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一
所謂誘拐?
しおりを挟む連れて行かれた先は裏通りの外れの一角。古びた質素な建物がいくつかある小さな集落のような印象だ。
噂では聞いたことがあったけれど、足を踏み入れるのは初めて。
ここはカイン・ファウリーのアジト。なんの防犯対策もされていない建物だ。
「一体なんの用? 身代金でも請求するつもり?」
「まさか。国から取れる身代金なんて端金にもなりませんよ」
カイン・ファウリーは面白そうに笑う。
「じゃあなに? 陛下が滅ぼした国が私の首でも寄こせって依頼してきたのかしら?」
身に覚えがありすぎて困る。
少なくとも国外では私は悪女で通っているのだから。それも娘に甘すぎる父のせいよ。
「そんな依頼をしてくるなら依頼主の方を殺します」
楽しそうにそう言う彼は、のんきにお茶を淹れて「どうぞ」と差し出してくる。
「毒なんて入れませんよ。と言っても、毒味したところで信用してくださらないのでしょうが」
「当たり前よ。目的はなに」
絶対にこのお茶に手をつけてはいけない。
カイン・ファウリーの実力は噂でしか知らないけれど、暗殺者というのは情報収集能力とどんな手段を使ってでも相手を殺したという実績で評価されていく。この男の場合、その両方がとんでもない。情報収集の力だけでも国の諜報機関より上なのだ。
「プリンセスがお見合いをすると聞いて」
「は?」
「現時点で気になる候補者はいらっしゃいますか?」
一体なにを言い出すのだ。
「確かに見合い話はうんざりするほど来ているけれど、それがどうかした?」
少なくともこの男が気にすることではないと思う。候補にも挙がっていないのだから。父だってこの男だけは避けたいはずだ。
レルアバドの死神。別名レルアバドの狂神。
一度狙った標的は絶対に逃がさない。けれども依頼を受けるかどうかはその時の気分次第。気に入らなければ依頼人を殺す。自分に逆らうやつは上から順に殺す。とにかく仕事以外でも殺すことに躊躇いがない。こんな男が国王になったら国が崩壊する。一瞬で。
「とりあえず今候補者として顔が浮かんだ五人の名前をどうぞ」
「は?」
「殺してきます」
なにを言っているのだこの男は。
「どういうこと?」
現状が全く理解出来ない。
どうして私は国一番の狂人に連行されて見合いの話を聞かれているのだろう。
そして標的は私ではなく私の見合い相手?
「まさか、父の依頼?」
自分で見合い話を持って来てなにを考えているのだろう。呆れた。
そう思ったのに、どうやら違ったようで、カイン・ファウリーの方が呆れた顔をしている。
「まさか。国王の依頼なんて受けるはずがないでしょう。面倒くさい」
面倒くさい? 王命を面倒くさいなんて言えるのはレルアバドでもこの男くらいだろう。
「本当に、わからないのですか?」
悲しそうな声色にどきりとしてしまう。
一体何なのだろう。
血のような赤い瞳が揺れるから、つい、視線がそちらに向いてしまった。
「酷い人だ。僕はこんなにも……嫉妬に狂いそうだというのに……」
「は?」
一体何の話だ。
「プリンセス……僕はあなたが他の誰かのものになることに耐えられません……ですから、あなたの婚約者候補を上から順に始末して見合い話をすべて消そうかと」
……本当に狂人だった。
つまり私の結婚の妨害をしようと?
「……あなた……私のことが好きなの?」
馬鹿な質問をしていると自分でもわかっている。けれどもこの流れで肯定されても否定されても困る。
特に否定された場合はどうすればいいのか……。
「そんな、好きだなんて……」
カインは一瞬目を伏せ、それから私の手を掴む。
「馬鹿なことを言わないでください。好きなんて言葉では足りません。この世のなによりもあなたを愛しています。プリンセス……どうか僕をあなたの所有物にして下さい」
切なそうな声で、揺れる瞳でそんなことを口にする目の前の男は本当にあのカイン・ファウリーなのだろうか。
断ったら殺されそう。かといって所有権を主張しても飽きたら殺されそう。どっちに転んでも殺されそうでしかない。
カイン・ファウリーの外見はなんというか地味だ。よくある赤毛に顔の特徴もあまりない。まあ、少し整っているけれど極端な美形ではなく、なんというか印象に残りにくい顔立ちをしている。通行人の顔を平均して組み合わせたらこんな顔になりそうという顔だ。身長はヒールを履いた私とあまり変わらないから男性にしては低い方。血のような色の瞳だけが彼の身体的な特徴だろう。
なんというか、想像と違う。もっと顔面傷だらけの強面マッチョを想像していたから拍子抜けと言えば拍子抜けだ。
けれども纏う空気が逃げ道を塞ぐ。
「……い、一体どうしてそんなことを考えるのかしら?」
なるべく平静を装いたかったけれども声がひっくり返ってしまった。王族として恥じるべきね。けれども今は命が惜しい。
「どうしてって……ああ、あの時は変装していたからプリンセスは気づいていなかったかも知れませんね」
どうやら彼とは初対面ではなかったらしい。
「五年前、僕に靴を投げ飛ばしてくれた可憐な女性は誰だろうとずっと探していたんです。そうしたら、なんと我が国のプリンセスでした」
は? 五年前? 靴?
混乱してしまう。
誰かに靴を投げ飛ばすようなことなんてあっただろうか。記憶を遡る。
靴、靴、五年前……。
あった。確かにあった。
「もしかして……ルークにぶつけようとした靴があなたに当たってた?」
頑張って料理したのに散々罵られて腹が立ったから靴を投げつけたのによけられて窓の外に落ちてしまったのよね。拾いに行くのが面倒くさかったからネロに命じたのに、見つからなかったって。
別に他の靴もあるからいいやとその時は気にしなかったけれど……まさか、こいつの手に渡っていたなんて……。
「部下も使ってあなたのことを調べさせてもらいました。いやぁ、僕の部下を自力で気絶させられるほどの実力をお持ちですし、レルアバドの女性としても非常に魅力的ですが……この僕に靴を投げつけて謝罪すらしない女性は初めてでしたし……知れば知るほどあなたに惹かれて……ええ、あのにやついた顔の新米は始末しました。あなたの体にやたらとべたべた触れていた商人も……あなたに邪な視線を向けたあの男も……生意気にもあなたに求婚しようとしていたあの男は……国ごと始末しておきました」
もしかして……私の恋が一歩すら進まず消えてたのってこいつの仕業?
「それって……ちょっと顔が素敵だなーって思った護衛が急に消えたりしてたのはあなたの仕業って言う自供でいいのかしら?」
「え? ああ。そういうことになりますね。あんなのが好みなんですか? プリンセス」
呆れたように言われてしまうけれど、顔だけはよかったのよ。あの護衛。
「てっきりあなたの好みはルーク・マーディみたいな女性的な顔かと」
「確かに、ルークは顔だけはいいわ。性格は最悪だけど。あ、彼のことは殺さないで。結婚相手には嫌だけど部下に欲しいから」
政務を押しつけるなら丁度いいのよ。ルークは。
「あんなやつの話をしないでください。嫉妬でうっかり殺してしまいそうです」
一体何なの?
仮にここで私も愛してるって言ったら今日のところは帰してくれるのかしら。
だけど、飽きただとか、そんなに簡単に手に入るのは解釈違いだとかヘンな理由で殺される可能性が高い。無事に帰れる保証なんてどこにもないじゃない。
「えっと、カイン」
「はい」
呼んだだけで嬉しそうな表情を見せられると、ネロを思い出す。子犬みたいで……こういうの、正直弱いのよ。
「……私の、どこがそんなにいいのかしら?」
「なにをおっしゃいますか。プリンセスは完璧です。僕の理想そのものだ。あなたの為でしたら誰だって、何回だって、何人だって殺します」
私が欲しいのはそういうのじゃない!
どうしてこの国の男はこうなんだろう。
「あのね、カイン、すっごく言いにくいのだけど……私、そういう物騒なのは嫌いなの」
「え?」
カインは言われた言葉の意味がわからないという様子を見せる。
そうよね。レルアバドの常識から考えるとありえないわよね。
金も実力もあるカイン・ファウリーのこんなにも情熱的な愛の告白を断る女なんて、レルアバドの常識では存在してはいけないことになっているもの。
でも、私はレルアバドの変人プリンセスよ。
「私は、もっとこう、平凡で穏やかな人がいいのよ。殺したり奪ったりしないような……穏やかで、優しい人がいいわ」
そう、極端な不細工でなければ美形じゃなくてもいい。そこら辺の妥協は出来る。
正直、カインはこの物騒な性格を除外できればかなり……理想に近いと言えば近いけれど職業と性格が完全にだめなのよ。
「プリンセス……では、引退します」
「は?」
「あなたがどんなに豪遊しても一生では使い切れない程の貯えはありますし、プリンセスが嫌だというのでしたら暗殺業から足を洗います」
なにを言っているのだこの男は。
「いや、あなたが引退したらレルアバドが崩壊するわ」
「別に構いません。プリンセスさえ無事なら。あなたのことは僕が全力でお守りしますから。あ、仕事での殺しはしませんけど、プリンセスに危害を加えようとする連中を始末するのは構いませんよね? 勿論お代は頂きません。そうですね、僕の趣味だとでも思って下さい」
「そっちの方が悪いわ!」
本当にとんでもない男だ。仕事では殺さないけれど趣味で殺すだなんて。その発言の方が問題だと言うことにどうして気がつかないのかしら。
「……そうですか……」
しょんぼりと、耳が倒れるような幻覚が見える。
私、今この男に誘拐されているのよね?
なのに、ズレた愛の告白をされて、捨て犬みたいな視線に根負けしそうになっている……。
「……あなたが本気だって、私に信じさせてくれる?」
命の保証が欲しい。
「証拠が欲しいと……そうですね。僕との交際に反対する連中を上から順番に消していきますか」
「じゃあ、筆頭は私ね」
「そんな……ではプリンセスの大切な人を一人ずつ目の前で始末すれば心変わりしてくれますか?」
「あなたそれで私に好かれるとでも思っているの?」
完全に脅迫じゃない。
「私は、普通の恋愛がしたいの。他国の物語みたいな」
「平民が王子と結婚するような?」
「違う、幼馴染みのさえないけど優しい人と結婚するような話よ」
なんでプリンセスの私が王子と結婚する平民に憧れなきゃいけないのよ。そう言い放とうとして、カインから見ればまさにその状況ねと思い直す。
「なに? 王族との結婚が目的?」
「僕は権力には興味がありません。欲しいのは、サラス、あなただけです」
言葉だけ聞けばものすごく情熱的で……普通っぽいのに……どうしてその発言をするのがカイン・ファウリーなのかしら。
「……私が欲しいのは普通なの。平穏なの。わかる? 暗殺者とハラハラするような恋じゃなくて、もっとこう、穏やかな……」
説明しようとしたところで私もレルアバドの人間なのだ。そんな詳細を説明できない。
これってつまり、相手がカインじゃなくても普通の恋は難しいってことなんじゃないかしら?
脳内で状況を整理する。
見た目は、まあまあ普通。そんなに派手じゃないし、ゴツゴツもしていない。穏やかそうで、ちょっとか弱そうにも見える。
声はとても穏やかで心地いい。時々口から物騒な言葉が飛び出したりしなければ、すごく魅力的よね。
性格は……これが問題よ。螺子が数本吹っ飛んでいる。もしかするとぴったりの螺子を製造して修理することは不可能かも知れない。
だけど、物語みたいな情熱的な愛の告白をしてくれるのよね。そのあとにいろいろ物騒な言葉がついてくるけれど……。
でも、もし、彼を少し矯正できたら?
ものすごく私の理想に近いんじゃないかしら?
そんな考えが過る。
「……お試しで付き合ってみてもいいけど……条件があるわ」
私に惚れているって言うなら食いつくと思った。
けれどもカインの反応は違う。
「お試し? ふざけないで下さい。僕を弄ぶつもりですか?」
目眩がする。
立場が逆だろう。
なんだか物語の中のろくでなし王子にでもなった気分よ。
「……はぁ……男女逆ならもう少しマシだったかも……」
溜息が出る。
いや、男女逆でこの状況だったらとっくに殺されているか。浮気疑惑が浮上した時点で殺されそうだ。
ぎゅっと握られた腕が痛い。
「あなただって憧れだけで結婚する人間じゃないでしょう? そう、相性とかいろいろあるじゃない。私は現時点であなたとは性格が合わないと思っているけれど、付き合ってみたら考えが変わるかも……」
ちらりとカインを見れば目の色が変わる。キラキラと輝いて、お気に入りの玩具を見つけた子供みたい。
「絶対にプリンセスの考えを変えてみせます。二度と僕以外のことなんて考えないように」
これは……殺されるのも時間の問題かも……。
こうして私はレルアバドの狂神、カイン・ファウリーと交際することになってしまった。
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