聖者の漆黒

中岡いち

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第二部「回顧」第1話

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 応仁おうにん二年。
 西暦にして一四六八年。
 きょうみやこを中心として、世の中が大きく動いていた。
 それは後に〝応仁おうにんらん〟と呼ばれることになり、やがて戦国の世へと繋がっていく。
 そんな戦乱がいくつもの地で続いていた。
 もはや何がことの起こりだったのかなど、誰も覚えてはいない。
 血生臭ちなまぐさい時。
 日々聞こえてくる話には、その先の平穏を願う意識すらも薄れていた。
 そんな時代の波の中。
 とある地方。
 小さな神社があった。

 御陵院ごりょういん神社。

 歴史は長い。
 元はきょうに近い地の神社の巫女みこが作ったやしろだったという。
 〝力〟の強い巫女みこだったと伝えられていた。
 〝き物〟あるいは〝はらごと〟のみを行うやしろ
 何故なぜにその巫女みこがそんな神社を求めたのかは伝えられてはいなかった。
 森の中に佇む小さなやしろ
 人里離れ、知らぬ者がほとんど。
 この頃まで時が流れ、すでにだいは十一。
 当主は御陵院ごりょういん蓮世はすよ
 三姉妹の長女だった。
 御陵院ごりょういん家に産まれるのは女のみ。必ず三姉妹。そのだいの一番の〝力〟の持ち主が当主を継ぐ。残る二人が神社に残ることもあれば、他所よそへ嫁ぐこともあった。
 蓮世はすよの二人の妹は嫁いで長い。
 蓮世はすよもすでに五十に近付くよわい
 娘はやはり三人。

 長女、麻紀世まきよ────よわい、二二。
 次女、亥蘇世いすよ────よわい、二一。
 三女、御簾世みすよ────よわい、二十。

 すでに誰の頭の中でも次のだい選びの事が渦巻いていた。
 しかし、誰もが当主の座を欲しがっていると思っているのは長女の麻紀世まきよだけ。長女ということも関係しているのか、麻紀世まきよが一番政治願望が強かった。幼い頃から続く荒業にも一番積極的に参加してきたのは事実。自覚も早い。そして自分が一番の能力者だという自負があったものの、それを最終的に見極めるのは母の蓮世はすよ
 そんな中、そんな麻紀世まきよの興味を刺激するうわさが、きょうみやこを中心に広がっていた。
 きょうみやこの、ではない。しかし世の中の中心地であるということは情報の中心地でもあるということ。
 それは、ある人物と〝組織〟のうわさ
 最初に広まった名前。

 〝清国会しんこくかい〟────。

 戦乱の世をうれい、みかどたてまつって新しいもとを作ろうとする組織。
 中心になっていたのは地方の小さな社────〝雄滝おだき神社〟。その小さな神社が全国的な神社組織を束ねていた。
 麻紀世まきよが興味を持ったのも無理はない。どうしてそれまではさほど知られてもいなかった小さな神社がそれほど大きな事を成し遂げる事が出来たのか。御陵院ごりょういん神社と何が違うのか。
 やがて麻紀世まきよは、その理由を知る。

 〝金櫻鈴京かなざくられいきょう〟────。

 清国会しんこくかいの中心人物。
 そして────〝天照大神あまてらすおおみかみ様の血を引き継ぐ唯一の人物〟。
 みかどしん天照大神あまてらすおおみかみ末裔まつえいではない────それが清国会しんこくかいしんの教義そのもの。
 もちろん反発する声はあった。みかどだけでなく幕府への反発であると。だからこそひっそりと清国会しんこくかいは広まった。多くの神社が、幕府に擦り寄りながらも清国会しんこくかい────いては金櫻鈴京かなざくられいきょうかれていった。
 麻紀世まきよもその一人。
 金櫻鈴京かなざくられいきょうに会ってみたかった。
 天照大神あまてらすおおみかみしん末裔まつえい────。
 もとの中心たる人物────。

「その……金櫻かなざくら…………」
 母の蓮世はすよのその言葉を、向かい合わせでひざを降ろしていた麻紀世まきよが拾う。
「────鈴京れいきょう様です。天照大神あまてらすおおみかみ様のしん末裔まつえいと言われている御方おかた…………」
「それをしんとする確証は────?」
「では母上は────」
 間を置かずに応える麻紀世まきよは自信に満ち溢れた口調で続けた。
「話をとした場合…………多くのやしろだまされていると?」
 麻紀世まきよの口角が小さく上がる。
 その口元から目を離せないまま、蓮世はすよひざの上で重ねた両手に汗が浮かぶのを感じていた。

 ──……麻紀世まきよは何を……求めている…………

麻紀世まきよ…………清国会しんこくかいしんの目的とは────」
もとしんの〝神〟を降臨させる事…………」
 自信を伴った麻紀世まきよの応えは早い。
「……危険な思想です…………」
 蓮世はすよもすぐにそう返していた。
 麻紀世まきよ御陵院ごりょういん神社も清国会しんこくかいに属するべきだと考えていたが、蓮世はすよにとってそれは狂信的な感情にしか見えない。
貴女あなたは長女としてやしろまもっていく立場…………それにも関わらず……みかどを…………よもや偽者ぎしゃと申すか」
 蓮世はすよは続けて声をあらげる。
 対する麻紀世まきよは冷静な口調のまま。
「母上……私はもとの神たる天照大神あまてらすおおみかみ様をたてまつっているのみにございますよ」
詭弁きべんを────!」
 蓮世はすよが立ち上がる。
 その巫女みこ服の揺れが空気を揺らし、祭壇さいだん蝋燭ろうそくの炎を揺らした。
 風の無い夜。
 真夏の蒸し暑さも過ぎた頃。板戸いたどを開け放した本殿の空気が、わずかだけゆっくりと動き始めた。昼間の霧雨きりさめのせいか、辺りを満たすのは草木と土の香り。その小さいはずの匂いすら、巫女みこ服が作り出す風にまぎれていく。
 麻紀世まきよが開く口が空気を漂った。
「……もとは変わりますよ母上…………かような戦乱の世のままではたみ疲弊ひへいしていくばかり……終わらせなければ…………しかるに、我等われらには〝しんの神〟が必要です」
 その言葉に、蓮世はすよの体はわずかに震え始める。そのわずかな衣擦きぬずれに続くのは、白い足袋たびが床を小さくる音。
 口を開いたのは、その片足に力を込めた蓮世はすよだった。
「……そのような……まるで密教ではないか!」
いな……清国会しんこくかいが新たな幕府となりし時…………御陵院ごりょういんもその中におらずば────」
「その思想そのものが一神教だということが────何故なぜに分からぬか!」
 蓮世はすよの声が響く。
 麻紀世まきよはその目を見上げた。
 わずかに震える蓮世はすよのその両目から、麻紀世まきよはその心をかすめ取る。

 ──……〝恐れ〟か…………相変わらず保守的な御人だ…………

 以前より、確かに蓮世はすよ麻紀世まきよの間には意見の乖離かいりが見られていた。それは日々の些細ささいな事の積み重ねではあったが、麻紀世まきよ自身が母である蓮世はすよに疑念を積み重ねてきたのも事実。
 時代は大きく変化していた。
 長く続く日々の戦乱の中で、もとそのものが疲弊ひへいし、人々の求めるものも変化していく。
 変化に未来を見る者もいれば、その変化を受け入れられない者もいる。
 それまでの時代にすがるようなそんな考え方を、麻紀世まきよは嫌った。自らが継承するつもりの御陵院ごりょういん神社の未来しか見えていない。
 蓮世はすよとのへだたりは大きい。簡単に埋められるみぞではなかった。

 清国会しんこくかいを理由としたこの夜のような二人の言い合いは、今回が初めてではない。
 しかし、次女の亥蘇世いすよ祭壇さいだんの影で二人の会話を聞いていた事には誰も気が付いていなかった。本来ならば幼い頃から荒業を続けて能力を高めてきた二人が気が付かないはずがない。仮にも〝はらごと〟を専門に行う神社の当主とその娘。
 しかし、それをまどわすことが出来るのが亥蘇世いすよの〝力〟────〝幻惑げんわく〟。自らの存在を消す事に長けていた。
 そして母である蓮世はすよと同じく、悩んでいた。
 亥蘇世いすよも例に漏れず清国会しんこくかいの話は伝え聞いていたが、もちろん実際に金櫻鈴京かなざくられいきょうに会ったことがあるわけでもない。何をもって信じるか。もはや姉である麻紀世まきよを信じるしかなかった。
 しかし信じるに足る材料が少ない。麻紀世まきよの話だけでは蓮世はすよの言う通りに過激なだけの詭弁きべん

 翌日、亥蘇世いすよは三女の御簾世みすよの部屋にいた。
 本殿の建物とは別邸の、小さな部屋だ。
 家具と言える物は小さな箪笥たんすの他は机が一つあるだけ。夜に布団を敷けば歩く所も無い。
 亥蘇世いすよの部屋も御簾世みすよと同じ別邸にあったが、ここよりは広い。
 しかし幼い頃から御簾世みすよに不満は無かった。元々御簾世みすよは物欲という概念がいねん欠落けつらくしたようなところがある。必要最低限の物しか身の回りに置こうとはしなかった。御簾世みすよに言わせると、巫女みことして生きていくのに必要な物は自分だけだからということらしい。
 それに繋がるのか、御簾世みすよは権力というものにも興味が無かった。神社を継ぐ気などそもそも無い。自分よりも能力の高い姉達のどちらかが継ぐべきだと考えていた。常々自分は三女のままでいいというのが御簾世みすよおもい。
 当然のように世間の噂話うわさばなし等に興味を持った事も無かった。
 何より、自分に関係の無い事には関心が無い。周囲の人間が自分をどう評価しているのかなど、御簾世みすよ自身にはどうでもいい事。
 そんな御簾世みすよでも伝え聞いている程に、確かに清国会しんこくかいの名前は知れ渡っていた。しかしその実態を真に知る者は少ない。真実を知る者は口をつむぎ続ける。その教義も中心となる雄滝おだき神社の名前も麻紀世まきよが調べてやっと辿り着いた。
 もしも真実がおおやけになれば、みかどに弓を引く組織として幕府からの戦の対象と成り得る。もはや戦乱はその大義が揺らいでいた。もはや誰が起こしたものなのか、誰の為の何の為の戦なのか、誰も思い出すことが出来なくなっていた程。
 だからこそ、清国会しんこくかいは密かに広がっていく。
 麻紀世まきよの言う事が真実ならば、確かに御陵院ごりょういん家としてもどちらに〝着く〟か考える必要があるだろう。
 〝みかど〟か────〝金櫻鈴京かなざくられいきょう〟か────。
貴女あなたはどう思いますか?」
 亥蘇世いすよのその質問に、御簾世みすよは予想通りに顔色を変える事は無かった。興味が無いだろうとの亥蘇世いすよの想像通り。
「そうですね…………」
 御簾世みすよ淡々たんたんと応え始めた。
「それは、どちらを選択するのか、という事でしょうか…………もしくは麻紀世姉様まきよねえさまの御調べになった情報をどうとらえるか、という事でしょうか?」
 相変わらず無駄を嫌う御簾世みすよらしい言葉。
 まとを得ている。亥蘇世いすよの問いは麻紀世まきよの話を信じようとするところから始まっていた。
 亥蘇世いすよは言葉を詰まらせる。
「そうですね…………」
 それだけ言うと、向かいに座る御簾世みすよから目線を外し、ひざの先に見えるたたみに目を落とした。
 たたみわずかに赤みをびている。
 障子しょうじからの夕陽の色。
 ゆっくりと部屋に入り込む空気の温度もわずかに下がり始めている事を感じた。
 そして亥蘇世いすよは、思考を巡らせる。
麻紀世姉様まきよねえさまの御言葉に嘘があるとも思えません……私は常に姉様あねさまを信じておりますので…………」
 嘘では無かった。だからこそ信じた。それはすでに心酔しんすいいきでもある。だいぶ以前から姉妹の関係のわくを超えていた。
 そしてその事は、他人に興味の無い御簾世みすよでも気が付いていた事。それでも知ってしまったからとて、御簾世みすよがそれにどうこうと言うつもりは無い。
 その二人の関係がありながら、亥蘇世いすよがどうして自分に問いを向けるのか、という事のほうが気になった。
 そんな亥蘇世いすよの言葉を受け、御簾世みすよが言葉を繋ぐ。
亥蘇世姉様いすよねえさま……姉様あねさま清国会しんこくかいくみすべきだと御考えですね?」
 その言葉に、亥蘇世いすよが顔を上げた。
 視界に再び入る御簾世みすよの目は、何かを見透かした〝目〟────。
 亥蘇世いすよが知っている、御簾世みすよの〝目〟。

 ──……われを……〝あやつる〟気か────

「この話は……また後程のちほどに…………」
 亥蘇世いすよはそれだけ言うと立ち上がる。
 目線を外す理由には丁度いい。
 しかし、そこにわずかながら〝恐れ〟があった事も事実。
 亥蘇世いすよはそれを隠した事実をいた。

 その夜、遅く。
 麻紀世まきよは自室に亥蘇世いすよを呼ぶ。
 御簾世みすよの別邸の部屋とは違い、本殿の建物内にある部屋。
 広く、神社の後継者としては申し分無い。
 時々、遅い時間、亥蘇世いすよはこうして麻紀世まきよに呼ばれる。今夜もいつもと同じ白い浴衣ゆかた姿。それは麻紀世まきよの指示。
 その姿のまま、亥蘇世いすよは部屋の中心に敷かれた布団の上にひざを降ろしていた。
 部屋の中の灯りは一本の蝋燭ろうそくの炎だけ。
 その炎が頼り無げな燭台しょくだいの上からあわ亥蘇世いすよを照らしている。
 空気の揺らめきに合わせてまたた灯火ともしびが、やがて麻紀世まきよの影を大きく亥蘇世いすよの前へ。
 ひざの着く距離で麻紀世まきよが腰を降ろした。
 二人の間の空気を震わせたのは、麻紀世まきよの声。
「……それで……御簾世みすよは……どうでした…………」
 わずかに腰を浮かせ、亥蘇世いすよに顔を近付け、麻紀世まきよささやく。
 亥蘇世いすよ麻紀世まきよとは目を合わせない。それもいつもの事。視界に見えるのは浴衣ゆかたはだけた麻紀世まきよの胸元だけ。
 鼓動が高鳴るのを感じながら、亥蘇世いすよがゆっくりと口を開いた。
「…………操られそうに…………なりました…………」
「ほう…………」
 すぐに帰ってきた麻紀世まきよの声は、すでに亥蘇世いすよの耳のそば
「それは、我等われらくみする気持ちは無いということですか…………」
「かもしれません……」
「でも…………」
 麻紀世まきよの声がつやびた。
「……御簾世みすよくみしたら…………貴女あなたは嫌がるのでしょう…………?」
「そんなことは…………清国会しんこくかいの……金櫻かなざくら様と……御陵院ごりょういんの為────」
 その言葉は、麻紀世まきよの両手が亥蘇世いすよの両肩をつかむ事でさえぎられる。そのまま麻紀世まきよ亥蘇世いすよの背中を布団に押し付けていた。
 亥蘇世いすよ浴衣ゆかたを大きく開き、おびえたようなその目を見つめながら、麻紀世まきよの声が亥蘇世いすよに降り注ぐ。
「……御簾世みすよを……外へ…………我等われらがここをぎ…………清国会しんこくかいへ…………」
「しかし、母上は────」
いでしまえば良いのです…………隠居いんきょさえしてもらえれば…………先も長くはないでしょう…………」
 麻紀世まきよの吐息が、亥蘇世いすよ高揚こうようさせた。
 左の乳房を包む麻紀世まきよの手の暖かさを感じながら、亥蘇世いすよが感じるのは麻紀世まきよの存在だけ。

 ──…………姉様あねさまと私で…………一緒に…………

 体の中で、何かが波打つ。
 いつも亥蘇世いすよは、それが何なのか分からないまま。
 触れそうな唇の距離。
 麻紀世まきよのその唇が小さく開いた。
「……御簾世みすよには……夫婦めおと相手でも見付けてあげましょう…………」
 触れた唇に感情を揺り動かされながら、亥蘇世いすよの中で膨らむ不安。

 ──……姉様あねさまもいつかは夫を…………

 その心を見透かした麻紀世まきよがすかさず返した。
「心配はいりませんよ……夫など…………子種こだねに必要なだけです」
 しかし、亥蘇世いすよの不安は大きくなるばかり。

 ──……我等われら邪魔じゃまする者など…………

 その気持ちを麻紀世まきよが見透かしたかどうかを判断するよりも早く、亥蘇世いすよ麻紀世まきよの指に落ちていった。

 それから、一月ひとつきも掛からなかった。

 本殿の建物。
 祭壇さいだんのある広い板間いたまを除けば、その他の部屋は総て小振りな部屋ばかり。小振りとは言っても当主である蓮世はすよ麻紀世まきよの部屋くらいの所が数カ所。板場いたばに隣接した食事用のたたみ部屋も決して広くはない。
 女だけで回される神社。
 蓮世はすよにももちろん夫はいるが、基本的に共に生活することは無い。
 麻紀世まきよの言うように〝子種こだね〟以外に必要の無いものとされ、男用の小さな別邸で生活することを求められる。そこには数名の使用人も暮らしていた。その別邸に入れる女子おなご蓮世はすよの夫の為のめかけだけ。娘が三人産まれると、夫はめかけてがわれる仕来しきたりとなっていた。
 女子おなごの使用人は亥蘇世いすよ御簾世みすよと同じ別邸。
 御陵院ごりょういん神社は小さきやしろなれど、厳格げんかく仕来しきたりのもとに回されていた。
 朝の神事しんじ後の食事の場で交わさせる言葉はいつも少ない。
 その朝も、いつもと同じはずだった。
 しかし麻紀世まきよの作った話題が空気を変える。
「母上」
 はしを置いた麻紀世まきよに合わせ、蓮世はすよは顔を向ける前にはしぜんの上にそろえた。
 その小さな巫女みこ服のそで衣擦きぬずれの音すら空気を振るわせるような、そんな静かな朝。
 そしてそれを見届けるようにして、麻紀世まきよが続ける。
「……これからの事ですが、御簾世みすよの事で少し…………」
 その言葉に、御簾世みすよは手にしていた小鉢こばちぜんに戻した。
 はしそろえるべきか思案している内に聞こえてきたのは続く麻紀世まきよの声。
「そろそろ…………嫁ぎ先を見付けては如何いかがかと」
 不思議なもので、目に見えない空気が変わる。
 麻紀世まきよの隣のぜん亥蘇世いすよはしを置いた。
 その流れの中で御簾世みすよはしそろえざるを得ない。
「出来るだけ若い内の方がよろしいでしょう…………すでに嫁ぐよわいとしては遅いくらいでございますし…………」
 麻紀世まきよたたみかけた。
 時代的に事実でもある。御簾世みすよも数えで二十歳。もっと若い嫁を探している所がほとんど。
 同時に、麻紀世まきよのその言葉は自らが神社をぐ立場であると宣言したようなもの。蓮世はすよも当然のように麻紀世まきよの真意を理解しては、いた。
 しかし蓮世はすよは何も応えない。
 黙って麻紀世まきよの目を見ながら、その次の言葉を待っている。
 麻紀世まきよの中で、何か、嫌なものが渦巻うずまき始めた。
 それをき回すかのようにはさまったのは亥蘇世いすよ
「良き所が……ありまして…………母上」
良家りょうけですか?」
 意外にも蓮世はすよはすぐに応えた。
 亥蘇世いすよもすぐに返す。ける事に、何か嫌なものを感じていた。
御武家おぶけ様の御宅です。家柄的にも恥ずかしくは無いかと」
「そうですか……」
 応えながらも、蓮世はすよ麻紀世まきよから目を外さない。
 ことの中心にいるのは紛れもなく御簾世みすよ
 それでも御簾世みすよの唇が動く事はない。
「……なるほど…………」
 その、小さく、ささやくような声は蓮世はすよだった。
 その声の小ささに、空気に広がるのは〝不安〟。
 誰の中のねんか、その場でそれに気が付いていたのは、御簾世みすよだけ。
 蓮世はすよが立ち上がった。
 その音がやけに大きく響く。
 しかし、次に続く蓮世はすよの声は、柔らかい。
「夕刻の神事しんじ……終わり次第しだいに時間を」
 三人が同時に腰を引いた。
 すぐに頭を下げ、続くのは蓮世はすよ足袋たびたたみっていく音。
 それだけ。

 陽の光が高く昇り、傾き始めた頃、その日の〝はらい〟が始まった。
 相談の主は公家くげの一人、西隆寺政氏さいりゅうじまさうじ
 一月ひとつき程前からの依頼だった。
 本人曰く、足利あしかが家からの呪いを受けたとの事。確かに不穏な時世。戦だけでなく、きょうみやこに疑念が多く渦巻うずまいている事は誰もが考え得る事。
 〝脅威きょうい〟や〝不安〟が目に見える形で人の行動をうながしていく。その空気の中で、人々の命は軽かった。血生臭ちなまぐさいというだけで語るならば、京都御所きょうとごしょはまさにその言葉に見合う所だったのだろう。その周辺の街並みも、とてもみやこというには程遠い空気。なぜか常に暗く感じる雰囲気だったとも伝わっている。
 〝怨念おんねん〟が〝たたり〟や〝のろい〟を生み出し続けていた。
 西隆寺政氏さいりゅうじまさうじうったえは単純なもの。
 足利あしかが家が〝へびたたり〟を西隆寺さいりゅうじ家に仕向けたという。毎晩、体を締め付けられるように苦しめられていた。〝へび〟が夢に現れ、苦しさで目覚める。それが一月ひとつき程続いた頃に御陵院ごりょういん神社を訪れた。
 それから更に一月ひとつき
 蓮世はすよが中心となり、御陵院ごりょういん神社での祈祷きとうが続いていた。
「あれから、まだ続いているのですね?」
 祭壇さいだんの前、背後の政氏まさうじに背を向けたままの蓮世はすよがそう言うと、政氏まさうじは震える声でうったえ始める。
「……もちろんだ…………毎晩だ…………早く何とかしてもらえぬものか」
 確かに、一月ひとつき前と比べてもそのせ方は尋常じんじょうではなかった。御付おつきの従者じゅうしゃに支えられながら本殿に上がってきた程。まだ若いよわいだったにも関わらず、明らかに老けて見えるくらいだった。
 しかし〝かれた者〟がどうなるか、蓮世はすよだけでなく三人の姉妹も何度も目にしてきた事。驚くには値しない。
 その三姉妹は政氏まさうじさらに後ろ、亥蘇世いすよを中心に並んで腰を降ろしている。
 蓮世はすよの言葉を待っていた。
 その蓮世はすよが言葉を繋いでいく。
「奇妙ですね」
「奇妙?」
 反射的に返していた政氏まさうじの声が、初めて異質な空気を祭壇さいだん前に作り出す。
「はい……奇妙です」
 その蓮世はすよの声に呼応こおうするかのように、祭壇さいだん前の太い松明たいまつが炎を広げた。
 熱を伴った突然の音に、政氏まさうじが驚いて背を引く。そして、その体がわずかに震え始めた。
 背中でそれを感じるのか、蓮世はすよの声は妖艶ようえんな響きのまま。
「……ほら」
 しかし、次の声は強さを伴う。
麻紀世まきよ
 政氏まさうじがゆっくりと後ろを振り向くと、そこには首だけを項垂うなだれた麻紀世まきよの姿。完全に下を向き、その表情はうかがえない。横にいる亥蘇世いすよと、さらにその横にいる御簾世みすよは動揺する事もなく政氏まさうじ見据みすえている。
 政氏まさうじはその異様な光景に声も出せずにいた。
 聞こえるのは、麻紀世まきよの低い声。
「〝正満まさみつ殿〟…………元服げんぷくを終えたばかりですね…………これは……正満まさみつ殿の〝のろい〟」
「────何をもうすかっ!」
 狼狽ろうばいする政氏まさうじの声が響き渡った。
 しかし、それを蓮世はすよの声が押さえ付ける。
足利あしかが様の影は見えませぬ。見えるのは西隆寺さいりゅうじ様の御血筋のみ」
「何を────!」
「娘の麻紀世まきよ憑依ひょうい体質にて、西隆寺さいりゅうじ様の中ののろいの根源こんげんを呼び寄せただけの事。御家争おいえあらそいの渦中かちゅうのようで……どなたか…………正満まさみつ殿を言いくるめておる者がおるようです…………その者を排除しなければ、この〝のろい〟は終わりませぬぞ」
 そう言う蓮世はすよの背後で、政氏まさうじが立ち上がる音がした。
 震える足で、政氏まさうじは座布団を小さくる。
ぬ! ぬぞ!」
 政氏まさうじはそれだけ叫ぶと本殿を降りていく。その態度は、何かに気が付いたことを示唆しさしていた。
 そして何人もの従者じゅうしゃ参道さんどう周りの玉砂利たまじゃりを踏み鳴らす音。
 少しずつその音が小さくなっていく。
 やがて、静かになった。
 そして、本殿の空気を最初に震わせたのは、蓮世はすよ
「……いい経験となりましたね。〝のろい〟とは人が生み出すもの…………みにくいものです……」
 気持ちを落ち着けた麻紀世まきよが顔を上げた時、祭壇さいだん前の蓮世はすよが体を回す。
 その蓮世はすよは真っ直ぐに麻紀世まきよの目を見ながら言った。
麻紀世まきよ…………貴女あなたの中にも……そのみにくさがあるのでは?」
 突然の問いに、麻紀世まきよは出来るだけ冷静に。
「まさか……そのような…………」
 その言葉を受け、蓮世はすよがゆっくりと顔を振り始める。
 それは亥蘇世いすよを過ぎ、御簾世みすよの目をとらえた。
 決して大きくはない、それでいて通る蓮世はすよの声が三人を包み込む。
「…………御簾世みすよ…………貴女あなた御陵院ごりょういん神社を預けます」
 御簾世みすよは表情を変えない。
 並ぶ三人の中心にいる亥蘇世いすよだけが、目を大きく見開いていた。

 のろいは人のおもい。
 言葉と行動によって生み出されるもの。


      ☆


 暑い日が続いていた。
 西沙せいさ杏奈あんなが〝風鈴ふうりんやかた〟に行ってからすでに一週間近く。
 この日の西沙せいさはいわゆる心霊相談から帰ってくるなり自宅アパートでシャワーを浴びてから相談所に戻っていた。どうやらエアコンの効いた涼しい現場ではなかったらしい。まだ蒸し暑さも残る日々。黙っていても汗が噴き出すのも無理はない。
 しかし戻った西沙せいさ美由紀みゆきは冷静に声を掛ける。
「そんなゴスロリなんか着てるから暑いんじゃない?」
 そう言いながら、エアコンの風を感じるかのようにソファーに寝転がった西沙せいさの前に、麦茶の入ったグラスを置いた。来客時ではないのでコースターはない。
 体を素早く起こしながら西沙せいさが返した。
「これでも夏仕様なんだよ」
「まったく違いが分からないけど」
 パソコンの事務机に戻りながら美由紀みゆき憮然ぶぜんと応えるが、西沙せいさはグラスを手にし、構わず言葉を続ける。
生地きじが違うのよ。しかも風の通りが出来やすいように細かい工夫もあるし」
「でも暑いんでしょ?」
 返しながら美由紀みゆきが座った椅子の音が甲高い。それでもエアコンで乾燥した空気にはそれほど響かない。
 西沙せいさが麦茶を飲み干し、大きく息をいた。
「今日なら下着姿だって暑いよ」
「そのほうが見た目は涼しいけど」
「そういう趣味あったの?」
「同性の下着姿に興味はないよ」
「良かった」
「で? 今日の仕事はどうだったの?」
 強引に美由紀みゆきが話題を変える。
 お互いに異性との出会いがある生活ではない。出勤とは言ってもアパートの隣の建物。日々の中で異性に関わるのは毎日通う一階のコンビニくらいのもの。そういう点では西沙せいさのほうが仕事で外に出る分、何かとチャンスはあるだろう。しかしその西沙せいさに言わせると、心霊相談を仕事にするようなゴスロリの霊能力者にかれる男がいるとも思えない、とのことだった。事実としてそんな雰囲気にすらなったことはない。
 しかし西沙せいさからすると美由紀みゆきのほうが心配だった。元々極度の人見知り。普通に会話の出来るのは西沙せいさ杏奈あんなくらいのもの。コンビニですら最近やっと慣れてきたほどだ。

 ──……彼氏が出来れば変わるのかなあ…………

 そんなことを漠然ばくぜんと思う時もある。
 でもあまり美由紀みゆきが異性に興味があるようにも見えなかった。

 ──……ただの人見知りだとは思うけど…………

「なんだか今日もスッキリしない仕事だったなあ……本人が勝手に生霊いきりょうだって言うんだけどさ、素人しろうと考えで勝手に話をまとめられるのが一番疲れるよ」
「結局はなんだったの?」
 西沙せいさ愚痴ぐちにも聞こえる話を聞いてくれるのは美由紀みゆき杏奈あんなくらいのもの。もっとも毎日顔を合わせるのがお互い以外にはいない中では当然かもしれないが、それでも美由紀みゆき西沙せいさの話を聞くのは嫌いではなかった。
「結局ねえ……心霊現象と思われる事象じしょうの総て、その依頼者の女性が自分でやってた。無意識の内にね。本当に生霊いきりょうなんてものがあるとすれば、その人自身の生霊《いきりょう》だろうね。結局は心理学の分野……総てが思い込み。あんまり色んな男を取っ替え引っ替えするからじゃないの? 言われなくてもこっちは分かるのにさ」
「綺麗な人だったの?」
「顔は整ってたけど……やっぱりそういう人って……〝目〟が綺麗じゃないから…………」
 その西沙せいさの声が、少しだけ柔らかいものに変わった。
「そっか……」
 小さく応える美由紀みゆきの声。
 その美由紀みゆきに、西沙せいさが顔を振る。
嫉妬しっとした?」
「違うよ」
 返事は早い。
 しかし西沙せいさはその美由紀みゆきの目を見続けていた。
 長い黒髪のストレート。その髪を指でズラしたい衝動に駆られる。時として西沙せいさは、美由紀みゆきの綺麗な黒髪に隠れた耳が赤くなっていないか確かめたくなることがあった。
 それでも、なぜかいつも踏み留まる。
 踏み込めない。

 ──……私も、彼氏作ったほうがいいのかもね…………

 毎日、公私共に一緒にいる。
 朝食をどちらかの部屋で一緒に食べ、夜に仕事がない限り夕飯も一緒に部屋で。寝る時以外はいつも一緒に時間を過ごしていた。何度かは同じ布団で寝たこともある。
 それでも寝るだけ。それ以上の関係になることはない。しかし西沙せいさの体質的に、同じ布団の中の美由紀みゆきの感情のを感じていたことは事実。
 どう応えたらいいのか、西沙せいさには分からなかった。
 それはやはり、今でも分からない。

 ──……今夜は何食べよっかな…………

 そんな西沙の気持ちをさえぎるように、美由紀みゆきの目の前の電話が音を立てた。
「────はい、御陵院ごりょういん心霊相談所です」
 いつもの美由紀みゆきの電話対応に、なぜか西沙せいさは気持ちが落ち着くのを感じた。
 しかし次の美由紀みゆきの声に、乾いた空気がわずかに湿度をびていく。
「────え? これからですか⁉︎」
 受話器に向けて声を上げた美由紀みゆき西沙せいさに目を向けた。応えるように目を合わせる西沙せいさは、一瞬で目付きを変える。

 ──…………黒い……

「いいよ」
 口元に小さく笑みをたずさえた西沙せいさが続けた。
「今日はもう空いてる。何時?」
「……大丈夫です。お時間は────はい。二時ですね?」
 言いながら美由紀みゆき西沙せいさに再び目線。
「オッケー」
「……では二時にお待ちしております……はい、失礼します」
 受話器を置いた美由紀みゆきの前には西沙せいさ
「お昼ご飯食べる時間はあるね。下で何か買ってくるけど、今日はもう仕事入れないで。それと……夕ご飯は一緒に食べられるから心配しないこと。なんにするか考えておいてね」
 西沙せいさの〝先を見る力〟が間違っていたことはない。
「あ……うん…………」
 小さく返しながら、美由紀みゆきは受話器を当てていた耳を髪で隠した。


      ☆


 黒基調ではあるが細かな装飾をほどこされた浴衣ゆかた姿。
 そんなはなやかさを、同じ黒い日傘が盛り立てていた。
 〝安い仕事〟ではないことが、その人物の立ち振る舞いからも伝わる。
 髪は後頭部でまとめられ、うなじがわずかに見えるが、背中まではあるのではないかと思われる美しい黒髪。お金と手間を掛けなければ出ないであろうつや
「すいません、遅くなってしまって……近くの駐車場を探していたものですから」
 そう言いながらも、その女性が相談所を訪れたのは午後の二時を少し回った頃。家柄いえがらなのか、時間への厳しさがうかがえた。
 楢見崎沙智子ならみざきさちこ────西沙せいさと同じ二〇歳はたちとは思えない大人びた物腰にも、西沙せいさは少しも物怖ものおじすることはない。元々は神社の産まれ。母のさきの立ち振る舞いの美しさを幼い頃から見てきた。
 しかし美由紀みゆきは違った。
 孤児院こじいんで育ち、幼い頃にしか親の顔を見たことがない人生。その面影すらすでに忘れかけているほど。堂々とした態度は、時に人に対して威圧感いあつかんになることもある。
 美由紀みゆきはそれを経験で知っていた。
 麦茶をテーブルに置きながらも、西沙せいさにはその美由紀みゆきの緊張が伝わる。

 ──……嫉妬しっとじゃないから……まあいっか…………

 入り口の外には運転手と思われる中年の男性。二枚のガラス扉の向こうに黒いスーツ姿が見えている。
「お付きの方」
 西沙せいさ沙智子さちこの向かいに座ったまま言葉を続けた。
「ドライバーさんですか? 外暑いですし、良かったら中で…………」
「いえ……あまり聞かれたくない話ですので…………」
 沙智子さちこは節目がちに語尾を小さくする。

 ──……車で待たずに……まるでボディーガードだ…………

 西沙せいさはそんなことを思いながら美由紀みゆきに声を向けた。
美由紀みゆき、冷蔵庫のペットボトルのお水を外の方に。長くなる時は一階のコンビニに行ってもらって。多分今が一番暑い時間だし」
「はい」
 美由紀みゆきは軽く応えるとすぐに冷蔵庫へと動いた。
楢見崎ならみざき……沙智子さちこさん、でしたね。ご依頼の内容によっては〝御家おいえ〟のことも聞かなければなりませんが……」
 西沙せいさはそう繋げながら、なんとなくそれを感じていた。
 沙智子さちこがゆっくりと顔を上げる。
 西沙せいさ沙智子さちこがこの部屋に入ってきた時に気が付いていたが、改めてその目の珍しさに見入った。

 ──……オッドアイか……珍しい…………

 正確には〝虹彩異色症こうさいいしょくしょう〟。猫など人間以外の動物では先天的に見られるものだが人間では珍しい。先天的なものだけでなく後天的な症例も含まれる。アジア人では特に少ないとされるが、それは人種的に目が黒いため、少し色が違うくらいでは気が付きにくいというのもあるのだろう。
 沙智子さちこの場合、西沙せいさが知る限りでは特に珍しいのではないかと思われた。
 右目は薄い茶色。
 左目は明るく感じるほどの赤。
 目だけを見れば日本人ではないと思われるほどだろう。
 そんな沙智子さちこの立ち振る舞いのせいもあるのか、真顔とも笑顔とも取れる独特の表情のまま、静かに口を開いた。
「構いません。そもそも……その〝家〟のことですので……」
「そうですか」

 ──……やっぱりそうか…………

 そう思った西沙せいさはやはり冷静なまま。
 そしていつものように会話を続けていく。
「最初にお聞きしたいのですが、ここのことはどちらでお知りになりました? ウチはまだネット広告とかも出してませんし……」
「去年、テレビで拝見はいけんさせて頂きました。失礼ながらお名前がお珍しかったもので覚えておりまして」
 確かに〝御陵院ごりょういん〟という苗字を、西沙せいさは他に知らない。
 沙智子さちこが続けた。
「それと…………」
 しかし、そう言いかけた沙智子さちこの声はか細い。
「こんなこと……お笑いになるかもしれませんが…………夢で、ここを訪ねるようにと……」
「夢?」
 反射的に返しながらも、西沙せいさの張ったアンテナは敏感に動き続けていた。次々と頭の中に情報が流れてくる。
「はい……神社の、いわゆる巫女みこ姿でした……もちろん女性ですが……その方が、ここで貴女あなた様に相談するようにと……」
「なるほど、下手な幽霊騒ぎよりはよほど信用出来ますよ。問題はその巫女みこが誰か、ですけど……さすがに情報が少ないですね」
 言いながらも、西沙せいさの意識の中はせわしないまま。

 ──……まだ見えないなあ…………

 何かにさえぎられているかのような感覚だった。

 ──……この仕事…………

 嫌な感覚でもある。
 それに意識を集中させ過ぎたのか、次の沙智子さちこの言葉にわれに返る。
「それにしてもなかなかユニークな方ですね。テレビの時と同じで、本当にいつもそのような服装だとは……」
「目立ったほうが仕事になりますからね。私はそれこそ神社の産まれでして……でもだからと言って巫女みこ姿ってわけにもいきませんから」
 西沙せいさが場を少しなごやかにするために振った話題。
 しかし沙智子さちこは、少しだけ目を細める。
御陵院ごりょういん神社様ですね。存じております。大きな神社様ですね」
「よくご存知ですね。普通に参拝客さんぱいきゃくの行くような神社でもないので……知らない人も多いんですよ」
「私の所も隣町とはいえ古い地主の歴史を持つ家ですので、この周辺の土地のことでしたらそれなりに…………」

 ──……なるほど……旧家の立ち振る舞いか…………

「そんな歴史の長い御家柄おいえがらの娘さんが、どうしてこんな場末ばすえの心霊相談所になんか────」
「〝のろい〟というものは…………」
 急にあせりを感じさせる声色。
 そんな変化で西沙せいさの言葉をさえぎった沙智子さちこが、小さくのどを鳴らして続けた。
「……本当にあることなのでしょうか…………?」
 無駄な世間話よりも本題に入りたい────沙智子さちこがそう思っているように西沙せいさは感じた。
 だからあせりもあり、同時にそれは深刻なものであることの表れ。
 そしてそれは微細びさいな態度でも見て取れていた。もちろん西沙せいさだから分かったレベルのもの。普通の人に判別の出来るものではない。
 しかしそんな西沙せいさでも惑わされるのは、沙智子さちこの〝目〟。

 ──……両目の色が違うだけでこんなに気持ちを読みにくいなんてね…………
 ──…………でも…………

 わずかに〝おびえ〟のような感情も見える。
 そこに西沙せいさが踏み込む。
「幽霊なんかがいるかどうか……そんなものは、生きてる我々には判別なんか出来ません」
 そんな西沙せいさの切り出し方に、沙智子さちこは目を見開き、驚く。
 それもそうだろう。仮にもここは心霊相談所。心霊現象に悩む人々が駆け込む所だと思っていたからだ。それなのに西沙せいさは幽霊がいるかどうか分からないと言う。
 沙智子さちこは言葉の真意を理解出来ないまま。
 西沙せいさの言葉が続いた。
「でも…………〝のろい〟って、人のねんが作り出すものだと私は思っています。〝おもい〟と言ってもいい。死後の世界とは関係ありません。生きている人間が作り出すものです。無いほうが不思議ですよ」
「では…………」
 沙智子さちこは目の前のグラスに視線を落とす。
 グラスの周囲に張り付いた大粒の水滴が、周囲の水滴を巻き込みながらコースターへ不規則に吸い込まれていく様を、沙智子さちこは何かを思いながら見つめ、そして少し間を空けた。
 その言葉は、わずかに震える。
いえの〝のろい〟も誰かが…………」
 それに応える西沙せいさは、いつの間にか主導権を握っていた。
「対象は個人、家族、もしくは家…………それとも血筋か…………」

 ──……土地じゃないな…………

 西沙せいさはそう感じていた。
「だいぶ昔からのようですが……いつからかは分かりませんが…………楢見崎ならみざきけ家は女系じょけいだけで血筋を繋いできたそうです」
 沙智子さちこが本筋を語り始める。
「いつも婿養子むこようしを迎え入れ…………最初は必ず男の子が産まれます」

 ──…………なるほど……

「しかし、一年を迎える前に亡くなります。そして程なく女の子が産まれ、血筋が繋がれてきました…………それ以降は絶対に子供は産まれないと言われてきたそうです……産まれても死産…………ですので、たった一人の女の子を大事に育てるのが何より重要視されると聞きました……私もそうだったのでしょう。そして、私にも兄がいたそうです。もちろん私が産まれる前ですが…………」

 ──……そういうことか…………

「それは古くから……楢見崎ならみざき家では〝のろい〟であると言い伝えられてきたそうです……ですが……それ以上のことは分かりません…………誰の〝のろい〟なのか…………」
「……血筋か…………」
 西沙せいさが小さくつぶやいた。
 西沙せいさはずっと沙智子さちこの目を見続け、決して外そうとはしない。にらみつけるわけでもなく、ただ見続ける。人によっては何かを見透みすかされるようにも感じるかもしれない。事実、美由紀みゆきですら最初はそうだった。
 そして、事実として西沙せいさは、見通していた。

 ──……やっぱり…………黒いなあ…………

「今…………息子さんがいらっしゃいますね?」
 唐突な西沙せいさの言葉に、沙智子さちこが小さく体を動かす。
 そして顔を伏せ、その唇が小さく動くが言葉はれないまま。
 それをおぎなうように続ける西沙せいさ
「息子さんがいるのは気が付いていました。おっしゃらなくても分かることはあります。あなたはその息子さんのことが心配でここに来た。もうすぐ六ヶ月になる息子さんを救いたくてここに来た。そうですよね」
 沙智子さちこはさらに顔を伏せ、ひざの上で合わせた手を見下ろし、小さく肩を震わせ始めた。
「…………はい……」
 消え入りそうな小さな沙智子さちこの声は、パソコン前の美由紀みゆきにも辿り着く。
 椅子を降りた美由紀みゆきはソファーの横に駆け寄った。そして沙智子さちこに自分の白いハンカチを手渡す。
 反射的に体が動いていた。美由紀みゆきは〝親からの愛情〟を知らない。〝親子の繋がり〟を感じたことがない。自分のことだけならいざ知らず、西沙の特殊な境遇も見てきた。
 自分が絶対に手に入れることの出来ないもの。
 しかし、求めてはいた。
 そんな感情が美由紀みゆきを動かしていた。
 やがて小さく聞こえてきた沙智子さちこ嗚咽おえつに、西沙せいさが言葉を向ける。
「お受けしますよ……沙智子さちこさん…………」
 顔を上げた沙智子さちこの両目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「…………では…………」
「明日、午前一〇時に迎えに来て下さい。お母様にもお話をうかがう必要がありそうです。安心して下さい。今日明日でいきなり息子さんの身が危険になることはありませんよ。沙智子さちこさんが今日ここに来たことがそのあかしです。私に見える未来には必ず意味があります。私はそれに従うだけ」
 沙智子さちこれたまぶたを大きく開き、涙の混ざる声を漏らした。
「では…………受けて頂けるのですね…………」
 すると、西沙せいさの目元が笑みを伴う。
「私は解決の出来ない依頼を受けるつもりはありません。それに何より、私はそのお話に関わる未来を信じています」
 その自信に満ちた目は、ソファーの横でひざを曲げる美由紀みゆきの気持ちを揺らした。

 ──……私は…………この目を信じてきたんだ…………

 ほどなく、深々と頭を下げ、沙智子さちこがガラスの扉に手を掛けた時、西沙せいさの声に足を止めた。
沙智子さちこさん、最後に一つだけ────」
 振り返ると、そこにはゴスロリ姿の小柄な西沙せいさの姿。それでもその小さな体からは、不思議なほどの力強さが漂う。そしてその西沙せいさの隣には、西沙せいさよりも頭一つ身長が高い美由紀みゆきが寄り添っていた。
「その目の色……いつからですか? 先天的じゃないですね」
 予想外な質問に、沙智子さちこは不思議そうにしながらも体を向けて応えた。
「一年……ほど前だったと思います。別に痛みはありませんし、医者も理由は分からないと申してまして……」

 ──…………一年…………

「そうですか……すいません。珍しいなって思って、それだけです」
 沙智子さちこは笑みを浮かべる西沙せいさに口元をゆるめ、再び頭を下げると背を向けた。
 ガラスの向こうではスーツの男性が深々と西沙せいさ美由紀みゆきに頭を下げている。
 不意に、美由紀みゆき西沙せいさの手を握った。
「ん?」
 突然のことに西沙せいさも驚くが、決して初めてのことではない。
 美由紀みゆきはガラスの向こうの沙智子さちこに目をやったまま、口を開いた。
「……気を付けてね」
「うん…………」

 ──……そっか……私にも見えていない部分があるみたいだね…………

 西沙せいさ美由紀みゆきの細い手を握り返していた。




       『 聖者の漆黒 』
             第二部「回顧」第1話・終
                 第2話へつづく
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