シスターリリアンヌの秘密

ROSE

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五年後

30 背けた過去

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 数日は平和に過ごしていると思い込んでいたが、ベルタの報告に目眩を覚えた。
 リリアンヌが自室では洋箪笥の中で過ごしているというのだ。
 一体何事だ。まさかメイドが嫌がらせをしているのではないか。
 そんな不安が過り、ラファーガは夜中にリリアンヌの寝室に忍び込むことにした。
 というのも真っ直ぐ訊ねたところで彼女が正直に打ち明けてくれるとは思えなかったからだ。きっと嫌がらせをした相手に気遣い心の奥にしまい込んでしまうだろう。
 ベルタの話によるとリリアンヌは夜、書き物をしてから就寝前の祈りをし、ベルタの前では一度寝台に入るらしい。
 が、次に様子を見に行くときには姿はなく、洋箪笥で発見することが数回あったという。
 部屋の前で様子を覗っていると、確かに彼女が祈る古代言語が響いていた。
 本当に寝台で休む姿があるのだろうか。
 そろそろ就寝だろうか。扉を開けて確認しようとした瞬間、中から扉を開けられた。
「ラファーガ? なにかありましたか?」
 少し困ったような笑みで訊ねる彼女は、どうやらラファーガが不安になり彼女を訪ねたと思っているらしい。
「あ、いや……その……あなたに会いたくなって……」
 夕食後にも雑談に付き合って貰ったばかりだというのになんとも情けない言い訳になってしまった。
「そうですか……では……温かい牛乳でも飲みながらお話しましょうか」
 リリアンヌはベルタを呼んで牛乳を頼む。柔らかな声で「お願いしますね」など母ならば考えられない言い方だなと思いつつ、相変わらずの修道服姿にどこか安心したのも事実だ。
「どうぞ」
 リリアンヌが椅子を勧める。
「ああ、ありがとう」
 なんだか不思議な気分だった。
 かつて母が使っていた部屋を王国風に改装したはずなのに、ここにリリアンヌがいるだけで村で過ごしたあの家を思い出すのだ。
 家具の質も配置も違うというのに、ただ目の前にリリアンヌがいるだけでなんとも言えない安心感がある。
「不便はないか? あー、いやあ……細かい規則が増えてあなたには不自由を強いてしまっているとは思うのだが……」
「実家と比べればそれほど不自由ではありませんよ」
 リリアンヌは笑う。
 そうしている内にベルタが温かい牛乳を持って戻ってきた。
 リリアンヌは彼女に礼を言うと同時に、小さく祈るような仕草を取る。
 それからラファーガを向いてカップを差し出した。
「どうぞ。落ち着きます」
「ああ、ありがとう」
 先程の祈りはなんだったのだろう。普段よりもだいぶ短い音だった。
「今の祈りはどういったものなのだ?」
「え? あー……一般的には神の祝福がありますように、といった感覚でしょうか? 言葉としては神がお喜びになります。というような言葉です」
 リリアンヌは少し悩んだ末にそう答えた。
 どうやら古代言語は帝国の言葉に訳すのが難しいらしい。そもそも参考文献すら少ないような言語を母国語の様に操るリリアンヌの方が異常なのだ。使うのは魔術師程度だろう。少なくとも修道女が使いこなしたりする言語ではない。
「ラファーガ、なにか悩み事がありますか?」
 優しい声が問いかける。
「私が力になれるかはわかりませんが、あなたの話を聞いて祈ることは出来ます」
 リリアンヌの手が、ラファーガの左手を包み込んだ。柔らかく温かい手だ。
「……ああ……少し心配事があるのだ。本当はあなたに知られないように確認しようと思っていたのだが……」
 彼女の瞳に宿る魔力に敗北したのか、その温かな手に包まれると偽ることを忘れてしまうのか。
 ラファーガは密かに確かめようと思っていたはずなのに、言葉を止めることが出来なかった。
「あなたが箪笥の中で過ごしていると聞いてだな……なにか……嫌がらせのようなものを受けているのではないかと不安になったのだ。なぜあんなに狭い箪笥の中に入ろうなどと思ったのだ?」
 訊ねれば、リリアンヌは数回瞬きをした。どうやら内容を理解するのに頭の中で反芻する必要があったらしい。
「あー……特に、困っていると言うほどではないのですが……その……このお屋敷の寝台が柔らかすぎて……その……床で寝てはベルタを驚かせてしまいますし……と思ったのですが……どうやら余計に驚かせてしまったようですね」
 リリアンヌは困ったよう声で、目を逸らしてしまう。
「は? いや……ああ……確かにあなたの住んでいた家の寝台は快適とは言えな……げふんっ、包み込むほどの柔らかさはなかったが、あなたは柔らかい寝台が苦手なのか?」
 箪笥の板の方が寝心地がよかったと判断されてしまっていたのだろう。
「長年そのような生活をしていたので……はい」
 理由を知り安堵したのか体の力が抜けていくと同時に、どうしてこのような単純なことに気づけなかったのかと己に呆れてしまう。
 人によって寝心地のいい寝具は違う。枕ひとつ変われば眠れない繊細な人も存在するのだ。
 それを考えればラファーガは恵まれている方だろう。どんな場所でもそれなりの睡眠をとることができる。
「……明日には新しい寝具を用意させよう。すまない。私の基準で選んでしまったのだ」
 正確には王国貴族が愛用する品という基準で選んでしまった。リリアンヌの故郷の品であれば快適に過ごせるだろうと。
「いえ、お気遣いに感謝しています。それに、箪笥の底は心地よくて……私、あそこで寝ます」
「いや……あー……ほんの少しでいい。私の顔を立ててくれ。妻となるあなたにそんな扱いをしているなどと噂が立ってしまっては大問題だ」
 ただでさえリリアンヌに害意を抱いている使用人もいるのだ。どこからそんな噂を流されるかわからない。
 本来であれば使用人を総入れ替えしたいところだが、王国に反感を持っている人間が多くなったこの時勢でリリアンヌを疎まない新入りで固めるのは困難だ。現状妥協できる範囲での入れ替えは済ませているが、噂好きの人間を黙らせることは出来ないだろう。
「……本当に、身分とは面倒な物ですね」
 リリアンヌは息を吐き、その手が離れていってしまう。
「面倒ごとが嫌で神に仕える道を選びたかったのか?」
「……ええ、実はそうです」
 冗談なのか読めない返答があった。
「かつて弟であった子たちが争う姿を見るのも、私を利用しようとする人達の相手をすることにもうんざりしていたところで我が神のお導きがあったのです」
 ひっそりと静かに暮らしたい。
 彼女からは切実にそんな空気を感じ取る。
 しかし祭りの時に見せたはしゃぎ方を見る限り、年相応には賑やかな行事を好むのだろう。
 村で暮らしていたのはきっと他者との交流までを避けたいわけではなかったということだ。
「あなたは……権力から逃げたかったのだな。身分という枷はあなたにとっては苦痛だというのに……私がそこへ戻してしまう」
 だから彼女はあんなにも躊躇ったのだろうか。五年などと言う誓いを用意してまで。
 いや、そうではないだろう。
 それでも、ラファーガが彼女を傷つけてしまっているという自覚はあった。
「ラファーガ」
 俯いていると上から声が振ってきた。
 驚いて見上げようとした瞬間、視界が閉ざされる。
 抱きしめられたのだと気づくのに数拍必要だったのはその行動が想定外だったからだろう。
「私は、あなたと違う生き方をしていました。与えられた環境から逃げたのです。見様見真似で修道女を目指しましたが、未だ本物には届いていません」
 子供をあやすように優しく背を叩かれる。
 包み込まれる安心感が心地よい。
「必要とされることは嬉しいのです。その裏側の感情を問わず。ですが……その先で諍いが起きることが恐ろしくなりました」
 リリアンヌの声に翳りが混ざる。
「ラファーガ、権力は毒なのです。人を狂わせます。しかし、大いなる力には大いなる責任が伴うのです。私は……その責任に耐えられない人間だと判断し、逃げました」
 彼女はラファーガを慰めるようで、自身の不安を誤魔化しているようにも見える。
「私はあなたに必要とされるほどの価値がある人間ではありません」
 まるで懺悔するように、震える声が告げる。
「リリアンヌ、それは違う。私が惚れた女性を、私の大切なあなたを否定しないで欲しい」
 その背に腕を回しても拒絶はない。
「リリアンヌ、私にはあなたが必要だ。そして……あなたにも私が必要であって欲しいと願っている」
 驚かせてしまったのだろう。リリアンヌが離れていく。
「ラファーガ……私……今きっと酷い顔をしています。なので……背を向けることを許して下さい」
 泣いているのだろう。声が震えている。
「私は、どんなあなたでも美しいと思うよ。それに、酷い姿は私の方がたくさん見られている。あなたは、こんなにも情けない私を受け入れてくれたのだ。私も、どんなあなたも受け入れたいと思っているよ」
 けれども泣き顔を見られたくない彼女の側にこれ以上留まることは失礼だろう。
「今日のところは失礼するよ。また明日、一緒に過ごしてくれると嬉しい。おやすみ」
 そう声をかけ、返事を待たずに部屋を出た。
 彼女が隠したがっていた過去が少しずつ明かされていくのに、彼女の神について未だに触れることができていない。
 そのことが少しだけ引っかかりながらも、リリアンヌが心を開きはじめてくれているように感じ、じんわりとした喜びが広がってしまった。
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