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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
私は昔から、双子の妹のルーシーに何もかも奪われてきた。
我が妹は蝶よ花よと愛でられ、甘やかされて育ったお姫様。
不自由なんて言葉はあの子には似合わない。
だって、あの子が望めば、なんでも手に入るから。
何か悪いことをしてしまっても、「ごめんなさい」と謝れば大抵許される。
ルーシーはそんな子だ。
まあ、でもそれは仕方ない。
だって、ルーシーは可愛いから。
緩く巻かれた栗色の長髪に、エメラルドを連想させる大きな緑の目。
小柄だけれど程よくふっくらしていて、男性に好まれる体形をしている。
ルーシーは、まさに『可愛い』の集合体だ。
そんな可愛い双子の妹に比べ、姉の私――ノーラは酷く醜い姿をしている。
頑固なくらい真っ直ぐな暗めの茶髪に、妹と同じ翠玉の瞳。
体形は痩せ気味で、胸もそこまで大きくない。
地味な顔立ちから、社交界で陰口を叩かれることもあった。
自分が醜いのは自覚していたし、周りになんと言われようが気にしない。
正直、外見の善し悪しに関してはもう諦めていた……
けれど、世の中は無情で、外見のいい者は悪い者から搾取されるらしい。
美しい服やアクセサリーなどはもちろん、両親の愛や婚約者まで……私はずっと可愛い妹に奪われ続けてきた。
――あれは、私たちの五歳の誕生日パーティーのとき。
両親は、私にクマのぬいぐるみを、ルーシーに可愛らしいウサギのポーチを、それぞれプレゼントしてくれた。
どちらのプレゼントも特注品で、クマのぬいぐるみには宝石つきのリボンが、ウサギのポーチには隣国から取り寄せた動物の毛皮が使われていた。
言うまでもなく、これらのプレゼントは最高級品。
クマのぬいぐるみを抱き締めて大喜びする私に、ルーシーは早くも欲深さの片鱗を見せる。
『ねぇ、お姉様――そのクマのぬいぐるみ、私にちょうだい?』
『えっ……?』
ルーシーは私に片手を差し出すと、コテンと可愛らしく首を傾げ、無邪気な笑みを浮かべた。
交換ではなく、譲渡……それも、もらったばかりの誕生日プレゼントを……
常識的に考えて、ありえないおねだりだろう。
たとえ、それが愛らしい妹であったとしても。
だから、私はきっぱりと断ることにした。
『嫌よ。このクマちゃんは私がもらったんだもの!』
『嫌……? どうしても?』
『ええ』
当然のようにおねだりを拒むと、彼女はクシャッと顔を歪める。
そして――その美しいエメラルドの瞳から、大粒の涙を流し始めた。
『うわぁーん! なんでぇぇぇえぇ! 私もクマさん欲しいよぉ!』
ルーシーはその場で蹲り、わざとらしく大声で泣き喚く。
そんな妹の泣き声を聞いて、両親が私たちのもとへ駆け寄ってきた。
『嗚呼、私の可愛いルーシー! 可哀想に、こんなに泣いて……一体何があったんだい?』
『お姉様がクマのぬいぐるみを譲ってくれないのぉ! 私もクマさん欲しかったのにぃ!』
駄々を捏ねるルーシーを見て戸惑う父に続いて、母も声をかけた。
『あらあら……じゃあ、ルーシーちゃんには今度別のクマさんを買ってあげるわ。だから、あのクマさんは諦め……』
『いやぁぁぁぁぁ! あのクマさんがいいの!』
イヤイヤと首を横に振るルーシーに、両親は困り果ててしまう。
以前からルーシーに甘い父と母は一言二言言葉を交わしたあと、父がルーシーを抱っこしてこちらに近づいてきた。
この時点で私はわかっていた――両親が出した結論を。
『ノーラ、すまないが、そのぬいぐるみをルーシーに譲ってくれないか? お前にはあとで、別のものを用意してやるから』
『お願いよ、ノーラ。あなたはお姉ちゃんでしょう? ルーシーのために我慢してあげて』
私が抱きかかえるクマのぬいぐるみに、母が手を伸ばす。
『お願い』と言う割に、私には他に選択肢がないように思えた。
お姉ちゃんだから我慢しなさい、ね。
双子の私たちに、大して差はないのに……
私はルーシーより数分早く生まれてきただけなのに……
たったそれだけの違いなのに、私は『姉』というだけで我慢しないといけないのね……
早くもこの世の中の理不尽さに気がついた私から、母はクマのぬいぐるみを取り上げた。
大切なクマのぬいぐるみは、母の手から妹に渡った。
『ほら、ルーシーちゃんの大好きなクマさんよ~!』
『わあ! クマさんだぁ! ありがとう!』
明るい声をあげるルーシーに、父も嬉しそうに笑った。
『ははっ! ルーシーの機嫌が直ってよかったよ』
クマのぬいぐるみを手に入れたことですっかり機嫌をよくしたルーシーは、溢れんばかりの笑みを振りまく。
その笑顔は天使のようだが、私の目には妹が悪魔のように映った。
笑顔で私のものを奪っていく妹も、私のものを横取りした妹を責めない大人も、妹中心で回っているこの理不尽な世界も……何もかも怖い。
でも、こんなことは、悪夢の始まりに過ぎなかった。
――王立アカデミーに入学してから、初めての冬休みのこと。
この王国の貴族は十二歳になると王立アカデミーに入学することが決められている。
私もルーシーも、十二歳の四月から王立アカデミーに通っていた。
当時、私には婚約者がいた。
婚約者の名はダニエル・シュバルツ公爵令息。
シュバルツ公爵家の次男で、私の愛する人。
政略結婚が一般的な貴族社会で、私とダニエル様は珍しく、お互い想い合っての婚約だった。
順調に進めば、十五歳の年にアカデミーを卒業すると同時に、結婚する予定だった。
妹に奪われるばかりの人生において、ダニエル様との婚約は私の唯一の幸せだった。
だから――彼に裏切られるなんて、私は予想もしていなかった。
『――すまない、ノーラ。君との婚約を白紙に戻して欲しい』
冬休みのある日、約束もなしに突然屋敷を訪ねてきたダニエル様に、私は婚約解消を言い渡された。
その傍らには、勝ち誇った表情を浮かべる妹の姿がある。
ここ数年でさらに美しくなった我が妹は、ダニエル様の隣に堂々と立っていた。
あぁ、なるほど……この子はまたしても私の幸せを奪っていくのね……
そう思って呆然とすることしかできない私を、ルーシーは涙で潤んだ目で見る。
『ごめんなさい、お姉様……本当はこんなことダメだってわかってるけど、どうしても気持ちを抑えられなくて……。お願い! 私とダニエル様のために身を引いて!』
『私からも頼む! 私とルーシー嬢は心から愛し合っているんだ!』
『……』
ダニエル様は私を愛していると言った唇でルーシーに愛を吐き、私を優しく抱き締めてくれた手でルーシーに触れている。そのときはまだ一応、私たちは婚約者同士だったというのに……
彼の無神経な行いのせいか、怒りすら湧いてこなかった。
私は頭の中で、ぼんやりと考えた。
なんだか、この状況って、以前見たロマンス小説に似ているわね。
真実の愛を見つけた主人公とヒロインが、主人公の婚約者に許しを乞うシーンも、確かこんな感じだったはず……
差し詰め、私は主人公に執着する悪役令嬢ってところかしら?
悪いのは完全に主人公側なのに……悪役は私なのね。
そう思うと、私の口からは自嘲にも似た笑みが漏れた。
『……わかったわ。婚約解消に応じてあげる。どうぞ、お幸せに』
私は二人の恋愛を祝福してあげた――零れそうになる涙を堪えながら。
嗚呼、なんて惨めなんだろう? 妹に婚約者を……愛する人を、まんまと取られるなんて……
でも、しょうがない。
だって、妹はすごく可愛いから。周りの者たちに深く愛されているから……
だから、しょうがないの。何もかも。
この理不尽な世の中に、改めて私が絶望する中、妹ルーシー・オルティス伯爵令嬢と、元婚約者ダニエル・シュバルツ公爵令息の婚約が発表された。
その後も、私はルーシーに様々なものを奪われた。
子供の頃はまだ優しかった両親も、私たちが成長し、明らかに見た目に差がついてからは、ルーシーだけを可愛がり始め、私には見向きもしなくなった。
ルーシーは可愛いから仕方がないと思った。
それに――私には聖女という特別な地位と権力がある。
聖女とは聖魔法に秀でた才能を持つ女性に贈られる称号で、国王もしくは前代の聖女から任命される。
私の場合は、国王陛下に任命されて、この地位と権力を得た。
私は生まれつきの魔力量がかなり多かった上、聖魔法との相性も抜群だったからだ。
この国に恵みを与えてくれる精霊との意思疎通ができ、契約も交わしている。
国王はそんな私を手放したくなくて、聖女という座を与えたのだ。
私にとって、聖女とは誇りであり、唯一のプライドだった。
だから――
「ねぇ、お姉様。私に聖女の座をちょうだい?」
そのルーシーの言葉に、息が詰まるかと思った。
今は、私と妹の十六歳の誕生日を祝うパーティーが行われている。当然ながら、人の目がある。
しかも、この場にいる人たちはみんな妹信者ときた。
どう考えても、今の私に逃げ道はない。
――ルーシーは、昔からそうだった。
わざと人の目につく場所で私に強請る。あれが欲しい、これが欲しいと……
変なところで頭が回るのか、ルーシーは私と二人きりのときに何かを強請ろうとはしない。絶対に誰かがいるところで可愛くおねだりしていた。
そうすれば、私が断れないとわかっているから。
その可愛らしい顔に愛らしい笑みを浮かべながら、私から全てを奪っていく。
どこまでも無邪気に……どこまでも貪欲に……まるで、自分は悪くないみたいに……
『ねぇ、お姉様――ちょうだい?』って……
それで私がどれだけ傷ついているかも知らずに。
私が断ったとしても、周りから口を挟まれ、結局は彼女に奪われるのだ。
なんて不平等な世界なのだろう?
この世に『平等』なんて存在しないのはわかっていたけれど、これはあんまりではないか。
聖女は私の誇りで、唯一のプライド。
この子はそれさえも、私から奪い取ろうというの?
もうあなたの手には、溢れそうなほど、多くのものがあるというのに、まだ足りないというの?
また私から奪っていくの……?
妹の貪欲さには、目眩すら覚える。
何も言えずにいる私に、ルーシーは追い討ちをかけるように言葉を重ねた。
「ねぇ、お姉様、お願い~! ダメ? やっぱり、私には聖女なんて務まらないと思ってる?」
……ええ、思っているわ。だって、あなたは飽き性じゃない……
昔、私から奪ったクマのぬいぐるみを、一日で遊び飽きて捨ててたじゃないの……
服やアクセサリーだって、そう。
私から奪った婚約者だって、もう飽きかけてるじゃない。
飽き性のあなたが聖女の務めを毎日こなせるとは思えないし、まずあなたにはその素質がない。
あなたは魔力量が人より少ない上、聖魔法との相性は最悪。
簡単な洗浄魔法すら使えないくせに、聖女だなんて……幾らなんでも無理があるわ。
そう心の中で思いながら、溜め息をつく。
――でも、忘れてはいけない。
ここがルーシーの庭であり、周りの人間は美しい花に魅了された蝶であることを……
多少無理のあるお願いでも、それが花のお願いなら、蝶たちは喜んで助太刀する。
――多くの者を魅了し、愛される高嶺の花は、クスリと笑みを漏らした。
「ルーシー嬢なら、お前みたいな醜い女よりも完璧に聖女の務めを果たす」
「ルーシー様の足りないところは、みんなでサポートすればいいわ」
「お前みたいな醜い女は聖女じゃない。ルーシー嬢こそ、聖女に相応しい」
ルーシーの取り巻きから吐き出される悪意と皮肉が入り交じった言葉は、耳障りな騒音のようで、気分が悪い。
何故、私が悪者扱いされなければいけないのか、不思議でしょうがない。
悪いのは明らかにルーシーのほうなのに……
身の丈に合わない地位と権力を欲した愚者を、何故皆は責めないんだろう?
冷静に考えてみればわかることなのに……何故いつも責められるのは私なのだろうか?
そう思ったとき、プツンと何かが私の中で切れる音がした。
――嗚呼、もうなんか、全部どうでもいいわ。
この盲目的な人々も、卑しい妹も、傍観する家族や元婚約者も……全部どうでもよくなった。
そうだ――もう全部捨ててしまいましょう。
貴族という身分も、家族も、聖女の座も……全て捨ててしまおう。
一度全部手放して、また新しい地で一からやり直そう。
ここにこだわる理由は、何一つないのだから。
そう決めてしまうと、不思議と気分がよくなった。
今までいろいろ悩んでいたことが嘘のように、心が軽い。
もっと早く、こうすればよかった。
過去の自分が愚かすぎて、笑いが込み上げてくる。
顔を俯け肩を震わせる私をどう勘違いしたのか、ルーシーは慌てて駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、お姉様。泣かせるつもりはなかったの。でもね? 聖女の役割はお姉様には重いかなって思って……みんなも私が聖女になったほうがいいって言ってるし……ねっ?」
聞き分けのない子供を優しく諭すように、ルーシーは柔らかい口調で語りかけてくる。
けれど、その言葉の端々から、隠しきれない欲望が滲み出ていた。
そうよね。あなたは私から全てを奪わないと気が済まない子だものね。
だから――あなたのお望み通り、私の持っているもの全部あげるわ。
どうせ、捨てるものだからちょうどよかった。
私はニンマリと口元を歪めると、俯けていた顔をスッと上げる。
私が泣いていると思っていたルーシーは、満面の笑みを浮かべる私に心底驚いていた。
「いいわ――可愛いだけの無能な妹に、聖女の座を譲ってあげる」
ありったけの嫌みを込めた返答に、ルーシーは顔を真っ赤にする。
「な、なっ……!? 無能ですって!?」
唾を飛ばさんばかりの勢いで憤慨するのは、多くの人に愛でられる高嶺の花。
あら? 無能である自覚があったのね。
あなたのことだから、自分が無能であることにすら気づいていないのかと思っていたわ。
私が考えていたより、賢いのね。
無能な妹を嘲っている私の内心を読み取ったのか、ルーシーの怒りはさらにヒートアップする。
「私は無能なんかじゃないわ! っていうか、なんなの? いきなり生意気なのよ! 醜い姿のお姉様のくせに、どういう心境の変化なのよ!?」
「生意気だなんて、あなたに言われる筋合いはないわ。心境の変化に関しては、そうね……全てを捨てる覚悟ができたから、かしら? 聖女の座も家族も可愛い妹も、全部捨てる決断をしたの。そうしたら……ビックリするほど、体が軽くなったわ」
「な、はっ……!? 捨てる……?」
「うふふっ。そうよ? 捨てるの。私は一度全部捨てて、新しい地で一から始めるわ」
キッパリと全て捨てると宣言した私に、ルーシーは酷く驚いた様子だった。馬鹿みたいにポカーンと口を開けて、呆然としている。
その間抜けな顔は、なかなか面白いわね。
「あぁ、でも私の大切なお友達は連れて行くわよ? あと、この国全体にかけていた聖魔法の結界も解くわ」
私が思い出して言うと、ルーシーは首を傾げる。
「と、友達……? 結界……?」
「あら、知らないの? あなた、仮にも私の妹でしょう?」
本当にこの子は、興味がないことに関しては何も知らないのね。この話は結構有名なのに……
私は思わず、内心で溜め息をついた。
私が言うお友達とは、精霊のこと。
この国は精霊のもたらす恩恵と加護で栄えている。
そして、人に害をなす、邪悪な存在――魔物からこの国を守る役割を、聖女である私が担っていた。
聖魔法による結界――聖結界は魔を寄せつけないためのもので、魔物が無理に近づけばその体は浄化され、消えてしまう。
この国が魔物の脅威から守られていたのは、聖結界を扱う聖女のおかげ。
それすらも知らずに『聖女になりたい』と強請ったのなら、かなりの大馬鹿者ね。
下調べくらいしておくのが普通でしょう。まあ、これくらい知っていて当然なのだけれど……
むしろ、知らないほうが驚きよね。世間知らずのお嬢様なんてレベルではないわ。
私はお馬鹿な妹に心底呆れ、「はぁ……」と深い溜め息をついた。
そんな私の態度が癇に障ったのか、ルーシーはキッとこちらを睨みつけてくる。
それはそれは、ものすごい形相で……
私はそれを受け流すように、口を開く。
「まあ、知らなくても大丈夫よ。そのうち、嫌ってほどわかるから」
「はっ? それって、どういう意味……?」
「どうしても気になるなら、自分で調べなさい。私が教える義理はないわ」
「なっ……!?」
私の淡々とした態度にルーシーはムッと顔を顰めた。せっかくの可愛いお顔が台無しね。
どんなに優れた容姿を持とうとも、中身がこれでは可愛さも半減するというもの。
醜い心を持つルーシーを見ていると、中身がどれだけ大事なのかよくわかる。
まあ……この子の顔を見ることはもう二度とないのだけど……
私は可愛い妹の顔を一瞥し、契約している精霊の名を呼んだ。
「――ジン、ベヒモス」
契約した精霊の名を呼ぶと、彼らは瞬時に召喚に応じた。
魔力を乗せた声は、国のどこかにいた彼らにしっかり届いたらしい。
私の足元に、二つの魔法陣が浮かび上がる。
そして、淡い光を放つ魔法陣から、二体の精霊が姿を現した。
「ノーラ、呼んだー?」
「ノーラ……キタ……ナニ、スル……?」
スラスラと人の言葉を喋る、手乗りサイズの小人は、風の精霊のジン。
蝶々によく似た羽を背中から生やし、クルクルと私の周りを飛び回る。
体は小さいジンだが、その力は絶大だ。
彼は四方を砂漠で囲まれたこの国――プネブマ王国に季節を運び、雨を降らせ、心地よい風を吹かせている。この国が水不足になっていないのも、彼のおかげだ。
そして、もう一人の精霊がベヒモス。
彼はゾウの姿をしているが、本物のゾウより小さく、牛くらいの大きさだ。
ベヒモスは土の精霊で、国内の砂漠を良質な土に変え、作物が育つようにした国の大恩人である。ベヒモスがいなければ、この国はこんなにも豊かにならなかった。食料輸入のために金を取られ、財政がかなり厳しくなっていたことだろう。
プネブマ王国がこの地で発展できたのは二人のおかげなのだ。
ジンとベヒモスは数百年前からずっとこの地にいて、プネブマ王国を守護してきた大精霊。
子供のように無邪気で自由奔放な精霊が、特定の地に居座り恩恵をもたらすのは、大変珍しいことだ。そもそも、精霊国から出てくる精霊だって、そんなに多くない。
ジンとベヒモスがプネブマ王国に力を貸してくれたのは単なる気まぐれでしょうが、自然の恵みとは縁遠い王国にとって、二人の手助けはなくてはならないものだった。
ただ、二人の力も完全なものではないため、そこまで国を栄えさせることはできなかった──私と契約するまでは。
精霊は人間と契約することで、その真価を発揮する。契約主の魔法力が優れていれば、いるほどに……
自分で言うのもなんだけれど、私は聖女に選ばれるほどの実力を持っているため、二人の真の実力を引き出すことができた。
プネブマ王国がこの短い間に一気に発展したのも、ジンとベヒモスが私と契約を交わした影響だった。
これまで一緒にこの国を豊かにしてくれたジンとベヒモスに、私は覚悟を決めて口を開いた。
「この前話していた、精霊国に移住する件だけど……謹んでお受けするわ」
「えっ!? 本当!? いいの!?」
「ホン、トウ……?」
私は驚くジンとベヒモスに大きく頷き、己の気持ちを伝える。
「ええ、本当よ。ルーシーのおかげで、この国を捨てる決意ができたから」
私は以前から、ジンとベヒモスに『精霊国に来ないか?』と移住の話を持ちかけられていた。
私の境遇を知っている彼らは、私をなんとかこの国から出そうと必死だったのだ。
でも、私はその話を拒んできた。
この国を……いや、聖女という座を捨てきれなかったから。
けれど、ルーシーのおかげで捨てる決意ができた。
ねぇ、ルーシー……今回だけはあなたにお礼を言うわ。ありがとう。
私に捨てる決意をさせてくれて……本当に感謝しているわ。
私はジンとベヒモスを物珍しそうに眺めるルーシーを一瞥し、彼らに向き直る。
「――私を精霊国に連れて行ってちょうだい」
「もちろんだよ、ノーラ! 連れて行ってあげる!」
「ツレテイク……」
嬉しそうに笑う彼らからは、この国への未練は感じられなかった。
数百年もの間、ずっと守り続けてきた国だけれど、彼らは特に執着はないらしい。
「行こう、ノーラ!」
「ボクラノ……クニヘ……」
「――ええ! 行きましょう!」
私がそう返事をしたとき――精霊国への扉が開かれた。
もう後戻りはできない。ううん、後戻りなんてしない。
だって、私はきっと、この選択を後悔しないもの。
未来のことなんか誰にもわからないのに、今の私にはそう確信していた。
精霊国へと繋がる純白の扉は光り輝き、圧倒的な存在感を放っていた。
開かれた扉の向こうには、青々とした大地が広がっている。
どこまでも続く草原は、砂漠に囲まれたこの国で育った私の心を躍らせた。
「ノーラ、手を!」
「テ……ツナグ……」
ジンとベヒモスが私に手を差し出した。
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