イケメン社長を拾ったら、熱烈求愛されてます

加地アヤメ

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1巻

1-2

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「もー、びっくりしましたよ……! 解雇とか言われたらどうしようかと……」

 昼休みにお弁当を食べながら心境を吐露とろすると、石田さんが私を見て笑った。

「そうよねー。実は私もヒヤヒヤしたわ。でも、業界一位を目指しての、未来を見据えた合併だっていうし、解雇の心配はなさそうよ。それに合併先の会社、社長が代替わりしてから、すごく頑張ってるみたいで、今後うちも変わっていきそうね」
「へえ……新しい社長さんって、やり手なんですか?」
「みたいね。代替わりしてから、会社の方針とかも変わったみたいだし……おまけに、すごく若いんですって。私とそう変わらないんじゃないかな」
「そんなに若いんですか……⁉」

 石田さんと同じくらいっていったら、三十代前半くらい? そんな若い人が大勢の社員のトップに立って指揮をっているなんて、全く想像がつかない。

「近いうちにここにも挨拶あいさつに来るっていうし、その時に会えるわよ。といっても下っ端の私達は、直接話す機会なんてないだろうけどね」
「まあ、そうですよね~」

 合併によりやり手の若社長がトップに就任しようがなんだろうが、解雇されないんだったらなんだっていい。この時の私は、それしか考えていなかった。


 数日後。新社長がうちの支店に挨拶あいさつに来ることが決まった。
 当日の朝は、元社長を含めた新会社の重役達が一堂に集まり、新社長を出迎えたらしい。
 その後、一番広いフロアに社員全員を集め、そこに新社長がやってきた。フロアに社長が現れた途端、フロアにどよめきが起こる。
 というのも、前評判どおり社長が若い上にかなりの美形だったからだ。
 スーツが似合う細身の体型で長身。髪は綺麗にセットされて、きりりと凜々りりしい眉をしている。ぱっちりとした目は優しそうだが、時折見せる真面目な表情からは威厳を感じる。
 若い女性社員からは悲鳴に近い声が上がり、年上の女性社員もその姿に釘付けになっていた。
 かくいう私も社長の姿から目が離せなくなっていたのだが、それは別の理由からだった。
 ――に……似てる……っていうか、まんまだ……‼
 あの時は夜で周囲も暗かったし、本人という確証はない。でも、目の前にいる男性は、あの夜、道路で岩みたいになって寝ていた男性に似すぎるほど似ている。
 ――いやでも……さすがに、やり手と噂される社長が、あんな醜態しゅうたいさらしたりする……?
 業界二位に躍り出た企業の社長なら、普通に考えて、ああいったことはしない……のではないだろうか……
 きっと違う。社長が酔っ払って歩道で寝っ転がったりなんかするわけがない。
 心の中で可能性を否定するけど、どう見たってあの人だ。
 確信と、できれば違っていてほしいという願いが、私の中でせめぎ合っている。でも私の願望が勝つ望みは、限りなく少ない。
 ――それに……嫌な予感がする……
 根拠はない。でも、これまでの経験からいって、不安をいだかずにはいられなかった。

「新会社の代表取締役社長に就任いたしました、松永稔まつながみのると申します」

 マイクを通して聞こえてきた声は、バッチリ聞き覚えのあるもの。違う人であってくれ、という私の望みは、見事にちりとなって消えた。
 ――やっぱり~‼ この声、あの人だよ~‼
 社長の声は、間違いなくあの夜聞いた声と同じだった。
 愕然がくぜんとしながら壇上にいる社長を見つめる。
 もしやあの夜のことは、黙っていないといけないやつかしら……
 今度はそのことで頭がいっぱいになった。思いがけず社長の醜態しゅうたいを知ってしまったのかもしれないと、ドキドキしすぎて話の内容が頭に入ってこない。

「社長と言うと近づきがたいイメージを持たれがちですが、私もこの会社の一員です。立場におごることなく、皆さんと一緒に成長していけたらと考えております。そのために……」

 社長は、あの夜とはまるで別人のごとく、すらすらと今後の経営理念などを述べていく。彼が笑顔になると周囲の社員も釣られて笑顔になる。その様子を見ると、挨拶あいさつだけで社員の心を掴んでしまったようだ。
 まるでこの会社にさわやかな一陣の風が吹き込んだような、そんな明るいイメージを持つ。

「ねえ……新しい社長、いい感じだよね」

 背後にいる女性社員が、近くの社員と話しているのが聞こえてきた。

「うん、顔だけかと思ったけど、話し方とかいいよね」

 ――確かに……いい感じだよね……
 あんな場面にさえ遭遇していなければ、私の社長に対する第一印象も周囲と変わらなかったはずだ。

「私の話は以上です。それでは、皆さん今日も一日、お仕事頑張りましょう」

 長々と話すのではなく、簡潔に要点だけを伝えて話は終わった。社長は周囲の役員に会釈えしゃくをしながら、フロアを出て行こうとする。……だが、たまたま私の近くを通り過ぎようとした時、偶然目が合ってしまった。
 ――ヤバッ。目が合っ……
 ほんの数秒、私の体に緊張が走った。でも、きっと社長は、あの夜のことなど覚えていないだろうと思い直す。
 なんせ夜で周囲は暗かったし、向こうはかなりお酒に酔っていたから、こちらの顔をしっかり見る余裕なんかなかったに違いない。
 もし覚えていたとしても、きっと触れられたくないはずだ。
 私は誰にも言いませんというスタンスで、平常心を保つ。
 しかし、私の予想とは違い、目が合った途端社長に変化が生じた。ピタリと足を止めたかと思いきや、素早く二度見されてしまった。
 社長の様子を目で追っていた社員達が、一斉にこちらへ視線を寄越してくる。私は内心の動揺を抑えて、さり気なく視線を明後日あさっての方向に逸らした。

「社長?」

 役員らしき男性が社長に声をかけたのが聞こえる。

「すみません、失礼しました」

 そっと視線を戻すと、彼は何事もなかったように前を向いて歩き出した。
 ホッと胸を撫で下ろしていると、隣にいた石田さんが私を見た。

「ねえ今、社長こっち見てなかった?」
「さ……さあ……? 誰か知り合いでもいたんですかね……? 挨拶あいさつも終わったことですし、戻りましょうか……」

 しらっととぼけて、私は石田さんと自分の部署へ戻った。廊下に出て、念のため周囲を確認したけれど、松永社長の姿はもうなかった。


 松永社長は普段、弊社を吸収した企業の本社にいるため、一支店となった我が社に来ることはほぼないと言っていい。今回は吸収合併後、初めての挨拶あいさつということでわざわざ出向いてきただけで、今後社長を交えた朝礼などは企業全体で視聴できるリモートで行うらしい。その話を聞いた私は、ますます安堵した。
 ――よかった……じゃあもう、社長と直接会うような機会はないのね。
 きっと社長だって、あんな場面を見られて気まずいだろうし、そんな相手にわざわざ会いたくないはずだ。私も社長に、変な恩義とか感じてほしくない。
 つまり、お互いにもう会わないのが一番ということだ。

「お疲れ様でした」
「お疲れ~」

 定時で仕事を終え、いつものように石田さんと途中まで一緒に帰る。
 ――夕食は、冷蔵庫に魚の干物が入ってるから、それを焼いて、ご飯炊いて、味噌汁作って……って感じかな~。あ、途中でスーパーの特売品もチェックしていかなきゃ。
 スーパーのチラシはスマホで見られるので、新聞を取っていなくても全く問題ない。いい時代になったものだ。
 社屋を出てすぐの信号で立ち止まっている間、スマホを取り出しチラシのチェックをする。ふと気付くと、すぐ横に人の気配がして何気なく隣を見上げた。
 そこには、綺麗な顔をしたスーツ姿の若い男性。身につけているものが上質なせいか、そこはかとなくただよう上流階級の匂いに、一瞬頭の中が真っ白になる。

「…………しゃ、社長っ⁉」

 驚きのあまり大きな声が出てしまう。当の社長は私を見下ろし、口元に「しー」と長い人差し指を当てた。

「社長なんて叫ばれたら、嫌でも目立ってしまうよ。森作星良さん。今朝、私と目が合いましたよね?」

 ――やっぱりあの時気付かれてたんだ……‼
 ひゅっと喉が鳴った。

「……‼ な、なんで私の名前……⁉」
「そりゃ社長なので。社員名簿のデータベースを見る権限はあるのです」

 赤だった信号が青になった。いつもなら反射的に歩き出そうとするのに、社長が隣にいるとなぜか動けない。

「あなたをずっと探してたんですよ。あの夜、私に親切にしてくださってありがとうございました」

 社長が私に向かって丁寧に頭を下げる。そんな社長を前にしてポカンとしそうになるけれど、ハッと我に返り、歩行者の邪魔にならない場所まで社長の腕を引いて移動した。

「い……いえ、そんな……お礼を言われるほどのことではないです」
「いえ。それほどのことです。あの日、私はあなたの優しさが身に沁みました。それで、水とタオル代といってはなんなのですが、お礼を……」

 社長が胸ポケットから財布のようなものを取り出そうとする。でも、本当に水とタオルの代金など微々たるもの。返してほしいなんて全く思っていないし、気持ちだけでじゅうぶんだ。

「ややや、いいですっ‼ 本当に結構ですから」

 慌てて社長の手を押し返すと、社長の表情が悲しげにゆがむ。

「それでは私の気が済みません」
「あの、本当にお気持ちだけで大丈夫です。もしかして、このためだけにわざわざここまで……?」
「はい」

 にっこりする社長に、こっちは戦慄せんりつが走る。
 ――社長にわざわざご足労いただいてしまった……‼

かえって申し訳ないです……‼ あの、今って秘書の方は一緒では……?」
「いえ。今は勤務時間外なので誰もいません」

 誰もいないの? 本当に一人なの?
 ――ど……どうしよう……
 勝手にたらたら冷や汗を流していると、社長が今度は、財布ではなくスマホを取り出した。

「森作さん」
「はいっ」
「森作さんの個人的な連絡先を教えてもらえませんか?」

 真顔で尋ねられる。

「……え? な、なぜですか」
「知りたいからです」
「れ、連絡先を知って、どうするのでしょうか……?」
「連絡します。食事に誘いたいので」

 ――これって……まさか……
 相手が大企業の社長ということはわかっている。けれど、私の頭には、かつて遭遇したヤバい男性達が、まるで走馬灯そうまとうのようにぐるぐる駆けめぐり始めた。

『森作さん‼ こっちを見てください‼ あなたが好きなんです‼』

 ごめんなさいと謝ったあと、後ろで絶叫されたのはいつのことだったか。
 面倒事は困る。せっかく新しい仕事に就けたというのに、また転職する羽目になるのなんて御免こうむりたい。それだけは絶対に嫌だ。

「ごっ、ごめんなさい‼ 無理です‼」
「え?」

 なんで? という顔で社長が私を見下ろしている。でも、それに構っている余裕はなかった。社長に頭を下げると、私は再び信号が青に変わるやいなや横断歩道を猛ダッシュで渡ったのだった。



   二


「森作さん」
「……あっ、はい」

 石田さんに声をかけられて、弾かれたようにそちらを向く。

「さっき頼んだデータの入力、終わってるかな。次、これを頼みたいんだけど……」

 彼女の手には何冊かのファイルがある。それを見て、慌ててデスクの上を片付けた。

「は、はい。今終わったところなのですぐ取りかかれます」
「無理しなくても大丈夫よー。もしわかんないことがあったら聞いてね?」

 クスッと笑う石田さんには、多分私が声をかけられるまで違うことを考えていたのがバレバレなのだろう。
 ――いけない、仕事中なのに……気を引き締めなきゃ。

「はい。すみません……」

 手元にあったお茶を飲んで、一旦気持ちをリセットする。
 私がこうも気ががれてしまうのには理由がある。でも、それを石田さんに伝えることができないこのもどかしさ。
 ――だって……だって……原因がうちの新社長にあるなんて言えないよ……‼
 なんとあれから三日とけず、仕事帰りに社長が私を待ち伏せしているという、あり得ない事態が起こっている。こんな状況が続けば、誰だって仕事に身が入らなくなるはずだ。

『森作さん、連絡先を……』
『森作さん、連絡先がダメならこのまま食事でも……』
『森作さーん?』

 すみませんごめんなさい。と断っているのに、社長は諦めることなく私を待ち伏せしてくる。
「そうか、この粘り強さが社長の持ち味か☆」なんて感心しそうになるけれど、そんなことを言ってる場合じゃない。
 そもそも、彼は社長なのだ。仕事はどうした。まさか私に会うために、仕事を放り出してここまで来ているなんてことは……
 社長の仕事は自分には関係ないと思いつつも、こう何度も待ち伏せされるとだんだん心配になってくる。
 ――いやいや、そんなことないよね⁉ さすがにそれはないと思いたい!
 かといって社長に連絡先を教えてもいいものかどうか。過去のこともあるし若干不安がある。
 でも、相手は勤務先の社長なのだ。身元はちゃんとしているし、独身だということも判明している。お礼の食事くらいならいいのかもしれない。
 それで社長が満足して待ち伏せをやめてくれるなら、この先ずっと逃げ続けるより全然いいのではないか……
 そう思った私は、もう少しだけ情報を得ておきたくて、ある人物に相談を持ちかけた。

「……あの、石田さん。新社長のことってどう思います?」
「え? 社長? なんで?」

 突然の質問に、石田さんが目を丸くする。そんな彼女を前に、私はものすごく頭を働かせてもっともらしい理由を口にした。

「いや、あのほら……この前、合併先の企業に知り合いがいるって教えてくれたじゃないですか。これから先、あの社長の下で私達も働いていくわけですしね? す、少しでも情報をと……」
「そっか。森作さんもやっぱりイケメン社長には興味があるのねえ……」
「えっ⁉ ち……違いますよ、そうじゃなくて……」
「まあまあ、誤魔化さなくても大丈夫。他の人には内緒にしておくから!」

 石田さんは就業時間まであと数分という短い時間で、友人に聞いたという松永社長のことを教えてくれた。

「とにかく真面目なんだって。学業も優秀で国内の有名私立大学を出たって聞いたわ。親が大きくした会社を自分の代でダメにするわけにはいかないって、相当頑張ってたみたい。だから周囲の役員も彼を認めていて、年齢は若いけど社長に就任するのに反対する人は誰もいなかったって聞いたよ」

 石田さんによれば、社長は本人の希望で、最初は平社員からスタートしたという。

「社長就任を誰も反対しないってことは、やっぱり人望があるってことですよね……」
「そりゃねー。じゃなかったら社長になんて推してもらえないしね。なったところで誰もついてこなかったら意味ないじゃない……若いのに何事もなく社長に就任できるってことは、相当優秀なんじゃないかな」

 石田さんが真顔で頷く。そうこうしているうちに始業時間を迎えたので、彼女は自分の席に戻っていった。
 残された私は今の話を聞いて、社長が人間的には全く問題ない、むしろ努力の人なのだと判断した。
 行動がストレートでちょっとやりすぎなところも、真面目ゆえなのかもしれない。
 私がこのまま逃げ続ける限り、きっと社長は私のところに会いに来続けるだろう。そうなったら仕事がとどこおったり、何かと影響が出てくるかもしれない。
 だから、一度だけ誘いを受けよう。
 もちろん、連絡先を教えたりするのは無理だけど。
 そうして私は、これまで逃げ続けてきた社長と、ちゃんと話をする決意をした。
 ――社長、今日も来るかなあ……
 そわそわしながら迎えた終業時間。
 いつものように社屋を出て周囲を見回す。でも今日は、社長の姿が見当たらない。

「来てないか……」

 しかし、その数秒後、左側から「星良さん!」と名前を呼ばれて息を呑んだ。
 声のした方を見ると、こっちに向かってスタスタ歩いてくる松永社長がいた。

「しゃっ……‼」

 社長、と声を出しそうになり、慌てて口をつぐんだ。こんな誰の目があるかわからないようなところで、社長だなんて言ったらえらいことだ。
 彼は小走りで私のところへやってきた。
 あんなに誘いを断り続けているのに、どうしてそんな笑顔で私を見るのだろう。社長を前にすると、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

「よかった。入れ違いになってしまったかと思っていたんですよ」
「な……なんでそこまでするんです⁉」

 明らかに急いできた様子の相手に驚き、思わず素で返してしまった。言ってからしまった、と思ったがもう遅い。
 でも、社長はそんなことを気にもとめていない様子だ。それどころか、なんだか顔が嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「すみません遅くなりました。会議が押してしまって、それでも間に合うよう急いだんですが……」
「あの、仕事は大丈夫なんですか? 吸収合併したばかりで忙しいんじゃないんですか?」
「大丈夫ですよ」

 社長はあっさりとそれを否定してしまう。

「えっ……?」
「私の予定は私が決めていますし、急ぎの仕事は全て片付けてから来ています。まあ、ここに来るために調整していると言った方が早いか。あ、でも仕事が残っていたらまた社に戻りますよ。役員は年俸制で残業代はつきませんからそのあたりはご心配なく」

 その美しい顔をキラキラ輝かせながら、社長が私に微笑みかける。
 素直にそうなんだ、と頷きかけて違うと我に返った。そもそも私が言いたかったのはそんなことじゃない。

「あの、社長……」
「うん?」

 社長が優しい表情で私がしゃべるのを待っている。とりあえず、この人にこれまで私がしてきた失礼を謝罪しなくてはいけない。
 私は肩にかけていたバッグを体の正面で持ち直し、彼と真っ直ぐ視線を合わせた。

「これまで失礼なことばかりして、本当に申し訳ありませんでした」

 頭を下げてから体を元に戻すと、なぜかきょとんとしている社長がいた。

「ん? なんで謝られてるのかな?」
「それは……せっかく会いに来てくださっているのに、いつも逃げてしまったじゃないですか。冷静に考えたら失礼だったと思いまして……。は、反省しています」
「反省することなど何もないですよ? そりゃ、いきなり待ち伏せされて連絡先を聞かれたら怖いし、警戒しますよね。星良さんが逃げたくなる気持ちもわかります」

 すんなり納得している社長を前にして、頭が真っ白になりかけた。

「え……じゃあ、なんで今日も私を待っていたんですか……?」

 その時、会社から何人か社員が出てきたのが目に入った。このままここで社長と立ち話をしていたら、絶対に気付く人が出てきてしまう。ただでさえ社長の顔とスタイルは目立つのだ。
 ――ここにいるのはまずい。
 咄嗟とっさにそう判断した私は、社長の手首を掴んで人気ひとけの無い場所を探す。

「ここにいたら他の社員に気付かれてしまいます。どこか別の場所に移動しましょう」
「ん? 別に気付かれたって構わないけど……」
「私が構います」
「そうですか……」

 一瞬だけ悲しそうな顔をした社長が、すぐに私の手首を掴み直し、大股で歩き出した。

「どっ……! どこへ行くんです⁉」
「近くの駐車場に車を停めてあるんです。車で移動しましょう」
「は……はい……」

 人目を気にしなくていい車の中で話す、もしくは別の場所に移動して話をするのは問題ない。しかし、今の私にとってそれよりも気になるのは、社長に触れられていることだった。
 ――しゃ、社長に手首を掴まれている……‼
 どちらかというと変な人ばかりが寄ってきたせいで、子どもの頃から男性というのは私にとって警戒の対象だった。それもあって、親しく触れ合ったりするのは家族か付き合った人とだけだった。
 そんな私がこんな長身の、イケメンと称されるような男性に腕を掴まれて歩いているなんて。
 ――なんか、緊張して心臓が痛くなってきた……

「そこです」

 近くにあったコインパーキングに黒い大きなSUVが停まっているのが見えた。どうやらあれが社長の車らしい。私が予想していた社長の車とは、少々イメージが違った。

「お仕事の時もこの車ですか? 運転手さんとかは……」
「ん? 社用車かどうかってこと? これは私の車です。今はプライベートですから、もちろん運転手などいません」

 社長が車に触れると、ピッと音がして車のロックが解除された。素早く助手席側に回った社長がドアを開けてくれる。その動作がスマートで、とても様になっていた。
 外見がいいと、こうも絵になるものかと惚れ惚れする。

「さ、どうぞ。星良さん」
「ありがとうございます……ところで、さっきからなんで名前呼びなんですか?」

 前までは森作だったのに、今日はなぜか最初から星良と名前呼びだ。
 車に乗り込みながら尋ねると、同じく車に乗り込んできた社長の顔が、微かに緩む。

「可愛いからです」

 すぐにバタン、とドアを閉める音が聞こえてきた。
 ――か……可愛いって……
 イケメンの社交辞令は、そうだとわかっていてもなかなかの威力がある。すごい。
 勘違いしそうになるが、あくまで名前のことだ。何度も自分にそう念押しするけれど、名前であろうがなんだろうが、こんなイケメンに可愛いなんて言われたら嬉しいと思ってしまう。

「さー、どこに行きましょうか。とりあえず食事にでも行きましょうか」
「えっ。しょ、食事……ですか……」

 そのつもりではいた。でも、実際にそう言われるとやはり戸惑ってしまう。

「はい。この前助けていただいたお礼に、食事をご馳走させてください」

 キラキラの笑顔でお願いされた。
 まだこの人に対して完全に気を許したわけじゃない。でも、このままずっと社長に会いに来させるわけにもいかない。
 ここは一つ、腹をくくろう。

「わ、わかり、ました……。では、お食事だけご一緒します……」
「ありがとうございます。そんなに緊張しないで。ここを自分の家だと思ってください」


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