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しおりを挟むプロローグ
「じゃ、後はお二人でゆっくりお話ししてみてくださいな」
お見合いを仲介してくれた叔母は、笑顔でそう言って部屋を出て行った。その途端、私は緊張と不安がピークに達して、顔から血の気が引いていく。
――お、叔母さーん……、私、この後どうしたらいいの……!?
料亭の一室に残されたのは私こと英玲香と、そのお見合い相手である株式会社おおひなたの専務、大日向知廣さんの二人だけ。
しかも相手は、見るからに上質なスーツを着こなした大人な上に、上流階級の匂いのする超イケメンとなれば誰だって緊張する。ましてや、これまでまったく男性に縁の無い生活をしていた私は、一体どんな会話をすればいいのか思い浮かばない。
何より……目の前の大日向知廣という男性は、私の好みどストライクなのだ。
大日向さんは一五五センチの私が見上げてしまうほどの長身。額にかからないようにきっちり整えられた髪は清潔感を醸し出し、その下にはうっとりするほど端整なマスクがある。挨拶を交わした時に聞いた声は低く艶やかで、耳元で囁かれたら腰が砕けてしまうかもしれない。
事前に写真は見せてもらっていたけれど、実物は写真よりも断然素敵で、対面した瞬間、しばらく言葉を発することができなかったくらいだ。
あまりの衝撃に、叔母がお互いを紹介する言葉すら右耳から左耳にスルー。結局何を言われたのかわからないまま叔母は部屋を出て行き、彼と二人きりにされてしまったというわけだ。
鮮やかな朱色に色とりどりの花をちりばめた振り袖の膝の上を無言で見つめている私に、大日向さんがそっと声をかけてくる。
「玲香さん、とお呼びしてもよろしいですか?」
「はっ、はい!!」
突然、美声で名前を呼ばれて、思わずぴんと背筋が伸びる。
「このお話を進めるかどうかの前に、いくつか確認しておかなければならないことがあります。よろしいですか?」
話し方が穏やかで、かなり好印象である。
勝手にドキドキと跳ねる心臓をなんとか落ち着かせて、私は平静を装った。
「はい、どうぞ」
でも装いきれなくて、変に声がうわずってしまった。
そんな私に一瞬だけ薄い笑みを浮かべた知廣さんが、改まった調子で口を開く。
「玲香さんもすでにご存じと思いますが、私の実家はこの店をはじめとした料亭や、デパ地下などに出店している惣菜店などを経営しております。現在、私の父が全ての経営を担っていますが、二、三年後には全て私に譲りたいと公言しています。無論、私もそのつもりでおります」
「はい」
特に疑問を感じることもなく、私はこっくりと頷く。
「それを踏まえた上でお話しするのですが……我が家に嫁いだ女性は、将来的にこの料亭『おおひなた』の女将になるのが習わしとなっています」
大日向さんは私の目を見て、きっぱりと言った。
「女将、ですか?」
「はい。もちろん適性もありますので強制ではありません。ですが、このお話を進める場合は、そうした可能性があることを知っておいていただきたいのです」
「……わかりました」
素直に頷くと、すぐに大日向さんが話を再開する。
「あともう一つ。結婚後なのですが……これもやはり我が家のしきたりで、長男である私は両親、祖父母と同居しなくてはなりません。そのため、必然的に新居は私の実家となります。この二つが結婚の話を進める上での条件になります」
「同居が条件ですか……」
「このご時世に古くさいことをと思われるかもしれませんが、それが私の希望でもあるのです。ですから、無理と思われるなら、遠慮無く断ってくださって結構ですよ」
同居が条件という話は、このお見合いを仲介してくれた叔母から事前に聞いていた。なので、驚くことも無理とも思わなかった私は、即返事をする。
「大丈夫です! 私、大日向さんの仰るとおりにします」
私の素早い返答に、大日向さんが驚いたように目を見開く。
「玲香さん、返事はすぐでなくていいのですよ。あなたの人生を左右することなのですから、もっとよく考えてからで……」
しかし、私の頭に断るという選択肢は微塵も無かった。
いや――むしろ、こんな素敵な方との縁談を断ったら、もう二度と理想の相手に巡り会えないような気がする!
私は前のめりになりながら、目の前に座る彼の目を見つめた。
「いえ、本当に大丈夫です! 私の家も三世代同居ですから、ご家族と一緒に暮らすことに抵抗はありません。それに家族を大切にされるのは、素敵だと思います!」
思っていることをはっきり告げる。すると、しばらく黙って私を見つめていた大日向さんの口の端が、少しずつ歪み始めた。
「知廣です」
「え?」
「大日向ではなく、知廣と呼んでください。玲香さん」
「知廣さん……?」
名前を呼んだ瞬間、知廣さんの表情が緩む。その顔がまた素敵で、私の心臓は彼によってがっしりと掴まれてしまった。
――はうん……すてき……!!
「……では、玲香さんはこの話を進めても問題無いと?」
「はい、喜んで!」
うっとりしたまま返事をしたら、居酒屋の店員みたいになってしまった。言ってから「あっ」と思い知廣さんを見ると、呆気にとられたような顔をしている。
人生の大事な決断を、あんな言葉で即決してしまったことを変に思われたのだろうか。
――だって、絶対にこの人と結婚したいと思ったんだもの……! ああ、知廣さんに幻滅されてたらどうしよう……
今更ながらに居たたまれなさを感じて視線を泳がせていると、目の前の知廣さんが「ふっ」と声を漏らした。
――あれ……もしかして今、笑われた?
「玲香さん……本当にいいのですか? 結婚してからやっぱり嫌だと言われても、世間体というものもありますから、そう簡単に離婚をすることはできませんよ?」
「もちろん、わかっています。それより、あの……知廣さんはどうなのですか? 私が結婚相手で本当にいいのですか……?」
「私ですか?」
そう言うや否や、知廣さんの口角がくっと上がった。しかも興味深そうに私を見つめてくるから、落ち着かなくなってしまう。
「私はこのお話をいただいた時から、あなたは家柄も器量も申し分ない、私には勿体ないくらいの方だと思っていました。だからこそ……こうもあっさり話が進むと考えていなかったので、正直とても驚いています。逆に問いたい。玲香さんがこの話を受けた決め手はなんですか?」
――あなたに一目惚れしたからです!
と素直に言うのは、さすがに恥ずかしい。悩んだ末に、私の口から出た言葉は――
「……か、勘です」
「……ん? なんと?」
聞こえなかったのか、知廣さんが眉をひそめる。
「だから、その……勘です。お……女の勘です!」
そう言った途端、知廣さんがはっきりと笑みを浮かべた。
「玲香さんはそういった勘が鋭いのですか?」
「いえ……そういうわけでは、ないんですけど。でも、このお話を逃したら、絶対に後悔する気がして……」
「後悔?」
「あっ……」
知廣さんに突っ込まれてしまい、慌てて口を噤んだ。
正直に、決め手は一目惚れですって言ったら、知廣さんはどう思うだろう。
初対面だし、引かれてしまうかもしれない。でも私の気持ちはちゃんと伝えなければ……
「ほんとに、冗談とかではなく……私、知廣さんと結婚したいと思っています……」
これだけでは、気持ちを伝えきることはできないな……と彼を窺う。
がしかし、意外にも知廣さんは口元に手を当てて、興味深そうに私を見ていた。
「あなたのご実家は広大な土地を有する大地主であり、自社ビルを複数所有する資産家です。しかもあなた自身、まだ若くとても可愛らしい……。とくれば、この先も数多くの縁談があることでしょう。それでも、八つも年上の私との結婚を望んでくださるのですか?」
「はい……!! だって、知廣さんは私の理想の男性そのものなので……」
言ってからしまった、と口を手で押さえる。が、時すでに遅し。
目の前の知廣さんが、もう限界とばかりに噴き出した。
「ご、ごめんなさい!! 私ったらつい……っ」
思わず身を乗り出してペコペコと知廣さんに頭を下げるが、まだ知廣さんは肩を震わせて笑っている。
変なことを言う女だと思われただろうか。不安な気持ちで笑い続ける彼を見つめていると、知廣さんが「謝らないで」と掌を私に向けてきた。
ようやく笑うのをやめた知廣さんは、改めて私を見つめてくる。
「いや、失礼。実に面白い方ですね、玲香さん。私はあなたの『理想の男性』なのですか?」
「は、はい! それはもう、見事に! 部屋に入ったら理想の方がスーツを着て座ってらっしゃったので、私、驚きのあまり腰が抜けそうになってしまって……」
すると知廣さんがフッと鼻で笑う。
「……これはこれは、なんとも正直な……」
ぼそっと呟いた知廣さんの表情が今までと違って見えて、あれ? と思った。
気のせいか、さっきよりもすごく柔らかくなってるような……
私がじっと彼を見つめていると、彼はニヤッと口角を上げた。
「わかりました。では、このお話を進めさせていただきます。よろしいですか?」
「はい、喜んで!!」
私の返答に、「二回目……」と呟いた知廣さんが再び肩を震わせる。
「あなたとなら楽しい家庭が築けそうな気がしますよ。玲香さん」
そう言って知廣さんは不敵な笑みを浮かべた。その、男の色気にくらくらした。
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夢見心地の私は、その後、知廣さんから料亭の敷地にある庭園を案内してもらった。
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「まあ……そうなのですね。ぜひ、拝見したいです……」
彼が見所を説明してくれる間、なんとか気力を振り絞って会話のキャッチボールをする。しかし、男慣れしていない私はすっかり彼の色香にあてられてしまい、会話の内容などは何一つ頭に入ってこなかったのだった。
それから私達は家族も交えて結婚の意思を確認し、私の大学卒業を待って結婚することになった。
卒業までの期間、知廣さんとはデートをしたり、会えない日はメールや電話のやりとりをしたりして、少しずつ距離を縮めていった。
そして、お見合いから数か月後――無事大学を卒業した私は、夜景の見えるレストランで知廣さんから指輪を渡され、改めて「結婚してください」とプロポーズされたのだ。
その時は、昇天してしまいそうなほど幸せだった。
身内だけの神前式を行い、私の親族や友人など親しい人だけを集めた披露宴も済ませた。
そしてついに、彼との新生活が始まる。
だが、私達……否、主に私にとって、本当の夫婦になるための試練はここから始まるのだった。
一
結婚式の翌日に入籍も済ませ、晴れて大日向家の嫁になった私、英玲香改め、大日向玲香。
これから大好きな知廣さんの妻として新しい生活が始まる。
引っ越し当日、荷物は事前に業者さんにお願いしてあったので、私は単身大日向家に向かった。
知廣さんは家まで迎えに行く、と言ってくれたのだが、彼も忙しいだろうと考えて丁重にお断りした。
――これからずっと一緒にいられるんだし、引っ越しくらい彼の手を借りなくても大丈夫!
なんて思いながら一人で純和風建築の豪邸である大日向家の門をくぐった私なのだが、出迎えてくれたお義母様の反応は、予想していたものとちょっと違った。
「いいですか、玲香さん。知廣と正式に結婚したからにはあなたは大日向家の一員です。よって今日からはもうお客様扱いはしません。一日も早く知廣に、そして大日向家に相応しい嫁になっていただきますので、そのつもりでいてください」
お義母様に連れられてリビングに移動した私は、出されたお茶に手を付ける間もなくこう言われた。
ご挨拶に伺った時はいつも笑顔で、物言いもとても穏やかな印象だったけど、今日は表情が硬く声も低い。
そんなお義母様に若干戸惑いはしたが、もちろん私もそのつもりで嫁いで来たので反論はない。
「はい、お義母様。一日も早く、この家の嫁として認めていただけるよう、精一杯努力いたします」
笑顔で応えた私に頬を緩めたお義母様は、テーブルの上に置いてあった冊子のようなものを差し出してきた。
「これは、我が家の嫁として、あなたに覚えていただくことを纏めたものです。細かく記しておきましたから、早く覚えてこの家に相応しい嫁になれるよう精進してくださいね」
冊子を手に取った私は、その表紙に釘付けになった。
【大日向家の嫁とは 上】
――すごい厚み……しかも上ってことは、下もあるの……!? それにこの筆文字、もしかして全てお母様の直筆……?
さすがに戦慄し、体中の毛穴から汗が噴き出してくる。……いや、もちろん想定内ではあるのだが、まさかここまでとは思わなかった。
「あ……ありがとうございます、頑張ります」
「では嫁修業は一週間後から始めますからね。よろしくお願いしますよ」
「えっ?」
嫁修業とはなんぞや?
何気なく聞き返したら、お義母様の目が鋭くなった。
「何か問題でも?」
「いっ、いえ、なんでもありません!」
厳しい声に、ぴんと背筋が伸びる。どうやら質問が許される雰囲気ではなさそうだ。
お義母様は私をチラッと見た後に、フー、と小さく息を吐いた。
「うちは商売もあるから、覚えていただくことが山のようにあるの。家の仕事にある程度慣れたら、店の仕事も覚えていただきますからね。よく読んでおいてちょうだい?」
「はい、お義母様」
「それとですね……」
お義母様がさらに何か言おうとした時、リビングのドアが開く音がした。そちらを見れば、スーツ姿の知廣さんが入ってくるところだった。
お仕事モードの知廣さんは、これまで私が見てきたプライベートな彼とは印象が違う。
いつもよりきっちり纏められた髪に、ダークな色合いの三つ揃いスーツを着た知廣さんに、私の目は釘付けになる。
――はわわわわ……か、格好いい……知廣さん、素敵すぎます……!!
お義母様の前だということも忘れ、私は知廣さんから目が離せなくなった。
「お母さん。玲香は来たばかりなんですから、それくらいにしておいてください」
「知廣。あなたいつから……」
突然現れた知廣さんに、お義母様も驚いているみたいだった。
「今、仕事を抜けてきたところです。初日からお母さんのペースで物事を進めるのは、まだ難しいと思いますよ」
「何を甘いことを言っているんです。あなたはわからないかもしれないけれど、こういうことは最初が肝心なのよ」
「肝心かどうかはさておき、彼女は大日向の嫁である前に私の妻ですから。それをお忘れ無きように」
知廣さんにぴしゃりと窘められて、お義母様がぐっと口を真一文字に引き結ぶ。
知廣さんとお義母様の間に流れる空気がピリピリし始める中、私は知廣さんに『玲香』と呼び捨てにされたことが嬉しくて、一人じーんとその喜びに浸っていた。
――ウワアアア……玲香。だって……!! 家族以外の男性に呼び捨てにされたの初めて……!
いつの間にかこちらへ近づいてきた知廣さんが、私の手を掴んだ。
「行きましょう。この家の中を案内しますよ」
「あっ、はい。お義母様、お話の途中で申し訳ありません」
お義母様に頭を下げると「いいわ。お行きなさい」と、仕方なさそうに言われた。
「玲香さん、ここに段差があります。足下に気を付けて」
「は、はい」
――あれ、また『玲香さん』に戻っちゃった……
少し残念な気持ちで彼の後をついて行くと、いきなり知廣さんに謝られる。
「来て早々母が申し訳なかった。気分を悪くしたのではないですか?」
そう言って、心配そうな視線を送ってくる知廣さん。その優しさに感激しながら私は首を横に振った。
「いいえちっとも。お義母様も仰っていましたが、厳しく接してくれるのは私を大日向家の一員として認めてくださった証ですから、とても嬉しかったです」
「そんな風に思ってくれてよかった。母の物言いのキツさは今に始まったことではないので、私達家族は慣れてしまっているのですが……。もし玲香さんを傷つけるようなことを言ったら、母に遠慮などせず私に相談してください。いいですね?」
「は、はい……!」
――知廣さん、優しい……! 好き……!!
こんな素敵な方の妻になったなんて、今でもまだ信じられない。でも、これは夢ではないのだと喜びを噛みしめる。
ふわふわと頭の中がお花畑になりかけたところで、ハッと我に返った。
「あっ、そういえば知廣さんお仕事中では? ここに来ちゃって大丈夫なんですか?」
半歩先を歩く知廣さんに声をかけると、彼は肩越しに私へ視線を送ってくる。
「結婚したばかりの妻が引っ越してくるのに、出迎えない夫なんて冷たすぎるでしょう。さすがに私はそんな夫になりたくないのでね」
「えっ、そうですか? 私はそんな風には思いませんけど……」
「玲香さんはおおらかだな。まあ、そんなところがあなたの良いところでもありますが」
知廣さんは広い大日向家の中を一通り案内した後、私と彼の居住スペースとなる二階へ移動した。
「同居とはいえ、二階を使用する者は私達以外にいないのでね。ここでは家族に気兼ねなくゆっくり過ごしてください」
木製の手すりのついたL字階段を上りながら彼の言葉に頬を赤らめる。だってそれって、二階は私と知廣さんの二人だけの空間っていうことだ。私の胸のドキドキがさっきよりも激しくなる。
――ど、どうしよう……これから一緒に暮らすっていうのに、側にいるだけでこんなにドキドキしてしまうなんて。私の心臓がもたないかも……!
そんな心配をしていると、先を行く知廣さんが私に声をかけてくる。
「ここが二階のリビングです」
知廣さんが階段を上がってすぐの木製のドアを開く。
私の視界に飛び込んできたのは、白で統一されたシンプルなリビング。ソファーもテーブルも、とてもおしゃれなデザインですごく目を引く。はっきりいってかなり私好みだ。
「わあ、素敵……!」
テンションの上がった私は、促されるまま部屋の中へ進みソファーにそっと触れてみる。柔らかなレザーは眩しいくらい白くてシミ一つない。
「あの、もしかしてここにある家具って全部新品だったりします? 知廣さんが選んでくれたんですか……?」
「ええ。本当ならあなたと一緒に選びたかったのですが、引っ越しまでの時間があまりなかったのでこちらで選んでしまったんです。もし気に入らないようでしたら交換することも可能ですので……」
言いながら、知廣さんが申し訳なさそうな顔をする。が、そんな心配は無用である。
「とんでもない!! どれもすごく私の好みです!! 素敵な家具を選んでくださってありがとうございました!!」
私がお礼を言うと、知廣さんはホッとしたように柔らかく微笑んでくれた。
「そうですか。そう言ってもらえてよかった」
その微笑みがキュンキュンしちゃうくらい素敵で、私は心の中で大いに悶える。
――あーん、素敵……!! 知廣さんの笑顔は私のご馳走です……!!
彼が私のために選んでくれた。そう思うだけで、私の中から幸せホルモンのセロトニンがどくどく分泌されてくる。とてもとても幸せ。
連れだってリビング内の扉を開けると、そこには立派なキッチンがついていた。
「はっ! 二階にもキッチンがあります……!」
一階にすごく大きくて立派なキッチンがあったのに、二階にもあるなんて。
「ちょっと小腹が空いた時や、お茶が飲みたい時にいちいち一階に行くのは面倒でしょう? それに玲香さんはお菓子作りが好きだと釣書に書いてあったのを思い出してね」
――私のことを考えてキッチンを……?
彼の優しさと気遣いに胸がキュッと締め付けられる。幸せすぎて体が震えてきた。
「ありがとうございます、知廣さん。何から何まで……あの、知廣さんお菓子はお好きですか……?」
「お菓子ですか? ええ、たまにいただきますよ。ブラウニーなんか好きですね」
ブラウニーを頭に思い浮かべる。知廣さんとブラウニー……合う!!
「ブラウニーですね、じゃあ、今度お作りします!」
私が満面の笑みを浮かべて返すと、知廣さんがクスッと笑ってくれる。
「はい、ぜひ。楽しみにしています。さて、次は寝室ですね。玲香さん、こちらへ」
幸せに浸る私を見てフッと笑った知廣さんが、そう言って歩き出す。慌てて後に続くと、彼はリビングの奥にある扉を開けた。
「ここが寝室です。どうぞ」
「は、はい……失礼します」
ドアを開けてくれた彼の横からスルリと寝室に入る。視界に飛び込んできたのは、私が実家で使用していたダブルベッドよりもさらに大きい、おそらくキングサイズはあろうかという大きなベッドだった。
「ベッドも新調したんです。これぐらいの大きさがあれば、お互いゆったりと眠れると思ったんですが、どうでしょう」
「ゆ、ゆったり……確かに! これならお互いゆっくり眠れますね……」
特に表情を変えず、サラッと言ってくる知廣さんに相槌を打つ。
当たり前のように一つのベッドで一緒に寝ると言われて衝撃を受ける。でも考えてみれば、夫婦になったのだから一緒に寝るのは当たり前だろう。
なんだか、想像したらドキドキして顔が熱くなってきてしまった。
――こっ、今晩から知廣さんとこのベッドで、一緒に……!
そう思うと途端に体に緊張が走って顔が強張る。それに何より今夜は新婚の私達が初めて一緒に過ごす夜。いわゆる初夜なのだ。
実は今日のこの日まで、私と知廣さんは体の関係になることはおろか、キスすらしていない清い関係のままなのである。
結婚式も披露宴もしているのになぜ今日が初夜なのかというと、私にもよくわからない。ただ、これまでもデートの際にいい雰囲気になりそうな時に限って、知廣さんに予定が入ったり、私の帰りを心配した過保護な父から電話が入り帰宅を促されたりした。結婚式の後も、彼の仕事の都合で別々の家に帰ることに。そのおかげで同居を開始する今日まで、プラトニックな関係を維持することになってしまったのだ。
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