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番外編

兄と兄

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 とある夏の休日。
 私、笹森未散は旦那様である柊さんの実家に来ています。
 いつもは到着するなり野菜の収穫をしに畑へ行くところなのだが、今日こちらにお邪魔したのは別の目的があってのこと。

「未散ちゃん、天麩羅あがった?」

  キッチンで一心不乱に天麩羅を揚げる私に、義姉の操さんが声をかける。

「もうちょっとで終わります!  あと何かすることありますか?」
「えーと、もう料理はこれで終わりかな。そろそろテーブルセッティングしようか。もうすぐ来るんじゃない、未散ちゃんのご両親とお兄さん」
「あ、もうこんな時間か……」

 今日は私の両親と兄が初めて笹森家にやってくる。
  私と柊さんが結婚してからそろそろ一年。結婚式に会って以来両家で顔を合わせることもなかったので、ぼちぼち食事会なんてどうだろう? みたいな話が両家から出始めたので、笹森家で食事会を開くことになったのだ。
  私と操さんとお義母さんが料理担当で、お義父さんは客間の準備。
  柊さんは飲み物や注文しておいたお寿司を取りに行ったりと朝から何度も家と外を往復している。輝さんはちょっと仕事を済ませてから参加するそうだ。
 
  久しぶりの両家での会食。
  両親だけなら別にこんなに緊張することもない私も今日はいつになく緊張している。なぜなら今日は私の兄もやってくるからだ。
 
  私の兄、横家 悟よこや さとる
  適当人間の私とは正反対の、真面目人間だ。兄は私の実家で両親と同居しながら役所に勤務している。
  この兄とは昔から事あるごとにバトルしている私としては、今日遭遇することでまたなにかあるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしているのである……
 
 「未散ちゃん、なんか……元気ない?」
 
  この後のことを想像してちょっとテンションが低い私を見て、操さんが優しく気遣うように声をかけてくる。
 
 「あ、いえ! 大丈夫です。ちょっと兄がみんなの前で余計なこと言ったりするんじゃないかって、そこだけが不安で」
 「そうなんだー。まあでも、兄弟なんてある程度の歳までは喧嘩ばっかりよね。私も弟いるけど、昔はよくケンカしたわよ」
 
  うふふ、と操さんが微笑む。
 
 「喧嘩っていうか、私が一方的に怒られるんですけどね……高校卒業してからは私こっちに来ちゃったんで、あまりうるさく言われなくなったんですが。兄は自分にも厳しいし、人にも厳しいんですよ。言ってることももっともなことばかりなんで、私あんまり反論できなくて萎縮しちゃうんですよね」
 
 操さんが「へえ……すご」とちょっと引いている。
 まー、小言言われるような日常を送っていた私もいけないんですが。

 自宅で準備する料理を終え、テーブルセッティングをして、私達は柊さん(お寿司)と私の両親たちを待つ。

 しばらくすると柊さんがお寿司を手に戻って来た。

「わーい、お寿司ー!」

 柊さんの手からお寿司を受け取り、中をちらりと盗み見る。なかなか食べることのない豪華なお寿司についうっとり。

「未散のご両親、そろそろ来る頃じゃないか?」
「たぶん。父は割と時間にうるさいですから、指定した時間ぴったりにきますよ。きっと」

 そう、私の父はそういう人。
 そしてその後。私の予想通り指定された時間に、父の車が笹森家の敷地に入って来た。

「来た!」

 玄関を飛び出して出迎えに行くと、まず父が、そして母が、最後に兄が車から出てきた。

「おう、未散! 久しぶりだなー。しかし聞いてはいたが立派なお宅だなー!」

 父も母も、笹森家に来るのは初めてなので車から降りるなり、興味深げに辺りをキョロキョロと見回している。

「すごく広いのねー!! 未散、あなたこんな立派なお家でちゃんと嫁やってるの?」
「……やってるよ」

 まだ農業のお手伝いはそんなにしてないので……来るのもたまにだしね。
 なんて話していたら、私の頭がガシっと鷲掴みにされた。

「いでっ!! 何!?」
「未散、柊さんはどこだ? 挨拶したいんだが……」

 何故か私の頭を掴みながら柊さんを探している兄。

「中! 中にいるから! 頭掴むな!!」

 フン、と鼻で笑いながら兄が私の頭から手を離す。ちなみに兄は結構でかい。身長は柊さんと
大して変わらない。そして私のことを雑に扱うのもいつものこと。
 なんで来るなり人の頭掴んでくるかな~~も~~。
 ちょっとムッとしつつ、私は家族を笹森家に招き入れた。

**

 まずソフトドリンクで乾杯。
 取りあえず父は義父と、母は義母とそれぞれ会話を楽しんでいるようでほっとする。操さんは輝さんのところに行ってしまったので、この席にはいない。
 で、問題の兄はというと……

「そうか、柊さんの仕事もなかなか大変そうだな」
「いえ、そうでもないですよ。勤続年数も長くなってくるといろいろコツを掴んでくるんで、要領よくなってきましたから。二十代前半の余裕がないころに比べれば今はまだマシですね」

 こんな感じで、さっきから兄と柊さんが仕事のことなどをぽつぽつ話し続けている。
 私はその二人の様子をお寿司を黙々と食べながら眺めているのですが……
 取りあえず今のところ、兄が変なこと言っていないのでちょっと安心。このまま何事もなく時間が経過してくれることを願うだけだ。

「そういや、お兄さんの輝さんは農業をされているんだよね?」
「はい。今もちょっと収穫に行ってまして……もうじき戻ってくるかと思うんですが」

 そう言って柊さんが腕時計に目をやる。
 それから数分後、輝さんが戻って来た。

「すみません、遅くなりました」
 
 輝さん、日焼けした黒い肌にきらりと光るやけに白い歯が映える相変わらずのイケメンっぷり。彼の余所行きの笑顔に、私の母はうっとりした表情で見入っている。

「いえいえ! お仕事お疲れ様でした! さ、輝さんもお食事いただいて!」
「ありがとうございます。今、採って来た野菜を操に切ってもらってるんで、良かったらどうぞ」

 輝さんがこう言ったあと、操さんが手に野菜の載った大きな皿を持って戻って来た。

「どうぞー! とれたての野菜美味しいですよ」

 テーブルに野菜が置かれるなり、私の両親はすぐに手を伸ばす。

「あら! このトマトおいしい!甘いし」
「やっぱりとれたてのきゅうりはみずみずしさが違うなあ~」

 パクパク野菜を食べる両親を見て、輝さんが嬉しそうに微笑んでいる。
 ここで私はふと、兄の方を見る。
 皆が野菜に手を伸ばしている中、兄だけは野菜に手を伸ばさず、じっと野菜を見つめている。

「?」

 なんだ……?

 ここで私はハッとした。そしてあることを思い出した。
 兄はトマトが嫌いなのだ……!!
 昔、兄がトマトを残したのを見て私が指摘をしたら、兄がキレて大喧嘩に発展した出来事を思い出した。

「あっ……お、お兄ちゃん……? 無理しなくていいよ? 誰でも苦手なものはあるから」

 私が小声で囁くと、兄はすぐさまキッと私を睨む。

「そういうわけにはいかん! お前のお義兄さんが精魂込めて作ったトマトだ! 食べなければ男が廃る」

 なんて力説した割に、兄はトマトと睨めっこをしたまま動かない。
 これは……どうしたもんかな。
 思わず柊さんを見れば、彼も困ったように「はは……」と笑っていた。
 うーん、嫌いなものはねー。どうしようもないよね。
 
「お兄ちゃん、本当に無理しなくていいよ……」
「トマト、お嫌いですか」

 私の声に被せるように、こちらの様子に気付いた輝さんが兄に問う。
 ハッ。そういえば輝さんて、トマトが恋人って言ってたくらいトマトを愛しているお人。そんな輝さんにトマトが嫌いだなんてことがバレたら、えらいことになってしまうのでは……!!

 ハラハラしながら二人の顔を交互に見る私の目の前で、輝さんは優しい微笑みを湛え、兄を見つめる。

「僕たちの子どもの頃のトマトは、なんていうか味がぼんやりして、酸味が強くて、とても子どもが好きになるような野菜ではなかったですからね。その頃の記憶から大人になってもトマトが嫌い、という人も多いです。でも今のトマトは、昔のそれからすると随分と変わりました。味も濃く、酸味より甘みが増し、子供が喜んでくれるようなトマトになったんですよ。というわけで……」

 輝さんが切り分けられたトマトにフォークを刺した。そしてそれを兄の方へ向けた、かと思ったら。

「はい、あーん」

 ……!!

 この場にいる全員が、うちの兄と輝さんを見たまま固まった。いや、兄も輝さんのまさかの行動に驚き、微動だにしない。

「ちょ、輝! なにやってんのおおおお!」

 慌てて操さんが輝さんの肩の辺りを叩き、思いっきり突っ込んだ。だけど当の輝さんはなんで突っ込まれているのか、よくわかっていないようでキョトーンとしている。

「何って、見ての通り悟さんにこのトマトを食べてもらおうと思って」
「だからって『あーん』は無いでしょ! あーんは! ……って、あ……」

 意を決したような兄が輝さんの差し出すトマトをぱくりと口に入れた。目を瞑ったまま咀嚼し、何やら考え込むかのように首をひねる兄。
 それをハラハラしながら見守る一同。

「ん……? あれ……うまいな……」

 兄の口から出た「うまい」という言葉。
 それを聞いた瞬間、輝さんの表情がぱああああと明るくなった。

「フウ――――!! ヤッタネ悟さん!!」

 滅茶苦茶嬉しそうな輝さんがひゅっと手を上げ、私の兄とハイタッチしてる……

「いやホントに。このトマトすごくおいしいわ。甘みがぎゅっと濃縮されて、みずみずしくて。これだったら食べれる。ありがとう輝さん!」

 ハイタッチした後、抱き合う二人をこの場にいる全員が言葉を発しないままじっと見つめていた。


**

 数時間が経過し、そろそろうちの親と兄がお暇すると言い出した。
 すぐさま輝さんと柊さんがとれたての野菜をお土産にとすぐ近くの畑に飛んで行った。そのあとを私の両親もついていき、残ったのは兄。
 食事の後片付けをしながら、久しぶりの兄妹の会話。

「しかし、結婚式で会ったときは会話しなかったからわからなかったけど、輝さんはなんか……すごい人だな。もちろんいい意味だけど」
「そーだねー、私も結婚してからお話させてもらうようになったんだけど、ただのイケメンじゃないよね。柊さんとはタイプが違うけど、でもすごくいい人なの、よくわかったでしょ?」
「うん、わかった。おまえ、いいとこに嫁に行ったな。これなら俺もちょっと安心だ」

 兄がこんなことを言うなんて思ってもみなかった私は、手を止め兄をじっと窺う。

「……なに。どしたの兄ちゃん。まさかとは思うけど私の心配してたりなんて……」
「そりゃ、お前が実家にいた頃のことを考えれば心配するだろうがよ! 家にいるときはジャージ着てソファーの上から動かない漬物石みたいな生活してたお前が、柊くんみたいなイケメンと結婚なんてミラクル、誰も想像してなかったもんな」

 それは私も想像してなかったけども。

「それに兄だから、な」

 そう言って兄が私の頭をくしゃっと撫でた。なんだかいつもとは違う兄の態度に、私はちょっとだけくすぐったいような、こそばゆい気持ちで黙々と片付け作業を続けた。

 採れたての野菜をたっぷり積んだ車に乗って、私の両親と兄が帰って行った。
 しきりに「輝さんも柊さんもかっこいい!!」とはしゃぐ母を困惑気味に見つめる父と兄を見送り、私と柊さんも帰宅の途に就いた。
 二人きりの車の中でふう、とようやく息をつく。

「悟さんがトマト嫌いだって知ったときはどうなるかと思ったけど、なんか、うまい具合にことが運んでよかったよ。ああいう場面でのうちの兄貴は強いな……ま、ただの天然だけどな」
「うう、私事前にお知らせしておけばよかったのにすっかり忘れてた。でも克服できたからよしとしましょう!」

 私がこう言うと、柊さんも「だな」と言って笑った。

「悟さんて、ほんとお前と正反対って感じだよなー。でも帰り際、俺にしきりにお前のことよろしく頼むって言ってきてくれてさ。いい兄さんだよな」
「え、ほんとに?」

 兄が柊さんにそんなことを言っていたとは。
 お兄ちゃん、ありがとう……
 ちょっとホロリとなりそうなところで、運転席の柊さんが満面の笑みで私にちらりと視線をよこす。

「あといくつか、お前の学生時代の面白エピソード聞いちゃった!」
「…………なに、聞いたんです…………?」

 やっぱり、兄は兄だった。
 
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