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2 消えた温もり
しおりを挟む昨夜は混乱することだらけだった。レオナルド様は寝室においでと誘いに来たけれど、フリオがそれに耳を貸すなと猛反対したのだ。そして、ビアンカはひとりきりの部屋で、最初の結婚の時に持ち込んだ人形を抱きしめて眠った。古びたうさぎの人形はほんの少しだけ安心させてくれる。
けれども朝の目覚めは残酷な夢の続きを見せてくれた。
「やぁ、ビアンカ。朝はのんびりなんだね」
よく見た光景。昔と変わらない様子で、レオナルド様が食卓にいる。新聞を広げながらお茶を飲んでいたようだ。長い悪夢が終わったのだと駆け寄りそうになった。けれども、一つ席を空けてフリオが座っているのが見える。
「おはよう。ビアンカ。ちゃんと眠れた?」
爽やかに声をかけてくれるフリオは昨夜のぴりぴりした空気を消し去っている。
「おはよう……これは夢? それとも、ちゃんと起きたのかしら」
レオナルド様がいて、フリオがいる。こんなに不思議な光景は夢以外にあるのだろうか。まるでレオナルド様と過ごしていた日常にふらりとフリオが迷い込んでしまったようにも見える。
「大丈夫、ちゃんと起きているよ。座って。この苺ヨーグルトを飲んだらすっきり目覚められるから」
フリオが椅子を引いて、それからグラスに苺ヨーグルトを注いでくれる。
フリオはとても面倒見がいい・単純にビアンカを子供扱いしているというわけではなく、たぶん誰にでもそうなのだと思う。
フリオのことは好きだ。それは人間として、為人が好ましいと感じられる。
けれどもレオナルド様はビアンカの特別なのだ。世界の全てだった人。
ビアンカの全ては彼によって構築されたと言えるほど、そう長くないビアンカの人生に軸を作った人だ。
レオナルド様が存在しなければビアンカも存在しない。それほどまでに特別な存在。
どちらか一方と婚姻関係を結ばなければならないのであれば、迷う必要などない。レオナルド様だけが存在すればいいと思う。
けれども、彼がいない間支えてくれたのはフリオなのだ。
そう思うと、ビアンカの選択は彼を傷つけることになってしまう。
フリオを嫌っていない。だから彼にも傷ついて欲しくない。
そんな身勝手な考えが、余計に現状を苦しくさせてしまう。
「私、これからどうしたらいいのかしら?」
自分で下す決断が恐ろしく、レオナルド様とフリオを見比べてしまう。
狡い。これは好ましくない行為だと理解出来る。
けれどもビアンカは自分で決断することが出来ず、結局は二人の夫に頼ってしまう。
「ビアンカはなにも心配しなくていいよ。君はいつも通り過ごしていればいい。難しいことは私が片付けるから」
レオナルド様はいつも夢の中で見せてくれるのと同じ笑みを浮かべる。
たったそれだけでビアンカは安心できてしまう。
レオナルド様が解決してくれるならなにも心配はいらない。
そう思うのに、フリオの複雑そうな表情で不安に戻された。
「フリオ、どうしたの?」
「いや……僕も現状がまだ飲み込めていないんだ。問題は山積みだから」
山積み。
そう表現されるほどの問題をビアンカは理解出来ていない。
けれども普通ではないなにかが起きていることだけは確かだ。
「えーっと、ビアンカの教師は……はぁ、勝手に解雇したのか……別の教師を探さなくてはいけないな」
レオナルド様は報告書らしき書類を確認しながら溜息を吐く。
「せっかく賢い子なのに教育の機会を奪うなんて……ビアンカ、すまない。君の沢山の可能性を育てる大切な時間を奪われてしまったね」
レオナルド様が悲しそうな表情を見せると、それだけでビアンカも苦しくなってしまう。
「大丈夫です。だって……これからはずっと一緒、でしょう?」
レオナルド様が世界の全てだ。彼がいるならビアンカの世界は存在できる。
だったら、それだけでいいはずだ。
なのに、フリオが視界に入る。彼の悲しそうな表情に、ずきりと胸が痛んだ。
フリオはいい人だ。ビアンカに新しい世界を与えようとしてくれた。
けれども、目の前にレオナルド様が存在するのであれば、ビアンカは彼を優先させるべきだろう。
頭の中の天秤が、心を不安定にさせる。
この場所に居ることが落ち着かなくなった。
「もちろん。もう君を手放したりしないよ」
優しく握られた手が……温もりがない。
「レオナルド様? 手が……温かくありません」
「え? ああ、冷えているのかな? ルカ、あとで温石を持って来てくれ」
レオナルド様は以前と変わらない様子でルカに命じる。ルカは普段となにも変わらない様子でそれに応えた。
「夏だからひんやりしている方が嬉しいです」
そう。外はとっても暑いもの。
そう口にすると、レオナルド様が目を細める。
「ビアンカは優しいね。私の大切なビアンカがそのまま育ってくれて嬉しいよ」
大きな手が優しく頭を撫でてくれる。
少しだけ、前よりも小さく感じられるのは、きっとビアンカが大きくなったせいだ。
だから、この時間が壊れないで欲しいと願った。
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