シスターリリアンヌの秘密

ROSE

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五年後

38 加護持ち

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 屋敷の修繕には数日かかった。
 リリアンヌは申し訳なさそうな様子で職人達を手伝おうとしたが、ラファーガがそれを制した。これ以上屋敷を壊すような事態になっては大事だからだ。
 そして修繕の間、彼女はほとんど引きこもりがちになった。本人も破壊してしまう事実を自覚したのだろう。
 リリアンヌには申し訳ないが、ラファーガはその期間に外へ出て邪教徒の調査を続行した。
 調査をしたところで手に入る情報は限られている。
 それでも、リリアンヌから得た情報はいくつかの手掛かりになってくれた。

「古代言語らしきものを使う人間は数人目撃情報があるけど、古代言語を理解しているような平民は存在しないからね。言語の専門家を連れ歩いて調査するしかなさそうだ」
 ホセはうんざりした様子で言う。
 彼も今回の調査に巻き込まれたらしい。
「古代言語に関してはリリアンヌがその道の専門家だろう。彼女は古代言語を母国語のように操っている」
 祈りに限らず魔術にも古代言語を使用しているようだ。
 ラファーガはリリアンヌを思い出す。
「例の彼女から提供された情報によると、邪教徒たちは異端者の印を残して歩いているようだけど、どうしてわざわざそんな印を残すのだろう?」
「彼らにとって特別な意味があるのだろう。私には理解出来ないが……リリアンヌに言わせれば、教会に対する不満を表しているのだとか」
 元々そこまで信心深くはないラファーガには理解出来ない感覚だ。
「行方不明者の中でどのくらいの人間が犠牲になっているのだろうか」
 リリアンヌは犠牲者は生命力を吸われ干からびて砂のように崩れてしまうと言っていた。もし、自分の愛する人々がそのような惨たらしい死を迎えるとすれば……。
 ラファーガの中で怒りが込み上げる。
「近頃は行方不明者が増える一方だからね。けれども、片手の指では足りない数が犠牲になっていそうな案件だよ」
 そう口にしつつも、ホセはホセでなにかを掴んでいるように思える。
「しかし……あの印……どこかで見覚えがあるような気がするのだが……」
 ラファーガは首を傾げる。どうしても思い出せない。なにか手掛かりがないかと考える度にリリアンヌの顔ばかりが浮かんでしまう。
「はぁ……グラーシア侯爵ともあろう者が女のことばかり考えて仕事を滞らせるとは」
 心底呆れた様子を見せるホセ。
 ラファーガは思わず返答に詰まった。
 反論できない。
 頭の中にリリアンヌばかりが存在して、これほど許しがたい事件の犯人を追っているというのに集中し切れていないのだ。
 なにより、これまで手掛かりを与えてくれていた『奇跡』の力を感じない。
 つまり、リリアンヌが崇める神は、この事件に手を貸すつもりがないらしい。
 なにより、ラファーガの本能が核心に迫ることを恐れているような気がする。
 だからこそ。
 恐ろしい方へ向かえばなにかがわかる。
「私は、もう少しあの印について調べてみるよ。ホセ、君は被害者に共通点がないか調べてくれないか?」
「ああ。そうしよう。だが、ラファーガ、一人で踏み込みすぎるなよ」
 ホセは忠告のようにそんな言葉を口にする。
 どうしようもない不安が湧き上がりそうになったのを、なんとか押さえ込みホセと別れる。
 一人になってからも不安だけが込み上げてきた。
 知ってはいけないというよりは、知りたくないという感情。
 この先にあと一歩踏み込んでしまえば、後戻りできなくなるという直感。
 ぐるぐると思考の渦に包まれながら、屋敷の側まで歩くと、見覚えのある顔を見つける。
 一瞬、リリアンヌかと思うほど、よく似た造形。
 ジルベールだ。
「まだ国へ戻っていなかったのか?」
 思わず声を掛けたのは、やはり気がかりな点があったからなのかもしれない。
 ジルベールという男はどこか放っておけない空気を纏っている。
 リリアンヌに似ているからというよりは、彼の立場を考え、昔のラファーガ自身を連想させるからだろう。
「……ラファーガ・デ・グラーシアか」
 己の名をここまで忌々しそうに口にする人間と初めて遭遇した。
 ラファーガはかえって新鮮な気分になる。
「ジルベール、リリアンヌなら屋敷に引きこもっている。危うく倒壊させそうになったことに自己嫌悪しているらしい。数日すれば彼女も落ち着くと思うが、なにを贈れば気晴らしになるだろうか?」
 姉の話題を持ち出せば少しは会話ができるのではないかと期待した。
「……あの人はなにも喜ばない。そもそも他人に興味を持たない。リリアンヌにとって大切なのは『我が神』ただひとつなのだから」
 弱り切ったような表情を見せられ困惑する。
 数日前に目撃した自信に満ちあふれた男はどこへ消えてしまったのだろう。
「私にはリリアンヌが必要だ。リリアンヌだけは……私を認めてくれる」
 完全なる依存。
 ジルベールは姉に依存している。縋るべき対象として彼女を見ている。
 そして、ラファーガの求婚を断ったリリアンヌを思い出してしまう。
 彼女は、縋られることを拒んでいる。
 つまり、弟に対して負い目があるのではないだろうか。
「ラファーガ・デ・グラーシア、お前は本当にリリアンヌがただの女になれると思っているのか?」
 嘲るように問われ、困惑する。
「どういう意味だろうか?」
「リリアンヌはなににもなれない。『我が神』とやらに操られている」
 まるで彼女にはなんの意思もないのだというような言葉に、怒りが込み上げた。
「リリアンヌは必ず実現する。彼女は積み重ねの重要性を理解している。なにより、耐え忍ぶ強さを持ち合わせているのだ。あなたのように、他者からの評価ばかりを気にして蹲ったりなどしない」
 認められたいのであれば努力すればいい。届かないのであればその倍努力を重ねるだけだ。
「私は、リリアンヌに救われた。彼女に命を救われ、立ち直る支えを貰った。だが、それだけで彼女に求愛したわけではない。彼女と過ごす度に思う。なぜもっと早くに出会わなかったのかと。少女の頃の彼女に会いたかった。知っているか? 祭りの綿菓子ひとつ購入することを躊躇い、幼子の様に喜ぶ姿を。普段見せる顔とは全く違う、少女の顔をもっと見たいと思う。だが、彼女は……いつもどこか思い詰めている」
 なにかに悩み続けているのだろう。困惑の表情が癖付いている。
「人間の顔には人生が表れる。ジルベール、あなたからは常に不満と怒りが見えるぞ。そのような表情では、他者はついてこない」
 リリアンヌから悩みばかりを読み取ってしまう。
 彼女自身、それを理解しているから神に仕える道を選んだのだろう。
「そういうお前はどうなんだ? うぬぼれで後悔した人生か?」
 軽蔑するような眼差し。
 しかし、ジルベールの指摘は決して的外れではない。
「ああ、そうだな。私は兄の自慢だと信じていたが、実際、兄を犠牲にして生き延びてしまったようなものだ。しかし、リリアンヌのおかげで私は生き延び、そして生まれ変わったようなものだ。よいか? ジルベール、素手を鍛えるのだ。そうすると、ある程度の悩みからは解放される」
 リリアンヌのように、武器を持たなければある程度の悩みは消えるのだ。
 しかし、ジルベールの表情は完全に呆れに変わってしまった。
「お前、阿呆なのか?」
「なにを言っている。人間、武器を持つから争いが生まれるのだ」
「リリアンヌに毒され過ぎだ。あの暴力女を見ただろう? 素手ならなにをしても許されると思い込んでいる」
 そう言われ、リリアンヌが一方的にジルベールを殴り続けていたことを思い出す。
「そういえば……なぜあなたはリリアンヌの拳を受け続け、無傷なのだ?」
 訊ねて正直に答えるか。
 例え答えなかったとしても単なる好奇心なのだから問題ないと訊ねてみる。
「……私は、加護持ちなのだ。物理的な要因では傷がつかない程度のものではあるが……」
 加護持ち。
 神に愛された人間なのだと自分から明かすような表現はこの間ない人間が多いが、つまりそう言うことだ。
 王国は信心深い人間が多いとは言うが、彼の崇拝する神はどんな神なのだろう。
「その加護を与えたのは、リリアンヌの崇める神とは別の神なのか?」
 訊ねると、ジルベールは困ったように笑う。
「知るか。私はリリアンヌとは違い神の声など聞こえない」
 その声色は呆れや怒りよりも悲しみが込められているように感じた。
 愛する家族と同じ光景を見られない。同じ場所に立てない。
 そんな悔しさや諦めに似た言葉は、ラファーガも傷つける。
「……そうか。……そうだな」
 ラファーガにも、神の声を聞くことはできない。
 それが幸か不幸か。
 ただ、リリアンヌという存在と壁を感じてしまう。
 そう言う意味ではジルベールとよく似た立場なのだと考えさせられた。
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