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第二章

第77話『親子』

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 ルシファーに部屋に送って貰ったあと、直ぐに眠ってしまったらしい俺は朝日と共に目を覚ました。閉め切ったカーテンの僅かな隙間から漏れでる光が俺の目元に直撃する。

「ん····ふわぁ~····」

 くるりと寝返りを打ち、陽の光を拒むように背を向けた。大きな欠伸を漏らしながら、目元を擦る。
 今、何時だ·····?いや、何時でも良いか。今日はどうせ訓練なんてないだろうし。俺はもちろん、ベルゼ達もかなり疲れている筈だ。今日はオフと考えて大丈夫だろう。
 それにしても·····こうして、日付けを跨いでみると昨日の出来事が夢のようだな。
 俺は自身の右手を見つめ、昨日の夢のような出来事を思い出す。
人の肉を切り裂いた感触、飛び散るあか、憎しみに燃える怒声と恐怖を表した悲鳴·····。
 戦争のない平和な世界で育った俺からすれば違和感でしかない出来事。どこか現実味のない事実····。
 俺は本当にこの手で人を·····殺したんだろうか?
 そう疑ってしまうくらい、昨日の出来事は非現実的だった。
 ギュッと手を握り締めると、俺は思考放棄するように瞼を下ろす。
昨日の出来事を『夢か?』と疑う時点でそれは現実だ。夢の中での俺は一度たりとも、その夢の出来事に違和感を抱いたことなんて無かったからな。
 俺はそう結論づけると、意識をゆっくりと眠りの世界に沈める。
 こんな良い天気の日は二度寝するに限るな·····。
 ベッドに身を沈める俺が毛布を首元まで引き寄せた、そのとき────────────コンコンと扉を叩く音がした。

「─────────オトハ、朝早くにすまない。少し時間を貰えないだろうか?」

 女性にしてはやや低いアルトボイスの主が扉越しにそう言葉を投げかけて来た。
 この声は·····ベルゼか?
どうしたんだ?こんな朝早くに····。何か大事な用でもあるんだろうか?
 突然部屋を訪ねてきたベルゼに困惑しながら、俺はベッドに沈めていた体を起こす。ベッド近くのチェアに掛けてあったカーディガンを急いで羽織った。

「構わない。入ってきてくれ」

 寝起きのため身嗜みを整える時間はないが、この程度のことはベルゼも承知の上だろう。客人····それも女性を部屋に招くのにパジャマ姿なのは失礼だが、これくらいは許して欲しい。
 俺の起床を待たずに部屋を訪ねてきたって事は急ぎの用件だろうし、出来るだけ早く部屋に入れた方が良いだろう。

「失礼する」

 ベルゼは相変わらずの硬い声でそう告げると、ゆっつりと扉を開けた。入って来たのはワンピース姿の黒髪美人。今日は珍しく鎧姿じゃなかった。
 なんか···軽装姿のベルゼを見るのは初めてかもしれない。

「?····どうかしたか?私に何か可笑しいところでも?」

 俺があまりにもベルゼのワンピース姿をガン見し過ぎたせいか、黒髪美人はコテンと首を傾げた。こういう反応はウリエルにそっくりだ。いや、ウリエルがベルゼにそっくりなのか····?
 俺はベルゼに席を勧め、グラスと水差しを手に向かい側のソファに腰掛ける。

「いや、可笑しいとかじゃなくてさ····ベルゼのワンピース姿見るの初めてだなぁ、って思っただけだ」

「そう言えば、オトハに鎧以外の姿を見せたことは無かったな」

「ああ。だから、ちょっと驚いただけだ」

 軽く肩を竦め、俺は二つのグラスに水を注ぐ。本当は小洒落た紅茶なんかを出してやりたいんだが····ここには湯沸かし器なんて無くてな。魔族連中は湯沸かし器なんて無くても魔法でどうにかなるため、そういうものは一切開発されていない。
要するに魔法の使えない俺では紅茶を淹れることが出来ないのだ。
 奥の手である転職ジョブチェンジを使えば、出来ないこともないが、そこまでして紅茶を淹れる意味が無い。水が嫌なら、勝手に紅茶でも何でも自分で調達してくれって感じだ。
 水を入れたグラスを一つベルゼの前に置き、俺は目覚まし代わりに冷たい水を喉に流し込む。冷えた水は喉を潤し、ついでに意識も覚醒させてくれた。

「さて、早速だが用件を聞かせてくれ。お前のことだから、何が大事な用があってここに来たんだろ?」

「あ、ああ····」

 随分と歯切れの悪い返事を返すベルゼ。どこか気まずそうに視線を逸らす黒髪美人はグラスを両手に包み込み、震える手を誤魔化すように力を込めた。
 おい、ベルゼ····何があったかは知らんが、とりあえず、そのグラスは壊さないでくれよ?それ、魔王城の食堂にあるものだからな····?
 ベルゼよりグラスの心配をする俺に彼女は意を決したように視線を合わせる。茶色がかった瞳は相変わらず真っ直ぐだった。

「その····魔王軍幹部としてではなく、ただのベルゼビュートとしての相談なんだが····ウリエルを立ち直らせるにはどうすればいだろうか?」

「ウリエルを立ち直らせる····?それって、人質の件のことか?」

「ああ。ウリエルは昨日からずっと落ち込んでいて····何を言っても駄目なんだ。『お前は悪くない』『あれは仕方なかった』『お前を守れなかった私達が悪いんだ』と····慰めても慰めてもウリエルは自分を責めるばかりで····。このままじゃ、責任を取るとか言って自殺しかねない。私はあの子の保護者として正しい道に導かねばならないんだ」

「つまり、どうすればウリエルを説得出来るのか俺なりの答えを聞かせて欲しいと?」

「そうだ。ウリエルに慕われているお前なら、何か良い案があるかと思ってな····」

 良い案、か····。
はぁ·····ベルゼ、俺はお前のそういう真面目なところ嫌いじゃないぜ?事前準備を万端にして、ウリエルの説得に臨む姿勢····それは嫌いじゃない。むしろ、褒められるべき行為だろう。
 だけど·····多分それはウリエルの求めているものじゃない。
ウリエルが求めているのは誰かから借りた言葉じゃない。試行錯誤を繰り返して生んだ説得方法じゃない。
 ウリエルが欲しいのは────────────。

「ベルセ、お前の本音だ」

「はっ·····?本音?」

「ああ。多分だが····ウリエルが欲しいのは慰めの言葉でも誰かから借りた言葉でもなく───────ベルゼ、お前の本音じゃないのか?」

 ウリエルはベルゼや俺が思っている以上に大人だ。もう慰めと言う優しい言葉だけを求める子供じゃない。
 どんなに傷つくことになっても良いからベルゼの本音が知りたいと思っている筈だ。保護者としての義務でも軍人としての建前でもなく、ベルゼビュートという人間の本音が聞きたいんだ。
 互いに本音を吐き出し合って、それから二人でこれからどうすれば良いのか考える。
『正しい道に導く』なんて、烏滸がましいことはしなくていい。二人で考えて、ぶつかって、すれ違って、話し合って、また考えて····そうやって二人で答えを見つければ良い。それが“親子”なんだ。
過保護に守って、怪我をしないよう正しい道に導くだけが親じゃない。子供だって、考えるための頭と心を持っている。なのにそれを使わないなんて····馬鹿だと思わないか?

「本音は人を傷つける時もある。でも、本音でぶつからなきゃいけない時もあるんだ。本音でぶつかって、話し合って、考えて·····自分達なりの道を見つける。正しい・・・道なんて探さなくて良い。ただ子供の話に耳を傾けて····子供に本音を打ち明けて····二人で話し合って····それだけで良いんだ。それが親子なんだ!」

「お、やこ·····?」

 俺の持論に目を白黒させるベルゼはギュッと更に強くグラスを握り締める。パキッとグラスに亀裂が入った。

「ウリエルを自分の娘だと思うのなら、俺の話を胸に留めておけ。親っていうのは子供を正しい道に導くだけの存在でないことを····」

 俺はそう言い切ると、一気に水を飲み干した。俺のグラスが空になる一方、ベルゼのグラスは怪力に耐えきれず、パリンッと音を立てて割れる。ベルゼは一度もグラスに口をつけていないため、中に入っていた水が彼女のワンピースを濡らした。
 ベルゼ、お前は少し真面目過ぎる。もうちょっと物事を柔軟に考えてみろ。視野を広く持て。
そうすれば、きっと───────────今、自分がどうすべきか分かる筈だ。

「それ、片付けとけよ」

 俺は何も言わずに黙り込むベルゼにそう言い残し、席を立った。
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