も、トレイドさんに助けられて、感謝が尽きません」
「とは言え、出て行くとしてももう二度と会えない訳じゃない。直ぐにとは言わないがまた来る積もりだ。もし、何かあったら連絡をくれ。状況も状況だが、可能な限り駆け付けて、助ける」
「・・・その時は、お願いしますね」
 真摯な思いからの宣言を受け、彼女は一呼吸を置いて返事を返す。もし、その時は来て欲しくないのは誰しも。そう思っての事か、複雑な表情をやや斜に構えて。
「君にちゃんと告げられて良かった。身体には充分気を付けてくれ」
「・・・はい、トレイドさんも如何か、気を付けてください」
 深々と頭を下げるクルーエ。丁寧に見送られながらトレイドは立ち去っていく。見送られる背、やや切なげな視線が向けられるのだが気付かずに。

 その後、如何しても会えなかった者以外には挨拶を終えたトレイドはサイザの自宅に戻っていた。途中、作業等の手伝いを行い、時間はすぐさま流れ、着いた時には夕焼け時であった。
 食事の支度が行われるであろうその時頃、彼もそれを手伝う気持ちで室内へ入る。すると、目に飛び込んだのは食卓の上、多少豪華な夕食である。まだ途中ながらも、それは何時もの食事とは異なるのは明らか。
「ん?ああ、戻ってきたか」
「何かあったのか?」
「何を言っている?お主が此処を去るのだ、少しは豪華にしようとしているのが分からんのか?」
 今し方最後の料理を終え、食卓に運ぶサイザが語る。彼にしては当然の振る舞い、もてなしであったに違いない。
「俺の、為なのか・・・」
 よもや、振る舞ってくれるとは思わず、感動と言うよりも戸惑いが強かった。
「さあ、食べようか」
「・・・分かった」
 少し困惑しつつも応じ、少なくとも今までとは遥かに豪華な料理に手を付けていく。そのどれもが美味しく感じる。味もそうだが、感謝の念が仄かに感じ取れるような優しい味であった。
 食事の間、二人は多くを語らなかった。サイザは静かに食事を食しながら、物思う表情で時折トレイドを眺める。当人は食事を噛み締め、今後の事を煩悶し、杞憂を巡らし続けていた。
 静かに、それでも心温まる空気が広がる中、食事は恙無く進んだ。その時間、焚火の燃え立つ音色、窓の外で舞い落ちる降雪のように、その時間は実に穏やかに流れていった。
 終えた後、使用した食器を洗おうとしてサイザに断られ、明日に備えてゆっくり休めと促される。少々不服そうにしたトレイドだが、応じるしかなく、身体を清め、就寝に至っていた。
 出発する前夜、暫く感じられないであろう魔族ヴァレスの村のベッド。それを楽しむ訳ではないが、存分に身体を預けて目を閉じる。
 ゆっくりと遠退く意識。今後の憂いを考えながら眠りに就く。この暖かな感触を忘れない事も含めて。

【3】

 静けさの中で迎られる朝、少しだけだが魘されて起きたトレイドは身支度を済ませる。身体を解し、防具を装着し、ウェストバッグを腰に取り付けた。そして、所有する剣を手に取って。
 そして、部屋の中を見渡す。懐かしさを感じる家具、寒い土地では必要不可欠の暖炉のある部屋を一通り。最後に、餞別として受け取った上着としてのローブを着込む。外見として見れば、魔族ヴァレスの一員に見えよう。
 忘れぬよう、別れを惜しむように眺めて思いを募らせていた時、不意に冷たい風に煽られて身震いを起こす。窓を確認すると僅かに揺れ動いている事に気付く。少し隙間が空き、冷たい風が入り込んでいた。気付けば閉めるのは当然の流れ。その折りに窓の外が映り込む。昨日と同じ銀世界、それを焼き付けるように少しの間眺めて。
「・・・さて、行くか」
 気持ちを定め、傷付いた硬質のグローブを装着しながら部屋を後にしていく。後にする部屋は世話になる時と変わらぬ様子が保たれる。最低限の感謝の気持ちを篭めて。
 隣の居間と玄関を兼ねた部屋、朝早くの其処はまだ薄暗く、サイザの姿も無い。暖炉の火は消え、冷え込んで息は白む。出発の日には少々寂しく感じようか。
 外に出れば、部屋を包む冷気よりも冷たい風に煽られる。身を刺すほどのそれはもう慣れたものか、様子は変わらず。それ処か、逆に心地良さを抱くまでに。
 眼前に広がる雪化粧を施した光景にトレイドは足を止める。見ていて飽きは来ないのだろう。気が済むまで眺望したい思いもあろう。次に眺める機会が何時来るのか分からないのだ、ならばと、この目に焼き付ける為に二、三歩前に踏み出して眺めようと欲を出して。
 ゆっくりと見渡す。周辺から遥か遠方まで隅々と降り注ぐ積雪、そして降雪がとても綺麗で仕方がない。すっかり見惚れ、時間が過ぎていく事が忘れてしまう程に没頭して。
「やれやれ、見送りをさせずに出て行く積もりだったのか?」
 忘我する彼の背に唐突に声が掛けられた。それで我に戻って振り返ると、玄関の扉を開いて立ち止まるサイザの姿が映った。送迎する為、或いは朝早くの為か厚手に着込む。やや困った表情ながらも憤りを感じられて。
「・・・起きて、いたのか」
「そうだな。その為にお主よりも早く起きて、待っていたな」
 去る事を告げていた為、このまま去る事に違和感は感じていなかった。けれど、よくよく考えればトレイドの行動は人知れず立ち去ろうとしたと取れる。その為、サイザは不満げに。そう、顔と声に変化は無くとも静かに憤って。
 先の言葉を受けてトレイドは気付き、申し訳なさそうに表情を曇らせて視線を逸らす。
「・・・すまない」
「この時なって気付くとは・・・」
 呆れるような口振りと溜息はトレイドの胸に鋭く強く突き刺さった。
 自らの行動を悔いる傍、気まずい空気が流れてしまう。会話は途切れ、重い圧のように彼の身に降り注いで。
 閉口した二人の頭上、今もなお雪が舞い落ちる。柔らかに、頭や肩に落ちる。音も立てず、ふわりと。その柔らかさが、存在も気付かせない軽やかさが空気を少しずつ引き戻すかのように。
 溜息を零した後、傍の道を眺めた。道とは思えない白い光景が続く。何処を見ても雪が広がるのみ。積雪の高低差によって緩やかに、それでも下降していく景色が映る。見つめるトレイドの目は寂しく。
「・・・以前お主に教えた、魔物モンスターが出現する場所の先を進んでいけば下り道にまた差し掛かる。そのまま突き進んでいけば、この地帯から抜けられる。其処から沼地、それからは分かるだろう」
「そうか・・・」
 戻したトレイドは振り返り、サイザと目を合わせた。別れを告げずに去ろうとした事、それは失礼の何物でもないと改めて考えて。
「・・・短い間だったが、世話になった。身体に、気を付けてな」
 掛ける言葉を考えたのだが、在り来たりな言葉しか思い浮かばず。
「・・・ありがとう、信用してくれて」
 それは外に出してくれる事への礼ではない。人として、認めてくれた事に対して。邂逅した時に拒否された記憶を消すほどの喜びを胸に。
「礼など・・・お主の様な人族ヒュトゥムが他にも居れば、本当に、良かったのだがな」
 笑みが零される中、不意に悲しみを表情に映したサイザ。小さく嘆く言葉には万感の思いが宿る。
 その言葉にトレイドは共感して眉を少し潜める。
 知らぬ記憶、自分のものではないそれに左右される者。それを信じ、隣人を煽り、何も考えずに平気で誰かを傷付ける連中。誰もが魔族ヴァレスに不信感を抱く。その中で思い遣れる誰が居て欲しいと、切実に思って。
「居る筈だ。絶対に・・・居る、筈だ!」
 呟くような声で、それでも切願して発言する。淡くとも、虚しくとも、言葉にせずには居られなかった。
「・・・居たとしても、儂等は・・・」
 過去にも居たのだろう。それでも塗り潰されたと言いたげに。その呟きにトレイドの表情は更に曇る。
「・・・だからこそ、お主のような者が架け橋になってくれるか?」
「・・・俺が?」
 その願いにトレイドは耳を疑う。種族間の仲介役になってくれと言われたのだ、遥か未来に繋がりかねない役割に困惑するのは当然。それも、何かしらの長ではなく、一介の人間に対してなのだから。
 その言動もまた、サイザの切願でもあろう。誰しもがいがみ合う環境など望んでは居ない。その思いは大いに理解出来る。だが、仲介する、和解させる自信など彼には欠片程無かった。
「・・・確かに、このままで居るのは間違いと言うのは分かっている。話し合える、気持ちを伝え合える・・・だが、俺には・・・」
「お主は、誰かの為を思い遣れる人間だ。お主の誠心が、儂等の、魔族ヴァレスの心を解してくれた。お主なら人族ヒュトゥムの心も動かしてくれる、そう思うのだ」
「・・・本当にそう思っているのか?」
 俄かには、その言葉を信じられなかった。そこまで信頼してくれる事にも疑問が湧くと言うのに、喪わせてきた自分が多くの者の心を動かせるとは思えなかった。
「お主一人だけに背負わせる気はない。誰かに協力仰げるのならそうしてくれ。儂等も、認識を変える程度しか出来んだろうが、微力でも協力する」
 その言葉を受け、トレイドは思い悩む。個人でも、例え微力でも現状を変えようと努力している。その姿を見て、覚悟を決めない訳にはいかなかった。
「・・・セントガルドで運営されているギルドがある。人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーと言うギルドに、俺は所属している。その名に恥じない、行いをして見せる・・・!」
 本心からの宣言、数日間、共にした彼だからこそ、短い間ながらも双方の特色を知る者だからこその発言。力強く、それでも内心は不安が隣在して。
 命を助けて貰った恩返し、現状を改善したい思いとは別に、犇めく感情は諦めから来る不安。知らぬ過去から決別せず、行いを戒めぬまま、繰り返すのではないかと言う危惧。それを振り払うように、顔を引き締めた。
「そう、言ってくれると思っておった」
 最早、迷いはないと言うように、安らかな表情で溜息を零す。迷いが消え、毅然たる視線を受けて小さく頷く。
「・・・気長に待つとする。だから、あまり気負う事は無いからな」
 しかと託すと告げる。改めて受けたトレイドは更に面を引き締め、小さく息を吐く。最後の迷いを捨てるように。
 見合っていた二人、サイザがゆっくりと手を差し出す。それは握手を促して。
 気付いたトレイドは応じて静かに握った。若者同然の強さに少し驚きつつも、相応の力で握り返す。それは別れを惜しむものではなく、遠い日の再開を強く期待しての力であった。合わせる二人は微笑を浮かべて。
 後腐れなく手は放され、雪道を踏み締めて立ち去る背を、十字を宿した瞳が見送る。託される思いを胸に刻み、若い足は滑らぬ強き足取りで。

 雪は直ぐに消える儚いものであり、薄命の美しさが際立つ。だが、時として人に試練を与える。冷気はもとより、重積した重み、加圧の低摩擦が、様々な姿を以って、人のみならず数々の生物を苦しめる。
 彼に与えられた試練はかなり酷であり、困難を極めよう。火なるものを持たせず、己が身一つで雪原を溶かせろと言わんばかりに。
 無理難題である事は言うまでもない。身を犠牲にしたとしても状況が悪化する恐れは多分に。けれど、彼は諦めないだろう。まだ、自責の念を乗り越えたとは言えなくとも、歩む足取りに揺らぎは感じらず、前を見据える目に今までにない力が宿っていたから。
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