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値札のついた愛なんて6
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むかつく。
薫は苛立ったままアイスティーを飲み干した。
指名してきたのは向こうだ。カメラマンは満足していた。デザイナーも。
薫の仕事は完璧だったはずだ。
けれども。
勘違いバンドマンが誘ってきたのを断ったら仕事が飛んだ。
誰でも相手する安いやつと見られていた。
むかつく。
アイスティーの入っていたプラスチックカップを握りつぶしゴミ箱に放り込む。
そこまで安くない。
こんな小さな仕事で寝るわけないだろ。
苛立ちに任せてゴミ箱を蹴りそうになり、まだ人の目があると思い留まる。
ああやめた。
プリンなんてやめてでっかいパフェを食べて帰ろう。
カロリー? そんなの知るか。
食べた分運動すればいい。
ここらで一番大きなパフェを出す店はどこか検索しようとスマホを手に取ると、丁度着信がある。画面には「あるが」と表示されている。
見ていたのだろうか。
そんなタイミングだった。
「なに? 俺今超機嫌悪いんだけど」
受信してすぐ、不機嫌を隠さない声で告げる。すると電話越しにくすりと笑う声がした。
「そうでしたか。では、私と気晴らししませんか?」
「は?」
なに言ってるんだこいつ。
変なやつだとは思っているが、宇宙人と会話しているような気分になった。
「美味しいものを食べれば少しは機嫌も直りませんか?」
「……今から自分の機嫌取りに行くつもりだったんだけど?」
そう、大きなパフェで。
「愚痴も付き合いますよ」
お得でしょう? とよくわからない売り込み方をされた。
「でっかいパフェ食べたい」
そう言って、大きな通りに出る。
よく見れば真坂メンタルクリニックが入っているファッションビルの近くだ。
「パフェ、ですか?」
「あるがの病院あるビルにカフェもあったよね?」
「ええ。少々お待ちください……ええっと……3つ下のフロアにジャンボパフェを取り扱っているパーラーがありますね」
カフェとパーラーの違いはよくわからない。けれどもジャンボパフェという響きはなんだかとてもそそられる。
「行く。席確保しといて」
行ったことのない店だがあのファッションビルだ。多少の混雑はあるかもしれない。
「予約を入れておきます。そのまま店で待ち合わせしますか?」
「あ、うん。俺ひとりでもいいけど」
支払いは真坂メンタルクリニック宛にと言ったらどんな反応をされるだろうか。
少しだけ、好奇心が刺激された。
「薫、意地悪を言わないでください」
ちっとも困ってすらいない声色にがっかりする。
けれども、真坂の声は心地よかった。
ああ、そうだ。パパに似ている……。
電話越しに名前を呼ばれると、嬉しい気がするのは僅かに父親と似ている部分があるからだろう。勝手にそう結論づけ、待ち合わせに同意する。
ショウウインドウに映った自分を確認すると、僅かに髪が乱れている。
素早く手櫛で直し、ファッションビルへと急いだ。
パーラーとカフェの違いはわからない。ただひとつ言えるのは、真坂が予約してくれた店はパフェパーラーだったことだ。百種類近いパフェがある。
「……すっご……え? なにこれ……俺の顔よりでかいじゃん」
写真詐欺とでも言いたくなる、巨大フルーツパフェ。
「え? あるがの顔よりもでかくね? え? これ、俺食べきれるかな……」
甘い物は別腹とは言え限度がある。
真坂はコーヒーのみを注文し、パフェを食べる気配はない。
「ふふっ、それでも一番大きな物ではないようですよ?」
真坂は壁のポスターを示す。
所謂チャレンジメニューになるのだろう。五千円と書かれたパフェは残すと罰金があるらしい。複数人でのシェアをおすすめと注意書きまである。
「バケツみたいなパフェが出てくるそうです」
「へぇ……キョーミはあるけど……今度トーヤ連れてくるかな」
冬夜は奢ると言えばなんでも食べる。これでもかと言うくらい食いだめる。その分薫も課題を手伝わせたりしているからお互い様だ。
「トーヤ?」
真坂の視線が一瞬鋭くなった気がした。
「俺の友達。ま、ガッコーでは他人のフリしてるけど。ガキの頃から一緒でさ。将来一緒にブランドやろうって」
ほら、と、試着中に撮った写真を見せる。
「こんな服とか、結構ユニセックスなデザイン多いかな? けど、婦人服も紳士服もなんでも作るよ」
「……本人の写真はないのですか?」
服の写真ばかり見せたからだろう。少し不服そうだった。
カメラロールを確認する。自撮り、自撮り、自撮り、自撮り……自分の写真ばかり出てきてしまう。
そうして随分と遡ったところで、ようやく高校の卒業式らしき写真が見つかった。
「この隣の奴がトーヤ。地味でしょ」
今でこそタトゥーに伊達眼鏡、ゴテゴテアクセのチャラ男だが、高校の時は地味な優等生だった。
「なんというか……薫とはだいぶ系統が違いますね」
「俺は唯一無二でしょ? ま、この写真見た後に今のトーマ見たらびっくりすると思うけど」
最近の写真は撮った記憶がない。
実は本物を入れる勇気がないからジャグアトゥーだということは、毎回同じ絵を描いてやっている薫だけが知っている秘密だ。
カメラロールを更に探っていると、新着メッセージがあった。冬夜だ。
「うげっ……マジ? 今から?」
あいつ一回ぶん殴る。ついでに今度パフェ奢らせよう。
薫は深いため息を吐く。
「どうしました?」
「んー、トーヤが……ちょっと問題発生したから来てくれって。ったく、道具いつも持ち歩いてる訳じゃねーっての。つーかお前が来いよ」
薫は苛立ったまま「来い」とだけ返答した。
あれ? 合鍵渡してたっけ? と考え、多少待たせても構わないかと思い直す。
タトゥー消えかかってきたからすぐに助けてくれだとか、自分で出来ないならやるなと言いたくもなる。
「問題?」
真坂の視線が鋭い。
「俺さ、メイクも得意なんだけど、ってかそれも仕事にしたいんだけどさ、時々トーヤを練習台に使ってんの。特殊メイクとか自分の顔であんまやりたくない傷のやつとかもさ。んで、特殊メイクが消えそうだから直してくれって」
エセタトゥーの補修と言わないでおいたのは薫なりの優しさだ。
「ったく、なんであるがが不機嫌になってんのさ。機嫌悪いのは俺だっての」
しかたないと、いちごソースがたっぷりかかったアイスクリームを掬い真坂の口元に運ぶ。
「特別に分けてやるよ」
「え? いえ……甘い物は……」
問答無用で突っ込めば、真坂は驚いたのか跳ねるようにして体を後ろに逃がした。
普段澄ました顔で余裕綽々な雰囲気のくせに、アイスクリームを口に突っ込まれただけでこんな反応をするのかと面白く思えた。
「……甘い……」
真坂はそのままな感想を口にしてコーヒーを飲む。
「へー、あるが甘い物苦手なんだ」
「ええ、あまり得意ではありません」
苦手という言葉は使いたくない様子だ。それがなんだかおかしくて薫は思わず声を上げて笑った。
「あるが、意外とかわいーとこあるじゃん」
「そう、ですか?」
いつもの澄ました顔のようで、僅かに困惑が滲み出ている。
「俺はそっちの方が好みかなー。だって、かわいい方がいいじゃん」
かわいさは付加価値だ。少なくとも薫はそう思っている。
「結構さ、俺の事女みたいだとか、本当は女になりたいんだろとか言う奴もいるけどさ、男がかわいいの好きでなにが悪いの? 誰にだってフェミニンな部分もあるでしょ。俺は、かわいい俺が好き。お姫様よりかわいい自信もあるけど、だからといって肉体的に女になりたいわけじゃない。あるがはそういう感覚、わかる?」
性別という枠は生物学上は必要かもしれない。けれども薫自身の精神はどちらにも収まりきらない。
精神は常に自由でいいはずだ。
「そう言った考えを持つ人がいることは理解しているつもりですが、自分自身となると……深く考えたことがありませんね。生まれ持った性別で苦悩した経験はありません」
「ふーん。てっきりあるがはこっち側だと思ってた」
美形だから。変わった名前だから。
理由はなんでもいい。
いや、たぶん、男と知って初対面の薫を口説いてきたからかもしれない。
「まあ、なんでもいいけどね」
どうせすぐに真坂の方が飽きる。
見た目がよくて、若い……次は女かもしれない。
そう思うと少し苛立った。
へんなの。真坂のごっこ遊びに付き合うだけのつもりだったはずなのに。
少しかわいいと言われればすぐに惚れてしまう。付き合っている間は相手だけに心が向いているはずだが、あまり長続きはしない。
かわいがってくれるなら誰でもいい。
たぶん、薫はそういう人間なのだ。
そう思うのに、どうしてか苛立つ。
それを誤魔化すようにパフェのいちごを発掘して口の中に詰め込む。
大粒のいちごは甘酸っぱい。
あまり考えたくはないけれど、この大きなパフェをまるごと食べ尽くしたらどれだけ運動しなくてはいけないのだろう。
一瞬そんな考えに意識が向く。
「薫? ここのパフェは好みではありませんでしたか?」
「ん? いや、美味しいけど……ただ、これ一個食べきったらどれだけ運動が必要かなって」
確か階段を九階まで上ってやっと飴ひとつ分だったはずだ。
一日くらいヤケ食いをしても問題ないと思いたいが、明日からはしっかり食事制限をしよう。体型が少しでも変われば冬夜になにこそ罵られるかわからない。それだけは薫のプライドが許さなかった。
「二日分くらいのエネルギーはありそうですね」
「やっぱ?」
自転車を漕ぐと足に筋肉が付きすぎる気がするけれど、少しの間は続けた方がいいかもしれない。
ヨガも忘れず。
ダンス教室も。
思考が乱雑になっていく。
相当苛立っている。やはり仕事が消えたことが屈辱だ。
苛々する。思わず爪を噛みそうになると、手の動きが止まった。
驚いて手を見れば、大きな手に手を掴まれていた。
「なに?」
不機嫌なまま真坂を見る。
「せっかく綺麗に整えているのに噛んでしまっては勿体ないですよ」
「……そっか」
毎日整えている。けれども、噛み癖があるのか、右手親指の爪は荒れがちだ。
つけ爪で誤魔化すこともあるけれど、やっぱり自分の爪が美しい方がいい。
真坂の視線を感じる。
これはどういう意味の視線なのだろう。
読めない。
金が目当てのやつならそれがなんとなくわかるし、コネが目当てならもう少しへこへこしている。体が目当てのやつは……もう少し違う視線だ。
そこが不思議なのだ。
口では体が目当てと言っていた真坂の向ける視線は、今までのそういうやつらとなにかが違う。
もっと別の目的があって薫を利用しようとしているのだろう。
たぶん、見合い話を断る口実とは別の目的がある。
それでも構わない。
ただ、考えが読めないことが時々不快で、けれどもそれが真坂に対する興味になる。
「あるが、トーヤにキョーミあるなら今日、うち来る?」
どういう種類の好奇心なのだろうか。
若くて好みの男を漁りたいと言うのであれば、とりあえず二度と同じ職業に就けないくらい社会的に殺してやろうと思う。
未来ある若者に支援したいと考えているのであれば……本当にそんな奴が存在するとは思えない。
たぶん薫の交友関係を把握して利用価値を探りたいのだろう。
それはそれで構わない。
たぶん、冬夜も真坂が利用できる相手か品定めするだろう。
お互い様だ。
薫はきつくなってきた胃に無理矢理パフェの残りを詰め込んでいく。
甘い物は別腹だなんて言うけれど、欲張りすぎた。
「……あるが、ちょっと手伝ってくんない?」
「え? 私……ですか?」
「他に誰がいるのさ」
本気で困惑している様子が面白い。
甘い物は苦手だと言っている人間に手伝えだなんて酷いことを言っているかもしれない。
けれども、薫はいい子ではない。
「あるが、俺の事好きでしょ?」
だったら食べてと口にすれば、溜息を吐いてスプーンを手に取る。
「仕方のない人ですね」
一瞬、笑った気がした。
けれどもすぐにいつもの澄ました顔に戻って、とても上品な仕草でパフェを食べ始める。
「甘い……」
僅かに眉を上げる。
それでも、絵になると思った。
むかつくくらいの美形。
薫はアイスティーを飲みながら、真坂を観察した。
スプーンを口に運ぶ度に不快そうな表情へと変化していく姿もどこかの貴族と言われても納得してしまうほどに様になっている。
こいつ、なんで医者やってるんだろう。
そう考え、もしもモデルだったら薫は真坂には絶対に勝てないだろうと思ってしまった。
ジャンルが違う。付加価値が違う。
言い訳はいくらでも並べられる。
けれども、かわいいで許される期間が終わってしまえば、薫の価値はどんどん下がっていく。
その後、生き残れる武器は真坂が完璧に揃えてしまっているように思えた。
不公平だと思う。
なんだって欲しい人には届かずに、それほど必要としていない人は手にしている。
また、爪を噛みそうになる。
どうして気がついたのか、真坂の手がそれを止めた。
「薫、先程のお返しです」
スプーンの上にアイスクリーム。
容赦なく口に突っ込まれるのかと思えば、まるで内科検診のように「あーんしてください」と言われてしまい拍子抜けした。
「あるがの顔でそれ言われるとなんか変な感じするわ」
「そうですか?」
不思議そうに首を傾げる。写真で見ればキャストドールにでも見えそうな仕草だ。
薫は差し出されたスプーンにぱくりと食いついて、それから真坂の使っていたスプーンだったなと思う。
今更だ。
「あと、あるがが頑張って」
食べ飽きたと言えば、一瞬硬直する。
さては甘い物を食べたくないからあーんで誤魔化そうとしたな。
そんな姿に思わず笑ってしまう。
年上の男だと思っていたが、案外同世代と似たような部分もあるのだな。
薫は苛立ったままアイスティーを飲み干した。
指名してきたのは向こうだ。カメラマンは満足していた。デザイナーも。
薫の仕事は完璧だったはずだ。
けれども。
勘違いバンドマンが誘ってきたのを断ったら仕事が飛んだ。
誰でも相手する安いやつと見られていた。
むかつく。
アイスティーの入っていたプラスチックカップを握りつぶしゴミ箱に放り込む。
そこまで安くない。
こんな小さな仕事で寝るわけないだろ。
苛立ちに任せてゴミ箱を蹴りそうになり、まだ人の目があると思い留まる。
ああやめた。
プリンなんてやめてでっかいパフェを食べて帰ろう。
カロリー? そんなの知るか。
食べた分運動すればいい。
ここらで一番大きなパフェを出す店はどこか検索しようとスマホを手に取ると、丁度着信がある。画面には「あるが」と表示されている。
見ていたのだろうか。
そんなタイミングだった。
「なに? 俺今超機嫌悪いんだけど」
受信してすぐ、不機嫌を隠さない声で告げる。すると電話越しにくすりと笑う声がした。
「そうでしたか。では、私と気晴らししませんか?」
「は?」
なに言ってるんだこいつ。
変なやつだとは思っているが、宇宙人と会話しているような気分になった。
「美味しいものを食べれば少しは機嫌も直りませんか?」
「……今から自分の機嫌取りに行くつもりだったんだけど?」
そう、大きなパフェで。
「愚痴も付き合いますよ」
お得でしょう? とよくわからない売り込み方をされた。
「でっかいパフェ食べたい」
そう言って、大きな通りに出る。
よく見れば真坂メンタルクリニックが入っているファッションビルの近くだ。
「パフェ、ですか?」
「あるがの病院あるビルにカフェもあったよね?」
「ええ。少々お待ちください……ええっと……3つ下のフロアにジャンボパフェを取り扱っているパーラーがありますね」
カフェとパーラーの違いはよくわからない。けれどもジャンボパフェという響きはなんだかとてもそそられる。
「行く。席確保しといて」
行ったことのない店だがあのファッションビルだ。多少の混雑はあるかもしれない。
「予約を入れておきます。そのまま店で待ち合わせしますか?」
「あ、うん。俺ひとりでもいいけど」
支払いは真坂メンタルクリニック宛にと言ったらどんな反応をされるだろうか。
少しだけ、好奇心が刺激された。
「薫、意地悪を言わないでください」
ちっとも困ってすらいない声色にがっかりする。
けれども、真坂の声は心地よかった。
ああ、そうだ。パパに似ている……。
電話越しに名前を呼ばれると、嬉しい気がするのは僅かに父親と似ている部分があるからだろう。勝手にそう結論づけ、待ち合わせに同意する。
ショウウインドウに映った自分を確認すると、僅かに髪が乱れている。
素早く手櫛で直し、ファッションビルへと急いだ。
パーラーとカフェの違いはわからない。ただひとつ言えるのは、真坂が予約してくれた店はパフェパーラーだったことだ。百種類近いパフェがある。
「……すっご……え? なにこれ……俺の顔よりでかいじゃん」
写真詐欺とでも言いたくなる、巨大フルーツパフェ。
「え? あるがの顔よりもでかくね? え? これ、俺食べきれるかな……」
甘い物は別腹とは言え限度がある。
真坂はコーヒーのみを注文し、パフェを食べる気配はない。
「ふふっ、それでも一番大きな物ではないようですよ?」
真坂は壁のポスターを示す。
所謂チャレンジメニューになるのだろう。五千円と書かれたパフェは残すと罰金があるらしい。複数人でのシェアをおすすめと注意書きまである。
「バケツみたいなパフェが出てくるそうです」
「へぇ……キョーミはあるけど……今度トーヤ連れてくるかな」
冬夜は奢ると言えばなんでも食べる。これでもかと言うくらい食いだめる。その分薫も課題を手伝わせたりしているからお互い様だ。
「トーヤ?」
真坂の視線が一瞬鋭くなった気がした。
「俺の友達。ま、ガッコーでは他人のフリしてるけど。ガキの頃から一緒でさ。将来一緒にブランドやろうって」
ほら、と、試着中に撮った写真を見せる。
「こんな服とか、結構ユニセックスなデザイン多いかな? けど、婦人服も紳士服もなんでも作るよ」
「……本人の写真はないのですか?」
服の写真ばかり見せたからだろう。少し不服そうだった。
カメラロールを確認する。自撮り、自撮り、自撮り、自撮り……自分の写真ばかり出てきてしまう。
そうして随分と遡ったところで、ようやく高校の卒業式らしき写真が見つかった。
「この隣の奴がトーヤ。地味でしょ」
今でこそタトゥーに伊達眼鏡、ゴテゴテアクセのチャラ男だが、高校の時は地味な優等生だった。
「なんというか……薫とはだいぶ系統が違いますね」
「俺は唯一無二でしょ? ま、この写真見た後に今のトーマ見たらびっくりすると思うけど」
最近の写真は撮った記憶がない。
実は本物を入れる勇気がないからジャグアトゥーだということは、毎回同じ絵を描いてやっている薫だけが知っている秘密だ。
カメラロールを更に探っていると、新着メッセージがあった。冬夜だ。
「うげっ……マジ? 今から?」
あいつ一回ぶん殴る。ついでに今度パフェ奢らせよう。
薫は深いため息を吐く。
「どうしました?」
「んー、トーヤが……ちょっと問題発生したから来てくれって。ったく、道具いつも持ち歩いてる訳じゃねーっての。つーかお前が来いよ」
薫は苛立ったまま「来い」とだけ返答した。
あれ? 合鍵渡してたっけ? と考え、多少待たせても構わないかと思い直す。
タトゥー消えかかってきたからすぐに助けてくれだとか、自分で出来ないならやるなと言いたくもなる。
「問題?」
真坂の視線が鋭い。
「俺さ、メイクも得意なんだけど、ってかそれも仕事にしたいんだけどさ、時々トーヤを練習台に使ってんの。特殊メイクとか自分の顔であんまやりたくない傷のやつとかもさ。んで、特殊メイクが消えそうだから直してくれって」
エセタトゥーの補修と言わないでおいたのは薫なりの優しさだ。
「ったく、なんであるがが不機嫌になってんのさ。機嫌悪いのは俺だっての」
しかたないと、いちごソースがたっぷりかかったアイスクリームを掬い真坂の口元に運ぶ。
「特別に分けてやるよ」
「え? いえ……甘い物は……」
問答無用で突っ込めば、真坂は驚いたのか跳ねるようにして体を後ろに逃がした。
普段澄ました顔で余裕綽々な雰囲気のくせに、アイスクリームを口に突っ込まれただけでこんな反応をするのかと面白く思えた。
「……甘い……」
真坂はそのままな感想を口にしてコーヒーを飲む。
「へー、あるが甘い物苦手なんだ」
「ええ、あまり得意ではありません」
苦手という言葉は使いたくない様子だ。それがなんだかおかしくて薫は思わず声を上げて笑った。
「あるが、意外とかわいーとこあるじゃん」
「そう、ですか?」
いつもの澄ました顔のようで、僅かに困惑が滲み出ている。
「俺はそっちの方が好みかなー。だって、かわいい方がいいじゃん」
かわいさは付加価値だ。少なくとも薫はそう思っている。
「結構さ、俺の事女みたいだとか、本当は女になりたいんだろとか言う奴もいるけどさ、男がかわいいの好きでなにが悪いの? 誰にだってフェミニンな部分もあるでしょ。俺は、かわいい俺が好き。お姫様よりかわいい自信もあるけど、だからといって肉体的に女になりたいわけじゃない。あるがはそういう感覚、わかる?」
性別という枠は生物学上は必要かもしれない。けれども薫自身の精神はどちらにも収まりきらない。
精神は常に自由でいいはずだ。
「そう言った考えを持つ人がいることは理解しているつもりですが、自分自身となると……深く考えたことがありませんね。生まれ持った性別で苦悩した経験はありません」
「ふーん。てっきりあるがはこっち側だと思ってた」
美形だから。変わった名前だから。
理由はなんでもいい。
いや、たぶん、男と知って初対面の薫を口説いてきたからかもしれない。
「まあ、なんでもいいけどね」
どうせすぐに真坂の方が飽きる。
見た目がよくて、若い……次は女かもしれない。
そう思うと少し苛立った。
へんなの。真坂のごっこ遊びに付き合うだけのつもりだったはずなのに。
少しかわいいと言われればすぐに惚れてしまう。付き合っている間は相手だけに心が向いているはずだが、あまり長続きはしない。
かわいがってくれるなら誰でもいい。
たぶん、薫はそういう人間なのだ。
そう思うのに、どうしてか苛立つ。
それを誤魔化すようにパフェのいちごを発掘して口の中に詰め込む。
大粒のいちごは甘酸っぱい。
あまり考えたくはないけれど、この大きなパフェをまるごと食べ尽くしたらどれだけ運動しなくてはいけないのだろう。
一瞬そんな考えに意識が向く。
「薫? ここのパフェは好みではありませんでしたか?」
「ん? いや、美味しいけど……ただ、これ一個食べきったらどれだけ運動が必要かなって」
確か階段を九階まで上ってやっと飴ひとつ分だったはずだ。
一日くらいヤケ食いをしても問題ないと思いたいが、明日からはしっかり食事制限をしよう。体型が少しでも変われば冬夜になにこそ罵られるかわからない。それだけは薫のプライドが許さなかった。
「二日分くらいのエネルギーはありそうですね」
「やっぱ?」
自転車を漕ぐと足に筋肉が付きすぎる気がするけれど、少しの間は続けた方がいいかもしれない。
ヨガも忘れず。
ダンス教室も。
思考が乱雑になっていく。
相当苛立っている。やはり仕事が消えたことが屈辱だ。
苛々する。思わず爪を噛みそうになると、手の動きが止まった。
驚いて手を見れば、大きな手に手を掴まれていた。
「なに?」
不機嫌なまま真坂を見る。
「せっかく綺麗に整えているのに噛んでしまっては勿体ないですよ」
「……そっか」
毎日整えている。けれども、噛み癖があるのか、右手親指の爪は荒れがちだ。
つけ爪で誤魔化すこともあるけれど、やっぱり自分の爪が美しい方がいい。
真坂の視線を感じる。
これはどういう意味の視線なのだろう。
読めない。
金が目当てのやつならそれがなんとなくわかるし、コネが目当てならもう少しへこへこしている。体が目当てのやつは……もう少し違う視線だ。
そこが不思議なのだ。
口では体が目当てと言っていた真坂の向ける視線は、今までのそういうやつらとなにかが違う。
もっと別の目的があって薫を利用しようとしているのだろう。
たぶん、見合い話を断る口実とは別の目的がある。
それでも構わない。
ただ、考えが読めないことが時々不快で、けれどもそれが真坂に対する興味になる。
「あるが、トーヤにキョーミあるなら今日、うち来る?」
どういう種類の好奇心なのだろうか。
若くて好みの男を漁りたいと言うのであれば、とりあえず二度と同じ職業に就けないくらい社会的に殺してやろうと思う。
未来ある若者に支援したいと考えているのであれば……本当にそんな奴が存在するとは思えない。
たぶん薫の交友関係を把握して利用価値を探りたいのだろう。
それはそれで構わない。
たぶん、冬夜も真坂が利用できる相手か品定めするだろう。
お互い様だ。
薫はきつくなってきた胃に無理矢理パフェの残りを詰め込んでいく。
甘い物は別腹だなんて言うけれど、欲張りすぎた。
「……あるが、ちょっと手伝ってくんない?」
「え? 私……ですか?」
「他に誰がいるのさ」
本気で困惑している様子が面白い。
甘い物は苦手だと言っている人間に手伝えだなんて酷いことを言っているかもしれない。
けれども、薫はいい子ではない。
「あるが、俺の事好きでしょ?」
だったら食べてと口にすれば、溜息を吐いてスプーンを手に取る。
「仕方のない人ですね」
一瞬、笑った気がした。
けれどもすぐにいつもの澄ました顔に戻って、とても上品な仕草でパフェを食べ始める。
「甘い……」
僅かに眉を上げる。
それでも、絵になると思った。
むかつくくらいの美形。
薫はアイスティーを飲みながら、真坂を観察した。
スプーンを口に運ぶ度に不快そうな表情へと変化していく姿もどこかの貴族と言われても納得してしまうほどに様になっている。
こいつ、なんで医者やってるんだろう。
そう考え、もしもモデルだったら薫は真坂には絶対に勝てないだろうと思ってしまった。
ジャンルが違う。付加価値が違う。
言い訳はいくらでも並べられる。
けれども、かわいいで許される期間が終わってしまえば、薫の価値はどんどん下がっていく。
その後、生き残れる武器は真坂が完璧に揃えてしまっているように思えた。
不公平だと思う。
なんだって欲しい人には届かずに、それほど必要としていない人は手にしている。
また、爪を噛みそうになる。
どうして気がついたのか、真坂の手がそれを止めた。
「薫、先程のお返しです」
スプーンの上にアイスクリーム。
容赦なく口に突っ込まれるのかと思えば、まるで内科検診のように「あーんしてください」と言われてしまい拍子抜けした。
「あるがの顔でそれ言われるとなんか変な感じするわ」
「そうですか?」
不思議そうに首を傾げる。写真で見ればキャストドールにでも見えそうな仕草だ。
薫は差し出されたスプーンにぱくりと食いついて、それから真坂の使っていたスプーンだったなと思う。
今更だ。
「あと、あるがが頑張って」
食べ飽きたと言えば、一瞬硬直する。
さては甘い物を食べたくないからあーんで誤魔化そうとしたな。
そんな姿に思わず笑ってしまう。
年上の男だと思っていたが、案外同世代と似たような部分もあるのだな。
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