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間 憎みたい相手
しおりを挟むヴィオラの部屋にミハエルが居たことには驚いたが、あの男であればどこにでも入り込めるという確信に似たものがあったから特に気にしなかった。
しかし、報酬として演奏を聴きたいと言われ、曲を選んでいないと言うことが納得できない。ミハエルほどであればあらかじめなんでも決めてありそうだ。
そして、隣の部屋に移動したところで、楽譜をぽんと渡される。
つまり、曲は最初から決めてあって、連れ出す口実の為に曲選びと言ったのだろう。いくら僕でも理解した。
「ヴィオラに聞かせたくない話か?」
「ええ。あの小僧に関する報告ですが……ヴィオラ様の失踪届を出しました。一応形式だけ捜索はするつもりのようです。ついでにクレメント殿下を誘拐で訴えることも考慮しているのだとか」
ばかばかしいと、ミハエルは明らかにヴィオラの父親を見下している。それはもう隠そうともせずに。
いや、普段から小馬鹿にはしていたが。
「あいつには厳罰を与えなくては僕も気が済まない。けれどもヴィオラは……それを望まないかもしれない」
ヴィオラをこれ以上傷つけたくない。もう十分過ぎるほど傷ついてきたはずだ。
ヴィオラがあんな男でも父親を慕っていることだって知っている。だからこそ、僕はどう決断するべきか悩んでいるのだ。
「中指の一本くらい切り落としてやりたいが、ヴィオラはそんなことは望まないだろう。精々投獄か、奉仕活動か?」
投獄したところで大人しくなるとは思えない男だ。
きっと卑劣な手段でまたヴィオラを傷つけるようなことをするに決まっている。いや、存在自体がヴィオラを傷つけている。
けれども、ヴィオラはあの男の演奏を……あの男の音を恋しがっている。
きっと幸せだった日々の記憶を懐かしんでいるだけだ。
そう思うのに、それだけではないような気がしてしまう。
娘として父親の音を欲しているのか、弦楽器職人としてあの演奏家の音を欲しているのか。
ヴィオラの心は読めない。
「ヴィオラ様の望みを叶えることは不可能でしょう。でしたらクレメント殿下のお望みのまま……ええ、指を一本ずつ切り落としながら毒の餌食にするのも悪くないかと」
「いや、僕はそこまで言っていない」
本当にミハエルは物騒だな。僕はそんな残酷なやり方は好きではない。
ヴィオラが心から望むのであればそうしてやりたいとは思うが、それを実行してしまえばきっと嫌われてしまう。
「診断書以外の物的証拠はどのくらい集まっている?」
「帳簿、壊された楽器などですかね。証言ならいくらでも集まりますし、他に証拠が必要であれば作ります」
「……それは偽造だろう」
壊された楽器という言葉に胸が痛む。
ヴィオラの命をなんだと思っているのだろう。
裁判となると、ヴィオラも出廷しなくてはいけなくなる。そこで癒えかけた傷口をこじ開けられるようなことになるのではないだろうか。
出来ることならばヴィオラにはなにも見せずに終わらせたい。
けれども、問題は父親ひとりを罰したところで根本的な解決にはならないということだ。
あのローズマリーとか名乗る女。
あいつが現れなければヴィオラがあそこまで痛めつけられることはなかっただろう。あの女がエリオットになにかを吹き込んだ。そうに違いない。
「あのローズマリーとかいう女は何者なんだ?」
「あの栄養過剰なご婦人野心家ですね。卑しい出自ですがあの小僧をたぶらかし……お嬢様との結婚も、あの栄養過剰なご婦人が唆したようです。あの女が死んだ後に財産を手にするのだとかそんな話を」
よくある話、なのかもしれないな。平民に手を出す貴族は多い。それを狙う平民の女も少なくはない。
それよりも、ミハエルがヴィオラの母親を未だに「お嬢様」と呼んでいることに驚く。彼の強い拘りがこんなところにも残っているのかと。
「自分の娘を王族に嫁がせ権力を手にする。それがあの栄養過剰なご婦人の目的です。旦那様の約束を利用するためにヴィオラ様を……壊そうとした」
あまり表情の変わらないミハエルが僅かに怒りを見せたのか、右手を強く握った。
壊そうと。
それは心なのか肉体なのか。
どちらにしてもあの女は意図的にヴィオラを傷つけた。
ヴィオラの柱を揺さぶり、とうとう不安定な位置にまで大きく動かし、ヴィオラ本来の美しい響きを損ねた。
人も楽器も柱がなければ響かない。
ヴィオラの響きが変わってしまったのはいつからだろう。
「……あの栄養過剰なご婦人の厄介なところは自分の手は汚さないところです」
証言はいくらでも集められる。
けれども、証言よりも物的な証拠が重視される。
もしくは、言い逃れの出来ない状況で現行犯逮捕するしかない。
「……ヴィオラを傷つけずに終わらせたい」
「どのような結果になろうとあの方は傷ついてしまいます。そういう、繊細なお方ですから」
その繊細さがヴィオラの魅力だとも思っている。
控えめで、繊細。
音色にさえそれが表れる。
いや、彼女は音色の方が饒舌だ。言葉に出来ない感情を音楽で吐き出している。
だから、答えを演奏で欲しいだなんて言ってしまった。
まだ治ったばかりの手だというのに。
「ヴィオラのことを考えると余計に腹が立つな。今すぐどうこうできる問題でもない。僕の独断では……なにもできないからな」
一瞬、ミハエルがこっそりあいつらを消してくれることを望みそうになった。
けれどもそれはヴィオラを悲しませるだけだろう。なにより、そんなことを考えてしまう自分自身を知られたくない。
「曲が決まったなら行くぞ。ヴィオラが待っている」
「ええ」
ミハエルは何事もなかったかのように、いつも通りの完璧な姿勢で扉を開ける。
中ではヴィオラが楽譜を読んでいるところだった。
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