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第五章 花にケダモノ
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目覚めてからも、アリスはしばらくベッドでの生活を余儀なくされた。当の本人は「もう大丈夫なのに、おおげさよ」なんて言っていたが、一か月も目を覚まさなかったのだ。全く大袈裟じゃねえよ。
医者から許しが出て、少しずつ散歩が始まった。
体力も筋力も落ちてしまったアリスは、誰かに支えられないと歩けないことが判明し、最初は愕然としていた。
「いつでも俺を杖がわりにしろ」と言うと、アリスは「ふふ」と柔らかく笑った。
クソ可愛い。
こんなに可愛いかったか? というほど可愛い。
易々と可愛さの限界を超えていく。
昨日までは屋敷内だけだったが、今日から庭園の散歩をすることになり、俺はアリスの部屋へ彼女を迎えに行った。
俺が黙って腕を出せば、アリスはそこにそっと手を添える。
「ありがとう、リド」
「ああ」
腕を組んで、アリスの歩幅に合わせゆっくり歩いた。
庭園には相変わらず桃色の薔薇が咲きほこり、見る者の目を楽しませる。
そっと見下ろすと、アリスは愛おしそうに目を細めて薔薇を眺めていた。
そんな彼女が愛おしいな……と口元を緩めると、ふとアリスが顔を上げ、視線が重なった。
俺はちょっと動揺して目を逸らした。
「ど、どうした?」
「ダークは元気かしら? ここに来ると思い出しちゃう」
「あー……」
俺は前髪を掻き上げる。
クソ。アリスが言いてえのはアレだろ? 俺の黒歴史だろ?
するとアリスは俺を見上げたままクスリと笑った。
「僕は喋れる魔法の猫なんだニャー」
「!?」
な……ッ!! こ、こいつ「ニャー」のところで手も猫のマネしやがった!!
顔に熱が集まって、口から何かが出そうになり、俺は慌てて空いている方の手の甲で口を覆った。
「思い出した?」
可愛いく上目遣いで見てくる。俺はこくこくと頷くことしかできなかった。
こうやって度々、アリスは俺の記憶が本当に戻ったのか確認してくる。
「……ダークは元気だ。俺が毎日魔力を喰わせてる。魔獣だけに日中の日差しは苦手だから、今は地下で眠ってんじゃねえか?」
「そっか、良かった。私も魔力あげたいな」
「まずはアリスが元気になるのが先だろうが」
そう言うと、アリスが俺を見上げてニヤニヤした。
「なんだ?」
「ふふ。記憶戻ってから、“アリス”ってよんでくれるね」
「!」
ああ、そうか。
アリスの言葉で、俺は青くなる。なぜなら、少し前まで俺はアリスのことを『クソ女』とか『お嬢』とか『お前』とか『てめえ』と呼び、もっと酷いのは“名前を呼ばない”という、散々な仕打ちを与えてきたのを思い出したからだ。
「……わ、悪かった……忘れてたとはいえ、アリスに対して不誠実というか……その……」
もごもごと口ごもると、そんな俺を見てまたアリスが花のように笑った。
「“アリス”って、ちゃんと名前よんでくれて、嬉しいな」
……ヤっちまうか。
こいつは俺の理性を試してんのか?
なんでこんなに心臓がバクバクいってんだ?
クソッ、押し倒してえ!!
押し倒してえ……けども、ここは我慢だ……ッ! アリスは病み上がりだ。しかも俺のせいで生死の境をさ迷ったんだ。
それに、押し倒したとして途中でやめてやれる自信が全くねえ。絶対に最後までしちまう。
アリスには前に「挿入なしでも気持ちよくなれる」なんて偉そうなこと言ったが、無理だ。俺は絶対にアリスに挿れる。ハメ倒す。処女のアリスに、物凄く負担をかける。
ムッとしてグルグルと考えを巡らせている俺の横で、アリスは始終笑顔を絶やさず俺を見つめていた。
「……お前、ずっと笑ってるな」
「うん。だって、嬉しいから。つい顔がにやけちゃう」
それは俺もだ。
傍から見たら、俺たちは始終ニヤニヤしてる変な二人なんじゃなかろうか。
「リドに話したいことがあるの。その……あんまり人に聞かれたくなくて……」
「? 歩きながらじゃダメか?」
「うん、できれば。四阿に行ってもいい?」
「ああ」
四阿のベンチに座らせると、アリスはふぅと軽く息をついた。
ちょっと歩き過ぎたか? と、顔を覗くと「大丈夫よ、リド」と笑顔と共に返ってきた。
長くこの屋敷に居るのに、二人でここに来るのは随分久しぶりだ。
アリスが眩しくて、俺は目を細める。
こんな穏やかで幸せな日々が俺に訪れるなんてな……。
俺もアリスの向かい側に座った。視線が絡まる。何か言いたげなアリスに「どうした?」と声をかけると、もごもごと口ごもるので聞こえない。俺はアリスの声を拾うために、彼女の横の席に移動した。
「どうした?」
改めて横に座るアリスを見る。
改めて見ると……小さいな。いや華奢っつうのか? 俺の身体にすっぽりとおさまっちまいそうなくらい細え肩だ。
そんなことを考えていたら、俺はつい無意識に、アリスの肩を抱いて胸元に引き寄せていた。
フワッと髪からいい匂いがして、俺は柔らかそうな頭のてっぺんに唇を落とした。
あぁ……やっぱいい匂いだ……。
「リ、リド?」
「んー?」
「く、くすぐったいのだけど」
「あ? ……ッ!?」
ハッ!!
俺、今なにしてた!?
「わ、わりい!!」
俺は慌ててアリスの肩から手を離した。
何やってんだ俺は!! アリスが可愛い過ぎてつい!!
「べ、別に悪くないわ……びっくりしただけ」
そう言ったアリスの顔は真っ赤だった。
そうか、別に悪くないのか……とぼんやりと考えていると、アリスの宝石のように綺麗な碧い瞳が潤んでいるのが目に入った。相変わらず顔は真っ赤だ。
俺はその瞳に吸い寄せられるように顔を近づける。人差し指と親指でアリスの顎を上に上げさせた。
美味そうだ……。
艶やかな唇に誘われ、俺は彼女の唇に自分のそれを重ねた。
アリスは一瞬、ぴくりと身体を強ばらせ、俺の胸元の服をキュッと握りしめた。
アリスが抵抗しないことにいい気になった俺は、一度名残惜しげに唇を離して間近で顔を覗き込む。アリスは瞳を閉じていたが、濡れた長い睫毛がふるりと揺れた。
「……お前の唇は、甘いな……」
俺はたまらず、だがゆっくりともう一度唇を重ねる。角度を変えて何度も何度も唇を貪った。
「……は……ん……ふぅ……」
漏れるアリスの吐息まで愛おしい。それすら逃したくなくて舌で絡めとる。
片方の手を腰に回して、グッと再び俺の方へ引き寄せた。
密着した身体から、心臓の高鳴りが聞こえてくる。いや、これは俺の音か? 心臓の早鐘がうるさいくらいに打ち付けた。
「好きだ……アリス」
アリスの唇の横で囁き、また口づけを再開した。両腕で、掻き抱くように抱きしめると、アリスもおずおずと俺の背中に腕を回した。
このまま、押し倒してしまいたい衝動を、理性をフル動員させて抑え込む。理性なんてとっくにぶっ壊れているのにな。
唇を離し、片手でアリスの頭の後ろを支えて更に抱き寄せた。
フーッフーッと、自分を落ち着かせるように浅い息を繰り返す。項垂れたようにアリスの耳の横に唇を寄せると、またフワリといい匂いがして、それは俺を狂わせそうだった。
「はあ。参った……やべえ……クソッ」
自分のこらえ性の無さに反吐が出る。
「……大丈夫か? アリス」
「……ダメ」
「えッ!?」
「……心臓が止まりそう……うれしくて」
「ッ!!」
またしても可愛いことを言うアリスに眩暈をおこしそうだ。
「煽んな、バカ女」
落ち着け俺。
ここは外だ。
お天道さんの真下だ。
こんなとこで、アリスの初めては奪えねえ。
例えこのバカが、貞操の危機にも気づかずに、無意識に煽ってこようともな。
アリスがぷぅーと頬を膨らませて「バカじゃないもん」と拗ねた。それもヤバイくらい可愛い。
俺はアリスの両肩を持って、自分からゆっくり引き剥がした。体温が離れていくのが寂しいとか……俺も大概バカだ。
「……話があるんだろ? 早く言えよ」
当初の目的を忘れるところだったぜ。
そもそもアリスの声が小さくて聞こえなかったのが、こうなった原因だ。
「うん」
すうっと息を吸い込んで、アリスは真っ直ぐに俺に向かって言葉を紡いだ。
「私、正式にジークフリート陛下との婚約を破棄してもらおうと思う」
覚悟を決めたアリスの強い眼差しが俺を見つめる。
「最初はただ、身の安全を確保したいだけで婚約破棄がしたかったの。でも今は違うから。私、強くなる。大切な人を傷つけられて黙ってなんていられない。失いたくない。もう、怯えているだけなんて嫌だわ」
眩しい。なんて眩しいんだ。
生まれて初めて……いや、生涯でたった一人、俺が惚れた女は。
「私もリドが好き。結婚するならリドじゃなきゃ嫌なの」
肩に触れていた右手を、アリスの胸の前に持っていかれ、両手でぎゅっと握られる。
少し不安げに揺れた瞳を向けてきたアリスに、俺はふっと微笑んだ。
またかよ……。また先越されちまった。
「ほんとにお前は、男前すぎんだろ。プロポーズくらい俺にやらせろ」
俺は、潤む碧色を見つめながら、アリスの左手を唇に持っていった。そして、その華奢な薬指にチュッと触れるだけのキスを落とす。
「俺は誓う……一生お前だけだと。アリス、愛してる。俺と結婚してくれ」
「うん!」
「うわっ!」
間髪入れず返ってきた返事とともに、勢いよく抱きつかれた。予想外の動きにぐらついた俺は、アリスに押し倒されたような形でベンチに寝転がった。
「あぶねえな」
「ご、ごめんなさい!」
「嘘だ。大したことねえよ」
どうやら抱きついたのは照れ隠しだったようで、満面の笑みを浮かべるその顔は、上気していて面白いほど真っ赤だった。
散々、アリスを押し倒したくてしょうがなかった俺が、逆に押し倒されちまうとはな。
ほんと敵わねえな。このお嬢様には。
出逢った頃から振り回されっぱなしで、ずっと目が離せなくて……ずっと愛しかった。
「それでね。問題点がいくつかあるんだけど」
上に乗っかったまま、アリスが真剣な顔で話してくる。
「……問題点だらけだよな」
攫っちまうのが手っ取り早いが、アリスに生活で苦労させたくない。
それに、逃げるのも性にあわない。
「うん……家の書庫には、魔王に関して詳しく書いてある書籍があんまり無くて」
「? なんのことだ?」
「だって、私処女のまま成人しちゃったでしょ? リド以外の人と初体験するの嫌だし。どうしよう」
「は……?」
一番の問題点がそれかよッ!?
確かに、早急に解決してえ問題ではあるが……。
一瞬、他の男に抱かれるアリスを想像して、腸が煮えくり返る思いがした。
「……大問題だな」
「でしょ? リドは知ってる? 魔王になっちゃうとどうなるのか。具体的に」
「……そういや、あんまり考えたことがなかったな」
余りある魔力は確かに魔王の力だといえばそうかもしれねえが。
魔王になっちまったらなっちまったでいいか……ぐらいにしか考えてなかった。そうだよな。アリスの為にもできれば魔王になりたくねえよな。
「たしか……魔王になった者は、歴代の魔王の意識に支配されて自我を失うんだったかな……?」
「え? それってどういうこと? “リド”の人格が消えちゃうってこと?」
「……まあ、そうなるか? 残るかも知れねえが、今とは変わっちまう可能性がある」
「またァァーーーー!?」
「へ?」
アリスがわなわなと震えて俺の胸倉を掴んだ。
「二回も三回も記憶喪失になるなんて、昔の韓流ドラマだけで十分よ!」
「は? はんりゅ……?」
「またリドがリドじゃなくなっちゃうなんて、絶対いや!!」
「なんかわりぃな……マジで……」
どうやら俺は、アリスにトラウマを植え付けちまったようだ。
とりあえず。
魔王に関する本を探すことになった。
「私は王立図書館に行ってみる。善は急げでもう今日行っちゃおうかな」
「一人で歩けねえくせに無茶すんな! だが、この国はあんまり魔王について詳しくねえかもな。元ログワーズ国や隣国のガルダン帝国には文献が残ってるかもしれねえが」
「ガルダン帝国? ログワーズ国を滅ぼした?」
「ああ。過去に、ガルダン帝国は勇者を、ログワーズ国は魔王を排出してるからな。他国よりは詳しいはずだが……」
どっちの国にも行けねえからな……。
調べるのに一苦労しそうだ。
「わかったわ。王立図書館に行くのは後日にする。そのかわり、今日はお父様のところに行きましょう」
「!?」
ま、まさか!
かの有名な『娘さんを僕にください』っていうご挨拶をしにいくのか!?
こ、心の準備が……ッ。
「……そうだよな……ご挨拶に……」
「お父様に宣戦布告してやるわ!」
「は!? 宣戦布告!?」
ずいぶん物騒だな、おい!
許してもらえるもんも許されなくなりそうだ……。
「お父様退治といきましょう!」
いや、頼むから普通のご挨拶させてくれ……。
医者から許しが出て、少しずつ散歩が始まった。
体力も筋力も落ちてしまったアリスは、誰かに支えられないと歩けないことが判明し、最初は愕然としていた。
「いつでも俺を杖がわりにしろ」と言うと、アリスは「ふふ」と柔らかく笑った。
クソ可愛い。
こんなに可愛いかったか? というほど可愛い。
易々と可愛さの限界を超えていく。
昨日までは屋敷内だけだったが、今日から庭園の散歩をすることになり、俺はアリスの部屋へ彼女を迎えに行った。
俺が黙って腕を出せば、アリスはそこにそっと手を添える。
「ありがとう、リド」
「ああ」
腕を組んで、アリスの歩幅に合わせゆっくり歩いた。
庭園には相変わらず桃色の薔薇が咲きほこり、見る者の目を楽しませる。
そっと見下ろすと、アリスは愛おしそうに目を細めて薔薇を眺めていた。
そんな彼女が愛おしいな……と口元を緩めると、ふとアリスが顔を上げ、視線が重なった。
俺はちょっと動揺して目を逸らした。
「ど、どうした?」
「ダークは元気かしら? ここに来ると思い出しちゃう」
「あー……」
俺は前髪を掻き上げる。
クソ。アリスが言いてえのはアレだろ? 俺の黒歴史だろ?
するとアリスは俺を見上げたままクスリと笑った。
「僕は喋れる魔法の猫なんだニャー」
「!?」
な……ッ!! こ、こいつ「ニャー」のところで手も猫のマネしやがった!!
顔に熱が集まって、口から何かが出そうになり、俺は慌てて空いている方の手の甲で口を覆った。
「思い出した?」
可愛いく上目遣いで見てくる。俺はこくこくと頷くことしかできなかった。
こうやって度々、アリスは俺の記憶が本当に戻ったのか確認してくる。
「……ダークは元気だ。俺が毎日魔力を喰わせてる。魔獣だけに日中の日差しは苦手だから、今は地下で眠ってんじゃねえか?」
「そっか、良かった。私も魔力あげたいな」
「まずはアリスが元気になるのが先だろうが」
そう言うと、アリスが俺を見上げてニヤニヤした。
「なんだ?」
「ふふ。記憶戻ってから、“アリス”ってよんでくれるね」
「!」
ああ、そうか。
アリスの言葉で、俺は青くなる。なぜなら、少し前まで俺はアリスのことを『クソ女』とか『お嬢』とか『お前』とか『てめえ』と呼び、もっと酷いのは“名前を呼ばない”という、散々な仕打ちを与えてきたのを思い出したからだ。
「……わ、悪かった……忘れてたとはいえ、アリスに対して不誠実というか……その……」
もごもごと口ごもると、そんな俺を見てまたアリスが花のように笑った。
「“アリス”って、ちゃんと名前よんでくれて、嬉しいな」
……ヤっちまうか。
こいつは俺の理性を試してんのか?
なんでこんなに心臓がバクバクいってんだ?
クソッ、押し倒してえ!!
押し倒してえ……けども、ここは我慢だ……ッ! アリスは病み上がりだ。しかも俺のせいで生死の境をさ迷ったんだ。
それに、押し倒したとして途中でやめてやれる自信が全くねえ。絶対に最後までしちまう。
アリスには前に「挿入なしでも気持ちよくなれる」なんて偉そうなこと言ったが、無理だ。俺は絶対にアリスに挿れる。ハメ倒す。処女のアリスに、物凄く負担をかける。
ムッとしてグルグルと考えを巡らせている俺の横で、アリスは始終笑顔を絶やさず俺を見つめていた。
「……お前、ずっと笑ってるな」
「うん。だって、嬉しいから。つい顔がにやけちゃう」
それは俺もだ。
傍から見たら、俺たちは始終ニヤニヤしてる変な二人なんじゃなかろうか。
「リドに話したいことがあるの。その……あんまり人に聞かれたくなくて……」
「? 歩きながらじゃダメか?」
「うん、できれば。四阿に行ってもいい?」
「ああ」
四阿のベンチに座らせると、アリスはふぅと軽く息をついた。
ちょっと歩き過ぎたか? と、顔を覗くと「大丈夫よ、リド」と笑顔と共に返ってきた。
長くこの屋敷に居るのに、二人でここに来るのは随分久しぶりだ。
アリスが眩しくて、俺は目を細める。
こんな穏やかで幸せな日々が俺に訪れるなんてな……。
俺もアリスの向かい側に座った。視線が絡まる。何か言いたげなアリスに「どうした?」と声をかけると、もごもごと口ごもるので聞こえない。俺はアリスの声を拾うために、彼女の横の席に移動した。
「どうした?」
改めて横に座るアリスを見る。
改めて見ると……小さいな。いや華奢っつうのか? 俺の身体にすっぽりとおさまっちまいそうなくらい細え肩だ。
そんなことを考えていたら、俺はつい無意識に、アリスの肩を抱いて胸元に引き寄せていた。
フワッと髪からいい匂いがして、俺は柔らかそうな頭のてっぺんに唇を落とした。
あぁ……やっぱいい匂いだ……。
「リ、リド?」
「んー?」
「く、くすぐったいのだけど」
「あ? ……ッ!?」
ハッ!!
俺、今なにしてた!?
「わ、わりい!!」
俺は慌ててアリスの肩から手を離した。
何やってんだ俺は!! アリスが可愛い過ぎてつい!!
「べ、別に悪くないわ……びっくりしただけ」
そう言ったアリスの顔は真っ赤だった。
そうか、別に悪くないのか……とぼんやりと考えていると、アリスの宝石のように綺麗な碧い瞳が潤んでいるのが目に入った。相変わらず顔は真っ赤だ。
俺はその瞳に吸い寄せられるように顔を近づける。人差し指と親指でアリスの顎を上に上げさせた。
美味そうだ……。
艶やかな唇に誘われ、俺は彼女の唇に自分のそれを重ねた。
アリスは一瞬、ぴくりと身体を強ばらせ、俺の胸元の服をキュッと握りしめた。
アリスが抵抗しないことにいい気になった俺は、一度名残惜しげに唇を離して間近で顔を覗き込む。アリスは瞳を閉じていたが、濡れた長い睫毛がふるりと揺れた。
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俺はたまらず、だがゆっくりともう一度唇を重ねる。角度を変えて何度も何度も唇を貪った。
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漏れるアリスの吐息まで愛おしい。それすら逃したくなくて舌で絡めとる。
片方の手を腰に回して、グッと再び俺の方へ引き寄せた。
密着した身体から、心臓の高鳴りが聞こえてくる。いや、これは俺の音か? 心臓の早鐘がうるさいくらいに打ち付けた。
「好きだ……アリス」
アリスの唇の横で囁き、また口づけを再開した。両腕で、掻き抱くように抱きしめると、アリスもおずおずと俺の背中に腕を回した。
このまま、押し倒してしまいたい衝動を、理性をフル動員させて抑え込む。理性なんてとっくにぶっ壊れているのにな。
唇を離し、片手でアリスの頭の後ろを支えて更に抱き寄せた。
フーッフーッと、自分を落ち着かせるように浅い息を繰り返す。項垂れたようにアリスの耳の横に唇を寄せると、またフワリといい匂いがして、それは俺を狂わせそうだった。
「はあ。参った……やべえ……クソッ」
自分のこらえ性の無さに反吐が出る。
「……大丈夫か? アリス」
「……ダメ」
「えッ!?」
「……心臓が止まりそう……うれしくて」
「ッ!!」
またしても可愛いことを言うアリスに眩暈をおこしそうだ。
「煽んな、バカ女」
落ち着け俺。
ここは外だ。
お天道さんの真下だ。
こんなとこで、アリスの初めては奪えねえ。
例えこのバカが、貞操の危機にも気づかずに、無意識に煽ってこようともな。
アリスがぷぅーと頬を膨らませて「バカじゃないもん」と拗ねた。それもヤバイくらい可愛い。
俺はアリスの両肩を持って、自分からゆっくり引き剥がした。体温が離れていくのが寂しいとか……俺も大概バカだ。
「……話があるんだろ? 早く言えよ」
当初の目的を忘れるところだったぜ。
そもそもアリスの声が小さくて聞こえなかったのが、こうなった原因だ。
「うん」
すうっと息を吸い込んで、アリスは真っ直ぐに俺に向かって言葉を紡いだ。
「私、正式にジークフリート陛下との婚約を破棄してもらおうと思う」
覚悟を決めたアリスの強い眼差しが俺を見つめる。
「最初はただ、身の安全を確保したいだけで婚約破棄がしたかったの。でも今は違うから。私、強くなる。大切な人を傷つけられて黙ってなんていられない。失いたくない。もう、怯えているだけなんて嫌だわ」
眩しい。なんて眩しいんだ。
生まれて初めて……いや、生涯でたった一人、俺が惚れた女は。
「私もリドが好き。結婚するならリドじゃなきゃ嫌なの」
肩に触れていた右手を、アリスの胸の前に持っていかれ、両手でぎゅっと握られる。
少し不安げに揺れた瞳を向けてきたアリスに、俺はふっと微笑んだ。
またかよ……。また先越されちまった。
「ほんとにお前は、男前すぎんだろ。プロポーズくらい俺にやらせろ」
俺は、潤む碧色を見つめながら、アリスの左手を唇に持っていった。そして、その華奢な薬指にチュッと触れるだけのキスを落とす。
「俺は誓う……一生お前だけだと。アリス、愛してる。俺と結婚してくれ」
「うん!」
「うわっ!」
間髪入れず返ってきた返事とともに、勢いよく抱きつかれた。予想外の動きにぐらついた俺は、アリスに押し倒されたような形でベンチに寝転がった。
「あぶねえな」
「ご、ごめんなさい!」
「嘘だ。大したことねえよ」
どうやら抱きついたのは照れ隠しだったようで、満面の笑みを浮かべるその顔は、上気していて面白いほど真っ赤だった。
散々、アリスを押し倒したくてしょうがなかった俺が、逆に押し倒されちまうとはな。
ほんと敵わねえな。このお嬢様には。
出逢った頃から振り回されっぱなしで、ずっと目が離せなくて……ずっと愛しかった。
「それでね。問題点がいくつかあるんだけど」
上に乗っかったまま、アリスが真剣な顔で話してくる。
「……問題点だらけだよな」
攫っちまうのが手っ取り早いが、アリスに生活で苦労させたくない。
それに、逃げるのも性にあわない。
「うん……家の書庫には、魔王に関して詳しく書いてある書籍があんまり無くて」
「? なんのことだ?」
「だって、私処女のまま成人しちゃったでしょ? リド以外の人と初体験するの嫌だし。どうしよう」
「は……?」
一番の問題点がそれかよッ!?
確かに、早急に解決してえ問題ではあるが……。
一瞬、他の男に抱かれるアリスを想像して、腸が煮えくり返る思いがした。
「……大問題だな」
「でしょ? リドは知ってる? 魔王になっちゃうとどうなるのか。具体的に」
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余りある魔力は確かに魔王の力だといえばそうかもしれねえが。
魔王になっちまったらなっちまったでいいか……ぐらいにしか考えてなかった。そうだよな。アリスの為にもできれば魔王になりたくねえよな。
「たしか……魔王になった者は、歴代の魔王の意識に支配されて自我を失うんだったかな……?」
「え? それってどういうこと? “リド”の人格が消えちゃうってこと?」
「……まあ、そうなるか? 残るかも知れねえが、今とは変わっちまう可能性がある」
「またァァーーーー!?」
「へ?」
アリスがわなわなと震えて俺の胸倉を掴んだ。
「二回も三回も記憶喪失になるなんて、昔の韓流ドラマだけで十分よ!」
「は? はんりゅ……?」
「またリドがリドじゃなくなっちゃうなんて、絶対いや!!」
「なんかわりぃな……マジで……」
どうやら俺は、アリスにトラウマを植え付けちまったようだ。
とりあえず。
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「ガルダン帝国? ログワーズ国を滅ぼした?」
「ああ。過去に、ガルダン帝国は勇者を、ログワーズ国は魔王を排出してるからな。他国よりは詳しいはずだが……」
どっちの国にも行けねえからな……。
調べるのに一苦労しそうだ。
「わかったわ。王立図書館に行くのは後日にする。そのかわり、今日はお父様のところに行きましょう」
「!?」
ま、まさか!
かの有名な『娘さんを僕にください』っていうご挨拶をしにいくのか!?
こ、心の準備が……ッ。
「……そうだよな……ご挨拶に……」
「お父様に宣戦布告してやるわ!」
「は!? 宣戦布告!?」
ずいぶん物騒だな、おい!
許してもらえるもんも許されなくなりそうだ……。
「お父様退治といきましょう!」
いや、頼むから普通のご挨拶させてくれ……。
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