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1巻
1-2
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「沢田さん、いつもお世話になってます」
「こちらこそいつもお世話様。笹森さんが来るって女性社員に話したら、みんなそわそわしちゃって大変だよ。相変わらず人気だねー。お、今日は一人じゃないの?」
「ええ、新しく配属になった横家です。横家、こちら担当の沢田さん」
「横家です。よろしくお願い致します」
笹森さんに紹介された私は、ぺこりと頭を下げた。
沢田さんは見た感じ笹森さんより少し年上で、気さくな印象の人だ。横にアシスタントっぽい女性が座っているが、その視線は完全に笹森さんにロックオンされている。頬がやけに紅潮しているところを見ると、この人も笹森ファンに違いない。
沢田さんと打ち合わせをする笹森さんは、会社でのぶっきらぼうな彼とはまるで別人だった。笑顔と軽快なトークで相手を和ませる姿は、普段とギャップがありすぎてびっくりする。
私がポカンと呆気に取られているうちに打ち合わせは終わり、笹森さんが立ち上がった。それに気づいた私も慌てて立ち上がって頭を下げる。
取引先を出て再び車に乗り込むと、笹森さんは気が抜けたようにふう、と息をついた。
「担当の沢田さんは、気さくで話しやすい人だし、女性に対しても紳士的でいい人だから」
「分かりました。……あのっ、笹森さんって、営業先ではいつもあんな感じなんですか? 普段とのギャップが凄くてびっくりしました」
「……まあ。じゃないと営業務まらないし」
「普段からあんな感じで話せばもっとモテますよ!」
思わず興奮気味にそう提案した私を、いつもの無表情に戻った彼が呆れた様子で見ている。
「……お前こそ、最初とは別人みたいによく喋るようになったな……」
「す、すみません、ちょっと調子に乗ってしまいました……」
「いや、いいよ。お前がどんなやつなのか、なんとなく分かってきたわ。面白いからそのまま喋ってみな」
笹森さんからお許しが出たことで、更に私の口が滑る。
「やっぱり女性が嫌いなんですか?」
「……お前、結構大胆に突っ込んでくるな」
「なんでしょう、気になりだすと止まらない性分でして」
会話を続けながら笹森さんは静かに車を発進させた。
「嫌いじゃねーよ。だけど……過去にいろいろありすぎて会社では恋愛する気にならん」
「……そうなんですか」
遠くを見つめてそう言った笹森さんの言葉に嘘はないだろうと思った。そして急に無言になった彼を見て、触れられたくない部分だったのかもしれないと後悔する。
重苦しくなってしまったこの空間をどうにか明るくせねば、と必死で考えて、私の口から出た言葉は――
「じゃ、じゃあ、会社の外ではブッ飛んじゃってる感じなんですね!」
「……は?」
ちょうど信号待ちで車を停車させた笹森さんが、ぎょっとしたように私に向き直った。
うわっ……私、またやらかした……
「い、いやあの、しゃ、社内が無理なら社外で、みたいな?」
やらかしてしまったことを笑って誤魔化そうと、無理矢理笑顔を作ってみる。
「お前、どうやったらそういう発想になるんだ?」
笹森さんが感情をなくした表情で私を見る。
「だって……もったいないじゃないですか。笹森さん見た目だけは凄く良いから!」
「今お前、さらっとバカにしただろ」
「してませんて。本心です。私なんて全っ然モテないから、モテるのにその権利を捨ててる笹森さんに納得がいかないんです。ってもう、なんで私モテないことを笹森さんに暴露しているんでしょう……」
結果的に墓穴を掘ってしまって、なんだか落ち込んでしまった。
「まあまあ。元気出せよ」
がっくりと項垂れた私を、笹森さんが慰めてくれた。
「しかし、お前、そんなにモテないのか?」
「モテませんよ。じゃなきゃ今頃、彼氏の一人や二人できてるはずでしょ」
「縁がなかっただけじゃないのか」
「……そうかもしれません。というかそう思いたい……」
ふと笹森さんが呟いた。
「縁がなかったのは俺も一緒だな」
笹森さんはそう言って再び車を発進させた。そして私の方を見ずに、
「お前にもそのうちいい相手が現れるさ」
と、優しい口調で言った。これって慰められてるのかな。なんか、複雑な気持ち……
自分がモテないなんて話、するつもりなかったのに、笹森さんがなんだか辛そうな顔するから、つい余計なことまで言ってしまったじゃないか……もう、後悔しかない。
それにしても、あんなにモテる笹森さんにも、会社で恋愛したくなくなるくらい辛い過去があったのか。
やっぱり、想像していたのと違うな……
それからは二人とも口を開かなかったけど、帰りの沈黙は行きほど居心地は悪くなかった。
取引先から戻った私は、事務作業に勤しむ。少しずつではあるが仕事にも慣れてきた。今はとにかく間違えないようにと集中して伝票処理をしていたら、すぐ後ろから突然笹森さんに声をかけられた。
「横家」
「へいっ!」
びっくりして勢いよく返事したら、間違った。
斜め後ろにいた吉村さんが「ぶはっ!!」と噴き出したのが聞こえて、恥ずかしくて顔が熱くなってくる。とにかく今は笹森さんに謝らなければ。私は立ち上がると、デスクに手をついて下を向いている笹森さんに頭を下げた。
「すっ、すみません笹森さん、間違えました! 決してふざけているわけでは……」
笹森さんは大きな掌で顔を押さえたまま動かない。これは……ヤバい、怒られるかな……
ところが次の瞬間、笹森さんが噴き出した。
「ふ、ふはっ、ははははははっ!!」
「!」
さ、笹森さんが笑っている……!
もちろん驚いているのは私だけではない。部内の女性陣も、みんな衝撃を受けたように笹森さんを見つめている。驚いている私達を尻目に彼は笑い続ける。
「お、おま……へいっ……て何……江戸っ子かっ……」
苦しそうにお腹を抱えて、笹森さんは目元の涙を拭った。
ひーひー言いながらひとしきり笑うと、笹森さんは「す、水分……」と言って給湯室に消えた。結局なんの用だったんだろ……
「ちょっと横家さん! 凄いじゃない、どうやって笹森君を手懐けたの?」
興奮した様子の吉村さんが、ガラガラとキャスター付きの椅子に座ったまま近寄ってきた。
「え? いや、何もしてませんけど……」
「笹森君があんなに笑ったの久しぶりに見たわ! きっと明日には社内はこの話題で持ちきりね」
「えっ、そんなまさか……」
「甘いわよ! 笹森君が女性と会話してあんなふうに爆笑することなんて、この数年なかったんだから。それに彼、横家さんのこと『お前』って言ってなかった? やっぱり私の目に狂いはなかったわ~」
「い、今の会話になってました?」
困惑する私をよそに吉村さんの興奮はなかなか鎮まらない。
その後なんとか業務に戻ったものの、周りから向けられる数々の視線が痛くて、仕事が全然手につかなかった。
昼休みになると、吉村さんに「横家さん、お昼一緒に食べようよ」と誘われたので、人がほぼ出払った営業部のフロアでランチをとることにした。
「やっぱり笹森君には横家さんみたいな人が合うのかもねぇ~」
吉村さんは自作の弁当を食べながら嬉しそうにそう言った。私はコンビニで買ってきたサンドイッチとおにぎりを広げ、いやぁ……と誤魔化すようにこめかみをポリポリ掻く。
「吉村さんは笹森さんと私をどうしたいのですか?」
「ん? あわよくばくっついてくれないかなって!」
かなって……そんな楽しそうに言われても困ります……
ついつい笑顔の吉村さんとは対照的に顔が引きつってしまう。
「……やめてください。社内の女子社員全員を敵に回したくありません」
そうよねえ、と吉村さんは笑いながら弁当に視線を落とした。
「私ねぇ、笹森君の一年先輩なんだけど、ずっと同じ部署だから今までいろいろ見てきたんだよねぇ」
「いろいろ?」
吉村さんの言葉に、先日の出先でのことを思い出した。
「うんまぁ。笹森君がはっきり言ったわけじゃないから私の憶測も入っているだろうけど。彼って今はあんなだけど、入社した頃は普通に女性と話してたし、凄く優しかったのよ」
「へえー……」
そうなんだ。
「だからさっきみたいに笹森君が横家さんと仲良く話してるのを見ると、昔の彼を見てるようでさ、ちょっと嬉しくなるんだよね」
そう言って吉村さんは可愛らしく微笑んだ。
こんなふうに言ってもらえる笹森さんって、本当はどんな人なんだろう。今までは彼に興味なかったのに、なんだかちょっと知りたくなってきた。
「笹森さんって……実は、いい人なんですか?」
「そうよ。とってもね。なに? 好きになり始めてたりする?」
吉村さんがやけに楽しそうに身を乗り出してくる。
「いやいや、それはないですよ」
こればっかりはどうしようもない。個人の好みの問題だし、自分は優しい人が好きなのだ。笹森さんが冷たい人じゃないと分かったけど、だからといって好きになるわけじゃない。
そりゃもちろん、あんなイケメンだし、何かきっかけがあれば変わるかもしれないけど……
なーんて。こんなこと前は露ほども思っていなかったのに……
そんなふうに考えてる自分にちょっと驚いてしまった。
昼休みが終わりに近づくと、昼食を外で済ませた社員達がフロアに戻ってきた。
「おい、横家」
私のもとに、外で食事を済ませてきたらしい笹森さんがやって来る。
今度こそヘマはするまいと、しっかり「はい」と返事をすると、彼は私を見て苦笑した。
「さっきはヤバかった。ツボに入った」
「なんかすみませんでした……」
さすがに申し訳なく思って、軽く頭を下げた。
「まぁ、大した用じゃなかったんだけど。仕事に慣れたか、聞こうと思ったんだよ」
「ああ、そうでしたか。ありがとうございます。周りの皆さんの手助けもありまして、だいぶ慣れました」
「うん、横家が作った会議の資料良かったよ、見やすくて分かりやすい。それに伝票の処理速くて助かってる。溜め込まないし」
もしかして、褒められてる?
「これからは俺がやってた分の仕事、もっと回していくわ」
「分かりました」
私が頷くと、「じゃ、早速だけどこれよろしく」とファイルを渡された。
「ああ、そうだ。お前これ読むか?」
そう言って、笹森さんが私の目の前に新聞を差し出した。
見るといつも私が読んでいる経済紙だった。
「いいんですか? 今日まだ買ってなかったんです」
「前、屋上で読んでただろ?」
「えっ、覚えてたんですか?」
「屋上で新聞読んでる女性社員なんて珍しいからな」
「それって、私がオジサン臭いって言いたいんですか?」
笹森さんから新聞を受け取りつつ上目づかいに睨む。すると、笹森さんは口角を上げてニヤリと笑った。
「いいや?」
しまった。
不覚にもその笑顔にちょっと胸がきゅんとなってしまった……
翌日出社すると、社内の様子がいつもと違う。
いや、違うのは私を見る女性社員の視線か……
なんだろう、憎しみや妬みまではいかないけど、好奇とでもいうべきか? 通りすがりにチラ見されている。
「横家せんぱーい!」
振り返ると、総務で一緒だった風祭美香ちゃんが笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。
美香ちゃんは、先日デスクで笹森さんにフラれてしまったと嘆いていた子だ。
身長は私より小さくて、たぶん百五十五センチくらい? お洒落でイマドキの子だけど、仕事に取り組む姿勢は真面目だし明るく元気で私は好きだった。
「美香ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです。それより、先輩ちょっとこっちに」
美香ちゃんに腕を引っ張られ、自販機の近くの休憩スペースに連れて行かれる。なんだろうと思っていると、美香ちゃんが神妙な面持ちで話し出した。
「先輩……笹森さんと噂になってるんですけど、付き合ってるって本当ですか?」
「はっ!?」
うわー、吉村さんが言ってた通りだ。
少しゲンナリしながら美香ちゃんと向き合った。
「……それって笹森さんが笑ったから?」
「えっ? なんですかそれ」
美香ちゃんもわけが分からないようだったので彼女に昨日の出来事を話す。すると、「え、それだけ?」と拍子抜けしたような表情をした。
「私、もう付き合ってるって聞きましたよ?」
「そんなバカな……異動して一週間だよ? 仕事忙しいし覚えることたくさんあるしで、それどころじゃないよ。大体、笹森さんが私なんかを相手にするわけないじゃん」
そっかぁ~……と美香ちゃんは腕を組んで首を傾げる。
「さすが社内ナンバーワンのモテ男、笹森さんですね。女子の注目度が半端ないです」
「本当にね。それより美香ちゃん、先に謝っとく、ゴメン。私、総務にいるとき、美香ちゃんが笹森さんにフラれたって話聞いちゃったんだ」
そう言って、私は頭を下げた。
「ああ、横家先輩、席近かったですもんね。全然問題ないです。あれは熱に浮かされたようなものでしたから。もう忘れました」
意外なほど美香ちゃんはケロリとしていて、ちょっと驚いた。なんて切り替えの早い。
「それどころか、私、笹森さんの相手が横家先輩だって聞いて、納得しちゃいましたもん」
「へっ? なんで?」
「笹森さんは確かにステキですけど、彼に寄ってくる女の人ってみんな女子力高めで自分に自信のある人ばっかりなんですよね。あの人達、フラれた子達のこと、いつもざまあ、みたいな目で見てきてすっごい頭にきてたんです」
美香ちゃんは嫌なことを思い出したのか、顔が般若みたいになっている。
「そこにきて笹森さんと横家先輩がペア組んで、恋の噂まで立ったじゃないですか! さっすが笹森さん、見る目あるって思いましたよ。逆にあいつらざまあ、ですね!」
クックックッ、と笑う彼女は非常に不気味だった。
「美香ちゃんごめん。言ってることがさっぱり分からない」
困惑して言うと、美香ちゃんは私の肩を勢いよく掴んだ。
「私、横家先輩のこと尊敬してるんです。後輩の面倒見いいし、人によって態度変えないから。笹森さんが自信満々の女の人達じゃなくて横家先輩を選んだっておかしくないですよ」
「えー、さすがにそれはないでしょう?」
「そんなことないです! 横家先輩ほぼ素っぴんなくらい化粧してないのに綺麗じゃないですか! スタイルだっていいし、もうちょっと自分の魅力に自信持ってくださいよ!!」
美香ちゃんにガクガク体を揺さぶられる。
「いや、でもさ……私なんてモテないし」
美香ちゃんは否定するように首をぶんぶん横に振った。
「それは野郎共に見る目がないから! あいつらは手の届かない美人より手の届く隙がある女を選ぶんです」
「へ、へー……」
彼女の力説ぶりに気圧されてしまう。
「横家先輩なら笹森さんとお似合いですよ。なので、笹森さんと付き合うことになったら教えてくださいね! 応援しますから」
そう言って美香ちゃんは力強く私の手を握り、笑顔で去って行った。
「あはは……」
美香ちゃんったら気を遣ってくれて……まあ確かに最初より笹森さんに対するイメージは良くなってるけど、でも本当になんにもないんだけどなあ……
出社して、給湯室でコーヒーを淹れていたら、笹森さんに呼ばれた。
「横家、ちょっと」
急いで彼のデスクまで行くと、笹森さんは引き出しから新幹線の切符を取り出した。
「また取引先に一緒に行ってもらいたいんだけど、ちょっと遠いから出張扱いになる。日帰りだけどな。明日の朝新幹線のホームで待ち合わせな」
「あ、はい。分かりました」
ホイ、と新幹線の切符を渡され、思わずじっと切符を見つめる。
笹森さんと二人きりか……会話、もつかな。
「明日の天気かなり悪いみたいねぇ……午後から雪だって」
吉村さんがそんなことを言いながら、ふらりと近寄ってきた。
「えっ、そうなんですか?」
「うん。もしかして新幹線運休になっちゃったりして」
「そんな~まっさか~」
私はアハハと笑い返したが、この後、そのまさかの事態に陥るなんて思ってもいなかった。
二 まさかの夜
「……お前さぁ、厄年?」
視線を前方に向けたまま笹森さんが口を開いた。
「いえ……」
「じゃあ朝のテレビ番組の占い何位だった?」
「九位でした」
「微妙……」
「そういう笹森さんは何位なんですか?」
「……俺八位」
「そっちだって微妙じゃないですか……」
出張先での仕事を終え、立ち寄った地方の食事処。その店先で、私と笹森さんは、足元に降り積もる大量の雪を見ながら立ち尽くしていた。
朝、笹森さんと新幹線のホームで待ち合わせた私は、さほど会話も盛り上がらないまま目的地に着いた。
取引先では、頬を赤らめ嬉しそうに歓迎する女性社員と、ばっちり営業モードに切り替わって世間話をする笹森さんを、げんなり眺めつつ、同席。
順調に話は進み、ちょうど昼時なのでよかったら……と、先方のご厚意で昼を食べに行くことになった。
そして食事を済ませ、取引先の方とはここで別れ、さあ帰ろうと外に出ると猛吹雪と一面の銀世界。
立ち尽くした二人の会話が、さっきのやりとり。
駅に来てみれば案の定、新幹線は全線運休になっていた。
だが、この状況においても笹森さんの行動力はさすがだった。
彼は会社に連絡して翌日の有休を申請した後、ホテルを段取りよく手配した。
駅で行き場をなくした人達を横目に見ながら、一緒に来たのが笹森さんで良かった、と安堵している自分がいる。
笹森さんに連れてこられたのは、駅と直結したシティホテル。しかし、その洗練された内装は、明らかに手頃なビジネスホテルではない。
「……笹森さん、こんないいホテル取ったんですか?」
想定していなかったのでちょっと困惑気味に前を行く笹森さんに問いかけた。
「ああ、俺ここの親会社の株持ってるから、優待で通常より安くなるんだよ」
「株っ!?」
思わず株に反応してしまう自分が悲しい。私の勢いに笹森さんはほんの少し、仰け反る。
「突っ込むとこ、そこ?」
「あ、すみません。でもいいんですか? 私までご一緒しちゃって」
「俺が勝手に決めたんだからいいって。このホテル、駅ビルに直結してるから外に出なくてもいいし、食事処もたくさんあるから便利なんだよな。何回か泊まったけど、部屋も風呂も広くて綺麗でいいよ」
「あ、ありがとうございます……」
笹森さん、いい人だ……
「とりあえずもうチェックインできるみたいだから部屋に行こう。しばらくは自由にしてていいけど、十八時には夕飯行くから部屋にいろよ」
何気なく夕飯行くからなんて言われてぎょっとする。それが顔に出ていたのか、彼は一瞬ムッとした。
「……何? 俺と飯食うの嫌なのかよ」
「いえっ、決してそういったわけではなく!」
イヤイヤと手と首を振って全否定した。
嫌ではない。けど、笹森さんと二人で食事だなんてそりゃ戸惑うでしょ。
「地方で一人で夕飯なんて侘しいだろうが。せっかく、普段なかなか来られないところに来たんだ。名物食べなきゃ気が済まない」
名物……なるほど。それは確かに一理ある。
「そうですよね……食べましょう名物!」
笹森さんはそんな私を見てフン、と鼻で笑ってフロントへ歩き出した。
チェックインをして、カードキーを受け取りエレベーターで客室に向かう。
なんか……笹森さんとこの空間にいるのがまだ信じられないなぁ。もちろん仕事だし、状況が状況だから仕方ないんだけど。
「お前、泊まりの準備してきた?」
「いえ、してません。部屋で少し休んだら駅ビルに買い物に行ってきます」
そりゃそうでしょう。日帰りの予定だったんだもの。
「俺は念のため泊まりの準備してきた」
「えっ!」
「天気予報見て嫌な予感したからな」
昨日、吉村さんに天気予報を聞いたとき、大丈夫だろうと高を括っていたことを今になって後悔する。
がっくりしていたらチン、と音がしてエレベーターが客室フロアに到着した。
笹森さんが自分と私の客室の番号を確認する。
「隣の部屋だな。お前、駅ビル一人で行けんの?」
「たぶん。方向音痴ではないので」
すると笹森さんが胸ポケットからカードケースを取り出し、そこから一枚の名刺を抜くと私に差し出した。なんだろうと思い、笹森さんを見上げる。
「何かあったら連絡しろ」
「あ、はい。ありがとうございます」
受け取ってよく見たら、笹森さんの携帯電話の番号と、携帯のメールアドレスも記してあった。
うわー、社内の女性社員が喉から手が出るほど欲しがりそうな個人情報ゲットしちゃったよ。
私はその名刺を大事に財布にしまった。そうして笹森さんと別れ、今晩泊まる客室のドアを開ける。
「こちらこそいつもお世話様。笹森さんが来るって女性社員に話したら、みんなそわそわしちゃって大変だよ。相変わらず人気だねー。お、今日は一人じゃないの?」
「ええ、新しく配属になった横家です。横家、こちら担当の沢田さん」
「横家です。よろしくお願い致します」
笹森さんに紹介された私は、ぺこりと頭を下げた。
沢田さんは見た感じ笹森さんより少し年上で、気さくな印象の人だ。横にアシスタントっぽい女性が座っているが、その視線は完全に笹森さんにロックオンされている。頬がやけに紅潮しているところを見ると、この人も笹森ファンに違いない。
沢田さんと打ち合わせをする笹森さんは、会社でのぶっきらぼうな彼とはまるで別人だった。笑顔と軽快なトークで相手を和ませる姿は、普段とギャップがありすぎてびっくりする。
私がポカンと呆気に取られているうちに打ち合わせは終わり、笹森さんが立ち上がった。それに気づいた私も慌てて立ち上がって頭を下げる。
取引先を出て再び車に乗り込むと、笹森さんは気が抜けたようにふう、と息をついた。
「担当の沢田さんは、気さくで話しやすい人だし、女性に対しても紳士的でいい人だから」
「分かりました。……あのっ、笹森さんって、営業先ではいつもあんな感じなんですか? 普段とのギャップが凄くてびっくりしました」
「……まあ。じゃないと営業務まらないし」
「普段からあんな感じで話せばもっとモテますよ!」
思わず興奮気味にそう提案した私を、いつもの無表情に戻った彼が呆れた様子で見ている。
「……お前こそ、最初とは別人みたいによく喋るようになったな……」
「す、すみません、ちょっと調子に乗ってしまいました……」
「いや、いいよ。お前がどんなやつなのか、なんとなく分かってきたわ。面白いからそのまま喋ってみな」
笹森さんからお許しが出たことで、更に私の口が滑る。
「やっぱり女性が嫌いなんですか?」
「……お前、結構大胆に突っ込んでくるな」
「なんでしょう、気になりだすと止まらない性分でして」
会話を続けながら笹森さんは静かに車を発進させた。
「嫌いじゃねーよ。だけど……過去にいろいろありすぎて会社では恋愛する気にならん」
「……そうなんですか」
遠くを見つめてそう言った笹森さんの言葉に嘘はないだろうと思った。そして急に無言になった彼を見て、触れられたくない部分だったのかもしれないと後悔する。
重苦しくなってしまったこの空間をどうにか明るくせねば、と必死で考えて、私の口から出た言葉は――
「じゃ、じゃあ、会社の外ではブッ飛んじゃってる感じなんですね!」
「……は?」
ちょうど信号待ちで車を停車させた笹森さんが、ぎょっとしたように私に向き直った。
うわっ……私、またやらかした……
「い、いやあの、しゃ、社内が無理なら社外で、みたいな?」
やらかしてしまったことを笑って誤魔化そうと、無理矢理笑顔を作ってみる。
「お前、どうやったらそういう発想になるんだ?」
笹森さんが感情をなくした表情で私を見る。
「だって……もったいないじゃないですか。笹森さん見た目だけは凄く良いから!」
「今お前、さらっとバカにしただろ」
「してませんて。本心です。私なんて全っ然モテないから、モテるのにその権利を捨ててる笹森さんに納得がいかないんです。ってもう、なんで私モテないことを笹森さんに暴露しているんでしょう……」
結果的に墓穴を掘ってしまって、なんだか落ち込んでしまった。
「まあまあ。元気出せよ」
がっくりと項垂れた私を、笹森さんが慰めてくれた。
「しかし、お前、そんなにモテないのか?」
「モテませんよ。じゃなきゃ今頃、彼氏の一人や二人できてるはずでしょ」
「縁がなかっただけじゃないのか」
「……そうかもしれません。というかそう思いたい……」
ふと笹森さんが呟いた。
「縁がなかったのは俺も一緒だな」
笹森さんはそう言って再び車を発進させた。そして私の方を見ずに、
「お前にもそのうちいい相手が現れるさ」
と、優しい口調で言った。これって慰められてるのかな。なんか、複雑な気持ち……
自分がモテないなんて話、するつもりなかったのに、笹森さんがなんだか辛そうな顔するから、つい余計なことまで言ってしまったじゃないか……もう、後悔しかない。
それにしても、あんなにモテる笹森さんにも、会社で恋愛したくなくなるくらい辛い過去があったのか。
やっぱり、想像していたのと違うな……
それからは二人とも口を開かなかったけど、帰りの沈黙は行きほど居心地は悪くなかった。
取引先から戻った私は、事務作業に勤しむ。少しずつではあるが仕事にも慣れてきた。今はとにかく間違えないようにと集中して伝票処理をしていたら、すぐ後ろから突然笹森さんに声をかけられた。
「横家」
「へいっ!」
びっくりして勢いよく返事したら、間違った。
斜め後ろにいた吉村さんが「ぶはっ!!」と噴き出したのが聞こえて、恥ずかしくて顔が熱くなってくる。とにかく今は笹森さんに謝らなければ。私は立ち上がると、デスクに手をついて下を向いている笹森さんに頭を下げた。
「すっ、すみません笹森さん、間違えました! 決してふざけているわけでは……」
笹森さんは大きな掌で顔を押さえたまま動かない。これは……ヤバい、怒られるかな……
ところが次の瞬間、笹森さんが噴き出した。
「ふ、ふはっ、ははははははっ!!」
「!」
さ、笹森さんが笑っている……!
もちろん驚いているのは私だけではない。部内の女性陣も、みんな衝撃を受けたように笹森さんを見つめている。驚いている私達を尻目に彼は笑い続ける。
「お、おま……へいっ……て何……江戸っ子かっ……」
苦しそうにお腹を抱えて、笹森さんは目元の涙を拭った。
ひーひー言いながらひとしきり笑うと、笹森さんは「す、水分……」と言って給湯室に消えた。結局なんの用だったんだろ……
「ちょっと横家さん! 凄いじゃない、どうやって笹森君を手懐けたの?」
興奮した様子の吉村さんが、ガラガラとキャスター付きの椅子に座ったまま近寄ってきた。
「え? いや、何もしてませんけど……」
「笹森君があんなに笑ったの久しぶりに見たわ! きっと明日には社内はこの話題で持ちきりね」
「えっ、そんなまさか……」
「甘いわよ! 笹森君が女性と会話してあんなふうに爆笑することなんて、この数年なかったんだから。それに彼、横家さんのこと『お前』って言ってなかった? やっぱり私の目に狂いはなかったわ~」
「い、今の会話になってました?」
困惑する私をよそに吉村さんの興奮はなかなか鎮まらない。
その後なんとか業務に戻ったものの、周りから向けられる数々の視線が痛くて、仕事が全然手につかなかった。
昼休みになると、吉村さんに「横家さん、お昼一緒に食べようよ」と誘われたので、人がほぼ出払った営業部のフロアでランチをとることにした。
「やっぱり笹森君には横家さんみたいな人が合うのかもねぇ~」
吉村さんは自作の弁当を食べながら嬉しそうにそう言った。私はコンビニで買ってきたサンドイッチとおにぎりを広げ、いやぁ……と誤魔化すようにこめかみをポリポリ掻く。
「吉村さんは笹森さんと私をどうしたいのですか?」
「ん? あわよくばくっついてくれないかなって!」
かなって……そんな楽しそうに言われても困ります……
ついつい笑顔の吉村さんとは対照的に顔が引きつってしまう。
「……やめてください。社内の女子社員全員を敵に回したくありません」
そうよねえ、と吉村さんは笑いながら弁当に視線を落とした。
「私ねぇ、笹森君の一年先輩なんだけど、ずっと同じ部署だから今までいろいろ見てきたんだよねぇ」
「いろいろ?」
吉村さんの言葉に、先日の出先でのことを思い出した。
「うんまぁ。笹森君がはっきり言ったわけじゃないから私の憶測も入っているだろうけど。彼って今はあんなだけど、入社した頃は普通に女性と話してたし、凄く優しかったのよ」
「へえー……」
そうなんだ。
「だからさっきみたいに笹森君が横家さんと仲良く話してるのを見ると、昔の彼を見てるようでさ、ちょっと嬉しくなるんだよね」
そう言って吉村さんは可愛らしく微笑んだ。
こんなふうに言ってもらえる笹森さんって、本当はどんな人なんだろう。今までは彼に興味なかったのに、なんだかちょっと知りたくなってきた。
「笹森さんって……実は、いい人なんですか?」
「そうよ。とってもね。なに? 好きになり始めてたりする?」
吉村さんがやけに楽しそうに身を乗り出してくる。
「いやいや、それはないですよ」
こればっかりはどうしようもない。個人の好みの問題だし、自分は優しい人が好きなのだ。笹森さんが冷たい人じゃないと分かったけど、だからといって好きになるわけじゃない。
そりゃもちろん、あんなイケメンだし、何かきっかけがあれば変わるかもしれないけど……
なーんて。こんなこと前は露ほども思っていなかったのに……
そんなふうに考えてる自分にちょっと驚いてしまった。
昼休みが終わりに近づくと、昼食を外で済ませた社員達がフロアに戻ってきた。
「おい、横家」
私のもとに、外で食事を済ませてきたらしい笹森さんがやって来る。
今度こそヘマはするまいと、しっかり「はい」と返事をすると、彼は私を見て苦笑した。
「さっきはヤバかった。ツボに入った」
「なんかすみませんでした……」
さすがに申し訳なく思って、軽く頭を下げた。
「まぁ、大した用じゃなかったんだけど。仕事に慣れたか、聞こうと思ったんだよ」
「ああ、そうでしたか。ありがとうございます。周りの皆さんの手助けもありまして、だいぶ慣れました」
「うん、横家が作った会議の資料良かったよ、見やすくて分かりやすい。それに伝票の処理速くて助かってる。溜め込まないし」
もしかして、褒められてる?
「これからは俺がやってた分の仕事、もっと回していくわ」
「分かりました」
私が頷くと、「じゃ、早速だけどこれよろしく」とファイルを渡された。
「ああ、そうだ。お前これ読むか?」
そう言って、笹森さんが私の目の前に新聞を差し出した。
見るといつも私が読んでいる経済紙だった。
「いいんですか? 今日まだ買ってなかったんです」
「前、屋上で読んでただろ?」
「えっ、覚えてたんですか?」
「屋上で新聞読んでる女性社員なんて珍しいからな」
「それって、私がオジサン臭いって言いたいんですか?」
笹森さんから新聞を受け取りつつ上目づかいに睨む。すると、笹森さんは口角を上げてニヤリと笑った。
「いいや?」
しまった。
不覚にもその笑顔にちょっと胸がきゅんとなってしまった……
翌日出社すると、社内の様子がいつもと違う。
いや、違うのは私を見る女性社員の視線か……
なんだろう、憎しみや妬みまではいかないけど、好奇とでもいうべきか? 通りすがりにチラ見されている。
「横家せんぱーい!」
振り返ると、総務で一緒だった風祭美香ちゃんが笑顔で手を振りながら駆け寄ってきた。
美香ちゃんは、先日デスクで笹森さんにフラれてしまったと嘆いていた子だ。
身長は私より小さくて、たぶん百五十五センチくらい? お洒落でイマドキの子だけど、仕事に取り組む姿勢は真面目だし明るく元気で私は好きだった。
「美香ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです。それより、先輩ちょっとこっちに」
美香ちゃんに腕を引っ張られ、自販機の近くの休憩スペースに連れて行かれる。なんだろうと思っていると、美香ちゃんが神妙な面持ちで話し出した。
「先輩……笹森さんと噂になってるんですけど、付き合ってるって本当ですか?」
「はっ!?」
うわー、吉村さんが言ってた通りだ。
少しゲンナリしながら美香ちゃんと向き合った。
「……それって笹森さんが笑ったから?」
「えっ? なんですかそれ」
美香ちゃんもわけが分からないようだったので彼女に昨日の出来事を話す。すると、「え、それだけ?」と拍子抜けしたような表情をした。
「私、もう付き合ってるって聞きましたよ?」
「そんなバカな……異動して一週間だよ? 仕事忙しいし覚えることたくさんあるしで、それどころじゃないよ。大体、笹森さんが私なんかを相手にするわけないじゃん」
そっかぁ~……と美香ちゃんは腕を組んで首を傾げる。
「さすが社内ナンバーワンのモテ男、笹森さんですね。女子の注目度が半端ないです」
「本当にね。それより美香ちゃん、先に謝っとく、ゴメン。私、総務にいるとき、美香ちゃんが笹森さんにフラれたって話聞いちゃったんだ」
そう言って、私は頭を下げた。
「ああ、横家先輩、席近かったですもんね。全然問題ないです。あれは熱に浮かされたようなものでしたから。もう忘れました」
意外なほど美香ちゃんはケロリとしていて、ちょっと驚いた。なんて切り替えの早い。
「それどころか、私、笹森さんの相手が横家先輩だって聞いて、納得しちゃいましたもん」
「へっ? なんで?」
「笹森さんは確かにステキですけど、彼に寄ってくる女の人ってみんな女子力高めで自分に自信のある人ばっかりなんですよね。あの人達、フラれた子達のこと、いつもざまあ、みたいな目で見てきてすっごい頭にきてたんです」
美香ちゃんは嫌なことを思い出したのか、顔が般若みたいになっている。
「そこにきて笹森さんと横家先輩がペア組んで、恋の噂まで立ったじゃないですか! さっすが笹森さん、見る目あるって思いましたよ。逆にあいつらざまあ、ですね!」
クックックッ、と笑う彼女は非常に不気味だった。
「美香ちゃんごめん。言ってることがさっぱり分からない」
困惑して言うと、美香ちゃんは私の肩を勢いよく掴んだ。
「私、横家先輩のこと尊敬してるんです。後輩の面倒見いいし、人によって態度変えないから。笹森さんが自信満々の女の人達じゃなくて横家先輩を選んだっておかしくないですよ」
「えー、さすがにそれはないでしょう?」
「そんなことないです! 横家先輩ほぼ素っぴんなくらい化粧してないのに綺麗じゃないですか! スタイルだっていいし、もうちょっと自分の魅力に自信持ってくださいよ!!」
美香ちゃんにガクガク体を揺さぶられる。
「いや、でもさ……私なんてモテないし」
美香ちゃんは否定するように首をぶんぶん横に振った。
「それは野郎共に見る目がないから! あいつらは手の届かない美人より手の届く隙がある女を選ぶんです」
「へ、へー……」
彼女の力説ぶりに気圧されてしまう。
「横家先輩なら笹森さんとお似合いですよ。なので、笹森さんと付き合うことになったら教えてくださいね! 応援しますから」
そう言って美香ちゃんは力強く私の手を握り、笑顔で去って行った。
「あはは……」
美香ちゃんったら気を遣ってくれて……まあ確かに最初より笹森さんに対するイメージは良くなってるけど、でも本当になんにもないんだけどなあ……
出社して、給湯室でコーヒーを淹れていたら、笹森さんに呼ばれた。
「横家、ちょっと」
急いで彼のデスクまで行くと、笹森さんは引き出しから新幹線の切符を取り出した。
「また取引先に一緒に行ってもらいたいんだけど、ちょっと遠いから出張扱いになる。日帰りだけどな。明日の朝新幹線のホームで待ち合わせな」
「あ、はい。分かりました」
ホイ、と新幹線の切符を渡され、思わずじっと切符を見つめる。
笹森さんと二人きりか……会話、もつかな。
「明日の天気かなり悪いみたいねぇ……午後から雪だって」
吉村さんがそんなことを言いながら、ふらりと近寄ってきた。
「えっ、そうなんですか?」
「うん。もしかして新幹線運休になっちゃったりして」
「そんな~まっさか~」
私はアハハと笑い返したが、この後、そのまさかの事態に陥るなんて思ってもいなかった。
二 まさかの夜
「……お前さぁ、厄年?」
視線を前方に向けたまま笹森さんが口を開いた。
「いえ……」
「じゃあ朝のテレビ番組の占い何位だった?」
「九位でした」
「微妙……」
「そういう笹森さんは何位なんですか?」
「……俺八位」
「そっちだって微妙じゃないですか……」
出張先での仕事を終え、立ち寄った地方の食事処。その店先で、私と笹森さんは、足元に降り積もる大量の雪を見ながら立ち尽くしていた。
朝、笹森さんと新幹線のホームで待ち合わせた私は、さほど会話も盛り上がらないまま目的地に着いた。
取引先では、頬を赤らめ嬉しそうに歓迎する女性社員と、ばっちり営業モードに切り替わって世間話をする笹森さんを、げんなり眺めつつ、同席。
順調に話は進み、ちょうど昼時なのでよかったら……と、先方のご厚意で昼を食べに行くことになった。
そして食事を済ませ、取引先の方とはここで別れ、さあ帰ろうと外に出ると猛吹雪と一面の銀世界。
立ち尽くした二人の会話が、さっきのやりとり。
駅に来てみれば案の定、新幹線は全線運休になっていた。
だが、この状況においても笹森さんの行動力はさすがだった。
彼は会社に連絡して翌日の有休を申請した後、ホテルを段取りよく手配した。
駅で行き場をなくした人達を横目に見ながら、一緒に来たのが笹森さんで良かった、と安堵している自分がいる。
笹森さんに連れてこられたのは、駅と直結したシティホテル。しかし、その洗練された内装は、明らかに手頃なビジネスホテルではない。
「……笹森さん、こんないいホテル取ったんですか?」
想定していなかったのでちょっと困惑気味に前を行く笹森さんに問いかけた。
「ああ、俺ここの親会社の株持ってるから、優待で通常より安くなるんだよ」
「株っ!?」
思わず株に反応してしまう自分が悲しい。私の勢いに笹森さんはほんの少し、仰け反る。
「突っ込むとこ、そこ?」
「あ、すみません。でもいいんですか? 私までご一緒しちゃって」
「俺が勝手に決めたんだからいいって。このホテル、駅ビルに直結してるから外に出なくてもいいし、食事処もたくさんあるから便利なんだよな。何回か泊まったけど、部屋も風呂も広くて綺麗でいいよ」
「あ、ありがとうございます……」
笹森さん、いい人だ……
「とりあえずもうチェックインできるみたいだから部屋に行こう。しばらくは自由にしてていいけど、十八時には夕飯行くから部屋にいろよ」
何気なく夕飯行くからなんて言われてぎょっとする。それが顔に出ていたのか、彼は一瞬ムッとした。
「……何? 俺と飯食うの嫌なのかよ」
「いえっ、決してそういったわけではなく!」
イヤイヤと手と首を振って全否定した。
嫌ではない。けど、笹森さんと二人で食事だなんてそりゃ戸惑うでしょ。
「地方で一人で夕飯なんて侘しいだろうが。せっかく、普段なかなか来られないところに来たんだ。名物食べなきゃ気が済まない」
名物……なるほど。それは確かに一理ある。
「そうですよね……食べましょう名物!」
笹森さんはそんな私を見てフン、と鼻で笑ってフロントへ歩き出した。
チェックインをして、カードキーを受け取りエレベーターで客室に向かう。
なんか……笹森さんとこの空間にいるのがまだ信じられないなぁ。もちろん仕事だし、状況が状況だから仕方ないんだけど。
「お前、泊まりの準備してきた?」
「いえ、してません。部屋で少し休んだら駅ビルに買い物に行ってきます」
そりゃそうでしょう。日帰りの予定だったんだもの。
「俺は念のため泊まりの準備してきた」
「えっ!」
「天気予報見て嫌な予感したからな」
昨日、吉村さんに天気予報を聞いたとき、大丈夫だろうと高を括っていたことを今になって後悔する。
がっくりしていたらチン、と音がしてエレベーターが客室フロアに到着した。
笹森さんが自分と私の客室の番号を確認する。
「隣の部屋だな。お前、駅ビル一人で行けんの?」
「たぶん。方向音痴ではないので」
すると笹森さんが胸ポケットからカードケースを取り出し、そこから一枚の名刺を抜くと私に差し出した。なんだろうと思い、笹森さんを見上げる。
「何かあったら連絡しろ」
「あ、はい。ありがとうございます」
受け取ってよく見たら、笹森さんの携帯電話の番号と、携帯のメールアドレスも記してあった。
うわー、社内の女性社員が喉から手が出るほど欲しがりそうな個人情報ゲットしちゃったよ。
私はその名刺を大事に財布にしまった。そうして笹森さんと別れ、今晩泊まる客室のドアを開ける。
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