上 下
6 / 37

侍女

しおりを挟む
◇◆◇◆

 誰かに睡眠を妨害されることもなく、ぐっすり眠った私は清々しい朝を迎えた。
昨日と全く変わっていない部屋の様子を眺め、『結局大公は来なかったのか』と驚く。

 どうして、大公は私の血を飲まなかったんだろう?
もしかして、まだ量が足りない?

「なら、もっと太らなきゃ」

 グッと拳を握り締める私は、おもむろに体を起こす。
昨日、ソファで寝たからか服や髪はボサボサだった。
とてもじゃないが、人前に出られるような格好じゃない。
『さて、どうしたものか』と頭を悩ませていると────不意に部屋の扉をノックされた。

 誰だろう?執事かな?それとも、大公?

 などと考えながら、じっと扉を見つめるものの……反応はない。
『あれ?どうしたんだろう?』と不思議に思う中、再び扉をノックされた。

「あの、中に入ってもよろしいでしょうか?」

 聞き覚えのない声が鼓膜を揺らし、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
そして、『この人、誰だろう?』と考えるよりも先に入室の許可を求められたことに驚いた。
私の周りに居た人達は皆、勝手に入って来ていたから。ノックなしで入ってくることも多々あった。

 こんな風に入ってもいいか確認されるのは、初めてだな。

「いいよ。入ってきて」

 ちょっと緊張しながらも入室の許可を出すと、直ぐに扉が開いた。
『声の主は一体どんな人物なんだろう?』と興味を示す中、一人の女性が姿を現す。
透明感のある茶髪をお団子にし、侍女服に身を包む彼女はこちらを見てニッコリと微笑んだ。
かと思えば、胸元に手を当てて優雅にお辞儀する。

「初めまして、シュバルツ家の小さな奥様。今日から身の回りのお世話をさせて頂く、マーサと申しま……」

「私、奥様じゃない」

 侍女の自己紹介を遮り、私は間違いを指摘した。
すると、彼女はキョトンと首を傾げる。

「あら?でも、旦那様とご結婚なされたんですよね?」

「そうだけど……結婚は皇室の体裁を保つための方便みたいなものだから」

 皇族をそのまま生贄として差し出すのは世間体が悪いため、表面上だけでも嫁入りという形を取らせてもらっているだけ。
だから、厳密に言うと私はシュバルツ家の奥様じゃない。

 『本質はただの生贄に過ぎない』と自分の立場を再認識する中、侍女はふわりと柔らかく微笑んだ。

「たとえ方便だとしても、旦那様がそれを良しとしている以上、奥様であることに変わりはありません。ですから、シュバルツ家の女主人という肩書きを堂々と名乗ってください。奥様には、その権利があります」

 侍女は力強い口調でそう言い切り、エメラルドの瞳をスッと細める。
優しいと凛々しいが共存する彼女の態度に、私は目を剥いた。

 大公といい、執事といい……ここに居る人達はみんな変だ。
ただの生贄に優しくして、色んなものを与えて……一体、何が目的なのだろう?
どれだけ施しを受けても、私は何も返せないのに。

 『親切の無駄使い』とも言うべき環境に、私は疑問を抱く。

「ねぇ、侍女は……」

「お気軽にマーサとお呼びください、小さな奥様」

 笑って呼び方を訂正する彼女に、私はまたもや衝撃を受けた。

「名前で呼んでいいの?」

「ええ、もちろんです」

 間髪容れずに頷いた彼女は、『名前で呼んでくれた方が嬉しいです』と述べる。
お世辞とは思えない柔らかな口調と態度に、私は少しだけ口元を緩めた。

「マーサはどうして、私に良くしてくれるの?」

「それは奥様がとても愛らしいからですよ」

「愛らしいと親切にしたくなるの?」

「うふふっ。そうですね。ついつい、お節介を焼きたくなります」

 手で口元を押さえ、上品に笑うマーサはなんだか楽しそうだった。

「さて────お話はこの辺にして、身支度を整えましょうか。早くしないと、朝食に遅れてしまいます」

 そう言ってこちらへ歩み寄ってくると、マーサは私の手を取る。
そこに迷いはなく……まるで当然のように振る舞っていた。

 皇城で働く侍女達は、私に触れることすら嫌がっていたのに。
仮に触ることになったとしても、早く接触を終わらせるために力いっぱい押したり、思い切り引っ張ったりするだけ。
こんな風に優しく、触れられたことはない。

「マーサは優しいね」

「あら、そんなことはありませんよ。これでも、昔はヤンチャをしてたくさん怒られたものです」

 『山を真っ二つにした時は二十年ほど封印されました』と言いながら、マーサは私の手を引く。
促されるままソファから立ち上がった私は、マーサの案内で浴室に来た。

「それでは、ちょっと失礼しますね」

 私の手を離したマーサはその場に跪くと、服やアクセサリーを取り外す。
そして、あっという間に裸になった私を連れて、浴槽へ近づいた。
かと思えば、私の腰に手を差し込み、そっと持ち上げる。
『あぁ、お湯に落とされるのか』と察した私は、咄嗟に身構えるものの……中へ、そっと下ろされるだけだった。
なんとも拍子抜けする展開に、一人呆然とする。

 お風呂って、痛みを伴うものじゃないの?今のところ、暴力もなければ暴言もないけど。

「小さな奥様、湯加減はどうですか?」

「湯加減……?」

「お湯の温度は丁度いいですか?という意味です」

 腕捲りしてこちらを見下ろすマーサは、『人間の適性温度がよく分からなくて……』と零す。
『やっぱり、少し熱いかしら?』と悩む彼女に、私はコテリと首を傾げた。

「今まで聞かれたことないから、分からない」

「あらあら……そうでしたの。では、これから丁度いい温度を探していきましょう」

 『今は時間の関係で無理ですけど』と言いつつ、マーサはお湯に手を入れる。

「今の温度は四十二度くらいですかね……まあ、死にはしないと思うので、今日はこれで行きましょう」

「分かった」

 直ぐさま首を縦に振る私に、マーサはニッコリと微笑み、石鹸を手に取った。
かと思えば、優しい手つきで髪や体を洗っていく。
手で擦って出来た泡を体に塗っているため、痛みはなかった。

 皇城の侍女達は、石鹸本体を力いっぱい押し当ててきたのに……マーサは何でも丁寧にやってくれる。

「小さな奥様、痒いところはありませんか?」

「ない。気持ちいい」

「うふふっ。それは良かったです」

 嬉しそうに頬を緩めるマーサは、足でも脇でも嫌がらずに触ってくれる。
爪の間や耳の裏など、細かいところも同様に。

 マーサは私のこと『臭い』とか、『汚い』とか思わないのかな?

「さあ、奥様。泡を流しますので、目を瞑っててくださいね」

 お湯の入った桶を手に持つマーサは、『直ぐに終わりますからね』と言う。
特に抵抗する理由もないので大人しく目を閉じると、頭上からお湯が降ってくる。それも大量に。
まさかの事態に戸惑うものの、直ぐに終わり、ポタポタと垂れる水滴の音だけが残った。

「お疲れ様でした。もう目を開けても、大丈夫ですよ」

 マーサの優しい声に促され、私はおずおずと目を開ける。
すると、そこには泡のせいで少し白くなったお湯と綺麗になった手足があった。
勢いよくお湯を掛けてもらったおかげで、泡は全て流れたらしい。
『こういうやり方もあるんだ』と衝撃を受ける私は、パチパチと瞬きを繰り返した。

「マーサは凄いね」

「あら、そんなことはありませんよ」

「ううん、凄いよ。だって、お湯に体を沈めなくても泡を洗い流せるんだから」

 『謙遜しなくていいよ』と主張する私に、マーサは目を見開いて固まる。
先程までの笑顔が嘘のように凍りつき、焦りと不安を表に出した。
予想と違う反応を示すマーサに、私は『あれ?』と不思議に思いつつも言葉を続ける。

「皇城で働く侍女達はみんな私の後頭部を押さえつけて、お湯に沈めていたよ。だから、苦しくない方法を編み出したマーサは凄いと思う」

「……」

 素直に称賛する私に対し、マーサは無言を貫いた。
まるで何かを堪えるように俯き、震える手をギュッと握り締める。

 どうしたんだろう?私、何か変なことしちゃったかな?

「ごめん、マーサ。気を悪くしたなら、謝る。それでも、気が収まらなければ私を殴ったって……」

「────私は奥様を絶対に傷つけません!」

 『殴ったっていいよ』と続ける筈だった言葉を遮り、マーサは叫んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

捨てられた侯爵夫人の二度目の人生は皇帝の末の娘でした。

クロユキ
恋愛
「俺と離婚して欲しい、君の妹が俺の子を身籠った」 パルリス侯爵家に嫁いだソフィア・ルモア伯爵令嬢は結婚生活一年目でソフィアの夫、アレック・パルリス侯爵に離婚を告げられた。結婚をして一度も寝床を共にした事がないソフィアは白いまま離婚を言われた。 夫の良き妻として尽くして来たと思っていたソフィアは悲しみのあまり自害をする事になる…… 誤字、脱字があります。不定期ですがよろしくお願いします。

妹に一度殺された。明日結婚するはずの死に戻り公爵令嬢は、もう二度と死にたくない。

たかたちひろ【令嬢節約ごはん23日発売】
恋愛
婚約者アルフレッドとの結婚を明日に控えた、公爵令嬢のバレッタ。 しかしその夜、無惨にも殺害されてしまう。 それを指示したのは、妹であるエライザであった。 姉が幸せになることを憎んだのだ。 容姿が整っていることから皆や父に気に入られてきた妹と、 顔が醜いことから蔑まされてきた自分。 やっとそのしがらみから逃れられる、そう思った矢先の突然の死だった。 しかし、バレッタは甦る。死に戻りにより、殺される数時間前へと時間を遡ったのだ。 幸せな結婚式を迎えるため、己のこれまでを精算するため、バレッタは妹、協力者である父を捕まえ処罰するべく動き出す。 もう二度と死なない。 そう、心に決めて。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

〖完結〗愛しているから、あなたを愛していないフリをします。

藍川みいな
恋愛
ずっと大好きだった幼なじみの侯爵令息、ウォルシュ様。そんなウォルシュ様から、結婚をして欲しいと言われました。 但し、条件付きで。 「子を産めれば誰でもよかったのだが、やっぱり俺の事を分かってくれている君に頼みたい。愛のない結婚をしてくれ。」 彼は、私の気持ちを知りません。もしも、私が彼を愛している事を知られてしまったら捨てられてしまう。 だから、私は全力であなたを愛していないフリをします。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全7話で完結になります。

愛する婚約者に殺された公爵令嬢、死に戻りして光の公爵様(お父様)の溺愛に気づく 〜今度こそ、生きて幸せになります〜

あーもんど
恋愛
「愛だの恋だのくだらない」 そう吐き捨てる婚約者に、命を奪われた公爵令嬢ベアトリス。 何もかもに絶望し、死を受け入れるものの……目を覚ますと、過去に戻っていて!? しかも、謎の青年が現れ、逆行の理由は公爵にあると宣う。 よくよく話を聞いてみると、ベアトリスの父────『光の公爵様』は娘の死を受けて、狂ってしまったらしい。 その結果、世界は滅亡の危機へと追いやられ……青年は仲間と共に、慌てて逆行してきたとのこと。 ────ベアトリスを死なせないために。 「いいか?よく聞け!光の公爵様を闇堕ちさせない、たった一つの方法……それは────愛娘であるお前が生きて、幸せになることだ!」 ずっと父親に恨まれていると思っていたベアトリスは、青年の言葉をなかなか信じられなかった。 でも、長年自分を虐げてきた家庭教師が父の手によって居なくなり……少しずつ日常は変化していく。 「私……お父様にちゃんと愛されていたんだ」 不器用で……でも、とてつもなく大きな愛情を向けられていると気づき、ベアトリスはようやく生きる決意を固めた。 ────今度こそ、本当の幸せを手に入れてみせる。 もう偽りの愛情には、縋らない。 ◆小説家になろう様にて、先行公開中◆ *溺愛パパをメインとして書くのは初めてなので、暖かく見守っていただけますと幸いですm(_ _)m*

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...