執着弁護士の愛が重すぎる

加地アヤメ

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1巻

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 ある日、姉が大きなスーツケースを引きずって実家に帰ってきた。

「お姉ちゃん……どうしたの? その荷物」

 最初に出迎えた私――一杉いちすぎかおるがポカンとしていると、姉のあおいは無表情のまま私に視線を寄越す。

「私、離婚するから」

 それだけ言い放つと、姉は私の横を通り過ぎ、家の中へと入って行った。
 そしてこれが、我が一杉家にとって青天せいてん霹靂へきれきとも言える出来事の始まりだった。


「旦那、私の出張中に浮気してたのよ。早めに切り上げて家に帰ってみたら、ベッドの上で若い女とよろしくやってた。私が帰ってくるなんて欠片かけらも思ってなかったみたいでね、二人とも真っ裸で固まってたわ」

 姉はリビングのテーブルで豪快に煎餅せんべいを食べながら、離婚を決意するに至った経緯を話し始めた。その様子を、祖母と母と私は呆然と見守る。
 姉の葵は大手企業の営業職で、バリバリ働くキャリアウーマンだ。
 義兄あに孝治こうじさんとは、仕事が縁で知り合い、付き合って三ヶ月というスピード結婚だった。
 交際期間の短さに家族は心配したが、初めて挨拶あいさつに来た時の孝治さんは、すらっとして気さくで気遣いもできる素敵な男性で、家族の評価も高かった。
 それに、結婚後もこれまで通り仕事を続けたいという姉の希望を尊重し、家事の分担などいろいろ協力してくれていると聞いていたので、てっきり上手うまくいっているんだと思っていた。

「葵、孝治さんと話は……」
「無理」

 母がおずおず尋ねると、姉は食い気味に強い口調で断言した。

「結婚して二年も経っていないっていうのに、二人で使うベッドで別の女とセックスするような男、こっちから捨ててやるわ」

 鼻息を荒くする姉に、これ以上何か言える者はいなかった。
 いや、それ以前に、この場には「お前もか」という半ば諦めにも似た空気が流れ始めている。
 というのも、我が一杉家の女性は、祖母といい母といい、男性との縁が薄いのだ。

「葵は大丈夫だと思ってたのにねえ……」

 そう言って残念そうにお茶を飲む祖母は、母を出産後間もなく祖父と死別していた。
 母は私を出産後、いつまでも定職に就かない父を見限り離婚している。以来、看護師の仕事をしながら女手ひとつで姉と私を育ててくれた。そんな母も、ヤレヤレとため息をつく。

「やっぱり葵も、私に似て男を見る目がなかったのかもねえ……。薫も最近、彼氏と別れたって言うし……」

 ここで急に私の話が出てきて、ギクッとする。

「ちょっとお母さん。今は私のことよりお姉ちゃんの……」
「えっ‼ 薫、ついにあのヒモみたいな男と別れたの⁉ よかったじゃない。別れて正解よ。結局、あんたも男を見る目がないのね~」

 異常に食いつきが速いと思ったら、案の定姉は私を見て嬉しそうにしている。これはきっと、私も仲間だと思って喜んでいるに違いない。

「付き合った頃はちゃんと働いてたから! 無職になったのはその後よ……」

 即座に反論したものの、虚しくなってやめた。
 がっくりと項垂うなだれている私の前で、煎餅せんべいを食べ終えた姉が立ち上がる。

「じゃ、元の私の部屋、使わせてもらうわね。それから薫、あんた毎週水曜日が休みって言ってたけど、それ今も変わってない?」
「うん。変わってないけど……」

 私はサービス業に従事しており、ここ数年は毎週水曜日を休みと決めている。しかし何故今、そんなことを聞かれるのかと眉をひそめる。

「じゃあ次の水曜日、弁護士さんのとこ行くからけておいて」

 姉はそう言って、にっこりと微笑みかけてきた。
 突然そんなことを言われた私は、つい真顔になる。

「は? お姉ちゃん一人で行けばいいじゃない」
「え~、なんか一人で行くの、いやなんだもん。じゃ、よろしくね~」
「ちょっ……‼」

 言いたいことだけ言うと、姉は私の反論を聞く前に、昔使っていた自分の部屋に行ってしまう。

「な、なんで私が……‼」
「まあまあ、いいじゃないの。葵も強がってはいるけど、きっとまだショックで心細いのよ。特に予定がないんだったら、一緒に行ってやって?」
「ええ……そうかなあ……?」

 今の姉は、どちらかといえば何がなんでも自分の満足いく形で離婚を成立させたいという、気持ちの方が強いように見えるけど……
 でも心配そうな母に頼まれてしまうと、なんとなくイヤとは言いにくい。
 ――仕方ないなあ、もう……
 平穏な日常が一転しそうな予感に、私は大きなため息をつくのだった。


 そして迎えた、次の水曜日。
 私は姉と共に、予約を入れた法律事務所の入っているビルにやってきた。
 二十八階建てのオフィスビルの中にあるというその法律事務所は、姉の同僚が紹介してくれたのだそうだ。

「ここの事務所には、いい弁護士さんがたくさんいるんですって。それに初回に限り、一時間無料で相談できるのがありがたいわよねー。あ、エレベーターあっちだわ」

 トレンチコートの下はジャケットにタイトスカートという、かっちりした格好でエレベーターに向かう姉の後ろを、私はため息をつきながらついて行く。
 戦闘モードの姉と違い、私はただの付き添いである。だから完全に気を抜いて、薄手のダウンジャケットにテーパードパンツというちょっと買い物に行くような格好で来てしまった。
 ――この格好で、大丈夫だったかな。
 少しだけ後悔の気持ちが押し寄せてくるが、諦めてエレベーターに乗り込む。
 エレベーターの中には、すでに一人の男性が乗っていた。スーツを着た背の高い男性は、このビルに勤務する人だろうか。
 そんなことを考えていると、階数のボタンの前にいる男性がこちらを向いた。ばちっと目の合った相手の顔が、ものすごいイケメンで、「おっ」と思う。
 銀色の細いフレームの眼鏡がよく似合う、めったにお目にかかれないようなハンサムだ。

「何階ですか?」
「二十階です」

 私より先に姉が答えてしまったので、私はにこっとして男性に頷いた。
 すると、階数ボタンの前から男性の手が引っ込められる。

「一緒ですね」

 ――一緒……
 何気なく階数ボタンを見れば、点灯しているのは二十階だけだ。
 ということは、この人も法律事務所に用事があるのかな?
 私が黙っていると、横から姉の声が飛んできた。

「あの。もしかして赤塚あかつか飯田いいだ法律事務所にお勤めの方ですか?」
「はい」

 姉を見て小さく頷いた男性に、へえ、と思う。
 ――じゃあこの人、弁護士なのかな? こんなにイケメンで弁護士なんて、さぞかしおモテになるんでしょうね……
 私がぼーっとしながら話を聞いていると、「そうなんですか!」と姉が嬉しそうな声を上げた。

「あの、私達、これから事務所に伺うところなんです。でも初めてなので緊張してしまって……」

 ――緊張した様子など、まったくなかったけど?
 じとっと姉を見てから男性の様子を窺うが、彼の表情はあまり変わらない。

「そうでしたか。ご予約のお名前をお伺いしても?」
渡瀬わたせです」

 姉は現在、渡瀬葵という。
 黙ったまま二人のやり取りを見守っていると、何故か男性が私を見る。

「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「えっ……私ですか? 私はただの付き添いで……」

 咄嗟とっさのことにオロオロしていると、姉の助け船が入った。

「私の妹です。今日は付き添いで一緒に来てもらいました」
「なるほど、妹さんでしたか。ではご案内しますね」

 タイミングよく二十階に着いたエレベーターのドアが開くと、男性はドアを手で押さえて私達を先に降ろしてくれた後、事務所に向かって歩き出した。

「こちらです」

 そこは、【赤塚・飯田法律相談所】と看板がかかげられた綺麗なオフィス。
 自動ドアを抜けてすぐに、ダークブラウンの受付カウンターが目に入った。その周辺にはいくつかのテーブルと、一人がけのソファーがランダムに置かれている。
 事務所の中は、どこもかしこもピカピカで清潔感がすごい。
 男性は受付の女性と一言二言、会話を交わすと、私達をすぐ近くのソファーに案内してくれた。

「すぐ準備いたしますので、こちらで少々お待ちください」

 男性はそう言うと、フロアの奥へ歩いて行ってしまった。
 彼が去った途端、それまで柔らかなソファーの座り心地を確かめていた姉が、急に体を起こして私にこそっと耳打ちしてくる。

「ねえ、すごいイケメンだったね、今の人」

 その意見には同意しかないので、こっくりと頷く。

「うん。確かにイケメンだった。すごいモテそう」

 先ほどの男性の顔を思い出してみる。キリッとした眉に切れ長の目。高くスッと伸びた鼻梁びりょうに薄く形のいい唇。かなり整った顔立ちに眼鏡というアイテムが、いい感じにインテリ度をプラスしている。それに加え、身長はおそらく百八十センチくらい。中肉中背でスーツがよく似合っていた。
 確かに彼は、身近にはなかなかいないだろう相当のイケメンだった。
 姉はソファーの背にもたれて、はぁ~、とため息をつく。

「絶対モテるでしょ。あんだけ色気振りまいてんだもん。あれは、何人も女泣かせてるわよ、絶対」

 浮気されたばかりだからなのか、姉の男性に対する思考は、どうもひねくれた方向に偏りがちだ。

「いや、そうとは言い切れないでしょ。一人の女性を大事にしてるかもしれないじゃん……」
「けっ。男なんて信じられるか」

 そう言って姉が口を尖らせていると、さっきの男性が戻ってきた。

「お待たせいたしました、こちらへどうぞ」
「あっ、はーい‼」

 姉が元気よく返事をして立ち上がったので、私も慌ててソファーから腰を上げる。
 これから離婚についての相談をするというのに、姉のテンションがやけに明るいのが気になった。

「お姉ちゃん大丈夫? 冷静に話できる……?」

 何故かこっちが不安になってしまい、こそっと姉に耳打ちする。

「大丈夫よ! やっと離婚の話を進められると思ったら、嬉しくって。なんとしてでも、あいつから慰謝料ふんだくらないと!」

 鼻息を荒くする姉に一抹の不安を感じながら、私達は男性の案内してくれた部屋へと移動した。
 その部屋はさながら小さな会議室のようで、部屋の中央に大きな机があり、それを囲むみたいに椅子が数脚置かれている。
 私が部屋の中を見回していると、男性が姉に名刺を差し出した。

「この度、担当させていただくことになりました、真家しんけと申します。どうぞよろしく」

 男性は私にも名刺をくれた。そこにはこの事務所の名前と、【弁護士 真家友恭ともやす】という彼の名が記されている。
 ――しんけ、ともやす……
 まさかこの男性が担当してくれるとは思っていなかった私達は、きょかれたように固まる。

「え、あの、あなたが担当を……?」
「はい。エレベーターでお会いしたのも何かの縁ということで。どうぞ、お掛けになってください」

 まだ動揺が収まらない中、私と姉は勧められるままちょこんと席に着いた。それを見届けてから席に着いた真家さんは、あらかじめ用意してきた数枚の書類を机の上に並べる。

「離婚に関するご相談と伺っておりますが、間違いありませんか?」
「ありません」
「では、具体的なご相談内容をお聞きしてもよろしいですか?」
「はい、っていうか、聞いてください……‼」

 急にスイッチが入ったように姉がしゃべり出した。家族には大丈夫だと言っていたけど、やっぱり溜まりに溜まった不安や不満があったのだろう。
 私は黙って姉を見守った。
 姉は今回の義兄あにの不貞行為だけに留まらず、結婚してからずっと疑っていた義兄あにの怪しい行動など、これまで知らされていなかった事実までも洗いざらい話した。
 飲み会や出張がやたら多く、入浴時もスマホをビニールケースに入れ肌身離さないこと。何より、一番不審に思ったのが、夫婦の営みが分かりやすく減ったこと。
 姉がそれを話し出した瞬間、さすがにギョッとした。が、真家さんは特に表情を変えることもなく、真剣に姉の話に耳を傾けている。
 義兄あにに疑念をいだき始めた姉は、興信所に調査を依頼したのだそうだ。

「調査の結果、私と結婚する前から一人の女性と関係を続けていることが分かったんです。相手は彼と同じ職場の、年下の女性だそうです」

 初めて知る事実に、隣で話を聞いている私も衝撃を隠せない。
 ――お義兄にいさん、マジか……!

「調査の結果が出て、彼との今後をどうしようか考えている時に、今回の出来事がありまして。それが離婚を決める決定打になりました。あの人と別れられるならなんでもします。私にできることって、何かありますか?」

 身を乗り出す姉に、真家さんはやや苦笑いだ。

「そうですね、何かお願いしたいことがあれば、すぐにご連絡します。なので、それまではお待ちいただけたら」
「そうですか……でも一日も早く離婚できるのなら、本当になんでもしますので。あ、そうだ。相手の写真が必要でしたらおっしゃってください。私の手元にいくつかありますので。あと社員旅行の時もちょっと怪しかったんですよね……」

 徐々にヒートアップする姉の話は一向に終わる気配がなく、このままいくと無料相談時間の六十分など、あっさり超えてしまいそうだ……
 時計を気にしてソワソワしていたら、四十分を過ぎた辺りで、真家さんが姉にストップをかける。

「それで、旦那様は離婚に関してなんとおっしゃっているんですか?」
「それが……離婚はしない、としか言わないんです。離婚届を突き付けても判子はんこを押してくれなくて……。でも、私もう、彼と一緒に生活するのは生理的に無理なんです」

 困り果てたようにため息をつく姉に、真家さんが頷いた。

「分かりました。では、なるべく調停には持ち込まず、協議でまとまるよう、交渉させていただきます」
「ぜひ、よろしくお願いします……‼」

 姉にならって私も一緒に頭を下げると、真家さんは何故か私を見てにっこりと微笑んだ。
 ――? なんでこっち見て……?
 それから彼は今後のことを具体的に姉に説明する。これはどういう契約で、料金の相場は慰謝料の何パーセントが目安になるのか。それと慰謝料を相手に請求するまでの流れなどを説明した後、離婚に関するアドバイスや、姉からの質問に答えたところで相談の時間を終えた。
 提案された協議離婚の方針に納得した様子の姉は、来た時よりもかなり表情が明るくなっている。

「いろいろ悩んでたんですけど、全部話したらスッキリしました。相談しに来てよかったです」

 席を立ちながら姉が真家さんに声をかけると、彼は「それは何よりです」と微笑んだ。
 すっかり頬を緩ませていた姉が、突然思い出したように声を上げた。

「すみません。お手洗いをお借りしてもよろしいですか」
「はい、どうぞ。この部屋を出て右に……」
「ごめん、薫。ちょっと待ってて」
「うん」

 姉を案内するため、真家さんも部屋から出て行ってしまったので、一人残された私は、ホッとしつつお茶をすする。
 ――とりあえず、なんとかなりそうでよかった。
 それにしても、義兄あにがずっと浮気をしていたのには驚いた。
 結婚前から、あんなに姉と仲良くしていたのに、実は他の女の人とも上手うまくやっていたなんて。
 これじゃあ、うちの女は男を見る目がないってしきりに言う母達の言葉を、信じざるをえないではないか。
 ――やっぱり私も、男を見る目がないのかな……
 多分に思い当たることがあるだけに、とほほ……と項垂うなだれていると、真家さんだけが戻ってきた。
 彼は私と視線を合わせるとニコッと微笑んでくる。

「お茶、新しくお持ちしましょうか?」

 湯呑みを手にしたままでいたので、気を遣ってくれたのだろうか。

「あ、いえ。結構です。もう帰りますし……」

 慌てて湯呑みをテーブルに置き、荷物を持って立ち上がる。そんな私に、何故か真家さんはずっと視線を送り続けていた。

「妹さんは、何かお困りのことはありませんか? 私でよければいつでも相談に乗りますよ」
「私……ですか? いえ、今のところは特に……」
「そうですか。では、もし何か困ったことがあったら、遠慮なくご相談ください。お渡しした名刺にある番号に、直接電話してくださって構いませんので」
「ありがとうございます、では……」

 私が彼の前を通り過ぎて部屋を出ようとすると、いきなり後ろから「薫さん」と名前を呼ばれた。

「……え?」

 振り返ると、真家さんは微笑んだまま口を開いた。

「すみません。さっきお姉様がそう呼んでいたのが聞こえまして。お名前で呼んでもよろしいですか?」

 そういえば、さっき姉に名前で呼ばれたことを思い出し、深く考えずに頷いた。

「はい」
「では、少し立ち入ったことを伺いますが……薫さんの名字は?」
「一杉です。漢数字の一に杉の木の杉で」
「独身ですか?」
「はい」
「お付き合いされている方は?」
「いません」

 テンポよく投げられる質問にホイホイッと返事をしていた私は、そこで、あれ? と思う。
 ――姉の離婚問題とこの質問に、一体なんの関係が……?
 素直に答えはしたものの、じわじわと疑念をいだき始める私を見て、真家さんがクスッと笑う。

「すみません、個人的に気になっていたもので」
「個人的に……?」

 それはどういうことでしょう? と聞こうとしたら、姉が戻ってきた。

「薫、お待たせ。帰ろうか」
「あ、うん……」
「では、エントランスまでご一緒します」

 真家さんは、さっきの言葉については何も語らず、私達を先導する形で部屋を出て行く。
 なんだかよく分からないまま、私は真家さんと姉の後ろを歩いた。
 質問の意味が気にならないわけではないが、真家さんはずっと姉と話しているので、尋ねる雰囲気でもない。
 ――私が気にしすぎなのかな?

「今日はありがとうございました。これから、どうぞよろしくお願いいたします」

 エントランスで立ち止まると、離婚に向けて、何卒よろしくという気持ちを込めて、姉と私は真家さんに一礼する。

「はい。近いうちに、状況についてご連絡いたします。それと……」

 何故か真家さんが私を見る。

「妹さんも、また」
「え?」

 ――なんで私?
 不思議に思って真家さんを見る。だけど彼は、その整った顔で優しく微笑むだけ。

「じゃ、帰ろっか」
「う、うん……」

 どこか意味ありげな彼の微笑みに後ろ髪を引かれつつ、私達は法律事務所を後にした。
 真家さんと別れて数メートルほど歩いたところで、姉が口を開いた。

「ねえ、真家さん、さっき薫にまた、って言ってたけど、なんか相談でもしたの?」
「……してない。っていうか、なんでまたとか言われたのか、全然分かんないんだけど……」

 首をかしげる私に対して、姉は特に気にした様子もなく、「まあいいや」と話を終わらせた。

「でも真家さんって、すごく頼りになりそうじゃない? イケメンなのはさておき、全身からできる男のオーラがこれでもかってただよってたし! あの人にお願いできてよかったかも」
「うーん、まあ、そうだね……」

 姉の言う通り、真家さんは口調が柔らかく表情も柔和にゅうわで、この人なら安心して任せられるという雰囲気があった。また、こちらの質問に対する答えは的確で分かりやすく、今後の方針についても完璧だった。
 姉も同じように感じたのか、今はだいぶ表情もやわらぎ、気持ちが落ち着いているのが見て取れる。
 ――なんだかんだで、当事者のメンタルが一番心配だし。納得できたなら、それが一番だよね。
 姉の様子にホッと胸を撫で下ろした私は、真家さんに言われた言葉のことなど、すっかり忘れていたのだった。


 それから数日後。

「お待たせいたしました。アイスカフェラテとフルーツサンドです。ご注文の品は以上でお揃いでしょうか」
「はい」
「では、ごゆっくりどうぞ」

 ここはテナントビルの一階にあるカフェ。清潔感のある白を基調とした店内で、ランチタイムは主婦やご年配の方、夕方からは学生や仕事帰りのOLやビジネスマンでいつもにぎわっている。
 フロアからキッチンに戻ると、同僚で私と同じ正社員でもある小島芙美こじまふみさんが、ススッと近寄ってきた。

「今日はお天気もいいし、お客さんの入りも多そうですね」
「そうだね。ランチが忙しくなりそう」

 軽く言葉を交わした後、私はすぐにエスプレッソマシンで、エスプレッソを抽出し始める。
 そして、カップに入ったエスプレッソに、ミルクピッチャーで上からスチームミルクをそそぎ入れ、慣れた仕草でハートのラテアートを完成させた。
 ――よし、綺麗にできた。
 カップの中央に浮かぶ形のいいハートを見て、自然と頬が緩む。
 私は、このカフェでバリスタとして働いている。
 店で出しているコーヒーは、社長みずからが海外で買い付けてきたこだわりの豆を、店内で焙煎ばいせんし、き立てを提供している。
 社長の確かな目で選ばれた豆で淹れたコーヒーは、文句なく美味おいしい。この辺りでは、美味おいしいコーヒーが飲める店と評判のカフェなのである。
 ちなみにコーヒーだけでなく、調理担当スタッフが腕によりをかけて作る日替わりランチやデザートも好評で、土日祝日は休憩に入れないほどにぎわいを見せる人気店なのだ。
 でも今日は平日なので、ランチ前に休憩に入る余裕がある。

「休憩入ります」
「はーい」

 私は小島さんに声をかけてから、バックヤードにある休憩室で短い休憩を取る。
 軽くお菓子を摘まんで忙しくなるであろうランチタイムに備えていると、小島さんが血相を変えて休憩室にやってきた。

「薫さん休憩中にすみません。今いらしたお客様が、『こちらに一杉薫さんはいらっしゃいますか』って……」

 店に知人が訪ねてくることは別に珍しいことではない。なのに、小島さんのこの動揺ぶりは、なんだろう。

「はーい、行きます。っていうか……小島さん、何かあった……?」


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