ビアンカの熱い夏 ~死別したはずの夫が戻りました~

ROSE

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序 ありえない出来事。

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 ビアンカがレオナルド様に嫁いだのはわずか九歳の時だった。貴族同士の政略結婚としては当時としても少し古いやり方ではあったが、廃れてはいない。まだそんな時勢だった。
 レオナルド様はビアンカの七つ上のとても穏やかで美しい人だった。彼に初めて会った時、ビアンカは彼を女性だと思い「お姉さん」と呼んでしまったが、彼は怒ることもなく、ただ穏やかに笑って「残念ながらお兄さんなんだ」と答えた。あれから数年経っても、ビアンカは未だにあの日見た彼よりも美しい人を見たことがない。
 レオナルド様はとても優しくて博識だった。なにも知らないまま嫁いだビアンカを、妹か娘のように可愛がってくれたし、仕事のない時は勉強にも付き合ってくれた。嫁いだ頃には自分の名前を書くのがやっとだったビアンカが読み書きに苦労しなくなったのは彼のおかげだ。彼はとても根気よく文字を教えてくれた。それに、毎日優しい文章で手紙を書いてくれた。

 思い返しても、彼の優しさしか思い出せない。レオナルド様はビアンカにとって、ただただ、穏やかで優しい、父のような兄のような存在だった。
 しかし、彼はある日突然、消えてしまった。

 突然の別れは、ビアンカが十三歳の時に訪れた。
 夕食の席だった。いつも通り、二人で静かな夕食で、食事の後にピアノの練習の成果を聴いてもらう約束をしていた。彼はどんなに下手くそでも、ビアンカの演奏を最後まで聴いてくれるから、少しだけ上達した気分にさせてくれる。けれども、その日の約束は果たされなかった。
 食事中、いつも通り穏やかな笑みを浮かべていた彼は、突然食卓に倒れ込んだ。どうしたのだろうとビアンカが駆け寄る前には使用人達が慌てた様子で彼を囲み、ビアンカは部屋に押し込まれてしまった。
 それが、最後に見た彼の姿だった。
 その数日後だろう。当時はよく理解できなかったが、レオナルド様の葬儀に連れて行かれた。喪服の意味さえわからないまま、冷たい石の棺に土が掛けられていく様子をぼんやりと眺めていた。
 それが別れだと知るのに、二月かかった。

 当時のビアンカにはよくわからなかったが、レオナルド様はとても身分の高い方で、お金持ちだったらしい。ビアンカには彼の立派なお屋敷と、財産が相続された。すると、九つの頃から全く顔も見せてくれなかった両親が現れ、レオナルド様のお屋敷で一緒に暮らすことになった。
 ビアンカの部屋に鍵を掛けて。
 両親がお屋敷に来てからというものの、ビアンカには自由がなかった。一日中部屋に閉じ込められ、父が必要とするときだけ外に出してもらえる。つまり、他のお偉い貴族の方と会うときだ。父はビアンカを外に連れ出すときは必ず、レオナルド様が居なくなってしまった深い悲しみで人との交流を避けるようになってしまったと説明していた。
 それは、少しだけ事実だった。
 レオナルド様の居ない生活は、とても寂しくて、悲しいものだった。まるで吹雪の中、外に放り出されてしまったような気分だ。とても寒い外から、必死に窓の向こうの暖炉の熱を求めるように、ビアンカは何度もレオナルド様の優しい手紙を読み返していた。

 今日はなにをしていたの?
 面白いものはあったかい?
 なにが楽しかったかな?

 短い文章で、彼はいつもビアンカの様子を訊ねていた。それも、楽しかったこと、面白かったもの。そんなことばかりを訊ねてくれる。
「今日もなーんにもなかったわ」
 手紙に向かって話しかけても、返事なんて来るわけがない。それでも、ビアンカは毎日手紙に向かって話しかけてしまう。
 美しい便箋は色褪せて、何度も読み返すせいですり切れそうになっている。
 毎日、眠る度に考える。目が覚めたらきっと全部悪い夢で、レオナルド様が優しく起こしてくれる。ビアンカは困ったお寝坊さんだって笑いながら、頭を撫でてくれる。
 そう、思うのに、この長い悪夢は終わってくれない。
 レオナルド様に会いたい。
 そう願い続け、気付けばビアンカは十七になっていた。
 そして、父親から絶望的な知らせを受ける。
 ビアンカの再婚が決まったのだ。
 お相手のフリオという男性は、金持ちの貴族の三男で、ビアンカよりも五つ年上だ。家を継ぐことはできないから婿に出されるといった様子だった。彼はレオナルド様とは違った雰囲気ではあるけれど、見た目はとても整っている。きっと外ではお嬢様方にとても好かれていただろう。きっとレオナルド様の地位が目当てなのだろう。
 フリオもまた、穏やかな人だった。穏やかで、口数が少なく、いつもビアンカの発言を待っているような印象だ。
「ビアンカ、また同じ本を読んでいるのかい?」
 話題が見つからないのだろう。そんなことを言われる。無理に話しかけなくてもいいのに、と思うけれど、彼は彼なりにビアンカと会話をしたい様にも見える。
「この本、好きなの」
 レオナルド様が初めて読み聞かせてくれた本。美しい鳥の挿絵で、既にすり切れてしまっているけれど、今でも鮮明に彼の声を思い出す。
「君が、彼のことを忘れられないのはわかっているよ。でも……僕を見て欲しい。すぐにとは言わないけれど、僕は、君を大切にするよ」
 悪い人じゃない。フリオは優しくて、頑なになっているビアンカにもめげずに話しかけてくれる。無理に踏み込みすぎることもなく、少しずつ、様子を見ながら。
「彼と同じようにはできないけれど、僕は君を愛してる」
 フリオの言葉に驚く。地位や財産が目当てなのだろうと思っていたけれど、違うのだろうか。
「同じにする必要はないわ。あなたは、彼じゃないもの」
 もう、諦めなくてはいけないのだろうか。大好きだった彼は、優しい想い出の中の人で、そろそろ、目の前に居る優しい人を思いやるべきだろう。
 まだ、割り切ることはできない。けれども、ビアンカにはなにも決めることができないのだから、ただ、父が決めたこの再婚を受け入れるしかない。
 そう思い、まだ晴れない気持ちのまま結婚式を迎えた。
 とても暑い日だった。
 日差しがとても厳しい太陽の下、ビアンカにとっては二度目のことなので、とても質素な式だった。
 形式的に婚姻届に署名した瞬間、強い風が吹いた。
「その結婚、待った」
 静かだけれども、とても良く響く声だった。
 記憶の中の、なんども思い返したあの声と似ているようで知らない響き。
「レオナルド様?」
 思わず、その名を口にしてしまう。
「彼女は私の妻だ。重婚は認められない」
 一体、なにが起きたのだろう。驚いてフリオを見るが、彼もまた驚いているようだ。
「重……婚……?」
 そんなことはありえるのだろうか。これは、きっと都合のいい夢だ。目が覚めたらきっとむなしくなってしまう。
 そう、思うのに。涙でなにも見えなくなってしまった。


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