31 / 51
五年後
30 背けた過去
しおりを挟む数日は平和に過ごしていると思い込んでいたが、ベルタの報告に目眩を覚えた。
リリアンヌが自室では洋箪笥の中で過ごしているというのだ。
一体何事だ。まさかメイドが嫌がらせをしているのではないか。
そんな不安が過り、ラファーガは夜中にリリアンヌの寝室に忍び込むことにした。
というのも真っ直ぐ訊ねたところで彼女が正直に打ち明けてくれるとは思えなかったからだ。きっと嫌がらせをした相手に気遣い心の奥にしまい込んでしまうだろう。
ベルタの話によるとリリアンヌは夜、書き物をしてから就寝前の祈りをし、ベルタの前では一度寝台に入るらしい。
が、次に様子を見に行くときには姿はなく、洋箪笥で発見することが数回あったという。
部屋の前で様子を覗っていると、確かに彼女が祈る古代言語が響いていた。
本当に寝台で休む姿があるのだろうか。
そろそろ就寝だろうか。扉を開けて確認しようとした瞬間、中から扉を開けられた。
「ラファーガ? なにかありましたか?」
少し困ったような笑みで訊ねる彼女は、どうやらラファーガが不安になり彼女を訪ねたと思っているらしい。
「あ、いや……その……あなたに会いたくなって……」
夕食後にも雑談に付き合って貰ったばかりだというのになんとも情けない言い訳になってしまった。
「そうですか……では……温かい牛乳でも飲みながらお話しましょうか」
リリアンヌはベルタを呼んで牛乳を頼む。柔らかな声で「お願いしますね」など母ならば考えられない言い方だなと思いつつ、相変わらずの修道服姿にどこか安心したのも事実だ。
「どうぞ」
リリアンヌが椅子を勧める。
「ああ、ありがとう」
なんだか不思議な気分だった。
かつて母が使っていた部屋を王国風に改装したはずなのに、ここにリリアンヌがいるだけで村で過ごしたあの家を思い出すのだ。
家具の質も配置も違うというのに、ただ目の前にリリアンヌがいるだけでなんとも言えない安心感がある。
「不便はないか? あー、いやあ……細かい規則が増えてあなたには不自由を強いてしまっているとは思うのだが……」
「実家と比べればそれほど不自由ではありませんよ」
リリアンヌは笑う。
そうしている内にベルタが温かい牛乳を持って戻ってきた。
リリアンヌは彼女に礼を言うと同時に、小さく祈るような仕草を取る。
それからラファーガを向いてカップを差し出した。
「どうぞ。落ち着きます」
「ああ、ありがとう」
先程の祈りはなんだったのだろう。普段よりもだいぶ短い音だった。
「今の祈りはどういったものなのだ?」
「え? あー……一般的には神の祝福がありますように、といった感覚でしょうか? 言葉としては神がお喜びになります。というような言葉です」
リリアンヌは少し悩んだ末にそう答えた。
どうやら古代言語は帝国の言葉に訳すのが難しいらしい。そもそも参考文献すら少ないような言語を母国語の様に操るリリアンヌの方が異常なのだ。使うのは魔術師程度だろう。少なくとも修道女が使いこなしたりする言語ではない。
「ラファーガ、なにか悩み事がありますか?」
優しい声が問いかける。
「私が力になれるかはわかりませんが、あなたの話を聞いて祈ることは出来ます」
リリアンヌの手が、ラファーガの左手を包み込んだ。柔らかく温かい手だ。
「……ああ……少し心配事があるのだ。本当はあなたに知られないように確認しようと思っていたのだが……」
彼女の瞳に宿る魔力に敗北したのか、その温かな手に包まれると偽ることを忘れてしまうのか。
ラファーガは密かに確かめようと思っていたはずなのに、言葉を止めることが出来なかった。
「あなたが箪笥の中で過ごしていると聞いてだな……なにか……嫌がらせのようなものを受けているのではないかと不安になったのだ。なぜあんなに狭い箪笥の中に入ろうなどと思ったのだ?」
訊ねれば、リリアンヌは数回瞬きをした。どうやら内容を理解するのに頭の中で反芻する必要があったらしい。
「あー……特に、困っていると言うほどではないのですが……その……このお屋敷の寝台が柔らかすぎて……その……床で寝てはベルタを驚かせてしまいますし……と思ったのですが……どうやら余計に驚かせてしまったようですね」
リリアンヌは困ったよう声で、目を逸らしてしまう。
「は? いや……ああ……確かにあなたの住んでいた家の寝台は快適とは言えな……げふんっ、包み込むほどの柔らかさはなかったが、あなたは柔らかい寝台が苦手なのか?」
箪笥の板の方が寝心地がよかったと判断されてしまっていたのだろう。
「長年そのような生活をしていたので……はい」
理由を知り安堵したのか体の力が抜けていくと同時に、どうしてこのような単純なことに気づけなかったのかと己に呆れてしまう。
人によって寝心地のいい寝具は違う。枕ひとつ変われば眠れない繊細な人も存在するのだ。
それを考えればラファーガは恵まれている方だろう。どんな場所でもそれなりの睡眠をとることができる。
「……明日には新しい寝具を用意させよう。すまない。私の基準で選んでしまったのだ」
正確には王国貴族が愛用する品という基準で選んでしまった。リリアンヌの故郷の品であれば快適に過ごせるだろうと。
「いえ、お気遣いに感謝しています。それに、箪笥の底は心地よくて……私、あそこで寝ます」
「いや……あー……ほんの少しでいい。私の顔を立ててくれ。妻となるあなたにそんな扱いをしているなどと噂が立ってしまっては大問題だ」
ただでさえリリアンヌに害意を抱いている使用人もいるのだ。どこからそんな噂を流されるかわからない。
本来であれば使用人を総入れ替えしたいところだが、王国に反感を持っている人間が多くなったこの時勢でリリアンヌを疎まない新入りで固めるのは困難だ。現状妥協できる範囲での入れ替えは済ませているが、噂好きの人間を黙らせることは出来ないだろう。
「……本当に、身分とは面倒な物ですね」
リリアンヌは息を吐き、その手が離れていってしまう。
「面倒ごとが嫌で神に仕える道を選びたかったのか?」
「……ええ、実はそうです」
冗談なのか読めない返答があった。
「かつて弟であった子たちが争う姿を見るのも、私を利用しようとする人達の相手をすることにもうんざりしていたところで我が神のお導きがあったのです」
ひっそりと静かに暮らしたい。
彼女からは切実にそんな空気を感じ取る。
しかし祭りの時に見せたはしゃぎ方を見る限り、年相応には賑やかな行事を好むのだろう。
村で暮らしていたのはきっと他者との交流までを避けたいわけではなかったということだ。
「あなたは……権力から逃げたかったのだな。身分という枷はあなたにとっては苦痛だというのに……私がそこへ戻してしまう」
だから彼女はあんなにも躊躇ったのだろうか。五年などと言う誓いを用意してまで。
いや、そうではないだろう。
それでも、ラファーガが彼女を傷つけてしまっているという自覚はあった。
「ラファーガ」
俯いていると上から声が振ってきた。
驚いて見上げようとした瞬間、視界が閉ざされる。
抱きしめられたのだと気づくのに数拍必要だったのはその行動が想定外だったからだろう。
「私は、あなたと違う生き方をしていました。与えられた環境から逃げたのです。見様見真似で修道女を目指しましたが、未だ本物には届いていません」
子供をあやすように優しく背を叩かれる。
包み込まれる安心感が心地よい。
「必要とされることは嬉しいのです。その裏側の感情を問わず。ですが……その先で諍いが起きることが恐ろしくなりました」
リリアンヌの声に翳りが混ざる。
「ラファーガ、権力は毒なのです。人を狂わせます。しかし、大いなる力には大いなる責任が伴うのです。私は……その責任に耐えられない人間だと判断し、逃げました」
彼女はラファーガを慰めるようで、自身の不安を誤魔化しているようにも見える。
「私はあなたに必要とされるほどの価値がある人間ではありません」
まるで懺悔するように、震える声が告げる。
「リリアンヌ、それは違う。私が惚れた女性を、私の大切なあなたを否定しないで欲しい」
その背に腕を回しても拒絶はない。
「リリアンヌ、私にはあなたが必要だ。そして……あなたにも私が必要であって欲しいと願っている」
驚かせてしまったのだろう。リリアンヌが離れていく。
「ラファーガ……私……今きっと酷い顔をしています。なので……背を向けることを許して下さい」
泣いているのだろう。声が震えている。
「私は、どんなあなたでも美しいと思うよ。それに、酷い姿は私の方がたくさん見られている。あなたは、こんなにも情けない私を受け入れてくれたのだ。私も、どんなあなたも受け入れたいと思っているよ」
けれども泣き顔を見られたくない彼女の側にこれ以上留まることは失礼だろう。
「今日のところは失礼するよ。また明日、一緒に過ごしてくれると嬉しい。おやすみ」
そう声をかけ、返事を待たずに部屋を出た。
彼女が隠したがっていた過去が少しずつ明かされていくのに、彼女の神について未だに触れることができていない。
そのことが少しだけ引っかかりながらも、リリアンヌが心を開きはじめてくれているように感じ、じんわりとした喜びが広がってしまった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ブレードシスター、-剣乱の修道女-
秋月愁
ファンタジー
北方の雄、ソルドガル帝国は、南西の草原の国、ラクティアを王国を占拠した。しかし、青年剣士ルガートの集めた「ラクティア解放軍」に押され始める。要衝であるゼムド砦を預かるソルドガル側の主人公、黒衣の剣士ヘルヴァルドは、乱戦の末、ルガートに討ち取られて血だまりで意識を失う。
次に目覚めると、赤子の姿でどこかの村の修道院前に捨てられた状態で転生を果たし、年配の修道女レミリアを親代わりに、修道女ミラリアとして育つ事となった。彼は女の身に転生したのだ。聖術と女言葉を覚えたミラリアは、修道院で他のシスターと談笑、ごく普通の少女となっていたが、ある日山賊が村に攻め寄せてきて、殺されていく村人をみかねて、山賊から刀を奪うと、封じていた剣術をもってこれを殲滅した。村は助かったが、ミラリアは奇異の目で見られるようになり、母代わりのレミリアに見送られて、旅に出る事となった。目的地はラクティアの首都ラクティ。今は議会制になっているこの国の議長、かつてヘルヴァルドであった自分を討ちとった、ルガートに会うために…。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる