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侍女
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◇◆◇◆
誰かに睡眠を妨害されることもなく、ぐっすり眠った私は清々しい朝を迎えた。
昨日と全く変わっていない部屋の様子を眺め、『結局大公は来なかったのか』と驚く。
どうして、大公は私の血を飲まなかったんだろう?
もしかして、まだ量が足りない?
「なら、もっと太らなきゃ」
グッと拳を握り締める私は、おもむろに体を起こす。
昨日、ソファで寝たからか服や髪はボサボサだった。
とてもじゃないが、人前に出られるような格好じゃない。
『さて、どうしたものか』と頭を悩ませていると────不意に部屋の扉をノックされた。
誰だろう?執事かな?それとも、大公?
などと考えながら、じっと扉を見つめるものの……反応はない。
『あれ?どうしたんだろう?』と不思議に思う中、再び扉をノックされた。
「あの、中に入ってもよろしいでしょうか?」
聞き覚えのない声が鼓膜を揺らし、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
そして、『この人、誰だろう?』と考えるよりも先に入室の許可を求められたことに驚いた。
私の周りに居た人達は皆、勝手に入って来ていたから。ノックなしで入ってくることも多々あった。
こんな風に入ってもいいか確認されるのは、初めてだな。
「いいよ。入ってきて」
ちょっと緊張しながらも入室の許可を出すと、直ぐに扉が開いた。
『声の主は一体どんな人物なんだろう?』と興味を示す中、一人の女性が姿を現す。
透明感のある茶髪をお団子にし、侍女服に身を包む彼女はこちらを見てニッコリと微笑んだ。
かと思えば、胸元に手を当てて優雅にお辞儀する。
「初めまして、シュバルツ家の小さな奥様。今日から身の回りのお世話をさせて頂く、マーサと申しま……」
「私、奥様じゃない」
侍女の自己紹介を遮り、私は間違いを指摘した。
すると、彼女はキョトンと首を傾げる。
「あら?でも、旦那様とご結婚なされたんですよね?」
「そうだけど……結婚は皇室の体裁を保つための方便みたいなものだから」
皇族をそのまま生贄として差し出すのは世間体が悪いため、表面上だけでも嫁入りという形を取らせてもらっているだけ。
だから、厳密に言うと私はシュバルツ家の奥様じゃない。
『本質はただの生贄に過ぎない』と自分の立場を再認識する中、侍女はふわりと柔らかく微笑んだ。
「たとえ方便だとしても、旦那様がそれを良しとしている以上、奥様であることに変わりはありません。ですから、シュバルツ家の女主人という肩書きを堂々と名乗ってください。奥様には、その権利があります」
侍女は力強い口調でそう言い切り、エメラルドの瞳をスッと細める。
優しいと凛々しいが共存する彼女の態度に、私は目を剥いた。
大公といい、執事といい……ここに居る人達はみんな変だ。
ただの生贄に優しくして、色んなものを与えて……一体、何が目的なのだろう?
どれだけ施しを受けても、私は何も返せないのに。
『親切の無駄使い』とも言うべき環境に、私は疑問を抱く。
「ねぇ、侍女は……」
「お気軽にマーサとお呼びください、小さな奥様」
笑って呼び方を訂正する彼女に、私はまたもや衝撃を受けた。
「名前で呼んでいいの?」
「ええ、もちろんです」
間髪容れずに頷いた彼女は、『名前で呼んでくれた方が嬉しいです』と述べる。
お世辞とは思えない柔らかな口調と態度に、私は少しだけ口元を緩めた。
「マーサはどうして、私に良くしてくれるの?」
「それは奥様がとても愛らしいからですよ」
「愛らしいと親切にしたくなるの?」
「うふふっ。そうですね。ついつい、お節介を焼きたくなります」
手で口元を押さえ、上品に笑うマーサはなんだか楽しそうだった。
「さて────お話はこの辺にして、身支度を整えましょうか。早くしないと、朝食に遅れてしまいます」
そう言ってこちらへ歩み寄ってくると、マーサは私の手を取る。
そこに迷いはなく……まるで当然のように振る舞っていた。
皇城で働く侍女達は、私に触れることすら嫌がっていたのに。
仮に触ることになったとしても、早く接触を終わらせるために力いっぱい押したり、思い切り引っ張ったりするだけ。
こんな風に優しく、触れられたことはない。
「マーサは優しいね」
「あら、そんなことはありませんよ。これでも、昔はヤンチャをしてたくさん怒られたものです」
『山を真っ二つにした時は二十年ほど封印されました』と言いながら、マーサは私の手を引く。
促されるままソファから立ち上がった私は、マーサの案内で浴室に来た。
「それでは、ちょっと失礼しますね」
私の手を離したマーサはその場に跪くと、服やアクセサリーを取り外す。
そして、あっという間に裸になった私を連れて、浴槽へ近づいた。
かと思えば、私の腰に手を差し込み、そっと持ち上げる。
『あぁ、お湯に落とされるのか』と察した私は、咄嗟に身構えるものの……中へ、そっと下ろされるだけだった。
なんとも拍子抜けする展開に、一人呆然とする。
お風呂って、痛みを伴うものじゃないの?今のところ、暴力もなければ暴言もないけど。
「小さな奥様、湯加減はどうですか?」
「湯加減……?」
「お湯の温度は丁度いいですか?という意味です」
腕捲りしてこちらを見下ろすマーサは、『人間の適性温度がよく分からなくて……』と零す。
『やっぱり、少し熱いかしら?』と悩む彼女に、私はコテリと首を傾げた。
「今まで聞かれたことないから、分からない」
「あらあら……そうでしたの。では、これから丁度いい温度を探していきましょう」
『今は時間の関係で無理ですけど』と言いつつ、マーサはお湯に手を入れる。
「今の温度は四十二度くらいですかね……まあ、死にはしないと思うので、今日はこれで行きましょう」
「分かった」
直ぐさま首を縦に振る私に、マーサはニッコリと微笑み、石鹸を手に取った。
かと思えば、優しい手つきで髪や体を洗っていく。
手で擦って出来た泡を体に塗っているため、痛みはなかった。
皇城の侍女達は、石鹸本体を力いっぱい押し当ててきたのに……マーサは何でも丁寧にやってくれる。
「小さな奥様、痒いところはありませんか?」
「ない。気持ちいい」
「うふふっ。それは良かったです」
嬉しそうに頬を緩めるマーサは、足でも脇でも嫌がらずに触ってくれる。
爪の間や耳の裏など、細かいところも同様に。
マーサは私のこと『臭い』とか、『汚い』とか思わないのかな?
「さあ、奥様。泡を流しますので、目を瞑っててくださいね」
お湯の入った桶を手に持つマーサは、『直ぐに終わりますからね』と言う。
特に抵抗する理由もないので大人しく目を閉じると、頭上からお湯が降ってくる。それも大量に。
まさかの事態に戸惑うものの、直ぐに終わり、ポタポタと垂れる水滴の音だけが残った。
「お疲れ様でした。もう目を開けても、大丈夫ですよ」
マーサの優しい声に促され、私はおずおずと目を開ける。
すると、そこには泡のせいで少し白くなったお湯と綺麗になった手足があった。
勢いよくお湯を掛けてもらったおかげで、泡は全て流れたらしい。
『こういうやり方もあるんだ』と衝撃を受ける私は、パチパチと瞬きを繰り返した。
「マーサは凄いね」
「あら、そんなことはありませんよ」
「ううん、凄いよ。だって、お湯に体を沈めなくても泡を洗い流せるんだから」
『謙遜しなくていいよ』と主張する私に、マーサは目を見開いて固まる。
先程までの笑顔が嘘のように凍りつき、焦りと不安を表に出した。
予想と違う反応を示すマーサに、私は『あれ?』と不思議に思いつつも言葉を続ける。
「皇城で働く侍女達はみんな私の後頭部を押さえつけて、お湯に沈めていたよ。だから、苦しくない方法を編み出したマーサは凄いと思う」
「……」
素直に称賛する私に対し、マーサは無言を貫いた。
まるで何かを堪えるように俯き、震える手をギュッと握り締める。
どうしたんだろう?私、何か変なことしちゃったかな?
「ごめん、マーサ。気を悪くしたなら、謝る。それでも、気が収まらなければ私を殴ったって……」
「────私は奥様を絶対に傷つけません!」
『殴ったっていいよ』と続ける筈だった言葉を遮り、マーサは叫んだ。
誰かに睡眠を妨害されることもなく、ぐっすり眠った私は清々しい朝を迎えた。
昨日と全く変わっていない部屋の様子を眺め、『結局大公は来なかったのか』と驚く。
どうして、大公は私の血を飲まなかったんだろう?
もしかして、まだ量が足りない?
「なら、もっと太らなきゃ」
グッと拳を握り締める私は、おもむろに体を起こす。
昨日、ソファで寝たからか服や髪はボサボサだった。
とてもじゃないが、人前に出られるような格好じゃない。
『さて、どうしたものか』と頭を悩ませていると────不意に部屋の扉をノックされた。
誰だろう?執事かな?それとも、大公?
などと考えながら、じっと扉を見つめるものの……反応はない。
『あれ?どうしたんだろう?』と不思議に思う中、再び扉をノックされた。
「あの、中に入ってもよろしいでしょうか?」
聞き覚えのない声が鼓膜を揺らし、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
そして、『この人、誰だろう?』と考えるよりも先に入室の許可を求められたことに驚いた。
私の周りに居た人達は皆、勝手に入って来ていたから。ノックなしで入ってくることも多々あった。
こんな風に入ってもいいか確認されるのは、初めてだな。
「いいよ。入ってきて」
ちょっと緊張しながらも入室の許可を出すと、直ぐに扉が開いた。
『声の主は一体どんな人物なんだろう?』と興味を示す中、一人の女性が姿を現す。
透明感のある茶髪をお団子にし、侍女服に身を包む彼女はこちらを見てニッコリと微笑んだ。
かと思えば、胸元に手を当てて優雅にお辞儀する。
「初めまして、シュバルツ家の小さな奥様。今日から身の回りのお世話をさせて頂く、マーサと申しま……」
「私、奥様じゃない」
侍女の自己紹介を遮り、私は間違いを指摘した。
すると、彼女はキョトンと首を傾げる。
「あら?でも、旦那様とご結婚なされたんですよね?」
「そうだけど……結婚は皇室の体裁を保つための方便みたいなものだから」
皇族をそのまま生贄として差し出すのは世間体が悪いため、表面上だけでも嫁入りという形を取らせてもらっているだけ。
だから、厳密に言うと私はシュバルツ家の奥様じゃない。
『本質はただの生贄に過ぎない』と自分の立場を再認識する中、侍女はふわりと柔らかく微笑んだ。
「たとえ方便だとしても、旦那様がそれを良しとしている以上、奥様であることに変わりはありません。ですから、シュバルツ家の女主人という肩書きを堂々と名乗ってください。奥様には、その権利があります」
侍女は力強い口調でそう言い切り、エメラルドの瞳をスッと細める。
優しいと凛々しいが共存する彼女の態度に、私は目を剥いた。
大公といい、執事といい……ここに居る人達はみんな変だ。
ただの生贄に優しくして、色んなものを与えて……一体、何が目的なのだろう?
どれだけ施しを受けても、私は何も返せないのに。
『親切の無駄使い』とも言うべき環境に、私は疑問を抱く。
「ねぇ、侍女は……」
「お気軽にマーサとお呼びください、小さな奥様」
笑って呼び方を訂正する彼女に、私はまたもや衝撃を受けた。
「名前で呼んでいいの?」
「ええ、もちろんです」
間髪容れずに頷いた彼女は、『名前で呼んでくれた方が嬉しいです』と述べる。
お世辞とは思えない柔らかな口調と態度に、私は少しだけ口元を緩めた。
「マーサはどうして、私に良くしてくれるの?」
「それは奥様がとても愛らしいからですよ」
「愛らしいと親切にしたくなるの?」
「うふふっ。そうですね。ついつい、お節介を焼きたくなります」
手で口元を押さえ、上品に笑うマーサはなんだか楽しそうだった。
「さて────お話はこの辺にして、身支度を整えましょうか。早くしないと、朝食に遅れてしまいます」
そう言ってこちらへ歩み寄ってくると、マーサは私の手を取る。
そこに迷いはなく……まるで当然のように振る舞っていた。
皇城で働く侍女達は、私に触れることすら嫌がっていたのに。
仮に触ることになったとしても、早く接触を終わらせるために力いっぱい押したり、思い切り引っ張ったりするだけ。
こんな風に優しく、触れられたことはない。
「マーサは優しいね」
「あら、そんなことはありませんよ。これでも、昔はヤンチャをしてたくさん怒られたものです」
『山を真っ二つにした時は二十年ほど封印されました』と言いながら、マーサは私の手を引く。
促されるままソファから立ち上がった私は、マーサの案内で浴室に来た。
「それでは、ちょっと失礼しますね」
私の手を離したマーサはその場に跪くと、服やアクセサリーを取り外す。
そして、あっという間に裸になった私を連れて、浴槽へ近づいた。
かと思えば、私の腰に手を差し込み、そっと持ち上げる。
『あぁ、お湯に落とされるのか』と察した私は、咄嗟に身構えるものの……中へ、そっと下ろされるだけだった。
なんとも拍子抜けする展開に、一人呆然とする。
お風呂って、痛みを伴うものじゃないの?今のところ、暴力もなければ暴言もないけど。
「小さな奥様、湯加減はどうですか?」
「湯加減……?」
「お湯の温度は丁度いいですか?という意味です」
腕捲りしてこちらを見下ろすマーサは、『人間の適性温度がよく分からなくて……』と零す。
『やっぱり、少し熱いかしら?』と悩む彼女に、私はコテリと首を傾げた。
「今まで聞かれたことないから、分からない」
「あらあら……そうでしたの。では、これから丁度いい温度を探していきましょう」
『今は時間の関係で無理ですけど』と言いつつ、マーサはお湯に手を入れる。
「今の温度は四十二度くらいですかね……まあ、死にはしないと思うので、今日はこれで行きましょう」
「分かった」
直ぐさま首を縦に振る私に、マーサはニッコリと微笑み、石鹸を手に取った。
かと思えば、優しい手つきで髪や体を洗っていく。
手で擦って出来た泡を体に塗っているため、痛みはなかった。
皇城の侍女達は、石鹸本体を力いっぱい押し当ててきたのに……マーサは何でも丁寧にやってくれる。
「小さな奥様、痒いところはありませんか?」
「ない。気持ちいい」
「うふふっ。それは良かったです」
嬉しそうに頬を緩めるマーサは、足でも脇でも嫌がらずに触ってくれる。
爪の間や耳の裏など、細かいところも同様に。
マーサは私のこと『臭い』とか、『汚い』とか思わないのかな?
「さあ、奥様。泡を流しますので、目を瞑っててくださいね」
お湯の入った桶を手に持つマーサは、『直ぐに終わりますからね』と言う。
特に抵抗する理由もないので大人しく目を閉じると、頭上からお湯が降ってくる。それも大量に。
まさかの事態に戸惑うものの、直ぐに終わり、ポタポタと垂れる水滴の音だけが残った。
「お疲れ様でした。もう目を開けても、大丈夫ですよ」
マーサの優しい声に促され、私はおずおずと目を開ける。
すると、そこには泡のせいで少し白くなったお湯と綺麗になった手足があった。
勢いよくお湯を掛けてもらったおかげで、泡は全て流れたらしい。
『こういうやり方もあるんだ』と衝撃を受ける私は、パチパチと瞬きを繰り返した。
「マーサは凄いね」
「あら、そんなことはありませんよ」
「ううん、凄いよ。だって、お湯に体を沈めなくても泡を洗い流せるんだから」
『謙遜しなくていいよ』と主張する私に、マーサは目を見開いて固まる。
先程までの笑顔が嘘のように凍りつき、焦りと不安を表に出した。
予想と違う反応を示すマーサに、私は『あれ?』と不思議に思いつつも言葉を続ける。
「皇城で働く侍女達はみんな私の後頭部を押さえつけて、お湯に沈めていたよ。だから、苦しくない方法を編み出したマーサは凄いと思う」
「……」
素直に称賛する私に対し、マーサは無言を貫いた。
まるで何かを堪えるように俯き、震える手をギュッと握り締める。
どうしたんだろう?私、何か変なことしちゃったかな?
「ごめん、マーサ。気を悪くしたなら、謝る。それでも、気が収まらなければ私を殴ったって……」
「────私は奥様を絶対に傷つけません!」
『殴ったっていいよ』と続ける筈だった言葉を遮り、マーサは叫んだ。
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