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知らない地、異なる世界

知らぬ場所、城無き城下町 前編

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【1】

 門を経て、巨大な石壁を潜った二人の背後で閉ざされた音が響く。瞬間、瀑布を直接浴びたかのような衝撃が二人に襲い掛かった。
「・・・こんなに、人が居たのかよ」
 そう呟き、新藤は言葉を失った。首を動かす山崎も言葉を発せず。
 人が溢れていた。門前付近、流れ着いた川の水が打ち付けられ、解き放たれるように数え切れぬ人波が彼方へ消えていく。
 正面は大通りである事は一目瞭然。石畳に因って整地された其処は馬車を二つ並べたとしても余裕を残し、尚且つ隣接する建物群との間に歩道を設けるほど。行き着く先は人を退けたとしても見通せないだろう。
 並べた建物群は様々な形状を有し、色鮮やかに飽きさせない。特色や個性的な建築から周囲に融け込めるほどに地味なものまで、まさに千差万別。それも通りだけでなく、視界の端に辛うじて映る人工物から、果てなく建てられている事が分かった。
 溢れんばかりの人々、往来が繰り返される人波を観察していると、女性が占めている事に気付く。大半が妙齢であろう外見であり、見慣れぬ衣服を着込む。見慣れたそれではなく、しかし二人には馴染み深く感じるそれは機能性を追求した、動き易く洗濯のし易いそれら。その趣は今二人が着込む衣服と同じ。
 僅かに混じる男性の多くが武器を所持した。身は頑強そうな鎧や部分的に装甲を固めていたりと武装する。していなくとも、柔な体格をする者は少ない。そうなのは子供ぐらいだろうか。
 見れば見るほどに発見は更新される。だが、門前付近では気付ける者は限られ、序の口と言わんばかりであった。
 そして二人は抱く。映り込む光景は異国のそれだと。建物の造り、石畳の配置、様々な装飾の模様等、どれもが知らぬものばかり。なのに、既視感を抱き、安心してしまう。まるで、帰ってきたかのように。
 その疑問に呈する事は無かった。それよりも気になる事が、この城下町に決定的なものが欠けている事に気付いてしまった為に。
「・・・あっ!レインさん、城下町ってあれスよね?城の周りにあるから城下町って言うんスよね?」
「そうだね」
「でも、城、見当たんないスよ?」
 眺めていれば否応にも気付こう。そう、要とも言える城が、このセントガルド城下町の何処にも建てられていなかった。城が無いと言う事は、荘厳に佇む巨壁を背後に、強固な壁に囲まれる、多少栄えた町と言う事になる。それらだけでも突出した特徴とも言えるのだが。
「気付いちゃうよね。でも、ごめんね、それは分からないんだ。僕が来た時点で城は無かったし、僕より先に来た人に聞いても、元から無かったって。でも、皆そう呼んでいるんだよ。不思議だね」
「そうなんスか・・・」
「・・・そうなのか。だが、今の俺達には関係ないな。それより、これから俺達は如何すれば良いんだ?」
 誰も知らぬ事よりも優先すべきは自分達の事。これからを左右する事を優先して問い掛ける。その山崎に詰まらないと言いたげな視線が向けられるのだが、本人は無視する。
「そうだね。これから、僕が所属ギルドに着いてきてもらうよ。報告をしてからになるからちょっと待って貰うけど、君達には調書を揃えて貰うから。それから町案内をする予定、かな」
「調書?」
「簡潔に言えば、身分証明の為の書類だよ。今じゃ、自分を示すものがないからね。手形とか指紋とかをね。今も昔も、証明するものが無いとね。出来たら似顔絵とかがあったら最高なんだけど、直ぐに絵師さんを呼べないから仕方ないね」
 それを必要とする時は限られていよう。犯罪を犯した時の身分を調べる時か、死亡した時に割り当てる為に必要とするか。なんにせよ、必要になる時は必ずある。
「・・・確かに、身分証明は重要だな」
「しなかったら、何かあるんスか?」
「あんまり不都合はないよ、その時に困るのは周りなんだけどね。管理する積もりじゃないんだけど、把握はしておきたいんだよ。此処に誰が、どれぐらい来ているのかをね」
 その目的に私欲や、不当な利益を求めている様子は感じられない。素朴な疑問は多少残すのだが、不審を抱く必要を感じられない為、それ以上踏み込まれなかった。
 頷き了承する二人を見て、満足気に笑みを浮かべたレインは一足先に歩き出す。
「詳しい話、作業は着いて準備が終わってからするね。それで、今から馬車とレイホースを返して、それから軽く町案内しながら向かうからね」
「分っかりました!・・・しかし、なんかこう・・・別世界って感じだな」
 返却に向かう彼に続きながら周囲を頻りに見渡す。見た事の無い建物が広がり、覚えのない風流に知らぬ土地、興味は大いに湧こう。その忠実な思いに突き動かされてフラフラとする。
「おい、あまりキョロキョロするなよ。直ぐ居なくなるからな、お前は」
 そんな友人に注意する山崎。付き合わされるのは面倒と言う気持ちが大いに表れており、多少口悪くなっていた。
「なんだよ、それ。お前だって、人を置いてきぼりにして、先々行くだろ」
「それはお前が意味も無いのに立ち止まったり、必要以上に止まったりするからだ」
「待ってくれたって良いじゃねーか!直ぐお前は・・・あん時だって・・・」
 売り言葉に買い言葉、二人は機嫌を少々悪くして言い争い始める。うんざりした様子と気に喰わない様子、時折同様の口喧嘩程度のそれを行っていたのだろう。
「これ美味しんだよ」
 言い争う二人の間に唐突に軽食が突き出された。こんがりと焼き、香しい匂いを放つ骨付き肉。実にシンプル、故に単純に食欲をそそる。二人はそれを見ただけで空腹の音を鳴らした。
 持つ場所は包み紙が巻かれ、呆気に取られた二人はそれを受け取る。
「でね、あの店はね・・・」
 二人の様子に気に留める事無く、レインは町の案内を始めながら城下町の奥に向けて歩いていく。
 自分の調子で進める姿に新たな一面を発見し、食欲に従って骨付きを食しながら後姿を見続ける。
 満たされる感覚を抱きながら、毒気が抜かれた彼等はその後に続く。苛立ちは消え、骨付き肉の美味しさを文字通り噛み締めながら。

 城下町は栄えていると断言しよう。公道は常に人で溢れ返り、馬車が通れば人波は割れゆく。その光景は圧巻であり、通り過ぎればまた人で満たされる。その満ち干はまさに波打ち際のように。
 建ち並ぶ建物は自由なばかり。マスの目を描くように正しく建てられた建物群は大波のように、迫力を以って大きく建つ。今にも崩れ落ちそうに見えるのは角度の問題か、圧に押されての事だろう。
 公道は視界に捉え切れぬほどに遠く、それだけでも城下町の広さが窺い知れる。その公道を、溢れ返る人波を掻き分けるように、或いは逆らうようにして三人は進んでいった。
「此処は広場だよ。城下町の中心だね」
 恐らく十数分は歩いたであろう、公道は唐突に広がり、円形の広場が三人を迎えていた。
 石畳が円を描いて敷かれた其処はかなりの広さを有する。其処で球技を行ったとしても有り余るほどに。
 中央には巨大な噴水が備えられる。二段噴水の頂点から水が勢い良く噴出され、小さな虹を描きながら一段目のプールに降り注ぐ。溜まった水は地面へ流れてゆく。
 噴水の付近には等間隔に、円を描いて石柱が建てられる。白を基調とし、蔦を模した模様が描かれる。それが幾本も並び、付近には石像のベンチが設置される。人の身を慮り、滑らかに流麗的な構造をして。
「広いスね。お!遊んでる子供とかが居る」
「そうだね、此処は子供の遊び場の一つだね」
 子供達が笑顔を浮かべ、ボール等の遊び道具で遊ぶ光景が映る。平和の一場面のようなそれに、二人は心を穏やかにさせていた。
「それで、此処を経由して行けば直ぐだからね」
 レインもまた笑顔を零して再び歩き出す。広場から伸びる四つの公道の一つに向けて動かす足は少しだけ軽く。

【2】

「此処が僕が所属しているラファ―の施設だよ。ああ、ラファ―は、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの通称なんだ」
 広場を経由し、別の公道に差し掛かって直ぐであった。左手に構えられた巨大な建造物を指差し、それに二人の顔は向けられた。
 出入口前は空間が設けられ、これと言った特徴は無い。それよりも建物に視線を集めよう。
 その建物は灰の色の石材を用いられた組積造で構築される。二階建てであり、角張った堅苦しい印象を受ける。かなり広い奥行きで壁が広がりつつあり、全体を見て取れぬ事から相当の敷地である事が分かる。
 壁の四方には、小さい真四角の窓が備えられ、部屋の数がある程度推察出来る。特に二階部分は忙しなく感じる程に多く。
 その建物の全体は傷だらけであった。至る所の石材にひびが入り、砕け、酷い場所では抜けている箇所もあったりと、激しく損傷していた。
 かなり年季が入っているのか、他の建物と比べると如何しても褪せて見せる。現に石材の多くが色褪せ、今にも崩壊しそうな雰囲気が醸し出されていた。
「触ったら崩れそうだな・・・」
 近寄り難い外見を前に二人は躊躇った。警戒とも言える。
「風が吹いたら、崩れちまいそうだ」
 その緊張を、見上げていた新藤の呟きに因って解れる。二人は見合い、小さな笑いを零す。失笑ほどではなくとも。
 だが、此処を活用しているレインの前、笑ってしまえば失礼でしかない。笑いを堪えようと努めるのだが、出るものは出てしまう。
「外見はこれでも、中は綺麗だからね?ずっとこれだから、頑丈なのは間違いないよ?」
 そう、苦笑したレインは指摘しながら施設内に踏み入っていった。
 指摘したのだが怒らない点から、少なくとも彼も同じ思いなのだろう。だが、聞かれてしまった為、二人は気まずく見つめ合い、乾いた笑い声を零してから彼に続いていった。
 踏み入った施設はまず、薄暗かった。窓から射し込む陽射しは奥までは照らし切れず、電灯など存在していない。ならば篝火か。建物を支える無数の柱に燭台が取り付けられているものの、火が焚かれていない為、暗いのは当然であろう。
 彼等が立つ出入口を構える広間はかなり広いもので、見渡せば多目的用のテーブルとソファが多数置かれる。階段を中心線に、左右対称で等間隔に設置された柱を除外したとしても、空間にはかなりの余裕があり、百人程度ならば集まる事も可能だろう。
 鏡の如く磨き上げられた床の上、出入り口から正面に真っ直ぐに赤い絨毯が敷かれる。それは正面に構えられた階段へ延び、二階に至るまで続く。また、階段の奥にはまだ空間が続いており、何処かに繋がっているのだろう。
 奥のみならず、左右を見渡せば別の部屋に続いているであろう廊下が映り、幾多の窓から陽射しが射し込んでいる。
 そのようなかなり広き施設だが、驚くほどに静かであった。溜息が響き渡るほどに、足音が木霊してしまう程に静寂に包まれていた。
「皆忙しくて、殆ど出払っているんだ。だから静まり返っているけど、気にしないでね」
 苦笑を零しつつ、出入り口付近に設置された椅子に腰掛けるように促す。それに応じた二人は椅子を軋ませて腰掛けた。見た目より座高が低く、硬質の木製のそれの座り心地は多少悪く。
「それじゃあ、報告してくるから此処で待ってて。直ぐに戻ってくるから」
 そう言い残すと、レインは足早にこの閑寂とした施設を走り去っていった。
 よく響く足音を耳に、腰掛けた二人は椅子を重々しく軋ませた。
「これから如何する?」
「如何する、って言われてもな・・・」
 不安が過ぎる、不安しかなかった。まだ夢の中に居るのではないかと疑うほどに。しかし現実であり、だからこそ不安が頭を掠め続けた。
 何であれ、生きるしかない。その漠然とした考えを巡らせていると、響き渡った誰かの足音に意識が集められた。レインのものではないそれは、入り口正面に構えられた階段から聞こえ、二人の視線は音が鳴る方向へ視線を向けた。
「・・・あら?誰か待っているの?」
 軽く、良く響き渡る足音で降りてきたのは女性。レインと同年代とおぼしき彼女は非常にラフな軽装をしていた。
 薄暗闇の中でも際立つほど白いシャツ、関節部付近や裾などの数ヶ所が敗れた使い古した青いジーンズ、歩き易さを重視した運動靴と随分と身軽な恰好であった。
 そして、驚く事に腰には剣が提げられていた。服装に見合わぬ、物騒なそれを所持するその面は整った顔立ちをしていた。
 歳相応の面は凛々しく、表情を和らげていなくとも美景である事は確か。やや吊り目、水色の大きな瞳は知的さを感じられる。黒く長い長髪を括り、ポニーテールを揺らす。
「いや、俺達は来たばかりなんだ。今さっきレインに連れられて来て、待っている途中だ」
 階段を下り、近くまで来た彼女に軽く説明する。
「もしかして、連絡にあった二人?この世界に来たばかりの?」
「多分そうス。あれっスか?此処の人?」
「ええ、私は・・・」
 自己紹介を始めようとした時であった。静まり返ったその場に騒々しい足音が響き出す。確認すると、奥からレインが駆けてきた。
「ごめんね!こっちに居ると・・・あっ、居た!」
 明るい声の彼は女性を見て、一層大きな声を出す。
「え?私を探していたの?」
「そうなんだよ、奥に居ると思って行ってきたと処なんだ。丁度良いや、序でに紹介するよ」
 切れる呼吸を整えたレインは彼女の隣に立つ。
「彼女はユウ。此処のリアの代役を勤めてて、凄い頑張り屋さんなんだ」
「半ば強制だけどね、宜しく」
 苦笑を浮かべる彼女だが、嫌悪感を出さずに、寧ろ遣り甲斐を感じている様子から、嫌々では無い事は確か。
「宜しく、山崎和也だ」
「進藤晃っス。リアって、誰なんスか?」
「ああ、リアは責任者とか、リーダーって意味。今、不在なんだ。何て言うか、自由奔放な人だから」
「今は私とレインが代役を担っているの。その内会えると思うけど、今はこの状況なの。取り敢えず、宜しくね」
「ああ、これからどれぐらいの付き合いになるか分からないが、宜しく頼む」
 紹介は簡潔だが済まされる。交わされた笑顔から良い人だと判断し、山崎は僅かに抱いていた警戒を解いていた。
「それで、連れてきたのは手続きの為?」
「そうなんだ。その為にユウに探していたんだよ。許可を貰おうと思ってね」
「そんなの、私に聞かなくても良いじゃない。まぁ、良いわ。丁度、休みたいと思っていた所だし」
 わざとらしく彼女は首筋を抑えて動かし、疲労が溜まったとアピールする。
「もしかして、さっきまで仕事をしていたの?」
「そう。でも、ちょっと疲れてきたら気分転換をする為に降りてきたの。それで、今に至るって訳」
「疲れているのに、悪いな」
「良いのよ、気が紛れるから。それに、それも仕事の内なんだから」
「さぁ、こっちに来て。直ぐに済むから」
 二人の遣り取りは実に和気藹々とし、日頃の様子が推測出来た。
 険呑とした雰囲気ではなく、誰もが気軽に足を運べるようなそれに包まれている。それ故の多忙さであろう。だが、馴れ合いを求め、真摯な態度で仕事に当たっていないと見てしまいかねない様子と言えた。
 ともあれ、悪くない職場の空気と認識した山崎と、何故か楽しそうな新藤はレインとユウに案内されていく。向かう先は、出入り口から向かって右方向へと。
 やや狭き廊下の公道側には、縦長に大きな窓が設置される。射し込む光が煌びやかに感じるのは、適度な薄暗闇と狭さがそう思わせるのだろう。
 陽射しを遮っていくと突き当たった先には扉が構えられる。素朴なそれは開かれ、二人に促された山崎と新藤は踏み入る。直後、視界に入り込んだ光景に驚いていた。
 二人の視界に押し寄せてきたのは、今にも溢れ出しかねないほど敷き詰められた書類の山。正確に言えば、空間を席捲する夥しき棚に、埃の一つすらも許さぬほどに敷き詰められる。
 また、歴史が詰め込まれているであろう、色褪せたり、破けてしまった本も同じようにギチギチに詰めてかなり不安定に。
「な、何だ!?」
「うお、吃驚した!何スか?此処」
「此処は資料室って呼んでいるよ。色んな本とか資料が保管されているんだけど、まぁ、大抵が読めないんだ、劣化が酷くてね。便宜上は資料室って呼んでいるけど、保管庫と変わらないね」
 その説明は納得出来るもので、溢れてこない事に一安心した二人は促されるまま中に入る。
 部屋の中は見た目通りにかなり狭く、少し歩いただけで棚に接触してしまう。だが、固定具で留められているのか、敷き詰めた本や資料の重さなのか、微動せず。
 直ぐに彼等を迎えたのは、中央と思しき一寸した空間。其処には小さめのソファと卓袱台のような木製の机が置かれる。一見すれば物置に見える空間であっても資料を見る場所は確保されており、既に何かしらの書類が散らかされていた。
「あ、ずっと前に使ったままで置きっ放しだ」
「もう!ちゃんと片付けて置いてよ!」
 レインは案外ズボラな性格なのだろうか。そして、ユウは多少几帳面な性格なのか。気楽に笑う傍、書類を集めて整理する彼女は小さく怒って。
「ごめんなさい、散らかってて。さ、座って、そして、これらを書いてもらえるかしら」
「ああ、分かった」
「はいっス」
 指示に従い、腰掛けた二人は羽ペンと黒インクが入った小瓶を横目に、差し出された書類に目を通す。
 名前から始まり、見慣れた自己を示す項目の他、朱肉を用いた指紋採取や歯形などの個人を判断する為に必要とする項目もあった。
「あ、それと、名前は二つ目の名前も書いていてね」
 いざ書こうとした手が止められてしまう。
「何故だ?」
「まぁ、皆書いて貰っているし、念の為だよ。その人を判断する為の書類だから、多い方が良いしね」
「・・・そうか」
 答えるレインの顔を眺め、独白を挟んだ山崎は応じて再び書類に面を向けた。その胸の内、小さな棘が残しつつ、見覚えの無い不可思議な形の文字を書していた。
 その事態に驚きはすれど、些細な事と切り捨てる。それは新藤も同じであろう。不可解な懐かしさを覚えながら腕を走らせる二人。際に使う羽ペンは妙に手に馴染んでいた。
 自己を証明する書類を揃えている中、山崎は複雑な心情で机上を見つめていた。まるで、何時でも死ねる準備をしているようだと、沈む思いを抱えてしまう。だが、考え過ぎかと一蹴し、早々に揃えていった。
 数分も掛けずに記入を終える。先に終え、呑気に笑う進藤を睨みながら、順調に書き終えてユウに手渡す。
 穴が開くほどに眺めた彼女は小さく頷き、それを丸めて紐を用いて纏める。
「大丈夫、これで終了よ」
「そうなんスね、ありがとうございます」
「何から何まで悪い」
 遣るべき事を終えたと息を吐く二人。漸く、息を吐けると言っても過言では無く、やれやれとソファに身体を預けて脱力していた。
「後は、町の案内とか、宿屋に案内するぐらいだけど・・・その前に聞いておきたい事があるんだ」
 緊張を解いた二人に対し、レインは改まって何かを切り出そうとする。それに因って、二人は再び適度な緊張を以って対応した。
「何をだ?」
「ラファー、僕達のギルドを手伝ってみない?」
 それは二人にとって思わぬ誘いであった。

【3】

「え?如何言う事スか?」
「そのままの意味だよ。ラファーの勧誘だよ。如何?」
 予期もしなかった展開に二人は戸惑う。一番戸惑ったのは意外にも山崎かも知れない。複雑に顔を顰める彼、その内心は別の懸念を感じられた。
「・・・何か資格とかは要らないのか?俺達が使い物になるかも分からないんだぞ?」
「資格とかは要らないわ。そもそも、突出した能力とかは求めていないの。誰しも身体能力とか、知識には差異が出来てしまうし、選り好みしている状況でもないから。だから、本人の意向も鑑みて、適材適所な仕事をして貰う積もりなの」
 専門的な能力に特化した形ではなく、顧客のニーズに答えられるような多様性を求めての視野、ではない。新たに来た人であろうと人材として扱い、雇う事もまたギルドとしての方針の一つなのだろう。異なる観点で見たならば、それだけ余裕が無いとも言えようか。
「・・・誘ってくれるのは有り難いが・・・」
「ええ?何だよ、山崎。良くねぇか?」
 尻込みと言うよりも誰かの手助けになるそのギルドに関わる事を拒む様子。その彼を、早速乗り気である新藤が疑いの視線を向ける。興味を持ったならば何でも手を出そうとするのは、彼の悪い癖である。
「まぁ、突然だしね。考えて、おいおい決めてくれたら良いよ」
「そうね、無理強いは良くないわ。他にもギルドは在るし、関わらずに生きていくのも人それぞれだもの」
「気になってたんスけど、ギルドって他にも在るんスか?そもそもギルドって何スか?」
 そこでそもそもの話も持ち出す新藤。その姿に山崎は額を抑えて溜息を零していた。
「ギルドと言うのはね、非営利組織NPOは知っているわよね、それに近いかしら。同じ目的を持った人間が集まった組織の事を言うのよ。職業、と捉えても良いわ」
「ああ、そうなんスね」
 噛み砕いた説明に彼は納得を示す。本当に納得したのかは分からないもの。
「それで、そのギルドは幾つあるんだ?」
「実は指で数えられちゃうんだよ。四つでね、えっと・・・」
 人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダー、通称、ラファ―。この世界に招かれた者達の支援に始まり、この世界の調査、住民から寄せられた苦情の解消と言った、とどのつまり何でも屋に近い。
 法と秩序ルガー・デ・メギル、通称、メギル。この世界に置ける法と秩序の番人。以前暮らしていた世界の法律を流用した法律を流布し、日夜、犯罪者を取り締まる。まさに、警察と呼べる組織。近隣住民の依頼を受け、魔物モンスター討伐を担ったりする。
 天の加護と導きセイメル・クロウリア、通称、セインクロス。戦闘を好まない団体であり、当然戦力は皆無。身寄りのない子供達を養う慈善団体であり、もう一方の顔として、不思議な力を有した職員の集まりで、怪我を短期間で治癒させられる。
 赫灼の血パティ・ウル・カーマ、通称、カーマ。女性だけで構成された団体であり、戦闘狂と言っても過言では無い。その証拠に、魔物モンスター討伐や犯罪者の捜索などを一身に請け負う。その仕事振りは悪寒を感じる程に非情だと言う。
「・・・と、こんな所だね」
 簡潔だが、四つのギルドの説明を終えた彼は一息を吐く。
「色んなギルドがあるんスね」
「そうだな。どれも面倒そうだがな」
 ついつい、本音が吐露されてしまう。実際に入っている者を敵に回しそうな発言であり、目の前に居ると言うのに。
「大変な仕事なのは認めるけど、その分、遣り甲斐のある仕事だよ」
「そうね、責任のある仕事だから心労も溜まるけど、喜ぶ笑顔を見られるのはとても達成感あるわね。ああ、手助け出来て良かった、って」
 二人は笑顔を浮かべて語る。自身の仕事に誇りを持ち、嬉々として語られる姿は感心が抱かれよう。装う事無く、自身の気持ちのまま語れるのは人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーが良い場所である事の証明であった。二人の言うように、場所を、人を、思いを繋いでいく意思が募った場所に違いないだろう。
 明るい表情の二人を眺めていた山崎がふと、隣の新藤の変化に気付く。僅かに身体は震え、その目を輝かせていた。
「俺、ラファ―に入りてぇっス!!」
 身を乗り出し、膨れつつあった感情を爆発させて叫び出す。それには意表を衝かれた二人は驚いて言葉を失い、隣の山崎は表情を険しくさせて溜息を一つ。彼の短慮に対して呆れて。
 二人の笑顔に惹かれたのだろう。苦悩を顔に宿さず、眩いほどの笑顔を浮かべられる気概は見習いたいもの。若しくは、命を救ってくれた恩人に恩返しをしたいと言う、謙虚な思いから来る発言か。或いは、その両方かも知れない。
「お前、その早合点は如何にかならないのか?」
「何だよ!?お前は入りたいとかならねぇのか!?良い場所じゃねぇか!レインさんとかユウさんとか良い人ばっかでよ?断然、入らなきゃ損だろ!?」
「だから、お前は・・・」
 心情は理解出来た。だが、何事も自らの感性のみで決め、動くその性格を嫌い、辟易としていた。
「そうなんだ!嬉しいよ、仲間になれて本当にね!」
「そうね、ずっと人手が足りていないし、願ったり叶ったりだわ」
 たった一人と言えど、仲間が増える事は喜ばしいのだろう。また、どのような状況下知らないが、ともすれば猫の手も借りたいほどに。
 如何であれ、歓迎されていれば気持ちは昂揚しよう。新藤は気分を良くして、憎たらしい笑い顔を見せていた。
 次に向けられる期待の眼差し。次は君かな、もしかして?と、言いたげな思いを寄せた視線は山崎にかなりの圧を与えた。
 心情はひしひしと感じ取り、苦悶の表情を浮かべる。最初に零したのは溜息であった。
「・・・悪いが、考えさせてくれ」
 期待に沿えない事を引け目に感じながら頭を下げた。
 その姿を前に、二人は残念そうにするのだが、仕方ないと眉と肩を落として納得するような仕草を行った。
「そうだね。直ぐには決めれないよね」
「無理強いはしないわ。貴方の権利だもの」
「ま、大丈夫っスよ!俺が説得しますから!」
 隣で新藤が妙な自信で言い放つ。胸を張った自信過剰な彼を見て、首を傾げるレインとユウ。彼の性格を知る山崎は嫌な予感を感じて睨み付けていた。
「兎も角、しなきゃいけない事もしたし、今度は軽く町案内をするね」
「おっ!漸く町を案内してくれるんスね!」
 話題は変わり、町案内となった瞬間、新藤は急激に興奮する。知らぬ地を探索する冒険心溢れる少年心であろうか。
「そうね、これから此処で生活するんだし、ある程度はしないと」
「でも、簡単にするから、詳しく知りたかったら、暇を見つけて行ってね」
「ああ、案内してくれるんだ、文句は言わないさ」
「んじゃ、行きましょう。ささ、早く、早く!」
 興奮の冷めない彼は二人の腕を引き、山崎の背を押して急かす。それに、うんざりとした様子と、頼りにされて嬉しくて出る笑顔が零された。
 そうして、資料室を後にし、ラファーの建物を足早に出て行った。

【4】

 石畳に因って整地された公道には多くの人が往来を繰り返す。
 公道を挟んで反対側に建ち並ぶ商店はとても騒がしい。往来の雑踏に因る雑音も跳ね除ける、客引きの女性の声が良く響く。その元気な声は町中を鮮やかに彩ろうか。
 とある店の中では、福与かな女性達が熾烈な競争を演じている。競う対象物は食材、理由は定価より大分安く、安くされる時間制限がある為に。争う姿は、圧倒されるほどに凄まじく、気品や情緒と言った概念が一切欠如した、野蛮な光景であった。
「それで、どんな風に行くんスか?」
 期待を膨らませる新藤が早速予定を問い掛ける。
「先ずは広場に行くよ。その間に、セントガルドの大まかな構造を教えるよ」
 言っては楽しみが無くなると言うような口振りで歩き出す。公道に流れる人波を割くように行かず、建物に沿うように。
セントガルド城下町此処はね、さっきの広場が中央に在って、其処から四方向に大きな公道が真っ直ぐに、外に繋がる門にまで続いているんだ。そう言う事で、四つの区画に別れて・・・」
 東区画は工業区と呼ばれ、様々な分野の職人が住んでおり、日夜、喧騒のような作業音が鳴り響いていると言う。研鑽し、向上心が溢れる者達が多く住み、同じように力の向上心が高いギルド員で構成された赫灼の血パティ・ウル・カーマの施設が構えられる。
 西区画は商業区として知られ、その名の通り、商業を営む建物で溢れ返る。色とりどりな店は常に競争状態であり、表面上は和やかでも互いに潰し合うほどに競争心溢れる。商店の数が少なく、潰れる店舗が無い事が幸いか。
 南区画は特別な呼称は無い。開発が進んでおらず、空き家が多く、閑寂とした区画。それを補うように、西南方向の公道沿いに人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダー、東南方向の公道沿いに天の加護と導きセイメル・クロウリアの施設が建てられる。
 北区画は生活区として一番多く活用され、文字通り多くの住民が住まう。東北方向の公道沿いに法と秩序ルガー・デ・メギルの施設があり、所属するギルド員もその区画に住まう。
「・・・と、こんな風になっててね。まず、近いセインクロス方面の公道を行って、工業区に行ってガストールさんの所に寄って、メギルの建物を見た後、生活地区を通って、商業区でジュドーさんの所とか、服とか雑貨を売っている処を案内しようかな、って思っているんだ。まぁ、主な建物を案内するだけになっちゃうね」
 大雑把な予定を話している間、二人は多くの人々に話し掛けられていた。
 話し掛ける人々は実に様々であった。年若く、武器と防具で武装した戦士風の人も居れば、同世代と思われる使い古して年季の入った装備をする男女、親に連れられた幼子や元気活発な子供、腰の曲がった老人や年季を感じる中年戦士までもが気さくに。
 それに対して、二人は朗らかに、笑顔で接していた。それこそが人徳であり、信用に足る人間性が見受けられた。その姿を、笑顔が広がる光景を目の前にして、山崎と新藤は改めて見直していた。
 少々時間を喰いながらも、四人はセントガルド城下町の広場に到着する。半時間前と変わらぬ景色が広がる。
「セインクロスの事はさっきも聞いたんスけど、慈善活動している場所なんスよね?」
「そうだよ、アニエスって言う女の人が責任者をやっててね、教会のような場所なんだよ」
「教会?」
「ええ、そうね。でも宗教性は一切ないわ。教会に似た施設を使っているけど、中庭は運動場になってて、宿泊施設もあるから、実質的に言うと孤児院ね」
「孤児院、か・・・」
 広場から公道に渡りながら山崎は物思う。憐れみ、悲しむ思いと同時に納得した事に因って、その面は複雑に。
 この世界に来た時、身寄りを失う事は大いにあろう。魔物モンスターに襲われてしまえば、若しくは。前の世界よりも死との境界線は狭まった、悲しい事に命を失い易くなったのだ。その現実に、彼は気分を暗くさせて。
「子供かぁ、どんな奴等なのかなぁ」
 孤児と言う言葉に反応せず、子供と言う事実を知った新藤は期待を膨らませた。
「あれ?晃って、子供が好きなの?」
 そう認識したレインは意外そうにする。それには友人として接してきた山崎も同様に。
「そうっスね!容赦無いっスけど、一緒に遊んでて楽しいし、純真無垢、って言うんスか?何でも真剣に聞いて知識にしてくれる所とか、凄(すげ)ぇ楽しく遊ぶ所とかが、好きなんスよ。近所の子供とか、俺の母校の小学校に行ってしょっちゅう遊び相手をしてたんスよ!」
 昔を思い出し、寂しげな表情を一瞬だけ見せた彼は満面な笑みを見せ付けた。強がるようなそれにレインとユウは同情するような切ない面で小さく頷いた。
「・・・なら、何時か来てみると良いね。きっと歓迎されるよ。遊び盛りの子供達ばっかりだからね」
「そうね。でも、今日は案内するだけだから、場所を教えるだけで寄らないの。ごめんなさい」
「良いっスよ!また、暇を見付けたら行くっスから!」
 この世界の楽しみを一つ見付けたと気分を弾ませる姿を、微笑ましく、されど内心の傷を憂いて表情を暗ませていた。
 多少人気が薄れ始め、公道等の至る個所に損傷が薄れ始めた頃、会話しながら公道を進み歩いていた四人の視界に目的地が過ぎり始めた。
「・・・本当(ほんと)に、教会っスね」
 隣接する建物と同じ高さの白き塀に囲まれ、その奥行きはどれ程のものか。扉無き門を正面に構え、其処からのみならず塀を越えて起立する建物は純白に染められていた。
 その趣はまさに西洋の聖堂であった。白を一色とし、薄茶の大きな扉を正面に構え、かなりの広さと大きさの有る建物は周囲のそれとは全く異なる。
 扉の上部には、黄金に鈍く輝く巨大な十字架が飾られ、信仰のシンボルとしては十分過ぎる特徴である。されど、それは形式だけだと言う。
 薄茶色の屋根から飛び出るように伸びる塔、その最上には黄金に光り輝く鐘が鎮座する。その輝きは一時も褪せず、薄れる事無く、何もせずとも鮮麗な音を奏でそうなほどに美しく。
 門から見える範囲では、建物の両側、並行する塀の傍には広葉樹が植えられ、奥に続く。事前の説明では中には運動場が、宿泊施設が設けられているようだ。だが、塀に遮られてみる事は出来ず。
「そうだね。信仰がある訳じゃないけど、此処に時々お祈りに来る人が来るんだ。そして、傷を治して貰いたくて来る人もね」
「へぇ~、おっ?」
 説明の最中、敷地内から声が聞こえた。弾むような、元気な子供達の声。それに反応した新藤は胸を弾ませる。
「楽しそうだなぁ~!今すぐ乱入して遊んでやりてぇけど、今はしゃーねぇか!」
 珍しく割り切った彼は三人に向き変えると実に嬉しそうな笑顔を見せた。
「さ!次行きましょうか!」
 まるで希望を見付けたかのように晴れやかな笑顔に押され、三人は思わず破顔して公道を引き返していく。付近の軽い説明を受けながら。
 とある横道に差し掛かり、迷いなく踏み入っていったレインに続いていくと、次第に聞こえてきたのは耳障りなほどに響く金属音であった。

【5】

「次に行くのは、ガストールって人か・・・」
「しかし、良かったのか?わざわざ案内してくれて。責任者でもある二人に案内して貰っている最中だから、あれだが」
 建物の高さが変わり、少し薄暗くなった道を進む途中。友人の呟く声を耳にしつつ、山崎が素朴に問いを投げた。
「ん?そうだね、純粋に人が居ないからだね」
「仲間、ギルド員は二十数人程ね。ステインは、ある依頼を受けて出て行ったきり、帰ってきてこないままね」
「ステイン、はリアなのか?」
「そうだね。ステインさんはこの世界に来た人達の中でも古株で、どんな武器でも上手に扱える人なんだ。実力は折り紙付きだよ!と言っても、皆合わせて百人にも満たないから、過大評価になっちゃうけど」
「それでも凄いんスね」
「その分、好き勝手に動き回る人だから、迷惑掛けられてばかりなんだけどね」
 人には必ず良し悪しがある。険悪な表情で語らず、寧ろ明るい雰囲気なのは好感を持っているからこそであろう。
 会話をしつつ、周囲を見渡していた山崎は変化に気に留めていた。様々な方向から聞き慣れない音が聞こえてくる他、建てられた石造りの建物は不自然なほど年季を感じた。
 多くが激しく損傷し、酷いものだと半壊している建物まで存在する。劣化が酷く、粗雑な補修跡も多く見られる。道端に点在する、山積した木箱や袋はゴミか何かしらの材料か。見分けられないほどに散らかり、正直汚らしい光景であった。
 区間が変わるだけで目に見えるほどに変化、それだけで大よその雰囲気が掴めるもの。空気が多少澱み、悪く感じ取ってしまうのはやはり第一印象と言うもの。そう、ゴロツキが居座って良そうな、悪き印象。
 決定付けてしまうのは、擦れ違う他人が鎧姿で剣を携えた屈強な戦士風の男ばかりと言う点。多くがガラの悪そうな、距離を開けてしまいかねない人相や姿の者が多かった為。
 環境の変化に気に留めていると、案内してくれるレインが立ち止まった。少々幅のある道で止まった為、その周辺である事は確実であった。
「さぁ、着いたよ」
 その一言に山崎と新藤は近くの建物を確認した。似たような大きさの建物が三件、その視界に映される。
 一つはやけに綺麗な外装、ごく最近に建てられたと思われた。二つ目は苔でびっしり覆われて緑に染まり、長い年数を感じ取れる外見の建物。三つ目は、入り口の扉が見当たらず、受付の窓と思わしき窓口しか見当たらない傷だらけの建物。どの建物を差しているのか、悩み処であった。
「あの綺麗な外装の建物じゃね?山崎は如何思う?」
「いや、そんな事は如何でも良い」
 山崎は素っ気ないもの、下らない事をするよりも目的を為す事を優先する。フラれた新藤はつまらなそうにし、レインの動向を見守る。固唾を飲み、正解の発表を待った。
「おぅ?其処に居ンのはレインか!如何した!?ここ最近来てなかったが、元気にしてたか!?」
 野太くしゃがれた男性の声がとある方向から聞こえた。続き、豪快な笑い声が轟かれた。周囲を憚らない、気分のままの笑い声は耳の奥が痛くなるほどの声量があった。
 耳を押えながら見渡して声の主を探す新藤。その視界の中、場所を知るレインは迷いなく、その方向へ歩いていった。
「こんにちは、ガストールさん。ええ、元気にしてましたよ」
 正解は示された。三つ目の、受付窓しか見当たらない古ぼけた建物、その陰から人影が一つ。答えが外れた新藤は露骨に肩を落とし、その姿に溜息が零されていた。
 項垂れる新藤に小さな笑い声が零された直後、再び野太い男性の声が轟く。今度は繊細に聞こえ、声の主を確認しようとするのだが、レインに遮られて良く見る事は出来ず。
 辛うじて見えたのは、かなり太き腕が、束ねた鉄の述べ棒のようなものを肩に乗せている部分だけ。中途半端に見えるのはもどかしく、移動してから再度確認して。
 自信たっぷりに立つ男性はそれなりに年齢を召す。頭髪に白髪が混じり、顔に皺を多く刻み込む。故なのか、人生の荒波を耐え切ったような面は常に厳しく険しく、蓄えた白い口髭が威厳を放つ。
 初老に差し掛かったと思われる男性だが、それを全く思わせないほどにその肉体は筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしていた。けれど、腹部は少々だらしなく膨らみ、人間味が見て取れる。
 そんな彼は薄汚れた、袖の無いツナギの作業着を着用する。凝視すると袖が千切れており、その様になっていた。
 立ち振る舞いや外見の通り、それなりの地位に立つのだろう、立ち振る舞いは実に堂々とし、寧ろ威圧感を常に生じさせる。けれど、それは意図してではなく、眺めた者が感じる印象と言うものだ。
「おお?かなり珍しい事にユウも居やがるな!」
「ええ、お久しぶりです。ガストールさんも相変わらず元気そうで良かったわ」
 二人は面識があるようで、普段通りの態度を見せる事から、ガストールの態度も普段通りのものだと察した。
「二人して何の用だ?もしかして、後ろに連れている野郎共の世話か?あれか?お前等の所の新人か?」
 首を動かし、二人の後方を覗いて山崎と新藤の二人の姿を捉えて質問を投げる。それに反応し、話題に出された二人が前に出る。
「此処に新しく来た人で、そうじゃないんだ。青色の髪をした彼が新藤晃で、その隣に立つ赤い髪の彼は山崎和也って言うんですよ」
「ほぅ、新しく来たねぇ・・・それでか。武器とかを見繕って欲しいって言う話だな?」
「そう言う事です。ですから、見て貰っても良いですか?」
「そいつは良いが、どれどれ・・・」
 レインに頼まれ、鉄の延べ棒を建物の傍に置いて、山崎と新藤にズイッと接近する。
 およそ二メートルほどの巨体に迫られてたならば、その圧力は否応なしに感じよう。少なくとも、顔を近付けられ、まじまじと睨み付けられたならば。現に新藤は微かに覚えて。
 下から上まで凝視される中、山崎もまたガストールと呼ばれた初老の男性を眺める。その際であった、奇妙な感覚に囚われていた。何故か既視感を覚えた為に。
 しかし、それは有り得ない事。この世界に来て、一度たりとも在った事がない。なのに、抱いた感覚はまるで十年来の知人に再会したかのように。そして、思い出す。この世界に来て直ぐに同じ感覚に襲われた事を。新藤は如何かは分からない。
 また、当人に至っては違うのか、或いは同様の思いに襲われたのか、渋い顔をして二人をまじまじと眺める。そして、何かに納得を着けたのだろう、豪快な笑みを繰り出した。
「んー?気の所為か・・・ハッハッハ、まぁいい。レイン、こいつらの腕前は如何だ?戦える奴等か?」
「少ししか見ていませんが、大丈夫だと思います。少なくとも戦える勇気はありましたね」
「そんな気はしてたが、そうかそうか。だったら、見繕ってやるよ」
「ガストールさんの観察眼は確かですからね、是非お願いします」
 彼に対する信頼は絶大なもので、気分を良くした彼の太鼓判にレインも安心した様子。兎に角、気に入られた事を察する。
「んでだ、先ず、そっちの青いの。なんだぁ?その剣は!お前、何て使い方しやがんだ!!」
 唐突に激昂し、一気に距離を詰めて胸倉に掴み掛かるガストール。そして、驚異的な膂力を見せ付けるように持ち上げたのだ。良い体格をした成人男性を持ち上げる腕力、即座に敵に回せない事を悟るだろう。
「え、ええ!?な、何何何ッ!?いや、何!?何の事ォッ!?」
 突然の事態に動転する新藤。首元を締められて息苦しい筈なのに、それを忘れてしまう程に困惑する。
「お、落ち着いて!いきなり怒っても仕方ないから!まず落ち着いて話をしましょう!?」
 慌ててユウが呼び掛けるのだが、怒りがそれだけでは鎮火する事は無く、持ち上げて揺さぶる動きは、そのまま投げ飛ばしかかねなかった。
「落ち着いて、ガストールさん!その剣は拾ったものなんだって!晃が悪い訳じゃないんだよ!」
 必死に弁明するレイン。その声が耳に届いたようで、ピタリと動きが止まる。
「・・・本当の事か?」
 怒りを抑えたガストールが問うのだが、新藤は既にぐったりとしてしまって答えられない。
「本当だ。拾う時、俺が隣に居たからな」
「・・・そうか」
 山崎の説明を受けて漸く納得し、怒りを鎮めた彼はゆっくりと腕を降ろしていった。
「いやぁ~、悪いな。早合点して」
 ぐったりと地面に崩れ込む彼。苦しさはさて置き、ガストールの迫力に気圧された結果であろう。
「詫びと言っちゃあなんだが、剣をやるよ」
「えっ!本当っスか!?」
 その提案を聞いた瞬間、新藤は飛び起きて声を大きくさせた。
「おう、本当だとも。そもそも、そんな剣を持っているのを見たら、俺が苛々しちまうんだよ。病気以外何も言わずに受け取れってんだ。ちょっと待っていろ」
 失礼を誤魔化すように豪快に笑い出したガストールは延べ棒の束を再び担ぎ、建物間の通路へと消えていく。
 その姿を見送った直後、新藤が振り返った。にやけた面で盛大なガッツポーズを見せ付けた。
「やったぜ!俺は最初からガストールさんは良い人だと思っていたよな!」
「ちょっと苦しい目に遭った甲斐があったわね」
 何とも現金な性格だろうか。心にも無かった台詞にやれやれと首を振って呆れ果てていた。
「おい、新藤っての、こっちだ。こっちにこい」
 直ぐにもガストールの迫力のある声が響く。その方向を向けば、傷だらけの壁の一部、備えられた受付窓が開いていた。其処から半身を乗り出した彼の姿を発見する。
 それを見て、ウキウキ気分の新藤はスキップ気味に彼の元へ駆け寄った。
「ほら、これだ」
 一度身体を戻し、再度半身を乗り出して威厳を以って肘を着く。なんとも窮屈そうに乗り出した彼は、新藤に向けて太い腕を突き出した。待ってましたと受け取った新藤はまじまじと眺めた。
 黒い線が二本、中央に沿って描かれた鞘。中央にはベルトが付けられ、身体に取り付けらえる長さ。それ納められた変哲もない剣。片手でも持てる重さと柄の長さ、刀身の長さも差し支えない長さ。
 今にも叫び出しそうな満面の笑みの彼は鞘から刀身を覗かせた。その刀身は両刃であり、奇を衒っていない実にシンプルな形状。鉄の材質が良いのか、良く磨かれているのか、光を良く反射する。
「・・・っぃやったァッ!!」
 一呼吸置き、天高く掲げた彼は叫び出した。嬉しさのあまり、感情に突き動かされて。
 その姿はまるでおもちゃを買って貰った子供のよう。派手に興奮する姿を、レインとユウは微笑ましく見守る。付き合い長い山崎は違い、容赦なく頭部を小突いて黙らせていた。
「それで、お前が持っていた、そのガラクタ同然の剣は如何するんだ?」
「えっ?コレっスか?」
 指差され、確認する刀身が砕けた大剣。指摘通り、ガラクタ同然でとても使えないであろうそれ。
「処分しといてやろうか?それとも、修復してやろうか?」
「えっ?直せるんスか?」
「お前、俺が如何言う人間か知らねぇで来たのか?」
「あっ!言うの忘れてた」
「お前なぁ・・・」
 つい、概要を伝える事を忘れていたレインに、ガストールは呆れて溜息を大きく吐き捨てていた。続いて、潜めた溜息もまた。
「俺は鍛冶職人だよ、武器専門のな。だから、修復出来るんだよ。まぁ、殆ど一から作り直しになっちまうがな」
 それ故の体格と言うのだろう。そう言われれば納得の出来る威厳と態度の大きさであった。
「で、若し修復となれば、それなりの金額を貰う所だが、まぁ、後々、溜まってからでも良いからな」
「・・・えっと、そう・・・っスね・・・お、願いしても、良いっスか?」
 顔に皺に刻み込むほどに深く熟考する。その結果、とても苦しそうに修復を選んでいた。
 それを選ぶと言う事は、新藤もまた、その剣に何か愛着を感じているのだろうか。それとも、彼すらも知らぬ思い入れに囚われての事か。
「なら、それでいい。出来たら誰かに送らせるからな」
 仕事が決まったと満足気なガストールは砕けた大剣を仕舞い、再度半身を乗り出した。
「それで、そっちのお前」
「俺か?」
 指名された山崎は数歩近寄る。
「・・・お前さんは、それで本当に良いのか?」
「如何言う事だ?」
「それ、拾った奴なんだろ?得体の知れないものを持ち続けるのは如何なんだ?まだ、安くても市販の奴にした方が良いだろ?代替品なら用意してやるぞ?」
 そう言われ、山崎は改めて自身が持つ剣を確認する。白い鞘に納められた黒い剣を穿つかのように。
 異様な軽さを再確認する。剣を持っているとは思えぬそれの柄は妙に手に馴染む。
 剣としては不調それを見ていると、奇妙な安心感を抱く。同時に、頭の奥から何かが滲み溢れてくるような感覚に、妙な音が聞こえ始めた。耳鳴りに似た、金属音の様なその音は次第に低くなる。それは風が吹き抜けていくような乾いた音に、そして徐々に誰かの声へと変化する。聞き覚えの是非より、音が混濁して識別出来ず。
「如何した?」
 話し掛けられた事に因り、山崎は我に戻る。不思議な現象も治まり、疑問を抱くのだが深く考えても意味が無い為、心の奥に押し込めていた。
「・・・確かにそうかも知れないが、俺はこれで良い」
「それは何故だ?」
「持っていると・・・何故か、心地良いんだ。理由は分からないが・・・無くしたくない、思いもある。だから・・・」
 上手く説明は出来なかった。それが感覚的な話だと自分自身でも理解し、この気持ちを自分自身でも理解出来なかったからだ。
「・・・そうか。なら、後悔の無いようにな」
「?・・・ああ、分かった」
 それを聞き、何を思ったのだろう。ガストールは含みのある台詞を掛け、山崎はその理由が分からぬまま宣言していた。
「防具等に関しては俺は専門外だ。だから、知り合いにでも頼んでやるよ」
「お願いします。それでは私達はこれで失礼しますね」
「ガストールさん、お願いしますね!」
 頭を下げての丁重な謝意を示すユウに続き、新藤が元気に修復依頼を頼み込む。それを手を上げて応じたガストール。それが別れの挨拶となり、ユウを先頭にして二人は次なる場所に向けて歩き出していく。
 去り行く三人を眺めるレインは静かにガストールに近付く。
「・・・さっきのは、もしかして?」
「ああ、あれだな。お前からも注意はしてやってくれ」
「・・・分かりました。それでは」
「おう、また来てくれよな」
 二人はとある事を気に掛け、気遣うように会話を交わす。そして、挨拶を残して別れていた。
 立ち去る彼等の後方から野太い豪快な笑い声が響く。それが背を押すように轟いていた。
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