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*007 後始末*
しおりを挟む騎士に押さえ込まれながらも到着した私たちの姿を見て村長は驚いたようだった。
まるで亡霊にでも会ったかのように唖然と見開いた瞳からは様々な感情が複雑に絡み合っているように見える。
「生きて、いたのか。」
ぽつりと呟かれた言葉はしっかりとリルに届く。
しかしすでに貴族の一員となったシェリル・セイルズはそれに応える事はない。
代わりにその言葉に反応したのは村長の妻だ。
「リル!リルじゃないかい。」
息子もそれに釣られてのろのろと顔を上げる。
そして村長の妻はリルの姿を見てまるでそれが希望となったかのように嬉々とした表情に変わる。
「リル!あんたから言ってくれよ、私たちは旅行に行っただけなんだって。村が襲われたなんて知らなかったんだよ。」
「そうじゃ、わしらは出かけていただけで村の状況なんて知らなかったんじゃ。頼むリル。わしらの仲じゃろ?」
夫婦が捲くし立てるように言い募ったが、その息子が青い顔をして俯いているところからしてその言葉が真実ではないことが伺える。
そしてリルには彼らがどうしてこんな状況になっているのか全く理解出来ていなかった。
そもそも何も知らされずに連れて来られただけのリルだ。
そして、貴族教育を受けているリルが彼らの言葉に反応することも許されない。
平民が貴族に一方的に声をかけるなど許されないからだ。
どうしたら良いのか分からずにリルは養父であるライオスの顔を見たがその険しい表情に思わず慄いた。
ライオスはシェリルの視線に気が付いてにっこりと微笑む。
そしてシェリルに目線を合わせると残酷な言葉を告げる。
「さて、我が娘シェリルよ。この者たちは村が襲われるという通達を受けてやるべき事を怠り逃げ出した。それによって公爵家の長男であるアレクシード様の戦果に傷を付けた上、村の者たちの命を無残に散らせるという結果を生んだ。よって我らはその後始末として罪を犯した者に処分を下さねばならない。彼らの処分はお前が決めなさい。」
「お父様、私は……。」
告げられた言葉にリルはどう応えたら良いのか分からない。
村長一家が逃げ出したことによって悲劇はもたらされた。
だがその罪に相応しい罰などすぐに思いつくわけがない。
「普通なら当然死罪だな。」
「あなたは。」
リルは突然現れた人物に目を向ける。
黒髪に赤い瞳の青年はすっとリルに歩み寄るとその腰を引き寄せた。
「シェリル、アレクシード様にご挨拶を。」
抱き寄せられたままでどう挨拶しろというのだろう。
がっしりと掴まれたままシェリルはアレクシードを見上げてそれから困ったように父を見た。
「その、アレクシード様……娘を離して頂けますか。」
「嫌だ。」
父の言葉はすっぱりと拒否されてしまった。
困惑したままシェリルはどうしたら良いのか分からない。
それでも挨拶をするようにと言われたのだからと無作法ではあるがそのままアレクシードを見上げて名を告げる。
「シェリル・セイルズと申します。アレクシード様、どうぞお見知りおきくださいませ。」
「シェリルか。良い名だ。」
「あ、ありがとうごさます。」
ちゅっと額に口付けられてリルは顔をぽっと染める。
家族以外でこんな事をされた事などなかったのだから。
「ふっ、魔力供給であれだけ濃密なキスをしたというのにこれだけで赤くなるとは可愛いな。」
「の、濃密なキス?あれはただの魔力供給で……。」
アレクシードはまるで理解されていないかの反応に眉を上げる。
あの時の事がシェリルの中でキスとして含まれていないかのようだと思うとなんだか苛立ってしまう。
あれほど甘い蜜のごとき魔力と柔らかな唇の感触。
そして初めてあれほど求めた相手になにも感じられていないなどアレクシードにとっては不本意極まりない。
そう思うと自然と体が動いてしまった。
リルの顎をくいと持ち上げてアレクシードはその唇に自らのそれを重ねた。
魔力供給ではない純粋なキス。
啄ばむようなキスがくすぐったくてリルは思わず逃れようとするがアレクシードがそれを許さない。
その唇を割って舌を差し込もうとした瞬間にごほんと咳払いが聞こえてアレクシードは周りの状況を思い出した。
そっと名残惜しそうにリルを開放するがリルは唖然として固まったままだ。
ただ自然と口元に手が滑る。
アレクシードの優しいキスにリルは体の奥がなぜか疼いたがその理由が分からずに困惑している。
「い、今の何……?」
リルは魔力持ちであった為に両親が外とあまり接触を持たせなかった。
閉鎖された場所で育ったリルは情操教育など受けてはいない。
頬や額のキスはよく見かけたが唇へのキスがどんな意味を持っているのか分かっていなかった。
だからあの時もそのまま受け入れたのだ。
それが魔力供給に必要だと感じていたからだ。
だが、その二人の様子を見ていた村長はリルが貴族を誘惑して生き延びたうえ養子にまでなったと受け取った。
それは村長にとって平静ではいられない。
自分の庇護下にあった娘がいきなり自分より上の立場になったことも、それによって自分が裁かれることも納得がいかない。
許容できない事実にどす黒い感情が溢れ出す。
これは怒り。憤怒の情。
見せつけられた現実に村長は濁った瞳をリルに向けた。
【憎いか、悔しいかその娘が。】
「……憎い。」
【その狂おしい怒りの感情はワシを引き寄せた。お前が望むならその娘を八つ裂きにしてこの場を蹂躙するだけの力を与えてやろう。】
「力……。」
【そうだ。お前の家族を守ることもできる力だ。怒りをその身に宿し我を受け入れよ。】
「あの娘を……力を、望む。」
ぶつぶつと呟く言葉は騎士たちには届かない。
村長は怒りと憎しみを湛えた瞳でリルを睨む。
自分よりも下だったはずの娘が貴族になった。
それだけでなく家族に罰を与えるなど許せることではない。
思えば娘の父親も憎かった。
狩りの腕も、村の皆に信頼されているのさえ許しがたかったのだ。
黒い感情があふれ出て村長の体に纏わりつく。
【契約は成った。……これでお前の体はワシのものだ。】
最後の言葉は村長に聞こえてはいない。
黒い思いに押しつぶされて村長の意識は闇に呑まれて沈んでいった。
――――…
突然膨れ上がった黒い霧のようなものに騎士たちは吹き飛ばされた。
黒い霧は村長の体を包み込んでぶくぶくと膨れ上がる。
「ひぃやぁ!」
腰を抜かして村長の妻と息子が気を失ったが、村長の変化は終わらない。
黒い霧は巨大な黒き狼に変化していく。
鋭い牙に赤い舌が覗く。
金の瞳はギラギラと私たちを見下ろした。
そしてその変化が終わるかという時に巨大な黒い狼はその腕をぶんと振り回す。
それだけで風の旋風が巻き起こり私たちを吹き飛ばした。
あまりの勢いにアレクシードはリルを抱きしめていた腕が緩んでしまう。
その隙を見逃す狼ではない。
がっしりとリルは狼の手に捉えられてしまった。
リルを包み込むほど巨大な手の力でバキバキと体が軋んでリルは思うように息ができない。
「かはっ……ぐ。」
「リル!」
焦ったようなアレクシードの声。
そしてすぐさま詠唱してアレクシードは火炎の玉を狼にぶつける。
だが、その力はまるで効果がないかのようにダメージを与えられない。
【同胞を殺した力を調べに来てみれば極上のエサがあるではないか。くく、ワシは運が良い。この娘の魔力は実に旨そうだ。魂ごと喰らってワシの糧としてくれよう。】
「させるか!」
アレクシードは剣を抜き放って巨大な狼に切りつける。
だが、剣は狼に傷一つ付けられない。
【ただの剣でワシが切れるものか。マモンを殺した力ほどの者はいないようじゃ。どうやら杞憂であったらしいの。くかか。】
巨大な狼は笑う。
剣も魔法も聞かない相手など聞いたことがない。
アレクシードは狼の手に捉えられたシェリルを取り戻す術がなく悔しげに呻いた。
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