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過去篇
そして少年は男の懐に潜り込む 3
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里崎の後を追いかけてたどり着いたのは、少し古めのマンションだった。
失礼だとわかっていても、色褪せた鉄製の扉を前に身構える。
緊張しながら覗き込んだ室内の様子に胸を撫で下ろすと、ふっと上から笑い声が降ってきた。
「中はリフォームしてるから安心しろ。玄関ドアは規約があって、簡単に変えられないんだ」
「ぼく何も言ってませんけど」
見透かされたのが恥ずかしくて、つい反抗的な態度を取ってしまう。
泊めてもらう側がこれではいけないと思い直し「お邪魔します」と付け加えると、里崎はなおさら面白そうに笑った。
入ってすぐ廊下の両側に扉があり、右側がフロ・トイレ・洗面台だと告げられる。
奥のリビングに昴を通すと、里崎は「ゆっくりしてろ」と言い残してキッチンに入った。
さっき会ったばかりの人間の家だというのに、なぜだか妙に落ち着く。
その理由が知りたくて、昴はまじまじと室内を見回した。
ベランダのプランター、ガリレオ温度計、壁に飾られた風景写真。本棚の本は背表紙がバラバラで、雑然としている。
そこかしこに生活を感じさせるものがあるからだろうか。
けれど、この家は言葉少なな里崎に対して昴が抱いた印象と異なっている。
「こんな時間に泊めてくれるんだから、ひとり暮らしだと思ってた」
急に申し訳なくなって、昴は部屋の真ん中でぽつりとつぶやいた。
4人掛けのダイニングテーブルはあるが、無遠慮に座る気がしない。
「いや、ひとり暮らしだが」
「ひぁっ!」
想定していなかった返事に昴の肩が跳ねる。
変な声を出してしまったが、里崎は意に介さずグラスをテーブルに置いた。
向こう側の席につき、昴にも座るよう促す。
「取り合えず落ち着け」
「ありがとう……ございます」
言われるまま座ってみたものの、里崎はお茶を飲む以外の動作を取らなかった。
酷くマイペースだ。
改めて事情を聞かれるか、説教されるかを覚悟していた昴は、肩透かしをくらい困惑していた。
「あの、里崎さん?」
何も言わずに泊めてくれる。
それは昴が最も理想としていた存在。
けれど。
なんだか胸の奥がもやもやする。
この感情はなに――。
昴は、グラスと里崎の顔を交互に見つめた。
「毒なんか入ってない」
「そんなこと、疑ってません」
己の言葉を証明するように、昴は出された麦茶を一気に飲み干した。
里崎はそれを見守ってから、昴の後ろにある引き戸を指差した。
「そっちが寝室だ。多少気になるところはあるだろうが、我慢しろ」
「いえ、ぼくは体が伸ばせれば充分なんで床でいいです」
「あ?」
凄まれて、昴は思わず仰け反った。
やっぱりやさしい人じゃなかったかも。そう思ってしまうほど眉を顰めた里崎の目は鋭い。
背もたれにぶつかり息が詰まる。さっき飲んだばかりの麦茶でむせて、咳が止まらなくなる。
「ぐっ……う」
苦しくなってうつむくと、大きな手が背中を撫でた。
「何やってるんだ」
空調を付けたばかりの部屋は生ぬるく、里崎の手はあたたかい。
汗が乾き切らないシャツを押し付けられるのは本当なら不快だ。
だけど、触れたところから染み込んでくる何かが、昴のこころの根っこを掴んだ。
「そんなにオレのことが恐いか?」
「いえ……」
(そうじゃなくて、顔を上げることができないのは、もっとこうしていてほしいからで)
「オレは向こうの部屋で寝るから安心しろ」
(そんなこと頼んでない。ベッドが一つしかないから一緒に寝るしかないって言われても平気なくらいオレは)
「そういうのいらないんで」
視界の端に文字盤の大きな腕時計がチラつく。
おそるおそる昴は里崎の左手の親指を摘まんだ。
「生き物からしか得られないものを、ちょっとだけぼくにください」
里崎は縋りついてきた指を振り払い、昴の手を握った。
膝をつき、震え続ける背中を撫でる。
咳はとっくに止まっている。代わりに止まらなくなったのは、ぽろぽろとあふれ出す大粒の涙だ。
「昴。お前、帰りたくなかったんじゃなくて、人恋しかったんだな」
「ひっう……やっと、名前っ」
「ああ、そうか。オレが悪かった。
昴の気が済むまでこうしててやるから、そんな苦しそうに泣くな」
上半身を引き寄せられ、昴は里崎のワイシャツに顔を埋めた。
頭に首に背中に、触れられるごとに寂しさが溶けていく。
小さな子供じゃないのだから、こんなことをしてくれる人なんてもういないのだと思っていた。
“人恋しい”なんて言ってしまえば誰でもいいように聞こえるけれど、他の誰でもなく里崎がいい。
昴は里崎のシャツを握りしめ、目を閉じた。
失礼だとわかっていても、色褪せた鉄製の扉を前に身構える。
緊張しながら覗き込んだ室内の様子に胸を撫で下ろすと、ふっと上から笑い声が降ってきた。
「中はリフォームしてるから安心しろ。玄関ドアは規約があって、簡単に変えられないんだ」
「ぼく何も言ってませんけど」
見透かされたのが恥ずかしくて、つい反抗的な態度を取ってしまう。
泊めてもらう側がこれではいけないと思い直し「お邪魔します」と付け加えると、里崎はなおさら面白そうに笑った。
入ってすぐ廊下の両側に扉があり、右側がフロ・トイレ・洗面台だと告げられる。
奥のリビングに昴を通すと、里崎は「ゆっくりしてろ」と言い残してキッチンに入った。
さっき会ったばかりの人間の家だというのに、なぜだか妙に落ち着く。
その理由が知りたくて、昴はまじまじと室内を見回した。
ベランダのプランター、ガリレオ温度計、壁に飾られた風景写真。本棚の本は背表紙がバラバラで、雑然としている。
そこかしこに生活を感じさせるものがあるからだろうか。
けれど、この家は言葉少なな里崎に対して昴が抱いた印象と異なっている。
「こんな時間に泊めてくれるんだから、ひとり暮らしだと思ってた」
急に申し訳なくなって、昴は部屋の真ん中でぽつりとつぶやいた。
4人掛けのダイニングテーブルはあるが、無遠慮に座る気がしない。
「いや、ひとり暮らしだが」
「ひぁっ!」
想定していなかった返事に昴の肩が跳ねる。
変な声を出してしまったが、里崎は意に介さずグラスをテーブルに置いた。
向こう側の席につき、昴にも座るよう促す。
「取り合えず落ち着け」
「ありがとう……ございます」
言われるまま座ってみたものの、里崎はお茶を飲む以外の動作を取らなかった。
酷くマイペースだ。
改めて事情を聞かれるか、説教されるかを覚悟していた昴は、肩透かしをくらい困惑していた。
「あの、里崎さん?」
何も言わずに泊めてくれる。
それは昴が最も理想としていた存在。
けれど。
なんだか胸の奥がもやもやする。
この感情はなに――。
昴は、グラスと里崎の顔を交互に見つめた。
「毒なんか入ってない」
「そんなこと、疑ってません」
己の言葉を証明するように、昴は出された麦茶を一気に飲み干した。
里崎はそれを見守ってから、昴の後ろにある引き戸を指差した。
「そっちが寝室だ。多少気になるところはあるだろうが、我慢しろ」
「いえ、ぼくは体が伸ばせれば充分なんで床でいいです」
「あ?」
凄まれて、昴は思わず仰け反った。
やっぱりやさしい人じゃなかったかも。そう思ってしまうほど眉を顰めた里崎の目は鋭い。
背もたれにぶつかり息が詰まる。さっき飲んだばかりの麦茶でむせて、咳が止まらなくなる。
「ぐっ……う」
苦しくなってうつむくと、大きな手が背中を撫でた。
「何やってるんだ」
空調を付けたばかりの部屋は生ぬるく、里崎の手はあたたかい。
汗が乾き切らないシャツを押し付けられるのは本当なら不快だ。
だけど、触れたところから染み込んでくる何かが、昴のこころの根っこを掴んだ。
「そんなにオレのことが恐いか?」
「いえ……」
(そうじゃなくて、顔を上げることができないのは、もっとこうしていてほしいからで)
「オレは向こうの部屋で寝るから安心しろ」
(そんなこと頼んでない。ベッドが一つしかないから一緒に寝るしかないって言われても平気なくらいオレは)
「そういうのいらないんで」
視界の端に文字盤の大きな腕時計がチラつく。
おそるおそる昴は里崎の左手の親指を摘まんだ。
「生き物からしか得られないものを、ちょっとだけぼくにください」
里崎は縋りついてきた指を振り払い、昴の手を握った。
膝をつき、震え続ける背中を撫でる。
咳はとっくに止まっている。代わりに止まらなくなったのは、ぽろぽろとあふれ出す大粒の涙だ。
「昴。お前、帰りたくなかったんじゃなくて、人恋しかったんだな」
「ひっう……やっと、名前っ」
「ああ、そうか。オレが悪かった。
昴の気が済むまでこうしててやるから、そんな苦しそうに泣くな」
上半身を引き寄せられ、昴は里崎のワイシャツに顔を埋めた。
頭に首に背中に、触れられるごとに寂しさが溶けていく。
小さな子供じゃないのだから、こんなことをしてくれる人なんてもういないのだと思っていた。
“人恋しい”なんて言ってしまえば誰でもいいように聞こえるけれど、他の誰でもなく里崎がいい。
昴は里崎のシャツを握りしめ、目を閉じた。
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