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第二章

匂い

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◇◆◇◆

 ────サミュエル殿下の護衛を務めた次の日。
私はあれだけ雨に当たったのに体調を崩すことなく、出勤。
ミリウス殿下の護衛へ戻り、廊下でディラン様と顔を合わせた。

「ディラン様、昨日は洋服を貸していただき、ありがとうございました」

 帰宅する際、『さすがにその格好じゃ帰せない!』と引き止められたことを思い出し、私はお辞儀する。
もし、あのまま帰路についていたら風邪を引いていたかもしれないため。
『幸い、帰る頃には雨が止んでいたけど』と思案しつつ、アメジストの瞳を見つめた。

「洋服は洗って、お返ししますね」

「いや、そのままでいいよ」

「そういう訳には、いきません」

 『汚したものを洗わず返すなんて、出来ない』と主張し、私はブンブンと首を横に振る。
が、ディラン様は納得いっていない様子。なんだか、不満そうだった。

「でも、洗ったら匂いが……」

「匂い?もしかして、何かこだわりでもあるんですか?」

 『そういえば、あの服いい匂いしたな』と思い返し、私は顎に手を当てる。
あの匂いを気に入っているなら、下手に手を出さない方がいいんじゃないかと思って。
洗えば、当然ソレは薄まるから。

「その、こだわりというか……君の……いや、何でもない。だけど、洗わず返してほしい」

 匂いというのはデリケートな事柄だからか、ディラン様はあまり多くを語らなかった。
でも、何となく重要なことなのは理解出来る。

「分かりました。では、乾燥だけしてお返ししますね」

「本当?嬉しい。ありがとう。大事にするね」

 珍しく声を弾ませ、ディラン様はゆるゆると頬を緩めた。
アメジストの瞳に歓喜を滲ませる彼は、すっかり上機嫌となる。
が、何かを思い出したかのようにハッとした。

「あっ、そういえば昨日聞きそびれちゃったんだけど……」

 おずおずといった様子で話を切り出し、ディラン様はこちらの顔色を窺う。
どこか気遣わしげな視線を送ってくる彼の前で、私は小首を傾げた。
その瞬間、ミリウス殿下の寝室の扉が開く。

「やあ、二人とも。待たせたね」

 ニッコリ笑って、姿を現したのは他の誰でもないミリウス殿下だった。
どうやら、朝の身支度が済んだらしい。

「今日はこのまま、執務室へ行こうか」

 『陛下が居ないなら、無理して朝食の席に行く必要はないんだ』と語り、ミリウス殿下は歩を進めた。
私もディラン様もそのあとに続き、この場を後にする。

 ディラン様の聞きそびれちゃったことって、結局何だったのかしら?

 ミリウス殿下の登場により遮られた会話を思い出し、私は少し悩む。
今、ここで詳細を尋ねていいものなのか?と。
『人前だと、言いづらい話題だったら……』と思案する中、執務室へ辿り着き、中へ入る。

「さてと────では、報告を聞こうか」

 ミリウス殿下は執務机に片手を置き、こちらを振り返った。
恐らく、サミュエル殿下の護衛の件を聞きたいのだろう。
『とりあえず、怪我はなさそうで安心したけど』と述べる彼を前に、私は迷いを見せる。

「あの、私には守秘義務が……」

 相手が悪人とはいえ、護衛中の出来事をペラペラ喋るのは規則違反に当たる。
あまり褒められた行為じゃなかった。

「グレイス卿は相変わらず、真面目だね」

 まさか報告を渋られるとは思ってなかったのか、ミリウス殿下はやれやれと肩を竦める。
が、怒ったり嘆いたりすることはなかった。
『逆に好感が持てるよ』と言いつつ、彼は執務机に少し寄り掛かる。

「じゃあ、皇太子命令ということで喋ってくれないかな?君は今、私の部下なんだから言うことを聞かない訳にはいかないだろう?」

 『責任はこちらで取る』と明言し、ミリウス殿下は情報提供を再度呼び掛けた。
きちんと道理を通そうとする彼の前で、私は

「確かに上官の命令は無視出来ませんね」

 と、納得を示す。
と同時に、顔を上げた。

「では、サミュエル殿下の護衛の件を報告します」

 そう前置きしてから、私は昨日あった出来事を細かく説明。
と言っても、最初の会話以降はほとんど関わらなかったため、大した情報などないが。

「なるほど……グレイス卿を引き抜きに来たのか」

「多分、殿下の暗殺に使えると判断したんでしょうね」

 神妙な面持ちでこちらを見つめるミリウス殿下とディラン様は、小さく息を吐く。

「何ともサミュエルらしい考えだね」

「短絡的すぎて、いっそ清々しいです」

 『何故、上手くいくと思った』と呆れ、二人はかぶりを振った。
かと思えば、互いに顔を見合わせる。

「まあ、それだけキッパリ断ればさすがのサミュエルも諦めるだろう。少なくとも、次の接触はないと思う」

「下手に関わって、こちらに警戒されるのは避けたいでしょうし」

 『慎重にならざるを得ない』と考え、ミリウス殿下とディラン様はどちらからともなく頷き合う。

「とりあえず、監視だけして放置しようか」

「今は狩猟大会の準備で、手一杯ですからね」

 『あちらに構っていられる暇など、ない』と主張し、二人はさっさと気持ちを切り替えた。
と同時に、各々仕事を始める。
なので、私もそれに続いた。

 今日は襲撃、あるかしら?昨日は幸い、なかったみたいだけど。

 などと思いつつ、私は警戒を怠らないよう務める。
────そして、結局何事もなく終わった。
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