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五年後
33 隠しきれない
しおりを挟むラファーガは屋敷へ足を踏み入れた途端、強い衝撃に襲われた。
リリアンヌに抱きしめられたのだと気がつくのに数拍必要だったのは完全に想定外だったからだろう。
「リリアンヌ? どうしたのだ。突然」
普段の彼女はこんなにも情熱的にラファーガを出迎えてはくれない。
不思議に思って訊ねれば、彼女の揺れる瞳に涙が滲んでいるように見えた。
「ラファーガ! あなたが戻ってこなければどうしようかと思いました!」
普段落ち着いて居るリリアンヌが取り乱しているようだ。一体なにが起きたのか。
まるで救いを求める様に、彼女はラファーガにしがみつく。
その時だ。背後から声が響いた。
「リリアンヌ様? まだ終わっていませんよ?」
どこか厳しい女性の声。
リリアンヌは声を耳にすると身体をびくりと震わせ、それからラファーガの影に隠れようとした。
一体何事だ。
リリアンヌが怯えている?
声の主に視線を向ければ、見覚えのある顔。
「リリアンヌ……ミザリーから逃げてきたのか?」
驚いた。陛下が寄越したのだろう仕立屋のミザリーは国内外で流行を発信し続けている年単位で予約待ちと評判だ。女性であれば誰でも一度は彼女の作品に袖を通したいとまで言われる。
そのミザリーから逃げてきたらしい。
「ラファーガ、あの方は……私の服の中に手を入れたのです!」
なんて恐ろしいことをとリリアンヌは瞳に涙を滲ませている。
「早くその修道服をお脱ぎください。隅々まで採寸いたします」
まさか。
ラファーガは思わず溜息を吐く。
「リリアンヌ……あなたは、修道服を脱ぐのが嫌で逃げ回っていたのか?」
「ラファーガ、屋敷の中では好きな装いで構わないとおっしゃっていましたよね?」
確かにその約束でリリアンヌを連れ帰った。そもそもラファーガは仕立屋を招いたりなどしていないのだからリリアンヌに裏切ったと思われるのは不本意だ。
「陛下が独断でミザリーを寄こしたのだ。許してくれ」
「グラーシア侯爵、あなたからもリリアンヌ様を説得して下さい。これではいつまで経っても結婚式の準備ができません」
婚約のお披露目もあるでしょうとミザリーは呆れかえった様子を見せる。
「……無理強いはしないでくれ。私が無理を言ってリリアンヌを連れてきたのだ。この修道服はリリアンヌにとって特別な意味があるのだろう。私が新しい修道服を用意しても持ち込んだものばかりを着る。焦るべき時ではないのだ。少しずつ帝国の暮らしに慣れてもらう過程で、慣れ親しんだものを奪うことは避けたいのだよ」
単純に修道服への拘りでミザリーを遠ざけたいのだろうか。リリアンヌに視線を向ければ、彼女は僅かに怯えている様子だった。
「リリアンヌ? そこまで修道服を脱ぐことが苦痛なのか?」
「え? あ……その……」
リリアンヌは視線を逸らして口を閉ざす。ミザリーの前では口にできないのだろうか。
「わかった。少し息抜きをしよう。庭を歩かないかい?」
外に出て少し事情を聞こう。もし話したくないのだとしても気持ちを切り替える手助け程度にはなるだろう。
ラファーガはそう考えリリアンヌの手を取る。
「……はい」
リリアンヌは静かに頷いた。けれどもその表情は何かを躊躇っているようにも見える。
そんな彼女の手を引いて庭に出る。いつもよりも随分とのんびりした足取りに思えたが、それでも彼女は素直に従った。
庭師が整えたグラーシア家自慢の庭は随分と薬草が増えてきた。リリアンヌの村から戻ったラファーガが薬効のある植物を中心に揃えさせたからだ。
「リリアンヌ、ミザリーはあなたになにかしてしまったのだろうか?」
少し迷い、意を決して訊ねればリリアンヌは静かに首を振る。
「彼女はなにも悪くありません。ただ……肌を見せたくないのです」
少し悩んだ様子でそう答えた言葉の真偽はラファーガにはわからない。けれどもリリアンヌが僅かに怯えているように見えた。
「採寸は服の上から行うのではないのか?」
「その……身体に密着させる装束なので下着姿で採寸を行うそうです……」
リリアンヌは俯く。
どうやら下着姿と告げることに恥じらいを持っていたようだ。
「同性のミザリーに肌を見られることもあなたにとっては苦痛なのだろうか?」
「……そう、ですね。苦痛と言うべきか……とても恥ずかしいことだと思います」
自分の左肩に触れ、落ち着かない様子でそう告げたリリアンヌに、馬車で事故に遭ったという話を思い出してしまう。
もしや、肌に傷があるから見られたくないのでは?
その考えに至り、自分を恥じる。
「すまない。考えが至らなかった。ミザリーには私から話しておこう」
「え?」
「なるべく肌の出ない装いにしよう」
修道服への拘りは怪我だけが原因ではないだろう。それでも、少しでも肌を隠したい彼女の思いは尊重したい。
「帝国貴族の生活に馴染んで欲しいとは思っているが、それでもあなたに無理強いはしたくないのだ。リリアンヌ、あなたもできるだけ不満や不安は口にして欲しい。私はあなたを理解したい」
その言葉が彼女にとってどれほど意味を持つかラファーガにはわからない。
けれども紛れもない本心だ。
リリアンヌの言葉を待つ。しかし、彼女は口を開きかけ、言葉にすることを諦めるように首を振った。
「ラファーガ、これは私の問題です。私が私自身と向き合わなくてはいけないのです」
口ではそう言うくせに、リリアンヌはどこか不安気に見える。
「リリアンヌ、あなたには理解出来ないことかもしれないが、帝国の男というものは惚れた女性には頼られたいものなのだよ」
そっと彼女の手を取り告げれば、勢い良く見上げられ、驚いた様な表情を見せられる。
それから慌てたように俯くリリアンヌの耳が僅かに紅潮していることに気がついた。
「……あなたのそんな反応が見られるとは……自惚れてもいいかい?」
もしや突然顔を逸らしてしまうのは単純に恥じらいや照れだったのだろうか。
考えていたよりはリリアンヌに異性として意識されている。そう認識した途端、ラファーガの中の不満が吹き飛んだように思えた。
「……あまりからかわないでください……こういうとき、どんな反応をすればよいのかわからないのです……」
頭巾で顔まで隠そうとするリリアンヌをより愛おしく感じる。
ふとしたときに見せる少女らしさが余計に恋の魔法を強力なものにしてくれるらしい。
「すまない。あなたの前では私は少し意地の悪い男になりそうだ。もうしばらく今のあなたとの時間を楽しみたい。私たちの関係はそう急ぐ必要のあるものでもないだろう?」
法律上夫婦になったからといって何もかもが急激に変わるわけではない。
リリアンヌにラファーガの妻という地位を与える以上の意味はないのだ。
「私は焦りすぎていた。けれども、ああ……少しずつあなたとの距離を縮める時間が必要なのだ。私はあなたを神聖化し、理想を押しつけていたのかもしれない。だが、今は年相応や少し幼い面が見える度にあなたに惹かれていく」
そっと指先に口づければ慌てたように引っ込めようとする。
「ラファーガ! い、いけません……こんな……こんな……はしたない……」
「おや? 私の妻となってくれるのだろう? このくらいは受け入れておくれ」
王国には指先に口づけるような文化はなかったのだろうか。それとも単純にリリアンヌがこういった行為に慣れていないだけだろうか。
頭巾では隠しきれない恥じらう姿が愛おしい。
「すまない。からかいすぎたな。ミザリーには私から話しておこう。今日は休むといい」
これ以上からかっては嫌われてしまうだろう。
そう判断したラファーガはリリアンヌを庭に残しミザリーの元へ向かった。
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