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本編
9話 フェロモン
しおりを挟む夏が終わって暦の上ではもう秋になっていたのに、その日はやけに暑かった。
ちょうど繁忙期が終わったので、『二人で打ち上げをしよう』という名目で、オレたちは仕事帰りに居酒屋に飲みに来ていた。
入口のテーブル席はいっぱいだったので、オレたちは店の奥の小上がりに通された。広いスペースがすだれで区切られていて、半個室みたいになっている。
疲れた身体に冷たいビールが美味しくて、喉が渇いていたオレはジョッキのビールを一気に飲み干してしまった。別にアルコールに弱い体質とかではないので、普段ならこのくらいでは酔っぱらったりはしない。だけど今日は、ビールを飲み始めた直後くらいから身体がだんだん熱くなってきて、それとは逆に喉を通っていく冷たいビールがとても気持ち良くて。忙しい日々から解放されたオレは、金曜日の夜──しかも明日からは三連休だということも相まって調子に乗って沢山お替りをして……そして、自分でも気付かないうちに飲みすぎてしまっていたんだ。
「今日は、なんかほんっとに暑いれすね」
オレは礼二さんに凭れ掛かりながら言った。なんだか眠たくて、頭がふわふわする。
さっきまで礼二さんはオレの正面に座っていたはずなのに、何故か今はオレの隣に座っている。オレが移動したのか、礼二さんがこっちに来てくれたのか……ちょっと思い出せない。
「それに、礼二さん、今日もいい匂いれすね~何の香水つけてるんれすか?」
なんか酔いが回ってとっても気持ちがいい。気持ちがいいついでに、オレはずっと気になっていたことを聞くことにした。これぞまさしくまさしく、ザ・酔っ払いの思考だ。
「香水? つけてないよ」
「うそだぁー!! こんなにいい匂いしているのに」
オレは礼二さんに抱きついて首筋をくんくんと嗅いだ。やっぱりいい匂いがする。
ちなみに、礼二さんと恋人ごっこを開始してからのオレたちは、中学生の交際かってくらい清いお付き合いをしている。だって、所詮は恋人ごっこ。ニセモノの恋人だ。デートは何回かしたけれど、オレたちは手を繋いだことだって、まだ一度しかない。
だから、オレが礼二さんに抱きつくなんて、シラフだったら絶対にやらないことなのに。
「茜祢くん、くすぐったいって……」
いつもに比べると過剰なオレのスキンシップに、礼二さんは嫌がることなく、笑いながらくすぐったそうに身を捩る。もしかしたら礼二さんもちょっと酔ってるのかもしれない。酔っぱらうと、なんか人肌が恋しくなるから、こんなにくっついても嫌がられないのだろう。
「いい匂いっていうなら、茜祢くんのほうがいい匂いをしているよ」
言われて自分の手首をくんくんと嗅いでみるけれど、何も匂いがしない。
「んー……? そうれすか……?」
「そうだよ」
礼二さんがオレの首筋を首輪の上からそっと触ったとき、ズクンと身体が疼いた。
この感じは発情期だ。変だ。本来なら発情期はあと一週間先のはずなのに……
「茜祢くんっ!?」
「んー…………なんか発情しちゃったみたいれすー」
オレはへらっと礼二さんに笑いかけた。オレの発情につられたのか、礼二さんの匂いも強くなる。このときになって、オレが香水だと思っていたのは礼二さんのフェロモンの匂いだったのだと気付いた。
「茜祢くん、抑制剤は……」
慌てた表情をした礼二さんがオレに問いかける。
仕事でミスしてもいつもふにゃっと笑っている礼二さんがそんなに慌てた顔をするのなんて見たことがなかった。だから、オレの心の中に、ちょっとした悪戯心が芽生えてしまった。
「礼二さんは今、オレの恋人ですよね?」
「え、ああ……そうだけど……」
抱きつく腕にぎゅっと力を込めて言ったオレに、礼二さんがたじろぐ。
「恋人だったら、発情期、付き合ってくれますよね」
「えっ……?」
「ねぇ、礼二さん。オレと発情期のセックス、しましょ」
アルコールと礼二さんの匂いにふわふわしていたオレは、やはりシラフだったら絶対に言わないことを礼二さんに言ってしまったのだった。
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