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知らない地、異なる世界

慣れ始め、ふと立ち止まって

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【1】

「そろそろ、この世界での生活、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの一員としての生活にも慣れた頃かな?如何?山崎、ガリード」
 二人の日常が激変しておよそ一ヶ月ほど経過した。彼等にとっては目まぐるしく、そして混乱を極めた期間だった筈。その心境を問う質問が、朝を迎えて程良く経過したセントガルド城下町、町の一角に構えられた人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの施設の内にてなされていた。
 数少ない明かりが射し込む場所、施設の中央に設けられた広場で休憩する山崎とガリード。にこやかなレインに尋ねられ、ガリードは瞬きを繰り返し、山崎は少し過去を振り返る。
 仕事を得られず、気晴らしに稽古を行い、その休憩で備わるベンチに腰掛ける姿はすっかり順応し切っていると言えようか。
「もう、バッチリっス!!すっかり順応しまぁっ!」
「五月蝿い!隣で叫ぶな」
 先に返答しようとしたガリードの顔を、迷惑そうな面の山崎が押し退けた。二人のその遣り取りにレインが小さく笑いを零した。
「まぁ、大体は慣れたと思う。初めて出会う事ばかりで戸惑ったがな。戦闘に関しても及第点は得られているとは思う」
 順応の速さもまた、遺伝子記憶ジ・メルリアが作用しての事だろう。そうでなければ混乱を極め、適応には更に時間を要した筈。個々の性格、個体差もあるだろうが。
「俺もバッチリっスよ。退屈しないっスね、此処って。んで、レインさんやユウさんの手伝いも出来て嬉しいっスよ!」
 自信満々の笑顔を浮かべてガリードは答える。力に為れて嬉しいのは本心からの台詞だろうが、その台詞が信じられないと言うように山崎が少し睨んで。
「・・・最初は、隣の阿呆に勝手に入れられたが、今は概ね満足している。案外、誰かの役に立てるのは気分が良い」
「だろ?俺に感謝しろよ、こんな良いギルドに入れたんだからよ」
「するか、阿呆。お前は身勝手にし過ぎるんだ。我儘し放題で振り回されるこっちの気にもなれ。何時俺に断りなく、俺が拒否しても関係なく進めるんだ?少しは、痛い目に遭った方が良いか?」
 まるで自らの手柄のように、自分を称えろと言わんばかりの態度を前に、山崎は積年の恨みを吐き出す。それに並行して彼の胸倉を掴み、少し震える握り拳を見せ付ける。様子に大きな変化はないが、恐喝の言葉を受けたガリードが苦笑いを浮かべて宥めようとする。
「ま、まぁ、その落ち着けって。お前だって、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーに入って良かったろ?怪我の功名、みたいなもんだろ?楽しくやれてるし、良いだろ?」
「それとこれとは問題点が違う」
「二人共、すっかり慣れてくれて僕も嬉しいよ」
 震え上がり、恐怖して説得する様子と、怒りに友人を殴ろうとする様子を前に、レインは仲が良い、微笑ましいと笑顔を浮かべる。その反応に、山崎は深い溜息を吐き捨てて気持ちを抑えた。
「大体、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーは如何なっているんだ?機能しているとは言え、仕事で常に同僚は何処かに出払って、リアすらも不在。レインやユウに任せ過ぎじゃないのか?」
 矛先を変え、自分が所属する組織の在り方に疑問を呈す。気分を紛らせる意味合いも含ませているが、前々から感じていた事が口に出ていた。その質問に当人は笑顔を見せる。
「心配してくれてありがとう。確かに、人手が足りなくて多忙を極めてて殆どが出払っちゃっているけど、そのフォローしている分には僕自身は不満は無いよ。寧ろ、満足しているからね。だから、山崎が心配する事は無いよ。ステインの力に慣れているって感じるし、仕事の管理から始まって皆と日々言葉を交わしたりするのは充実感を覚えるからね!」
「本人が満足しているんなら、別に良いが・・・」
 発言通りの達成感と充実感を存分に感じる満面の笑顔を前に、疑いを掛けた自分を恥じるように疑いを取り下げる。
「僕達の仲間になって一ヶ月ぐらいだけど、入った事、後悔しているの?」
 疑いや不安は所属した事への後悔と捉え、申し訳なさそうな面で尋ね掛ける。それに小さくたじろぐ山崎。急ぎ、相応の答えを探る。
「・・・いや、そうじゃない。さっきも言ったが誰かの役に立てるのは心地良いし、案外、性に合っているのかも知れないな」
 そう口にする山崎だが、自身を客観的に見つめてもいまいち確信を持てないのだろう。肯定する様子に感情の機微が感じられず。何処か、虚ろな感じさえも匂わせた。
 その微小な違和感に気付いたのはガリードだけ。彼の横顔を見て、眉を小さく顰めさせて怪訝に思う。けれど、深くは考える事をせず、直ぐにも放棄していた。
「それに・・・」
 囁くように零した声は途中で聞こえなくなった。口にする事を憚り、止めてしまったのだ。抱いた感情はまだ口に出来ず、硬く心中に閉ざしてしまう。
「ん?如何した?」
「いや、それよりもお前は如何なんだ?」
 僅かに聞こえたそれに反応されるのだが、誤魔化して話題から忘れさせる為に先の話を振る。
「俺?聞かなくても分かってんだろ?人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーに入れて大満足に決まってんだろ!」
「如何だかな。何も考えずに俺を巻き込むだけ巻き込んで、全責任を押し付けて何処かに消える奴が、なぁ?」
 その台詞をかなり満足気な面で語る彼を、野次を飛ばすように疑いの眼差しを向ける。今迄の経験からくる猜疑心を隠さずに。
「俺だって、誰かの役に立てるのは嬉しいぜ?」
「それも如何だか」
 更に疑いを掛け、ガリードの親切心や正義感を否定するような冷ややかな視線を向ける。その彼は妙に自信満々に立って、山崎の疑いを否定していた。
 二人の遣り取りを前で見つめるレインは楽しそうに微笑む。友人同士の遣り取りに頬を緩める彼だが、その表情には別の感情が滲んでいた。懐かしむような、羨むような僅かに切なさが。
「慣れているようで良かったよ。あの日、森林地帯で見付けられて本当に良かった」
 その台詞に、二人は当時の事を思い出して苦い表情となる。
「・・・ああ、そうだったな。突然、周りの景色が変わり始めたと思ったら、荒れ果てた場所に立っていて・・・」
「訳の分かんねぇ内に魔物モンスターに襲われ、何とか倒しながら生き延びて・・・」
「何時の間にか森林地帯に踏み入っていて、ローウスに襲われて・・・死にそうになったな」
 次第に表情に影を落とす二人。鮮明に覚えてしまうほど死を覚悟したのだろう。それも無理もなく、植え付けられた恐怖に身震いを起こす。
「でも、レインさんが俺達を助けてくれたお陰で今も生きてるんスよ!感謝してるっス!!」
「ああ、確かにな。あの時、偶々通り掛かってくれなかったら、俺達は此処には居なかった。だからこそ、こうして役に立てられて嬉しく思っている。本当に感謝している、レイン」
 だが、その窮地を救ってくれた嬉しさが恐怖に勝る。感謝の念を再び抱き、改めて礼を述べて頭を下げる。それに、レインは照れを見せた。
「僕は人として当たり前の事をしたまでだよ。お礼なんて、しなくてもいいから。それよりも、僕の方こそ二人に感謝しないとね」
 感謝を受けて照れ笑いを浮かべてレインもまた感謝の念を見せる。それに二人は疑念を抱いて眺める。
「同僚になってくれて二人はまだ日が浅いけど、ちゃんと自分の役目、責任を自覚して勤めを果たしてくれている。お陰で、随分と仕事が捗っているんだ。だからね、感謝しているんだよ。僕達の仲間となってくれて、本当にありがとう」
 改まって語り、多大な感謝の意を篭めた台詞に二人はそれぞれに反応する。とても偉そうに胸を張り、嬉しさを全面的に見せ付けるガリード。冷静を装えども、小さく笑みを零して嬉しさを零す山崎。
 出会ってから時間が経ち、その間で培った信頼関係を確かめるような会話を経て、その場には和やかな空気が流れる。笑みが自然と零れる心地良い風も流れていた。
「んじゃ、そろそろ良くっスね。ガキ共に飯を作る約束してるんで」
 褒められてほっこりとした表情のガリードはそう言って立ち上がる。稽古を行った際の清々しさも連れて後にしようとする。
天の導きと加護セイメル・クロウリアに行くんだね。シャオも頻繁に行っているようだし、僕も顔を出してみようかな?」
「良いっスね、それ。あ、でも、かなり元気っスから、遊びにかなり付き合わされるかも知れないっスけど」
「更に楽しみだね」
 子供の無邪気さ、元気さを想像してレインは楽しそうに微笑む。彼もまた子供が好きなのだろう、その時の事を仮定して何か持ってこようかと思案する仕草を見せる。
「俺の時は・・・あまり懐いてくれなかったがな」
 山崎もまた、合間を見て手伝いに行った事がある。しかし、苦手意識を持たれてたのか、遊びに誘われなかった事を思い出して溜息を一つ。それに苦笑するガリードが肩を叩く。
「お前はもう少し愛想良くしろよ。真顔って言うか、起伏が少ねぇって言うの?それが怖く見えんだろ?」
 そう励まし、助言を残して立ち去っていく。彼の助言を癪だと思いつつ、反省点として捉える山崎は小さく溜息を零していた。
「山崎は如何するの?」
「俺は特に用事は無いし、少し休んでから、何か探す予定だな」
「そうなんだ。じゃ、ゆっくり休んでね」
 労った後、レインは表に続く廊下へ小走りに向かう。それは先に立ち去ったガリードを追い駆けるようにして。
 二人を見送った後、山崎は腰掛けたベンチに身体を預けて空を見上げる。変わらずに存在する空、薄い蒼が広がり、淡く漂う雲が揺らめく空を見つめる。溜息が零れる美しさが広がっていた。
「・・・ん?」
 ふと何処からか会話が聞こえた。小さく聞こえてきたそれは二人の会話であり、見渡せば聞こえてくる方向が識別出来る。それは表に続く通路からであった。

【2】

「ガリード、ちょっと良いかな?」
「あれ?レインさん。如何したんスか?もしかして、今から一緒に良くっスか?」
 広場から正面玄関に続く通路を歩いていたガリードを、駆け足で追ってきたレインが呼び止める。止められた彼は明るい面で反応するのだが、呼び止めたレインの顔に気持ちが落ち着く。その顔が真剣であった為に。薄暗闇に紛れた所為ではないと瞬時に理解して。
「・・・ちょっと前にね、沼地地帯の再調査の結果が、届いたんだ」
「っ!・・・ああ、そうなんスね」
 一瞬激しい反応を示したものの、直ぐにも消沈したガリードは溜息を零すように声を漏らす。察してしまったのだろう。その事実を真っ先に伝えなかった事、結果を聞いて我が事のように喜んでいない様子、一人となった時を見計らった理由、喜びの類を見せない真剣な面持ち、様々な事から読み取って。今から告げられる報告の内容を、以前から頭に浮かんでいた結末になってしまったと察していたのだ。
「・・・調査の結果、地形を把握する事は出来た。所々に集落のような場所はあったけど・・・人は、見付からなかった」
「・・・・・・そう、っスか。やっぱり、そうなんだな・・・」
 告げられた事実に衝撃を受けたガリードは息を零す。身体を逸らし、俯かせた面は悲嘆に暮れる。確定してしまった事に落胆する。もう会えない、話が出来ない、もう忘れていくしかないと、彼は理解していた。
「・・・ごめん。調査の再開がもう少し、少しでも早く出来ていたら・・・」
 激しい動揺ではないものの、消沈している事は確か。悲しみが感情を占めようと怒りもまた抱いていると、謝意が示される。気持ちを添えなかった事を詫び、その無力さに歯噛みして言葉が途切れてしまう。
 辛酸を舐めたように、苦しい表情で謝る姿に気付いたガリードは小さく笑いを零す。乾いた笑いは自身の精神を安定させようとする印象を受けた。
「・・・仕方ねぇっスよ、魔物モンスターとかが居る世界に来てしまったんスから。もう、あれから一ヶ月ぐらい経ってるし、薄々、自分でも分かってたから・・・覚悟、ちょっとはしてたっスから・・・」
 自身を責めるレインに、ガリードは敢えて笑顔を見せた。それは責任は無いと言うように、せめて少しでも安心させるように。見えない位置で手を握り締めている事に気付かれているにも関わらず。
「だから、謝る必要なんてないんスよ。レインさんが謝る必要なんて・・・皆、頑張って調査してくれた。その序ででも探してくれて、俺は嬉しかった。それでも見付かんなかった。そうっスよね?」
「・・・ごめん」
「謝る必要なんてないって言ってるのに・・・」
 尚も謝られる事に悲しげに笑いを零す。ただ零れた笑い声に涙声が滲んでいるようであった。その面も涙が伝っても可笑しくない、暮れ果てた表情に沈ませる。薄暗闇に包まれる為、詳細は分からず。
「・・・じゃ、もう行くっスね。早く、仕込まねぇと昼飯に間に合わねぇかも知れないっスから。だから、そう言う事で・・・」
 瞼を閉ざし、ゆっくりと前に向き直した彼は歩き出す。レインの是非を聞かぬまま立ち去る。際の足音は確かに小さく弱くなり、その心境が手に取るように読めてしまう変化を見せた。
 その途中、足音は止む。立ち止まったのだろう。その上、振り向いたかは分からないが、それでも確かに立ち止まる音を響かせ、小さく息を吸い込む音が聞こえた。
「・・・レインさん、俺は大丈夫っスから。もう、俺はガリード、っスから。だから、心配しなくても良いっスよ」
 そう言い残すと、今度は立ち止まらずに暗闇の中に消えていく。
 彼の後姿に、過去と決別したと告げていようと隠し切れぬ悲しみと引き摺る苦しみが漂っていた。けれど、引き留めさせぬ雰囲気を見せ、何も言わせぬまま立ち去ってった。
「ガリード・・・」
 過ぎていく後姿を眺め、そう零すしかなかった。呼び止める事は出来ず、同情を抱いて見送るしかなかった。
 遠ざかる音が消え、静けさが取り戻された通路にレインは立ち尽くす。苦しい表情で小さく息を吐いた彼は不意に人気を感じて振り返る。すると、やや離れた位置に山崎が立っていた。切なく、影を差した面を斜に構えて。
「・・・居なかった、のか・・・」
「聞いて、いたんだね」
「会話が聞こえてきたからな、気になってきてみれば・・・」
 言葉が途切れる。ガリードの今の心境を洞察して胸を締め付ける痛みに囚われた為に。
「・・・本当に、大丈夫なのかな」
 不安げに通路の奥を眺めるレインが零す。だが、引き留めて慰めの言葉を掛けた所で意味を為さず、寧ろ虚しさと悲しさを増やしかねない。今は一人に、或いは何かに気を紛らわせる事を優先させて立ち尽くす。
「・・・あいつがガリード、二つ目の名前を使い出したのは、最初に生存者が居ないと聞かされた時からだ。もう、諦めるしかなかったんだろうな」
「でも、見付かる事を、度々望んでいたよね?」
「だとしても、生きていて欲しいと思うだろ。生きていると、奇跡でも何でも良い、生きていて欲しいと願っていた筈だ。例え、過去と決別していたとしても、それでも、願わずにはいられなかった・・・俺も、そうする筈だ・・・」
「そう・・・だね。家族と、会えなくなるのは、辛い、よね」
 口を噤み、二人は再び寂寞の中で悲愴な面持ちを浮かべる。その脳裏には記憶が呼び覚まされての事だろうか。彼等もまた、同じような経験を経たのか、同情では抱えきれない悲しさが見えた。
「・・・そう言えば、聞いたよ。少し前の森林地帯での野宿の話。夜に魔物モンスターと戦ったんだって?」
 沈み込んだ空気を払拭するようにレインは別の話題を持ち出す。少々無理のある逸らし方だが、今の空気を好まない山崎はそれに乗る事とする。
「ああ、そうだったな。誰かから聞いたのか?さしずめ、マーティンぐらいから聞いたんだろうが」
 あの戦闘の事を思い出し、背筋を少し凍らせる。薄暗闇の中でも浮かべた苦い表情が見えただろう。
「戦闘自体は直ぐにも終わったが、奇襲を受けた上、下手をすれば死にかねなかった。防具には本当に助けられた」
 今身に着ける防具に触れながら振り返るその面は尚も苦く。既に修繕されており、当時の傷は無くなって薄れつつあっても恐怖は未だ残る。また、痛い出費として記憶されている為に少々尾を引くだろう。
「実はあの時、僕も近くに居たんだ」
「見ていたのか?」
 近くに居たと言われ、疑心が生まれる。あの戦闘を隠れて眺めていたのかと不信感に顔が険しくなる。その僅かな反応を前に、レインは笑いながら首を横に振るう。
「沼地地帯に呼ばれていたんだ。厄介そうな魔物モンスターを発見して、その排除にね。多分、その時の戦闘が原因で周辺の生物が避難しちゃったんだと思うんだ」
「ああ、そうなのか・・・確かに、沼地地帯に棲息する魔物モンスターが森林地帯に居るのはおかしいとは思っていたが、そんな事情があれば納得だな」
 要らぬ疑いを掛けてしまったと反省しつつ、僅かに胸の中に燻っていた疑念が解消されて一息が零された。
「報告書に目を通したけど、深追いし過ぎて野宿したんだよね?あまり危険な行動はしないようにね。ともあれ、魔物モンスター退治、お疲れ様」
「確かに、あの時は不用意だった。以後、気を付ける。ただ、その時について、言いたい事があったんだ」
 労いは不要と言いたげに、少し和んだ空気を再び冷めさせる冷静な面で言葉を続ける。それにレインもまた真面目な顔で正対する。
「・・・俺が言いたいのは、マーティンの事だ」
「彼が、如何したの?」
「・・・あいつに対して誤解している点はあった。冷静な判断を下し、仲間や人の命を想える人間だ。高圧的だが、それは分かる」
 分かってくれたと安心を浮かべるレイン。だが、それだけで無い事は理解して難しい表情は変わらず。
「でもな、時として非情を貫き、全体的な判断で切り捨てようとする精神には納得出来ない。それが合理的だとしても、簡単に切り捨てようとする切り替えの早さは、如何してもだ」
 強い口調で言い放つ。マーティンと言う人物を否定している訳ではない。その考えが正しいとしても、山崎の性格がそれを容認出来ないのだ。助けない、見殺しにすると言う行為自体を認めたくなかったのだ。
「・・・確かに、嫌だよね」
 その発言には否定も肯定も出来ないレインは難しい表情で答える。その場面に直面した時、判断を下す立場であるが故の葛藤が見えた。
「だが、それは俺の感想に過ぎない。俺が、ただ気に食わないだけだ。あの時のあいつの判断は間違っていない、寧ろ正しいと理解している。俺自身、納得もしている。わざわざレインに伝えたのは、改めて相容れないと言う事を伝えたかっただけだ」
「・・・山崎はそうかも知れないけど、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーは協力を旨とするギルドだから、度々マーティンと一緒に仕事して貰う事になるよ?」
「それは構わない。あいつ自体を否定している訳じゃないからな」
 致し方ないと言わんばかりに溜息を零して返答する。念を押しているものの、苦手意識を抱いている事は否めず。
「・・・伝えたい事も伝えたし、俺はそろそろ行く」
「そう・・・もし、ガリードに会ったら、気に病まないように、って伝えてくれる?」
「ああ、分かっている」
 傷心しているであろう友を案ずる。既に過ぎた方向を憂い面で眺めて語る。言われるまでもなく、様子を見に行く積もりだったのだろう。
 声を落として返答した山崎は足音を響かせて表へと歩いていく。弱くなった足音を反響させて過ぎる後姿は数分前に過ぎたガリードと良く似ていた。
 歩き去る姿を見送った後、レインは長く深い溜息を吐く。遠い目で後ろを、広場の方向を眺め、何かを思い出す。それは嘗ての日を思い出しているのだろうか、侘しく息を零す。
 暫く立ち尽くした後、彼もまた暗く沈んだ通路から表へと歩き出していった。

【3】

 時は巡り、セントガルド城下町に夜が訪れていた。全てが暗闇に落とされ、僅かに切り裂く篝火や蝋燭の火が点々灯され、か細く燃え立つそれは今にも消されそうに揺らめく。
 明かりを頼りにする人々は今日の終わりの締めを、明日の始まりの準備を行う。或いは、今日の出来事等で談笑し、長閑に一日を締め括り、心の何処かで明日への希望を抱いて迎えようとする。
 その城下町の大通りの一つ。類似した建物が立ち並ぶ中、一つだけが異質な形状を映す。角張り、今にも崩れてしまいそうな外見の施設。二階と中央に広場を構えたそれの殆どの室内が暗く落ち込み、夜の静けさに覆われるように沈黙する。夜の為、最早廃墟にも見間違えかねない其処に、今日は珍しく人気を感じられた。
 施設の中央に設けられた円形の広場。天井が無く、夜空を眺める事が出来る。その日も変わらぬ星空が広がる。多少周囲に明かりがある為か、心ばかり霞んで見えるものの、煌びやかな瞬きが錯綜する星空が頭上を占める。
 それを、口を閉ざし、物耽る面持ちで見上げる人物が一人。ベンチに腰掛け、思考を展開させる序でのように、星を眺める。その為か、どちらも集中出来ず、心、其処に在らずと言うように意識は彷徨い果てていた。
 溜息が漏れる。空虚感を漂わせ、白まぬそれは夜空を霞ませる事無く、暗中に消えていく。それは今の彼の心中を表すように、何度も吐き捨てては如何しようもなく渦巻く心境に向き合っていた。
「此処に、居たんだな」
 ベンチで無想しているとも言えるガリードに、足音を抑えて近付く人物が一人。今の彼を刺激しないように、或いはその心中に寄り添うような低い声で話し掛ける。
「・・・ああ、山崎か。何だよ?天の導きと加護セイメル・クロウリアにも来てたらしいけど、俺の事を心配してくれたのか?」
「そうだな」
「それを、正直に言うか?・・・ま、嬉しいけどよ」
 茶化すように返答し、大真面目に返されて苦笑いを零す。それでも、純粋に心配してくれた事を嬉しく思い、寂しそうな表情に変えて再び空を眺めていた。
 心中を察し、同情する山崎はゆっくりとガリードの傍に歩み寄る。隣には座らず、後方に立って同じように星空を眺める。美しく映る筈のそれに涙を誘われるのは人の心境が影響しているのは言うまでもなく。
「・・・残念、だったな」
「レインさんから聞いたか?それとも、聞いてたのか?・・・まぁ、仕方ねぇよ」
 慰める言葉に溜まらなく切ない面を浮かべ、隠すように小さな一笑を零して空を見続ける。時間を置いた為か、その横顔は納得し、吹っ切れたかのように見える。それが胸を締め付けるように悲しく映された。
「・・・そうだな、仕方、ないとしか思えないな」
「・・・そうだよ」
 誰も責められず、何にも憎む事は出来ない。運を恨んだとしても虚しいだけ、誰も救われず、誰も報われない。言うまでもなく理解しており、押し寄せる感覚を口にする事でどうにか紛らわせていた。
「・・・小母さんは、本当に大雑把で的の外れた事を口走る人だったが、周囲に笑いを誘い、優しい人だった。引っ越した先で最初に出会えて、良かったのにな・・・」
 空を見上げて思い出に浸る。それほど多くはなくとも、十分足り得るそれが巡る。会えないと知れば、共に身体に駆け巡るのは悲しみ。夜空を見上げる赤い瞳から一筋の涙が伝う。
「・・・悲しかったら、泣いても良いんだぞ」
「ははっ、わざわざそれを言うな・・・もうかなり泣いちまってるし、もう泣かねぇよ」
 僅かに震える声に、決別に際する感情が読み取れる。本当は泣きたい筈だろう。それでも泣かず、揺ぎ無い眼で空を眺めるのは乗り越えていくと言う頑なにした意志の強さが窺えた。
「そうか」
 心の強い友人の宣言に水を差す事はしない。肯定と同義の返答を小さく返し、伝った涙を拭い取っていた。
「これから、お前は如何するんだ?」
「それを聞くかぁ?」
 これからの目標を問い掛けた瞬間、彼は心底呆れた表情となる。人を馬鹿にするようなそれは怒りを煽ろう。
「変わんねぇよ、今とよ。今俺達が居んのは、ラファー、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーだぜ?人助けをするギルド。なら、それをするだけじゃねぇの?」
「そうだな、言うまでもなかったな。質問した俺も、同意見だしな」
 愚問だったかと小さく鼻で笑う山崎。その彼を見て、ガリードも笑いを零す。二人して楽しそうに笑い、少しだけ、寒空のような乾き冷めた空気が一新される。
「なぁ、そう言えばよ、山崎。いや、和也。お前は何時ぐらいになったら、もう一つの名前を使うんだ?トレイド、をよ?」
「・・・使う気は、ない」
「・・・そっか。ま、そうだよな」
 変わり果てた世界で本来の名前は少しばかり違和感を感じよう。そして、その問いは山崎を試すなどの企みは一切ない。単純に疑問を投げ掛けただけであった。
 だが、それが山崎を酷く困惑させた。表面上では差し支えなく、まだ心移りはないと答えたとしても、胸中に膿の如き重く暗い何かを招き入れてしまった。故の空間であり、見せぬ面は深刻なものと成り果てていた。
「兎に角、心配掛けちまったな。もう、吹っ切れたからよ。ありがとうな」
 軽々と起立したガリードはベンチに無造作に立て掛けていた大剣を背に携える。普段の勇ましき姿が取り戻され、纏う空気も同様に夜に負けぬものとなっていた。
「・・・いや、気にするな」
 笑みを一つ、彼本来の明るく清々しき笑顔を残して彼は広場から立ち去っていく。明日に向け、就寝に至るのだろう。見送った山崎は安心した様子となるのだが、直ぐにも表情は先程の険しさに戻った。
『固執・・・だな。俺が、この名前に固執するのは、怖いからだ。失ってしまうような気がして、ならない。俺の、幼い頃の大切な思い出。それを放棄してしまいそうで、恐ろしいんだ。同時に、棄ててしまいたい、忘れ去りたい記憶もある。忌々しい、記憶。思い出したくもない・・・記憶を』
 友人の質問を反芻し、心中で自問自答する。溜息を零し、再び夜空を見上げる。つい先程より霞んで見えるのは、気の所為と言い聞かせて。
『・・・所詮、この思いは葛藤でもジレンマでもない。ただの我儘のような執着心だ。何時まで経っても吹っ切る事の出来ない、自身の弱さ、なんだろう。それでも、俺は・・・』
「父さん、母さん・・・」
 零した言葉は暗闇に漂い、ただ霧散する。両親を想い、呟く際のその瞳に感情を宿される。押し止められない感情が込み上げ、胸中で波立って治まる事無く。
 静かな夜の日の事。人は感情で揺れ動き、擦れ合っていた。如何しようもない、感情の波が心の岸壁で尚も叩き付けていた。夜の闇に、融け行く事もない音と共に。
 答えられない、誰にも聞けない苦衷。常に抱く苦痛が闇に浮かぶ。ただ無意味に散らされ、それでも思いを沈む。自身を追い詰めるだけ追い詰め、それでも先送りにするしかなく。その日もまた、彼は放棄する事を選んでいた。友人のように向き合う事も、いっその事、忘れ去る事も出来ずに。

【4】

 山崎とガリードが会話する頃、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの一室に蝋燭が灯されていた。揺らめく明暗は人影を窓に射影する。それは二つ。纏めた後ろ髪を解く人物と、椅子に腰掛けようとする人物。
 髪を解いた人物がゆっくりと窓に近付く。押し開けた事に因ってその人物はユウである事が示される。その後ろ、椅子に腰掛けてコップを手にするのはレインであった。
「そう、行ってきたんだね。しかし、リアも大変だね。偶には僕達も頼ってくれても良いのに」
 自分達の責任者の苦労を労い、同時に思うように支援出来ない歯痒さが台詞として零される。飲もうとした手を止め、眉を落として溜息も零す。
「そうね、それは私も思うわ。でも、あの人は自分の考えを変えないでしょうね。それに、今は一人で行った方が最良だもの」
 夜風を受け、手櫛で赤い頭髪を梳くユウは呆れ顔で答える。身に着けた朱に染めた装甲を取り外し、慣れた窮屈さからの開放感と押し寄せる疲労感を顔に映しながら。
「その代わり、定期的に私達が手伝っているし、リアの役割も私と貴方が代行しているんだから、気にする事は無いんじゃない?」
「そう、かな?」
 不甲斐ないと思い詰める彼を、ユウは深く考えないように促す。言われてみればと思い返した彼の表情は幾分か明るくなる。
「だから、今の問題が片付くまで、新しく入った仲間は勿論、皆を先導して行かないと」
「だね!」
 彼女の意気込みに同調したレインは表情を綻ばせた。
 気持ちが軽くなれば、明るくなれば部屋に吹き込んでくる夜風は心地良く感じる。外を、眠り付こうとするセントガルド城下町の光景を眺めるユウは微笑みを浮かべて眺める。
「私達が此処に入って随分経ったわね」
 不意に思い返して懐かしむユウ。節目を迎えたと言うように話題を振る。
「そうだね、随分と仲間が増えたね。皆頼り甲斐があるし、優秀で助かるよ」
 コップに入れた飲料を一口飲み、嬉しそうな笑みを浮かべたレインが答える。非常に助かり、出会えた幸運を喜んでいる事をその満面な笑みが物語る。
「それに、最近入ってくれた二人。シャオを入れて三人ね。如何思っている?」
 次に新人について意見が問われる。それは意見を伺うと言うよりも世間話のように、興味心を含めて尋ねていた。
「うん、あの三人も頼もしいよね。山崎はちょっとぶっきら棒で少し遠慮が無いけど、仲間意識や命を思い遣れる優しい性格をしているね。戦闘面でも申し分ないよ、即戦力だね。直ぐにでも、人を任せても大丈夫なくらいになると思うよ。それまでは、場の状況を冷静に判断出来る応用力を蓄えないとね」
「ガリードはちょっと大雑把だね。戦闘面に顕著に表れるけど、力で無理矢理押し通ろうとする節が見られる。でも、それを可能に出来る程高い身体能力は凄いと思うよ。戦力としては期待、大だね。彼も、判断力と冷静な判断力、だね。他には、面倒見がとっても良いよね。天の導きと加護セイメル・クロウリアに度々行っては子供達の世話をしたり、仕事をしても誰かの手伝い関係を率先してするしね」
「私も同意見ね。良い逸材が入って良かったわ。それに、シャオ。彼が入ってくれたのは大きいわね」
 新人達を大まかにだが分析し、長所と考慮すべき点を示す。その表情はとても笑顔であり、人を知れる事や人の成長を喜べる人々なのだろう。
「うん、僕もそう思うよ。傷を治せる聖復術キュリアティが使えるのはとってもね。でも、それ以前に過ぎるぐらいい優しい性根の人だよね。命を大事に出来る人だけど、思い過ぎる為に戦いに向かない性格だね。護身術程度には戦えるようにしなきゃならないけど、この優しさが仇にならないように指導していかないと」
 人を想い、傷を治せる人物ほど支援や救助を主とするギルドでは最も必要としよう。それも含め、彼の性格を案じて指導に力を入れると意気込む。
「兎に角、新たに三人も加わって、賑やかになってきたね」
「そう?何時も何処かに行っているから、此処は静かじゃない?」
「そう意味じゃないって」
「分かっているわよ」
 クスリと笑いが零される。和やかな空気が流れ、思い返す二人はとても良い笑顔を浮かべて見合う。
「それじゃあ、私はもう寝るわ」
「そろそろ良い時間だしね、お休み」
「お休み、達哉たつや
 就寝の挨拶を交わしてユウは自室に向かう。扉を開けて一瞥した彼は爽やかに笑みを浮かべ、コップに注いだ飲料を飲み干していた。
 扉が閉められ、その向こうから響く足音が遠ざかっていく。聞こえなくなるまで、部屋に一人残ったレインは沈黙を保つ。そして、聞こえなくなるとコップを傍の小棚の上に置き、窓に歩み寄る。少し開けられたそこから夜空を眺め、息を一つ吐き捨てた。
 次第に眠りに就くセントガルド城下町、その一端を一瞥し、もう一度空を仰ぐ。降り注ぐ月光は美しく町並みを照らすものの、その月の姿を見る事が出来ない。星空と、降り注ぐ月光の方角から流れ漂う白雲のみ。何時も通り、それでも彼が抱いたのは不安であった。
達哉たつや、か・・・色んな人が、仲間になったよ。皆、良い人だよ?少しずつ、前進していると思う。少しずつ、この世界の事が分かり始めていると思う。前の世界に、帰れるかも・・・ねぇ、何処に居るのかな?かえで・・・」
 その思いもまた、夜に消えていく。答えを、返答を求めた所で、虚しいだけと分かっていたとしても。
 夜は更け、流れゆく。そうして、明日を迎える。物耽る者達を置き去りにするように。何を背負っても、迷い挫けたとしても、生きている以上は歩み続けろと言うかのように。

 困惑するままに招かれた別世界、命辛々生き延び、知らぬ物事との遭遇の日々を送る。その毎日が新鮮だっただろう、刺激的で認めがたい現実も広がっていた筈。それは山崎にとってもガリードにとっても例外ではない。
 極めつけは、町の外に出れば今迄の生涯で遭遇しなかった危険生物以上の存在、魔物モンスターによって命の危機に晒される事だろう。初めての死への恐怖、それ痛感するほどに体験し、改めて生きていきたいと思う気持ちを再認識する。それでも、別れを余儀なくされる事が多々ある世界に、彼等は来てしまった。皆が、誰もが望もうが望むまいがそんな世界に突然、変わってしまった。変えられてしまったのだ。
 人々の心は困惑し、掻き乱され、阿鼻叫喚の渦に巻き込まれる。それでも、生きる事を諦めなかった者達は進み、隣人と協力して生きる。人々と共に彼等も生きている、懸命に生きているのだ。その為に生き続ける為に、この変わってしまった世界の仕組みを知って理解し、己の価値観を妥協して受け入れ、全てを呑み込んでいかなければならない。己の命を大切にし、他者の命を尊んで。それは人として在り続ける限り。そう、理解するように、彼等は立ち止まりながらも、歩いていく。
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