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知らない地、異なる世界

森林へと、群狼と対峙し

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【1】

 セントガルド城下町と外を区切る巨大な外壁、それに設けられた大きな門が重々しく開かれる。押し開けるのは新藤。見た目に反して弱い力で開けられる事を知っており、片側を容易に開けていた。それも片腕である。実際に体験して興奮していたのは言うまでもない。
 開かれた門の向こう、外は美しい景色が広がる。遥か彼方まで続く芝生状の草、穏やかに隆起する地平は揺れる。風に吹かれ、嫋やかに棚引く風景は見もの。多少強い風が吹いたとして景色は変わらず、風の音に、草の音に、何処までも蒼く広がる空と同時に堪能すれば心は洗われるだろうか。
 その景色を眺めるのは数回程度、ならば惹き込まれるだろう。扉を開け、最初に眺めた新藤は手を止めて見惚れていた。だが、余計な時間を費やさず、直ぐにも引き返して待機する馬車に乗り込んでいった。
 彼が乗り込んだ馬車は栗毛色のレイホースに曳かれ、外へと、広大な草原に踏み出していく。石畳と蹄鉄との硬質な足音から、草と地を踏み抜く振動を伴ったものと変わる。自然本来の足音は力強く、後方で多少草で滑る車輪の抵抗も物ともせず。
「これから森林地帯に行くからね。もう時間だから、着く頃には夜になっちゃうと思うから野宿かな?だから、明日には入るからね」
 レイホースを繰る為に馬車の先頭に座ったレインが軽く説明する。荷台のような馬車に乗り込んだ山崎と新藤に対して。同乗するフーは事前に内容を知らされているのだろう、特に反応は無い。
「・・・其処で、何をするんだ?」
 ラファーの施設で強制的に連行された山崎は此処で漸くその内を問い掛けた。今に至るまで、二人が耳を貸さなかった為、再三の問いになり、その様子は多少の疲れが見られた。
「先に言っちゃうと、魔物モンスターと戦って貰うよ」
 操作をしながら淡々と語った。それに二人に僅かな緊張が走る。その脳裏には、命を失い掛けた、あの時の感覚と感情が。
「まぁまぁ、そう身構えなくても良いわな。ちょっとした力試しみたいなもんだし、皆、同じ道を辿ってんだわ。どれぐらい戦えるとかで、方針を決める。この世界で、一般的な魔物やつでな」
 この世界は魔物モンスターが棲息する。生きている以上、遭遇は必至。回避は可能で関わらなければ良い話だが、ラファーに所属する以上、戦いは避けられないだろう。その時、どの程度の戦闘力を有しているか、力量を測るのはギルドが把握する最低要素だろう。
「なら、此処でしたら良いじゃないっスか?」
「そうしたいのも山々なんだけどな、如何言う訳か、此処には居ねーんだわ。だから、面倒だけど近い森林地帯に行っている訳」
 その説明の証明の様に、周辺には魔物モンスターらしき生物は見当たらない。人すらも見えぬ地平は、悪く言えば何もなく、セントガルド城下町と人では到底再現出来ない鴻大なる巨壁のみ。それ以外は存在せず。
「何でなんスかね?」
「さぁ?棲み難いんじゃねぇの?」
 案外、それは的を射ていたのかも知れない。餌とする生物が居なければ、其処に住み付く訳がない。自然に寄り付かなくなるのは自明の利であろう。
「しかし・・・遠いな」
 目的地とする森林地帯、呼称通り、森林等の植物が密集する地帯。その場所が色と形状の違いから遠目でも見て分かる。目視で正確な距離は測れないものの、二、三時間では到着出来ないと理解する。
「本当はね、歩いて行きたかったんだよ。自分の足で行かないと道が覚えられないしね。でも、フーが如何しても、って言うから特別に馬車を用意したんだ」
 それを受け、山崎はフーに向けて小さく感謝を抱いていた。半日とは行かなくとも、かなりの距離を進むのは苦痛の他ならず、回避した事をとても嬉しく感じていた。
「で、和也と晃、って言ったよな?前の世界では何してた?学生か?」
 馬車に揺られ、目的地を遠くに眺めながらフーが話を振る。世間話をさせて気を紛らわせる為か。
「高校生っスね。一年っス!」
「通学中に巻き込まれて、こっちに来た」
「そうか。んで、彷徨っていたら、レインさんに出会えたっー訳か。ま!皆色々あるし、苦労したわな、そりゃあ」
 二人の経験を想像し、同情して頷く彼。良く分かると言わんばかりに。
「フーさんは如何だったんスか?」
「俺か?俺ん時は凄かったなぁ。なんせ、目覚めた時、魔物モンスターに取り囲まれていたんだわ。それはもう、生きた心地しなかったわな」
 右も左も分からない時に取り囲まれていた、絶体絶命としか言えないだろう。それを想像したのだろう、新藤の顔は少々蒼褪める。
「んでも、捨て身の覚悟で暴れ回ったら何とかなったんだわ。後は、生きてる連中と一緒に彷徨ってたら、この草原地帯に行き着いて、遠くに見えてたあのデケー壁に向かって進んでたら、助かったって訳」
 明るく、簡潔に話す為、聞き手はいまいち想像し辛いだろう。けれども、その恐怖を知る二人は、とても明るく話せられる内容では無いと察し、彼の精神の強さに小さく感心する。
「なら、レインさんは如何だったんスか?」
 興味は彼に向かれる。醜態を期待しての事、或いは武勇伝を聞きたい思いで。しかし、異なる展開を見せる。
 レイホースを繰るレインは前を眺めたまま。今にも泣き出しそうな、崩れ落ちそうな表情で前だけを望む。その姿勢のまま、動く事無く、黙々と手綱を握り続けていた。
「・・・レインさんには聞かねーでやってくれ。言いたくねー事もあるわな。だから、な?」
 彼は事情を知っているのだろう、思い詰めた横顔を眺める表情は同情して切なく。
 レインの面を眺め、フーの指摘を受け、流石の新藤も追及する事はしなかった。気まずそうに顔を逸らして噤んでいた。
 会話は中断され、暫く沈黙が流されていた。レイホースが出す足音、馬車を動かす車輪の車軸の軋み、それらが良く聞こえる。居心地が悪くなった空気の中、静々と馬車は動いていった。
 揺られる山崎は何気なく振り返った。少し遠くにセントガルド城下町を取り囲む灰色の外壁が建ち、背後には押し潰しかねない迫力を放つ巨壁が聳える。外壁は悠然と、巨壁は泰然として。
 行けども行けども、目的地である森林地帯には到着出来ず。途中、食事休憩等を挟みながら進み、漸く到着した時、茜色の空すらも暗がりに落ち込もうとしていた。

【2】

 時間の経過と共に景色は様変わりを起こす。どのような場所であろうと顕著に。
 走り抜ける風の音、付近から聞こえる木の葉の囁き、草の香りは絶えずして漂う。快晴を促す青き空に、心身を暖める陽が君臨していた。
 しかし、時間の経過により、陽は没し、黒く染められた天上は煌々と輝く星々が舞う。陽と入れ替わるように、優しき光を帯びた月が空を潤す。それらが無ければ、周辺の輪郭すら掴めないだろう。
 聞こえる音の数々はまるで囁くように、身に縋り付くように響く。それほどに、夜間は音が静けさに囚われ、何もかもが不穏に感じてしまう。ただ、聞き手の心境に左右されるのは言うまでもない。
 唯一、漂う草の香りは熟成されたかのように濃くなり、眠りを誘うような爽やかさだけが、安心を齎してくれた。
 その草原地帯の何処には土が剥き出しになった箇所がある。散々に活用されているのだろう、炭が小さな山を作る。それを端に除け、薪が置かれる。それは火に纏われ、抗える筈もなく、温もりと怪しげな影を作り出す。
 怪しく揺れ動く明暗により、映し出されるのは四つの人影、言わずもがな、四人の若者である。
「此処で明日を待つんスね。やっぱり、夜は危険なんスか?」
 向かい合う彼等の背後には森林地帯が待ち構えるように存在する。
 夜に落とされ、木々の輪郭は風に煽られて怪しく動く。その群れはまるで一個の生命体の如く佇み、時折聞こえる枝葉が鳴らす音は身を震わせよう。何一つ、普段と変わらないと言うのに。
 レインの予測通り、森林地帯の付近に行き着いた頃には陽は山の向こうに隠れてしまった。已む無く、進行は断念し、野宿の準備に移っていた。それを終え、休憩と同時に軽い料理で夕食を摂り、就寝前に一寸した会話を行おうと新藤が切り出していた。
「そうだね。夜間の森林地帯は危険だから。ただでさえ薄暗くて潜んでいる魔物モンスターが分かり難いのに、右も左も分からなくなっちゃうから危険だね。軽い気持ちで入ったら、歴戦の戦士のような人でも命を落としても可笑しくないからね。だから、何があっても進んでいくような真似はしちゃ駄目だよ。ましてや、二人は来たばかりなんだから、命が幾つあっても足りないからね」
 声色明るく、軽い気持ちで語るようで、その面に笑みはない。声とは裏腹に、本気で注意している事が読めた。
「そんな馬鹿な真似をするのは、聞いていない振りをするこの阿呆ぐらいだ」
 呆れた様子で指差して馬鹿にする山崎。過去、散々注意し、それを反故された者だからこその気苦労が垣間見えた。
「んだよ、また俺を馬鹿にすんのか?ちゃんと守るって。俺は行かないっスよ?レインさん」
 それに彼は煩わしい反応を見せ、とても信用出来ない力を篭めた宣言を行う。それに冷めた視線は注がれる。一人ではなく、二人に。
「・・・まぁ、僕としては、約束を守ってくれたら良いんだけどね。笑い事じゃなくて」
 牽制、念を押す言葉であった。笑みを浮かべ、明るい声ながらも場の雰囲気とやはり目が笑っていない事から胸中には怒りを抱いている事が分かる。真摯に受け止めていないと彼は受け取ってか。
「そうだぜ。昔、逐一言われてんのに入って言って大怪我負った奴が居たな。そん時は何とか外に逃げてきて助かったけど、人の忠告を聞かねーのは駄目だぜ?周りにも迷惑掛けちまうわな」
「・・・分かった」
「分かりました。絶対、入らないっス」
 強く注意され、二人は肝に銘じる。再三に言い聞かされた、それも二人の先輩から強い口調で言われたのだ。つい笑い話に繋げてしまった事を反省もして。
 会話が打ち切られ、暫く沈黙が訪れる。各々、明日に向けての考えを巡らせる。予定の確認、受けた仕事を思い出す、明日への軽い気持ちで意気込む、そして小さな疑問であった。
「・・・明日の事を聞くが、具体的には如何言った事をするんだ?」
 再び沈黙を切ったのは山崎であった。内容次第での心構えをする為に尋ねていた。
「ん?そう難しい事じゃないよ。単にローウスと戦うだけだね」
「へ?それだけ?」
 恐らくはもっと過酷な、試練のような厳しい内容を想像していたのだろう、新藤は拍子抜けしてそのような声を出す。
「重要な事だよ。第一に、その人が一般的に知られている魔物モンスター相手に、どれだけ戦えるかを調べるんだ」
「それを基準にする訳だな。それがなきゃー、仕事が出来る出来ないの判別が出来ねーからな。勝てない奴を振り分ける訳にはいかねーわな」
 今夜の晩飯を包んでいた包み紙を、焚火に放り込まれる。それを眺めながら二人が交互に説明する。
「で、戦えても、戦闘に向いてるか如何かを調べねーといけねーわな」
「例え戦えても、戦闘をとても任せられない人が居るからね。戦い方にかなり悪癖があったり、人格が変わっちゃって乱暴な事をし始めたり、周囲の誰かに一切気を配れないとかね。そういう人を見る為でもあるんだよ」
 時には複数で取り掛かる仕事もあるだろう。戦闘のみならず、自己的、協調性の希薄、凶暴な人格であれば普通の仕事にも差し支えてしまう。それも重要な項目である。
「そして・・・」
「命を奪えるか、だな。魔物モンスターだって、生きてんだ。あいつ等が襲ってくるのは、あいつ等も生きてー為、に決まってるわな。決して、悪意で襲って来てんじゃねー。それに対して、返り討ちに出来る覚悟があるかを試すんだよ・・・これが一番重要で、この為にするんだよ。決して、新人をただただ可愛がる為じゃねーわな」
 固く口を噤んだレインに変わり、神妙な面持ちのフーが説明する。それこそが一番の目的である事を二人は強く理解する。
 重く圧し掛かる空気の中、二人はとある事を認識し、面に皺を刻んでいた。これから自分達が行わなければならない事について、不安を巡らせていた。
 魔物と戦う、それは命を奪う事に他ならないだろう。遭遇すれば、それを選択肢の最初に選ばれてしまうだろう。最早、それしか選択肢が無いと知らしめるように。
 もう既に奪った経験があるとは言え、生きる事に無我夢中であり、その事実に無意識に目を背けていた。そして、今、再度立ち向かおうとしている。それを再認して。
「・・・ハハ、大丈夫っスよ!俺はやりますからね!」
 そう豪語する新藤だが勇ましさは見せ掛けでしかなかった。
 命を奪う事は躊躇おう。把握した途端に押し寄せたのは罪悪感か、それとも延焼するかのような燻る恐怖か。奪うと言う過程は例え仮想であろうと急激な重みとなり、彼を、そして山崎を苦しめる。
「・・・じゃあ、そろそろ寝ようか。明日は忙しくなるしね」
 二人の心境を察したのか、レインがそう切り出す。それは事実だろうが、慮る思いが前面に出ていた。
「そうですね。このままだべってても仕方ねーし、それが一番ですね」
 それにフーが同意した為、就寝が早々に促される事となる。赤い炎による不安定な明暗を受けつつ、新藤と山崎は身体を横とする。憂いを早く忘れようとするように、硬く目を瞑って眠りに落ちるのを待っていた。
 
 ふと、山崎の瞼が開いた。特に意味がなく、朝に起床するように自然と開かれていた。けれど、眠気は消えてはいなかった。
 それもその筈、どれ程時間が経過したのは分からぬものの、夜は依然明けてはいない。静まり返り、風の音が物悲しく響く。
 彼の背、周囲を照らす焚火が弱まっている事を、薪が弾ける音が聞こえず、照らす範囲が狭まっている事から理解する。どれほど火がか細くなったか。
 隣から鼾が聞こえる。新藤が出しており、快眠している証である事を彼はぼんやりと思い返していた。
 ゆっくりと瞼を閉ざし、再び眠りに落ちていく。微かに、誰かの声が聞こえたのは気の所為だろうか。

「何時まで、続けるんスかね?この状況」
 照らす為、温もる為の焚火は今にも力尽きそうなほどにか細く。多くが炭を赤々とするだけで消えそうに。
 その薄暗闇の中、小さくぼやいたのはフーであった。腰を下ろした場所は変わらず、上に広がる星空を眺めながら口にしていた。 
「さぁ、分からないね。でも、何時かは、変わるよ」
 雲に遮られる事もなく、永久的に輝き続ける星々は目を刺すように強い光を放つ。度々、僅かな曲線を描き、流れ行く星が視界を過ぎる。今宵は星があまり見られず、少し味気のない寂しい夜空が流れていた。
 ぼやきに、悲しげな目をしたレインは静かに返答した。それは漠然とした希望を乗せているだけの、相槌でもあった。そして、更なる会話を許さない呟きでもあった。
 まだ眠らない二人の思いは夜に霧散する、闇夜を空しく通るだけに過ぎない。もう、幾度と繰り返されたであろうその言葉は誰も答えられない。今日だけは、風が聴いていたかの様に優しく頬を触り、何処かへ吹き抜けていった。

【3】

 夜は順調に明け、広がる草原の端にまで陽の光に照らされていた。朝焼けに映された草原の景色もまた、格別なものだろう。
「さぁて、いよいよ森林地帯に入るからね。警戒を怠らないようにね」
 だが、残念な事に、その頃は既に過ぎ、情景も普段と変わらぬ頃に起床した四人は早々に支度を済ませ、いざ目的の森林地帯に入らんとしていた。最初の掛け声はレイン、朝から元気に、爽やかに。
「いよいよなんスね」
「まぁ、あんまり気張んなくても良いわな」
 本番を前に小さく意気込む新藤の背を、言葉とは裏腹に鼓舞するように軽く叩いた。それが多少なりとも緊張を解す。
 対して、山崎に関してはその面は険しいもの。緊張と言うよりも、覚悟に際する強張りか。
 複雑に入り混じる感情を抑えるように新藤は準備運動を行い出す。身体の調子は悪くなく、流暢に動かす様を見てフーは小さく頷く。
 小さな間隔、独白を挟んだ後に四人は進み出す。その最後の切欠を作ったのは、少々長い溜息が終わったと同時であった。
 既に、陽は視界を遮る森林の向こう、聳え立つ山から姿を現し、天に向けて登りつつある。何処からか朝を告げる小鳥の囀りが聞こえ、雲一つ見当たらない晴天は、何事にも吉兆として映るかも知れない。
 抱くであろう感情は、鬱蒼と生え並ぶ様々な木々に呑み込まれていくよう。そして、代わりに入らんとする者に恐怖を与えるように、全体が揺れ動いていた。
 それでも踏み入る山崎と新藤。先にレインが進み、フーに後押しされるようにして。

「静か、っスね」
 侵入した内部に対し、抱いた感想は静けさ。初めて訪れた時と状況が異なるとは言え、物静かな空気に包まれていた。その為、時折聞こえる枝葉の揺れ動く音、風に煽られた音が強く響く。
 そして静けさは一層、周辺を取り囲む環境への観察を強くさせる。些細な草花は、苔生し、蔦に絡め取られた木々に寄り添うように。所狭しと根を植えた、荒々しい樹皮を覆う木々に挟まれた穏やかな雑草。茂みは僅かな空間すらも埋め、ただ実直に上を伸ばす樹木は光を独占せんと他の枝葉を押し退けるように頭上を埋め尽くす。
 また、重なりあった枝葉には必ず隙間が出来、陽の光が射し込む。遠方に意識を向けるとその筋が幾つも出来ている事に気付く。その為、内部がほんの少し照らされているのだろう。とは言え、光の大方を遮っている為、薄暗いには変わらない。葉が照らされ、葉脈の形が出来た処で何も変わらず。
「だね。もしかしたら既にすぐ傍に潜んでいるかも知れないから、よく注意して置いてね」
 そう念を押すレインだが、当人は一切躊躇する事無くずいずいと先に向かう。ウェストバッグから何かを取り出して。
 まるで手を引かれるように二人も続く。ふと、山崎は思い出していた。初めて森林地帯へ訪れた時、不気味さを感じた。怪しき雰囲気も感じ取ったのだが、偏に困惑と不安が作用したのかと結論付けていた。
 道なき道、獣道としか言えない空間をレインは突っ切っていく。茂み等に阻まれたとしても構わず進むのは慣れであろう。最中、取り出した何かをずっと翳しており、その行為に意味があるのは一目瞭然。微かに異臭がするのは気の所為ではなかった。
「レイン、それは一体何なんだ?」
 前を進む彼の方向から臭い、それらしき物を持っていれば原因はそれだと推察しよう。
「これ?今日の事の大事な物だね。準備しているんだよ」
「・・・それで、魔物モンスターを誘っているのか?」
「お?御明察。まぁ、じゃなきゃ、そう簡単に来る訳ねーわな」
 少し考えれば分かる事だろう。相手にするのは魔物モンスターローウス。犬種に似通った体格の為、嗅覚も酷似しているだろう。対して、臭いの放つ物を持ち歩く。照らし合わせると、誘導しているとしか思えなかった。
「これは魔物モンスターを、ローウスを誘導するものだね。内容物は秘密だけど、これを散布したら集まってくるから、今回の事に打って付けなんだ」
「・・・それは良いが、もし、余計な奴が来たら如何するんだ?」
「その時は僕達が相手をするけど、基本的にはローウスしか来ないから安心して」
 安心してと言われて安心出来ず、いまいち信用出来ないと言うもの。
「・・・その時は、頼むからな」
「それは任せておいて!」
 胸を張る彼の発言は珍しく力強く、勇ましげに。それを見て、一先ずは信用する事にした山崎は続けて周囲を見渡す。
 付近すらも見通せない、薄暗さと木々の密集具合。歩きながら視線を移せども詳細を知る事が出来ない。日中でも悪き視界の為、夜間の危険度を推考し、背筋に悪寒が伝っていた。
「そう言えば、レインさん。あのセントガルド城下町の他にも、人が居る場所が在るんスか?」
 思考する端、新藤が唐突に質問を投げていた。もっと早い段階で気付き、投げるべき質問が今流される。道中で行う世間話程度の軽いものではない筈。
 彼らしい突拍子な質問に呆れ、首を振るう山崎。気持ちが逸れた為、先程抱いた感覚は忘れていた。 
「ああ、そう言えば教えていなかったね。現時点で判明している場所が二つあるんだ。一つは今僕達が歩いている森林地帯の、北西部に村が在るんだよ。フェリスって呼ばれている村でね、恵みの村とも言われているんだ」
「村があるのか?」
「ああ、小さな川が流れてる、色んな作物育ててる村なんだよ。長閑っーか、まぁ、凄ー暮らし易そうな場所になってんだわ。見たら分かる」
 新人二人より更に警戒するフーが少々補足を挟む。
「それで、城下町から南の方角に行くとね、辺り一面が砂漠になっている地帯が在るんだ。その中央辺りに町があってね、イデーアって呼ばれてて、時々、砂漠の町って言われているんだ。そのまんまだね」
「イデーアはな、オアシスは知ってんだろ?それの傍に出来た町だ。歓楽街っーか、オープンな奴が一杯居るな。俺はあんまり好きじゃねーんだけど、まぁ、それは人それぞれだわな。行きゃあ、楽しめる場所なんだけどさ」
 先の説明とは異なり、穏やかな横顔から、苦手意識と楽しみが入り混じる面を見せる。そうなれば後者に興味が湧こう。
 軽い会話を行いながら進んでいくと多少開けた空間に辿り着く。単に木々との間隔が広く、茂みや植物が少ない為、実際よりも広く映る場所であった。
「此処で良いかな」
 そう呟いたレインはその場に持っていた異臭のする物を投げ捨てた。地面に落下し、その衝撃で中身がぶちまけられた。鼻を押さえたくなる異臭が周辺に広がった。
「これで準備は終わったから、気を付けてね。多分、直ぐに来るから」
 促され、山崎と新藤は息を吐いて気分を落ち着かせる。再度、戦う事への覚悟を定め、携える武器を引き抜く。その手に、腕に掛かる感触や重さを噛み締めるように眺め、周辺に意識を向けて警戒を深める。
「僕達は観察するだけだから、二人で何とかしてね。よっぽどじゃない限り、手を出さないから」
「だから、何も心配する事ねーわな。安心は出来ねーかも知れねーけど、新人になったら通らなきゃなんねー道、気楽にやれよ」
 改めて、手出しせず、観察する旨を伝え、腕試しと言う内容を伝える。それが二人に更なる緊張を与える事となる。それでも取り乱す事無く、周辺に意識を向けて臨戦態勢に取っていく。
 それから程無くして、物陰から音が聞こえ始める。足音と思しき微かなそれに、二人は息を飲み込んで待機する。一つではなく、無数に連なり、彼等の元に辿り着いたのは、獣であった。数も一つではなく、無数。群れである事は間違いなかった。

【4】

「嘘!?こんなに居んのっ!?」
 新藤が思わず驚愕の声を出していた。それは無理も無かった。彼等の前に姿を現したのは六体の群れ。灰色の体毛に覆われ、犬種と同じ骨格を持ち合わせた魔物モンスター、ローウスであった。
 個々が戦意を漲らせる。前足を伸ばして前身を沈める。爪を尖らせて地面を抉り、後足は力を溜めて僅かに滑る。牙を覗かせ、相貌を凶暴に歪ませる。隙間から漏れ出す音は、飢えに囚われた吐息だろう。
「この数を一度に相手にしないといけないのか」
 二人して驚き、小さく慄きながらも携える武器を構える。生き残る為に。
 命を奪う覚悟を定める息が吐かれ、群れの動向を静かに睨む。
 意識が、前に集った群れに定まった瞬間であった。強面で見守るレインとフーの視界に、茂みの中から一つの影が飛び込んだ。それは前に出た二人の付近、山崎の襲い掛からんとして。
 前足を広げて突き出し、先端の爪を尖らせる。顔を歪めて牙を剥き出し、噛み付かんとする。意表を衝き、強襲する思惑である事は間違いなかった。
 肉を食い千切らんと意思を漲らせる何かに、寸での所で察した山崎の身体は反応する。仰け反りながら側面から襲い掛かってきた何かを辛うじて躱す。同時に、剣を握る右腕を振るって反撃した。
 黒い柄の先端、嘴の如きそれが白と灰の入り混じる腹部を捉え、そのまま受け流す形となる。肉体を捉え、柄に伝わる振動と感触は山崎の表情を歪ませて。
「新藤!」
「へっ?うおっ!?」
 強襲を受け流した直後に注意を促す。耳にした彼は振り向いた瞬間、急接近する物体が映り込んだ事に吃驚する。そして、反射的に利き腕を振るった。
 程良く研磨された刀身は肉体を捉え、加えられた力のままに別つ。無我夢中で振るわれた太刀筋は先端を斬る。運の良し悪しを問うならば後者であろう、荒き一撃は顔を分断するに至った。
 鮮血を撒き散らしながら地面に落ち、惨たらしい姿は地面を跳ねて転がる。無論、動く事は無い。
 事実をありありと見せられ、顔を青くした新藤の動きが鈍る。込み上げる感覚に囚われての事か。
「退け!新藤!」
 唐突に山崎の命令が叫ばれた。それに従う前に、彼は命令した新藤を押し退けた。強引に突き飛ばし、鞘に納められた剣を縦に振り下ろした。
 その一撃は正面から襲い掛かろうとした一体を返り討ちにする。額を打たれ、叩き落とされたローウスだが、難なく立ち上がり、後方で待機する仲間達と合流して威嚇する。命に別状はなく。
 先程のローウスは怒りを滲ませた唸り声を出し、更に表情を歪ませて彼等を、山崎を睥睨する。急襲を掛けた一体を排除し、総数は変わらない。
「やはり・・・ある程度は頭が良いな」
 正面の群れを陽動とし、別働で確実に仕留めんとする作戦。別動が失敗したとして、先の群れが隙を衝いて襲い掛かれば成功する確率は高い。後者が行われなかったのは、レインとフーの存在を気にしてなのか。
「わ、わりぃ」
「気にするな。それよりも前に集中しろ」
 小さく感心し、僅かな油断を取り払いながら改めて群れに意識を集中させる。そして、思考を広げていく。口調が僅かに変化している事に、本人も気付かない。
「数が多い・・・少しは相手をしてくれないか?レイン、フーも」
 多数で責められると危険は増し、その分手間取る事は必至。決して勝てない相手ではない事を理解しつつも、人手がある以上、変に命を張る必要は無いと判断する。その思いで二人に応援を仰ぐ。
「いや、この程度だったらお前等が仕留めなきゃいけねーわな」
「だね。相当危険な状況にならない限り、手出しはしないから。大丈夫、十分だと思ったら止めに入るから」
 しかし、二人は厳しく切り捨てた。力試しの範疇だと突き付けるように。
 それに、山崎は表情を歪ませる。これが普通なのかと、二人を一瞥する。二人の面は冗談の類は無く、真剣な眼差しで一部始終を見守る。手は武器に掛けているとは言え、動く様子は一切感じられない。
「クッ!」
 不信を、悪態吐く事で誤魔化しながら前に集中する。駆け出したであろう足音を聞いた為に。
「新藤!ノルマは三体ずつだ、分かったな!?」
「お、おう!何かあったら言うからな!」
「当たり前だ!俺との距離や、状況も逐一確認するんだ!」
 記憶の上ではすべき事は朧げに理解する。だが、彼等自身は初めての相手と言え、認知する命を奪う事は初めてなのだ。その呵責も誤魔化すように、互いが大声を上げて確かめ合った。
 武器を構えた彼等のその現状を隙と見定めたのだろう、数体が様子見をするように駆け出し、勢いのまま飛び掛かっていく。だが、それはあまりにも無謀な行為であった。
「来たぞ!」
「分かってるよ!」
 互いに怒鳴るように確かめ合う、しかし冷静に接近する魔物モンスターに対処する。無策な個体に対し、宙に飛び上がった無防備な姿に向け、二人は力の限りに腕を振るう。硬く重苦しい音が、鋭く引き裂く音が共に鳴り響く。双方は両腕を痺れさせる衝撃を伴い、結果は異なっても、地面に叩き落とす結果となっていた。
 地面の上で跳ねた灰色の身体は、力無く崩れ落ち、動く事は無かった。一方は鋭利な切創が深々と刻み込まれて絶命に至り、もう一方は口から血を吐き、痙攣を起こすのみ。行き着く先は考えるまでもなく、二人は各々が仕留めた個体の最期を一瞥し、険しい面のまま意識を他へと移す。
 同胞の亡骸を目の当たりにし、数体が後退りする。怖気付いたのか、尻込みしている様子。それでも、相貌が険しいのは怒りを抱いている事に間違いなく。
 その内に残されたローウスは駆け出す。集中するのは新藤、実力を測ったのか、集中して仕留めんと本能が判断を下したのだろう。しかし、相方が全くの無傷のままに対象を外すのは愚策でしかなかった。
「手前を任せる!俺はその奥だ!残りは臨機応変に対応しろ!良いか、一撃で仕留めろ!!出来なければ、直ぐに言え!分かったな!」
「分かってる!!お前こそしくじんなよ!刃が出てねぇんだからよ!」
「言われなくても知っている!」
 接近するローウス達に向け、二人は怒鳴って確認し合いながら駆け出す。その手に握る武器の感触を確かめながら、一撃で仕留める意思を定めて。
 一連を眺め、レインとフーは黙したまま観察する。一切気を緩める事無く、二人の戦闘姿を監視し続けていた。
 双方が接近すれば瞬く間に対峙する。口を大きく開け、感情のままに襲い掛からんとする一体に、阻止するように苛烈な一撃が叩き込まれる。上段から地面に叩き込むほどに力任せのそれは銀の軌道を走らせ、地面を鮮血で赤く汚す。
 丁度仕留めた新藤に対し、これ幸いと襲い掛かるローウス。狂気たる爪と牙が振るわれる寸前であった。
「前の!」
「ああ!」
 簡潔な遣り取りの直後、獣の顔面に強烈な薙ぎ払いが叩き込まれた。牙は砕け痛々しく白い鞘が減り込み、それでもなお振り抜かれる。払われ、地面に転がり落ちた一体の首はある一点から折れ曲がり、動く事は無く。
 二人が各個撃破した硬直を狙っての事か、吼え出した一体が牙を剥く。激昂し、涎を垂らして行動を終えた山崎を狙う。
「上に斬れ、新藤!」
「応よ!!」
 喉元を狙う大きく開かれた口から、唐突に血が噴き出した。大きく撓った身は衝撃を受け、両端は別々に動く。胸から背に向けて切創が刻まれ、身は強引に分断されていた。分断した身から漏れ出す鮮血で濡らした剣を、力任せに振り上げて停止させた新藤の口から、大きな息が吐かれた。
 丁度直上に差し掛かった一体に向け、力任せに剣を振り上げた。自らの膂力に任せたそれは上手くローウスの身を捉え、切断に至っていた。
 瞬く間に、三体を斃し、計六体を仕留めた二人。血と死体が広がる光景を前に、最初とは異なる顔付きで最後の一体を睨む。戦闘中ゆえか、無意識に思考を為さぬようにしてか、冷静な面持ちで睨み付けて。
 残された一体は憤怒を漲らせ、呻き声を響かせる。威嚇を深め、今にも飛び掛かりそうな様子。逃走か、それとも狩猟の続行か。
 出方を窺いながら身を正す二人。血が付着した武器をゆっくりと構える。その時であった。
「其処を退いて!」
 レインの声が響き渡った。命令のような指示に気を取られた二人、咄嗟に振り返る。その身は指示に従うように仰け反って。
 二人の間に、何かが駆け抜けた。風を切る音から軽く、小さなもの。
 直後、ローウスの悲鳴が響く。くぐもり、かなり苦しそうなそれに二人は視線を向ける。
 距離を開けて様子見をしていたローウスが苦しんでいた。口の中からと矢羽が覗く。吐血し、苦しみもがく。それから、レインが射った事を察する。
 状況を把握した瞬間、山崎は駆け出し、激痛に苦悶する一体に止めを刺す。それは、機を逃さまいとするように、或いはそれ以上苦しませないように。捉え方は彼の動きから推し量るしかなく。
 血溜まりの中、咽返る異臭が充満するその場、二人は息を切らす。目を背けたくなる惨景を前に、顔を歪めた新藤は立ち尽くす。感じるのは罪悪感か。
 また、二人して抱いた疑念は、己の順応した動きに対してである。恐ろしく自然に身体は動いていた。体裁きこそぎこちなさを残しつつも、滞りなく完結させていた。連携が上手く機能した事を差し引いたとしても、素人の手際ではなかった。
 そして、覚悟していたとは言え、魔物モンスターを殺めた。最中は躊躇せず、一切の慈悲も無く、命を奪い去った。直後に嫌悪に囚われようと、直ぐにも割り切って次を仕留めていた。その冷酷な一面を実感し、自身が信じられなかった。まるで、別の誰かに成り果てていたかのように感じ、気分を悪くさせる。
 俯いて己が手を眺める新藤。返り血が付着し、握る剣の刀身には赤い血液が伝う。それが命を奪った現実を刻々と示し、顔色はサーっと悪くなる。現実を否定するように、苦悶の表情を浮かべて眺めていた。
「お疲れ様、二人共。とりあえず・・・離れようか」
 近くに居て、比べて重度に映る新藤の肩に触れたレインが二人に優しく語り掛ける。
 それを受け、二人は現実に引き込まれたかのようにびくりと動じる。一呼吸置き、ゆっくりと頷いた二人はその場から離れ始める。
 レインに背を軽く押され、小さな戦場から離れていく二人。フーからも労われるように肩を叩かれつつ、僅かに振り返っていた。
 亡骸は転がされたまま、溢れ出る地面を汚し、色を変えていく。彼等はその処理をしない。彼等のみならず、他の生物もまたそうだろう。何時か、その亡骸は朽ち果てるだろう。それとも、別の魔物モンスターに食い散らかされるだろうか。
 手を掛けた新藤は面を暗くしたまま、山崎は眉間に皺を寄せて。
 そうして、一行はまずは戦闘を為し、その足で何処かへと歩き出していった。
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