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五年後
11 旅支度
しおりを挟む五年という時間は、想像よりも早く過ぎ去った。
リリアンヌのことを考えない日はなかったが、彼女のことばかりを考えていられるほどのゆとりもなかった。
父が失脚した後、グラーシア家の信頼を少しでも回復させるためラファーガは必死に皇帝の無理難題をこなし続けた。
皇帝カルロスがあまりにも無理ばかりを口にするので、ラファーガを潰すためにこんな難題ばかりを寄こすのだろうかと疑った時期もあったが、どういうわけか毎度苦労をすれば乗り越えられてしまう。そして彼はそれを当然だと見做しているようだった。
結果、五年で随分と昇進してしまったものだ。
仕事の合間は格闘技術を磨き武器を持たない世界への一歩を着々と歩んでいるつもりではあるが、ここまで鍛えてしまうと拳が武器になるのではないかと悩み始めたくらいだ。
しかし、少なくとも今のラファーガは五年前の頼りない男ではない。
今の姿はリリアンヌの前でも誇れるだろう。
全身から自信が溢れている。
「陛下、しばらく休暇を頂くよ」
五年の間ですっかり距離が近くなった皇帝は公式の場以外ではほぼ友人のように振る舞わせる。
実際二人の間に友情があるかと訊ねられれば、ラファーガとしてはやや複雑な気分になってしまうのだが。
「ああ、そろそろ約束の時期だったね。うん。彼女がお前を忘れてしまっていたら私の胸を貸してあげるよ」
笑顔でそんな冗談を口にするなんて性格の悪い男だと思いつつも、しっかり一月以上の休暇を与えてくれることには感謝しなくてはいけない。
「彼女のことはいろいろ調べてはあるのだけど……この情報をお前が握っていると知れば彼女は逃げ出してしまうかもしれないね」
書類の束をちらつかせながら、ラファーガの意志を確認しているような姿はすっかりと見慣れてしまった。
ラファーガ自身、調べなかったわけではない。
詮索はしないと告げたが、どうしてもカルロスが口にしていた王女の話が気になってしまったのだ。
一致するのは年齢と肖像画で描かれた髪色程度だったが、それでも彼女が時折見せた帝国式ではない所作や王国風の訛りを思い出してしまう。
彼女について調べるわけではないと自分に言い聞かせ、王女リリアンヌについて調べると、修道院に入った後失踪していることくらいしか情報が出てこなかった。
ひとつだけ気になったことは、王女が修道院に入る直前、カルロスとの婚約がちらついていたことだろう。王族としてはよくある話だが、カルロスはその話をしなかった。
本当にあの村に居たリリアンヌがカルロスの元婚約者候補だとすると、彼女はカルロスに会いたくないのではないかと心配になってしまう。
どう考えたって王族があのような場所で怪我人の介護をするなんておかしい。
なにより、時折浮かび上がるリリアンヌの手形の謎が彼女の出自を探らなくてはいけない気がしてしまうのだ。
もし、王家がその力の存在を知っていたのであれば国外に出さないため彼女をどこかへ隠そうとしただろう。
もし、その力に気づかれていなければ……彼女自身が自分の力を恐れて家族と距離を取りたがっていたのかもしれない。
こればかりは本人に訊ねなければわからないことだろう。
けれども、そこに踏み込んでいくだけの勇気はまだない。
「私は必ずリリアンヌを説得し、帝国に連れ帰るつもりだ。が……万が一の時は私があの村に永住する覚悟だ」
地位も金も手に入れた。
彼女を迎えるための部屋は王国風に整え、王国出身の使用人も新たに雇い入れている。
見様見真似で彼女の家にあった祭壇のようなものも用意したし、彼女を真似て夕朝の祈りも取り入れている。
朝ではなく夕が先なのだと彼女がきわめて重要そうに語っていたのでラファーガも夕から始めた。
「……お前は……真面目なのは評価するが、女一人の為に国を捨てると言われている私の身にもなってくれ」
呆れ顔のカルロスは深いため息を吐く。
その反応でようやくラファーガは自分の発言はかなり問題のあるものだったと理解した。
「そう言われてしまえばそうなのだが……しかし、彼女は私の恩人だ。無理に移住してくれとも言えないだろう」
結局のところ、ラファーガはリリアンヌに拒絶される覚悟が出来ていない。彼女と国を天秤にかけたとき、どちらに傾いてしまうのか結論を出すことが出来ずにこの五年を過ごしてしまった。
「恩人とは言え五年も連絡すら取っていない相手だろう? 私としては、忘れられたお前が泣いて戻ってくる方が嬉しいよ」
そう言いつつ、路銀だと随分な金額を持たせてくれるカルロスは素直ではない男なのだろう。これだけの金額があればリリアンヌに最上級の宿を選び続けたとしても十分贅沢な食事を楽しめる。ラファーガが用意していた金額の半分ほどだ。つまり、中級文官の年収ほどの金額を路銀としてあっさりと持たせたのだ。
口ではああ言っていたとしても、リリアンヌを連れ帰れということなのだろうと理解する。
「さっさと荷造りをしろ。お前が日々印を付けてくれたせいで執務室の暦が読みにくい」
「それはすまない。一番目に入る暦がこの部屋のものなのだ」
荷造りは既に済んでいる。移動時間を考えれば今夜出発すればゆとりのある旅になるだろう。
しかし気持ちばかりが逸ってしまい、約束の日よりも早く到着してしまえば彼女は呆れ、誓いはなかったものになるだろう。
計画では村に一番近い町で宿を取り、日が傾き始める頃に到着するよう移動する。
名は出さぬようにして支援物資も送っていた。村の子供達にも世話になっていたから彼らの生活が少しでも楽になるといいと思う。
特に帝都でも使われるような教材は、歴史や言語でなければ彼らの生活にも役立つだろう。数学や生活魔法は使えて損はないのだから。
「三月経っても戻らなければ今度こそ私は死んだものと思ってくれ」
「死んでも戻れ。お前が居ないと仕事が溜まる一方だ。ああ、休暇の間も書類は積んで置くからな」
悪戯っぽく笑うカルロスが本当に書類を積んだりはしないことをこの五年で理解している。
彼は努力家だ。人前では見せないだけでラファーガが想像していた数倍は努力している。
他人の能力もしっかり把握し、それを利用できる。
この先、帝国はさらに大きくなるだろう。強い国になる。
戦など二度と起こらないように動き回るべきだが、今後も避けられないだろう。そうなると、あの村は危険だ。
住人ごと領地に移り住んでもらおうかとも考えたが、彼らにとってはあの地が故郷だ。故郷を捨てろなどと口にするのは酷だろう。
ラファーガがすべきことは戦を避け、万が一の時は被害が最小限になるよう事前に策を練っておくことだ。
「では、行ってくるよ」
ついでにあの地の現状を少し調べておこう。王国側の動きがわかるかもしれない。
そんなことを考えながら、ラファーガはリリアンヌの住む村に向けて出発した。
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