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第一章

トラウマ《ディラン side》

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◇◆◇◆

 ────今から、十二年前の冬のこと。
僕は椅子に縛り付けられた状態で、ひたすら恐怖と不安に耐えていた。
目元を布に覆われている関係で、いつ何をされるのかも分からない状況だったから。
ちょっとした物音や鳥の鳴き声にも、敏感に反応を示していた。

 いつになったら、この悪夢は終わるのだろう……?まさか、一生続くのかな……?

 心細いなんて言葉じゃ言い表せないほどの孤独感を抱えながら、僕は寒さに震える。
鼻の奥がツンとする感覚を覚えつつ、唇を強く噛み締めた。

 やっぱり、自力でどうにかしないとダメだ。
あれからもう一週間以上経つのに、助けが来ないなんておかしい。
普通の誘拐なら、フラメル公爵家があっさり居場所を割り出し、一網打尽にしている筈だから。

 『相手はかなりの手練れに違いない』と思い、指先から魔力を出した。
まだ魔術は簡単なものしか習っていないが、この拘束を解くくらいは出来る。
『問題は手元を見ずに描けるかどうかだけど、やるしかない』と判断し、慎重に魔力を動かした。
その瞬間────全身に強い衝撃と痺れるような痛みが走る。

「あぁぁぁあああああ!!!!」

 堪らず叫び声を上げると、目の前に誰かがやってくるような気配を感じた。

「おいたはいけませんよ。手首を切り落とされたくなかったら、大人しくしていてください」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、とても低い声……おまけに口調は淡々としていた。
それだけで、相手は本気なんだと分かる。

「わ、分かった……!分かったから!大人しくしている!」

「聞き分けのいい子で、助かりました。貴重なサンプルを無闇に傷つけるのは、私も気が進まないので」

 『まあ、いざとなったら魔術で治せますが』と零しつつ、誘拐犯はそっとこの場を離れる。
徐々に遠ざかっていく気配を前に、僕は安堵の息を吐いた。
が、直ぐに身を強ばらせる。
だって、首筋に何か……生物の息遣いを感じたから。

 人間……じゃない。これはどちらかと言うと……獣、のような……?

 嫌な予感を覚え、僕は『はっ……はっ……』と短い呼吸を繰り返した。
全身の毛が逆立つような不快感とナイフを突きつけられたような恐怖心が駆け巡る中、首筋に何かが触れる。

「お仕置きも兼ねて、今回は寄生型の魔物を数日貴方に取り憑かせます。ちょっと苦しいでしょうが、研究のために協力してください」

 その言葉を合図に、寄生型の魔物は皮膚を食い破り中へ入ってきた。
刺すような痛みと何とも言えない異物感に身を捩り、僕は

「嫌っ……嫌だ!」

 と、叫ぶ。
でも、誘拐犯はクツリと笑うだけで一切止めようとしなかった。

 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……!!!
誰か……助けて!!!
この地獄から、引っ張り出してよ……!!!お願いだから……!!!

 誘拐されてから幾度となく魔物の血や肉を摂取されられていたが、こんな風に生きた魔物を使うことはなかったため半ばパニックになる。
『僕が一体、何をしたんだ……!?』と泣き叫び、かぶりを振った。
が、寄生型の魔物はまるでヒルのように吸い付いて離れす……それどころか、どんどん中へ入ってくる。
やがて全身体内に収まったのか、右腕の方へ移動していく動きを感じ取った。

 気持ち悪い……気持ち悪い!

 おぞましいの一言に尽きる所業に、辟易していると

「さあ、今度は注射の時間ですよ」

 と、誘拐犯に言われた。
もういっぱいいっぱいだった僕は、『まだ何かあるの……?』と絶望する。
目の前が真っ暗になるような感覚を覚える僕の前で、誘拐犯は服の袖を捲った。
『珍しい魔物の血が手に入ったんですよ』と口にしながら針を突き刺し、中身を注入していく。
その途端、心臓が大きく脈打ち……とんでもない苦痛を味わった。

「う~ん……まだ魔物化は無理そうですね。理論上は可能な筈なんですけど……魔法発動の素振りもないし、やはり魔物を掛け合わせるだけじゃ不可能なんでしょうか?」

 『何が足りないんでしょう?』と唸り、誘拐犯はそっと僕の肩に手を置く。

「まあ、なんにせよ実験あるのみですね」

 ────という言葉の通り、誘拐犯はひたすら僕の体をいじくり回した。
息をつく暇もないほどに。
おかげで、時間の感覚も狂ってきて……誘拐されてから何日経ったのか、も分からなくなってきた。
連日続く実験のせいか鈍ってきた痛覚に、僕は『嗚呼、本格的に壊れてきたな』と悟る。
どこか他人事のように自分の現状を捉える中、誘拐犯が

「もっとサンプルが欲しいですね。今のままだと、データとして心許ない。何か比べる対象があればいいのですが……」

 と、言い出した。
更なる犠牲者を出そうとしている誘拐犯に、僕はピクッと反応を示す。
死にかけていた心が揺れ動き、僕を現実に引き戻した。

「とはいえ、普通の人間じゃ意味がない。ある程度、貴方と近しい人間じゃないと……そう、例えば────血の通った家族、とか」

「!!」

 反射的に顔を上げ、僕は数秒ほど放心した。
尊敬している兄や両親を脳裏に思い浮かべ、『もし、彼らも同じ目に遭ったら……』と想像する。
その瞬間、消えかかっていた自我が……激情が一気に吹き出した。

「そんなことっ……させる訳ないだろ!」

 強い衝動に駆られるまま身を乗り出し、僕は『ふざけるな!』といきり立つ。
そして、気がつくと────ここら一帯を焼け野原にしていた。
誘拐犯は逃げたのか、それとも死んだのか……ここには居ない。

「僕は一体、何を……?」

 途中から記憶が曖昧で、どのようなことをしたのか覚えておらず……僕は困惑気味に辺りを見回す。
────と、ここで公爵家の面々が火の海を掻き分けてやってきた。
『ディラン様!』と叫ぶ彼らを前に、僕は気絶する。
恐らく、ホッとしてしまったのだろう。

 ────それから僕は公爵家へ戻り、十年ほど屋敷に引きこもった。
またどこかで攫われるのではないか、と気が気じゃなくて。
でも、このままじゃダメだと自分でも分かっていたから、積極的に魔術を習った。
恐怖トラウマを克服するために。
何より、いざという時戦える手段は持っておくべきだと思ったから。
僕の場合、体を鍛えるより魔術を練習した方がずっと効果的だ。

 その甲斐あってか、グリモワールも使いこなせるようになった。
また、強さや時間に比例して恐怖も少しずつ薄れていったと思う。
自分と似たような状況に置かれたアランを見ても、取り乱さなかったのがいい証拠だ。

 そうだ。こいつを上手く守り抜き、立派に育て上げれば僕は本当の意味でトラウマを乗り換えられるかもしれない。

 ────そんな思いから、僕はアランを引き取った。
でも、それは間違いで……結果的に自分の事情へ巻き込んだだけ。
これでトラウマに打ち勝ち、アランを救い出せれば話は別だが……僕は恐怖に呑み込まれてしまった。
結局、あの頃から何も成長していない。
ただ恐怖を忘れていただけに過ぎないのだ。
我が身可愛さに二の足を踏む中、僕はひたすらグレイス嬢の活躍を見守る。

 彼女は本当に凄いな……弱虫の僕とは、全然違う。

 『これが本当の強さか』と実感していると、アルカディアが爆発を引き起こす。
その瞬間、グレイス嬢は大きく剣を振り、風圧で爆風と爆炎を相殺した。
が、掻き消せたのはあくまで一部のため、周囲は爆発の影響をもろに受ける。
その結果、魔塔建物は崩れ……二次被害を負う羽目に。

「アランくん、じっとしていてくださいね。ディラン様、失礼します」

 剣を鞘に収め、こちらへ手を伸ばすグレイス嬢は軽々と私を担ぎ上げた。
既にアランを抱えている状態だというのに。

「お二人とも、舌を噛まないように」

 その言葉を合図に、グレイス嬢は崩壊していく建物の中で動き回った。
時に、瓦礫を利用しながら。
そして、何とか外へ出ようと画策するものの……重量の関係で足場に出来る場所は限られている上、両手も塞がっている。
脱出は困難を極めているようだ。

 彼女一人なら、何とかなるだろうに……ここで誰も見捨てないあたり、彼女らしい。

 『本当に優しい人だ……』と痛感する中、グレイス嬢は邪魔な瓦礫を蹴り飛ばして突破口を開く。
完全倒壊までもう一刻の猶予もないため、彼女はその僅かな隙間に僕達を投げ入れた。
そして、最後に自分が通る。
が、ギリギリ間に合わなかったようで瓦礫の間に足を引っ掛けた。
その瞬間────グレイス嬢は迷わず、足首を切り落とす。

「お二人とも、動かないでくださいね」
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