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1巻

1-2

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 でも、今はそれよりもこの人が口にした言葉だ。間違いじゃなければ、今、彼は結婚を望んでいると言った。なんで初対面の人から結婚なんて言葉が出てくるのだろう?

「来生優季さん。私と、結婚を前提としたお付き合いをしてみませんか」

 詫間さんを凝視して、気が付いたら素になって聞き返していた。

「はっ……!? け、けっこ……なんで!?」
「あなたのことが気に入ったからです」
「気に入ったって……ど、どこを!?」
「どこ……」

 詫間さんが口元に手を当て、じっと私を見つめる。その眼差しに意図せずドキッとした。
 ――いや、ドキッ、じゃないから。

「最初、あなたのお姉さんからあなたの画像を見せてもらったんです。その時、素直に好みだと思いました。それと、今話してみて性格も好みでした。わりとはっきりものを言うところとか」
「は……はあ? それで結婚したいだなんて、正気とは思えません。会ったばかりですよ?」
「数日前に店で会ったじゃないですか」
「あんなの会ったうちに入りません。それに、店員と客の会話のみでその他の言葉なんか交わしてないじゃないですか。それがどうして結婚したいになるんです? 全く意味がわかりません」

 だんだんと抑え込んでいた本当の自分が顔を出してきてしまう。わかっていても、今はこの人との結婚を阻止したかった。全力で。

「なんでと言われても……私がそうしたいから、ですかね」
「私はしたくありません」

 きっぱり言い切った。

「そうですか、私との結婚は嫌ですか」
「はい。申し訳ありませんけれど……お、お断りします……」
「何も今すぐに結婚したいと言っているわけではありません。まずは交際からいかがでしょうか」

 きっぱり断っているのに、なんで交際とか言ってるんだこの人。
 話が通じなくて、だんだんイライラしてきた。

「申し訳ありません、交際もご遠慮いたします」

 目の前にあったアッサムティーの入ったカップを持ち、一気に飲み干した。一瞬、熱かったらどうしようと思ったけれど、問題なかった。

「……っ、じゃ、私はこれで……」

 バッグの中に手を突っ込み、財布を取ろうとすると、目の前にいる詫間さんが「来生さん」と私を呼び止めた。

「はい」
「結構です。ここは私が」

 そう言われて、じゃあお願いします、なんて言えない。借りは作りたくなかった。

「そういうわけにはいきません。ちゃんと払います」

 私は財布から千円札を取り出してテーブルの上に置き、バッグを手に立ち上がった。

「では、私はこれで」

 ――そして、さようなら。
 詫間さんは頭を下げる私をじっと見ていた。何か言いたそうではあったけれど、最後まで言葉を発することはなかった。
 歩きだすと同時に、この人が姉の会社の取引相手だということを思い出してしまい、やってしまったと思う。
 でも、今更言ったことを撤回するなんてできない。
 ――もういいや。帰っちゃえ!
 最後の最後で少しだけ振り返ると、彼と目が合った。でもそれを全力で振り切って、その場をあとにした。
 家に戻った私が、全力で姉に謝ったのは言うまでもない。



   二


 私が勤務するのは老舗しにせの和菓子店、宥月堂。創業は今から約三百年前という我が社は、都内に数店舗支店があり、定番のどら焼きから、豆大福、羊羹ようかん、砂糖菓子、まんじゅうなど、様々な和菓子を扱う店として、都内では高い知名度を誇っている。
 その本店に勤務している私の仕事は、主に接客。大学卒業後に新卒で入社して、今年で四年目になる。現在はチーフとして日々業務にいそしんでいた。
 その日の休憩時間、私は店の奥にある休憩室で、午後から勤務の同僚に見合いの話を愚痴っていた。

「ええええ!! 来生さんお見合いしたんですか!? いいなあ、私もしてみたい……」

 後輩社員の井上いのうえさんが、制服のリボンを結びながらうっとりしている。

「全然よくないからっ!! そのせいでここんとこ胃が痛くて、胃薬が手放せないのに」

 そうなのである。
 あの日、見合い相手にお断りしますと告げて、帰ってきてしまった。
 もちろん密かに進展を期待していた姉には散々文句を言われ、姉から話を聞いた両親にもいい話だったのに勿体ないと言われる始末。
 更には、姉のもとへ一向に相手からの連絡がなく、結局のところ、この見合い話がなくなったかどうかが定かではないという、なんとも気持ちの悪い状況が続いているのである。

「状況がはっきりしないなら、こちらから先方に連絡を入れてみたらどうでしょう?」

 現状を説明したら、井上さんにそう言われた。まあ確かに、こちらから断りの連絡を入れてしまえばいいだけのことかもしれない。

「そうなんだけど、その相手っていうのが何考えてるか全然わかんない人でさ……私、会った時にちゃんと断ったの。でも、相手から返事がないってことは、断られたことに納得してないんじゃないかなって思うのよ……」
「……断ったんですよね? だったら普通諦めるんじゃないですか」
「だったらいいんだけど……」

 項垂うなだれる私を見て、井上さんが「ええ~!」と驚いた声を上げる。

「めっずらしい。どんなお客様が来てもそつなく接客をこなす来生さんが、そんなこと言うなんて……! そのお見合い相手って一体どんな人なのか、すごく興味ありますけど」
「某大企業の社長令息らしい」
「えっ」

 井上さんの顔色が変わった。
 一応、相手の会社名は姉から聞いている。最初に聞いた時はめちゃくちゃ驚いた。
 でも、それを話すと井上さんが更に衝撃を受けそうなので言わずにおく。

「話を聞くだけなら、玉の輿こし!? ってわくわくするんですけど、来生さんの様子を見る限り単純にそういう話でもなさそうですね」
「わかってくれる……? はあ……そろそろ戻んなきゃ」

 私達が席を立ったのと同時に休憩室の扉が開き、私の一年先輩にあたる女性社員が入ってきた。

「あ、的場まとばさんお疲れ様です」

 的場さんは、挨拶あいさつした井上さんを一瞥いちべつしたあと、すぐに私をにらみつける。

「さっきから何をそんなに騒いでるの。外まで話し声が丸聞こえだったわよ」
「申し訳ありませんでした、以後気を付けます」

 私が淡々と謝ったら、それはそれでかんさわるのか的場さんの表情が険しくなった。
 ――そんなに大きな声で話してないし。どうせあなたが聞き耳立ててたんでしょうが。
 この的場さんという人はいつもこうだ。
 入社したのは的場さんの方が先だが、年下で後輩の私が先にチーフになって以来、顔を合わせれば何かにつけて難癖をつけてくるようになった。
 最初こそ気になったけれど、一向に態度が改善されないので、最近ではすっかり慣れてしまった。
 井上さんがよく心配してくれるのだが、慣れたから大丈夫、と話したらすごく変な顔をされた。
 強がりでもなんでもなく、彼女からの嫌みなど、今では平常心でスルーできる。

「ねえ、お見合いがどうとか聞こえたけど。なあに、来生さん、お見合いしたの?」
「あ、はい。しました。でも、断りますよ」
「ええ? 断っちゃうの? 勿体ないじゃない。あなたみたいな男勝りな人、もらってくれる男性なんていないでしょう? 貴重な機会を逃したらあとがないわよ」

 横で話を聞いていた井上さんが「ひっ」と声を上げた。まあ、そういう反応にもなるか。

「ご忠告ありがとうございます。本当にね~。こんな機会はもうないかもしれませんね。それに、そういった機会のない的場さんの前でする話でもなかったですね」
「は、はああっ!? なっ……」

 的場さんの顔がみるみる赤くなっていく。

「はい、休憩時間終わりで~す。戻りまーす」

 赤い顔をした的場さんを休憩室に残し、私と井上さんが売り場に向かう。

「今のすごかった……あれを切り返せる来生さん、さすが……」
「別に慣れたくもないんだけど、顔を合わせる度に嫌みを言われ続けりゃね」

 それに今の自分は、的場さんの嫌みを気にしている余裕などない。今抱えている問題をどうにかしない限り、いつまで経っても胃痛はなくならないのだ。


 仕事を終えて帰宅し、そこから更に三十分ほど経過した頃、姉が帰ってきた。
 妊娠が発覚した姉だが、まだお腹の子どもの父親とは結婚していない。というのも相手が遠方にいるからで、彼がこちらに戻り次第入籍し、一緒に住む部屋を探すのだという。
 妊娠していることもあるし、姉には私に構わず自分とお腹の子どものことだけを考えてほしい。しかし、そんな私の願いなど知らないとばかりに、姉はお見合いを断った私を気に掛けてくる。

「ねえ~、優季ちゃん。本当にいいの~? あんな素敵な人振っちゃって……」
「いいも何も、相手のことなんにも知らないのに結婚なんかできないでしょうが。それに、私はまだ結婚する気ないから。それよりお姉ちゃん、先方からの連絡ってあった?」
「え~、ないけど」

 姉がけろりと答える。

「本当に? じゃあ、私が途中で帰ったことに対して、怒ってるとかそういう話は……」
「それも含めて、なんにもないよ」
「そ、そっか……」

 とりあえず、私の行動が姉や姉の会社に迷惑を掛けていないのならばよかった。
 ――もしかしたら、もう私や姉のことなどどうでもよくなったのかな?
 それならそれで全く問題はない。いっそのこと、詫間さんの頭の中から私達姉妹のことが消えてなくなればいいと思う。

「そんなに気になるなら優季ちゃんが連絡すればいいのに。相手の人から名刺はもらわなかったの?」
「名刺はもらわなかった」

 リビングのソファーに座って、もらい物のクッキーを食べていると、隣に腰を下ろした姉が私の前にあるクッキーを一つ自分の口に放り込んだ。

「勿体ないなあ……あの人すごくモテるのに、女性に全然関心がないって有名みたいでね? 私の妹に興味を持ったってうちの上司に話したら、めちゃくちゃびっくりされたの。そもそも、私とのお見合いも親がごり押しするから、渋々受けたってだけで彼自身はそんなに乗り気では……」

 話を続ける姉を「ちょっと待って」と手で制止する。

「お姉ちゃん……私のことでそこまで熱心になってくれるのはありがたいけどね、誰のせいでこういうことになったんだっけ?」

 じろっとにらむと、わかりやすく姉が肩を落とした。

「私のせいです……」
「わかってるならよろしい。とにかく、私はまだ結婚なんかする気ないから。はい、この話はおしまーい」
「そんなあ~~」

 姉は残念がっているけれど、大事な時に余計な心配はかけたくない。
 できることなら姉には、自分と自分の家族のことだけを考えていてほしい。妹のささやかな願いである。
 それにしても、そんなに女性から人気がある男性が、なぜ私と結婚したいなんて言ったのか、姉の話を聞いてますます謎は深まった。
 ――写真だけで結婚したいくらい惚れるなんて、あり得る?
 それにあの塩対応ぶり。私のことが好きだって言うなら、もっとそれっぽい態度があるだろう。
 かといってそれにほだされるかといえば、そんなことはないのだけど。
 わりと惚れっぽい姉に対し、私は長く付き合っていくうちにじわじわと相手のことを好きになるタイプだ。人によっては一目で恋に落ちるという話も聞くけれど、正直なところ、私はそういったことをあまり信じていない。
 だから余計、会ってすぐに結婚しませんか、みたいなことを言う人が信じられないのだ。

「まあ、いいや。今はお姉ちゃんの結婚と妊娠で、私のお見合い話どころじゃないもんね」
「そんなことないのに~! でも、優季ちゃんにも見てもらいたいの、これ!!」

 姉がテーブルの上に載せたのは、様々な結婚式場のパンフレットだ。

「あ、何? 式場探し始めたんだ」
「そうなの! 郁人いくとさんがね、お腹が目立つ前に結婚式を挙げたらどう? って言ってくれて。それに、出産したら育児で結婚式どころじゃなくなっちゃうからって、お母さんのアドバイスもあってね」
「確かにそうだね。今のところ、つわりもないみたいだし、お姉ちゃんがしたければいいんじゃないかな」
「ね~! 私もね、やっぱり結婚式したいなーって思って! パンフレット見てたらすごくテンション上がっちゃった~!!」

 嬉しそうに微笑む姉を見て、自然と私の頬も緩む。
 本当に、心底幸せそうってこういう笑顔のことを言うのだろう。
 ほとんどの男性が姉の笑顔にやされ、可愛いと思うのも頷ける。きっと詫間さんも同じだろう。
 その時ふと、ある考えが頭に浮かんだ。
 ――もしかしたら、詫間さんは姉と結婚できなくてショックだったのかもしれない。だから、半ば自棄やけになって私との結婚を考えたんじゃないかな……?
 可能性はあるな。
 そう考えたら、少しだけ溜飲りゅういんが下がった。
 でも、だとしたら、あんな風に途中で帰ったのはまずかったかもしれない。
 ただでさえ傷心のところに、私がダメ押ししてしまったのではないだろうか。
 姉に振られた挙げ句、自棄やけになって見合いした妹にも振られたのだとしたら、彼はどんな気持ちだっただろう。
 想像したら、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。


 あの人に申し訳ないことをしたかもしれない。でも、また顔を合わせるのはなんか嫌だ。
 二つの気持ちがせめぎ合う日々を送っていた私の前に、まさかの人物が現れたのは、勤務先の和菓子店で接客をしていた時のことだ。
 宥月堂本社ビル。ここは一階が物販、二階が喫茶、三階から六階までが本社となっている。私が勤務するのは一階の物販、宥月堂本店だ。
 開店してまだ間もない店内は、数名のお客様がゆったりと買い物を楽しむ優雅な時間だった。常連のお客様と会話を交わしながら接客をしていると、店の自動ドアが開いて男性が入ってきた。

「いらっしゃいませ……」

 ドアの音に反応して挨拶あいさつをする。だが、そのお客様を見た瞬間フリーズしてしまう。
 その間にも、颯爽さっそうと現れた美丈夫に店内がざわつき始めた。お客様だけでなく、店の女性スタッフもその男性客に釘付けになっている。
 ――た……詫間さん……っ!
 完全に意識はそっちに行ってしまっているが、どうにか平静を保って、接客していたお客様を出入り口までお見送りした。

「ありがとうございました」

 言い終えて振り返ると、こちらを見ていた詫間さんとバッチリ目が合ってしまう。

「こんにちは」
「い、いらっしゃいませ」

 目が合うなり挨拶あいさつされて、条件反射で会釈えしゃくする。今日の詫間さんはメガネをかけていなかった。

「今日は、どういったものをお探しでしょうか」

 周りの目もあるし、職場だ。ここは敢えて普通に接することにした。

「先日知人にあげたお菓子と同じ物を購入しようと思いまして。午前中であれば手に入りやすいのでしょう?」

 ――あら。私が言ったこと、ちゃんと覚えてたんだ?

「ありがとうございます。その商品でしたら、こちらに……」

 詫間さんを商品のある棚に誘導しようと、店の奥に歩き出した時だった。突然、彼が身をかがめて私の耳元に顔を近づけてくる。

「来生さん」

 ギョッとして隣に立つ詫間さんを見上げた。

「もう一度話がしたいのですが、仕事は何時までですか?」
「え? 話って、なんの……」
「いろいろと。で、何時までです?」
「六時……」
「では、六時半にこの店で待っています。何かあれば、連絡はこちらへ」

 詫間さんが胸ポケットから素早く取り出したカードを、私に差し出した。一枚は名刺、もう一枚はおそらくショップカードだ。

「いや、あの……私……」
「お待ちしてます」
「ちょっ!」

 ――私、行くなんて一言も言ってないんですけど……
 困惑したまま立ち止まっていると、詫間さんが先に商品がある棚に行ってしまった。
 急いで彼のあとを追い、棚の前に立つ彼の横に立った。
 とりあえず、お菓子は本当に買うみたいだから、まずはこっちを先に済ませてしまおう。

「お菓子は、いくつ買われますか」
「そうですね……部下にお土産みやげとして買っていく予定だったので、五箱ほどいただきます」

 詫間さんがこの前買っていったものと同じお菓子を手で示す。

「こちらは中に粒あんが入っているのですが、白あんの入っているタイプもございます」

 せっかくだからと別の商品の案内もしてみた。

「そうなんですか? 白あんも美味おいしそうですね」

 すると、詫間さんが食いついた。

「今なら両方ご用意できますが」
「じゃあ、三、三でお願いします」
「かしこまりました。のし紙はどうされますか」
「結構です。それと敬語はいいですよ。今は誰も私達を見ていないので」

 確かにフロア内にいる社員達はそれぞれが接客中で、誰も私達のことを気にしていなかった。
 だからといって、この人とゆっくり世間話とか、全くする気はない。

「勤務中ですので、私語はちょっと……あ、お会計はどうぞこちらに」
「では、私的な会話は後ほどゆっくりするということで」
「えっ!? なんでそうなるんですか!?」

 思わず素が出てしまう。その途端、しめたとばかりに詫間さんの口角が、ほんの少し上がったように見えた。

「なんでと言われても。さっきも言いましたが、あなたと話がしたいので」
「一体なんの話をですか」
「ここで私的な会話はできないのでしょう? だったら、場所を改めるしかないのでは」
「うっ……それは、そうなんですけど……」

 やっぱり先日のお見合いがらみの話だろうか。断ったことに腹を立てている可能性もあるが、今のところ詫間さんから怒りの感情というものは感じられない。
 はっきり言って行きたくはないけれど、このままじゃいつまで経ってもスッキリしない。胃薬を飲み続ける生活からおさらばするには、この人としっかり話をつける必要がある。
 ――くっ……仕方ない……ここは、提案を呑むしかない……
 腹をくくった私は、一度大きく息を吐き出した。

「……わかりました、仕事が終わり次第、指定された場所に伺います」
「ありがとうございます」

 その後は黙々と会計を済ませて、他のお客様と同様に、お菓子の箱を紙袋に入れて店の出入り口までお見送りする。

「お買い上げありがとうございました」

 二つの紙袋を詫間さんに手渡し、深々と頭を下げた。それをじっと見下ろしていた詫間さんは、
「では、後ほど」と言い残して、店から去っていった。
 ――つ……疲れた……
 大した会話はしていない。それなのに、疲労感がものすごい。
 まだ開店してそれほど時間も経っていないのに、どうしてくれるんだ。でも、今夜、詫間さんと直接対決すれば、このところの胃痛や罪悪感に片が付き、悶々もんもんとする日々から解放される。
 そう考えたら、向こうから会いに来てくれたのは、むしろありがたいのかも。
 店内に戻り、商品のディスプレイを直しながらそんなことを考えていたら、別のお客様の接客を終えた井上さんが隣にやってきた。

「来生さん!! さっきのイケメン誰ですか? なんか、知り合いっぽかったですけど」
「ああ……あの人が、この前のお見合い相手」
「えっ!!」

 井上さんの目が倍くらいの大きさになっている。

「う……嘘でしょ。あんなイケメンがお見合い相手だなんて、来生さんめちゃくちゃラッキーじゃないですか!!」
「いや、でも断るし」
「……正気ですか?」

 井上さんが唖然としている。でも、それに構わず首を縦に振った。

「うん、すごく」

 即答する私に、井上さんは信じられないと呟いた。

「あんなイケメン、なかなかいないですよ!? それなのに……も、勿体ない……!! あ、そういえばさっき、なんかもらってませんでした?」
「よく見てるわね……名刺よ、名刺」
「えー、いいなあ。見せてくださいよ」
「また今度ね」
「ええ~」

 商品のディスプレイを終え、カウンターの前に横並びで立っていると、自動ドアの向こうにお客様の姿が見えた。話を終えるいいタイミングだ。

「はい、仕事仕事~」

 井上さんを置いて、私はお客様に声をかけた。
 井上さんに詫間さんの名刺を見せなかった理由はというと、彼の役職にある。
 ――きっと名刺を見たら井上さん、たまげると思う。
 詫間さんから名刺を渡された時、ちらっと役職が目に入ってしまった。

【株式会社 総善そうぜん 代表取締役副社長 詫間智暁】

 ――エ――――ッ!? この人、副社長なのおおお!?
 驚きのあまり出そうになった声を、どうにか理性で押しとどめた。
 株式会社総善とは、大手の総合商社だ。国内に留まらず、全世界に支社を持つ総合商社。社長令息で重役だとは聞いてたけど、まさか副社長だなんて聞いてない。


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